その日、珍しくクロードに呼び出された。
ひとけのない裏の林に、誰にも見られないように来ること、と。まあ、そろそろ何か言ってくる頃だろうとは思っていた。クロードはきっとずっとわかっていたのに、今日まで私を詰問したことなど一度もない。それは彼なりの誠意で、気遣いだったのだと思っている。
木陰でごろりと寝そべりながら私を待っていた雇い主は、その姿勢のまま言った。
「お前にはお前の事情があるだろうから、言えないことまで言えとは言わない。だがナーヒード、嘘だけはつかないで教えてくれないか」
「何を?」
「このフォドラとセイロス聖教会について、お前が知っていること」
隣に座ると、私を見上げる翠の瞳と目が合った。ただ静かに、私の答えを待っている。
ガルグ=マクに来て以来、彼がずっと調べ物を続けていたのを知っている。このフォドラの歴史、紋章、英雄の遺産、そこに隠されたあらゆるもの。ガルグ=マクの書庫にある文献は多くがセイロス聖教会を礼賛するものだが、それでも精査していけば見えてくるものはある。レアやセテスの言動や、何より天帝の剣を使いこなす先生の存在も、クロードにとってはいい手がかりになっただろう。もちろんエミール村で正体を現した、トマシュことソロンの存在もだ。
私はひとつ息をついて、何から話したものかと少し考える。
「……それを私に聞くってことは、《ライラ》についてもわかってるってことでいいんだよね?」
「そんなの、少し考えればわかることだろ。《夜の民》はあらゆる政争に関わり、権力者の言えない秘密を知っている一族だ。つまりお前たちは、権力者が葬ってきた歴史の真実を知っている」
歴史とは、常に権力者によって都合良く解釈され、書き換えられるものだ。どれだけ歴史書を読みあさろうとも、その編纂時に握りつぶされた真実までは読み解けない。そこに書くことを許されなかった事実を、夜闇の中から歴史を見つめていた私たちだけが知っている。
それこそが《夜の民》にとって、最も強力な武器。そして権力者に恐れられ、迫害されるに至った理由だった。
とはいえ、私たちもすべてを知っているわけではなく、まして私の知ることなどもっと少ない。
「先に言っておくけど、私が知ってることはそんなに多くないよ。《ライラ》の記録はあまりに膨大で、しかも扱いが難しい。だから一族の長と呼ばれる人にだけ、口伝で受け継がれるんだ」
「長ってことは……お前のじいさんか?」
そう、と頷いた。歴史の真実が明るみになれば、どれだけ荒れる国が出るかわからない。だから長のみがその情報を管理し、受け継いでいくことになっている。一応私は次代の長候補なので少しずつ学んではいるけれど、まだまだ序の口程度だ。
くわえてもう一つ、私には事情があった。
「レアとの取引のこともある。あまり話せることはない」
そう言うと、クロードは珍しく眉間にしわを寄せる。
私がこの士官学校に入るのは、実はそう簡単なことではなかった。リーガン家の推薦があったとしても、《夜の民》を入学させるなんて前代未聞。許可はできないとばっさり切り捨てられた。教団からすれば当然のことだろうが、それでは私がクロードを守れない。ということで、仕方がないので私は直談判を試みた。
単身、レアのもとに忍び込んだのだ。
「全くお前は、俺に黙って勝手をやって、余計な取引をしてくれたもんだよ」
「一番平和的に入学を認めさせる方法だったんだから仕方ないでしょ」
夜半の執務室に忍び込み、レアやセテスと顔を合わせた。本来なら極刑ものだろうが、騎士団を呼ぼうとしたセテスを止めたのはレア本人。一目見て私のことがわかったらしいレアは、極めて冷静に私を見つめた。
『私に言いたいことがあるのでしょう』
言ってご覧なさい、と意図の読めない慈悲を見せられた。敵意も嫌悪も見えない大司教を見て、少し寒気がしたのを覚えている。
『私はフォドラの平穏を乱すつもりも、貴方たちを脅かすつもりはない。私を雇い、家族を庇護してくれたクロード=フォン=リーガンを守り、恩を返したいだけ。もちろん、このフォドラでどんな扱いを受けようと文句を言うつもりはない。だから、士官学校への入学を許可してほしい』
一切の嘘を述べず、けれど本音の一部省略して、頭を下げた。普通ならこの程度で前言を撤回するようなことはないだろうけれど、レアが普通でないことくらいは私も知っている。
何を、と言いかけたセテスをレアが制して、慈悲深く笑って見せたレアは私に頭を上げさせた。
『二つ、条件があります』
そして出された条件が、教団は必要以上に《夜の民》をかばうことはないが、それを受け入れること。そして、フォドラの歴史に関わることについて、正史で認められていないことは口にしないこと。
『貴方には酷なことを言っているでしょう。しかし、このフォドラの安寧のためには、譲ることはできません。これらの条件を守ると誓えるのならば、貴方の入学を認めましょう』
私はそれに、頷いた。構わないと思った。私たちの冷遇なんて今更だし、フォドラの歴史については、まあ、おそらくクロードは知りたがるだろうけど。でも彼はきっと、自力で見つけ出してみせると思うから。
『では、リーガン家にはこちらから許可の通達を送ります。今宵の侵入も、不問としましょう』
そこまで言って、レアは少し眉を下げ、悲しげな顔を作る。いや、作った、というのは私の邪推かもしれない。セイロス聖教会の大司教は、確かに慈悲深い人柄だと聞いている。女神に刃向かう者には、容赦がないというだけで。
『……ナーヒード、と言いましたね。貴方たちには、申し訳ないことをしていると思っています。貴方が士官学校に入学した暁には、ひとりの生徒として他と変わらず接することを約束しましょう』
その言葉に、おそらく嘘はない。十分、とだけ言葉を残して、私はガルグ=マクを後にした。そのことを話したらクロードには無茶をしすぎだとひたすら文句を言われたが、途中から他のことを考えていたのであまり覚えていない。
結果として入学許可の通知は実際にリーガン家に届き、レアは《血と偽りによって生きてきた罪深い一族すら受け入れる慈悲深い大司教》としてさらに名声を高めたというわけだ。レアは《夜の民》の行いを否定しつつも、これを機に女神の慈悲を知り、心を入れ替える機会にしてほしいと言ったとか言ってないとか。わりとどうでもいい。
とはいえ、取引は取引だ。私は約束を違えるつもりはない。
「そういうわけだから、そうだな……私に言えるのは、レアにも、教団にも、隠したい秘密があるんだろうってことくらいだよ。そもそも詳細は私もほとんど知らない。一応言っておくけどうちのじいさん吐かせようとするのはやめなよ。時間の無駄だから」
「ライラ翁に喧嘩売ろうとはさすがの俺も思わないさ。けど、そうか、《フォドラの歴史が関わることについて、正史に認められていないこと》は話せない、か」
そこでクロードは、にやりと唇を歪めて起き上がる。
「つまりナーヒード、《知らない》と《言えない》は言えるってことだな?」
「そこでそういう発想になるのがさすがだよ、クロード」
そう褒めるなよ、と腹黒策士は愉快そうに笑った。
「ナーヒード、セイロス聖教団は意図的に隠している、あるいは改竄した歴史があるんだな?」
「言えない」
「それはこのフォドラの平穏を揺らがしかねないほどの事実なわけだ」
「……うーん、言えないのと、知らないのと」
「紋章や、英雄の遺産が関係している」
「言えない」
「……それに、ライラは関わっている?」
ん、と思わず言葉に詰まる。まさかその方向で考えているとは思っていなかった。まあ、これくらいは別に構わないだろう。
「さすがにライラは無関係だと思うよ」
「何だそうなのか? 《夜の民》は自分たちが関わってない歴史も知ってるのか」
「全部が全部見てきたものなわけじゃないよ、特にフォドラの歴史なんて長すぎるし。《夜の民》は権力者の圧力を直接受けることはなかったから、語り継いでいる歴史が改竄されることはなかったってだけ」
もちろん直接関わった歴史的事件もあるだろうが、それだけではない。どの時代に、どのような歴史が正史とされていたのか。誰が英雄として語られていたのか。それによって、誰が得をしていたのか。敵対する人々が、互いの歴史をどのように語っていたのか。焚書や、言論統制が起きなかったか。それによって、何が失われたのか。
それらをつなぎ合わせ、読み解いて、ようやく事実に近いものが見えてくる。
「結局歴史なんて見方次第だからね。うちのじいさんもよく言ってたよ、口伝として伝わっていることは教えてやるが、そこから何を読み取るかはお前次第だって」
「……なるほどな」
うーむ、とクロードは顎に手をやり、少し考える。ところでナーヒード、と何気ない口調を装って続けた。
「今のはヒントか?」
はて、なんのことやら。私はその辺にあった葉を適当にちぎり、口に当てた。ぷぴー、と間抜けな音があたりに響く。草笛を知らなかったらしいクロードは驚いた顔で私を見た。
「今の音どこから出てるんだ?」
「この葉っぱ。草笛、知らない?」
「知らない。ただの葉じゃないのか?」
「ただの葉だよ」
唇にあてて吹くの、と自分の口を指して教えてやるが、クロードからはすかー、と息の漏れる音がするばかり。本人が一生懸命なだけに何となく面白くて、笑った。もう一度吹いて見せると、少し悔しそうに眉をゆがめる。意外とこの男、負けず嫌いな一面があったりもする。
「……クロード」
「ん?」
「調べることをやめろとは言わないけど、そんな風に意地になって無茶はしないでよ」
クロードが得た情報の多くは書庫の文献から得たもので、その書庫の管理をしていたトマシュことソロンは敵だった。しかもどうやらソロンは、本来排除すべき文献を書庫の棚に並べたり、わざわざクロードに忠告をしたりと、陰ながら調べものを手伝っていた節がある。教団がもつ秘密は、ソロンにとって暴かれたほうが都合がいいということだろう。
「ソロンの目的がはっきりしない以上、警戒はしすぎるくらいのほうがいい」
「……ああ、わかってるさ」
また、葉を口を寄せたクロード。やはりその口元からは、すかーと気の抜けた音がするだけ。うーん、と真剣な顔で葉を見つめた彼は、ぽいっとその葉を投げ捨てた。ナーヒードが出来ることは俺が出来なくても困らないな、とさらりと言葉を付け加えて。負け惜しみに聞こえるが、彼にとっては本心なのだろう。
彼がすべてを出来る必要はない。それを補う仲間さえ、いてくれればいい。
合理的な考え方だとは思うけれど、それに付き合わされる身にもなってほしいとこういうとき思う。さっさと腹を割って、
「ま、いざとなったら俺を連れて逃げてくれよ、共犯者殿。頼りにしてる」
お前のほうが鼻が利くだろ、と軽く言いやがる雇い主に、私はやれやれとため息をつくしかなかった。