野良猫の躾け方   作:ふみどり

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野良猫たちの国

 この場所から海を眺めるのは何年ぶりだろうか。

 近隣の風景が多少変わったとしても、この潮風はずっと変わらない。少しの振動でもじくじくと痛む身体に力を入れて、以前と同じように海縁のコンクリに座り込んだ。

 別にこの場所に何か用があるわけではない。ただ、最後のけじめをつけるならここがいいような気がしたから立ち寄っただけ。手の中で踊る小さな金属片の感覚を確かめながら、静かな波の音に目を瞑る。

 大学卒業と同時に堅気と縁を切り、極道の世界に身を置いて数年。俺がやらなければならないと思っていたことは、予想よりも随分あっさりと片付いてくれた。ただの「跡取り」に過ぎないうちから積極的に動いていたことが良かったのか、惜しみなく金を注ぎ込んだのが良かったのか。教育係をはじめとする「家族」たちが、反発しながらも最後にはちゃんと納得して協力してくれたことも大きかったと思う。そうでなければこんなにも短い期間で平和的な「店じまい」なんてできなかっただろう。

 まあだけど、と心の中で呟く。つい片頬が上がった。

 

「……俺が生きてることが、一番の予想外かなぁ」

 

 生死の境をさまよったとは言え、一応は五体満足、指も欠けることなく揃っている。全て、本当に全て捨てるつもりでいたのに、しかも「足」までちゃんと残っていた。

 初めてのトモダチからもらった、赤く輝く傷ひとつないバイク。本当なら堅気と縁を切った時点で手放さなければならなかったそれ。

 今の俺に残っているのは、傷だらけの身体と、手の中の趣味の悪い指輪と、このバイクだけ。ずいぶん身軽になったもんだと肩が揺れた。

 

「この俺が一文無しとか。笑える」

 

 さて、これからどうするか。とりあえずさっさと目的を済ませてしまおうと指輪を握った手を振り上げた、そのときだった。

 バイクの排気音には意外と個性があると言うことを教えてくれたのはそいつだった。「いや全部同じに聞こえるけど」「その馬鹿耳たたき直してやる」と俺が聞き分けできるようになるまで耳が痛くなるほど聞かされた音。

 痛む身体を堪えながら首だけで後ろを向く。同時にすぐ傍で停車したバイクは、やはり見慣れたソレだった。

 

「や、イザナ。久し振り」

「呑気に笑ってんじゃねえぞ、クソ伊織」

 

 やっぱり身長のびなかったんだなあと、口に出したら殴られそうなことを思った。

 

 

 *

 

 

 かつてと同じように隣に座り込んだイザナは、十年近くたっているにも関わらずほとんど変わっていないように思えた。

 髪型こそ変わっていても、顔立ちも雰囲気もまったく変わっていない。まあ前から童顔だったか、とアラサーとは思えない彼が差し出した缶コーヒーを受け取る。いや俺に飲み物を差し出す時点で中身はだいぶ大人になっているかと思い直した。

 

「それで、どうしてここがわかったの?」

 

 イザナとも他の皆とも、俺が大学を卒業して以来一度として連絡をとっていない。唯一ココくんだけは借金のこともあって必要最低限の連絡はしていたが、ココくんにも俺と連絡が取れることは誰にも言うなと言い含めていたし、ここ数年はココくんとの連絡さえ絶っていた。

 だいたい、俺が今こうして生きていることすら俺にとっても予想外なのだ。俺がここにいることをイザナに予想できたはずがない。

 俺の言葉を聞いたイザナは、はっと笑って缶に口を付けた。

 

「鈴付きのレアな首輪つけてやったろーが」

 

 何を、と一瞬考えてから視線を後ろにずらす。鈴付きの―――イザナが手を入れた独特のエンジン音の、レアな首輪―――生産台数もそう多くない真っ赤なビンテージバイク。

 なるほど、やられた。イザナが「やる」なんて言った時点でもっと考えるべきだった。

 

「この俺が手ェ入れた世界でひとつのバイクだぞ。下僕どもにはこれを見かけたらソッコー連絡まわすよう通達済みだ」

「イザナって実は俺のこと大好きだね?」

「寝ぼけてんのか?」

 

 まさか、猫に首輪を付けられていたとは。

 けらけら笑う俺に構わず、それで、とイザナは不機嫌そうに言葉を続けた。

 

「オマエんトコ、家たたんだって聞いたけど」

「耳が早いね。そうだよ、方喰一家は解散した」

「何で」

 

 端的な言葉には、誤魔化すなという念押しが見える。

 別に、済んでしまったことに嘘を言う必要性は見えなかった。もう何を言ってしまっても構わないだろうと、軽く答える。

 

「もう、方喰は方喰としての存在意義を失いつつあったからね。だから壊れる前に引導を渡してやったんだよ。……方喰の跡取りになったときからこうすることは決めてた」

 

 イザナには言ったことあったよね、とその紫の瞳に視線をうつす。

 

「方喰は、強きを挫き弱きを助けるホンモノの極道でなきゃいけない。けど、もう極道が極道のまま生き残れる時代じゃない。行き場のないやつを受け入れても、メシを食わせてやるどころかそいつらを食い物にしなきゃ生きていけない時代だ」

 

 時代は変わった。半端者がのさばり始めたのもあって暴対法の締め付けは強まり、社会は不完全ながらも弱い立場の人間を掬い取り始め、社会の裏側から非合法に「平穏」に貢献していた極道(おれたち)の存在意義は限りなく薄れた。

 存在意義が薄れれば、存在そのものが危うくなる。それが世の常だ。

 

「方喰に残された選択肢はふたつ。変わるか、消えるかだ」

 

 だが、実際のところは一択だ。方喰は弱きを食い物にする外道になど堕ちてはならない。

 まして、()がその選択をすることなど。

 

「……俺はさ、前の組長の子ではあるけど、本妻の子じゃないんだ。親父と愛人との間にできた子ども。この世界の人間なら愛人や庶子は珍しくないけど、本来は俺が方喰を継ぐなんて有り得ない。まして、本妻は方喰より上位組織のトップの令嬢だったからね」

 

 本当なら、親父とあのひと―――養母(かあ)さんの間に生まれる子が方喰を継ぐはずだった。それを台無しにしたのが、俺の実母だ。

 じっと俺の言葉に耳を傾ける紫の瞳から目を離し、正面を向く。凪いだ海は、穏やかながらもどこか不穏さを孕んで見えた。

 

「ねえ、どういう気持ちだと思う? 心底惚れぬいた男と、その男を殺した女の子どもを自分の息子として育てるのはさ」

 

 察するに、親父は大して庶子の俺に興味はなかったのだ。何せ俺に、実母の()()と同じ音の「伊織」なんて名前をつけたくらいだ。十中八九、名前を考えるのも覚えるのも面倒だったんだろうと思っている。

 男児が生まれても自分の扱いが変わらなかったことに不満でももったのか、本妻と仲睦まじかった親父を見て嫉妬に狂ったのか、何を思ったか実母は親父に包丁を突き刺した。そして、同じ包丁で自分の喉をついて死んだのだと聞いている。

 まだ乳飲み子だった俺を、ひとり残して。

 

「相当に反発はあったらしいけど、俺は方喰に引き取られた。十三の誕生日に養母(はは)に教えられるまで、俺は養母(はは)と血の繋がりがあると信じてたよ」

「……、」

「まあ結構に衝撃だったけど、……真実を伝えられたとき、言われたんだ。方喰を継ぐも継がないも好きにしろ、方喰を恨むなら恨めってさ。……どうしろってんだよってねえ?」

「……で?」

「しばらく家出してね。背中に入れ墨入れてきた」

 

 ぶふっとイザナが噴き出した。珈琲がもったいねえだろうがってそれを俺のせいにしないでほしい。

 

「道理でオマエ、頑なに服脱がなかったわけだ」

「こういうのはいざというときに見せるのが粋らしいよ。知らんけど」

「何の墨? やっぱ龍?」

「残念、不動明王」

 

 邪悪を許さず、不義を許さず、()()()()()()()()()()()()()。俺が楽な道へ逃げることのないよう、戒めも込めて。

 ずっと背中に負い続けていたそれは、もういない。包帯の巻かれた肩に手を置くと、背中全体がじくりと痛んだ。

 

「入れ墨見せて、俺が方喰継ぐって啖呵切ったよ。誰よりも『方喰』に相応しい男になって、……俺を息子として育てたこと、誰にも文句は言わせないって」

 

 それが唯一、俺にできることだと思った。

 俺は養母(はは)との血の繋がりを疑ったことはなかった。顔は似ていなくても、それだけ大事に育ててくれたから。俺は方喰の皆を家族だと思っていた。いつだって俺を「家族」として厳しくも優しく迎えてくれたから。

 皆が敬愛した親父の子であると同時に、親父を殺した憎い女が産んだ子である俺を。

 

「俺は、方喰に相応しい男でいなくちゃいけない。方喰の誇りを俺が穢すわけにはいかない。だから俺は、方喰一家を消すほうを選んだ」

 

 一家の人間はできるかぎり金をもたせて堅気へ送り出し、抱えていた仕事(シノギ)はひとつひとつ整理して、半端者(クズ)どもが余計な横やりを入れてこないよう手を打ち、上位組織やほかの組にも義理立てして金を惜しみなく使って、最後に教育係をはじめとする根っからの筋者は実家に戻る養母(はは)に付き添わせた。

 そして最後に、ひとりになった俺は方喰の上位組織のトップ―――俺にとっては戸籍上の祖父にあたるそのひとに頭を下げて一家の解散を宣言した。

 まあ普通に俺は死ぬことになると思っていたのだが、これは一応温情をもらったと言えるのだろうか。

 

「一家解散して堅気に戻るなら、最後のけじめは手足や指より相応しいモンがあんだろって」

「……オイ、もしかしてその包帯」

「そう、入れ墨が跡形もなくなるまで背中焼かれた。ミディアムよりのミディアムレア」

「ステーキか。よく生きてンな」

「さすがに生死の境はさまよったよ。知り合いの闇医者のところで昏睡状態だったらしいんだけど、最近起きてね。文無しの面倒はこれ以上見れないって追い出された」

「……実は絶対安静なんじゃねえのかオマエ」

「ははは」

「誤魔化すな」

 

 一文無しに絶対安静なんてできるわけないだろと。

 俺にできる話はここまでだ。けじめを付け損ねていた手の中の指輪に視線をやる。親父がつけていたというこの指輪は養母(はは)から託された親父の形見。ずっとこれをもっていたのは、別に親父を偲んでとかそういう感情では一切なかった。

 ただ、俺が「方喰」である証明のひとつとして。極道を選んだ自分への戒めとして。背中の入れ墨を焼いて俺を堅気に戻した祖父がこれを見逃したのは、おそらく「自分で片を付けろ」という意味だろうと理解している。

 キン、と指で真上に弾いたそれを、再び右手でキャッチする。その流れのまま、ぽいっと暗い色の海へそれを放り捨てた。

 

「……何だ今の」

「親父の形見」

「ほお。捨てンなら売れば良かったんじゃねえの。金ねえんだろ」

「……その手があったね?」

「おせえよ」

 

 いいんだ、と肩を揺らす。イザナも愉快そうに口角を上げた。

 これで俺のもとに残っているのは、真実ぼろぼろの身体とバイクのみ。肩書きも何もないただの「方喰伊織」なんて、自分でも考えたことがなかった。

 さて、これからどうするか。空を仰ごうとすると背中の皮膚がひきつって痛みが走る。何とも言えない顔をする俺を呆れたような顔で見たイザナは、ひらりと身軽にコンクリを下りた。

 

「話は終わりだろ。行くぞ」

「……イザナ?」

「ったく、俺直々に迎えに来させやがって」

 

 どこに、と尋ねる前に紫の瞳が瞬いた。

 天竺、と自身が率いた彼の夢の具現を口にする。

 

「天竺はただの暴走族(チーム)名じゃねえ。俺の『国』だ」

 

 たとえもうバイクを連ねて道を走ることがなくとも。

 たとえ他の暴走族(チーム)とシマを巡って抗争をすることがなくても。

 その「国」は今なお健在なのだと傲岸不遜の「王」は言う。

 

「行き場のないやつに、居場所をくれてやる」

 

 身寄りのないひと。孤独なひと。誰にも理解されないひと。寂しいという、その言葉の意味すら知らないまま生きてきたひと。

 天竺(おれ)は受け入れる、と王は迷いなく言い切った。

 

「……いつだって、行き場のねえやつはいる。どうしようもなくあがいてるやつも、あがき方を間違えるやつだっているだろ。極道(おまえら)にもうできねえなら、天竺(おれら)が受け入れる」

 

 だから、と。

 イザナの言う「だから」には、妙な力があるような気がした。

 

「来い、伊織」

 

 まっすぐに伸ばされた手を、何だか信じられない気持ちで見つめる。訳ありも訳ありな俺に、差し伸べられた褐色の腕。

 

「……俺、一文無しだけど」

「一文無しじゃねえよ、九井の借金返済まだ残ってんだろ。返したいのに連絡が取れないから利息が膨らむ一方だってキレてたぞ」

「は? ココくんの借金返済はもう終わったけど」

「ああ、九井が結婚したときに祝儀袋に借用書入れて送りつけたってな。格好つけすぎだろオマエ、九井も嫁さんも、義弟の犬っころすら納得してねえよ」

「元金の返済は終わってるんだし、利息分くらい祝儀として素直に受け取ればいいのに……」

 

 そこは九井にも意地があンだろって、そういう問題なのだろうか。その辺は九井と適当に喧嘩しろとイザナは言うが、いくら満身創痍の俺でもココくん相手に負けるつもりはないのだが。いや家庭をもっている相手をこんな理由でボコボコにするのは気が引けるけど。

 そんな馬鹿なことを考えながら、一向に退かない手を見つめ続ける。ええと、とついつい他の理由を引っ張り出した。

 

「あと、俺も恨み買ってないわけじゃないから変なのに狙われるかも」

「義理果たして堅気になったんなら、そのオマエを狙うようなやつは義理もわからねえ『半端者』ってこったろ。ンなもんに負けるやつは天竺(うち)にはいねえ」

「わあ心強い……イザナも義理とかわかるようになったんだね」

「オマエが教えたンだろーが」

 

 言い訳並べんのもいい加減にしろと、それでもイザナは退きはしない。それでも自分から俺の手を取ろうとはしなかった。()()()()()()()()()()()()()。これはそういう問題なのだ。

 わかっている。わかっているが、俺を躊躇わせるのは何なのだろう。

 

「……イザナ」

 

 やることをすべてやったら俺はきっと生きてはいないと思っていた。死にたいわけではなかったけど、俺をずっと守り育ててくれたひとたちへの義理は果たさなければならないと思った。恨まれ憎まれて当然の立場なのに「家族」は皆俺に優しかった。だから、このために生きる以外の道はないと自分に言い聞かせてきた。

 ()()()、と今まで押し殺してきた感情がないわけじゃない。

 

「俺は、……」

 

 ほんとうは、きっと。

 ()()()()()()()()()()()()()()、ずっとそうおもっていた。

 

「……参ったな」

 

 もう、ほかの言い訳も思い浮かばない。

 引きずるように体勢を変える。伸ばされた手に自分の手を乗せ、イザナの手を借りてコンクリから下りた。

 衝撃で全身に痛みが走る。ついよろけた俺を、イザナが受け止めた。

 

「……いってぇ……」

「……最初から素直にそう言えってんだバーカ。待ってろ、ムーチョが車でこっち向かってる」

「そう、ムーチョくんが……皆元気?」

「今のオマエより元気じゃねえやつはいねえ」

 

 ひどい言われようだ、とイザナの肩口で笑えば、すぐ傍で花札のようなピアスもからから揺れる。それを眺めながら、もう一度イザナ、と俺より小柄なくせに少しも揺らがない彼の名を呼ぶ。

 何も言っていないのに全部わかってると言わんばかりの「王」は、いつもの自信満々な声で宣った。

 

()()()()

 

 気遣うように首元に添えられた手は、不思議と温かい。

 

()()()()()()()

 

 俺が言ったこととか覚えてたのか、とあまりにも意外すぎてちょっと笑う。俺の笑い声がわずかに湿っていたことには、どうか気付かないでいて欲しい。

 ったく、と呆れを装った上機嫌な声が耳元で響く。

 

「帰ってくんのが遅ェんだよ。飼い猫のくせに野良気取ンな」

「飼い猫になった覚えはないんだよなぁ……」

 

 いや、まず元野良猫(おまえ)が俺を猫扱いするなと言いたいけれど。

 すごい勢いでこちらに近づいてくる車とバイクの排気音を聞きながら、スピード違反って概念をそろそろ覚えて欲しいなあと喉の奥が揺れた。

 




お付き合いありがとうございました。
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