【第一章 完】ドロップアウト・ツインズ   作:Hannibal

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第一話

 男が一人、森の中で横たわっていた。脇腹には鮮やかな切り傷があり、血がとめどなく流れている。そして彼は何をするわけでもなく、ただひたすらにそれを眺めていた。

 

 正面から、枯れ葉を踏みしめる音が聞こえる。首を上げ、音のする方に目をやった。

 するとそこには少女が立っていた。

 

 濃い青の長い髪の毛を持つ彼女は中学生だろうか、制服と思わしきよれよれの薄汚い服を着ている。

 肌が露出している首や手には、痛々しくも風化した傷痕が消えることなく残っていた。

 しかし何より目を引くのは頭から生えた細長い二本の角だろう。

 

「……誰?」

 

 睨みつけながら少女が問う。

 

「ここで何してるの?」

 

 少女は手に持ったバッグを男に向かって投げつけた。防ぐ気力すら残っていない男の頭にそれは直撃する。

 

「口もきけないの?」

 

 それから辺りに漂う血の臭いに気がついた彼女は目線を落とした。血が止まらない男の脇腹を認めると、そこに手をかざす。

 

 最初に少女の手がぼんやりと光る。それから血液が一つの生き物のように波打つと、握りこぶしほどの、棘がびっしり生えた塊になった。

 そのおかげで血が流れ出ることはもうなくなった。

 

「あんた、〈転生者〉?」

 

 血を止めるまでの一連の流れを不思議そうな目つきで見ていた男を、少女は怪訝な目で見つめ返す。

 

「たぶん」

 

 男は力なくそう答えた。

 

「死を待ってるだけみたい。惨めだね、楽にしてあげようか?」

 

「もう疲れたんだ……しばらく放っておいてくれないか?」

 

「これ以上喋らなければいいけど」

 

 そう言ってから少女は男の横を通り抜け、小高い丘になっているところに座り込む。それから二人は一切口を開くことはなかった。

 

 

ーーーーー

 

 

 それからかなりの時間が経った。

 太陽は既に消えたが、巨大な月が照らしているおかげで暗くはない。

 

 丘の上に座ってから身動き一つしなかった少女はふと立ち上がると、男の方には目もくれずにもと来た道を戻って行った。

 

 

ーーーーー

 

 

 一人きりになった男はここまでのことを夢想した。

 男がいた場所はなんと言えばいいのだろうか。「普通の場所」以外の表現は難しいと彼は思った。

 

 西暦2022年の地球。日本。空を飛ぶ魔法はなく、二足歩行する巨大兵器も存在しない、そんな世界だ。

 彼はそんな世界で暮らしていた。

 

 彼の目から見る世界は灰色だった。

 代わり映えのしない毎日を過ごしていた彼は、気がつくととあるビルの屋上にいた。道路を行き交う人々が豆粒のように見える。

 

──こういうときはどうするんだっけ。靴を脱いで揃えて、それから裸足になる?

 

 思考は雑然としていたが、そんな些細なことが気になったのはよく覚えている。

 結局、靴を脱いだだけで終わった彼は──恐怖心が、思考が心の奥底から復活するよりも先に──両足を揃えて地面を蹴った。

 

 風を切る感覚が心臓を縮こまらせる。

 みるみるうちに地面が近づく。

 

 目を閉じて、彼は程なくして訪れる死とは何か考えることに集中したのだった。

 

 地面に叩きつけられる衝撃。

 

 男の意識はそこで途切れた。

 

 

ーーーーー

 

 

 次に気が付いた時に男は城の中にいた。どうやってそこへ行ったかは覚えていない。とにかく謎の、中世の王城を思わせる、ドーム状の大部屋に男はいた。

 

 周りには沢山の、おそらくは同じ世界からやってきたと思われる人間たちが立ち尽くしている。

 そしてその外側には中世の騎士を思わせる甲冑を着た偉丈夫たちが斧槍を構え取り囲んでいた。

 

 山に落ちたショックにより今となってはぼんやりとしか覚えていないが、男は確か歓喜したはずだ。

 

 『この状況は知っている。俺は"転生"したんだ。これから良い未来が待っている』と、心の底から希望が湧き出たのは覚えている。

 

 それから王冠とマントを羽織った、いかにもといった王様がやってきた。

 場が完全に静まるのを待ってからその王様は口を開く。

 

「君たちは──魔法の世界へ転生した。実のところ、消えゆく命を我々の魔法でこの世界に肉体ごと引き上げたのだ……これで通じるかな?」

 

 ざわめきが広がる。この状況を理解していない者は、男を含めて誰もいないようだ。

 

「よしよし、どうも最近は話が早くて助かる。ではわしはこれで……」

 

 王が早歩きでその場を去る。

 入れ替わりにやってきたのは、片眼鏡をかけた長身の男性。床に引きずるほどの厚い何層ものローブを着込んでいる。

 

「はじめまして、私はクロムウェル。魔術省の転生委員会会長です」

 

 周囲の反応をしっかりと確認しながら彼は続ける。

 

「我らは、貴方たち異世界の民──〈転生者〉と呼んでいます──君たちと契約を結ぶことで数倍の魔力を得ることが出来ます。君たちはまず自身の持つ魔力の種類を測定し、その後素質に合った魔術師養成学校の生徒が充てがわれます」

 

 異世界、魔法……おのおのが言葉をつぶやく。

 

「分からないことがあれば、私まで。詳しく説明しますが、まあとりあえずは検査してみるのがいいでしょう」

 

 〈転生者〉の中から特に疑問の声は上がらなかった。それどころか、喜びのあまり涙するものまでいた。

 

 

ーーーーー

 

 

 それから取り囲んでいた兵士のうち何人かが出てきて、一人ずつ選んで個室に連れて行く。どうやら順番は適当のようである。

 男の出番は一番初めだった。兵士に呼ばれて、ドアをくぐっていく。

 

 結構な長さの廊下を歩いた後、ドアが何個も並んだところへ出た。一緒に呼ばれた数人の〈転生者〉は、男と同時に並んだドアの中へ入っていった。

 

 中は薄暗く狭かった。目の前には若い女性が座っており、二人の間には水晶玉が載せられたテーブルがある。

 占い師の館の内装だといえば十人中十人は納得してくれるだろう。

 

 この時の男は緊張していた。促されてようやく席に着く。

 

「手をかざして……それから、なんでもいいので強く何かを想ってください。できれば、ここに来る直前に思っていたことを思い出すように」

 

 何を思い浮かべたかは、覚えていない。

 しかし指示どおりにした直後、その占い師のような女が苦虫をかみつぶしたような顔をしたのを鮮明に覚えている。

 

 

ーーーーー

 

 

 それから男は部屋を出て、兵士に案内された。階段を降りてたどりついたのは物置だった。

 

 埃被った木箱やらが並べられており、部屋の隅には蜘蛛の巣が張っている。

 

 客人に対する対応ではないのは明らかだった。

 

 意を決した男は扉に対して聞き耳を立てる。しばらくすると、その必要もないぐらい音量で話し声が聞こえてきた。

 

「だからあれほど言っただろう! 世捨て人は連れてくるんじゃないって! 死ぬ直前に生を渇望したやつだけが良質な魔力を産むって、あれほど……」

 

「ああ、やっちまったことは仕方ない。クロムウェル様に転送してもらおう。どこか世界の果ての果ての僻地にでも……」

 

 それを聞いた男は腰を抜かした。

 しりもちをついて──音を立てしまった。それに気が付いた兵士二人が部屋に入ってくる。

 

「聞いたな……」

 

 そう言うと二人とも剣を引き抜き、〈転生者〉の元へとにじり寄る。死の恐怖を今その身をもって味わっている彼は動くことが出来なかった。

 そうして十分に距離を詰めたところで、片方の兵士が剣を振り上げた。

 

 その時、男の生存本能が働く。身を投げ出すように右側へ身体を捻じると、脳天目掛けて振り下ろされた剣は左の脇腹を裂いた。

 床と触れ合った剣が甲高い音を鳴らす。

 

「うあぁぁぁッ」

 

 それと同時に男が痛みで絶叫する。

 それを聞きつけたようで、一つの足音が急速に近づいてきた。

 

「なにをしているのですか!」

 

「クロムウェル様!」

 

 男の動転した意識では、何か人影が増えたことしか分からなかった。

 

「私が来るまで待てとあれほど……」

 

 そうぼやきながらクロムウェルは人差し指と中指を突き出すと、短く何かを呟いてから〈転生者〉である男にそれを向けた。

 直後、男の座り込んでいる床に魔法陣が現れた。

 

「即興で組んだ移動魔法です。北の森林の上空へ繋ぎました。極北の山々とまではいきませんが──」

 

 それからクロムウェルは兵士二人に向き直って言った。

 

「おそらくは串刺しになって死ぬでしょう」

 

 次の瞬間には、男の認識していた世界が一瞬として青空に切り替わった。

 直後、落下する感覚。加速度的に強まる落下速度を前に、男の意識は一瞬で消えた。

 

 そして次に男の目が覚めると、そこは枯れ葉のベッドの上だった。

 

 そこからは、冒頭の通り。

 やがて刺さった枝の痛みやかゆみも気にならなくなると、沈んでいく意識に身を任せた。

 

 

ーーーーー

 

 

 口の中で湿った感触がする。土を吐き出しながら、男は瞼を開く。

 

 太陽を見るとまだ昼前のようだった。昨日と同じ方向から音が聞こえ、男は目線をそちらにやる。

 制服ではなく、シンプルなシャツとスカートを履いた例の少女がちょうどやってきたところだ。

 

「まだいたんだ」

 

 バスケットの中から何かを取り出すと、それを男に投げつけた。

 腹で受け止め、それから手でゆっくりと持ち上げる。ほとんど灰色の硬いボールのようであった。

 

 少女のほうに目をやると、彼女は同じものを口に加えて咀嚼していた。

 男もそれをまねして口に持ってくる。

 

 堅いその感触に石を想起したが、なんとか噛み千切った。中を見ると、どうやらパンのようであった。

 

「本当に食べてる……」

 

 少女はそう言うと嘲笑うような卑しい笑みを浮かべる。しかしその表情はどこか悲しげで、その嘲笑も自らに向けているように見えた。

 

「……それ食べ終わったらどっかに消えてくれない? ここはわたしの場所なの」

 

 男はそれを無視した。

 

「どっか行けって言ってるでしょ!」

 

 少女がいきなり男の脇腹を蹴り飛ばす。今度は心の底から楽しそうな、口角の吊り上がった凶悪な笑顔を浮かべる。彼女の右手は静かに震えていた。

 

「ほら早く、消えてくれない!」

 

 今度は男の足を踏みつけ始めた。さらに馬乗りになると、顔に二発のパンチを喰らわせる。男は無抵抗だ。

 

 彼は三発目を予想していたが、それが飛んでくることはなかった。不思議に思った彼は血の味がする口を動かす。

 

「どうした? ……俺はもう何もしないぞ」

 

「どうして消えてくれないのよ! わたしの居場所はここなの!」

 

 涙目になりながら、少女は吠えた。

 

「そうか」

 

 男はただ一言だけ返す。

 それから少女は男の上から離れ、昨日のように丘の上に座り込んだ。

 

 前の時のような沈黙が二人の間に割って入った。

 

「……家にいたって良いことは何もないし、心が塞ぎ込むだけなんだ」

 

「そうか」

 

 少女は、今度は興味深そうな目で男を見つめ始めた。

 男は相変わらず空を眺めている。

 

 途切れた会話は木々のざわめきや鳥の鳴き声が補っていたが、それに耐えかねたようにまた少女が口を開いた。

 

「名前は?」

 

異守 六郎(いがみ ろくろう)

 

 短くそう言い切った後、彼は長いため息をついた。

 

「あんたなんか、自暴自棄になってる。このまま眠り続けて死ねたらいいのになー、とか思ってるんでしょ?」 

 

 六郎は心中で『その通りだな』と、一人納得した。

 

「かわいそうなやつだ、かわいそうだなぁ」

 

「そうか」

 

 何かを思いついたように、少女はゆっくりと立ち上がった。それから斜面を駆けて下って行く。

 六郎は厚い灰色の雲に覆われた空を眺めていた。

 

 

ーーーーー

 

 

 体感にして三十分ほどだろうか。手押し車を押しながら少女が戻ってきた。

 

 六郎はちらと目をやったがすぐに興味をなくしてそっぽを向いた。

 そんな彼の後頭部に蹴りが直撃する。

 

 鈍い痛みを感じて頭を押さえる六郎を見て、少女の口元は少し緩んでいるように見えた。

 

「早くこれに乗れ。おまえをここよりもっとひどいところに連れて行ってやる」

 

 言うが早いか、六郎の首根っこを掴むとそのまま引きずりだした。

 

「早く乗れよ、命令してるんだからさ」

 

 彼は極めて緩慢な動作で手押し車に転がり込んだ。

 

 

ーーーーー

 

 

 振動によって上下する視界に街が見えてきた。

 順番に、巨大な五本の塔、煉瓦色の色とりどりの屋根、それらを囲う純白の城壁だ。

 

 下り坂ということもあり、ブレーキを掛けながらゆっくりと下って行く。そうすると上の方からは見えなかったものが見えてきた。

 

 城壁の周りにまるでフジツボのように群生する、腐敗した木々で組まれたみずぼらしい家たちの群れだ。

 

 山を下り切ったころには、もうあの立派な家々のカラフルな屋根は見えなくなっていた。眼前に広がるのは黒ずんだ、低い色彩のあばら家たち。

 

 人の姿こそ見えなかったが、よそ者を寄せ付けない尋常ならざる雰囲気は六郎にも感じ取れた。

 

 そんな彼を気にすることなく、少女は街の大通りを突っ切って行く。早く終わらないかと思考している内に、手押し車が止まった。

 

 少女が取手を握っている手を思いっきり振り上げると、六郎は無様にも地面に投げ出された。

 おそらくここが少女の家なのだろう。

 

「ここが?」

 

 その隙間だらけの、くさりかけの柱に支えられたあばら屋を家とは呼べなかった。

 

 六郎の言葉がまるで聞こえていないかのように、少女は家の中に入って行く。彼は黙ってそれに続いた。

 

 正面に短い廊下とはしご、右側にはドアが二つあった。

 

 粗悪なつくりのせいで、立て板の間の隙間から容易に中を伺うことができる。

 

 右手の部屋の中では、少女と同じような、しかし二回りほど太く短い角を生やした人が酒瓶を右手にいびきを立てながら寝ていた。

 

「よそ見してないでついてこい」

 

 押し殺した声でそう言うと六郎の服を雑に引っ張る。

 

 少女に続いて梯子を上ると、そこは屋根裏部屋だった。

 

 六郎が直立したら頭がつっかえる程の高さのこの部屋にはタンスにベッド、机代わりの木箱が置かれている。

 

「ここが今日からお前の場所だ。わたしの許可なく降りるなよ」

 

 それから彼女はタンスを開けると、またもや六郎に何かを投げつけた。

 

肩にぶつかり落ちたそれを拾い上げる。見覚えがあったそれは石のように固いパンであった。

 

 ベッドに腰かけながら少女がパンにかじりつく六郎を眺める。

 

「懐かしいなぁ、昔子犬を飼ってたんだ」

 

「犬って、四足歩行で毛が生えたかわいい生き物だよな?」

 

「そうそう。アイツに酒瓶で頭をカチ割られて三日目で死んじゃったけど、かわいかったなぁ」

 

 その犬の重さを思い出すかのように、抱えるポーズを取って見せる。

 

「そうか」

 

「……私の名前はパゼラ、覚えておいて」

 

「そうか」

 

 六郎はタンスに背中を預けて、そのまま瞳を閉じた。隙間だらけで屋外と寝るのとあまり変わらない。彼はそう思った。

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