帝國の書庫番   作:跳魚誘

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人を知るは難きこと。自らを知るもまた、難きこと。


帝國の書庫番 丗二幕

忙しい年始の行事が一段落した、月の半ば。東郷あまねは卓の傍に座って急須を傾ける。薄緑の液体が湯気と共に滑らかに溢れ出し、何度か行き来したうえで二つの湯呑みに納まった。白い湯気の向こうに目を向けると、いつもと同じ絣の着物を纏った背中が見える。もう傷は塞がり包帯も取れたが、念の為と言って仕事を休んでいる。寒空の下で縁側に座ってぼんやりとしていたり、新聞を読んでいると思えばいつの間にか座布団を枕に眠っていたりする。だらしのないのは間違い無いのだが。

怪我をして帰って来た孝晴を家に入れた後、着替えた後の文官服を持って文書館に届出に行ったのはあまねである。初めは孝晴の姿に驚いたが、血染めの文官服を見るにつれ、あまねは奇妙な感覚を覚えた。あまねは剣や銃の扱いを学び、男衆に交じって鍛錬を積んだ。負傷の手当も何度も行ったし、流血の沙汰も経験している。頭を打つけて切ったなら、確かに傷口の大きさ以上に血が出る。額に大きな瘤を作った者の顔に、日が経って痣が降りてしまった様も見た。何方も鍛錬には付き物の傷だ。けれど、受け取った文官服は胸から上の部分が赤黒く染まり、布を固めてしまっていた。前後不覚になって転んだというなら、太田家の執事に発見されるまで時間は掛かったのかも知れないが、それにしても出血量が多くはなかっただろうか。包帯を替える手伝いもしたーー孝晴は嫌そうな顔をしたが拒絶はしなかったーーが、打身と切り傷で出来た内出血の痕が、あそこまで大きく広がるものだろうか。

 

『あまねよ、お前はよく出来た娘だ。東郷の女として、当主の姉として、よく是迄励んで参った。相手が有坂であっても、お前ならば家を護って行けよう。善く主人に尽くし、陰となって支えよ。お前になら出来る。』

『あまね。武家の女は、家の為に尽くさねばなりません。有坂家の御三男は、残念ながら兄君方のような立派な御仁とは言い難いようですが、それであっても夫を支えるのが妻の務め。夫の不始末は妻の不始末と心得なさい。孝晴様が噂通りの自堕落な方であるなら……貴女が治して差し上げるのですよ。』

 

父母の言葉が蘇る。物心ついた時から、あまねは将来の為に教育を受けて来た。父母は厳しかったが、その分あまねを大切にしてくれた。そんな父母の期待に、あまねは常に応えて来た。父母の教えは正しく、それに従う事が一番の孝行であったから。

あまねは思考から戻ると、孝晴に近付く。孝晴は障子を開け放って縁側に座って新聞を開き、寒そうな素振りすら見せない。背中越しに見えた頁には、ここ最近記事を賑わせている実験の話が載っていた。透視だとか、念力だとか、千里眼だとか。貴族の男子が、そんな妄言で作られた娯楽を間に受けているのだろうか。分からない。気配も無く背後に現れた孝晴の、全てを拒絶するような真っ暗な目が、脳裡に焼き付いて離れない。

「孝晴さん。」

「ん。」

直ぐに声が返って来た。孝晴は、まるで平民のように砕けた話し方をする。この放蕩息子の姿は、彼の表なのだろうか、それとも裏なのだろうか。……本当の有坂孝晴が、今迄に自分の前に現れた事があるのだろうか。

「お茶が入りました。中で温まっては如何ですか。」

「わぁった、そうする。」

互いの遣り取りがぎこちないのは、あまね自身も理解していた。立ち上がった孝晴も、あまねにちらと目を向けただけで、さっさと横を通り過ぎて部屋に戻ってしまう。孝晴の後を追い、卓を挟んで座る。茶碗の隣で二人を待つのは、西都から仕入れた干菓子だった。将来の為には近場で手に入る安価な菓子を使いたいが、女中が気を利かせて持って来てくれるのを断るのも忍び無い。孝晴は男には珍しく甘味を好んで憚らないが、これは直した方が良いのだろうか……。孝晴が茶碗を手に取るのを見てから、あまねも碗を持ち上げる。鼻から抜ける茶の香りに思わず小さく息を吐いたあまねの前で、茶碗を眺めていた孝晴の顔に微かに笑みが浮かぶのを見て、あまねは内心どきりとした。何か粗相があっただろうか。孝晴もあまねの表情の変化に気付いたのか、あまねが尋ねる前に口を開く。

「味が違うな、お前さんが淹れたのが分かる。」

「申し訳ありません、教わった通りに淹れたつもりだったのですが。」

「んにゃ、そうじゃねェ……俺にとっちゃ、新しい味だ。」

「……そうですか。」

何と言ったら良いか分からずそれだけを返したあまねの前で、孝晴は干菓子をひょいと摘み、茶を喉に流し込んで茶碗と小皿を一緒に空にすると直ぐに立ち上がる。そして部屋を出ようと体の向きを変えた所で、ふと、あまねに顔を向ける。

「ごっそさん。」

あまねは目を瞬いた。その間に孝晴は部屋から出て行ってしまう。片付けをしたら、婚姻後の住まいの話などを相談したかった事を、あまねは思い出した。

「ちょっと、孝晴さん……!」

慌てて後を追おうとしたが、あまねは首を振って息を吐いた。孝晴は、気配を消して何処かへ逃げるのが上手い。最近あまねにも解って来た。屋敷の造りを利用しているのだろうが、鰌(どじょう)のようにぬるりと消えてしまうのだ。そういう時は、何処を探しても見つからない。諦めて二組の皿と茶碗に目を向ける。先程、孝晴は確かに、あまねに「礼」を言った。妻は夫に尽くす事が当たり前である筈なのに。あまねから逃げている癖に、拒否はせず、ご馳走さん、と言葉をかけた孝晴。余計に有坂孝晴の人となりが分からなくなった。

「……なんなのですか、もう。」

あまねは独言ると軽く頬を膨らませ、今度こそ食器を持ち上げると炊事場の方へ出て行った。

 

有坂孝晴が街中を歩けば、人々の視線を集めるのが常である。しかし、今向けられる目は、此迄とは質が違った。半分は醜聞を揶揄う目、そして半分は未だ顔に残る痣を奇異に思う目だ。顔の皮膚の下に血が入り込み、暫く鈍痛はあったものの、今は痣も薄くなって黄変し、既に痛みは消えている。髪も結って包帯も取ってしまったが、それでも元の状態を知らぬ者からしたら酷いものに見えるのだろう。

孝晴があまねを置いて離れを抜け出した後に向かったのは、勤務地である公文書館に隣接する帝國圖書館である。目的は収蔵している過去の新聞である。ここ最近の新聞は休養中に読んだが、その前――あまねが有坂家で暮らし始めた日から撃たれる前まで、それから撃たれて数日の分――に、確認したい内容があった。部署は異なれど同じ公職に就いている孝晴は、閲覧料を支払う事なく入館出来る。手続きだけ済ませて目的の資料を手に入れると、特別閲覧室を借りて半刻も経たずに資料を返却した。当然、その時間で全ての頁を覚え込んでいるのだが、職員はそんな事を知る由も無い。圖書館を後にした孝晴は、その足で自身の職場に向かった。いつもと同じように各々仕事をこなしていた書記官達は、戸を引く音に頭を上げ、そして目を丸くする。

「一等書記……!?復帰はまだの筈では……。」

「そうさな、もうちっとばかし休ませて貰う予定だぜぃ。今日は様子見に来ただけさね。」

驚きの声に応えつつ、孝晴は自席に目を向ける。其処には一人の若い男が座していた。彼は立ち上がると、孝晴に向けて礼をし、そして目を細めた。

「傷の具合は良くなっておられるようですね、有坂書記。」

「お前さんが第三室(此処)を見てくれてんのかィ、霧生。ご苦労なこった。」

若者の名は霧生立夏(きりゅうりっか)と言い、第三書記部内の第五室に務める一等書記である。つまり孝晴と仕事上の立場は同じであり、更に爵位は持たないにしろ、彼の父親は軍医中佐だ。同僚として遠慮せずともよい立場ではあるのだが、十九と歳若い為か、はたまた有坂家への感情故か、孝晴に対して慇懃に振舞う。長く伸ばして結った髪が肩から前に落ちたのを左手で軽く払うと、霧生立夏は若者らしく輝く切れ長の目を細めて笑みを浮かべた。

「其程の労苦ではありませんよ。困った時はお互い様とも言います。……ところで、許嫁のお嬢様と、諍いがあったとか。確り養生出来ているのですか?」

声を潜めて尋ねられた後半の文言に、孝晴は苦笑を返す。あまねと喧嘩した事を怪我の隠蓑にしたのは自分なのだから、顔を合わせれば尋ねられるのは当然だ。

「まあ……今の所、問題は無ェ……そのうち復帰はする、コレが消えりゃあな。」

内出血の痕を指差して見せれば、立夏は「一応大丈夫そうですね」と呟きくすりと笑った。

「何だィ、笑いやがって。」

「いえ、失礼。僕の知る有坂書記が戻って来たなと。」

「へェ?お前さん、そんなに俺の事を知ってたのかィ。」

「ええ、勿論。」

当然の如く返された返答に、孝晴は面食らう。この青年と自分には、同僚という以上の接点は無い。是迄もそれより深く関わった事は無いし、寧ろ仕事を抜け出しがちな自分は、彼の他の同僚よりも関わりが薄い筈なのだが。

「ご自分で思われているよりも、貴方は耳目を集めているんですよ。」

「……。」

孝晴は僅かに目を細めた。霧生の返答は、当たり障りのないものだ。しかし青年は直様口端を上げる。自分の口から出した言葉を、嘲笑うかのように。

「それに、いずれ僕も、貴方に助力をお願いする事になりそうですしね。困った時はお互い様、と言う事で。」

「そうかィ。俺も覚悟しとかなきゃならねェなァ。」

へらりと笑って返して見せれば、今度は霧生が一瞬目を見開いたが、彼は直ぐに表情を整える。普段は自身が使っていた机に目を向ければ、丁寧に処理された書類の表紙が見え、仕事自体に問題は無さそうだ。だが、明らかに孝晴に疑心を生じさせようとするその態度は、警戒を抱くには充分だった。何せ、自分は狙撃されているのだから。孝晴の目線を追った霧生は、安心させるかのように微笑んだ。

「若輩の僕が代わりでは不安になるのも分かりますが、仕事に関しては、なんとかなっておりますよ。確認は部長が行ってくれますし、ご安心ください。」

「そうさな、入れっぱなしの私物だけ取らせてくれるかィ?」

「勿論。」

机に近付き、引出しを開ける。孝晴の「記憶通り」の中身が其処にあった。特に中身が無くなっている事も無いようだ。多少の位置のずれも、引き出しを開け閉めすれば起こる程度のもので、漁ったと言える程の乱れではない。そう結論付けつつ、孝晴は飴の袋を取り上げる。

「急に邪魔したな、あとちっとばかり、頼むぜぃ。」

中身がからころと音を立てる袋を玩びながら、孝晴は部屋を後にする。残された青年は、穏やかに微笑みながらその背を眺めていた。

 

國内に在りながらもその様は外ツ國の商業通り。歩む人影も異人ばかり、旭暉人の姿は疎らだ。その疎らな旭暉人の一人である多聞正介は、手にした紙切れを片手に通りを歩く。子綺麗ではあるが着こなしは浪人のような風体の彼の姿は、邏隊員に対するものとは異なる警戒を喚起するようだ。顔に目立つ傷があるのも影響しているかも知れない。あからさまではないものの距離を取ろうとする異人達の中で、正介は罰が悪そうな顔をしながらも先へ向かった。

通りに面した一軒の仕立て屋に入れば、ふんわりとしたフリルのついたドレスで着飾った金髪の少女が、直ぐに正介を見付けて駆け寄り、そのまま手を引いて店の奥にある階段から二階へ上がってゆく。大人しく着いて行った先で小部屋に入り、その扉が閉められると、漸く二人は息を吐いた。

「やっぱ異人街は慣れへんわ。」

「でも、僕が正介さんの下宿に出入りしたら、一発で顔を覚えられるでしょうからね。」

「そら、こない美少女、異人にもようけおらんさかいな。」

「違いますよ。」

少女は両手を背に回し、慣れた手付きでドレスを脱ぎながら、にっこりと微笑む。

「僕は歴とした『美少年』です。」

「よう言うわ!」

そう返しつつも、正介自身も、目の前で簡素なシャツとズボンに着替えた少年が、その言に恥じない美貌を持つ事に異論は全く無かった。

 

「はぁ〜、こらえらい集めたな。ほんま偉いもんやで、『ユーリ』。」

壁一面に何処だか分からない地図やあらゆる言語の新聞の切り抜きが貼られ、本棚や文机の上にはこれまたあらゆる言語あらゆる内容の本が並んでいる、少々手狭な部屋。床に座り込んだ正介は、目の前に拡げられた地図や書類を眺める。詳細に印や注意書きが付された帝都の地図は恐らく手書きだ。旭暉のものだけでなく、異國語の新聞までが切り抜いて綴じられた冊子、時間と場所を記した街中での会話収集の記録も、丁寧に拡げられ並んでいる。ユーリと呼ばれた少年は、苦笑しながら床に片膝を立てて座った。

「文机以外に卓があれば良かったんですが、生憎そこまで豪勢な暮らしはしていないんですよね。」

「かまへんかまへん!こない量乗る卓なんて、邏隊の応接間にすらあらへんで。」

笑って手を振る正介であったが、直ぐに表情を引き締める。

「気付いとるか?ユーリ。」

「切裂事件ですね?」

当然のように返すユーリに頷き、正介は新聞の切抜きと、会話記録を同時にめくってゆく。そして、年末に近い頃の日付の頁でその指を止めた。

「この先や。」

その頁の新聞には、首無事件――自称「念写」の能力を持つ男が、自身の屋敷で惨殺された事件――の報道が記されていた。そこから先の頁は、中身を確認しながらゆっくりと頁をめくる。ユーリは黙ってその指先を見詰めていた。そして、纏められた範囲で最後の頁をめくり終えると、正介はユーリの顔を見る。

「首無事件が起きてから、切裂の記録がぱったり無くなりよった。」

「……ええ、その通りです。『あんな手紙』を書かれては、異人と旭暉人の関係が悪化しますからね。それは僕にとっても重大案件です。調査も普段以上に行なうようにしましたが……消えたんですよね、切裂が。人の噂の中身も、猟奇事件に取って代わられました。まるで『塗り変わった』かのように』。」

そう言うとユーリは、会話記録を数頁戻らせる。

「この日の『そう言えば、あの件最近聞かないね』以下の会話とか……今までには出ていた『新たな被害を示す会話』が無くなったんです。切裂被害はこれまで、地域を限定しなければ、数日も開かずに起こっていた筈なんですよ。それがここまで一息に消えてしまった。両者に何らかの関連があると考えざるを得ません。」

正介も頷く。有坂孝晴から提供された、太田家への脅迫文とも取れる手紙。その存在を、正介はユーリに明かしていた。異人の動向を知るには、万華の諜報任務を担当しており、尚且つ異人街で暮らしている「浅葱」――ユーリに対し、「個人的に」協力を持ち掛けるのが、最も効率的だ。

「浅葱」は万華の為――万華を統括する「深緋」の為に情報蒐集を行う性質から、「深緋」の右腕的立ち位置にもあるゆえ、「深緋」の身辺を探る正介の監視役も引き受けたのだろうが、正介は監視されている事を特に気にしていなかった。彼は記録上最年少で万華に入隊した俊英であり、年が明けて十六になったばかりであっても、万華の隊員としては、既に正介よりも二年以上長く勤めているのだ。万華の誰に対しても中立的に接する彼を、信頼しない理由は無い。

「あの手紙の話聞いてから、俺も周りで話出る度に気にしててんけどな。やっぱお前もそう思うか……せやけど、布きれと首は、切る為の技術が全然ちゃうやろ。」

「そうなんですよね。そもそも、人を殺して首を切って隠す事と、他人の衣服に傷を付ける事に、共通項が無いです。」

ユーリは応えて、ただ、と続けた。

「首切の犯人は、帝都内に拠点を持っていると思われます。切裂が、これだけ帝都内の至る所で起きているにも関わらず、帝都外での被害は無いので。首切の為の何らかの下準備……何がどう関係するのかは全く分かりませんけど……を、切裂によって行ったのなら、今後首切も帝都内で起こると考えるのが妥当でしょうね。」

「せやな……異人街はどないなってる?武装権を求めるて話あったやろ。」

「……自警団の組織を申請しています。許可を受けた者のみが武器を扱う形であれば、管理もし易いだろうと。現在の状況で異人が武装するのは、帝都の旭暉人の不安を煽る事になりますし、不要な疑いを持たれる事になってしまう。しかし、切裂の所為で、異人街にも同じ不安が起きていますから……それを和らげなければならない。武装はあくまでも自衛の為、旭暉を通してそれを認められた上ですべきだと、説得しましたよ。それでも、異人に対する当たりは強くなるでしょうけれど……周知して理解を求めるしかないですね。」

ユーリは少し眉を下げると、苦笑を浮かべる。正介も頷いた。

「落とし所として、妥当やと思うわ。大変やなぁユーリも。」

「実際に申請が通るかは別の問題ですけれどね。ま、何もしないと不安が膨らむだけですから。」

そう言って息を吐いた後、ユーリは改めて正介に目を向ける。

「実は、太田公爵にもかなり助けていただきました。」

「ほう。」

「あの方は、異人と旭暉人を隔てなく扱い、双方に手を取り合わせる事が國益に繋がると信じていますから。異人街の自治組合にも積極的に顔を出してくださって、先の話にも賛成してくださいました。政府への交渉は自分も協力するから、と。」

「偉いおっさんやなぁ……あ、別にアレや、馬鹿にしてる訳とちゃうで!」

「それくらい分かりますよ。」

ユーリはクスクスと笑い声を立てたが、ただ、と続けた。

「以前は執事を帯同していたんですが、最近は来ていないんですよ。他の仕事を任せていると言っていましたが……僕は違うと感じました。家中で何かあったのかも知れませんね。」

その言葉は、自分達の為に尽力する恩人に対するものとしては、余りにも淡々としていた。ユーリは誰に対しても中立で、分析に情や関係性を挟まない。その性質が、彼を「浅葱」たらしめているのだと正介は知っていた。彼は万華に入った理由を「家族の為」だと言っていたが、彼が一体どのような働きをしているのか、その家族が知る事は無い。

階下に僅かに意識を向けた後、正介は改めてユーリの顔を見ると、息を吐いて言った。

「なあ……因みになんやけど、『顔無事件』の方は、なんや分かることあったか?」

 

 

(やっぱり、新聞に切裂の件の進展は載って無ェ。年末からの猟奇事件で話題が持って行かれちまったのか、それとも――切裂が、首切りに『変わった』か。街中を歩けてりゃあなァ……ツイて無ェ。)

頭に入れた新聞記事を思い返しながら、孝晴はごろりと寝返りを打った。あまねには未だ気付かれていないが、離れじゅうをくるくると動いて家事に炊事に鍛錬にと忙しくしている彼女の事だ、ここでだらけていれば直ぐに見つかるだろう。今度は別に隠れるつもりもない。自分の我儘は先に通したのだから、次は彼女に付き合ってやらねばならない。四辻の菓子を帰って直ぐに食べたため、晩餐まではなんとか体を保たせられるだろうか。ぼんやりと壁を眺めながら、ふと孝晴は、自身の思考を思い返して苦笑する。

(俺が『ツイてた』事なんて、あったのかねェ。そもそも、こんな化物(ばけもん)に生まれた時点でツイて無ェやな。)

自分がこんな体で無かったならば、兄を殺しかける事も無く、他人との違いに悩む事も無く、師を殺す必要も無かった。けれど。

(……お蔭で、お麟と、理一が居ンだよな。)

自分がただの「有坂の三男」であったならば、理一とも今のような関係は築けなかったのではないか。麟太郎に至っては、出会う事すら無かっただろう。自分の存在は認められなくとも、彼らの意思と強さは、認めざるを得ない。そんな事を考えているうち、菓子を食ったからか、はたまた常の習慣故にか。孝晴はいつの間にか眠りに落ちてしまった。

 

午後の鍛錬を済ませて水を浴びた後、有坂家の書庫から何冊か本を見繕って戻って来たあまねは、畳に寝転がって眠っている孝晴を見付けた。卓と座布団の位置関係はそのままに、座布団に頭を乗せて寝転んでいるものだから、寝返りを打ったら卓にぶつかりそうだ。部屋の中は暖めているとはいえ、着物も大きく肌蹴てだらしないことこの上ない。畳に散るままにされた艶やかな長い髪を見て、あまねは自分が髪を切った日の事を思い出した。弟が物心ついた頃、あまねは当主の姉として一層励むようにと父に命じられた。その言葉を深く受け止めたあまねは、決意を忘れぬ為にと侍女を呼んで髪を切らせたのだ。母には嫁に行く女子(おなご)が短髪ではと困り顔をされたが、父は立派だと褒めてくれた。そうしてあまねは、東郷に相応しい女であれと、ずっと自分を律して来た。それに比べて、何と無防備な寝顔だろう。軽い寝息を立てて眠るその表情には、警戒心などまるで見えない。あんな昏い目など、何処かに忘れて来てしまったかのよう。あどけなさすら感じるその寝顔を逡巡しながら眺めていたが、やがてあまねは軽く頬を膨らませた。

「……もう。」

一言呟いた彼女は、それ以上何も言わず、静かに障子を閉めて去って行った。

 

 

「それ、僕に聞きます?仮にも邏隊員なのに。」

「護衛官なんて、普段はただの警備員やで。」

溜息を吐きながら応えた正介に、ユーリは苦笑する。そうは言っているが、帝宮護衛隊の任務が「ただの警備員」ではない事くらい、当然ユーリも知っている。

「葵子さんに、頼まれたんですもんね。」

「せやけど、何も出て来ぉへんねん。目撃者もおらへん、俺はそう簡単に郊外の学校なんて行けへん、そもそも捜査担当やあらへんし、なんとか資料見させてもろて第一発見者には話聞いたけど、思い出しただけで吐きよったわ。」

「……。」

笑みを消して頭をがしがしと掻く正介に、ユーリは目を細めた。

「被害者の谷中ツネさんについては、少々情報がありますよ。」

ユーリがそう言うと、正介は目線だけを彼の顔に向けた。その表情に驚きの感情は無い。それを期待してユーリを引き込んだのだから、当然だろう。全く、ふざけたようでいて油断ならない人だと内心苦笑しつつ、ユーリは続ける。

「谷中家は、ごく普通の、一般的な、帝都の周辺で農作物を育てて売る……学友達と同じ、何の変哲もない一般市民の家です。家族構成は祖母と両親に娘が二人、息子が三人。ツネさんは歳の離れた二女ゆえ、兄弟の世話などに余り縛られず、自身の夢を追っていたようですね。役者になりたいと周囲に話していたそうです。確かに、大変な美少女と近所では評判だったようですよ。女性が役者として大成出来るかは別の問題ですが……それは置いておいて。そんな夢を臆せず語る程には男勝りと言うか、意志の強い所がありつつも、愛想も良くて、可愛がられる娘だったようですね。葵子さんのような『変わった子』にも、積極的に話しかけていたと。僕が調べた限り、恨みを買うだとかは無さそうでした。可能性があるとすれば、性的な狙いでしょうけれど。同窓でも、彼女に恋心を抱いていた少年は多そうでしたからね。」

「……俺にも流れて来ぉへんかったのに、どうやって知るん?」

「『子供』には『子供』のやり方があるんですよ。」

悪戯っぽく笑って見せるユーリ。正助は曖昧に笑みを返すと、真顔に戻る。

「多分そっちの理由や無い。遺体に『そういう』暴行の痕は無かったてのは、資料で見た。」

「成程……。発見されたのは防火水槽の中ですよね。」

「洗い流しても、痕は残る。」

ユーリの言わんとした事を察して言葉少なく否定すると、正介は膝に頬杖をついた。

「惨(むご)いもんやで。」

その一言に滲む静かな怒りをユーリは感じた。勿論、邏隊だけでなく警兵も動員されて調査が行われているが、現状、下手人に繋がる情報は出ていない。面識のある人間からも逮捕者が出ないという事は、ありとあらゆる種類の人間が集まるこの帝都で、その一人を探し当てねばならないのだ。そう簡単に解決はしない。

「もどかしいんですか?」

「そら、そうやけど。」

正介は意外にも、面食らったような表情を浮かべてユーリを見た。早く解決したいと焦っていた訳ではないらしい。正介は静かに目線を戻すと、瞼を伏せる。

「『顔を潰す』ってのは、ほんまに惨いもんや。五体満足やのうても、顔があれば、迎え入れられる。おかえり、よう帰って来たなって、家族がその死を受け入れられる。けど、顔が無うなったら、『それ』が本当に家族だったのか分からへん。理性は服が同じやとか、手足の特徴が同じやと思っても……人が人を見る時、いっちゃん見てるんは、顔なんや。それが無いのが、どれだけ惨い事か……首だけ持ってくんは、その一番大事なとこを持ってく訳やから、まだ理解出来る。けど、顔だけ潰すなんてやり方は、人間そのものを踏み躙る行為や。可愛い盛りの嬢ちゃんが、そんな惨い死に方して帰って来よったら……。」

そう言って、正介は黙ってしまった。ユーリは目線を下げ、自身の手元に目を落とす。その先には新聞の切り抜きがあった。其処に記されるのは、あくまで表面的な情報に過ぎない。情報の裏には感情がある事くらいユーリも理解しているが、正介の人間理解は更に深い場所を見ていた。

「やっぱり、正介さんといると、勉強になりますね。」

「なんや急に?」

「僕はまだ『子供』だという事です。」

そう言うとユーリは、その歳に似合わぬ大人びた表情で微笑んだ。

 

「帝國の書庫番」

丗二幕「空漠たる真影、模糊たる凶影」

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