ポケットモンスター・ソード ホップに敗北RTA 水統一チャート 作:まみむ衛門
草バッジを手に入れたスピカは、そのままバトルフィールドから退場すると同時に、体力も気力を尽きて倒れた。農業で鍛えられたターフジム女性スタッフたちによってポケモンセンターに運ばれて点滴――ポケモンセンターは診療所レベルなら人間向けの軽い治療も行える――を受けてほんの少し回復し、そのままシャワーだけ浴びてから、泥のように眠った。
「…………こんなに早く目が覚めること、あるんだな」
翌朝。スピカはさっぱりと目を覚まして時計を見ると、なんとまだ九時だった。これでも一限から講義があったり、はたまたサラリーマン・OLなどだったら遅起きだが、スピカからすれば、こんな早い時間に起きたのは、大学受験当日以来だった。
しかも、その目覚めはとてもすっきりしている。心地よい程度の眠気しか残っていない。いつもならこれより遅い時間に起きたとしても即座に二度寝を決めこむほどだが、今日は二度寝しようとは思えなかった。
「…………」
とりあえず寝起きのシャワーを浴びながら、ぼんやりと考える。
昨日は人生ぶっちぎりで最大に、心身共に疲れ果てたはずだ。その翌日である今は、その疲れが残り、当然のようにベッドから起き上がれないで然るべきである。
ではなぜ、こんなにもすっきりと目覚めたのか。
おそらく、異常に疲れていたから寝つきが良く、しかもずっと熟睡できた、つまり睡眠の質が良かったのだろう。いつもはベッドに入って消灯してからスマートホンをだらだら弄ることもあるし、疲れるような生活を一切していないので眠りも浅い。だから、長い時間寝たがったのだろう。
「…………考えないでおくか」
今までどれだけ無駄な時間を過ごしたのか、とネガティブな発想に飛びそうになり、全てを忘れることにする。こんな図太い思考だからこそ、これまでの人生で堂々と怠惰で居続けられたのだ。
シャワーも浴び終わり、サービスの良すぎることに勝手に洗濯してもらって乾かしてもらっていた私服に着替える。下着は流石に触られてないみたいだが、これは仕方のないこと、複数セット準備してある下着をつける。
そうして着替えてる時に、丁寧にたたんでテーブルの上に置かれた服の横に、小さいながらも確かな輝きを放つものが、当然目に入る。
緑色のバッジ。
――昨日、死に物狂いで手に入れた、草バッジだ。
「ふふっ」
つい口元がほころび、笑いが漏れる。
ああ、あれだけやる気がなかったのに、結局あんなに頑張って、全力で手に入れた。
こんなにも、これを手に入れたことが嬉しく思えるなんて。
「オリヒメの気持ちがわかった気がするな」
スピカ一人でやったにしてはあまりにも速く準備を終え、宿泊用スペースから出る。今日も忙しいはずだ。
昼過ぎには外せない用事があるし、そこまでに済ませておきたいこともある。
まず、やるべきことは。
――人生で足を踏み入れる機会が全くないと思ってた、第一級危険地帯・ワイルドエリアに行くことだ。
○○○○
「あっぶな、ギリギリだった!」
アーマーガアタクシーから降り、バウタウンの見慣れたメインストリートを小走りで駆け抜ける。
ワイルドエリアは恐ろしい危険地帯だった。そこら中に狂暴なポケモンがうろうろしているし、中には今のスピカでは逆立ちしても勝てない個体まで当たり前のようにいる。天気は激しく移り変わり、舗装された道などほぼなく、むき出しの自然が襲いかかる。
このガラルのある意味中心の地だ。嫌でも耳に入るし、まず「行くな」と耳にタタッコを通り越してオトスパスができるほどに言われてきた。
そして、いざ初めて入ってみると、聞きしに勝る危険地帯だったのだ。かなり慎重に回って目的のポケモンを捕まえたが、正直、二度と行きたくない。
せっかくポケモンセンターで洗ってもらって乾かしてもらった私服は、今はもう着替えている。ワイルドエリアでは雨や雷雨の中にわざと突っ込んでいかなければならなかったのだ。そしてワイルドエリアで時間を食いすぎて予定にはギリギリであり、アーマーガアタクシーを呼んでその中で着替え、濡れた私服はバッグの中でかさばるうえに重たいお荷物と化している。ちなみにスピカが着替えている間、タクシーの運転手はとても気まずそうだった。スピカは立派な女性だし、顔もスタイルも人並み以上に良いのである。ここまでデリカシーのない女性客は、ワイルドエリアまでくるほど経験豊富なアーマーガアタクシー運転手でも初めてだろう。
そうしてバウジムに入ると、チャレンジャー用ではなく、観客用の受付に向かう。そこでトレーナーカードと推薦状を見せたら、ジムチャレンジャー専用の、特等席とはいかずとも、上等な席に案内される。
『ついたぞ。がんばれ』
『来てくれたんだ! ありがと! がんばっちゃうぞー!(* ̄0 ̄)/ 』
そしてスマホロトムで開いたメッセージアプリで、このようなやり取りをする。
相手は、幼馴染のオリヒメだ。今日この時間に挑むと決めていたみたいで、今朝にメッセージが届いていたのだ。絶対に、スピカにも見てほしいらしい。
それにしても、随分返信の速いことだ。
今時の若い娘――スピカも本来それに入る一人であるはずだが――らしく、オリヒメはいつも返信が速い方だし、SNSもこまめに更新している。
だが、今は、送った瞬間に既読がついたし、すぐに返信が来た。彼女にしても速すぎる。恐らく、ずっとこのメッセージアプリを開いていたのだろう。もうジムの控室で待機しているだろうというのに。
「……悪いことをしたかな」
きっと、緊張で何も手につかず、縋るようにして、スピカが来てくれるのを待っていたのだろう。これはうぬぼれではない。普段はオリヒメにお世話されてばかりだが、不思議なことに、オリヒメはこんな自堕落なスピカを信頼してくれている。
嬉しいのは確かだ。
一方で、それに疑念と、不安を感じなくもない。
なんで私なんかに。こんな私に構わず、オリヒメはもっと活躍しても良いのに。
オリヒメが地元で頭角を現しはじめてからずっと、いや、もしかしたらその前から、そう思ってきていた。
いつか、向き合わなければいけないのかもしれない。
「…………頑張れよ、オリヒメ」
だが今は、その時ではない。
向き合うのが怖い以上に。
今は、大事な戦いの前だ。
余計なことは、考えないに限る。
○○○○
ルリナのジムミッションは去年と同じく、流水と色違いスイッチを使った論理パズルだった。去年とコースが変わっていたので多少時間はかかったが問題なく進み、またジムトレーナーとのバトルも、水タイプ同士なので泥試合になりがちなはずだが、すいすい勝つことができた。
「貴方と戦うのは去年ぶりね」
そして迎えた、ルリナとの戦い。
今まで何度も見てきたし、二人きりで個人的な話やスピカの推薦についてお願いができる程度には良い関係が築けている。同じ水タイプ使いとして、ルリナ直属の弟子ともいえるジムトレーナーへのお誘いも何度も受けた。
だが、ルリナの言う通り、バトルは去年以来、一度もしていない。単純にルリナが忙しく、またトッププロと、バッジ二つがせいぜいのアマチュアのバトルが成立するほうがむしろおかしいからだ。
「……この時のために、あたしはずっと、頑張ってきました」
去年のジムチャレンジを通して有名になり、アイドル的活動でもそこそこ人気が出て、またアマチュアの大会にもお呼ばれするようになった。その経験、そしてそれらに報いるための努力。この一年で、大きく成長した自信がある。
「最初は、ルリナさんに勝てればいいと思っていました。あたしの憧れで、去年は結局、一矢報いることすらできなかったから」
だけど、もう違う。
「ですが……今のあたしの目標は、もっと先です。あなたに勝たないと、それを目標とする権利すらない」
「……そう……成長したわね」
勇気を振り絞り、真正面から見据えて、宣言する。
勝利宣言を越えた宣言。その言葉を受けて、ルリナは、嬉しそうに、優しく微笑んだ。
そして、審判の指示が出て、お互いに背を向けて、所定の位置へと歩いていく。
「でも、せっかく
お互いに振り返り、向き合って、ボールを構える。
「――通過点なんて寂しいこと言わないで、ゆっくり溺れていきなさい!」
ジムリーダーのルリナが 勝負をしかけてきた!
「いけ、トサキント」
「――っ! オニシズクモちゃん! オンステージ!」
優し気な笑みが一転、顔が引き締まると同時、大波の如きプレッシャーがルリナから放たれる。
それに一瞬怯むが、負けじとボールからポケモンを繰り出す。
現れたのは、頭に水泡をまとった巨大な蜘蛛。トサキントとの体格差もある。水ポケモンの中でも強力なパワーを持ち、時にはワイルドエリアですら主として君臨することもあるオニシズクモだ。
「『つのでつく』!」
「『むしくい』!」
オニシズクモは巨体でパワーもあるが、反面、その素早さは進化前のまだエネルギーの足りないポケモンにすら劣る。トサキントは猛然とその頭にある鋭い「つのでつく」が、物理攻撃はあまり得意ではないのか、わずかなダメージにしかならない。
対する「むしくい」は、オニシズクモのパワーが存分に活かされる形となり、一撃でトサキントの身体に大きく傷をつける。
開会式直後はまだシズクモだったが、ヤローのジムミッションの途中に、オニシズクモに進化したのだ。パワーの高いポケモンは進化が遅い傾向にあるが、オニシズクモはそのポテンシャルの高さがありながら、虫ポケモンゆえか進化レベルが比較的早い。
「もう一度『つのでつく』」
「しっかり受けて『むしくい』!」
比較的鈍重なオニシズクモでは、ひらひら身軽なトサキントから一方的に攻撃を受けてしまう可能性がある。下手に防御したり躱したりしようとせず、どっしり構えてダメージを抑えつつ、確実にカウンターを狙わなければならない。
そんな、いわば「痛みに耐えろ」というトレーナーの指示を、オニシズクモは迷わず遂行した。鋭い角が脚の関節を捉えるが、それと同時に身体を振り回して「むしくい」を決め、トサキントをダウンさせる。
「へえ、やるじゃない」
去年とは見違えたようだ。ルリナは感心する。
エキスパートゆえ、水タイプポケモンのトラブル解決によく乗り出すルリナは、今のバトルの意味をよく分かっていた。
オニシズクモはパワーがあり狂暴だが進化は比較的早い。まだ未熟なトレーナーがうっかり進化させてしまい、言うことを聞かなくなって手が付けられなくなるというトラブルが年に一回ぐらいあるのだ。
だが、オリヒメの指示を、オニシズクモは、難しいものまで含めよく聞いていた。シズクモといた時間が長いのもそうだが、オリヒメという「トレーナーの格」をプライドの高いオニシズクモが認めている証だ。
進化後のポケモンを連れている、というのは、一つの実力の証なのである。
「いけ、サシカマス! 『かみつく』!」
「横から受けないよう正面で受けて『むしくい』!」
サシカマスはトサキントよりもさらに速さに優れるポケモンだ。
また「かみつく」という技は勢いよく牙を突き立て上手く痛いところを捉えることができれば怯ませることもある。今この場面では、「かみつく」で怯まされて余計な攻撃を食らうのが一番まずい。
オニシズクモはその指示をしっかり遂行した。サシカマスはまっすぐ進む速さこそ自然界随一であるものの、小回りはきかない。案の定猛スピードでこちらに真っすぐ向かってきて、真正面から噛みついてきた。オニシズクモはそれを水泡で受けて勢いを弱めてダメージを軽減し、怯むことなくカウンターの「むしくい」を決める。トサキントよりもタフではないサシカマスは、その一撃でダウンした。
「よし!」
オリヒメにとってもオニシズクモにとっても、サシカマスはなじみ深いポケモンだ。戦術は立てやすい。なにせ、コイキングと同じく、昔から一緒にいるからである。今でこそ進化が速く草ポケモンと戦う機会が多かった都合で戦う機会が多く主戦力になっているが、オニシズクモが一番の新入りである。
ついにルリナの手持ちはラスト一匹。度重なる攻撃でオニシズクモもだいぶダメージを背負ってるが、こちらは三匹残っている。
だが、ここからが本番だ。
「最後の一匹じゃないの。隠し玉のポケモンなのよ」
ガラルのバトルのバトルを体現した、ルリナのルーティンのような言葉。
それに呼応するように、会場の熱も高まってくる。
そこかしこで歓声が激しくなり、訓練された鳴り物のリズムが変わり、立ち上がる観客が増える。
「いけ、カジリガメ!」
現れたのはカジリガメ。
ジムチャレンジ用にまだあまり育てていない個体だが、このポケモンは常に、ルリナの「隠し玉」だった。
「スタジアムを海に変えましょう! カジリガメ、ダイマックスなさい!」
一度出したカジリガメをすぐボールに戻し、それを抱えると同時に、そのボールが大きくなる。そして集中するように少し目をつむって止まると、そのまま流れるようにスマートに、後方へと巨大化したボールを投げた。
そして、スタジアムの歓声は、一つのまとまった「歌」となる。
「『バブルこうせん』!」
「『ダイアタック』よ!」
だがその歌は、オリヒメの耳に入らない。もはやお互いとポケモンしか、その意識にはない。観客を意識するべきアイドル的トレーナーとしては失格だが、そんなことは気にしていられない。
カジリガメはその巨体ながら、オニシズクモよりも素早く動き、ノーマルエネルギーを凝縮させた攻撃を放つ。すでにダメージが蓄積していたオニシズクモは、「バブルこうせん」を放つことなくダウンしてしまう。
「――――!!!」
あの頼りになるオニシズクモが、一撃。
いくらダメージの蓄積があったとはいえ、それでも、ダイマックス技の威力を改めて思い知らされる。
残りは二匹。だがどちらも、体力や防御力に自信があるわけではない。
オリヒメは少し迷ってから、意を決してボールを手に取る。
「サシカマスちゃん! オンステージ!」
バウタウン出身のトレーナーならなじみ深いポケモンだ。その素早さと攻撃力には、何度も助けられてきた。
「『アクアジェット』!」
「『ダイアタック』」
その素早さを活かした出の速い技は、相手に確実にダメージを与えられる。だが、その代償に威力が低く、巨大化とともに体力も増えているカジリガメにとっては、もはや蚊が止まったようなものだ。
そして返しの「ダイアタック」は、防御面ではあまりにも脆いサシカマスを一撃でダウンさせる。皮肉にも、先ほど「むしくい」が上手に決まって一撃で倒れたルリナのサシカマスと同じ形だ。
それは、最後の一匹を引きずり出した、という点でも同じ。
だが、両者の間には、大きな違いがあった。
「…………そんな……」
いっぱい鍛えてきたはずだった。
周囲の誰よりも努力をしてきた。結果も残せるようになってきた。大好きな姉のような幼馴染というトレーナーの後輩もできた。去年何とか運も絡んで突破したヤローに、今年は実力で初回で勝つことができた。
それでも。
ルリナには、また勝てないのか。
トレーナーの習性でサシカマスをボールに戻す。
残ったポケモンは一匹。
だがそのボールに手を添えるものの、握って投げる決心がつかない。
最後の一匹は、コイキング。
小さいころから、それこそスピカとほぼ同じころに出会った、大切なパートナーだ。
コイキングはすばしっこさこそあるものの、攻撃力も防御力も弱く、また基本的にただその場で跳ねるしかできない、図鑑にすら書いてあるほどの、情けないポケモンだ。友達には何度も馬鹿にされたし、トレーナーズスクールの先生すらも表には出さないがどうしたものかと困っていた。
それでも、大切なパートナーだ。
オリヒメが初めてバトルに目覚めたのは、近所の子供同士の、戯れのようなバトル。カムカメを使うガキ大将相手に、なんとコイキングだけで勝利したのだ。その様子をたまたま見ていた先代バウジムのジムリーダーがオリヒメを見出し、トレーナーへの道を開いた。
コイキングはオリヒメのポケモントレーナーとしての原点だった。
だがそれでも、種族の壁は厚い。トレーナーズスクールに入学してしばらくしたらサシカマスをゲットし、またスクールで優秀な成績を残してジムチャレンジに推薦されてすぐにシズクモを捕まえた。
そうしたら、あまりにも弱いコイキングは、ほとんどバトルに出なくなった。出したとしたら、それは、「隠し玉」ではない。「最後の一匹」だ。それはつまり敗北を意味する。今でもコイキングは大好きだが、いつしか、コイキングは「敗北の象徴」となっていたのだ。
負けたくない。
負けたくない。
そのせいで、コイキングを出すことができない。
出すことはすなわち、敗北に身を投げ出すのと同じだからだ。
だが、いつまでもこうしてはいられない。
審判に促され、慌ててボールを握り、腰から外す。
だが、いざ投げようとしたところで、全身が震え、どうしても投げることができない。
(どうしよう、ごめ、ごめんなさい……!)
歯がガチガチと鳴り、脚からは力抜け、それでも手が痛くなるほどにボールは強く握って話すことができない。
「敗北」を決定づけることが、どうしてもできなかった。
この時、オリヒメは初めて――トレーナーにとっての敗北が、本質的に「死」である、ということを体感した。
途端に、手の震えが、さらに激しくなる。
「…………え?」
傍から見たら、オリヒメがショックでさらに震えたようにしか見えない。だが当人にとっては違う。自身が震えたのではなく――ボールが震えたのだ。
手に握る、コイキングを入れた、もっともボロボロで、そして一番大切に磨いてるモンスターボール。
その中にいるコイキングが、暴れている。
すぐに出せ。戦える。まだ負けていない。
そう闘争心を露にして、オリヒメに訴えかけているのだ。
コイキングはその弱さにたがわず臆病な性格でバトルは好まない。オリヒメのコイキングは種族としては闘争心が強い方だが、サシカマスよりかは大人しい。
そんなコイキングが、自分から勝手にボールに出るのではないかというほどに、暴れている。
まだ負けていない。
いや、勝てる、と。
「どうしましたチャレンジャー、早く次を出してください。失格にしますよ」
審判が反則を示す旗を掲げようとする。
「まあ待ちなさい。面白いものが見られるわよ」
その審判を、ルリナは止めた。ジムリーダーと言えどバトル中は審判の言うことは絶対だが、両者の間にある生物としての格と、ルリナの迫力に、審判は負けてしまった。それは彼もまた、こうして審判ができるほどに優秀なトレーナーである証でもあるだろう。
そしてそのやり取りは、オリヒメの耳に入らない。
大きくなったカジリガメ、そしてルリナという、大海のように強大な「敵」を前にしてもなお、オリヒメは、コイキングとの気持ちのやり取りに集中していた。
「……うん、そうだよね。今まで、ごめん」
大切なパートナー。両親やスピカと並んで、いつも一緒にいた大事な「家族」みたいなものだ。
そんなこの子を信じてあげなければ、トレーナー失格だ。
「……あと、ありがとね」
もう迷わない。
オリヒメは、アイドルとしてステージやフィールドに立つときの華やかな笑顔とは比べ物にならない、爽やかで晴れやかな笑みを浮かべて、流れるような動作で振りかぶり、モンスターボールを投げる。
「コイキングちゃん! オンステージ!」
勢いよくボールから飛び出してきたのは、地上でビチビチと無様に跳ねるコイキング。
だがその跳ね具合は激しく、間抜けなはずの表情は鬼の如く険しくて、飛び跳ねるたびに衝撃で地面が揺れる様にすら感じられる。
先ほどまで二人の間にあった差は、もうない。
オリヒメは、残った一匹を、信じきれるようになった。
「最後の一匹じゃない! 隠し玉のポケモンなんだから!」
トラウマで、天敵で、そして憧れのルリナの言葉を借りて、宣戦布告する。コイキングと同じだ。まだ負けていない。勝ってみせる。
コイキングの登場で困惑し乱れていた観客たちの「歌」が、オリヒメの叫び声によって巨大な歓声として爆発し、より大きな歌になっていく。
それと同時に、コイキングが激しい光に包まれた。
「『ダイアタック』!」
ルリナの本能が警鐘を鳴らす。
これは危険だ。
飛びぬけて優れたトレーナーであるルリナは、敗北という死に特に敏感であった。それは、死と隣り合わせの大自然・ワイルドエリアで磨かれたガラルのトップトレーナー全員に共通する本能だ。
本来、チャレンジャーの全力を全て受け止めてこそのジムリーダー。「何か」が起きそうなら、手抜きにならない範囲で待つべきである。
だが、つい、指示を出してしまった。
カジリガメは一瞬困惑したが、それでも忠実に指示に従い、「ダイアタック」を敢行する。
そうしている間に、強く拡散していた光は次第に収束していき、そこに向かってノーマルエネルギーの破壊が放たれた。
そしてその攻撃を受けたギャラドスは、まだまだ元気だとばかりに、激しく雄たけびを上げた。
「――――やった、やったよ、コイキ……ギャラドスちゃん!!!」
オリヒメはその姿に目を見開き、大粒の涙をボロボロとこぼしながら、喜んで跳ねまわる。
遠い地方では、弱い弱いコイキングが、激しい滝を登り切る試練を越えた時に巨大な龍になるという伝説がある。今でこそそれがギャラドスへの進化を指し示すということが分かっていて、それとともに、コイキングというポケモンの進化がいかに大変かを示していた。
だが、今この土壇場で、ついに、コイキングは進化した。
コイキングは、いや、コイキングとオリヒメは、巨大な逆流を乗り越えたのだ。
「いくよ、ギャラドスちゃん! 『かみつく』!」
ゴオオ! と咆え、大きな口を開けて、巨大なカジリガメの太い脚へと「かみつく」。その牙は鋭くて太く、顎の力は強い。大きさに歴然の差があるというのに、カジリガメはよろけ、それと同時にダイマックスエネルギーが切れて、元の大きさに戻る。
(まずい!)
ルリナはギャラドスを睨む。
土壇場になっての進化。先達たるジムリーダーとしては、チャレンジャーの大きな成長は喜ばしくはあるし、ましてや気にかけていたオリヒメだから感動はひとしおだ。だがそれはそれとして、ルリナはポケモントレーナーである。今目の前にある大きな敗北の可能性に、トップトレーナーとしての感性が敏感に反応している。
よく知っているポケモンだ。
ギャラドス。体が大きくてパワーが強く狂暴なポケモン。ポケモンによる大災害の例で真っ先に名前が上がり、遠く離れたジョウト地方のもの中心に、事実・伝承問わず多くの話が残っている。ガラルにおいても、ギャラドスはあのワイルドエリアでは常に生態系の頂点に君臨し続ける「ドラゴン」として名を知られている。
そして例こそ少ない――コイキングを進化させるのがとても難しいから――が、うっかり進化させてしまって手がつけられなくなり大惨事になってしまうポケモンの代表でもある。
とはいえ、今更それを心配したりはしない。この進化の経緯を見れば、あのギャラドスがオリヒメの言うことを聞かないなんて、万に一つもあり得ない。
「カジリガメ、落ち着くのよ。大丈夫、条件は対等よ」
先ほどの「ダイアタック」を見て分かった。カジリガメはギャラドスの特性・威嚇で委縮し、攻撃に力が入らなくなっている。そしてその怯えは時折、攻撃以外の様々な面に影響を及ぼす。ポケモンもまた、感情を持った生物なのだから。
威嚇で攻撃力を下げられた。このカジリガメは、物理攻撃力に優れるこの種族の中では、特に物理攻撃が苦手な個体である。故に、逆に得意な特殊攻撃技も習得しているが、あいにくながら「みずでっぽう」のみであり、ギャラドスには効果今一つだ。ルリナが「まずい」と思ったのはそこである。
だが一方で、本来種族的にはギャラドスの方が素早いが、本能的に選んだ「ダイアタック」のおかげで、こちらのほうが素早くなっている。この点で言えば対等だし、十分に勝機はある。
「『ずつき』!」
「もう一度『かみつく』!」
二つの巨体がぶつかり合う。
カジリガメもまた強いパワーを持つ狂暴なポケモンで、第二鉱山では奥まったところでなければ生態系の頂点にいるし、ワイルドエリアでもその位置にいることがある。海辺のバウタウンでは群れを成したヨワシと並んでよく騒ぎになる強大な存在だ。その強さとプライドは、ギャラドスにも負けていない。
お互いに相手の攻撃を回避しようとせず、ひたすらにぶつかり合って、相手に攻撃を浴びせる。原始的な死に物狂いの争いに見えて、真正面から受け止めることで相手の攻撃が想定以上に強く入ってしまわないようにお互いにしている、高度な戦いだ。
その、お互いを傷つけ合い、お互いを殴り合い、そしてお互いを認め合う激闘に勝利したのは――――
「自慢の最強メンバーなのに、まとめて押し流されちゃった!」
――悔しそうに頭を掻きむしり天を仰ぐルリナと対面する、勝鬨を上げるギャラドスと、それに抱き着いて泣いているオリヒメだった。
○○○○
「そう、貴方も来たのね」
それから数時間後、もうすぐアフタヌーンティーの時間というころ。
ルリナは新たな挑戦者と対面していた。
「二日ぶりですね」
ずいぶん長いこと旅をしていたような気もするが、彼女に推薦されたのは開会式の前日。つまり一昨日だ。昨日がとても長い一日だったので、つい時間の感覚が狂ってしまう。
「オリヒメから何回か聞いてる。怠け者だけど、頭が良いって。本当に、冴えた頭脳の持ち主なのね」
「はあ……」
この学問の敷居が下がった時代に、さほど有名ではない大学の入試の直前に焦って勉強する程度の頭脳だ。冴えているかどうかは疑問が残る。スクールでのテストも、真ん中より下に落ちたことはほとんど――テスト中うっかり寝てしまって0点になってしまったとき以外は――ないが、トップ層ではなかった。
だがスピカは、スイッチと流水を使ったパズル迷路のジムミッションを、初挑戦で、一度もミスすることなく最短手でクリアした。それも考えるために止まる様子は一度もなく、動きには一切淀みがない。それどころか、走って移動する程に思考の余裕があった。それこそまるで、流れる水の様。ルリナや先代の経験の中でも、ぶっちぎりの最速だ。
「でも、その冴えた頭でどんな作戦を繰りだそうとも。わたしと自慢のパートナーが、すべて流しさってあげるから!」
ある意味では、負けるのがジムリーダーの務めでもある。
だがだからと言って、簡単に負けるつもりはさらさらない。
そもそも、いくら使用ポケモンの強さや技や戦略が制限されているとはいえ、それは「チャレンジャーとある程度同じになるように」設定されているに過ぎない。それで負けるとはすなわち、「トレーナーの腕が負けてる」証だ。
そんなこと、そうそう起こさせるわけにはいかないのである。
「いけ、トサキント!」
「バトルだ、ランターン!」
たった二日しか経っていないのに、もういっぱしのトレーナーのように、進化後のポケモンを二匹も連れている。先ほど自分を負かしたオリヒメの言っていること、そして二日前の自分の判断は正しかった。
――この後ルリナは、このジムチャレンジで九度目、今日四度目の敗北を喫した。
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