野良猫の躾け方   作:ふみどり

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野良猫と首輪

 俺は約束を違えるつもりは少しもない。イザナが裏社会でのし上がる手伝いをすると口にしたからには、もちろん全力で彼の背を支える覚悟はあった。

 ただし、その状況に陥ることのないように手を尽くさないとは言っていない。俺は堅気に未練のある人間にこちらの世界には来て欲しくないし、イザナのように素質のある人間ほど陽の当たる世界で平和に過ごしていて欲しいと思う。そのためなら血の繋がらない兄弟の仲直りという、感動の茶番劇でさえ演出してみせるとも。

 今、俺の目の前には痣だらけの佐野真一郎にしがみき、幼児のようにしゃくりあげるイザナの姿がある。

 

 

 *

 

 

 別に、これといって特別なことをしたわけではなかった。

 血の繋がらない「家族」を殺すと言ってみせたイザナに、それじゃあ佐野真一郎のほうから片付けようと決行の日時を伝え、それより先に佐野真一郎に会いに行っただけだ。

 

『お、見ねえ顔だな。バイク好きか?』

 

 ひとがいない時間を見計らってバイク店を訪れた俺を、彼は笑顔で迎えてくれた。その懐の深さが滲み出るような、人懐っこく大らかな笑顔。これは天性のひとたらしかな、と俺も笑顔で応え、首を振る。バイクを見に来たわけじゃないんですと言えば、彼は不思議そうな顔で首をひねった。

 

『俺は方喰伊織と言います。黒川イザナの……友人、みたいなもの、ということにしておいてください」

『、イザナの? ……ダチじゃねえの?』

『うーん、お互いちょっと難しい事情がありまして』

 

 つい苦笑をしてしまったが、まあそこはどうでもいい。話をしなければならないのは俺とイザナの関係じゃない。イザナと、クソヘタレな佐野真一郎の関係の方だ。

 にこ、と笑顔を作り直して正面に経つ彼を見据える。

 

『今夜、イザナがこの店に来ます』

『え、』

『といっても、俺がしたのはお膳立てだけ。イザナはまだブチ切れたまんまですよ。たぶん貴方に殴りかかるでしょう』

『……それは、』

『これが最後のチャンスだと思ってください』

 

 そう、これが最後のチャンスだ。

 イザナを、こちらの世界から蹴り出すための。

 極悪の世代(クソガキども)を、堅気の世界に繋ぎ止めるための。

 今ならまだ、戻れる。悪い大人(クズども)から、守ってやれるから。

 

『弟に癇癪ぶつけられたくらいでビビらないでくださいよ、伝説の暴走族(チーム)の元総長でしょ。ーーーちゃんと、』

 

 ちゃんと、兄弟喧嘩をしてください。

 佐野真一郎の目が、見開かれた。

 

『兄弟ってそういうもんなんでしょう? 俺は一人っ子なのでただの想像ですけど』

『は、……はは、……そう、だ。……まじでそーだワ。言われっぱのまま引き下がって日和るとか、』

『クソダサいですよね』

『えっ何お前大人しそうな顔してそんな言葉投げてくンの? ドストレート決めンの? オニーサンの心に突き刺さるんだけど』

『そりゃあ貴方のおかげで随分苦労しましたからね。大変なんですよ、ひとの話をちっとも聞きやしねえ野良猫の相手は』

 

 だから、さっさと首輪を付けて面倒を見てもらわなくては。

 きょとんとした顔の彼に背を向け、じゃあよろしくお願いしますと言って店を去ったのが今日の昼のこと。

 そして深夜となった今、盛大な兄弟喧嘩の末に何とか仲直りまでこぎ着けたというわけだ。お涙頂戴の家族ドラマには興味がないので喧嘩の内容はあまり聞いていなかったが、どれだけイザナに殴られ蹴られても折れなかった佐野真一郎の強靱さにだけは感心した。

 極道の仕事(シノギ)なんて結局は相手の心をいかに上手く折るか、つまり諦めさせることができるかどうかで大半が決まる。

 恐怖で相手の心を折り、正常な思考回路さえ奪ってしまえばこちらのもの。だからこそ腕っ節のある人間より頭のいい人間より、諦めない人間が一番厄介なのだ。

 どうやら佐野真一郎はその「厄介」な類いの人間らしい。折れない、退かない、諦めない、どれだけ痛めつけられようとも、佐野真一郎は変わらない。

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 これが関東をまとめあげ日本一と謳われた伝説の暴走族(チーム)、初代黒龍の総長か。お前の敵う相手じゃないよ、といまだ泣き続ける背中を見つめる。ただただ震えるその背中は、いつもよりさらに小さく見えた。

 尻餅をついたまま、()()()()「弟」になった彼を抱きしめた彼と目が合う。口を開こうとした彼を制し、唇の前で人差し指を立てた。佐野真一郎がきゅっと口を噤んだのを確認して、そのまま逆の手を軽く振って一歩下がった。せっかくの兄弟の仲直り、俺が水を差すのはさすがに野暮だろう。

 俺の意図を理解してくれたらしい佐野真一郎は一瞬イザナに視線をやって、それからまた俺に笑顔を向けた。痣だらけで血まみれの、満面の笑み。

 早く手当てすればいいのにと思いながら俺は彼らに背を向ける。なるべく音がしないように外に出て、大きく伸びをした。

 これで一段落、と思ったのだがなかなかそうもいかないものだ。店のすぐ近くに、見知った車が停まっていることに気付いた。

 

「お疲れさまです、若」

「迎えを頼んだ覚えはないんだけど。どうしたの?」

「姐さんがお帰りです」

 

 俺の教育係が「姐さん」と呼び敬意を払う人物はただひとり。俺にとって敵ではないが、味方とも言いづらいあの女性(ひと)

 その呼び出しともなれば、応えないわけにはいかない。まったく息をつく暇もなしか、と俺は黒塗りの車に乗り込んだ。

 

 

 *

 

 

 表向きは夫の事業を引き継ぐ社長だが、その実は極道一家をその手で守り抜く、事実上の方喰のトップ。方喰よりも上位の組織の長の娘として生まれたこのひとは、父に心底惚れ抜いて嫁いできた生まれながらの極道。

 俺と血の繋がりはないが、物心つく前から俺を息子として育ててくれた養母だった。

 

「おかえりなさい、養母(かあ)さん。お久しぶりです」

「ええ、なかなか帰れなくてごめんなさいね」

「いえいえ、お元気そうで何よりです。お仕事はいかがですか?」

「いつも通りよ。……あまり時間が取れないから、率直に聞くわね、伊織」

 

 正直、何の話をされるかはわかっていた。

 にこりと微笑んだまま、厳しい顔をしたそのひとの視線を受け止める。厳しいと言っても、その表情には少しだけ「心配」の色も見えた。

 

「最近、お友達ができたそうね」

「うーん、語弊があるような」

「よく連んで遊びに出掛けているんでしょう?」

「それも語弊が。……いえ、茶化しているつもりはないんです。俺は俺の立場をよくわかっているつもりですよ。そのうえで彼らと接触をもっています」

「……そうね、貴方は自分の立場をよくわかっている。だから確認する必要もないとは思っているのだけど」

 

 立場的に確認しないわけにもいかないの、と養母は苦笑を浮かべる。わかっています、とその苦笑に応えた。

 極道(ホンモノ)であることにプライドをもつ「方喰」が、半端者(チンピラ)と繋がりをもつことは許されない。強きを挫き弱きを守る存在が、弱きを食い物にするクズと馴れ合っていてはいけない。そう疑われることすら許してはならないのだ。

 姿勢を正し、俺はすっと頭を下げた。

 

「疑われるような真似をして申し訳ありませんでした。しかし、誓って方喰に恥じるようなことはしていません」

「……随分と過ぎたアソビをしている子たちだそうね」

「はい。ただ、それももう終わります」

 

 これが「今日」だったのは運が良かった。自信を持って「終わる」と言える。

 今後、黒川イザナの手綱は佐野真一郎が握るだろう。そうなれば今の黒龍は変わるか消えるか、少なくとも今のような後ろ暗い存在ではなくなる。多少の反発や離反はあるだろうが、黒龍という後ろ盾がなくなれば今のような派手な商売はできない。

 そして大将が変わればほかの極悪の世代たちも変わる。強い者に付き従う不良の習性を考えれば、イザナがしないことはほかのやつらもしない。まあ少々の喧嘩はするだろうが、それくらいなら子どものやんちゃだ。

 

「これからこの一帯は平和になりますよ。こちらの世界に片足を突っ込んでいたクソガキはただの不良に戻り、いずれは昔やんちゃをしていただけの堅気の大人になるでしょう」

「……ちゃんと堅気(むこう)に帰してあげたのね?」

「はい」

 

 俺がイザナと交流を持ち続けたのはこのためだった。

 こっちに来てはいけないよと、極道(おれたち)の方に来るのもダメだけど反グレ(クズ)はもっとダメだよと、頼むから堅気にいてくれよと。

 今日、何とかそれが叶った。もう少し成り行きを見守る必要はあるだろうが、これで彼らと関わる必要はなくなる。肩の荷がおりたと思う反面ちょっとつまらない気もするが、まあ気のせいだろう。このところ身の回りが騒がしすぎたせいで静けさに慣れないだけだ。

 そう、と養母は納得したように目を伏せた。それからまた視線をあげて、ちょっと面白そうな顔で笑う。

 

「だけど伊織、貴方もまだ堅気なのよ。仕事を手伝わせていておいて申し訳ないけどね」

「? はい」

「堅気なら、誰とどう付き合おうが自由だわ」

 

 初めてできたお友だちでしょう、と言われた言葉につい瞬きをする。

 あまりにも痒い言葉に、いやその、と言い募ろうとするが、養母は愉快そうに微笑むだけ。きっと貴方にも必要なものよって、いやだから俺は別に。

 

「ああ、そろそろ行かなくちゃ」

養母(かあ)さん、」

「またしばらく帰れないけど、元気にしてなさいね」

 

 実はひとの話を聞かないそのひとは、言うだけ言ってさっさと立ち上がる。あ、これもう何言っても無駄なやつだなと、俺は反論を諦めて見送りの姿勢に入った。

 無理矢理空けたスケジュールの穴を、これ以上俺で逼迫するわけにもいかない。お気を付けてと棒読みで言った俺に額を軽く弾いた養母は、ほんの一瞬だけ瞳に切なさを浮かべた。

 

「……()()()()、楽しく過ごしなさい」

 

 次の瞬間にはいつも通りの笑顔に戻ったそのひとは、そのまま手をあげて部屋を後にする。すぐに車のエンジン音が近くで聞こえた。本当に忙しいひとだ。

 残り時間と言われた意味は理解していた。俺の立場とこの家の事情を思えば考えるまでもない。

 

「……楽しく、ねえ」

 

 急に静かになった部屋で、俺はひとりそう繰り返した。

 

 

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