帝國の書庫番   作:跳魚誘

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触れたようで、触れられない。届くようで、届かない。その中で結び付くものも、きっと。


帝國の書庫番 丗八幕

本当に、気に食わない。

むかっ腹が立って仕方がない。

アタシのことなんて、眼中に無かった。

メスの臭い、ぷんぷんさせちゃって。

アタシだって、分かってるけど。

けど、理解して貰えなかった。

アタシが、アタシだから。

ねえ、気付いてよ。

アタシの気持ちにさ。

 

 

爽やかな初夏の陽気が帝都を包み込む中、刀祢麟太郎は獣医官の前に座っていた。獣医は台の上で一羽の鴉ーーそれは当然の如く「くろすけ」であったがーーの羽を触って曲げ伸ばしし、脚の力を確かめ、目の動きを観察し、そして言った。

「肉に空いた穴は塞がったようですし、もう、訓練を行っても問題ないでしょう。慣らすところから始めれば、徐々にですが、元通り飛べるようになる筈です。」

「そうですか、有難う御座います。」

麟太郎は立ち上がって台に近付く。その上の「くろすけ」は、胸を張るようにして立っており、なんとも自慢気に見える。そんな鴉の頭を撫でてやると、鴉の方も麟太郎の掌に頭をぐりぐりと押し付けて来た。

「良かったですね、『くろすけ』。」

麟太郎が言うと、鴉は応えるようにがあと鳴いた。

 

「鴉はもう問題ないのか。」

「ええ、飛ぶ訓練を始めてよいそうです。」

勤務後、部屋に戻った麟太郎に声を掛けたのは、同室の白鞘だ。柄本は夜勤で今夜は部屋にはいない。麟太郎が床に「くろすけ」を放してやると、白鞘が立ち上がり「くろすけ」の前にしゃがみ込む。

「貴様には悪い事をしたな、過ぎた事を悔いても仕方ないが、あの時は、俺が窓を開けてやれば結果は違ったやも知れん。」

白鞘が「くろすけ」の嘴の前に指を出してみると、「くろすけ」は首を傾げ、そして白鞘の指を甘噛みした。

「此奴、丸くなったか?以前は威嚇ばかりしてきたというのに。」

白鞘が「くろすけ」に手をじゃれさせながら言う。麟太郎も首を傾げた。

「『くろすけ』にも、分かったのかも知れません。白鞘君が、『くろすけ』の為にああしたという事を。」

「鳥が其処迄理解するとは思えんが。」

そう言った途端、「くろすけ」が嘴で白鞘の手を強く突き、白鞘は眉を寄せる。麟太郎は首を傾げたまま言った。

「分かりません、が、『くろすけ』は他の鴉と違うと、鷹司にも言われましたから。」

「奇妙な鴉だな、お前は。役に立つには違いないが。」

白鞘は手を引っ込めながら呟くと、麟太郎に目線を向ける。

「さて、貴様はどう見る。『二件目の顔無事件』について。」

麟太郎は黙って白鞘の目を見返した。「くろすけ」はてこてこと歩いて麟太郎の座布団の上に我が物顔で座る。麟太郎は自身の卓の横に胡座をかいた。

「今度の被害者は、男だったようですね。」

「ああ。だが、婦女を狙った犯行という訳では無かった、とも言えないやも知れん。」

二人は黙り込む。遺体の損壊状況からして、二件目の顔無し死体が一件目の少女と同様に殺害されたのは事実だと思われた。しかし、今回出てきた遺体は、陰間・陰子と呼ばれる春売りの男子だった。身分は低く、営業も違法で、さる男と共に生活していたが、いつも客を取っていた東屋の前で顔を潰されて死んでいた。先の少女よりも年齢は上だが、女と間違われたという事はあるだろうか?先の件についても邏隊が調査を行っているが、帝都で起きた二度目の惨殺事件に世間は騒めき、ついに警兵も捜査に加わった。

「兇賊の狙いは一体何なのか……単なる快楽殺人の可能性もあるが、顔を潰すというのが理解できん。」

「薬品、でしたか。」

「ああ、是迄の調査で、顔に薬を掛けて溶かしたらしい事は分かっている。だが、其程強い薬を大量に手に入れられる場所は限られている。……というのに、工場や病院で薬品の盗難が起こったという話は無いそうだ。」

「薬品製造所の内部犯の可能性はありますが。」

「調査の上で見つからないと言う事は、今の所はそうした点は無いと言う事になる。」

「……。」

麟太郎は瞼を伏せる。現状分かっているのは、帝都の薬品の流れに一見して異常はないということ。しかし、実際に事件に薬品が使われているのであるからして、どこかしらに破綻がある筈なのだ。

(……ハル様で、あれば。)

麟太郎は考える。散らばった情報の点を線にし、絡まりを見付けるのは孝晴の十八番だ。けれども。

(今、ハル様は、あまね様と向き合う時間を取られている……是迄のように、事件に介入する時間は取れないだろう。)

そもそも、麟太郎が警兵をしているのは、孝晴が一人で大きな陰謀や事件に関わり、「溝(どぶ)浚い」をし続けた結果、この世に愛想を尽かしてしまわないよう、先んじて帝都の平穏を守る為だ。友人と呼ばれる存在になったとはいえ、それは変わっていない。孝晴に頼ってしまっては元も子もなかった。麟太郎は首を振ると、「巡回や監視を増やして、怪しい人物を当たって行くしかないのでしょうね」と呟いた。

 

 

――孝晴様は、いつもそのように寝転んでおられるのですか?

 

脳内に響く声に、孝晴は畳に転がった身を捩って反対側を向いた。壁に向いていた目線が障子の方を向く。その先にあるのは縁側だ。

(俺ァ普通の人間より飯を食わなきゃならないからな、暇な時はなるべく動かねェようにしてる。そうすりゃ多少は腹が減らねェからな。)

頭の中で考える。勿論、普段の思考とは異なり、速度を落とし、普通の人間が話すのと同じ程度に合わせている。巷で言う「千里眼」の異能の少女ーーちよは時折、孝晴にこうして話しかけてくるようになっていた。まるで悪戯娘のようだ。いや、彼女がこうして会話できる他者は、孝晴と出会うまでは妹のとわ一人だったのだ。自分だけで他人と会話する、意思の疎通が出来る事が楽しくて堪らないのだろう。

 

――孝晴様は、満足がいくまで食べた事は殆どないようですね。ああでも、目に傷のある方と一緒にご飯を食べた時は、大分満足されたようです。

 

(まーた記憶を見たのか……良くない記憶にゃ触れて欲しか無ェんだが……。)

 

――今のは、孝晴様が思い出したからですよ。それに、やろうと思わなければ、今考えている事以外まで見る事はありません。約束しますわ。

 

そうかい、と脳内で返事を返す孝晴。ちよは楽しそうだが、孝晴としては常に気を遣うこの会話方法は苦手だった。少しでも何かを考えてしまったら、その内容が全て彼女に筒抜けになってしまううえ、無意識に普段通りの思考をしてしまうと彼女が目を回してしまう。一度見たら忘れない自分の体質をこれまでは活用して来たが、彼女と話す時には厄介でしかない。孝晴の中には、彼女が触れるべきではない血生臭い記憶が数多ある。それを覗かれる訳にはいかないのだ。そして、そう考える事さえ、彼女に伝わる。だから孝晴はひたすら会話に集中し、苦手意識を隠し通すしかなかった。

彼女は日常あった事を孝晴に語る。新聞の取材で行った「千里眼」の実験を無事成功させたこと。近所の仲の良い子供達と、夏になったら蛍を見に行く約束をしたこと。取留のない、他愛のない、なんてことない日常の話。それを、こんなにも嬉しそうに、楽しそうに語るのを聞いていると、例え苦手でも付き合ってやりたいと思ってしまうのだ。

 

――孝晴様、お疲れになりましたか?

 

ちよが不安そうな声音で言った。孝晴は首を振りかけたが、思い直す。

 

(確かに、ちっと疲れたかも知れねェや。俺にゃまだ慣れねェからな。)

 

――すみません、いつもわたくしばかりお話して……。孝晴様のお話も、もっとお聞きしたいと思うのですけれど、わたくし、とわ以外の他人と話すことが全く無いものですから、つい……。

 

(それは俺にも分かってる。俺にゃ聞くしか出来ねェが、それで良いならいつでも付き合うさ。)

 

――有難う、ございます。わたくしと貴方様では、身分も何もかも異なるというのに。でも、こうして出会えた事、わたくしは本当に嬉しく思っておりますわ。

 

孝晴は苦笑を浮かべ、そして、俺もだよ、と穏やかに応えた。

 

 

私立望月医科学研究所の一室、廊下に面する壁と、外に面する壁に硝子窓が嵌め込まれ、廊下側の窓の前には目隠しの覆いがなされた広い部屋の中、色白の男がうろうろと歩き回っていた。その生白い体に纏っているのは木綿の肌着だけで、そこから覗く腕や足にはそこら中に注射の跡が痣になっている。天竺と呼ばれている彼は、「父」の意に沿って外出したり実験に駆り出されたりする以外、常にこの部屋で過ごしていた。しかし「実験に耐える為には体力も必要」との「父」からの達しで、体を鈍らせないように過ごす必要があった。その為彼は与えられた広い部屋の中で、休息する以外の時は汗をかかない程度に走ったり、本を読みながら歩き回ったり、屈伸運動をしたり、逆立ちをしてみたりと、様々な方法で暇を潰していた。汗をかかないようにしているのは、彼の体液が「毒」だからだ。彼の着た着物は念入りに消毒されてから洗濯に回されているのを彼は知っていた。汗をかいてしまうと、着替えねばならない。着替えれば、着物の回収の手間が増える。「父」の求め以外で手を煩わせるのは申し訳無いと彼は思っていた。ただ、あの女性についてだけは……。

ひとしきり部屋の中を歩き回った彼は着物を身に付け、窓ーーこちらは外に面した窓だーーに目を向ける。もう初夏が近く、夕暮れ時の日が長くなっている。近付いて窓を開けると、夕暮れの穏やかな風が頬を撫でた。いつもと変わらない窓の外の景色。しかしその中に、普段と違うものに目が留まる。

「……?」

鳴きながら飛び去ってゆく鴉達とは別に、ぽつんと一羽、低い位置を飛んでいる鴉がいる。何となく、飛び方がぎこちないと言うか、無駄に羽ばたいていると言うか、とにかく、普通ではないように見えた。彼は窓から身を乗り出す。まだ鴉は大変そうに飛んでいる。そこで、彼は声を上げた。

「おうい、鴉さん。こちらにおいで。休んでお行きよ。」

そんな事を言ってみたが、それは実に他愛のない、遊び心から出た言葉だった。だって、鳥がそんな言葉を理解する筈がない。理解したとて、人間を警戒して寄り付かない筈だ。そう内心笑っていた彼であったが、その表情が驚きに変わる。なんと、ふらふらと飛んでいた鴉は向きを変えて此方にやって来たのだ。そうして鴉は開け放たれた窓の桟に舞い降りると、呆然としている天竺をその小さな黒い目で見上げた。

「えっ、えっ?本当に来てくれた!」

天竺は慌てて鴉から距離を取る。獣に触れるのが恐ろしい訳ではないが、自分の毒が感染るかも知れない。彼は急いで壁に掛けてあった濃紅の襟巻を取ると、口を覆うように巻き付ける。そして改めて鴉に近付き、じっと見詰めた。その脚には銀の足環が嵌っている所からして、軍の鴉だろうか。

「ええ〜、どうしよう、可愛いなあ。今日(こんにち)は、鴉さん。僕、動物とお話するの初めてだよ。というより、人間ともこんな風に話した事無いや。」

桟に腕を乗せてしゃがみ込み、鴉に目線を合わせる。鴉は首をくるりと傾げてがあと鳴いた。それがまた返事を返してくれたようで、天竺の気持ちは否応無しに高まった。彼は「父」の手で産み出された存在であり、実験動物だ。何より彼の体には病という毒がある。硝子窓を隔ててもいない至近距離で、自分以外の生きた動物との会話を許される事は、これまで殆ど無かった。そんな彼の前に、生きた鳥が飛んで来て、大人しくこちらを見ている。天竺は襟巻の下でふふっと笑い声を上げた。

「ねぇ、鴉さん。どこから来たの?足環があるから、軍から来たのかな。」

声を掛けてみると、鴉は一声があと鳴いた。それが肯定なのか否定なのかは全く分からない。けれど反応が返って来た事に嬉しくなった天竺は、鴉に聞かせるように話し始めた。硝子越しにしか会えない「父」の事、無口で何を考えているのか分からない盲目の剣士について。彼は自分の毒が何に使われているのかは知らない。彼が他人に語れる事など、身の回りで接する数少ない人間の事くらいだ。そして天竺は、腕に頭を乗せて目を細める。

「……あとね、僕ね、好きな人が居るんだ。すっごく綺麗で、温かい人。はじめは『父上』の実験の為にって言われて、廓に行ったんだよ。でも僕、ほんとうに、好きになっちゃったんだ。あの女(ひと)のこと。だから、『父上』に我儘を言ったの。時が来たら、一緒に暮らしたいって。」

鴉は窓の縁を数歩行き、また数歩戻りを繰り返していたが、その目線は天竺の方に向いていた。鴉は首を傾げ、また歩き出す。天竺は「分からなかったよねぇ」と苦笑して、思い出すように言った。

「そう言えば、君は飛ぶのがあんまり上手に見えないね。怪我でもしたのかな?僕の友達が……友達って言えるのかは分からないけど……軍の鴉を射た事があるんだって。その子は多分、射落とされて死んじゃったんだろうけど。鴉にも友達ってあるのかな?君は知ってる?君も、飛ぶのが不得手なら、鷹なんかに襲われないように気を付けて……、」

そう言いかけた時、唐突に、鴉が大きな叫び声を上げ、天竺はぎょっとして身を震わせた。その直後、それまで窓を彷徨(うろつ)いているだけだった鴉が、があがあと騒ぎながら天竺の頭に踊り掛かる。戸惑いの声を上げながら、天竺は頭を庇うように腕で覆うが、その白い腕に鋭い爪が幾筋も赤い線を描き、硬い嘴が何度も頭を叩く。

「痛っ、痛いよ!やめて……痛いっ!」

天竺は痛みを感じた側頭部を反射的に手で抑えた。そして目を見開く。生温い感触。手を離し、目の前に持ってくると、そこは赤い液体に濡れていた。

「……あっ、」

声にならない声が彼の喉から漏れた。彼は実験動物だ。管理されて生き、採取以外で血を流す事を許されて来なかった。頭の傷は小さくても血が出やすいという事も、彼は知らなかった。彼は襲い来る鴉の嘴を掴んだ。思いの外素早い動き。そして彼は、血の付いた掌で鴉の頭ーーその目をーー思いっ切り叩いた。鴉の体が部屋の床に一度跳ね、そしてぎゃあぎゃあと騒がしく鳴きながら、鴉は開いた窓から飛び去って行った。

「……はあ、はあ……。」

天竺はそんな鴉に目もくれず、蹲ったまま、じっと自らの手に目線を向ける。掌の血の跡は、まだ濡れていた。

「け、怪我……怪我を、僕、どうしよう、」

この体、この血は、「父」のもの。なのに。彼は動揺に震える手を暫く見詰め、そしてその痕跡を消すように、掌にこびり付いた血を舐め取った。

 

 

旭暉帝國。旭(あさひ)暉(かがや)く國。その主である帝は、「昼と夜を統べる者」と尊称される。帝は太陽神と月神の誓によって誕生した神の子が降臨し、この地を平定した、その神の血を引くのであるから、太陽の照らす昼も、月の照らす夜も、帝は司る。そして、帝の身にはその証が刻まれているのだとされている。それが事実であるのか、はたまた伝説でしかないのか、知っているのは帝とその一族、そして侍従達だけである。御簾の奥に隠されたその身を玉座から起こし、帝は静かに立ち上がる。待っているのは次の公務だ。侍従と共に移動しながら帝は思う。彼の為だけに存在する気高き花弁達のことを。帝は知っている。時代は変わっているのだということを。自身の在り方も、変わってゆくであろうことを。であれば、八の華たちも、変わらねばならない。否、変わって欲しいと、帝は願っていた。女官の装束や万華隊の隊服が変わったように、時代は洋の外から流れ込む知識と文化を織り交ぜて、新しいものへと移って行く。帝の思想も、また然り。帝の大御心は民を第一に想っていたが、これまで万華は民として扱われて来なかった。ただひとひらの花弁として、名も姿も帝の知る事なく、散っては咲き、咲いては散っていった。変えなければならない。國が変わるこの時に、彼らを取り残しては行けない。だからこそ、彼らには「人」になって貰わねばならない。

(――多聞、正介。)

そんな時に現れたのが、彼だった。邏隊員としての矜持を持ちながら、人としての生き方を尊重することを忘れない彼は、確かに一人の人間を変えたのだ。そんな彼ならば、咲き誇り散って行く花弁たちを、人に変えてくれるのではないか。自身の立場を知る帝は、多聞正介に託したその願いが、彼にとって非常な重さを持つことになると知っていた。それでも、それしか方法は無いのだ。帝は最終決定者ではあるが、単に権勢を振り回す王ではない。あくまでも民の決断の責任を取るべき立場だ。彼の個人的な願いを公の俎上に載せるべきではないことを、彼は知っている。それに、――万華自身が変わらなければ、法の内容も変えようがないのだ。

帝は内心を表す事なく、回廊を歩んでゆく。顔布で隠されたその瞳は、閉じられているかのように伏せられていたが、その視界の先には確かに、旭暉の未来が捉えられていた。

 

 




「帝國の書庫番」
丗八幕「想いの向かう先」
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