【第一章 完】ドロップアウト・ツインズ 作:Hannibal
実戦テストでパゼラはトリルに勝ったが、しかしあまり彼女の人生は変わらなかった。取り巻きの一人であるリリアナが馴れ馴れしく接してくるのは特に彼女の神経をいらだたせた。
そんなある日、パゼラはネクラマと勝利のお祝いをする約束を取り付けた。
そして六郎はルビアとの会話を重ねて、「自分はこの世界で居場所を必要としている」ということに気が付く。
翌日。
時刻は正午より少し前。
パゼラの家のドアが叩かれた。彼女は素早く下に降りドアを開く。
予定では、ネクラマがやったきて実戦テストでのパゼラの勝利を祝うことになっている。
「ネクラマ?」
そこに立っていたのは、いつものにやけた口ではなく、リリアナであった。
右目には眼帯が付けられている。
「……何しに来たの?」
「あ……いや……その」
目を泳がせながら、彼女は明らかに返答に困っていた。
「っていうか、どうしたのその眼帯?」
「あぁ、いや、これは何でもないっていうか、その……」
しどろもどろな答弁を続けるうち、リリアナの背後から声が飛んできた。
「何してるの?」
二人が思わず目線を集中させる。
そこには大きな荷物を背負ったネクラマがいた。
しかしその声は今まで聞いてきた気の抜けたそれとは違う、低い洞窟の底から響くようなものであった。
「あれー? リリアナちゃんも祝いに来たの?」
次の瞬間には、声は普段の間延びした人の神経を苛つかせるものに変わっていた。
「いや……その……」
殆ど涙目になっていたリリアナは、突如として崩れ落ちた。
「ご、ごめんなさい!」
そして懐から折り畳み式のナイフを取り出し地面に置く。
「私、その、トリルから、あなたを……殺せって言われて……」
一気に吐き出したかと思うと、顔はみるみるうちに青ざめていった。
「……今の会話も、使い魔で聞かれてるから……来る……」
「……あんたは何がしたいの?」
彼女を見下げるパゼラの目は軽蔑を越して呆れのそれになっていた。
「わ、私は、ただ……良いことをしようと思ったのに……」
リリアナは自分に言い聞かせるようにそう呟く。
「まあ、来るなら待とうじゃない」
パゼラは自分の声がほんの少し震えているのに気が付いた。
ーーーーー
それから一分もしないうちに──不安そうに周囲を見回していたリリアナの目線に二つの人影が飛び込んでくる。
見間違えようなどあるはずもない、トリルとクレインの二人だ。
トリルの方は丸まった背に、一週間は手入れをしていなかったであろうぼさぼさの髪の間からぎらついた目が覗いている。
しわだらけの制服に、腰からはモーニングスター──トゲ付きの鉄球を持った打撃武器──を下げている。
反対にクレインは、いつも通りの澄ました顔をしている。
トリルはまずパゼラより先にリリアナの方を向いた。
「忘れちゃった? 目の次は首だって」
首筋に親指を当てながら、例の嗜虐的な笑みを浮かべる。
それから、懐から取り出した刃物をリリアナに向けて、投げナイフの要領で投げつけた。
ナイフが足に刺さると、リリアナはか細い悲鳴を上げた。
「お前は後。先にこっちのゴミを片付けないとね」
頭を振り回すのと合わせて、ボサボサの髪の毛が宙を舞う。
そして淀んだ色の瞳がパゼラを捉える。
「私さ……あんたのせいで学校いけなくなっちゃったの」
歪んだ笑みを浮かべながら彼女はゆっくりと近づいてくる。
パゼラの身体は恐怖で芯まで凍り付いていた。
動けない。
「だから死ね」
それから火球が放たれる。
ふいにパゼラの身体が宙を舞う。
誰かが彼女を突き飛ばしたのだ。
命中しなかった火球はしばらくの間芝生を焦がし、それから消えた。
上体を素早く起こしながら、パゼラは──自分を突き飛ばした──寝そべる六郎の頭に容赦のない蹴りを加える。
「あ……あんたのせいだからね、あそこで殺させてくれなかったんだから!」
「それは……そうだが」
いつものように気の抜けた返事を六郎が返す。
それを聞いて、パゼラの緊張の糸が切れた。
「じゃあ今が、あいつを殺すべき時ってこと。今度こそ全部終わるってこと」
「とっとと……死ね!」
パゼラが立ち上がるのと同時に、またもや火球が放たれた。
雑なコントロールから放たれたそれを二人は難なく回避する。
それから数発が間断なく放たれたが、やはり二人は避けて見せる。
いたちごっこが続くかと思われたその時、外れた火球の一つがネクラマのバッグに命中した。
その瞬間、バッグは大きな火柱を上げる。みるみるうちに火は乾いた木でできたパゼラの家を飲み込んだ。
パチパチと音を立てながら火の粉を散らすそれはまるで巨大な焚火である。
彼女の脳裏には一階で寝ている父親の姿がちらりと浮かんだが、すぐにそれは嘲笑と共に消えていった。
──ようやく天罰が下ったんだ。
そしてパゼラは、背中に熱を感じながら目の前の相手に目を向ける。
トリル自身も何が起きたか理解するのに時間がかかったようだが、そんなことはどうでもいいと再びパゼラの方に向き直った。
足の甲が伸び獣のそれに変わる。
折り曲げた足を伸ばし、一瞬で距離を詰める。
その間にパゼラは横へ飛びのき、六郎の身体はその場で徐々に透明になり消えた。
「臭いまでは消せないわね!」
そう叫びながらトリルが鋭利な爪を何もない中空に突き出す。
何もない空間からとめどない血がこぼれだす。直後、腹から大量の血を溢す六郎の身体が現れる。
「嘘ッ」
それがパゼラに一瞬の隙を生んだ。
彼女が地を割る土塊を放つより先に、人のそれを超えた反応速度でトリルが飛びかかる。
そして彼女はそのけむくじゃらの手で腰のモーニングスターを抜くと、パゼラの脇腹めがけて振りぬいた。
完璧な姿勢とは言い難かったが、獣の膂力でそれは十分すぎる破壊力を発揮した。
肋骨が嫌な音を立てる。
激痛に思わずパゼラは跪く。
「押さえつけとけ!」
それを見て満面の笑みを浮かべるトリルが、意気揚々とクレインに命じる。その眼はもはや焦点も定まっていない。
クレインは素早く後ろに回り込むと、パゼラを羽交い絞めにした。
「悪く思わないでよね、私だって生きるのに必死なんだから」
極めて平静にクレインは耳元でそう言った。
それからゆっくりとトリルがパゼラに近寄る。
「じゃあこれで、あんたは消えてなくなるのよ」
ポケットから取り出したそれは、黒緑に鈍い輝きを放つ水晶。
パゼラが作り出した──そしてトリルが奪った──死の宝珠に違いなかった。
それを握りしめ、ゆっくりとパゼラの顔に近づける。中で蠢く黒い大気は、目の前の怨敵に叩きつけるはずだったもの。
絶望がパゼラの胸をいっぱいに満たしたとき、不意にトリルの手から宝石がこぼれ落ちた。
いや、そうではない。
見れば、トリルの手頸から先が消失しているではないか。
地に落ちた水晶の傍らには、腐り落ちたトリルの右手の骨が転がっている。
全員があっけに取られている内に、パゼラは頭を突き出した。
「ぐぎゃぁぁあッ」
彼女の角がトリルの目に突き刺さり、後ずさる。
消えた右手で必死に目を抑えようとする。
「痛ッ」
それから急にクレインの拘束が緩んだ。
拘束が解けたパゼラは脇腹に肘鉄を加え、それから振り向きざまに蹴りを加え吹き飛ばす。
クレインの立っていたところを見ると、腹を抑えた六郎が立っていた。
右手にはリリアナのナイフが握られている。彼がクレインの肩をナイフで刺したのだ。
「あそこで寝てればよかったのに、なんで……」
パゼラがそう言い終わるのと同時に、六郎が膝をつく。
それを見た彼女は反射的に駆け出し、穴の開いた六郎の腹に手を突っ込む。
パゼラは自らの能力で彼の溢れ出る血を止めた。
「これで、まだ立てる?」
殆ど意識を失いかけながら六郎は頷く。
それからパゼラはトリルに向き直る。
角が刺さった目は真っ赤に染まっており、さらに禍々しくなっていた。
トリルと対面したが、パゼラに恐怖心はなかった。腕全体に広がっている暖かな感触が、もたれかかる重みが、彼女を勇気づけている。
「どうせあんたのことだから──」
焼け付く空気を肺に吸い込んでから、吐き捨てるように、同時に堂々と口を開く。
「わたしにやられて、面目立たなくなって、みんなから見捨てられたんでしょ?」
「ううううううぅぅぅぅぅ!」
口から唾液をまき散らしながら、もはや言語にもならない絶叫を上げながらトリルが再び駆けだす。
そうして一瞬で距離を詰めると、モーニングスターを頭上に掲げた。
パゼラは六郎から身を離し小さく躍動すると、鈍器が振り下ろされる前にトリルに向かって体当たりをした。
獣の筋力から繰り出された跳躍を止めることは出来ず、パゼラはあっけなく吹き飛ばされる。
一方のトリルは、苦々しい顔をして空中でモーニングスターを放り投げていた。地面に膝をつく彼女の腹部には、真っ赤な水晶のようなものが刺さっていた。
それは、六郎の血を固めて作られたナイフ。
トリルはそれを抜こうとするが、しかし血で出来ている故に滑りうまくいかない。
「この……ゴミ虫がぁ!」
そう叫びながら顔をあげたトリルの視界に、パゼラの足が殺到する。
防ぐ暇など存在せず、それを喰らったトリルは脳が揺さぶられる衝撃に襲われながら、あおむけに地に倒れる。
パゼラは近くに落ちていたモーニングスターを素早く拾ってくる。
「また飛び跳ねられたら嫌だからね……」
独り言を呟きながら、彼女はモーニングスターを頭振り上げる。
それはトリルの足へ、渾身の力を込めて叩きつけられた。
「ぎ、げはぁ」
ぼんやりとした脳内で鈍い痛みが暴れまわる。
それからパゼラは何度も殴打を繰り返し、最後には骨が裂けて見えてきた。
一旦、痛みが止む。
何事かと思いながら、やっと意識がはっきりとしたトリルが身体をよじりながら見ると、パゼラは潰れた彼女の右足に手を当てていた。止血をしているのだ。
「まだまだ、顔に行くまであと三回は楽しめる」
「嫌だ、こんなどうしようもない、底辺のゴミに殺されるなんて嫌だ! 助けて、パパ、助けろよぉ!」
その直後、再びモーニングスターが振り下ろされる。
今度は左腕だ。灰色の毛が宙に舞う。
その間、トリルは一心不乱に叫び散らしていた。
「うるさいんだよ、もう黙ってろ!」
左腕を潰し終わったところで、無防備なトリルの顔面を全体重を込めて踏みつけた。
それから、パゼラはその手に持った鈍器を放り投げて、トリルに馬乗りになった。
何度も何度も、その拳を憎き顔に向けて放った。
今度は観客も邪魔する人も誰もいない。六郎はパゼラの支えを失ってから倒れ伏したままだ。
やがてパゼラは立ち上がると、トリルの首根っこを掴んだ。
何度も殴打を続けたパゼラの手は裂け血がとめどなく流れていたが、その痛みすらも彼女にとっては心地よかった。
それから最後の、ありったけの力を振り絞って、パゼラはトリルを燃え盛る火の中に放り込んだ。
もはや悲鳴などは聞こえなかった。人の焼ける、嫌なにおいが辺りに充満した。
そこから振り向き数歩歩いたところで、パゼラは力なく倒れこむ。
半分はダメージによるもので、そして半分は疲労によるものだ。
パゼラは疲れ切っていた。
自分の背後で炎上を続けるあばら屋──いままで自分が暮らしてきたそれ──のことを考えながら、このまま眠りに落ちようかと思った。
ふと、彼女は六郎のことを思い出して身体をあげた。
今すぐにでも眠りたい。そんな気持ちを自分の意志の力だけで跳ね除けながら、彼女は六郎の元にやってきた。
彼は血を垂れ流し横たわっている。呼吸も浅い。
そこにひょっこりとネクラマがやってくる。
「ふひひ、このままじゃ六郎ちゃん死んじゃうよ。もっと止血すれば……まだ分からないけど」
隣に腰を下ろして、パゼラは無心で能力を使い止血を試みる。
六郎は力なく手を伸ばし、パゼラの腕を握る。
「もう…………十分だろ」
その手は乱暴に払いのけられた。
──ああ、まだ死ねないのか。
再び朦朧とする意識の中で、彼は一層強く思った。
ーーーーー
六郎が目を覚ますと、見覚えのない天井。
違和感を感じる匂いは、他人の家に初めて入った時のそれだ。
横を向くと、隣のベッドにパゼラが横になっていた。
彼女はすでに目が覚めていた。
「ひひひ、生きてたねー」
見計らったかのようにドアからネクラマが入ってくる。
「ここは学校の寮。パゼラちゃんの家は焼けてなくなっちゃったからねー」
水を入れたコップを二人の枕元に置きながら、ネクラマは続ける。
「それでさ、二人は行くところある?」
パゼラと六郎は首を横に振る。
「でしょー? じゃあ、ここで暮らしてかない?」
「まさか、最初からそれが目的で私の家に来ていたんじゃないでしょうね」
「えー、そんなことないよー」
ーーーーー
時は遡る。
燃え盛るパゼラのあばら家から這い出す人物が一人。いつも一階にいた中年男性──パゼラの父親である。
全身がひどく焼け焦げているが、魔法防御をしてなんとか一命はとりとめている。
その人物を、ネクラマはしゃがみ込んで見つめている。
まるで蟻の観察をする子供のように。
やがて丸焦げの人物がそれに気が付く。
助けを求め、手を動かす。
「私が誰か分かる?」
普段とは違うあの冷酷な声でネクラマは問いかける。
件の人物は、喉も焼け焦げ声が出せない状況であった。
それからネクラマは立ち上がると、その人物を蹴りつける。
何度も何度も蹴りつけ、最後にはパリパリに焦げた首がちぎれた。
彼女は取れた首を無感動に眺めていた。
「あんたがいなければさー、私だって生まれてくることなかったんだよ? ちゃんとあの世で反省してね」
それから転がった頭を思い切り踏みつけ、地面に擦り付けるように踏みしめる。
その凄惨な様子を、這いつくばりながら見ていた者が一人。
リリアナである。
ネクラマが踵を返すと、リリアナと目が合った。
普段彼女の顔を覆い隠している分厚い前髪は無かった──乱れた髪からはネクラマの目が覗いていた。
それがリリアナにはひたすらに恐ろしかった。
「見た? 見たよね?」
狂気を孕んだその黒い声に、思わず悲鳴が漏れる。
「ひっ……」
リリアナは必死に首を横に振った。
「その、黙っているから……私、見てないから……その人を……こっ、殺したの」
「見たでしょ?
燃え盛る炎に照らされ、リリアナの元まで伸びていたネクラマの影が、突如として実体を持ち宙に浮いた。
それはリリアナの首元にまとわりつくと、徐々に力を強めた。
そしてボキリという太い音と共にリリアナの身体は地面に投げ出され、二度と動くことはなかった。
「あなたはそこで何してるの?」
ポケットから取り出した櫛で前髪を整えながら、ネクラマは背後に立つ人物に声をかけた。
「いやぁ、トリルはもう終わりだからさ。路頭に迷っちゃって」
答えるのはクレインだ。
六郎に刺された肩から血を垂れ流している。
「じゃあさ、私の奴隷にならない?」
「奴隷って、まあ、それは妥当だろうけど」
普段と全く変わらぬ様子で、もの言わぬリリアナを見下ろしながらクレインが言う。
「ひひひひひ、じゃあこれ」
ネクラマはしゃがみ込むと、クレインの影に手を伸ばした。
それから何かを拾うような動きをすると──クレインの『影』を掬い上げていた。
見ると、クレインの影が先ほどよりも薄くなっていた。
それから彼女はいつもの引き笑いを抑えながらその影を瓶に詰める。
「これがある限りあなたは私の命令に絶対服従だから、いいね?」
これ以外に生きて帰る術はないと、クレインは確信していた。
ーーーーー
時は戻って、パゼラとネクラマの会話の場面。
「うーん、こうやってパゼラちゃんの面倒を見てあげるなんて、私お姉さんみたいじゃない?」
「は? 何言ってんの?」
しばしの沈黙。
ネクラマの口は珍しくへの字に曲がっていた。
「……まあ、行く当てもないからそうするしかないんだけど」
「ひひひ、じゃあ先生にそう伝えてくるねー」
言うが早いか、ネクラマは部屋から飛び出す。
パゼラと六郎は二人きりになった。
昼の暖かな陽気が窓から入ってくる。
六郎は久方ぶりの心地よいベッドの感触を楽しんでいた。
「六郎」
不意にパゼラが口を開く。
「わたしのこと、嫌いだよね?」
「ああ」
「わたしのこと、哀れな奴って思ってるよね?」
「ああ」
「そう。わたしもあんたに同じことを思ってる」
一度会話が途切れる。
すべてを包み込む春の日差しの中で、ゆっくりと時間が流れている。
「それから……あんたはわたしに生かされてるの? 分かってる?」
「ああ」
──そうだ。俺の居場所はここにしかないんだ。
六郎はそう思いながら、まどろみの中で瞳を閉じた。