鷲獅子戦の率直な感想を言うと、とにかく疲れた。
開戦のラッパと同時に、ローレンツの馬に乗せてもらって平原を駆ける。まずは黒鷲が占拠していた中央の丘に乗り込み、彼らが驚くより先に軽く蹴散らした。
個々の戦闘能力で私が手こずる相手はそもそも限られている。だから陣形を乱すこと自体はそう難しくはなかったが、とにかくひたすら走り回らなくてはならないのがなかなかに辛かった。特に体力が切れかかったところでこっちに飛び込んできた
その甲斐あってというか、グロンダース平原に旗を打ち立てたのは私たち
しかし本当に疲れた。徒歩で帰る元気もなく、ヒルダに抱えられ馬車に放り込まれた。薬を飲みながら馬に揺られ、ようやく大修道院に着いたと思ったら、今度はクロード発案で学級の垣根を取り払って宴をするらしい。お前ら何でそんなに元気なんだ、私はもう寝たいぞ。とはいえ私のお腹もとっくに限界を訴えていて、何かお腹に入れないとまずい。クロードやヒルダに捕まるとめんどくさそうなので、少々の食べ物だけ失敬して食堂の外のバルコニーの隅に座り込んだ。
もそもそと口にパンの欠片を放り込んでいると、誰かが食堂からひょっこりと顔を出し、こちらに向けて駆けてきた。聞き慣れた強気な声が、こんなとこにいたのか、と呆れたように言う。
「一緒に中で食べればいいだろ。何でわざわざ外で食べるんだよ」
レオニー=ピネッリは仁王立ちで私の正面を陣取る。咀嚼したパンを飲み込んで、彼女を見上げた。
「今日は疲れたし、簡単に食べたらさっさと退散したかったんだよ。私がいたんじゃ楽しめない人もいるだろうし」
そういうと、レオニーは呆れ果てたとでも言わんばかりに大きなため息をついた。あんたはいつもそうだね、と不機嫌そうに腕を組む。
「ナーヒード、あんたは人のことばっかりだ。自分は慣れてるからいいって、そんなの慣れる必要だってないんだよ。……そりゃ、わたしだって最初は《夜の民》がどんなもんなのかわかんなくて、なるべくあんたには関わらないようにしてたさ。あんたのこと、何も知らなかったからね」
でも、もう半年も同じ学級で過ごしてきたんだよと、レオニーは言った。だからもう、その悪癖は直せと、どこまでもまっすぐな彼女は言葉を紡ぐ。
「あんたは今日の勝利の立役者だ。今日だけじゃない、今までだってあんたのおかげで助かったことは何度もあった。今日までのあんたを見てきて、それでもまだ馬鹿を言うようなやつがいるなら、それはそいつの目が曇っているだけだ。あんたが気を使うことじゃない」
ほらとっとと立つ、とレオニーは私の腕を取る。その口元には、楽し気な笑みが浮かんでいた。
「宴ってのは皆で楽しむもんだろ? 四の五の考えてないで一緒に食べるぞ!」
でも、と言葉を返す前に、無理やり立たされ、そのまま腕を引かれた。いいからいいから、と遠慮なく引きずられる。疲れ切った身体では、さすがに逆らうことはできなかった。
いつにもまして食堂の明かりが眩しい。そのにぎやかさも、いつもの比ではなかった。
「あっいたいたナーヒードちゃん、探したよ~?」
レオニーちゃんと一緒だったんだ、と笑うヒルダ。その声を受けて、また一人で逃げようとしてたんだよとレオニーは大袈裟に肩を竦めた。
「バルコニーの端でパンなんてちぎってさ。ほら、ちゃんと座って、皆で食べるよ! 今日はせっかくのご馳走なんだからさ!」
そう言って、ほら、と長椅子に座らされる。逃げられないように両隣をレオニーとヒルダで固められた。目の前にはリシテアがにっこりと笑い、その隣ではマリアンヌがもじもじと座っている。
ただただ困惑しか出来ない私の手元に、後ろから杯が置かれた。振り返ると、眼鏡の奥の穏やかな瞳と目が合う。
「はい、パンだけ食べていたのなら喉が渇いたでしょう? レモン水ですけど、大丈夫ですか?」
「……あ、りがとう」
あまりにも当然に話しかけてきたのは、イグナーツ=ヴィクター。どういたしましてと軽く笑って、イグナーツは続けた。
「今日の活躍、すごかったですね! 丘の弓砲台から見てましたけど、ナーヒードさんが飛び込んだ所から順番に陣形が崩れていくの、本当に爽快でしたよ」
「、え」
そのきらきらした瞳には、ただただ素直な賞賛だけが見えた。怯えや、嫌悪や、警戒や、そういったものは少しも見えない。これは本当に私に向けられた視線なのかと、つい返す言葉を忘れた。はっと我に返り、何か言わなければと口を開いたところで、そうだろうとも、と堂々とした声が響く。
「今日の彼女の活躍には素晴らしいものがあった! 無論、この僕の完璧な補佐があってこそだがね!」
金の杯を高々と上げながら歩いてきたローレンツは、まるで舞台でも歩いているようだった。すごい、酒も飲んでないだろうにひたすら自分に酔いしれている。鼻高々で杯に口をつけ、歌うように彼は言った。
「傷ひとつない彼女の背中こそ、僕の誇りに他ならない。どうだいナーヒードさん、僕は約束を守っただろう?」
そして、ウインクをひとつ。全くどこの舞台俳優だと苦笑して、差し出された杯に自分の杯を軽くぶつけた。確かに、今日受けた傷はかすり傷程度。もちろん、私の背中にはそのかすり傷すらもない。彼は確かに、自らの言葉を実行してみせた。
「確かに、守ってもらったよ。さすがは貴族の騎士様だ」
「当然だとも!」
「あんた、ローレンツに気なんか遣わなくていいんだよ?」
「それはどういう意味かな、レオニーさん」
口喧嘩が勃発しそうになったところで、おっと、と気の抜けた声が耳に届く。たくさんの瓶を抱えた彼は、いつものように楽しそうに笑っていた。その後ろには、同じく楽しそうに笑うラファエルの姿がある。
「お前がちゃんと宴に参加してるなんて感動だよ、ナーヒード。これから探しに行かないとと思ってたのに」
「飯はみんなで食うほうが美味いもんな! 料理たくさん持ってきたぞぉ!」
ナーヒードさんは食べたいもんあるか、と大皿をいくつも持ったラファエルがどんどんとテーブルに置いていく。今日は宴というだけあって、いつもと違い大皿料理を取り分ける形式らしい。
手際よくテーブルに料理を並べていくラファエルを、イグナーツが手伝う。いつにも増して豪華な料理に、皆が目を輝かせた。
「わ、キジの揚げ焼き! あたしこれ好きなんだよね~!」
「わたしも! あんたも食べるだろナーヒード、取ってやろうか」
嬉しそうな声を上げたヒルダとレオニー。あ、と返事をしようと口を開きかけたとき、まずはスープだろうと違う方向から声が飛んでくる。
「ここのグラタンスープは絶品だ。ナーヒードさん、食べたことはあるかい?」
「いやいややっぱ肉だろ! これ食うか?」
ローレンツはタマネギのグラタンスープを、ラファエルは獣肉の鉄板焼きを。
「野菜も大事ですよ。あ、サラダパスタはどうですか? 美味しいですよ!」
「イグナーツはいつも野菜ばっかり食べてますよね……。ああ、魚もいいと思いますよ。わたしもバター焼きは好きなんです」
イグナーツは野菜たっぷりサラダパスタを、リシテアは二種の魚のバター焼きを。
何故だか全員の目がこちらに向いていて、しかもそこに負の感情は全く感じられなくて。気恥ずかしいやらいたたまれないやら、いやもう私のことはいいからお前ら勝手に食べてろと言いたくなる。ただし視界の端でめちゃくちゃ笑ってるクロード、お前は後で見てろ。
そしてとどめとばかりに、おずおずとした小さな声とともに、ニシンと木の実のタルトの皿がそっと前に出される。
「……こ、これ、美味しいと、思います……」
全然話したことがないどころか、基本的に他人と関わろうとしない、マリアンヌ=フォン=エドモンドまで。
じわっと頬が熱くなる。頭の中で思考がぐるぐると回って、いつもなら適当に返せるはずの言葉も出てこない。いっそ走って逃げてしまいたかったが、そんなことをしたらきっと後悔をするというのもわかっていた。それでもやはり、こんな温かいものを笑顔で受け止められるほど、私も素直な人間ではなくて。いや、もう、何というか。こうなったらもう、ヤケクソしかなかった。
「~~~~ああもう! ぜ、全部食べるから!」
「よおしナーヒードさん、じゃあまずは肉からな!」
細っこいんだからたんと食べねぇと、と私の皿にラファエルが大きな肉の塊をのせる。体重が増えて動きが鈍くなったら困るからと日頃は節制をしているが、ここまで体力を使い切ったあとくらい好き放題に食べてもいいだろう。マナーの全てを投げ捨てて、肉の欠片にかぶりついた。うん、スパイスがよく利いていて美味しい。
「ははっ顔が赤いのは誤魔化せてないぞ、ナーヒード」
「クロードうるさい。飲み物ちょうだい」
「はいはい仰せの通りに。何にする?」
「レモン水おかわり」
はいよ、とクロードはレモン水の瓶を投げてよこす。それを軽く受け取って、私は自分に杯に注いだ。あたしにも、と言われてついでにヒルダの杯にも注いでやる。
それをじっと見たレオニーが、おもむろに尋ねた。
「ナーヒードって食べ物の好き嫌いとかあるのかい?」
唐突な問いにひとつ瞬きをして、うーんと考えてから口を開く。
「多分、あんまりない。食べて害がなければ」
「ちょっと基準が物騒すぎませんか」
「各国放浪してたらそんなもんじゃないかね」
好き嫌いしてたら生きていけないよ、とリシテアの更にトマトを乗せてやると、野菜嫌いの彼女はううっと呻いた。彼女は好き嫌いを通り越して完全な偏食なので、本当に食事を改めた方がいい。
でも何で、とレオニーに問い返せば、彼女はむしろ不思議そうに、何を当たり前のことを首を傾げる。
「仲間の好き嫌いくらい、知っておきたいだろ?」
「……そういうもん?」
「そういうもんだよ。ってもう皿が空じゃないか、どんどん食べなよナーヒード!」
そう言って彼女は、裏表のない笑顔で気持ちよく笑う。
それから後は、ひたすら食べて、飲んで、騒いで、笑った。先生が来れば改めて皆で乾杯をして、何でもない会話に花を咲かせて。イグナーツには他国の文化の話を聞かれて思いつくままに話し、レオニーには旅の仕方の話を聞かれて適当に《夜の民》の日常を話す。
途中から他学級の生徒も乗り込んできて、相変わらずの
学級の垣根も、国の垣根も、人種の垣根もなく、ただただ皆が笑っている。多くの国を見てきた私でも、あまり見たことのない光景だった。
宴のさなか、そっと近づいてきたクロードが、こっそりと言う。
「……夢みたいだろ」
その横顔は、笑っているようで、真剣だった。その瞳の奥には、確かな決意の色が見える。
視線を前に戻して、私も言った。
「……そうだね」
ほんの一瞬先に解けてしまいそうな、儚い泡沫。やはりクロードは、この夢を夢のままで終わらせたくないのだと、確信に近い直感を得た。クロードが望む景色は、きっとそこにあるのだ。
持っていた杯に口をつけ、口を湿らせる。
「……クロード」
「ん?」
「私、……今日、楽しかったよ」
するとクロードは少し驚いた顔をして、そして嬉しそうに笑う。悪戯が成功した子どものような、あどけない笑い方だった。
「そいつは良かった」
また宴を開いて皆で騒ごう、と彼は頭の後ろで腕を組む。その顔に浮かんでいる笑みはとても楽しそうで、そのくせ少し、嘘の匂いがした。