ラブライブ! ~黒一点~   作:フチタカ

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第三十二話 罪悪感

 カリカリ。

 

 然程大きくもない、勉強して寝る分には不自由しないのサイズの自室に二つ分の筆音が溶ける。

 

「……ふぅ」

 

 俺は懸命に目の前の問題に集中して雑念を振り払った。一人用の机を二人で使っているせいで時折肩が触れ合ったり、十八年経って未だ解明できない女の子特有の甘い匂いを感じ取ったり。そんな感覚を必死に意識しない様にして……。

 しかし、必死の抵抗虚しく。

 

――ダメだ。もう無理。

 

 俺は完全敗退を喫した。

 むしろよく持ったと思うぞ、三〇分も。

 

「……絵里」

「…………?」

 

 隣りに座る幼馴染に声をかける。風呂上がりなのだろう、僅かに湿った金髪が纏まって首元にくっついていた。枝毛一つない艶めく毛先へと視線を走らせていると、綺麗な鎖骨へと自然に誘われてしまっていた。慌てて視線を彼女の顔へと戻す。

 動揺しまくりの俺とは正反対に絵里ははあっけらかんとしていた。

 

「どうしたの?」

 

 どうしたもこうしたもないだろ。

 軽く一睨みくれてやる。

 

 全ッ然落ち着かない!

 

「えっと……。そうかしら? いつもと変わらないと思うわよ」

 

 カタン、と絵里が置いたシャーペンが乾いた音を立てた。回転する椅子を俺の方に向けて向かい合う。と、足の爪先同士が触れた。――お互いにそっと膝を畳んで距離を取る。

 

「いや、いつもと変わらないのは確かなんだけどな」

「…………」

 

 彼女が俺の部屋に来て勉強する習慣はずっと前から……それこそ小学生の頃からあった。教育熱心な俺の母親の影響で、いつも一緒に居た彼女もまとめて机に座らせられていた名残でもある。だから不思議な光景ではないし。

 なんなら俺の部屋には来客用ではない、絵里専用の椅子が中学校進学時から備え付けられてあった。……俺のイスよりもいい奴だしな、それ。彼女が居ない時は使わせてもらったりしてる位の。

 

 でも、そーゆー問題では無い。

 

「逆に、君は何で平気なんだよ」

 

 もはや、非難にも似た意思を込めて見つめた。

 俺のことが好きだと態度で示しておいて、どうしてこんなに自然に振る舞えるのだろう? 照れや動揺の一つや二つあってもいいと思うんだが。実際、俺はテンパりまくっている訳で。

 

「この間言ったでしょう。もう私に出来ることって無いから」

 

 確かに言ってたけどさ。

 

「普通だったら、海菜に色々アピールしなきゃなんでしょうけど……。うーん、なんて言ったら良いのかしら?」

 

 彼女は物憂げに腕組みをして唸る。

 パジャマの上からでも分かる柔らかな双丘が嫌でも視界に入り、俺は若干目線を上へとシフトさせた。そうそう、こういう所。俺が少し過敏過ぎるのだろうか?

 

「今更何を……って感じじゃない?」

「……そう言われたらそうかもだけど」

 

 一応、幼馴染の言わんとしていることを察して曖昧に頷く。

 

「私の事で、知らないことなんてもう殆ど無いでしょう? 海菜は」

「逆もまた然りだし」

「えぇ。そうね。……だからこそ、貴方が落ち着かないっていうのもよく分かるのだけど」

 

 絵里はイタズラっぽく微笑んだ。

 

 そうだと思った。どうせ彼女にとって俺の心理状態なんて手に取るように理解るわけで、こんな状況下に置かれた俺がみっともなくテンパってしまうことくらい容易に想像出来たことだろう。

 にも関わらず何のアクションも起こさないで、わざとらしくいつもと同じ態度を取っているのはきっと。

 

「ごめんなさい。ちょっと、イジワルしてみたかったの」

 

 完全に幼馴染の悪ふざけだ。

 

 絵里はぺろっと舌を出して目尻に皺を寄せる。俺ですらあんまり見ることが出来ないタイプの笑顔を見ることが出来た。全く、普段は俺がいじる側なのにどうにもペースを狂わせられる。

 

「でも、海菜が気にし過ぎな部分もあると思うわよ」

「いーや、君が気にし無さ過ぎなんだって」

「そうかしら……」

 

 そうに決まってる!

 俺は半眼で睨みつつ人差し指を彼女へと向けた。

 

「普通、そんな格好で男の部屋入ってくるか?」

 

 絵里はきょとんとした顔で自身の姿を確認していた。ベージュを基調としたほぼ無地のパジャマ。柔らかな素材を使用しているのだろう、シワなどほぼ無く、完璧とも言える身体のラインを強調させていた。

 こう言ったら何だが、随分とエロい。

 元から色気のある方なのだ。仕草といい、体つきといい、意識するなといったほうが無理だろう。

 

「えっち」

 

 どっちがだ!

 

 ん……あれ? こっちが悪いのか?

 そんな目で見るほうがギルティか?

 

 最早その判断が付かない。

 

「今までもこうだったじゃない」

「そりゃそうだけどさ……」

 

 マジで以前の俺はどういう神経をしていたのだろうか? 

 まぁ、もちろん彼女の姿に動揺していなかったといえば嘘になるが、今ほど揺さぶられては居なかったと思う。――幼馴染だからまぁ……。なんて雑でどうしようもない感想を抱いていたのだろう。

 

 至近距離で溢れる吐息。

 

「もしかして……女の子として意識した?」

 

 恥ずかしげに襟元を引き寄せて、絵里は首を傾げた。

 僅かに頬に朱が差し、それが余計に彼女を魅力的に見せる。

 

「…………」

 

 無言を返す。

 しかし、彼女は照れ笑いを浮かべた。

 

「ふふ。じゃあアピールにはなったのかしらね」

「出来れば控えて欲しいけど」

「私としては、今まで意識しなかったことを謝ってほしいわ。普通考えて……女の子が好きでもない男の子の部屋に無防備で入ってきたりしないでしょう」

 

 ご、ごもっとも。

 

 逆に怒られてしまった。正直返す言葉がない。

 

「まぁ、私も最初は全く意識してなかったんだけど……」

「……だろ? お互い様だって」

「それだけ海菜を信用してたって事でしょう?」

「そりゃどーも。まぁ、襲ったりするわけ無いからな。君を」

 

 確かに、どれだけ彼女が扇情的な格好をしていようと俺が襲いかかることは絶対に無い。大切な幼馴染を、そんな自分の邪な思いの対象として見ることすら不愉快に思う。

 

「何というか、それはそれで女の子としてのプライドとかが傷ついちゃうんだけど」

 

 複雑そうに瞬きをして、一瞬の間を取った後彼女はじぃっと俺の瞳を覗き込んできた。

 

「今も、襲ったりしない?」

「当たり前!」

 

――即答。

 

 すると、いじける様に絵里は言った。

 

 

 

「いくじなし」

 

 

 

 いや、そーゆー問題じゃないだろ!

 

 

 

***

 

 

「まぁ、冗談はこれくらいにして」

「ほんと、絵里さん勘弁して下さい」

 

 普段ならまだしも、今この状態じゃ到底ペースなんて握れない。彼女の思うがままに振り回されてしまいそうだ。取り敢えず顔の前で両手を合わせて頭を下げておく。

 会話が途切れて、室内時計の針が数十秒間規則的なリズムを刻んだ。

 

「じゃ、海菜。ちょっとだけ真面目な話!」

 

 絵里はあくまで明るい口調で切り出した。

 俺は姿勢を正して彼女と向かい合う。

 

「やっぱり、意識しちゃう? ……勉強の邪魔になるくらい」

「いや、そこまでじゃないけど。多少は」

「やっぱり……。だから今日来たのだけれど」

 

 絵里は伏し目がちに俺の表情を伺った。

 

「海菜は、どうしてそんなに私を気にしてしまうの?」

 

 そして、割と核心に迫る問いかけを寄越す。

 俺はその意図が掴めずにいたものの、まずは質問に答えようと試みた。

 

「どうしてって……そりゃ君が俺にキスしたからじゃないの?」

 

 パッと思い浮かんだのは今でも鮮明に思い出せる頬の感触。

 てか、それしか無いだろう。

 

「う~ん。それで間違いはないんだけど……」

「けど?」

「もっと深い原因があるはずなの。その結果の話というか」

 

 いつもより深いサファイア色の瞳。絵里は結構真剣な表情で俺を見つめていた。きっと今日はこの話をしに来たのだろう。ただ、今の俺には彼女の考えが分からない。

 深い原因?

 他に何か……。

 

 俺はしばらく考え込んでいた。時間にしたら五分位だろうか? あーでもないこーでもないと悩みながら視線を彷徨わせる。彼女が俺に好意を寄せてくれているから――そのせいで俺も意識してしまって……だけじゃないのか?

 

「…………」

「分からない?」

 

 軽くウェーブした金髪が揺れる。

 

「……あぁ」

「ヒント。海菜は私が貴方のことを好きだって知ったでしょう?」

 

 こくり、俺は素直に頷いた。

 

「じゃあ、今は私に対してどんな気持ちを持ってる? 正直に言って欲しいの」

 

 絵里に対して?

 俺は取り留めもなく彼女への想いを頭に浮かべ始めた。

 

 絵里はかけがえのない幼馴染で、誰よりも大切な女の娘だ。そのことは好意を示して貰った今でも変わらない。変わらず俺の部屋に勉強しに来てくれる事も素直に嬉しいし、こうして話してると落ち着く。それは本当だ。

 

 

――でも。

 

 

 俺はそこまで考えて、

 

「あ……」

 

 唯一芽生えていた負の感情に気がついた。

 

 絵里は俺を見て優しく微笑む。

 そのマイナスの想いの名は――罪悪感。

 

「もしかしてだけどね? 海菜」

 

 幼馴染は、俺よりずっと先に古雪海菜の心を見通してくれていたらしい。

 

 

「私に……なにか申し訳ないって思ってないかしら?」

 

 

 図星。

 俺は気まずくなって彼女から視線を逸らした。

 

 その通りだ。俺は絵里を意識してしまう原因に、遅ればせながら気がついた。

 

 

 

「返事を保留にしたまま普段通りに触れ合うのは難しいわよね」

 

 

 

 ちょっとだけ寂しそうに彼女はそれを言葉に変えてくれる。

 俺は素直に頷いた。

 

 絵里は気にしてくれなくていいと言うし、わざと気楽に振る舞って二人の間に走る緊張を緩和しようとしてくれる。でも、それに甘えて思考を止められるほど俺は単純ではない。古雪海菜は、純粋に一人の女の子として彼女を意識するのと同時に。

 

――明確な返事もせず曖昧な態度を示し続ける現状に悩んでいた。

 

 希に対して罪悪感はない。

 だって、あの娘はまだ俺に好意を伝えていないから。

 

 ツバサに対してもそれはない。

 彼女は自らタイムリミットを設定してくれたから。

 

 でも、絵里は?

 

 彼女がしてくれたのは自身の想いを明確な形にすることで……。俺はきっと絵里に返事をしなくてはいけないのだ。でも、未だに彼女の優しさに甘えて、自身の気持ちすらろくに見えずにここに座っている。

 今一番辛いのは、宙ぶらりんのまま放置されている彼女に違いない。

 

「ごめん」

 

 俺は素直に頭を垂れた。

 そっと絵里の表情を伺うと、いつもと変わらない笑顔を浮かべて俺を見ている。

 

「今日はやけに素直なのね?」

「そりゃ、俺が悪いし……」

 

 素直にもなるさ。

 全責任は俺に――そう口にしようとした瞬間の事だった。

 

「違うわ。海菜は何一つ悪く無いの」

 

 強い意志を含んだ眼差し。

 彼女は再びあの台詞を口にした。

 

 

 

「好きになった責任は自分だけにあるものよ」

 

 

 

 そして微笑む。

 決して明るくない電灯の元、彼女の表情は直視できないほどの輝きを放っていて。俺は幼馴染の眩しさから目を逸らした。いつからか、俺より一歩先に居た幼馴染。

 

「そもそも、私は一度も返事をくれなんて言ってないでしょう」

「そうは言ってもさ……」

 

 君が俺に返事を強制するはずがないだろ。どれだけ答えを待っていたとしても、絵里は何食わぬ顔でその気持ちを顔に出さず俺の側に居てくれるだろう。でも、俺は他でもない幼馴染で……そんな内心を見抜くことが出来る。

 

「普通、相手の気持ちにはちゃんと応えるべきで……」

 

 例えそれが肯定の返事だろうと否定の返事だろうと、正々堂々答えを返すのが礼儀というものだ。少なくとも俺はそう思っていた。

 

 しかし。

 

「そうとは限らないわよ? 少なくとも、私に限っては」

 

 絵里に限っては?

 俺は続く言葉を待つ。

 

「私は海菜の幼馴染です」

「あぁ。それは知ってる」

「海菜のことなら誰より知ってるわ」

「まぁ……間違いないな」

「そんな私が」

 

 イタズラっぽく彼女は笑った。

 

 

 

「海菜がすぐに返事を返してくれる……なんて考えてると思う?」

 

 

 

 残念ながら言い返せなかった。

 

「昔から、優柔不断な所があるのよ海菜は! 自分の事に関してなら簡単に決断するし、その方向にがむしゃらになって努力できる。でも、他人が絡むとなると途端に判断が鈍くなる事があるの」

「…………」

 

 正直彼女の分析には思い当たるフシがあった。……でも、言い訳をするつもりはないが、ある意味それは普通なんじゃないかとも思う。俺だけの話なら失敗しても成功しても、俺だけにそのリスクが降りかかって終わる。でも、他人が関わるとなると、俺の決断がそのまま誰かの結果に帰属するわけで。

 多少なりとも慎重にはなってしまうだろう。

 

「今回はその最たる例よ。私は……海菜を一番良く知る幼馴染は、貴方がすぐに答えを出せるなんて思っても居ないわ」

 

 バッサリと彼女は切り捨てた。

 

「いい? 海菜。きっと今、貴方は精一杯悩んでくれてると思うの。たくさんたくさん、私のことを考えてくれてるってこと……知ってるわ」

 

 右手に伝わる暖かな体温。

 絵里は俺の手を取ると、労るように両手で包み込んだ。

 

 一般常識で言うとね? と、彼女は話す。

 

「好きな人っていうのはいつの間にか出来ていて、その人に向かって一直線に走るのが普通だと思う。私もその例には漏れなくて、海菜を……海菜だけを好きで居るの」

 

――でもね

 

「きっと、海菜は違うと思う」

 

 口を継いで出たのは絵里の――幼馴染の見た古雪海菜の姿だった。

 

 

 

「貴方はきっと色んな物を天秤にかけて判断するわ」

 

 

 

 絵里はちょっぴり不服そうに唇を尖らせながらも微笑む。

 

「この娘と付き合うことになればどうなるのか? フッたらどうなってしまうのか? 周りに及ぼす影響は? 挙げていったらキリがないほどの想定を頭のなかでしているでしょう」

 

 間違いない。

 彼女の言う通りだ。

 

「恋愛って、私にとってはそういうものでは無いの。自分のワガママを相手に押し付けるモノ。自分の心のなかに勝手に芽生えてしまう感情の事。……だけどね、海菜はきっとそうじゃない」

 

 きゅっと絵里は俺の人差し指を握りこんだ。何かを訴えかけるかのように。

 

「考えて、考えて、考えた末に答え出すのが貴方の『恋』なのかもしれないって……私は思ったの」

 

――だからこそ。

 

 彼女は笑う。

 

 

 

「ゆっくりで良いから。慌てなくて良いから。……海菜が満足いくまで、たくさん考えて?」

 

 

 

 その言葉は何処までも優しくて。

 俺は何も言えずに強く唇を噛み締めた。

 

 彼女が言ってることは何となく理解は出来た。その思いやりも。

 でも、俺にとっての恋が何なのかはまだ分からない。そして、多分それを見つけなきゃ何の答えも出せないだろう。俺は知らず知らずの内――それでも消えない……むしろ大きくなった罪悪感に苛まれ視線を揺らした。

 

 俺はどこまでこの娘に……。

 

「絵里、ホントにごめ……」

「ほら、そんな顔しないっ」

 

 ぺち。

 いつの間にか、俺の右手を包み込んでいた彼女の両手は俺の頬に添えられていた。

 

「何回も言わせないで、私は貴方の幼馴染なの!」

「……だから知ってるって」

「分かってない!!」

 

 むにゅっと頬をちょっと強めに引っ張りながら彼女は言った。

 

「私は!」

 

 荒い吐息。

 

 

 

 

「そーゆー所全部引っくるめて全部好きになったのよ!」

 

 

 

 

 朱に染まった頬を隠そうともせず絵里は言う。

 

「だから、余計な事ばかり気しないの! ばか海菜。いつまでたっても頭が固いんだから」

「そうは言ったって……」

 

 ギロリ、と割と本気で睨みつけられた。

 あ、やばい。この感じ本気で怒りかけてるかも。俺はその予兆に気が付いて、取り敢えずは自身の思考を断ち切った。

 

「了解です! たくさん考えますので待っててください!」

「……よろしい」

 

 満足そうに絵里は頷いた。

 そしてどちらからとも無く机の方に身体を戻してシャーペンを握る。そりゃそうだ、勉強しに来たんだから。……いつもの様に。俺は色々思う所はあれ、頭の中が先程よりずっとクリアになった事を感謝した。 

 

「世話……かけるな」

「いつものことでしょう。今更よ」

「ふん」

「あ、最後に一つだけ」

 

 絵里はちらっと俺を見て言う。

 

 

 

 

「頭の中で考えることも大事だと思うけれど、最後は海菜の心で……ね?」

 

 

 

 

 今の俺に、その言葉は上手く理解できない。

 

「……あぁ」

 

 だから、幼馴染のその言葉を。

 今はまだ大切に覚えておくことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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