TS転生令嬢は『カウンター悪役令嬢』を目指す   作:緑茶わいん

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公爵領への出発

 若干早めに前倒された春の分の採寸(このデータは次の秋用のドレスに用いられる)を終えた後、シルヴェストル公爵家の兄妹はほとんど日を置かずに公爵領へと出発することになった。

 出発前に屋敷前および庭へと停められた馬車の数は軽く十台以上。同行者の人数はメイドだけでも片手では数えられず、護衛の兵は三十近い人数。さらにいざとなれば御者も戦闘要員となる上、見習いとはいえ騎士であるノエルも同行する。

 

「おはようございます、リディアーヌ様」

「おはよう、ノエル。今日はいつもと違う格好なのね?」

「移動用です」

 

 旅用の略式装束もなかなか似合っている。「凛々しくて格好いい」とノエルを褒めてから、彼女の傍らに佇む雄馬に目をやった。黒の交じる茶色の毛並み。瞳の輝きはどことなくやんちゃ坊主感がある。

 騎士であるノエルは馬車に同乗すると何かあった時に対応しづらいということで馬で移動する。乗馬は子供の頃から練習していたし、騎士団の訓練内容にも含まれているらしい。

 

「この子はノエルの馬なのかしら?」

「はい、ギーと言います。触らない方がいいですよ。私以外には懐かないので」

「あら? そうなの? なんだか歓迎されているようだけれど」

 

 こっちに来い、とばかりに鳴かれたので近寄っていくとすりすりと頭を擦りつけられる。撫でてやれば嬉しそうに鳴かれた。

 それを見たノエルは目を丸くして、

 

「兄達や他の騎士団員には反抗的な態度だったのに」

「この子、単に女好きなんじゃないかしら」

 

 少し離れたところにいるアランには目もくれないが、その隣にいるシャルロットには「こっちに来ないかな」と流し目を贈っている。しかし、義妹は馬が怖いのか近づいてこようとはしない。

 

「お、お姉様。そんなに不用意に近づいては」

「大丈夫よ、シャルロット。動物は人間の男よりよっぽど紳士的だわ」

「……まあ、それはリディに同意するけれど」

 

 アランが遠い目になりつつ苦笑する。なんだろう、男に幻滅する瞬間でもあったのだろうか。彼の名誉のためにも深く掘り下げるのは止めておこうと思う。

 ノエルは不満そうに頬を膨らませて、

 

「ギー? 貴方、ちょっと調子が良すぎない? お母様には大して懐かなかったのに」

「若い子が好きなんじゃない?」

「……できれば知りたくありませんでした」

 

 その気持ちには同意できなくもないが、目を見て「ノエルをお願いね」と話しかけると「任せておけ」とばかりに鳴いてくれた。ちょっと可愛いと思ってしまう。人間、自分に懐いてくれる動物にはどうしても甘くなるものである。

 

「ほら、シャルロットも撫でてみたら?」

「わ、私は遠慮しておきます」

「馬車だって馬が引いてくれているのに」

 

 貴族令嬢にとっての馬車は箱型の車内でのんびりするためのものなのであまり馬には目が行かないのだろう。

 いっそ自動車ならぬ魔動車でも作ってやろうか、などと考えつつ、俺はアランやシャルロットと共に一台の馬車へと乗り込んだ。

 車内は詰めれば六人くらい座れるものの、生き物の引く馬車にとって積載重量の違いは重要だ。同乗するメイドは一人のみということになり、それにはエマが選ばれた。

 

「よろしくね、エマ」

「はい。任命された以上は全力で務めさせていただきますが……どうして私なのでしょうか」

「誰の専属でもないから公平だし、有事の際にも冷静に対応できそうでしょう?」

「…………」

 

 ここで「実質リディアーヌ様の専属では」などと言ったら墓穴を掘るからか、エマは何も言わずにこの状況を受け入れた。

 

「皆様、公爵領までは長旅になります。はしゃぎすぎて体調を崩されませんよう」

「は、はい、気をつけます」

「ふふっ。シャルロット? エマは表情が変わらないだけで優しいからあまり緊張しなくていいのよ」

「申し訳ございません、シャルロット様。私は笑顔が苦手でして」

「そ、そうなのですね。……お姉様は常識に捉われない考え方ができて、やっぱりすごいです」

「シャルロット? そうやってすぐわたしを褒めようとするのは悪い癖よ? あなただって十分すぎるくらいにすごいんだから」

 

 馬車は一応、俺とアラン、シャルロットそれぞれに専用というか、個人が専属と一緒に寛ぐ用の車が用意されている。休憩中に利用したり、場合によっては車中泊ができるようにという配慮だが、出発時に三人一緒にされたのも不安を和らげるための配慮だろう。

 おかげで俺たちは雑談をしながら馬車が動き出すのを待てばよかった。ようやく前の馬車が動き出したら、既にさんざん別れを惜しんだ両親に手を振ってさらに挨拶をしながら、公爵家の屋敷を後にした。

 しばらくは王都の街並みを走って、それから街道を走ることになる。

 旅人や商人が移動しやすいようにと国費を投じて整備された道だが、石畳になっているのは王都近辺の主要な道だけ。それ以外は馬車がすれ違える幅+αから草や大きな石を取り除いて平らにならした程度。

 公爵家の馬車が快適に設えられた最新型とはいえ、道の方がその状況ではおそらくかなり揺れるだろう。

 車を引いているのが生き物である以上、休ませるための小休止は必須だし、街灯も何もないため夜を徹して走るのも危険。

 

「……確かに、これは長旅になりそうね」

 

 若干憂鬱になりつつ俺は呟いて、

 

「あら、平民街はこんな風になっているのね……!」

 

 格好をつけた態度は残念ながら長くもたなかった。

 王都の中でさえ、行ったことのない場所がたくさんある。馬車の中から街の様子を眺めるだけでも十分に目新しい。

 ゴミ一つ落ちているだけで目立つくらい綺麗な貴族街と違い、平民街はかなり雑然としている。

 人の通行が多いし、人々の纏っている服は簡素なものが多い。大通りには酒場や商店なども多いようで、呼び込みをする商人の声も窓越しに聞こえてくる。

 

「リディアーヌ様。決して窓は開けないようにお願いします」

「わかっているわ、エマ。だから、このまま外を覗く分には構わないでしょう?」

「あまり目立っていただきたくはありませんが……仕方ありませんね」

 

 いかにも高そうな馬車。十台以上からなる大所帯。周りを固める兵の数。既にこれでもかと目立っているので俺が顔を出したくらいでは誤差だろう。

 

「お姉様、あまりはしゃぎすぎない方が」

「でも、シャルロット。こんな風景めったに見られないのよ? ほら?」

「あ……っ。本当に、お屋敷の周りとは全然違います」

 

 俺に促されたシャルロットも控えめながら窓の外を覗いて歓声を上げる。それを見たアランは苦笑いだ。

 

「リディのお転婆は知っていたつもりだけど、こういうのは新鮮だな」

「お兄さまも格好つけてないで見聞を広めたらどうです?」

「ここからでも見えるさ。それに、あまり刺激しない方がいいかもしれない」

「……ああ、そうですね」

 

 道行く平民の多くはこっちへ視線を向けている。その中のいくつかは明らかな恐れを含んでいる。

 捕縛された純血派のうち何人かは公開処刑となった。これ以上情報を持っていないと判断された人間を用いた見せしめ。俺は見ていないがかなり凄惨な光景だったらしい。見た者はもちろん、話を聞いただけの者も「貴族に牙を剥いたらどうなるか」あらためて思い知ったはずだ。

 ただ、処刑によって「貴族は恐ろしいもの」という認識が広まってしまった。目が合っただけで殺されるかもしれない、とか思っている者がいてもおかしくない。

 幸いなのはあからさまに怒りを向けてくる者がぱっと見ほとんどいないことだが──騎士団による強制捜査が実行中なのを考えるとまだ悪化するかもしれない。

 普通にしている分には貴族だって何もしない、ということをわかってもらうのはなかなか大変かもしれない。

 

「シャルロット。平民の服装もよく見ておきましょう? 彼らの着ている服だって綿や革から出来ているんだもの。平民向けの服を発案することでも事業に貢献できるかもしれないわ」

「そうですね、お姉様。……あれ? そういえば、平民の服はどうやって作っているのでしょう? こんなに多くの方々がそれぞれ職人を招いていては大変ですよね?」

「平民は職人を招いたりしないんだよ。自分から出向いて発注するか、店で既製品を買うか、そうでなければ自分で作るかじゃないかな」

「職人でもない方が服を自分で作るのですか……!?」

「だからデザインが簡単になるのよ。難しい形でなければ作りやすいでしょう?」

 

 平民街には古着屋も多い(らしい)し、ちょっと破れたりほつれた程度なら繕って直してしまう。その際にあて布をすることも多いので、平民の服はつぎはぎっぽくなっていたりするのだ……なんていう話をしているうちに門へさしかかり、王都の外へ出た。

 

「さあ、ここからが本番ね」

 

 初めて会った時、リオネルへ偉そうなことを言ったものの、俺もこれが初めての遠出。窓から外を覗いて周りの景色がどうなっているか、どんな草や花が咲いているかなどを目に焼き付けていく。シャルロットも「人がいないから怖くない」と思ったのか積極的に風景を観察し始めた。

 アランは俺たちの様子を微笑ましそうに見ながら本を開き始める。

 

「お兄さま、読書なんてもったいないわ」

「道が悪くなったら本なんて読んでいられないだろう? それに、王都の周りは植物も動物も少ないからね」

「確かにそうですけど」

 

 シャルロットと顔を見合わせて「この感動がわからないのか」と首を傾げる。アランだって初めてだろうに……と思ったら、彼は乗馬の訓練で外に出たことがあるらしい。

 

「お兄さまの裏切りもの」

「ひどいです、アランお兄様」

「二人して何を言いだすんだ……!」

 

 慌てるアランをよそに、俺たちはせっかくの景色を目に焼き付けようと一生懸命に外を見た。

 十分もしたら飽きた。

 

「……まあ、景色なんてそうそう大きく変わらないわよね」

「だから言ったのに」

「リディアーヌ様、シャルロット様。あまりはしゃぎすぎませんよう」

 

 ここぞとばかりに釘を刺してくるクール勢。抗議したいのを堪えて座席に腰を下ろし、少し落ち着くことにした。座席はクッション性に優れた造りになっている。おまけに俺とシャルロットはクッションまで敷いて尻が痛くならないように対策は万全だ。

 

「なにか車内でできる遊びをしましょうか。なにがいいかしら。……目隠しチェスとか?」

「リディ。殿下のお相手は大事だけど、あまりあの人の趣味に引っ張られ過ぎなくていいんだよ」

「お姉様。チェスと言っても、ここには盤がないのでは?」

「盤を思い浮かべながら口頭で宣言しあうのよ。間違った宣言をした場合もその人の負け」

 

 目隠しチェスは俺の得意分野である。魔法で記憶再現できるので、最新のイメージをアップデートしていくだけでいい。普通に脳内でチェスができるような超格上の指し手相手でない限りはかなり勝てる。

 

「どうかしら、お兄さま?」

 

 若干挑戦的な表情で兄に尋ねると、普段は物静かな彼が僅かに強気な表情を浮かべる。

 

「知略の遊戯ならさすがに負ける気はしないな。負けても泣かないね、リディ?」

「もちろん。お兄さまこそ後悔しないことね?」

 

 シャルロットには審判をお願いする。盤の状況を正しく確認し、誤りを指摘できる立場なのでこれも意外と面白いはず。

 

「でも、私、全部の駒の動きなんて覚えられません」

「シャルロット様、こちらに簡易盤のご用意があります。こちらをお使いください。リディアーヌ様とアラン様には隣り合って座っていただき、私とこちらで確認いたしましょう」

「あ、こんな盤があるのですね……!?」

 

 穴の開いた板に平べったい駒を嵌めこんで使う携帯用だ。馬車内などで個人練習するために以前作った。文庫本みたいに立てた状態で覗き込むのが前提の造りなので、この盤で普通に対局をするのは少々難しい。

 

「わかりました。そういうことなら私が審判を務めます……!」

 

 この目隠しチェスはなんだかんだ言って結構盛り上がった。俺vsアランが終わった後も盤を見ている状態のシャルロットvs目隠しの俺(orアラン)などの組み合わせであらためて始めたりして盛り上がった。


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