ラブライブ! ~黒一点~   作:フチタカ

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希ーーー!!
誕生日おめでとーーーー!!!
さぁ! みなさんも一緒に!

訳題は『焼肉奉行!』です。


 ◆ Yakiniku Bugyo!!

――〇〇奉行。

 

 特定の料理を集団で食べる際、最も美味しい食材の調理の仕方や出汁のとり方等、己の経験と知識をフルに活用して素人たちを牽引してくれる存在を指す言葉である。行き過ぎれば〇〇将軍へと昇格し、同卓する友人達に疎まれる事も。

 

 意外に探してみれば強い拘りを持つ人間は周りによく居るものだ。

 

 鍋奉行、すきやき奉行、しゃぶしゃぶ奉行。

 そして――焼肉奉行。

 

 今日も、都内のとある焼肉専門店に多くの人が訪れる。

 

 

***

 

 

「おー、流石に賑わってるな」

「せやろ? 美味しくて安いんがウリやからね。ちょっと早めに来てよかったやん」

 

 綺麗に磨かれたガラス製の自動ドアが開き、すっかりと冷えきった外気と一緒に海菜と希は店内に足を踏み入れた。勉強が終わった直後で、外し忘れていた眼鏡が急激な温度の変化によって白く曇る。彼は慌ててそれを手に取ると荒っぽくシャツで拭った。

 

「ひえ~。久々の感覚。今日メガネケース忘れたから仕舞えない……」

「ええやん、ウチ、古雪くんの眼鏡姿嫌いやないで?」

「賢く見える? いや、実際賢いんだけど」

「それ、自分で言わんほうがええと思うんやけど……」

 

 軽口を交わし合い、店員が現れるのを待つ。

 一分もしないうちにパタパタと忙しそうにバイトらしき女性が現れた。開店後一時間も経っていないが、既に黒いエプロンに皺が寄っている。かなりの人気店であることが店内の喧騒と彼女の少し憂鬱そうな表情から伺えた。

 

「いらっしゃいませ! お二人様ですか?」

 

――大変そうだけど、顔には出してない。凄いな、このお姉さん。……俺はもっと楽なバイト先を選ぼう。

 

 内心で健気な店員さんに拍手を送りながらも、早速反面教師として彼女を捉えた海菜はコクリを頷く。今日は二人きりで晩ごはん。一応幼馴染である絵里も誘っては居たのだが、予定が合わなかったのだ。

 かといって、海菜は塾。希はバイトと。学校も違うので中々夕ごはん時に予定を合わせるのが難しい。そのため、希がエリチに悪いからと遠慮したという経緯はあるものの、海菜と――絵里たっての希望で今日決行となった次第である。

 

 海菜と絵里。絵里と希。

 この二つの組み合わせに比べて海菜と希というカップリング難易度が異常に高いというのも理由には入っていた。

 

「…………」

 

 リラックスした様子の海菜とは対照的に、希は少し緊張した面持ちで彼の後ろに立つ。

 女性店員の『お二人様ですか?』の声にピクリと身体を揺らすと、誰も見ていない中一人僅かに頬を染めて連れの様子を伺う。希は自分とは違い特に何も考えていないらしい海菜に僅かばかり非難の篭った視線を飛ばした後、諦めたように溜息を吐いて一歩踏み出した。

 

「ほら、行くぞ」

「うん!」

 

 二人で案内に従って店内を進む。

 白い煙と心地よい焼音、僅かに漂う焦げの匂いが彼等の食欲を刺激した。

 

「こちらです。メニューお決まりでしたらそちらのボタンを押して下さいね」

 

 丁寧にメニューとお手拭きを年下の客に手渡した彼女は、軽くお辞儀をしてその場を離れ……

 

「すみません。とりあえずタンを一人前で」

「あ……、はい。畏まりました」

 

 希の声に立ち止まると、電子機器に軽く何かを打ち込むと今度こそ厨房へと戻っていった。

 

「注文早くないか?」

 

 海菜は物珍しそうに希を見つめると呟くようにして問う。特に焼き肉に対する拘りもなく、肉に対する知識も深くない彼にとって彼女の注文は意外だった。無論、高校三年生という未熟な年齢ではそれが普通だ。

 

「そうかなー? でも、一番始めに焼くのはタンやろ?」

 

 当然のように言い切る希。

 

「あ、一応それ聞いたことある」

「常識やでっ」

「へぇー。俺食べ放題しか行かないからさ、あんまり焼き肉の作法とか分かんないんだよな」

 

 男子高校生らしい台詞だ。

 彼等にとって焼き肉というのは肉の美味しさを楽しむ、というよりは肉で腹を膨らませるという意味合いのほうが強い。大量の牛、豚、鳥で胃を満たすことに快感を得るのが十代後半の青年の特徴だ。

 

 彼もその例に漏れないらしく、初めて来た『食べ放題』ではない焼肉店の雰囲気が珍しいのかキョロキョロと辺りを見回していた。

 

「男の子やとそうかもね。ウチら女の子は逆に、食べ放題の方が高くついちゃったりするんよ」

「容量の問題だな」

「うん。だから量食べられない分、質を重視せんと」

「ここ、メニュー見る感じかなりリーズナブルだし」

「せやろ。だからオススメなん!」

 

 常連らしい希は元気よく頷いた。

 

――大好きなお店で、今日は古雪くんとデート!

 

 彼女の笑顔の裏にはそんな想いも隠されてはいる。もとい、隠してはいる。……残念ながら海菜はそれを見抜いているのだが。

 

 心底幸せそうな彼女の笑顔に海菜は釣られて微笑む。

 無邪気に笑う希の可愛らしさに少なからず心拍数が上がった。

 

「じゃ、色々と教えてよ。今日は焦らず焼き肉楽しめそうだし」

「普段は焦って焼き肉してるん?」

「男子の焼き肉つったら、戦争みたいなもんだしな」

 

 来た側から肉を鉄板に放り投げ、我先にと出来あがったそれらを奪い合う。そこにはルールなど無く、最終的に獲物を口の中に放り込んだ者の勝ちとなる。そんな男子高校生における普遍的法則の元、例に漏れず様々な洗礼を受けてきた海菜にとって二人きりでお淑やかに楽しめる焼き肉は初めての経験なのだ。

 彼は机の端っこに並べられている初めて見た調味料の数々に辟易しながら首を振った。

 

――塩コショウ、一種類のタレ以外使ったこと無いぞ……なにこれ怖。

 

 何とも十七歳らしい感想である。

 

「ふふ。じゃあ、今日はウチが先生やね?」

「不束者ですが、よろしくお願いします!」

「しゃーなしやで? ウチが焼き肉がなんたるか、しっかり伝授したるわっ」

「果たして出来ますかね。貴女如きに」

「急に態度でかなるやん。ちゃんと言うことは聞いてな」

 

 珍しくおどけてみせる希。普段は空気を読んでボケたりすることはよくある女の子ではあるが、素でふざけることはあまりない。彼女は片思いの相手の前で緊張はしているものの、それ以上に気心知れた仲として心からリラックスしていた。

 

 混雑しているのにもかかわらず、タンは比較的早く運ばれてきた。

 一緒にレモン汁、醤油ベースの粘性の高い濃い目のタレ、ポン酢に似たさっぱりとしたタレが洒落た容器に入れられて二人の目の前に置かれる。希は特にそれらに視線をやることは無かったが、海菜は過敏に反応した。

 

「タレが、三種類!?」

「そちらにワサビ、豆板醤、塩コショウ、にんにく等ご用意していますのでご自由にお使い下さい。他にご注文は御座いますか?」

「い、いえ……」

「では、失礼致します」

 

 先ほどの女性店員は大げさに驚く海菜に向け丁寧に調味料を指し示しながら説明をし、別のテーブルへと向かった。希は少し呆れた様子で海菜を見守っている。

 

「お洒落かよ! 素敵過ぎるだろ!」

「そんなに珍しい?」

「やっぱ食べ放題二千円ってこーいう所でケチってたんだな」

「まぁ、それだけ安いとこやとタレの種類にも限度があるやんな……」

 

 彼女はなれた手つきで皿を自分の方に寄せると、備え付けられていた肉焼き用のトングを手にした。白磁のように美しい指先が力強く銀を握りこむ。

 

「似合うな」

「それ、褒めてる?」

 

 失礼な発言をした連れに向けて冷えた視線を飛ばした後、彼女はレモンを掴んだ。

 

「へ? 肉焼かないの?」

 

 意外そうな彼を尻目に、希は掴んだレモンをそっと熱された金網に落とした。瞬時に、水分の蒸発する心地の良い音と共に僅かな柑橘系のさっぱりとした香りが広がる。手際よく皮先を掴み、満遍なく網全体に果肉を滑らせた後レモンを皿の上に戻した。

 

「うん。タンを先に食べる理由は知ってる?」

「いや、全然」

「まぁ、難しい事や無くて、純粋に焦げにくいって理由なんよ。脂も少ないし、タレじゃなく塩で食べることが多いから。それで、先にレモン汁を軽く編みにひいておくとより焦げ付きにくくなるし風味も丁度良くなるんやで?」

「……なるほど」

 

 女子高生らしからぬ通なスタートダッシュを切った希は網の上に手を翳し、満足そうに頷く。海菜は炭火に照らしだされる手入れされた爪や綺麗な肌に目を奪われていた。しかし、希はそんな彼の様子に気がつくことはない。彼女は今網の状態だけが気がかりなのだ。

 

「うん! 充分網も温まってるし、焼くね?」

 

 ジュウ。

 

 彼女の落とした二枚のタンが僅かな煙とともに、その薄桃色の躰を揺らして食欲を唆る音楽を奏でた。知らず知らずのうちに二人の身体が前屈みに変わる。肉の焼ける香ばしい香りが鼻孔を強く刺激した。

 

「うわー、良いな」

「この瞬間が最高なんよ」

 

 顔を見合わせて笑う。

 この時ばかりは二人共複雑な感情を一切抜きにして、子供みたいに目元を緩ませていた。

 

「古雪くんはタンの焼き方に拘りはある?」

「いや、全く。君に任せるわ」

「うん! じゃあウチ直伝の……」

 

 よく熱された金網の上で、次第に縮み、形を変えていくタン。希は注意深くその様子を伺うと、塩をひとつまみ、二枚のタンに振りかけた。一部は僅かに浮かんだ脂に溶け、そして一部は照明に照らされてキラキラと輝いた。

 

「片面焼きや!」

 

 ホントはよく焼いたほうが良いって言われてるんだけどね? このお店のタンは新鮮やから。いたずらっぽくウィンクを飛ばして彼女は笑う。

 意図して網の中心に置かれていたタンは、表面をこんがりと焼かれ香ばしい香りを放ち、対象的に裏面は僅かにレアな色合いを残して浮いた脂肪を光らせている。希はそっと持ち上げると、海菜と自分の皿の上に置いた。彼女の意図通り、金網は焦げること無く綺麗なままだ。

 

 ゴクリ。彼の喉が鳴る。

 

「お好みでレモン汁つけたら良いかも」

「あぁ。いただきます……」

「いただきます」

 

 同時に端を伸ばし……。

 

「…………」

「…………はふ」

 

 歯応えのある牛の舌を楽しんで。

 

「うまっ!」

「ん~~~」

 

 同時に歓声を上げた。

 

 特に海菜は余程衝撃が強かったのか、両目をパチクリとさせて皿と希を交互に見ながら感心したように吐息を漏らしていた。なんとも持てなし甲斐のあるリアクションで、希は彼の様子を見て思わず吹き出してしまう。

 

「ぷっ! そんなに美味しかった?」

「あぁ。今まで食べた塩タンで一番だった!」

「ふふ。たまには食べ放題じゃないお肉もええもんやろ?」

「うん。君と出会えて良かったよ……」

「このタイミングで!?」

 

 その言葉はもっと別の機会に聞きたかったよ……と、希は肩を落とした。

 

「ホント、生まれてきてくれてありがとう」

「はいはい。どういたしまして~」

「君と会えなかったら焼き肉の素晴らしさを知らずに死ぬ所だった」

「大げさやって……」

 

 軽くため息を吐きながら、残りのタン二枚を再び金網に乗せると店員呼び出し用の電子ボタンを押した。その後にメニューを開く。あらかた肉の種類は頭に入っており、特に特別な物を頼むつもりは無いためさらりと全体を眺めた後海菜に訊いた。

 

「何か頼みたいものある?」

「いや、特には無いかな……」

 

 彼は暫し逡巡して。

 

「あ、白ご飯欲しい」

「せやね。頼んどこかー」

「肉は任せて良いの?」

「古雪くんが良いなら……」

 

 頼んだぜ、肉食系女子! 彼はなんとも失礼な一言を口にしてサムズアップ。誰が肉食系や、と丁寧にツッコミ返しながらも彼女は食べごろになったタンを見逃すこと無く手慣れた様子で塩を振ってお互いの皿に乗せた。

 二人して再び満足気な表情を浮かべる。

 

「さすが、好物が焼き肉ってだけあるよなー」

「うん。お父さんの影響も大きいんやけどね」

「へぇ。親父さんの?」

「いわゆる、焼肉将軍って感じやったから」

 

 小さいころを思い出して彼女は苦笑した。普段は優しく寡黙な父親が、焼き肉の時だけ張り切って鉄網を支配していたのだ。よくよく考えてみると、自由に肉を焼かせて貰えなかったり食べる順番を決められたりした記憶もあり、同時に困った顔で笑う母親の様子も浮かんできた。

 ウチにとってはそれが普通だったけど、多分あれがうわさに聞く焼き肉将軍だったんだろうな。そう思って、苦笑を浮かべる。

 

「へー。じゃあ、君もそうなの?」

「ウチは食べ方強制したりはせーへんよー」

「だろうな。笑顔で残りのちょい焦げたお肉食べてそう」

「あはは……」

 

 相変わらず鋭い人やね……。的確に色んな意味で苦い思い出を見抜いた彼の洞察力に舌を巻きつつ、希は曖昧な笑みを浮かべた。自分の趣味趣向よりも、その場の空気を優先してしまう性格のせいか焼肉奉行的性質はあるもののそれを表には出してこなかったのだ。

 

「でも、拘りはあるんだろ?」

「まぁ、少しは……。でも、全然古雪くんの好きにしてくれて良いよ?」

「いや、むしろもてなして貰いたいわ。ってことで後は任せた」

「もー。そんな事言って、自分だけサボるつもりやろ~」

「あ、バレた?」

 

 にやり、と笑う想い人を睨むフリ。

 

「でも、良いのか? 俺に焼かせて。……どうなっても知らないぞ」

「どんな脅しなん、それ」

「適当に肉と野菜、乗せまくってやる! ……余ったら希が食べるし」

「ひどい! 残飯処理は男の子の役目やろっ」

 

 それに……。希はピッと人差し指を立てながら語り出す。

 

「お肉毎に焼き時間は決まってるんやから、一度に食べきれる量だけ網に置かなきゃダメなんよ。それに、野菜からは水分が沢山出ちゃうから基本的にはお肉と一緒に焼かないほうが良いのっ。オススメはお肉を巻いて食べれるサンチュや、サラダ系の焼かずに食べれる野菜やで」

「お、おぅ……」

「む。ちゃんと訊いてるん?」

 

 彼女は不服そうに海菜を睨んだ。

 海菜は曖昧な笑みを浮かべながら――なんか、アイドルを語ってる時の花陽に似た匂いを感じるな。などと考えて、軽く水を口に含んだ。氷水が舌先を洗い、次に来るメニューへの期待を高める。

 急に待ち遠しく思い、辺りを見回すと注文を取りに来た店員が視界に入った。

 

「お待たせしました。ご注文はどうなさいますか?」

「あ、えっと……」

 

 再び現れた女性店員さんに、希は次々と肉の名前を告げていく。

 

「おぉ……」

 

 海菜は、なれた様子で専門用語を駆使する希を眺めながら感嘆の声を漏らしていた。焼き方、肉の種類共に拘りのない彼には、彼女の口にするサンカクやツラミ、ギアラ等が何を指す単語なのか見当もつかない。唯一、分かるのはカルビ位だった。

 

「ご注文は以上でよろしいですか?」

「えっと……古雪くん、大丈夫?」

「じゃあ……スイートコーンを」

 

 え? 何で?

 何か言いたげな希の視線を完全にスルー。堂々と言い切ると店員さんを見送った。

 

「悪いな、希。スイートコーンだけは譲れない」

「いや、ええけど……そんなに好きなの?」

 

 海菜は静かに頷いた。

 

「大好き。甘いから」

「そっか……」

「何だよ」

 

 希は子供やん、というツッコミを飲み込むと牛脂をトングで掴み、ゆっくりと網に塗りこんでいく。海菜は興味深そうにその一挙手一投足を眺めていた。流石にまじまじと見られていることを気恥ずかしく想い、希は頬を染める。

 

「あの、どうかした? あんま見られると恥ずかしいんやけど」

「いや、ホントに焼き肉好きなんだなって思って」

「大好物やし……」

 

 お待たせしました――。

 話をさえぎるようなタイミングでカルビが運ばれて来る。

 

「カルビにも工夫とかあるの?」

「せやね、話すと長くはなるんやけど……」

 

 そっと、優しく肉を掴むと彼女はよく熱された金網の上。火の中心とは少しだけ離れた位置に一度に食べきれる量だけカルビを置いた。先ほどのタンとは違い、ふんだんに含まれている脂が派手な音を立てる。

 

「細かい話をすると、出来ればカルビより先に、脂の少ないロースあたりを焼きたいんよ。脂が多いとどうしても網が焦げちゃうから。……まぁ、でも、先に来ちゃったものから焼かないとね? お腹も空いてるし」

「違いない。うまそーだなぁ」

「それで、カルビを焼くコツなんやけど……」

 

 油断なく肉を見守りつつ彼女は語った。

 

「基本的に火加減は、強火かつ遠火が良いって言われてるの」

「強火で、遠火?」

「うん。強火で表面を一気に焼くことによって、お肉の旨味が外に出て行ってしまうのを防ぐのが目的。同じ意味合いで、何度も何度もお肉を触ってひっくり返すのはご法度やで? お肉を触るのは、網の上では一回だけや」

 

 と、話している間にカルビの表面に脂が浮き始めた。唯でさえ白い部分が多く、テカテカしていた脂身が照明を乱反射して輝いていた。希はその変化を見逃さずに肉を掴み、網の上を滑らせるようにしてひっくり返す。

 肉が熱される音が一際大きくなった。

 

「おぉ」

 

 海菜の口から漏れた嘆声。

 綺麗な焦げ目が初めて目にした表面に刻まれていた。

 

「それに、遠火にすることによって焼き上がりのムラを無くすんよ。あんまり火が近いと部分的に焦げちゃったりするから」

「へぇ」

「それで、感覚的には最初下にした面を七割。もう片方は三割ってイメージで……そろそろやな。カルビは脂を楽しむお肉やから、そのことも意識して食べてね?」

 

 途切れること無く続くカルビの焼ける音。

 正確に食べ時を見抜いた希がそれを持ち上げた。僅かに滴る肉汁が墨に落ち、最後の声を上げる。四枚の肉は丁寧に二人の皿の上に乗せられた。文句の付け所がない焼き加減であり、しっかりとした肉の艶めきが旨味が充分に閉じ込められている事を示していた。

 

 希はポン酢。海菜は醤油ベースのつけダレにカルビをさっと浸し、お互いに無言のまま口元に運んだ。

 

――柔らかい。

 

 海菜の脳裏に初めに浮かんだのはそんな感想。

 そして――。

 

 同時に、舌いっぱいにカルビの旨味の詰まった脂が広がった。じゅわ、と舌先で溶ける。柔らかな赤みを奥歯で噛みしめる度にしっかりと閉じ込められた肉汁が溢れだした。肉本来の味を損なわないよう調節された、主張の少ないタレがカルビを引き立てる。

 

「~~~~~~!!」

 

 あまりの旨さに頬が落ちるかのような錯覚に襲われる。海菜は思わず両目を閉じて、いつまでたっても味の無くならないカルビを咀嚼しつつ名残惜しそうに嚥下した。たまらない――素直に思う。

 休む間もなくもう一枚に箸を伸ばして、今度はポン酢に通した。

 旨い! 直ぐ様緩む頬。

 彼は夢中になって暖かな白ご飯をかきこんだ。

 

――振る舞い甲斐あるなぁ。

 

 希は心の底から幸せそうにカルビを頬張る海菜を見て笑った。同年代の男の子の中では、比較的大人な一面を見せることが多い彼が無防備な表情を浮かべることは少ない。イタズラっぽい笑顔や、生意気な顔はしょっちゅうしているけど素直で無邪気な……今みたいなリアクションを取ることは珍しいのだ。

 

――可愛い。

 

 そんな事を考えながら彼女は彼の様子を見守る。

 

 と、海菜がやっと自身の表情が見られていることに気がついた。

 彼は照れたように一瞬視線を反らすと、咳払いを一つ。

 

「こ、こほん」

「美味しかった?」

「ん。美味であったぞ」

「……勿体無いお言葉でございます」

 

 即席のコントを終わらせて、向かい合う。どちらからとも無く声を出して笑った。

 

「いやー、でもホント美味しいわ。焼き加減完璧」

「喜んで貰えて嬉しいな」

 

 希はニコリと微笑む。

 トレードマークの唇が牛肉の脂で艶めかしく光り、意図せず海菜の視線を奪う。そっと這う舌も妖艶だ。彼はカルビの美味しさとは別の意味で、焼き肉って良いなという感想を抱いた。無自覚な魅力が恨めしい。

 

「ちょっと、俺にもやらせて。……ってか、焼き方教えてよ」

「ん。ええよー」

 

 希はキラキラと目を輝かせている同級生にトングを渡す。そして軽くレクチャーを施した。その際に店員が別の肉を運んできたが、彼等の会話の邪魔をしないようそっと皿を机端に置くと一礼して厨房へと戻っていく。

 海菜は希に倣ってカルビを二枚、強火で遠火を意識して網に並べた。

 

「ひっくり返すタイミングは?」

「表面に脂が浮いて来たくらいやね。あと、ひっくり返すときお肉を優しく網の上で引きずるようにすると、焦げが残りにくく済んで綺麗に焼けるよ」

「詳しすぎて草」

 

 海菜は言われた通り、表面に熱が加わったことで溶け出してきた脂を確認してカルビにトングの先端をつけた。視線で師匠に確認を取ると、いいよ、とアイコンタクトが飛んで来る。

 すすっ、とぎこちない動きではあるものの肉を滑らせて裏返した。濡れたきつね色が光る。

 

「どやさ!」

「おー、完璧やん!」

「だろっ? いやー。やっぱり器用なんだよね、俺は。才能豊かというか! どっからどうみても希の焼いた奴と同じかそれ以上の出来だろ。コレは希選手悔しい! 何年も培って来た技術をものの数秒で盗まれた今の気持ちを……」

「ほら、古雪くん。もう二つ目のカルビ焦げ始めてるで」

「なにぃ!? やっば」

「喋るのに夢中になってお肉から目離すなんて、素人丸出しやで~? こっちはウチが貰うから! 授業料代わりや」

 

 海菜が慌てて残りのカルビをひっくり返している間に、希は先程の成功例を掠め取っていった。当然海菜は抗議の声を上げる。が、

 

「んー。美味しいっ」

 

 なんとも幸せそうに自分の焼いた肉を頬張る希を見て、否応なく許してしまう彼が居た。お互いに自然体で居られるこの時間が心地良い。

 

「はー。希のせいでちょっと焦げた……」

「古雪くんがウチを煽るからやろ」

 

 希は彼からトングを受け取ると、いつの間にか用意されていたロースとホルモン数種類を自分の方に寄せた。一方、海菜は唇を尖らせながらアルミホイルの容器に入れられたスイートコーンをそのまま網の真ん中に置く。

 

「あの、コーン邪魔なんやけど……」

「悪いな、希。スイートコーンだけは譲れない」

「さっきも聞いたよ。……そんなに美味しいの?」

「もしかして、スイートコーンの美味しさを知らない?」

 

 海菜はバターを投げ込みながら問いかける。甘い香りが辺りに広がり、ゆっくりと熱されて来たトウモロコシの粒が僅かに揺れた。

 希は彼の問いかけに素直に頷く。父親の影響で、焼き肉の最中に野菜を焼くことが少なかった彼女にとってスイートコーンはイレギュラーな存在。欲しいとも考えてこなかった食材だ。故に、でん、と置かれた黄色い粒々を興味深そうに眺めている。

 

「ふふふ。見てろ」

 

 海菜は得意そうに胸を聳やかした後、じぃと網上を見つめる。

 そして、一瞬スプーンでコーンをかき混ぜて状態を確認した。敷き詰められたそれらの下部分にあった粒にはきつね色の焦げが付いており、芳ばしさを示している。海菜はそれを確認して、軽く醤油を垂らした。

 しゅう、という軽い音と僅かな煙が立ち、塩気の強く濃い香りが漂った。

 

「出来上がり! スイートコーンだけはプロレベルなんだよ、俺」

 

 彼は楽しそうにアルミホイルを自身の皿に乗せると、完成したコーンをすくい取って口元へと運ぶ。そしてかなり高温になっているにも関わらず、躊躇うこと無く一口で頬張った。数秒の間はふはふと首を振りながら咀嚼して……。

 

「あま~~~~~い!」

「再ブレイク気味の芸人やん……最近はハンバーグやけど」

「いや、ホントに甘いんだって! 食べてみる?」

 

 海菜はスプーンで一口分すくい取ると、自然な動作でコーンを差し出した。

 

――へ? 食べさせてくれるの?

 

 唐突な想い人の行動に希は面食らう。

 一方、海菜の方は何食わぬ顔で『はよ。冷めるぞ?』などと賜っていた。

 

――これって間接キスやんな? 嬉しいけど恥ずかしい……。あ、でも、別にコレが初めてやないし、夏祭りの時だって既にしちゃったし。古雪くんにとっては割と普通な事なんかも? えっと、えっと……。

 

 普段の数倍の速度で回転する頭。

 乙女心満載の第三者から見れば思わず微笑んでしまうような可愛らしい感情。

 

 一方、海菜は天然から間接キスまがいの行動をしていた訳でも、同時に意識的に希の感情を揺らしていたわけでもなく。

 

――希にコーンの美味しさを教えたい……もとい、『あま~~~い!』って叫ばせたい。

 

 純粋に彼女をからかおうと画策していた。

 

 

(もうっ。考えても仕方ないやん! ……えいっ)

 

 

 一人、悶々と悩んでいた希は意を決して上体を前に倒し。

 

「はむっ」

 

 差し出されたとうもろこしを頬張った。

 瞬間、なんとも言えない優しい風味が広がる。

 一口頬張る毎に薄皮に包まれていた種子の柔らかな中身が飛び出して、タップリと含まれていた糖の甘みを溢れさせる。なるほど確かに、肉の美味しさだけを重要視していた今までの焼き肉では味わえない楽しみを自覚した。

 

 彼女は味覚的な喜びと、もっと別な感情を同時に処理しようと目を閉じる。これで目の前の男の子の顔を真正面から見てしまえば平静を保つことは出来ない。そういう考えから取った行動だ。

 

――美味しい……。でも、コレは、えっと。そもそも、古雪くんは天然でこんな事する人や無いし。だとしたら何か別の意図が……。

 

 希はそっと目を開ける。

 

 すると――憎たらしいほど活き活きとしたにやけ顔が目に入ってきた。

 

「味はどうだった?」

 

 明らかな誘導。

 ほら、言えよ。あま~~~~い、って。全力で。――彼の目が訴える。

 

――なるほど。

 

 瞬時に彼女は全てを理解した。

 

――いや、別に言うのはええんやけど……。

 

 希は思う。彼のパスに乗っかってあげることくらい簡単だし、いつもそうしてはいる。ただ、今回は少しばかり事情が違っていた。

 

 

 ぴきり。

 

 

 希のこめかみに青筋が立つ。

 

 

 

――ちょっとくらい、間接キス意識してくれたってええやんっ!

 

 

 

 彼女は無言で箸を網の上に伸ばし、かなり焦げ……香ばしく焼けていた先ほどのカルビを掴む。そしてそれを何の躊躇いもなく嬉しそうに喋り続けていた海菜の口に――放り込んだ。

 

 

「――――――!!!」

 

 

 声にならない悲鳴が漏れる。

 

 ただの痴話喧嘩。

 しかし結果として形は違えど、お互いに意識しないままキスの交換をしてしまっていた。その事に気がつくのは騒ぎが収まるもう少し後であり、お互いに悶々としてしまうというのはまた――別の話。

 

 

 

 

 

 

~オマケ~

 

 

「それじゃ、ロース焼くね」

 

 希は丁寧に、くっついていた肉同士をトングで剥がしながら言う。海菜はそれをぼうっと眺めながら既に二個目になるスイートコーンを頬張っていた。

 

「んぐ……。お、楽しみ。結構脂のってるな」

「そうなんよ。本来カルビとかに比べて赤身が多い部位ではあるんやけど、上等なものはサシが入るん」

 

 サシ?

 海菜が首を傾げるのを見て希は丁寧に説明を加えた。

 

「要は脂身のことやね。見たらわかると思うけど、糸みたいに細かい白い脂が表面に見えるやろ?」

「おぉ。ホントだ」

「さっきのカルビも綺麗なサシが入ってたの。気付いてた?」

「気付くわけ無いだろ……」

 

 常識なのに、と唇を尖らせる希。

 海菜はそんな自然体の彼女をちらりと見て微笑んだ。素直に可愛らしいと思える。

 

「ロースは赤身が多い分固くなりやすくて、結構焼くのが難しいんよ。だから、少し離れたところに置いてちょっと様子を見る」

 

 希は残念ながらそんな海菜の表情に気が付けず、掴んだ肉を中心から遠い場所においた。先ほどのカルビとは少し違い、網と触れ合う音も控えめだ。肉の筋繊維が熱に反応して僅かに縮み、脂がすぅと透き通り、色を変える。

 静かに火の通りを確認し、彼女はそっとロースの位置を網の中心に寄せた。

 

「真ん中に近づけて良いの?」

「うん。一瞬炙るイメージで……すぐに返す! そしたら、ほら」

 

 彼女は淀みない動作で肉を返した。

 すると、適切な時間だけ熱されたお陰で柔らかさを失っていない変色した赤身部分。僅かに溶け出した肉汁が海菜の目に飛び込んできた。そして、何より特筆すべきはその表面――薄っすらと乾いた焦げが形成されている。

 

「ちょっとだけカリッとした食感が出るように、きつね色に焦がしてあげるのがコツなんよ! うん、完璧やっ」

 

 はい、どうぞ。

 希は満足気に頷くと、完成したロースを海菜に差し出した。

 

「い、いただきます」

 

 恐る恐る箸で挟んだそれから肉汁が滴る。

 当然のように一度の接触だけで完成したその牛肉は、本来の旨味をしっかりと逃さずキープしている。そして、重力によって力なく揺れる姿から初心者にありがちな『焼きすぎて固くなる』状態を完璧に回避していることが分かった。

 

 垂れる肉汁さえ惜しく思い、海菜はそれを頬張る。

 早く。冷めないうちに。一番美味しい時に。

 

 

「……んっ!」

 

 

 思わず目を見開いた。

 

 先程まで食べていたカルビとは全く違う食感に驚く。希の手腕のお陰で綺麗に付いた表面の焦げは、一瞬の心地よい歯ざわりを与えた。そしてすぐに感じる肉本来の弾力。脂の多い部位とは違ったしっかりとした歯ごたえと、同時に舌先に触れたサシが優しい甘みを生む。

 もちろん、食感はしっかりしたものだが程よく熱された赤身は簡単に噛み切れる。絡みあった筋繊維は優しく解け、その隙間に詰まっていた肉汁――旨味が一斉に溶け出した。

 

 噛めば噛むほどあふれだす旨さ、そして脂身とは違いそれは暫く口の中に残るのだ。

 海菜は淡白でありながらもしっかりとした肉の味わいを無心で堪能する。

 舌先で溶けるカルビ、心地よい旨さを供給し続けるロース。今日この日まで、肉は白飯をかきこむ道具でしか無かった彼にとってこの経験はあまりに衝撃的だった。

 

「どう?」

「最高です……」

 

 合掌。

 

「ホントに美味しいな、焼くの上手すぎだろ」

「ふふ。喜んでもらえて良かった」

 

 

 海菜は続くホルモン達にも大きな感動を覚えることになる。

 

 

 その話はまたいつか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




二回目ののぞたん。
彼女を今年もこの作品内で祝えたことを嬉しく思います。

さて。最近はシリアス続きで後書き前書きを書くのを止めていたのですが。
久しぶりにこの場を借りてお礼をば。

AirMac、南ツバサ、なこHIM、ぽてるか、NAOYA@まきぱな、シベリア香川、最弱戦士、テコノリ、Tりちゃーど、さすけさん、てらけん@にこ推し、赤羽雷神、NEW BOSS、ゴンゴン、紅椿、白犬のトト、夜羽秦斗、純愛鬼、大阪の栗、whiterain、林大、ディエジ、プロキオン、アリステスアテス、glim、眼鏡坊主、BAR3、ヒトシキ、masao900(敬称略)

以上、29名の方から新たに評価頂いておりました。
厳しい意見等含め、大変励みになっております。
これからも評価、感想お待ちしていますねっ!

もうすぐで三年目に突入ということで、リアルの都合に合わせつつ更新ペースあげていければと思っています^^
ではでは、失礼します。

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