「そういえば一昨日窃盗事件があったらしいんだけど、イザナ何か知ってる?」
「知らね」
そう、と缶に口を付けると、安っぽい炭酸が舌の上を弾けた。
バイクで連れ出すのは海が多かった。適当な海縁にバイクを止め、大した話をするでもなくジュースやアイスを片手にぼんやりと波を眺める。ひとのそう多くない場所を選んでいるのか、わりと静かな時間を過ごしていた。
口数は少なくもないが、多いとも言えない。気分が乗ったときはぺらぺらと喋るが、じっと黙っているときもある。おそらく、本来は口数の多い方ではないのだろう。喋るのが苦痛なわけではなさそうだが、お喋りを楽しむ気質ではないように見えた。
俺自身も、騒がしいよりは静かな方が好ましい。意外とこの時間を楽しんでいる自分には気づいていた。イザナとの会話には、ストレスが少ない。
問いに短く答えた横顔に目をやった。イザナは何も言わず、海を眺めながらコーラの缶に口をつけている。
「……ンだよ、知らねえって言ってんだろ」
「別に疑ってないよ。どうもプロじゃない若い連中がやらかしたことらしいから念のため確認しただけ。まあ、ウチのシマのことじゃないし関係はないんだけど」
「なら聞くんじゃねーよ」
「いやいや、これでも俺はその犯人たちのためを思って言ってるんだよ。盗み癖は一度染みつくと本当に抜けないらしいからね、盗みをやったら痛い目に遭うって早いうちに理解させてやらないと」
ウチのシマまで荒らされる前に、と付け足せばそれが本音だろと鼻で笑われた。実際その通りなので、否定するとなくにこりと微笑む。
「見つけたらどーすんだよ、海にでも沈めンのか?」
「しないよそんなこと。キタナイもん海に沈めたら魚食べる気が失せるでしょ」
「じゃあ山か」
「俺キノコとか山菜も好きなんだよね」
その答えにイザナは軽く噴き出した。
自称「平和主義」で真実「面倒ごとの嫌い」な俺としては、海だろうが山だろうが死体という証拠を残すような真似などする気はなかった。
もちろん冗談だけど、と軽く言ってコーラの缶を傾ける。
「殺したりしないよ、ちょっと怖い思いをしてもらってから放り捨てるだけ。そしたら勝手に自首してくれるから」
俺たちも刑務所のなかにまでは手を出せないからね、と言葉を締める。
非合法な自分たちの手から逃れたければ「合法」な檻のなかに逃げるのが一番、それだけわからせてやればいい。
ふん、とイザナは機嫌がいいんだか悪いんだかわからない調子で鼻を鳴らす。
「ヤクザなりの人助けのつもりか?」
ひとだすけ、と繰り返してつい笑った。
あまりにもこの稼業に似合わない言葉だと思う。
「建前的にはそうかもね。俺としては単純に気にくわないってだけ」
極道の跡取りとして少しばかり稼業の手伝いをしていれば、自然と耳にも入ってくる情報がある。
何故だかここしばらく、底辺しか集まらない掃きだめのような世界に好き好んで首を突っ込むガキが増えてきたという。それも若気の至りにちょっとワルいことを知って卒業していくようなレベルでなく、本気でこの世界でメシを食えると思っているクソガキが。
この世界にはこの世界のルールがあり、義理もあれば秩序もある。下手をすれば表の世界よりも厳しいそれを無視しながら、美味しいところだけもっていこうなんてやり方は気に食わなかった。
極道にしてみれば、ただでさえじわじわ強くなる世間の締め付けに堪えながら息をしているのが現状なのだ。それを加速させようなんて輩はどうしたって目障りでしかない。まだその世界に片足しか突っ込んでいない俺でさえそう思うのだから、長年この世界で息をしている爺さんたちは相当頭にきていることだろう。
飲み干した缶をゆらゆらと揺らしながら、赤い缶と青い海のコントラストに目を細めた。
「どこにも行く場所がなくなった底辺しか来なくていいんだよ、こっちにはね。まだ日の当たる場所にいられるくせに観光気分で来ているようなら、まあ、躾はいるでしょ」
ハ、と隣で鋭く息を吐く気配がした。
今度こそ機嫌を損ねたらしいイザナが、まだ中身の残っていた缶を海に放り捨てる。音を立てて鮮やかな赤が海面に潜りこんだ。
ちゃぷりと再び浮き上がってきた赤は、濁った波間でひどく目立っている。
「戻れねえやつもいンだよ」
大きな瞳は空虚に揺れる。
それを見た俺は、つい内心で下手な嘘だ、と呟いた。
***
すでにイザナについておおよそのことは把握していた。生い立ちや関わったひと、彼が今まで生きていた間に触れてきたもの。彼が「黒龍」となって好き放題暴れていながら満たされない理由も、予想はできている。
俺からすれば理解も共感もできない苦しみ、哀しみ、絶望。しかしイザナにとっては重いのだろう。人間の闇なんてだいたいそういうもので、自分の闇は自分のもの。他人に理解などできるはずもなく、抜け出すもまた自分次第だ。
こんな風に恐怖で逃げてくれるやつなら話は簡単なんだけどな、と俺は地面に転がる薄汚いそれらから足を下ろした。
「声を掛ける人間は選んだほうがいいよ。こんな時間にスーツ着て外歩いてる未成年見て
「う、ぐ……!」
「何だっけ、貧しいひとへの募金集めてるんだっけ? いい心掛けだなあ、俺もボランティアとか寄付とかそういうのすごくいいことだと思うよ。身を削ってでも誰かを助けようなんて素晴らしいよね」
そう言いながら、血を流して転がる彼らの懐から財布を抜き取る。身分証がはいっていないのは残念だが、妙に雑な入れ方で数枚の札が突っ込まれていた。おそらくこれも「募金」として集めた金なのだろう。
にっこりと笑ってそれを抜き取り、小銭だけが残った財布を投げ捨てた。恐怖に震えた視線が自分に向けられているのは感じていた。
「感心ついでにこのお金はきみたちの代わりに募金しておいてあげる。大丈夫、責任もってコンビニの募金箱にでもねじ込んでおくから」
「あ、……!」
「小銭は残してあげたから電車代くらいはあるでしょ。大人しくオウチに帰ったほうがいいよ」
もう痛いの、嫌だよね?
必要以上に優しい声に、あ、とかう、とか意味を為さない音だけが零される。自分たちから絡んでおいて何の反撃も予想していなかったなんて随分お花畑な脳みそだなと、ただ呆れるしかない。骨の数本と少々の根性焼きで済んだのだから運が良かった方だと心底思う。
俺にしてみれば、あまりに怠い「雑務」を済ませた帰り、路地裏でストレス発散の一服をしていたところを絡まれたのだ。機嫌が悪いときでもちゃんと堅気に「遠慮」した自分の理性を褒めてくれてもいいくらいだ。
歩きにくい血まみれの絨毯を踏みつけながら、さっさと帰ろうと放り捨てていた吸い殻を拾って携帯灰皿に入れる。自分の痕跡が残っていないことをざっと確認し、表通りに出ようと明るい方に顔を向けた。
ずっとこちらを見ている人間がいることには気づいていた。止めるでもなく、手を出すでもなく、愉快そうにこちらを見ている二人分の視線。
「こんばんは。見物料とるよ」
「コンバンハ~。ンなケチくさいこと言うなって」
「何だ、スーツ着てっけど俺らと歳変わんねえんじゃねえの」
何か縁でもあるのかな、と同じ顔をしたふたりと正面から相対する。
黒と金が交互に並んだ長い髪の長身と、それを反転させた髪型の少し小柄な彼。そういえばこの辺りは彼らの遊び場だったっけ、とイザナの「オトモダチ」として報告された資料を思い起こした。十三歳にしてひとをひとり死に追いやった「六本木のカリスマ」の灰谷兄弟。
一応調べさせたとはいえ関わるつもりはなかったんだけどな、と小さく苦笑して首を傾げる。正直本当に早く帰りたかった。
「そこ、通らせてもらってもいいかな。ただの一服だけのつもりだったのに余計な運動しちゃって疲れたんだ。これ、どっかで募金もしなきゃいけないし」
「え、マジでそれ募金すんの。ウケる」
「こんなはした金懐にいれるほど困ってないんだよ」
「うわ、金持ってるやつの台詞じゃん。何、いいとこの坊ちゃん?」
さあね、と軽く返す。もしかしたらイザナが何か言ってるかもしれないと思っていたが、どうやら俺のことは知らないようだった。
今のところ、正直いって彼らに関わるメリットは特にない。構わず通り抜けようとすると、明らかに道を塞ぐように立つふたり。
余計な関心買っちゃったな~と思いながらにこりと微笑む。兄の方は同じようににこりと微笑み返してくれたが、動く様子を見せず。仏頂面の弟も、俺から視線を外すことなく重心を低く保っている。
どう見ても明らかな喧嘩腰に、ついため息が出そうになるのを必死でおさえた。
「……いや、帰りたいんだけど」
「名前なんてーの? 歳いくつ?」
「会話してほしいな?」
「お前が答えりゃすむ話だろ。まあ俺らとやりあいてーなら大歓迎だけど」
「うわ面倒くさい」
反射的に口からこぼれ落ちた本音。
ガラの悪い声でガン飛ばしてくる弟の方を片手で制しつつ、まーいいじゃんと兄の方はニコニコと続けた。
「名前聞いてるだけじゃん? 言えねー理由でもあるわけ?」
「……ああ、本当に面倒だな」
灰谷兄弟。黒川イザナ。極悪の世代。堅気のくせにとっくに頭はイカれていて、堅気が着てはいけない世界を我が物顔で練り歩き、俺から見ても「ヤバイの」に目をつけられ始めている彼ら。彼らが今後どうなったところで興味の範囲ではないが、彼らのせいで自分に余計な仕事や手間が増える可能性は大いにある。
大人しく戻れるうちに戻ってくれたらいいのに、何を好き好んでこんな底辺を歩きたがるのか。俺からすれば物好きのマゾヒスト以外の何者でもなかった。
眉間に寄りそうになった皺を指で押さえつつ、何とか笑顔をつくりなおす。
「イザナにでも聞いて」
「……は?」
「え、」
「黒川イザナ、オトモダチでしょ。イザナは俺のこと知ってるよ」
だからさ、とゆっくりと歩み寄る。兄の方の肩にぽんと手を置いた。
「堅気が俺の前塞いでんじゃねえよ」
そう言って同じ高さにある肩を押せば、思いのほかそれは軽く動いた。流れのままに弟の方も押しのけるが、そちらも特に抵抗する気配はなく。
イザナに一目置いているのは本当のことらしいな、と頭の片隅で思った。
「じゃあ、きみらも早く帰ったほうがいいよ。灰谷蘭くん、灰谷竜胆くん、もう遅いから夜道には気を付けてね」
動く気配を見せない彼らの様子を見ることなく通り過ぎ、明るすぎる繁華街の大通りに出る。
適当にぶらついて帰るからと家の者を帰してしまったのだが、もう歩くのも嫌になってきた。迎えに来てもらおうと携帯を取り出して電話を掛ける。
ちなみにあとになって俺はこのときの行動をわりと真面目に後悔することになるのだが、時すでに遅し。長く多くの人間に遠巻きに見られてきた俺にしてみれば「だってまさか俺みたいのに寄ってくるやつがイザナ以外にいるとは思わないでしょ」という話なのだが、そんな極道息子に対して「俺ら『堅気』には手ェ出さないんだろ?」と平気で笑ったこの兄弟、どうやらしっかり頭がイカれている。
餌もやってないのに寄ってくる野良猫が三匹に増えた今日この頃、別に猫好きではない俺は大きくため息をついた。
***
「ねえ、野良猫の駆除ってどうしたらいいと思う?」
「若、いけません。猫が可哀想です」
「待ってねえまさかその顔で猫好きなの? いや猫っていうか人間なんだけど」
「適当に締めなさい。堅気ならほどほどに」
「変わり身はやいよ。ほどほどで退かなそうだから加減がねえ」
しかし、と教育係はいつも通りの無表情で続ける。
「随分と気に入っていらっしゃるようにお見受けしますが」
「……そう見える?」
「ええ、珍しく楽しそうです」
笑っていらっしゃいますよ、と言われて頬に手をやった。確かに口角は上がっているが、まあいつも通りと言えばいつも通りのはず。しかし幼い頃から面倒を見てくれている彼が言うのなら、確かに自分は楽しんでいるのかも知れない。
く、と喉の奥が鳴る。それならば、ともう開き直ることを決めた。
「せっかくだから、もう少し遊んであげようか」
彼らと付き合うデメリットの方が大きくなる、そのときまで。
何を思ってか、そんな俺を見て教育係が苦笑したのを視界の端で捉えた。