TS転生令嬢は『カウンター悪役令嬢』を目指す   作:緑茶わいん

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バルト家への訪問

 バルト家の敷地内へ足を踏み入れると、つんとする独特の香りが鼻をくすぐった。

 

「リディアーヌ様、何か?」

「いいえ。なんでもないわ、ノエル。ただ薬草の匂いがしただけ」

 

 今日のエスコート役は護衛として同行してくれているノエルだ。見習い用の騎士装姿の彼女は俺の答えを聞いて若干嫌そうな表情を浮かべる。

 

「あまりいい香りではありませんね。勘が鈍りそうです」

「ノエルは花でも似たようなことを言いそうね」

「似たようなものでしょう」

 

 若干ムッとしたような返答が可愛い。女に囲まれて過ごすのはストレスだが、女の子の飾らない姿を間近で見られるのは役得である。

 同行するメイドはアンナとエマ。なんだかんだ言いつつ俺の周りにも人が増えてきた。公爵令嬢の癖に今まで少数精鋭すぎた、と言う方が正しい気がしないでもないが。

 俺は傍らに控えたエマをそっと見上げる。彼女はポーカーフェイスを維持したまま「わかっている」と言うようにかすかに首肯してくれた。今回、こまごまとした仕事は専属であるアンナの仕事であり、エマには周囲に気を配るという役割が与えられている。

 

『バルト家は我が家と深い交流を持っていない。軽挙妄動に走るほど考えなしではないと思うが、十分に注意するように』

 

 父からも前もって口酸っぱく注意を受けた。友好関係にない派閥の家というのは極端な話、敵地も同然であって、一挙一動に細心の注意を払うのが当然であるらしい。

 何かあった場合の対応は周囲の人間──アンナたちやノエルの役割ではあるものの、俺自身、注意しておくに越したことはない。自宅のメイドに殺されかけた身としてはむしろ、最悪の想定をしておくべきである。

 

「ようこそいらっしゃいました、リディアーヌ・シルヴェストル様」

 

 バルト伯爵家のメイドは十分な教育の感じられるしっかりとした対応を取ってくれる。出迎えの人数で言えばモレ家の方が多かったが、今回は俺一人が招かれているわけではない。

 屋敷の規模や家の財産で言えばバルト家の方がずっと上であることはメイドの身なりや庭に植えられた植物を見ても明らかだった。

 

「バルト家のお庭は薬草園になっているのね。お屋敷に薬師も常駐しているのかしら」

「はい。他家の方から病の相談を受ける事もございますので、迅速に処方が行えるよう薬師を雇用しております」

 

 じっくりと眺める時間はなかったものの、俺は目に入った薬草の特徴を可能な限り頭に叩き込んでおく。名前まで判別できたのは半分弱といったところか。図鑑に写真が載っていないのはこの世界の面倒な点だ。絵や解説文だけを頼りに種類を言い当てるのはなかなか難しい。

 ただ、そんな中でもわかったのは、

 

()()解熱剤は作れそうね?』

 

 別に不思議なことではない。もともと特殊な薬ではないのだ。ただ、警戒する材料の一つとして心に留めておくことにする。

 迎えのメイドたちは屋敷の正門前から中央の道を歩いた後、正面の屋敷が目前に見えたところで歩みを脇へと逸らした。

 

「あら。あちらに行くのではないのね?」

「フレデリク様とミレーヌ様は現在別館をお住まいとしておりますので」

 

 俺を招待したミレーヌ・バルトは()()伯爵夫人。フレデリクの父である現伯爵が退かない限りは()伯爵夫人ではない。引退時期に関しては家の事情や個人の意思もあるだろうし一概には言えない部分だ。

 なお、俺の父が若くして当主の地位を継いでいる件──というか、俺の祖父母がどうしているのかと言えば、彼らは公爵領に引っ込んでおり、ぬくぬくとした生活を送っているらしい。

 本来であれば孫の顔を見たいところだろう。ただ、子育てで気を抜けない時期を脱したと思ったら妹の方(俺)が手のつけられない癇癪を起こした、では会いに行くのも来るのもなかなか難しい。俺の気性がマシになったらなったで婚約とか何かと忙しいし。

 

『……意外と落ち着いた雰囲気ね? あの女の親玉だし、もっとギラギラした屋敷を想像していたわ』

 

 伯爵家の別館は、一言で評するなら「教科書通りの貴族家」といった印象だった。品の良さこそ感じられるものの、なんというか「無難」。本館ではなく別館だからなのか、それとも、思ったほど悪い人物ではないのか。

 売り物が植物、薬であるのなら美を誇る必要はなく、むしろ堅実を強調した方がいいのかもしれないし、なんとも言えないところだ。

 

「失礼いたします。リディアーヌ・シルヴェストル様をお連れいたしました」

「どうぞ。お通しして頂戴」

 

 通されたのは広い応接間だった。奥はバルコニーに繋がっており、その先にはどうやら屋敷の中庭があるらしい。そちらにも多数の植物が生い茂っているのが遠目にも感じられる。中央あたりに置かれた広いテーブルには既に三名ほどの貴族女性が腰かけていた。

 

「申し訳ございません。遅くなってしまいましたでしょうか?」

「いいえ。ようこそいらしくてくださいました、リディアーヌ様」

 

 カーテシーの後でそう尋ねれば、上座に座った貴婦人が微笑と共にそう答えた。

 深緑色の髪と瞳。エマより多少年上──ジゼルの先輩だったと考えれば間違っていないだろう──とみられる彼女がミレーヌ・バルトだろう。

 

「お初にお目にかかります、ミレーヌさま。お会いできて光栄です」

「こちらこそ。リディアーヌ様のような若い方がお茶の種類に興味をくださるのはとても喜ばしいことですわ」

 

 わざわざ立ち上がって視線を交わしてくれる彼女。第一印象としては悪いものは感じない。ただ、笑んでいながらも瞳の奥が笑っていないように思える。値踏みされている感じがどうにも落ち着かない。

 

『ふん。こいつもあの女と同じタイプかしら?』

 

 少なくとも、抜け目なく観察してくるという意味でセレスティーヌと近しいものはある。養母のお陰で気付けた、と言っていいのだろうか。

 なんとも釈然としないのを感じつつも、俺は指定された席へと腰かける。上座(ミレーヌ)に近い席は埋まっているので下座側。公爵令嬢という身分を考えると冷遇とも思えるが、年齢とゲストという立場を考えればおかしいという程ではない。

 むしろ下手に挟まれるよりは気が楽だ。何しろ他のメンバーは学園を卒業済みの大人らしい。外見の特徴からおおよその名前と家柄は推測が立つ。その推測は互いに自己紹介を交わすことで正しかったと証明された。

 

「あの、今日の参加者はこれで全員でしょうか?」

「いいえ。後もう一人──ルフォール侯爵家のご令嬢が参加なさる予定になっております」

「あら、珍しい」

「ご令嬢ということはヴァイオレット様ですの?」

「ええ。個人の招待にはなかなか応じてくださらないですけれど。……今回は楽しい催しになりそうですわね?」

 

 最後の一人は程なく──他の面々が名乗り、俺がノエルを紹介している間に応接間へと到着した。

 

「ごきげんよう、皆様。ヴァイオレット・ルフォールでございます。本日はお招きいただきありがとうございます。このせっかくの機会、とっておきのお茶をご用意いたしましたのでご期待くださいませ」

 

 それは、俺の義妹、シャルロットを「金色の妖精」とするならば「銀色の妖精」と評するべき美しさと愛らしさを備えた美少女だった。

 知識によれば、歳は冬生まれの現在九歳。学年で言うと俺と同い年だ。サファイアのような青い瞳が細く神秘的な美貌を強調しており、その姿を見た俺は思わず息を呑んで見惚れてしまった。

 こんな子、今までのパーティで見たか?

 記憶を検索した結果、見たことはあるが挨拶をしたことはない、というのが答えだった。見たというのも視界の端に映ったというレベルであって、その場でしっかりと認識していたわけではない。思い出さない限りわからなかったのも当然だ。

 と、そのヴァイオレットがこっちを見て、微笑む。

 

「リディアーヌ・シルヴェストル様ですね。お噂はかねがね。本日はどうぞよろしくお願いいたします」

「こちらこそ、よろしくお願いいたします。ヴァイオレットさま」

 

 貴族令嬢らしく応じながら、俺は次々に油断ならない傑物がやってくる貴族社会というものにあらためて戦慄を覚えた。

 

「では、会を始めましょうか」

 

 今回の催しは各々が好む「珍しい茶」を持ち寄り飲み比べる、というものだ。持ってきた茶は伯爵家のメイドに預けられ、一つずつ供される。それぞれ茶菓子も持参しており……要は最初から最後までお茶会である。冷静に考えるとあまり俺には向いていない。

 なお、俺が持ってきたのは当然青茶である。

 

「まずはわたくしのお勧めからお出しいたしますね」

 

 他の参加者もまた定番の紅茶とは違うお茶を用意してきた。紅茶と言っても銘柄は色々あるわけだが、珍しい茶と言うからにはそんなレベルの話ではない。俺の青茶でさえ「原材料は同じなわけだし、まあ普通」と言われてしまうくらいだった。

 例えば、ミレーヌが出してきたのは薬草茶。飲むとその、なんというか独特の風味が強く、いかにも健康に良さそうな味である(精一杯譲歩した表現)。前世で言うと朝鮮人参とかそう言う系のアレだろうか。飲み食いする前に胃に入れておくのには良いのかもしれない。

 なお、毒見はエマに担当してもらった。魔力量の関係もあってアンナよりは毒耐性を得やすいと思ったからだ。その上で俺自身も備えていたが、さすがにこんな場で毒殺を試みて来るような者はなし。

 俺の向かいに座ったヴァイオレットも清楚な印象を受ける控えめな所作でゆっくりとお茶を楽しんでいた。

 

 ミレーヌの知り合いたちが持ち寄ったのは豆茶やらハーブティーやら。なかなか雰囲気は変わるし、一概に不味いとも言えないが、やはり「飲みなれているお茶の方が美味しい」という当たり前の感想になってしまう。

 物の豊かな前世の日本でさえ一般的なのはシンプルなお茶で、他は健康食品的な扱いだったのだから推して知るべしだ。

 そんな中、俺の持ち込んだ青茶は口直しにちょうど良かった。癖はあまりないので他のメンバーも比較的普通に飲んでいる。

 

「こちらのお茶はどちらの特産なのかしら?」

「ええ。こちらはなんでも──」

 

 話題の中心は産地や製法、合う食べ物について。意外なほど真面目な会である。俺としても本からでは得られない知識を収集できるので普通に助かる。

 いや、家のために情報収集でやっているのだとすれそれはそうなのだが。

 

「最後は私の持ってきたお茶ですね」

 

 ヴァイオレット提供のお茶は薄めのめんつゆのような色をしていた。目立った香りはない。俺はそれを確認して「もしかして」と思った。湯気の()()()()()()、どころかひんやりとした茶を恐る恐る口に含むと、期待した味にかなり近い。

 夏に冷やして飲みたい味だ。

 

「あの、ヴァイオレット様。こちらは……?」

「はい。こちらは煎じた大麦から水出ししたお茶です」

 

 麦茶。これは貴重である。俺は胸が躍るのを感じながら少し勢い込んでヴァイオレットを見つめる。

 

「こちらが大変気に入ったのですが、購入元を紹介していただけないでしょうか? あるいは製法をご存じでしたらお教えいただけると……」

「お気に召していただけて嬉しく存じます。作るのが難しいものではございませんし、喜んでお教えいたしましょう」

「ありがとうございます」

 

 幸いにも快く了承してもらうことができ、後日、屋敷に使用人を連れてレクチャーに来てもらえることになった。

 麦茶は抽出に時間がかかるものの、一度にたくさん作ることができるはず。我が家には魔道具の冷蔵庫があり保存には困らないため、冷たい麦茶を常備しておくことが可能だ。

 ついつい笑顔になりながらお礼を言うと、ヴァイオレットからもにこやかな笑顔が返ってくる。優しく細められた青い瞳。その奥を覗いた俺は、揺らめく炎のようなものを幻視してぞくりとする。なんだ。別に悪い相手には見えないのだが、一瞬だけ捕食される小動物にでもなったような感覚があった。

 美少女だからいい子とは限らない。ただ、この子が悪人だとは思いたくない……と考えているうちに、ヴァイオレットは他の女性たちからの「私にも教えて欲しい」という依頼を「個別に対応いたしますね」と上手くかわしていた。

 一人の女が「上手く行かなかったか」という顔をする。

 複数人からの要請。手間を省きたいなら公爵家に集まってもらうという手もあった。むしろそれが狙いだった可能性もある。だとしたら顔に出してしまったのは失敗だが、

 

「皆様。少しお茶を飲み過ぎてしまいましたし、中庭を散歩いたしませんこと?」

 

 ミレーヌが良いタイミングで話の流れを転換してくる。

 ある意味、渡りに船とも言える提案。麦茶に気を取られていた俺はここに来た目的──あの手紙についてなんとか探りを入れることをあらためて脳裏に思い浮かべた。




※ヴァイオレット イメージ画像(nobelAI製)
【挿絵表示】

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