【第一章 完】ドロップアウト・ツインズ 作:Hannibal
異世界転生を果たしたどこにでもいる普通の男
なんとか一命をとりとめた彼は、頭に角の生えた少女に命を助けられ、家に連れ込まれた。
六郎の目が覚めた時には、時刻は昼頃を回っていた。
少女の姿はなく、壁にかけてあった灰色のボロボロな制服が消えている。おそらく学校とやらに行ったのだろうと六郎は考えた。
──ここからどうしたものか。
逃げ出すのは容易だろう。じんじんと痛むところ見返すと、青あざになっていた。ここにいても、彼女の言う子犬のように殺されるだけだろう。
しかし彼にとってはどうでも良かった。どうせ二度も死んだ身なのだ。一度目は現実世界で飛び降りて、二度目はあのクロムウェルに飛ばされて。
それならいっそ、あの少女の玩具になるのも、それ相応の罰でよいのではないか。
そんなことを考えながら、六郎が何の気もなしに屋根裏を見回していると、タンスの上に写真を見つけた。
ひびの入った額縁の中に老婆と共に写っている少女は、純粋な心からの笑みを浮かべていた。
六郎が無感動にそれを眺めていると、扉の開く音がした。
それからハシゴが軋む音。体重に耐えかねて今にも崩れそうだ。
六郎にはその音で分かった。登ってきているのは少なくともパゼラ──あの少女ではない。
下に続く穴からひょこりと角が生えてきた。壊れかかったハシゴがもう一度悲鳴を上げると、仏頂面の男が現れた。体は運動不足により肥えていたが、腕っぷしだけは強そうに見える。
「なんだ、また犬コロでも拾ってきたと思えば……ヒトじゃねぇか」
どこか呆れたような調子で、無精髭を指で撫でながら大男が言う。
「お前、なんでここにいる」
粗暴なその目つきが六郎に刺さる。
「……死んだと思ったら目が覚めて、それからあの女の子に連れてこられた」
多少の省略を挟みながらも、六郎は素直に答えた。
「そうだろうな。だが俺が聞きたいのはそうじゃねぇ、なんだってこんなゴミ溜めみてぇなところにわざわざ来たんだって話だ」
男の声色に不機嫌な色が混じった。
返答を間違えれば拳が飛んでくる、そんなプレッシャーを六郎は感じた。
「それは──」
彼が言葉に詰まったその数秒後に、大男の背後で声がした。
「お、お父さん、なんでここに……」
次第に尻すぼみになるパゼラの声に、『お父さん』と呼ばれた大男が振り返る。
「家に知らんやつがいたらぁ、それは気になってしょうがないだろう」
パゼラは息をつまらせ、口を開かなかった。
「で、なんでこんなやつを連れてきたんだ?」
彼女は震えながら鞄から一枚の紙を取り出し、それを父に差し出す。
彼は奪い取るようにしてその紙をパゼラから受け取った。
〈〈転生者〉寄宿支援金のお申し込みはお早めに!〉
パゼラの通う学校のチラシだ。異世界からやってきた〈転生者〉と一つ屋根の下で暮し、面倒を見る者は特別に金を得られるというものだ。
「ね、いいでしょ? コイツを置いておけば、お金が入るんだから、ね?」
しばらく悩んでから、パゼラの父は口を開いた。
「置いといてもいいぞ。ただし、ちょっとでも俺の邪魔をしたら叩き出す」
それから思い出したかのように一つを付け足す。
「面倒は全部お前が見ろ。これ以上ガキの面倒なんか見てられねぇ」
そう言い捨てると、彼は梯子を降りて行った。
姿が見えなくなってからしばらくして、やっと張りつめていた空気が溶けだした。
いま屋根裏部屋にいるのは、六郎とパゼラの二人だけだ。
「何見てるんだよ」
震えた声で、パゼラはそう彼に問いかける。
「……別に、なんでもないが」
ややあってから六郎はそう答え、顔をそらした。
「なんで見てるのかって聞いてるの!」
その直後、六郎は乱暴に髪を掴まれ、パゼラの顔と直面した。
鼻先数センチ。
彼女の濁った緑色の瞳は涙を湛えていた。
六郎はそれを見て思わず──悲しい気分になり、それが表情に出た。
それがよほど気に食わなかったのだろう、空いた右手が彼の頬にめがけて飛んできた。
平手打ちだ。
軽快な音が響く。六郎の頬がじんじんと痛んだ。
パゼラは髪を掴んだまま彼を睨みつけていたが、しばらくすると舌打ちし、自分の机へ向かっていった。
それで二人のコミュニケーションは終わった。
ーーーーー
翌日。
六郎はパゼラの後ろをゆっくりと追従する。廃墟街を抜けてほとんど舗装されていない道を歩く。
しばらくすると、街道が見えてきた。
見渡す限りの平原。しっかりと踏み固められた土の道を荷馬車と人々が行きかっていた。
進路を右に変えると、目の前に飛び込んできたのは白銀の壁と、大きな門。
六郎が台車に乗せられた時に見た、あの大きな街を守護する城壁だ。
二人は五分も経たずに門の近くまでたどりついた。
開け放たれた正門を通り抜けると、石造りの家が見えてくる。
色とりどりの花と煉瓦に彩られた街並みは、元居た世界で様々な人々が物語上で空想したファンタジー世界そのものだった。
六郎が感動しなかったと言えば、それは嘘になるだろう。そんな彼の心境をよそに、パゼラは街中を進む。
道行く通行人は、彼女を見るなり眉をひそめて露骨に距離を取った。そして同じような目線を六郎に向ける。
二人はそれを意に介さずに足を動かした。
ーーーーー
そのうち巨大な建物が見えてきた。左右対称なそのずっしりとした佇まいは、間違いなく学校のそれであった。
正門から出てくる生徒はパゼラとほとんど同じ服を着ている。異なる点があるとすれば、彼女たちの制服はパゼラのそれと比べて白く清潔という点だろうか。
いくつかのバリエーションがあるようにも見える。
その生徒たちは、街の人達よりも露骨にパゼラを避けていた。
「何見てるんだよ! さっさと散れ!」
彼女は眉間にシワを寄せ、歯を剥き出したかと思うと次の瞬間にはそう周りに向かって怒鳴り散らした。
反発する磁石のように周りの生徒たちは退いていった。
「早く行くぞ」
六郎の腕を掴むと足早に校舎の中へと入っていく。
ーーーーー
長い階段を登り、たどり着いたのは「学長室」と書かれた部屋だった。
扉をノックし、それから踏み入る。
「学長、うちで暮らさせる〈転生者〉を連れてきましたよ」
パゼラが白々しく言う。
学長と呼ばれたその白い髭を蓄えた老人は、震える手でメガネを取り外すと二人の方に首を上げた。
「またお前か……今度は何を」
六郎が視界に入ったところで、思わず言葉が途切れた。青あざによって変色した皮膚を見れば誰だって同じような反応をするだろう。
「……そこの君は?」
「ああこいつは──」
「パゼラ、君に聞いているんじゃない。彼自身に質問しているんだ」
鋭い眼光でパゼラをにらみつける。それから視線を六郎に移す。
「異守 六郎、〈転生者〉」
彼は短くそう言い切った。学長は手元の紙をパラパラと捲る。
「そうか……王宮で行った召喚儀式のリストには載ってないな」
自分が呼ばれ、そして殺されかけたのはその儀式だろうと六郎は確信した。
口には出さなかった。
「……この時期は儀式の余波でやってくる野良〈転生者〉も多い」
勿体ぶったように、学長は曖昧に言葉を切る。
それから不意をつくかのように再び口を開く。
「今の環境に満足しているか?」
鷲のような鋭い眼光を六郎に投げかけながら聞く。
「満足している」
六郎は即座に返した。
「ふむ……」
改めて学長は熟考を始めた。パゼラはもう飽きたのか、立ったまま貧乏ゆすりをしている。
「いいだろう。異守 六郎が君のもとで暮らし、寄宿支援金を受け取ることを認める」
「やったー!」
パゼラがガッツポーズを取る。
「ただし」
遮るように学長が割り込む。
「……ただし、この書類をすべて書いてから」
分厚いその紙の束を見て、パゼラは舌打ちした。
「かなり時間がかかるから……君はそうだな、保健室に行くといい。治療魔法を受けられる」
ーーーーー
学長室を出て、一人になった六郎は周囲を見回した。学長にああは言われたが、彼は保健室に行くつもりは毛頭なかった。
何も考えずに数歩踏み出した直後、彼の足が止まる。兵士に切られた脇腹が痛い。嫌な悪寒がする。
パゼラのささやかな魔法で傷痕を塞いだと言っても、血を固めて流血を防いだだけ。消毒もしなければ止血もしていない状況では、悪化するのは自明であった。
夕暮れに染まった廊下で彼はうずくまる。
その夕日を浴びた誰かの影が、丸まった六郎の背中にかかる。
「もし、そこのお方、大丈夫ですか?」
「大丈夫だ」
相手の顔も見ずに六郎はそう言った。
「とてもそうには見えませんわ」
見るとそこには金髪の女子生徒がしゃがみ込み、六郎の顔を覗き込んでいた。
豊満な胸は制服の上からでも分かる。よく見るとパゼラのものとは少しデザインが異なっている。
「立てないようでしたら私(わたくし)が保健室までお連れしますわ」
そう言うが早いか、六郎の脇の下に腕を入れる。
それから肩を組むようにして六郎を立たせた。
甘い香りが漂ってくる。石鹸の甘い匂いだ、パゼラのすえた臭いとは大違いだ、彼はそう思った。
「私、ルビアール・ハインドリヒと申します。ルビアと呼んでくださって結構ですわ」
慣れた口調で、まるで短い詩でも歌うかのように彼女は自己紹介をした。
その間にも足を進め、いくつかの階段をゆっくり降り、真っ白なベッドが並んだ部屋に着いた──保健室だ。
そのうちの一つに六郎を寝かせると、自分は枕元の椅子に座った。
「私、治療の術に長けていますの。それと、どこが悪いかは一目見ればわかりますわ」
熱い痛みを伴ってぶり返してきた六郎の傷に手をかざす。ルビアがそこに意識を集中させると、クリーム色の淡い光の粒が集まる。
「さあ、楽にして」
徐々に自分の身体から悪寒が消えていくのを六郎は感じていた。
「何かこう……話題はありませんか? 無言で治療するというのも気まずいものでして」
少し恥ずかしそうにはにかむ彼女はまるで絵画から抜け出してきたようであった。
ややあってから六郎の方が口を開く。
「パゼラって知ってるか?」
「え? ええ、まあ、彼女は悪い意味で有名人ですから」
彼女は露骨に眉をひそめた。
「私、学年が違うので詳しくはないのですけれど……誰にでも暴力を振るう、粗暴な魔族ですわ」
「そうか」
またしばらく会話が途切れる。
ルビアは相も変わらず治療を続けていた。
今度は窓の外を見ながら、六郎は聞いてみる。
「……誰か、俺のことを助けてくれないかな」
意を決したその声は、本人にしか分からないレベルで震えていた。
「……? 助けるとは、どういうことですか?」
その表情には困惑が浮かんでいた。
「私にできるのは、こうしてあなたの傷を癒すことだけですよ」
「……そうだな。ありがとう」
「いえいえ、次からは身体の不調を感じたらちゃんと相談することですよ?」
ちょうどそれが言い終わったタイミングで光が消える。先程まで六郎の身体に染み込んでいた痛みはまるで嘘のように消えていた。
服をめくりあげて確認すると、傷も見てわからぬほど綺麗サッパリに消えている。
「さて、これで治療は終わりましたわ。ベッドで少し安静にしていくといいですわ」
それだけ言うとルビアはそそくさと立ち去った。存外あっさりとした別れ際であった。
ーーーーー
一人になった六郎は目を閉じ、これからのことについて考えた。
最初に浮かんだのは、ルビアとのやりとりだった。
『私にできるのは、こうしてあなたの傷を癒すことだけですよ』
それから、パゼラの顔が浮かび上がる。
『かわいそうなやつだ、かわいそうだなぁ』
彼女の持つ暴力性は彼が身を持って知っている。
どうしたらあんな他者に対する思いやりのない振る舞いが行えるのだろうか。しかし彼にはすべてがどうでも良かった。
これからどうしたものか──そもそも行く当てもない野良〈転生者〉である六郎にとって、答えは決まっていたようなものなのだ。
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【第5話】
パゼラが学長室から出てくる。大量の書類の山に疲弊した顔だ。
それからふと六郎のことを思い出し、彼を探し出す労力を考えた形相が苛立ちのそれに変わる。
素早く左右を見回したところで、曲がり角から現れる目的のそれを目にした。
「どこ行ってたんだ」
金のことしか頭にない、ただひたすらに事実の確認と多少のストレスだけが入り混じった声だ。
そんな彼女に六郎は皮肉気味な笑み浮かべながら右手を振って返した。
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「しかし、私に拾われるなんてついてないね」
「そうか」
六郎は全くそう思っていなかった。他の人に見つかったとしても、自殺志願者とみなされて放置されるのが関の山だろう。
「まあいいか、早く行くよ」
そう語るパゼラの足取りは、来るときよりも軽快になっている。
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正面玄関を出たところで、突然彼女の進路が阻まれた。見るとそこには、三人の女子生徒が並んで歩いていたところだった。
制服の形はパゼラと全く同じだ。
彼女たちはパゼラを見ると下卑た笑みを浮かべる。それはパゼラが見せたものより何倍も悪意が濃縮されていた。
「なんか臭いと思ったらまだいたのね。臭いからどっかに消えてくれない?」
真ん中の女が一歩前に出ながらそう言う。パゼラはよろめきながら二歩下がる。
周りの二人はその様子を見ながらクスクスと笑っていた。
短いスカート、着崩した制服、けばけばしいメイクに身を包んだ彼女たちは周囲の目をはばかることもなく二人に敵意を向けている。
パゼラはというと、校門で生徒を追い払った時のように歯を剥き出した怒りの形相をしていたが──その表情は悲痛さに歪んでいた。
「あら? その男は?」
「超絶テクで落としたんでしょ、下の口は緩くて使い物にならないから!」
すかさず取り巻きの一人が合の手を入れる。
「それもそうね」
三人は耳を塞ぎたくなるような音量で下品な笑い声を発した。
それから六郎の方を見る。無表情で、まるで何もないようにピクリとも動かない──彼の反応は三人組が期待していたものと違っていた。
「なんとか言ったら?」
謂れのない悪意のこもった目線で、まじまじと六郎の目を攻撃する。
またも無反応。
「口も利けねぇのかよ」
それでも無反応な彼に舌打ちをすると、今度はパゼラの方を見た。
「まあ、実戦テストを楽しみにしておくことね。せいぜい半殺しで済ませてあげるから!」
「お前がどう負けるのか見物ね!」
また例の笑い声の合唱を三人で行うと、校舎の中に消えて、姿は見えなくなった。
引っ張られた気がした六郎が目線を右斜後ろに落とすと、パゼラが彼の裾を力強く握っていた。
──ああ、あの家に帰れば俺は殴られるのだろう。
六郎は無感動にそうぼんやり考えていた。