最終予選――前夜。
ツバサは一人、UTXの屋上で空を見上げていた。
月明かりに照らされた彼女表情は悪魔の如き美しさを宿していた。見るものを虜にする魔性の魅力と年齢に不相応とも思えるほどの洗練された大人の美貌。しかし、その中にも仄かに伺える少女のような愛らしさが男性の……そして女性の琴線に強く触れる。
彼女はアイドルだった。
そして、彼女はその道の天才だった。
誰もが羨み……そして憧れる存在。
浮かぶ月さえも、彼女を浮かび上がらせるためだけに存在しているスポットライトに過ぎない――他者が今のツバサを見れば必ずそう考える。それほどに彼女は美しかった。
「いよいよね」
一人零す。
あんじゅと英玲奈は既に帰宅した。
この場にいるのは彼女だけ。
ツバサは己自身と対話していた。
彼女にとっては珍しい事ではない。全ての決定権はツバサにあり、自分の意思だけが進む道を決める上で必要になるからだ。自分の本当に行きたい道を考えぬくことがそのまま成功に繋がってきた人生だった。
――天才。
海菜という青年が羨んだその才能。
定義を示す言葉は多々あるが、本質は一つ。
――願えば叶う。
これに尽きた。
目標を定めさえすれば、結果が必ず掴める。もちろんその裏には彼女の他者が比肩し得ないほどの努力があるとはいえ、その『狂ったほどに努力出来る才能』をも含めて『天才』だ。容姿は当然の如く恵まれ、異常なほどに洗練された観察眼は他人の心理を容易く見抜く。
全てにおいて失敗したこと等無かった。
なぜなら『どうすれば失敗しないか』が自ずと分かるからだ。
――逆に、なぜ皆これほど簡単な事に気付かないのだろう?
嫌味ではなく本気でツバサは思っている。
「私は明日勝てるかしら?」
大きくないその声が鋭く夜を切り裂いた。
口元に浮かぶのは不敵な笑み。
彼女は自身を天才と自覚している、しかし、だからといって他人を見下しているわけでは無かった。一重に同じ目線で他者を識別し、優秀な人間かそうでないかをカテゴライズしているだけで、自分に劣る人間を認めない……といった偏った嗜好はしていない。
故に、彼女が下すのは恐ろしく正確で的確な客観的判断。
「英玲奈も大丈夫。ダンスや歌は元から問題は無かったものね。唯一欠けていた観客へのアピールも今では前回ラブライブのあんじゅと同じレベルにまでは達してる。少し高すぎる自尊心をしっかりと自制して、見てくれる人達に自分の魅力を『曝け出す』という行為を自信を持って出来るようになった。何の問題もない。紛れも無いスクールアイドルの最高ランクに位置する存在になってくれた」
彼女は誰に聞かせるでもなく、先輩である統堂英玲奈を批評してみせた。
ツバサはずっと見ていたのだ。年上である彼女が、年下である私がリーダーとなったことに一度は反感を覚えていたこと。しかし、賢明な英玲奈がすぐにツバサの才覚と能力に気付いて、そこから様々なことを学ぼうと努力していたこと。第一回ラブライブ優勝の後も、自分に足りない部分を必死に補おうと努力し続けていたこと。
そして、それはツバサにとっての大きな勝利の根拠に繋がっていた。
「あんじゅも大丈夫。元の他者を魅力する力は私にも劣らないレベルでもあったもの。天性の表情と雰囲気を持ってた先輩。だからこそ、その才能に頼り過ぎる感じはあったけれど、この半年は足りない体力とダンススキルの向上に時間を割いてくれた。今のあの人なら自分の魅力を余すこと無くフルタイムで観客席に届けられる」
ツバサはふわふわとした雰囲気の優しい先輩――優木あんじゅの姿を思い浮かべていた。
ファンの皆が魅力的に感じている彼女特有の緩やかな雰囲気は決して意図的に作られたものではなく、彼女本来の魅力だった。ツバサはその性格や立場から年上には多少なりとも疎まれる傾向が強い。人間というのは弱いもので、自分より優れた人間が居ると排斥したくなるものだ。それが年下ともなれば尚更。
しかし、あんじゅは違った。
ツバサの子供っぽい部分にもきちんと目を向けて、先輩として同時に友達として優しく接していた。それは何かしらの意図を含んだ行動ではなく、あんじゅ生来の性格からくる行動で。ツバサはその事に戸惑いと一緒に喜びを感じていた。
ただ、常に『あんじゅは必死さに欠ける』という点では不満を持っていた。
しかし、ツバサと英玲奈と長い間一緒に居たことでその性質も次第に変わる。彼女たちに感化され、努力の重要性や『勝ちに拘る姿勢』を学んだ。今のあんじゅはただ優しく魅力的なだけのスクールアイドルでは無い。
「英玲奈もあんじゅも『
全国を探しても今の二人ほどの完成度を誇る相棒は居ない。そうツバサは確信していた。
二人の存在はより演技の質を高め。
二人の存在はより多くの支持を集め。
二人の存在はより深く観客の心を穿ち。
そして――。
「二人の存在は、私をより魅力的に――引き立てる」
彼女は、冷徹で。そしてどこまでも美しい表情を浮かべていた。
99.9%の人間が彼女を『傲慢』だと詰るだろう。
しかし、ツバサの言葉の裏にあるのは慢侮では無い。
天才と凡人の違いはそこにあった。
自分自身の能力や実力に対する絶対的な信頼。
月が――光る。
口の端に浮かぶ笑みが照らしだされ。
視認不可能な見えない圧力がその華奢な身体から膨れ上がり、弾けた。
「私は勝つわ」
独白。
その宣言はツバサが自信の為だけに紡ぎだした言葉だった。
観客の心を掴むアピールの技術――笑顔の質、ダンスの技術、目線の動き。全てを余さず突き詰めて練習してきた。もちろん、それは今に始まったことではなく『スクールアイドル』活動を始めた二年前からひたすらに続けてきたもの。
そして、培った技術を活かし切るだけの基礎スキルも仕上げた。
体力は完璧に作られ、体調管理も万全。ありとあらゆる想定を行って、いずれの状況でもベストパフォーマンスを行えるメンタルも完成している。
勝利の確証は――他でも無い自分自身。
全ての根拠は己にある。
他者は他者。それはチームメイトでさえ同じこと。
英玲奈は英玲奈。あんじゅはあんじゅ。
その上で、客観的に最大限魅力的なフォーメーションを考え、チーム内の立ち位置を考え。
そして――。
『A-RISE』は完成した。
「現実を見せてあげる」
彼女が思い浮かべたのは古雪海菜の顔。
能力が高ければ高い人間ほど彼女を前にすれば戦意を失って頭を垂れてきた。いつしかそれが当たり前になっていた。実力と才能の違いを正確に理解しておきながら勝負を挑むのは決して勇敢では無い。それはただの無謀。
しかし――彼はツバサに牙を剥いた。
才能に憧れ、優しさを捨てきれない弱い青年。
故に彼女が惹かれた、初めて出来た想い人。
そんな彼がツバサに突きつけた挑戦状。
『何言ってんの。俺は本気で君らに勝つ気でいるっつの』
勝つ?
彼女の瞳に殺気が宿った。
――叩き潰す。
彼女にとって自分の胸に宿る恋心と、勝負は全くの別物だった。彼に向くツバサらしからぬ暖かな感情と、冷徹に勝利を目指す心は綺麗に割りきって考えられる。常人離れの理路整然とした思考回路。選ばれた人間にしか許されない判断論理。
明日が楽しみね。
唇が僅かに歪んだ。
勝つ自信はある。
揺れることのない絶対的な自信が。
自分が天才・綺羅ツバサであるということ。
【全ての根拠は己の中に】
本番が――始まる。
次回。
決戦前夜 ―高坂穂乃果―