このところ、私に向けての陰口が五割増しで多い。原因はわかっている。セイロス聖教会大司教補佐セテスの妹君、フレンの失踪だ。
「《夜の民》がとうとう本性を……」
「シッ、聞こえたら我々も消されかねん」
だったら聞こえよがしに言うなよなんていちいち言ったりはしないが、さすがに四六時中見張られるように視線を受けるのは愉快ではない。私は
しかしそこに、私の通り道をふさぐように立つ人影があった。
「やあ、そんなに急いでどうしたんだい? 何か用事でも?」
可愛い人、と付け足された言葉に、思わず抱えていた教本の類をまとめて落としかけた。全身に怖気がはしり、腕を見れば鳥肌が立っている。ここまで的確に精神をえぐられたのは初めてかもしれない。
余所行きの笑顔を張り付けたその顔面に拳を叩き込まないよう、必死で衝動を抑えつけた。
「シルヴァン……言う相手間違えてない……?」
笑顔を崩さないまま、シルヴァンはゆったりと首を傾けて言葉を続けた。
「相手を間違えてるだなんてひどいな。俺の真心は間違いなくナーヒード、君だけのものだぜ」
「ごめんほんとお願い鳥肌が止まらないから話すなら普通に話して用件だけ端的にお願い」
「……そこまで嫌がられるとさすがに傷つくんだが」
けど困った顔も新鮮でいいなとか言ってんじゃないよ本当に拳を叩き込むぞ。
シルヴァンとは、一言二言程度必要事項を話したことがあるという程度の関係だ。前節の課題で、盗まれたゴーティエ家の《英雄の遺産》の奪還を命じられた際、課題協力という形で彼も同行し、戦闘にて肩を並べた。
日頃ガルグ=マクの随所で見られる軽い姿は鳴りを潜め、実の兄が異形の化け物へと変貌を遂げても槍を握る手は離さなかったシルヴァン。そのとどめも自身で請け負い、自らけじめをつけた姿はまさに騎士……だったというのに、課題から帰ってみればまた女たらしへと逆戻り。
いや、別に彼が何人の女性を泣かせようがどうでもいい。どうでもいいが、私にまで構って来ないでほしい。心底嫌だという表情を作って彼に向けると、シルヴァンは苦笑して大げさに腕を広げた。
「俺はただ君と親睦を深めたいだけさ。君の金の瞳があまりにも綺麗でなかなか声を掛けられなかったけど、ずっと君のことを見ていたんだぜ」
「……用件がないならそこどいてほしいんだけど」
「用件ならあるさ。一緒にお茶でもどうだい? ナーヒード」
もはや頭が痛くなってきた。殴って逃げた方が早いんじゃないかと思いつつ、無用に諍いを起こすのは良くないと自分に言い聞かせる。
「……シルヴァン、何が目的か知らないけど、私と話してるところを見られるのはお互いのために良くないと思うよ。特に今はね」
「お、それは二人きりになりたいというお誘いかな? 大歓迎だ」
「さては私と会話する気がないね?」
おおっと、とそこでようやくシルヴァンは慌てる様子を見せた。赤い癖毛に手をやって、困ったように笑ってみせる。
「わかった、悪かったって。だけどナーヒードと話してみたかったっていうのは本心だ。雑談くらいは付き合ってくれないか?」
「何度も同じことを言わせないで。今私と関わってもろくなことにならないよ」
「それはフレンの失踪のことを言ってるのか? 君は無関係だろ」
あまりにもあっさりと断定されて、少々面食らう。二、三度瞬きを繰り返した私に、シルヴァンは心外そうに両腕を頭の後ろで組む。少し考えればわかることだろ、とあっさりと言った。
「俺は《夜の民》に詳しいわけじゃないが、少なくとも前節の戦闘の様子を見た限り、君はいたずらに人を傷つけることを好む性質じゃない。逃げる敵は深追いしないし、仲間が余計な傷を作らないようにフォローしてまわるくらいだ。余計な血が流れるのは好きじゃないんだろ?」
あまりには当然のように、シルヴァンは続ける。
「そんな君がフレンを攫うとしたら、何か相応の理由があるはずだ。たとえば、雇い主であるクロードに命じられた、とかな。だけど、これも現実的じゃない」
少なくとも今、クロードにもリーガン家にも、フレンを攫いセイロス聖教会を敵に回すことに利益はなく、どう考えても不利益の方が大きい。そんな無茶を命じるほど未来の盟主は馬鹿じゃない、とシルヴァンは軽く言った。
完全に道理だ、と思わず頷く。彼が頭の回転が早いほうであることは察していたが、思った以上に物事をきちんと考えられる人間らしい。
私の驚いた気配を察してか、シルヴァンは当たってるだろ、と得意げに笑った。
「そもそもフォドラの人間じゃないっていうのは、疑う理由にならないよな。俺のよく知るダスカー人だって、その辺のフォドラの人間よりよほど誠実で温厚だ」
「ドゥドゥー=モリナロか。そうだね、話したことはないけど実直な人間なように思うよ」
「筋金入りの忠義者だよ。そんなわけで、君はフレンの失踪には無関係だ。だから君が疑われて陰口を叩かれる道理はないし、俺が君に関わりに行くのも自由。そうだろ?」
「私がそれを断るのも自由のはずだけどね」
あー……と言いよどむシルヴァン。あっちこっちと視線が動き回り、次の言葉を探しているのが見て取れる。どうにも要領を得ない様子のシルヴァンに、眉をひそめる。
確かにいつも適当に女性に声を掛けているシルヴァンだが、これだけの思慮深さがあるのに引き際を理解していないとは考えにくい。だいたい、私がフレン失踪に関わっていない確信があったとしても、それは今私に声をかける理由にはならない。同じ王国出身の者から反感を買う可能性だってあるのに、何故あえて。しかも、懇切丁寧に自分が私を疑っていないことを説明までしたり。
そこまで考えて、ひとつの可能性にたどり着く。シルヴァンが私に声を掛けた理由は、まさか。
「……シルヴァン、もしかしてだけど、私を励まそうとでも思った?」
いつにもましてひどい誹謗中傷、身に覚えのない疑い。それに囲まれてる私を気遣って、彼なりに励まそうと、声を掛けてくれたのだとしたら。いつも小器用に振る舞うシルヴァンにしては、ずいぶんとまあ、不器用な。
常は要領が良いはずの彼は、困ったように頬をかく。
「……お節介なのはわかってたが、女の子が謂われのない中傷を受けているのを見るのは気分が悪くてね。かえって気を悪くさせたかな」
「……正直複雑だけど、気遣いには感謝しておくよ。ありがとう」
善意のみで向けられるそれがどれだけ貴重なものかは、身をもって知っている。お節介と思いながらも行動してくれた彼の気持ちを、無碍にしたいわけでもなかった。
まあ、今更その程度で傷つくような柔な精神の持ち主だと思われたことは少しばかり屈辱だけど。ということで、お返しに私も要らぬ助言をしておこう。
「シルヴァン、お礼ついでに私もお節介を焼いとくけど」
「お節介?」
「女の子引っ掛けては怒らせて、《自分に近寄ってくる者すべて家柄と紋章しか見ていない》なんて思い込みの正当性を確認するのやめたら?」
自虐的もほどがあるよ、と付け加えれば、彼の纏う空気から柔らかさが抜けた。笑っていない瞳が私を射抜き、その言葉には剣呑な色が混ざる。
「……へえ、まさかそんなことを言われるとは思わなかったな。ナーヒード、そんなに俺のことを見ててくれたのか? 妬いてくれるなんて光栄だ」
幾度か見かけた振られ方からの推測だったが、どうやら図星だったうえに触れられたくないところだったらしい。面倒なことを言ってしまったかと一瞬後悔したが、零してしまった言葉はもう戻らない。まあシルヴァンに嫌われたところで別に困ることがある訳でもなし、この際なので好き勝手言っておこう。
「気に障ったんなら悪かったね。もったいないと思っただけだよ、誰よりもシルヴァン自身が一番紋章と家柄にこだわってて、自分自身の長所には無自覚なように見えたから」
「お、嬉しいことを言ってくれるな。じゃあ教えてくれよ、君から見た俺の《長所》」
嬉しいと言うなら少しは嬉しそうな顔を作ればいいというものを。もはや慣れ親しんだとげとげしい雰囲気に、こっちの方が私はやりやすいな、とそんなことを考える。
「まあ私も、貴方のことをそんなに知っているわけじゃないからたくさんは挙げられないけど。シルヴァン、貴方はさっき《
「……え?」
「フォドラの外で生まれた者を、同じ人間として捉えることができる視座。多分それを持つ人は、シルヴァンが思っている以上に少ないよ」
特にゴーティエ辺境伯家の嫡子にとって、それは素晴らしい長所になりえると思うのだが。まさか本当に自覚していないのだろうか。特にファーガスの王子は、彼がゴーティエの人間であることを喜ぶべきだと思うのだけれど。
「ダスカー人も《夜の民》も一人の人間として捉えることができるなら、スレン族にだって同じことができるでしょ」
「……!」
「人間としても美点だと思うし、王国北方の国境を守るゴーティエ辺境伯家の次期当主としては最高の資質じゃない? これまでのゴーティエの人間はスレン相手に戦うことしか出来なかったけど、シルヴァンの資質があればほかの道が選べるかもしれない。延々と続いてきた小競り合いを、貴方なら終わらせることができるかもしれない」
それは、フォドラの人間にとって喜ばしいことではないのだろうか。個人的には、余計な戦が減るならありがたい話だと思うのだけど。
「ああ、そうなればゴーティエの紋章至上主義も少しは変わるかもしれないね、って……シルヴァン、ものすごく変な顔してるよ」
予想だにしないところから物でも投げられたかのような、まさに間抜け面というに相応しい顔。私はそんなに突拍子もないことを言ったのだろうか。国境に住まう人間なら、誰しも他国との接し方を考えるものだと思っていたが、そうでもなかったのかもしれない。
先ほどまでの剣呑さはどこへやら、驚き冷めやらぬ様子のシルヴァンは、自分を落ち着かせるように前髪をかきあげる。
「……あー……ナーヒード? もしかして実は俺のこと好き?」
「冗談はその顔だけにしたら」
「辛辣! ……いや、うん、何というか……そうか、うん」
そうなのか、と噛みしめるように彼は言う。額に寄せられた手のせいでその表情は見えないが、別に怒っているわけではなさそうだった。
そのまま数度呼吸を繰り返し、こちらに顔を向ける。いつもと同じ、軽い笑顔がそこにはあった。
「いや~ナーヒードに褒めてもらえるなんて嬉しいなぁ! 結局なんだかんだで雑談も付き合ってくれたし、実は結構お人好しだよな」
「真面目に心外。雑談にも付き合ったんだからいい加減どいてよ」
「おっと失礼。お詫びに部屋まで送るよ」
「いらない」
ようやくその横を通り過ぎられたというのに、まあそう言わず、とか言いながらその気配が隣を歩く。鼻歌でも歌いそうなほど上機嫌な彼は、はっきり言って不気味だった。
部屋への廊下を進みながら、楽しそうにシルヴァンは言う。
「ナーヒードがいるなら
「大人しく
心からの言葉だったのだが、この無駄に強靭な精神をもつ男には通じなかったらしい。彼は楽しそうに声を上げて笑い、照れるなよと言葉を続ける。目が腐っているのかもしれない。
このあと、部屋の中にまで侵入しようとしたシルヴァンとの間にもうひと悶着起きるのだが、かつてなく疲れたのでもう思い出したくはない。