「で、ゼンブ片付いたワケ?」
「まじ俺らのおかげじゃん」
だからこうしてご馳走してるのに、と高級料亭にまるで相応しくないスウェット姿で箸をもつ二人を見て苦笑する。食べ方は意外と綺麗なので不快感はないのだが、似つかわしくなさすぎて面白い。
「食べたことがないものがいいって言うからここにしたけど、口に合った?」
「高そうな味はする」
「俺はケッコー気に入った~」
それなら良かった、と俺も箸を手に取る。
何故だか金回りのいいこの兄弟も一見お断りの紹介制の店なら入ったことがないだろうと思って選んだのだが、とりあえずお気に召してくれたらしい。慣れてない人間を連れていくからわかりやすい味付けのものにしてくれと頼んではおいたけれど、さすがは
「随分上手にやってくれたみたいだからね。ほんのお礼だよ」
九井くんたちを誘き出すために、灰谷兄弟やその配下に情報を流してもらった。かなり警戒していたはずの九井くんが見事につれてくれたのは、それだけ上手く話を広めてくれたという証拠だろう。その手腕には素直に感心する。ただ喧嘩が出来るだけの馬鹿にできることではなかった。
少し自慢げな顔した竜胆がにんまりと笑う。
「ニュースにもなってたもんな、少年窃盗団全員出頭したって」
「涙ながらに捕まえてくれって訴えてたって話だけど、伊織チャンてば何したの?」
「俺は何もしてないよ、ウチ一番の強面とちょっとオハナシしてもらったけど」
「それじゃん」
といっても彼らには傷ひとつないはずだ。ただ痛みを与えるよりも恐怖を思い知る方法などいくらでもある。危ない方法で金を稼ぐより法に守られた檻の中にいたほうが安心だとわかってくれたなら、これでもう馬鹿に手を染めることはないだろう。
乾赤音さんの手術も無事終わり、九井くんとの契約も成立。九井くんには自身に依頼をしたことのある「金だけ持ってるクズ」のリストを提供してもらい、それを「この世界のオトナ」に提出してお褒めの言葉と少なくない額の報酬を頂戴した。
大筋として想定通り。働きに見合った結果も得た。強いて言うなら、あとは。
「で、うちの大将と何かあった?」
イザナの答えを待つだけ、というところ。
蘭の探るような視線に、にこりと微笑みを返す。
「さあ、最近イザナと会ってなくてね。最近って言っても二週間くらい? その前が来すぎだったんだよむしろ。イザナ、どうかしたの?」
「ま~伊織に絡みすぎだったのはそーなんだけど。妙に情緒不安定なんだよね」
「ちょっとしたことで何人も部下ボコして病院送りにしてるらしい。いつものことっちゃいつものことだけど、やけに機嫌わりーの」
「へえ。何か悩みでもあるのかな」
あの日、見るからに動揺していたイザナ。答えを待ってるよ、と肩を叩いて帰らせたのだが、いまだ結論は出ていないようだ。やるなら俺の目の前で、と念は押したから早まった真似はしないだろうが、情緒不安定だというなら佐野真一郎や佐野エマの身辺を見張らせておいた方がいいかもしれない。
どうしようかな、と視線を揺らすと、同じカタチをした二人分の瞳がまっすぐこちらを向いている。おや、竜胆まで俺が原因だと感づいているらしい。
にこりと微笑み返すと、蘭はふうんと肉の欠片を噛み砕き、竜胆は舌打ちをして視線を外した。
「疑うのは自由だけど俺は何もしてないよ」
「モッチーがイザナの前で伊織の名前出したら鼻折られたらしいんだけど」
「それは災難だったね。お見舞いのお菓子でも贈っておこうかな」
「何したんだよ」
いつになく真剣な視線に、真剣な声音。蘭と違って搦め手の向かない竜胆は、まっすぐだからこそ誤魔化されることをよしとしない。
蘭もまた、決して俺から視線を逸らそうとはしなかった。
「……本当にイザナは慕われているね」
いっそ羨ましいかもしれない、とふたりの顔を見て思う。
この性悪な兄弟も、他の「極悪の世代」も、きっとイザナがどちらを選んでも何も変わらないのだろう。表の世界だろうが、裏の世界だろうが、イザナは自分たちが認めた男に違いない、と。
まだ会ったことのないイザナの可愛い「下僕」くんも、また。
「これは嘘でも誤魔化しでもなく言うけど、放っておきな」
「それで納得すると思ってンの?」
「納得しなくても構わないけど、俺はこれ以上言わないよ? イザナだってそう思うから誰にも何も言わないんだ。俺から言えるのはそれくらい」
そこで立ち上がりかけた竜胆を片手で制し、蘭はお吸い物の椀を手に取って口につける。静かに飲み干し、再び椀を置いた。その紫の瞳には何の感情も浮かんでいない。
「ンなこと出来るとも思わねえけど、別に大将脅してるとかじゃねーんだろ?」
「してないよ。イザナは脅しが通じる類いの人間じゃない」
「で、伊織チャンはイザナおちょくって遊ぶ趣味もねーよな」
「好んで蹴られたくはないね」
「しかも、意外と嘘はつかない」
「蘭はわりとひとのことをちゃんと見ているよね。感心するよ」
そ、と蘭は口を閉じる。少し目を伏せて、また俺を見た。そのときにはもう、いつも通りの腹の底を見せない笑顔。
「ところで伊織チャン、俺全然足りねーんだけど。おかわり~」
「あ、俺も。あと三人前は出してよ、高ェ店は量がすくねンだよな」
「うーん食べ盛り。仕方ないな~」
苦笑しながら追加を頼み、次々と品の良い料理が消えていくのを見る。俺もそれなりに食べる方だとは思うが、この兄弟は俺の比ではない。まあここまで景気よく食べてくれたらご馳走しがいがあるというものだ。仕事の報酬なのだから好きに食べればいい。
ついでにこれは部下さんたちに、と土産を持たせれば、覚えてたら渡しとく、と二人して箱を凝視していた。
「……渡すんだよ?」
「たぶん」
「きっと」
「あはは蘭、竜胆、こういうのは俺のメンツに関わるんだ」
ちゃんと渡せよとにっこり笑えば、一段低い声で不服そうに「へーい」と声を揃える。まったくこの正直者ども、おつかいくらい普通にこなしてほしい。
店の暖簾をくぐり、外に出る。腕時計を確認すれば、思ったより時間が遅いことに気づいてひとつ瞬きをする。二人を満腹にするのに思ったより時間が掛かってしまった。
「伊織クン、俺らこの後てきとーに遊んでくけど」
「俺は帰るよ。明日も学校だし」
「うわ真面目~、……そういやお前学校行ってんだっけ」
「実は俺不良じゃないんだよ蘭。知ってた?」
知らね、と同じ顔で笑う兄弟と別れてタクシーに乗る。流れていく夜の灯りをぼんやり眺めながら、最近荒れているというイザナのことを思う。
そもそも即断できない時点ですでに答えは出ているのだ。あとはイザナ本人がそれを認められるかどうか、それだけの問題。兄を、妹を、血の繋がりがなくても「大事」だと認められるかどうか。ついでにその兄と妹と血が繋がっている「弟」を受け入れられるかどうか。
言葉にするのは簡単だが、まあそう簡単ではないのだろう。
「……ふ、」
零れかけた欠伸をかみ殺し、目元を指で拭う。
境遇のせいなのかそもそもの性質なのか、イザナはかなり厄介な性格をしている。それにくわえ、言ってなんだが佐野真一郎もどうやら器用な人間ではない。おそらくは血の繋がりのない兄を拒否ったイザナと、拒否られてビビった兄貴。心のままを上手く言葉に乗せることができない不器用な口下手と、言葉を言葉のままにしか受け取れない典型的な単純馬鹿といったところか。
元とはいえ伝説のチームの総長ならそこで日和らないで欲しいんだよな~とため息をついていると、公園らしき場所にひとが集まっているのが見えた。しかもどうも平和な集まりではないらしい。ひとのカタチをした影が次々と吹っ飛んでいく。
さて大人か子どもか、と信号待ちのタクシーの窓から目をこらしていると、何というタイミングだろう、かすかな街灯の下でも煌めく白銀の髪。
気づいたときにはもう、俺はタクシーに料金を支払っていた。
*
荒い呼吸が静かな公園に響いている。
倒れているのはどいつも黒龍の特攻服で、立っているのはイザナだけだった。気の毒に、イザナの鬱憤晴らしにでも使われてしまったのだろう。そこらに飛び散る血の量は、身内のじゃれあいで済むようなものではなかったことを物語っていた。
「やあイザナ、荒れてるね」
「、……テメェ」
「偶然通りがかってね。機嫌が悪いとは聞いていたけどこれはひどいな、憂さ晴らしをするにしてももう少し方法を考えてあげなよ」
ぴり、と痛いほどに突き刺さる空気はまるで手負いの獣のような。どうせ一発も食らっていないだろうに、何で全部潰したほうがこんな空気を纏っているのか。まったく、ここまで思い詰めるならさっさと結論を出せばいいものを。
暗がりでもわかる憔悴具合。どうせ食事や睡眠もまともにとれていないのだろう。あまり追い詰めて暴走されるよりは早めにケリを付けさせるべきだろうか。
ゆらり、とイザナは揺れるように一歩前に出る。
「……伊織」
「うん?」
「……てめえで言ったことは守ンだろーな」
こちらを見据える大きな瞳には、もはや狂気の色さえ見えた。
「俺から言い出した『約束』だ。もちろんだよ」
「……なら、決まりだ」
「いいの? イザナ」
家族なんでしょう、と言い終わる前に胸ぐらを掴まれた。家族じゃねえんだよ、と孤独な獣は自分の言葉で傷を負う。
どこまでも馬鹿で哀れなイザナは、血走った目でその言葉を声にする。
「真一郎を殺す」
エマもだ、と絞り出すように落とされた声は、もはや悲鳴のようだった。