TS転生令嬢は『カウンター悪役令嬢』を目指す 作:緑茶わいん
「初めまして、リディアーヌ・シルヴェストル」
その少女は午前中の授業が始まる前、まだ朝と言っていい時間帯に突然やってきた。
肩までより長く伸ばした漆黒の髪に同色の瞳。
前世における日本人を一瞬連想するも、その肌は白人種のすっきりとした白。裸身を晒せばモノトーンの美貌がさぞかし映えるだろうと思わせる妙齢の美少女は、その身にシックな紺色のワンピースとボレロ──学園の制服を纏っていた。
年頃の貴族令嬢。学園の在学生。およそ縁のなかったその存在が急に部屋を訪ねてきた不思議に俺は一瞬どころか数秒硬直してから「あなたは?」と尋ねた。
すると、少女はふっと笑って、手に持っていた一通の手紙を俺に示してくる。
「セレスティーヌ・シルヴェストル様からの手紙を受け取って来たの。魔法の使い手として大成するために最も大切なこと。答えた記憶はないかしら」
「あ……!」
珍しく夫婦喧嘩をしたらしい両親から魔法について質問をされ、自分なりに答えたのは二日前のことだ。養母は俺の返答を聞いて「わかりました」とだけ答え、父もまた何かを覚悟したような表情で黙りこんでしまった。
あの時、セレスティーヌの専属が俺の返答をメモしていたのには気づいていたが、まさか学生に手紙を送っていたとは。
俺の反応に機嫌よく頷いた少女は、どれほどの深さがあるか測れない漆黒の双眸で俺を見据えて、
「じゃあ、口頭でもう一度答えてみなさい。魔法の使い手として大成するために最も大切なことは何かしら?」
俺は深呼吸をひとつしてから彼女に答えた。
「経験です」
「へえ。それはどうして?」
「この世界の魔法は想像力によって形作られるもの。つまり、魔法によって大きな成果を出すには魔力量以上に『結果を正確に思い描けるかどうか』が大切になります。そして、想像の助けとして最も手っ取り早いのは──」
「
こくん、と、頷いて肯定する。
例えば、亡き母アデライドが見せてくれた火の鳥や蝶。俺はそれが舞い飛ぶ光景を鮮明に思い出せる。見たことがあるから可能だと信じられるし、きっと再現するのも格段に楽だ。
何事も偉大なのは先駆者。未知を実現させるのと知っていることを再現するのでは難易度が全く違う。
この答えに少女は「そうだ」とも「違う」とも言わず、さらに質問を続けてきた。
「そうなると、魔法を他人に教えることは才ある人間にとって多大な損失ね?」
「……そうですね」
偉大な魔法があったとする。それは限られた者にしか使えないからこそ価値がある。他者に伝わり広まって、使える者が増えていけばそれは「ただの技術」と化す。偉大な魔法の発明者は最初にそれを使った
技術の進歩とはそういうものだ。
まあ、だから前世では高い金を払って研究者を雇ったり、特許とかの法律があったんだろうが。この世界でその辺の整備がどの程度進んでいるのかはわからない。
少女が目の前に立つ。
細くしなやかな指が俺の紅の髪を一筋すくい上げてくるくると弄ぶ。朝の身支度でそれに櫛を入れ整えたアンナが小さく悲鳴を上げるも、相手は推定・セレスティーヌの呼んだ人間なので下手に口を挟めない。
「じゃあ、最後の質問よ。それでもなお、教え子や弟子を取るメリットがあるとすれば、それは何かしら?」
これについてはぱっと答えが思い浮かばない。一般的には授業料だろうが、いかにも物好きっぽいこの少女がそんなつまらない答えを望んでいるとも思えない。
「そうですね……自分の研究を手伝わせるとか、教え子の発想を盗んで自分が成長するためとかでしょうか」
「そう。つまり、貴女には私の研究を手伝う覚悟も、魔法を盗まれる覚悟もあると」
「え?」
ぽかん、として彼女を見上げてしまう。
悠然とした表情。自分こそが最強だと確信していそうだ。セレスティーヌとは違う意味で勝てる気がしない。女番長、あるいは女王様といったところだろうか。
どうして俺が彼女の助手になるのかと言えば、ひょっとして、そういう話なのだろうか?
「ええ。このオーレリア・グラニエが貴女に魔法を教えてあげる」
「オーレリア・グラニエ様……!?」
魔法に関する質問。その答えをセレスティーヌが手紙で送り、受け取った彼女が来た。そう考えれば自然な流れではある。
名前を聞いたアンナが驚いているところを見ると、おそらく何らかの有名人なのだろうが、
「オーレリア様は学園に在学中なのですよね? お忙しいのではありませんか?」
「リディアーヌ様! このお方は──」
「おかしなことを言うのね? 私の時間が足りなければ、貴女が捻出してくれるのでしょう?」
「ひうっ」
しなやかな指が俺の唇をゆっくりと撫でる。艶めいた唇がかすかに動いて、舌なめずりでも始めそうな勢いだ。この色気はなんなのか。あと十年足らずで
ええと、何をどう答えればいいのか。
「あの、お養母さまが出した依頼を見て来てくださった、ということですよね?」
「そうよ。もしかして、私のことを聞いていないの?」
「はい。残念ながら、なに一つ」
「ふ、ふふふっ。そう、何一つ。……予習なしであの答えを、八歳の子供がね」
今度は両手で頬を包み込まれた。床にしゃがんだオーレリアが至近距離から瞳を合わせてくる。落ち着く色合いなのに、何故かひどく落ち着かない気分になる。
「前言撤回。貴女、面白いから私の教え子になりなさい。ついでに弟子として使ってあげる」
「え。確定なのですか!?」
「ええ、確定よ。異論は認めない。将来王妃になるかもしれない女を私が教えるなんて楽しそうだしね」
知っているのか。
まあ、我が家の使用人がみんな知っている時点で他家にも噂は広がっているだろうが。それにしても意味ありげな言い方だったような。
「あの、オーレリア様はなにか王家と関係が?」
「リディアーヌ様。この方──オーレリア・グラニエ様は王位継承権こそ保持しておられないものの、国王陛下の側室がお産みになった子。すなわち、王女殿下です」
「……な」
驚きすぎて開いた口が塞がらない。ついでに礼を取るタイミングも完全に逸してしまった。オーレリアの側にそんなことを気にする気がなさそうなのが救いと言えば救いだが。
「……わたしが習った王族のリストには載っていなかったわ」
「オーレリア様はその、少々特別な方なのです」
疑問の声にはアンナが言葉を濁しつつ答えてくれた。
「特別って?」
「簡単に言えば、王族扱いされていないの。城には住んでいないし、滅多に顔も出さない。後見人は宮廷魔法士長だしね」
「事情がおありになることは十分に理解いたしました」
「話が早くて助かるわ」
おそらく会うことはないと判断してリストからは外されたのだろう。王位継承権が無いという時点で、子供には説明しづらいくらいの込み入った事情が窺える。
後見人が宮廷魔法士長ということは魔法の才能があるのだろう。
「滅多にお目にかかれない方とお会いでき、なおかつご指導までいただけるとなれば願ってもありません」
「決まりね。それじゃあ、来週あたりから学園へ通ってもらおうかしら」
「通いですか……」
「私は学業で忙しいもの。貴女が心配してくれたように、ね?」
「……承知いたしました」
オーレリアは現在、学園の寮で生活しているらしい。いちいち通うのは手間だが、まあ王都の中なので通えないことはない。アンナと顔を見合わせ、さらにスケジュールがきつくなることを覚悟する。
「ところで、オーレリア様の属性はなんなのでしょう? わたしに教えてくださるということは火属性なのですか?」
話がだいたい纏まったところで尋ねると、オーレリアはふっと笑って「いいえ」と答えた。
「私に得意な属性はないわ」
「え?」
脳裏に疑問符を浮かべた俺はその直後、最大級のドヤ顔を見た。
「あるいは、全ての属性が得意だと言ってもいい。つまり、私の属性は」
「
とんでもないにも程がある。
主人公か何かか、と言いたくなるような設定の盛り具合に、俺は驚嘆の声を上げながらこれからの生活が少し不安になった。
「だから言ったのだ。オーレリア・グラニエに常識は通用しない。リディがどんな目に遭わされるかわかったものじゃない」
夕食の席にて、父はかなりご機嫌斜めだった。
夫婦喧嘩はいったん沈静化してセレスティーヌとも仲直りをしたようだったのだが、オーレリア襲来の一件を聞いてまたぶり返してしまったらしい。カトラリーが皿へぶつかる音がいつもより大きい。
「確かに『いかにも天才』といった感じの方だったけど」
「そんな生易しいものじゃない。天変地異にでも例えた方が適切なくらいだ」
「お姉様はそんなに危険な方に魔法を教わるのですか?」
シャルロットが不安そうに声を上げた。
天変地異。地震・雷・火事・オーレリアといったところか。急に発生した上に派手な結果を残していった辺りは確かにそんな感じではある。
アランも少々浮かない表情を浮かべて、
「魔法に関しては不世出の天才だと聞いています。また、学生の身でありながら多くの家から指導依頼を受け、悉くを断っていると」
「彼女は相手を見極める手段として質問をするのだ。そして、満足のいく答えを返せなかった者には協調も指導もしない」
「あの時、お養母さまがわたしにした質問ですね?」
「ええ」
短く答えたセレスティーヌは食事の手を止め、父の説明を補足する。
「質問は誰に対しても同じです。正解が何かは広まっていません。誰しも特権を手放すことには慎重になりますから」
「リディが合格しなければ問題はなかった。だから、私は手紙を送る許可を出したのだ」
なのに俺は合格してしまった。変な女が変な女に気に入られてしまったということだ。『って、それはどういう意味よ!?』。
セレスティーヌは表情を変えず穏やかに答える。
「リディアーヌには才能があります。その才能を活かすのに最も適した教師はオーレリア様でしょう」
「だが、リディはリオネル殿下との婚約を控えた身だ。下手をすれば王族からの心証も悪くなりかねん」
「陛下からの許可は出たのでしょう?」
「だとしてもだ。リディに一生残るような傷でもついたらどうなる」
魔法の練習には怪我がつきものだ。だからこそちゃんとした教師をつけて安全に配慮するのだろうが、その教師が破天荒では本末転倒。
「でも、お父さま? だからこそ教える相手を選んでいるのでは? オーレリアさまも貴族の子を故意に使い捨てようとはなさらないでしょう?」
「どうだかな」
吐き捨てるような言葉に、さすがに怖くなってくる。
オーレリアにまつわる「いわく」はそこまで凄いものなのか。
「教えて、お父さま。少なくともわたしにはその権利があるはずよ」
「……後悔するかもしれないぞ」
これ以上は大人数に広める話ではないと、話は食事の後、セレスティーヌの部屋へと移って行われた。アランとシャルロットは不在だ。義妹にはまだ早い話だということで、アランが敢えて残って彼女の話し相手を買って出てくれた。
しっかり用意されるお茶と茶菓子にじれったい気持ちになりつつ「それで、お父さま?」と促す。こういう時は貴族のやり方が面倒くさい。移動するだけしたら立ち話でもいいと思うのだが。
父は自身の気持ちを落ち着けるように紅茶へ口を付けてから答えた。
「オーレリア・グラニエの異名は《漆黒の魔女》だ」
「魔女、ね。仮にも王族に対して失礼だと思うけれど」
「言われるだけの理由があるからだ。……これは、みだりに口にすることではない。王城では公然の秘密として扱われている話なのだが」
俺はごくりと息を呑む。そして告げられたのは、予想以上に重い過去だった。
「《漆黒の魔女》は生まれて初めて使った魔法で実の母親を殺した。王女とはいえ、継承権を剥奪されるのは当然の罪だ」
つまり、オーレリアは初めて使った魔法によってその才能を証明すると共に、自分の運命を決定づけてしまったのだ。