TS転生令嬢は『カウンター悪役令嬢』を目指す   作:緑茶わいん

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公爵家のお仕事と公爵令嬢 2

「新しいドレスのデザイン、か」

 

 王国宰相ジャン・シルヴェストルは手にしていた紙を机に置くと、少しぬるくなった茶を一気に飲み干した。

 向かいに座ったセレスティーヌがお代わりを注いでくれる。保存の魔法がかかったティーポットへ移しておいたものだ。二人で話をするため、使用人はお茶の用意の後で退室させてある。

 今日は仕事が長引き夕食に間に合わなかった。

 子供達は部屋へ引っ込んだ後。一目会いに行こうかと思えば、セレスティーヌに「私と二人ではご不満ですか?」と言われてしまう。

 夜の誘い──ではない。

 妻は髪を結ったままで、ジャンの隣にも座らなかった。夜着も肌を隠した清楚な品。差し出しされた紙の内容もいたって真面目なものだった。

 

「これは凄いものなのか、セレスティーヌ?」

 

 ジャンが見ていたのは職人の一人が描いたという簡素なデザイン画だ。リディアーヌが希望し、その場でたたき台とするために描かれたものだ。後日清書したものを見せに来る、デザインは頭に入っているからこれは必要ない、と置いていったらしい。

 家長として関心は持っているつもりだが、男の身。女のお洒落にはどうしても疎い部分がある。このデザインは可愛らしいとは思うが、既存のドレスとは大きく違わないように見える。

 すると妻は頷いて、

 

「一見して目新しく見えるデザインではありません。ですが、評価に値する案件かと。わかりやすいのはむしろ、二枚目の方です」

「……こっちか?」

 

 ちらりと見たきり無視していた下の紙を引きぬいて眺める。一枚目の絵よりも稚拙なタッチで下着、あるいは夜着のような衣装が描かれている。

 

「それは、リディアーヌが描いた原案です」

「これをリディが!? いや、それよりも()()だと?」

「ええ。一枚目の絵はそれを元に描かれたものです」

「原型を留めていないではないか」

 

 言われてみると幾つか似通った意匠はある。ひょっとして原案もドレスのつもりだったのだろうか。だとするとあまりにも常識から外れすぎているが、

 

「重要なのはその()()が非常にシンプルかつ自由な発想で描かれているということです」

「む。翻案──アレンジが容易だということか?」

「ええ。実際、ナタリー・ロジェの手によって見違えるように生まれ変わりました」

 

 普通、技術やデザインとは段階を経て研ぎ澄まされていくものだ。

 しかし、リディアーヌは最も単純な形を初めから出してきた。子供故の突飛な思考から飛び出したものと考えれば不思議なことではないが、貴族でありながら職人を志した変わり者(ナタリー)がそこから新しいものを作り上げたように、ここには発展の余地がある。

 

「一枚目の上半身部分は身体に沿うデザインになるそうです。原案ですと妖艶な雰囲気が過ぎますが、スカートがふわりと広がれば適度な色気になりますでしょう?」

「うむ。……もっとシンプルなデザインのものをセレスティーヌが纏えば、社交の場で注目を集める可能性は高い、か」

 

 ここまで来ればジャンにも理解できた。

 リディアーヌは自分用のドレスを作るためだけにデザインを提案したのではない。流行の可能性を()()したのだ。

 セレスティーヌが微笑を浮かべる。彼女が笑むのは珍しいことではないが、今回のそれは穏やかな、ともすれば生娘のようにも見えてしまう常の清楚なそれではなく、どこか無邪気で楽しげで、なおかつ大人の色気を含んだ複雑な笑みであった。

 

「流行や新しいデザインとはこれまでと全く異なるものが突然生まれるものではありません。異物をそのまま提案したところで却下され、なかったことにされるだけ。()()()()()()()()()()()()()()()を相応しい人間が広めることで定着し、流行となるのです」

「公爵令嬢が発案したドレスはその条件を満たしている、か」

 

 ナタリーは渾身のデザイン画を描いてくるだろう。リディアーヌは「採用を前提に」それを描かせたらしい。まず間違いなく一着以上は実際に製作される。盛装と言っていいこのドレスは間違いなく晴れの場で着るためのもの。秋となれば『お披露目』には間に合わないだろうが、()()()()()()()()となった娘が纏えばさぞかし注目を集めるだろう。

 そして、親世代が自分の子に「あれと似たドレスを」と求めれば──。

 公爵令嬢の務めとしては十分すぎる。

 

「あの子は、急に大人になってしまったな」

 

 成長するにつれて母・アデライドの面影を濃くしていく愛娘。大人しかった母とは対照的な活発さ、過激さも彼女の魅力だったのだが、彼女はジゼルの一件以来、真面目で理性的な性格に変わった。

 ジゼルへの腹いせから「助命」を嘆願するなど根っこの部分は変わっていないように思えるものの、ジャンは娘が我慢をしているのではないかと不安になってしまう。

 セレスティーヌはこれに「そうですね」と頷き。

 

「身近な人間の死を経験し、自らも死に直面したのですから無理もないでしょう。……ですが、リディアーヌは帰ってきました。生を諦めなかった証拠です」

「意外だな。あの子が苦手だったのではないのか?」

 

 倒れる前のリディアーヌは何度も「あんな女、大嫌いよ!」と言っていた。ジゼルの件が終わった後も「嫌いだ」と面と向かって口にしていたし、二人の仲は良くないはずだ。相性の良し悪しはあるので仕方のないことだと思っていたのだが、

 

「リディアーヌは頭の良い子になりました。以前よりはずっと公爵家に相応しいかと」

「そうか。……そうだな」

 

 アデライドの死に関してはジャンも相当なショックを受けた。ジャンでさえそうだったのだからリディアーヌは猶更だ。そう思って彼女の好きにさせていた。そのことがかえって少女を荒れさせる原因にもなっていた。

 負担をかけすぎているのは心苦しい。親として申し訳なくなるが、同時に「立派になってくれた」とも思う。

 今回の提案は採寸中にふと口にした独り言がきっかけだったという。

 当人としては「ただ思いついただけ」らしいが、床に臥せる中で魔法の行使に成功した件と言い、発想力において突出したものを持っているのかもしれない。

 彼女の発想が服飾関係にも生かせるものだとすれば、これ以上ない幸運だ。

 

「魔法の教師も早く見つけてやらねばな」

 

 軽く水を向けると、セレスティーヌはすぐには返事をしなかった。

 どうしたのかと視線を向ければ、妻は「旦那様」とあらたまった前置きをした上で、ある一人の女の名を口にした。

 

「リディアーヌの魔法について、オーレリア・グラニエ様にお任せするのはいかがでしょうか」

「なっ……!?」

 

 それは、魔法に関する事柄と結びつけるにはあまりにも恐ろしく忌まわしい名前。

 

「本気で言っているのか、セレスティーヌ!?」

 

 冗談ならまだいい。いや、冗談でも聞きたくない。そんなジャンの想いが伝わらなかったのか、セレスティーヌは表情を真摯なものに変えた。

 

「本気です。おそらく、リディアーヌにとって彼女以上の教師はいないでしょう」

「セレスティーヌ!」

 

 ジャンは妻を怒鳴りつけた。

 それは、二人が結婚してから初めてのことで、ジャンの怒りは声を聞きつけた使用人たちが止めに入ってもなお収まらなかった。

 二人は、翌朝には屋敷中で話題になるほどの「夫婦喧嘩」をした。

 

 

    ◆   ◆   ◆

 

 

「昨晩、旦那様と奥様が喧嘩をされたそうです」

「……え?」

 

 採寸と服の発注は本当に疲れた。

 ナタリーがここぞとばかりに売り込みに来たのも原因の何割かを占めている。デザインが良くても流行から外れているとなかなか採用してもらえず、たまに変人──もとい気に入ってくれた顧客がいても次に繋がらなかったが、いいところに酔狂なカモ──もとい思考の柔軟な高位貴族が現れたので、自分のアイデアを次々実現させるチャンスだと思ったらしい。

 お陰であれやこれやと見せられて、疲れた上に頭が混乱してしまった。この世界の常識、流行にも詳しくないところに新しいアイデアを流し込まれても処理しきれない。仕方なく、最終的には「また会って話そう」ということで逃げた。

 もちろん、ナタリーのデザインで注文する予定の一着以外にもドレスは多数必要なわけで、そっちの注文にも頭を使わなければならなかった。個人的にはシックなドレスを増やしたいが、子供らしい可愛らしさも世渡りのためには必要。色のバランスやデザインのバリエーションまで考えるともう選択肢が広すぎて、しまいには泣きそうになりながら最終決定を下した。

 お陰で全てが終えるには本当にほぼ一日まるまる必要で、夕食と入浴を終えた後はいつもより早くベッドに入ってぐっすり眠ってしまった。

 これで一仕事終えた。次は三か月くらい後だからしばらく安心だろう……と、思っていたのだが、

 

「どうして?」

「そこまではわかりませんが……ただ、リディアーヌ様のお名前が飛び出していたと」

「わたしなのね……」

 

 困った顔でアンナが教えてくれる。

 俺が絡んでいるとすると、昨日描いたアレがお気に召さなかったのだろうか。セレスティーヌが「旦那様に見せる」とか言って持って行った時点で嫌な予感はしていたのだ。いや、でも、そうだとしたら俺が怒られれば済むような気もする。

 あの女が密かに立てていた長女暗殺計画が露呈、とかだったら喧嘩じゃ済まないだろうし。

 

「とりあえず、様子を見るしかなさそうね」

「そうですね……。では、リディアーヌ様。お着替えをいたしましょう」

「ええ」

 

 今日はなんとなく白いドレスを選んだ。喧嘩が長引いていた場合、あまり可愛い系の服だと刺激してしまうかもしれない。

 

「おはよう(ございます)、リディアーヌ」

 

 食堂へ入ると、家族全員からの視線が一度に飛んできた。ほっとしたような表情を浮かべたのはアランとシャルロット。

 そして、案の定ピリピリした雰囲気の二人はといえば、俺へと同時に声をかけてきた。

 

「お、おはようございます。お父さま、お養母さま」

「……ふっ。いい子だ、リディ。さあ、座りなさい」

 

 すると、急に笑みを浮かべて機嫌が良くなる父。なんだ、どっちが先に呼ばれるかが大事だったのか? 子供か? まあ、落ち着いたのなら良かったと思いつつ自分の席へ腰かける。

 

「リディアーヌ。魔法の件なのですが」

「セレスティーヌ」

 

 と、思ったらまた雰囲気が悪くなった。

 魔法? 昨日のアレは関係ないのか? というか、見た感じセレスティーヌの様子はいつもと変わらない。父が一方的に火花を飛ばしている様子だ。

 養母が父を怒らせて、なおかつ謝る気がないとか? 普通は男女逆じゃないだろうか。まあ、ポーカーフェイスの上手さの問題かもしれないのでよくわからない。

 父に睨まれた母が口を閉ざしたので、魔法云々については良くわからなくなってしまった。

 

「あの、お母さま? あの紙はどうなりましたか?」

「ああ、あれなら見せてもらった。良くできていたよ。ナタリー・ロジェのデザインで発注する事に異議はない」

「本当? ありがとう、お父さま!」

 

 養母に聞いたら父に返答されたが、役に立ったのなら良かった。にっこりと笑いかけると、父は照れたような、嬉しそうな笑みを浮かべる。相変わらず娘に甘い。これで機嫌を直してくれるなら安いものだ。

 

「本日の一品目はとうもろこしのポタージュでございます」

「わあ、美味しそうです」

 

 シャルロットがいいタイミングで明るい声を上げてくれる。アランも「本当だ」と合わせ、なんとか和やかな朝食が始まった。

 シェフ特製のポタージュスープはいい味をしている。少なくとも前世のファミレスやインスタントのカップスープなんかとは段違いに美味しい。せっかくなのでゆっくりと味わっていると、

 

「ところで、リディ。魔法を覚えたらしたいことはあるのかな?」

「したいこと、ですか?」

 

 思考が逸れたところに父からの質問。これにセレスティーヌがかすかに反応。ただ、意図はよくわからない。俺としては「訓練するのが義務なのでしょう?」といったところなのだが、

 

「いえ。今の段階ではまだ何も言えません」

「おや。そうなのか?」

「ええ。だって、魔法でどの程度のことができて、わたしにどのくらいの才能があるのか見当もつかないもの。絶対に不可能なことを口にするのも、望みが小さくなりすぎるのもつまらないでしょう?」

 

 魔道具を作ってみたいとか、領地でやっているという綿花の栽培を助けられないかとか漠然と考えることはできるが、勉強して具体的にビジョンが見えないとなんとも言えない。

 これに父は驚いたような顔をして息を吐いた。

 

「……リディアーヌはよく考えているのだな」

「考えていないからこその答えなのですけれど……」

「いや、いいんだ。それでいい」

 

 父は迷いが晴れたように笑顔になった。あまり進んでいなかった食事の手が早くなり、養母の方へと得意げな視線が向けられる。

 

「そういうことだ。それでいいだろう、セレスティーヌ?」

 

 ああ、昨夜の喧嘩は俺の教育方針についてだったのか。

 ここまで来ればさすがに理解できた。父は大らかに育てたい派だろうから、そうするとセレスティーヌがまた何か変なことを企み始めたことになるが……。

 問われた彼女は、綺麗な碧眼で俺をじっと見据えて、

 

「重要な質問をします。リディアーヌ。魔法の使い手として大成するために最も大切なことはなんだと思いますか?」

 

 意図の掴めない問いが、その美しい色の唇から放たれた。


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