ラブライブ! ~黒一点~   作:フチタカ

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第三十九話 決戦前夜 ―古雪海菜―

 

 最終決戦――前日。

 

 

 彼女達は明朝九時。いつも練習場所として使わせて貰っていた神田神宮の階段上のスペースに集合していた。皆着替え終わり、各々準備体操をしている。その表情は一様に明るく眩しい。

 

――なんだ、余裕そうじゃんか。

 

 海菜は彼女らの様子を見てそう判断した。

 もっと緊張でガチガチかと思えばどうやらそうでもないらしい。もっとも、今日はあくまで前日であって当日ではない。そこにも理由があるのかも。……彼は階段の手すりにもたれ掛かりながらすっかりと白く染まった息を吐き出した。

 ぼぅ、と朝の日差しを乱反射する氷の微細な粒を見つめる。

 キラキラと輝く光。

 そんな輝きの向こうに――μ'sは居た。

 

――よくここまで来たよな。

 

 彼は素直な感想を頭に浮かべる。思い出すのはほんの七・八ヶ月前の事。

 

 廃校の危機に瀕した学校と、それを救おうと立ち上がった女の子たち。何の偶然か、それとも必然か。本来交わるはずのなかった『古雪海菜』という青年の道が穂乃果達の行く道と重なりあった。

 日にちに換算すればたった二五〇日あるかないか。今まで過ごした月日を含めればほんの数パーセントでしか無いその時間。しかし、様々出来事が彼等の身に起きて、その都度彼等の在り方を変えていった。

 

 海菜は笑う。視線の先に居るのは希。

 

――俺にとってのμ'sは、この娘の為だけのものだった。

 

 彼にとってスクールアイドル活動はもちろんの事、音ノ木坂の廃校でさえ特に興味のあるものでは無かった。アイドルなど眼中に無い性格であったし、それは今も然程変わって居ない。高校が廃校になるのもある種仕方がない物で、それを食い止めたいなどと考える理由もない。

 唯一、幼馴染の曇る顔が見たくなくて、出来れば起きて欲しくない――と、漠然とした願いを抱いていただけ。絵里がμ'sに加入する後押しをしたのも、あくまで彼女が望んでいたからに過ぎなかった。絵里が笑顔であればそれで良かったのだ。

 

 ただ、同時に海菜は誰よりも彼女(のぞみ)を大切に想っていた。

 

 一度はμ'sと中途半端に関わりあうことを良しとせず、繋がりかけた関係を切ろうと考えたこともある。しかし、それを引き止めたのは彼女の存在で。

 

 

   ◆

 

 

 私の新しい夢はね……【μ’s】が出来上がること。

 そして……、手と手を取り合って一つの目標に向かって進む九人の傍に、古雪くん。キミが居てくれることなんや。それがウチにとってはすごく大事なの。

 

 だから、お願い。

 ウチ。……いや、ウチらに。力を貸してください

 

 

   ◆

 

 

 希が望んだからこそ海菜は自分の意思でμ'sと関わりあう事を決めたのだ。

 

 花陽に心からの言葉を届け――。

 真姫に先輩だからこそ言えるアドバイスをして――。

 にこをμ'sに引き寄せた。

 

 絵里――幼馴染も同様。

 

 そして、最後に希が加入して『μ's』は完成した。

 

 

――否。

 

 

 本当の意味では完成、とは言えなかったのかもしれない。

 

「ちゃんと準備運動しとけよ~。怪我したら洒落にならないし」

『はーい!』

「何なら俺が揉みほぐ……」

「ホント、前日くらいそのセクハラ止められな……」

「黙れ!! にこには言ってねぇよ! にこにはな!」

「ぬわんですってぇ!? ちょっとそれどういう意味よ! ちゃんと私も揉めるわ……って何言わせんの!!」

「まさかのノリツッコミで草」

 

 海菜は軽い口調で全員に注意を促した。いつものように軽口混じりではあるが、少し真剣な光が瞳に宿っている。彼はもはや習慣となっていたメンバーの顔色や動きのチェックを行っていた。

 

 

 

――もう、あんな思いはゴメンだしな。

 

 

 

 彼は自嘲気味に微笑む。

 脳裏を過るのは辛く苦しい過去。

 自分の犯してしまった失敗。

 

 フラッシュバックするのは力なく倒れこむ穂乃果の姿と、彼女に容赦なく降り注ぐ大粒の雨。火傷するくらい熱く火照った身体を抱いて、荒く乱れる呼吸を胸に感じた一番初めの大会の予選ライブ。

 

 自分は協力者であり、傍観者。

 彼はそのスタンスを守り続けていた。

 

 もちろん、それが客観的に考えて間違っていたかと問われればそうではない。彼は自身の思い描く未来の為に、自分のこなすべき勉強に時間を費やしていただけだ。同時に、ライブの失敗は他でもない。体調管理を怠った穂乃果にあることは自明の真実。

 

 しかし、海菜は自分を責めた。

 自分が中途半端な距離を保っていたせいで、彼女たちは続いて行くはずだった未来を諦めなくてはならなくなったんじゃないか。溢れだす後悔。それを糧に彼が導き出した結論は――『本当の意味でμ'sの一員になること』だった。

 

 多少無理してでも練習に参加して。

 メンバーともコミュニケーションを取って。

 解散の危機に瀕した時には奔走し。

 最大の敵にはμ'sの勝利を信じて宣戦布告まで行った。

 

 

 そして今――彼はかけがえのないμ'sの一員としてここに立っている。

 

 

「それじゃ、本番前の最後の通し。準備はいい!?」

 

 穂乃果が立ち上がってメンバーを呼ぶ。

 こくりと頷いて、全員が集まった。

 そして彼女らは示し合わせていたかのように海菜の方を向いた。

 

 彼は少々面食らったように身体を揺らす。

 

「な、何? あんま見られると緊張するんだけど」

「緊張するのは私達の方でしょう。踊るのはこっちなんだから」

 

 絵里の冷静なツッコミに笑みを返し、彼は手すりに掛けていた体重を前へ向け、少しだけ真剣な表情で彼女たちに向き合った。ゆっくりと全員の目を見つめる。そして、その全員が真っ直ぐな光を彼に見せてくれた。

 

「これ踊り終わったら、次はもう本番ですけど……何か言いたい事とかありますか?」

 

 代表して穂乃果が問う。

 

「いやー。コレといって改めて言うことは……」

 

 海菜は少し困った表情で笑うと、そう軽く返そうとして

 

「本番当日は、海菜さんと会えないと思うので……」

 

 寂しそうな穂乃果の表情を確認してその笑みを引っ込めた。

 

 いくら全面的に協力してきた存在とはいえ性別は男。スクールアイドルという存在にやはり異質な存在であるのは事実だ。穂乃果が言うように、全員で顔を合わせて彼の話が聞けるのは前日である今が最後。

 海菜が全員に向けて言葉を紡げる機会はもう無い。

 

 

 

「あーーー。そうだな」

 

 

 

 彼から視線を逸らすメンバーは一人としていない。彼女たちは、目の前に立つ海菜の言葉を聞き漏らすまいと真摯に耳を傾けた。そんな光景から彼が培ってきた関係性と、間に生まれた信頼感が伺える。

 海菜は少し照れくさそうに、一瞬だけ視線を空へと向けた。

 そして、彼女たちに向けて口を開く。

 

 

 

 

「ゆー、きゃん、どぅー、いっと!」

 

 

 

 

 笑顔と共にサムズアップ。キラリと奥歯が光った。

 

 

 一瞬の間と。

 

 直後、不満が爆発する。

 

「ひどい! 適当やん!?」

「海菜さん!? 穂乃果達もっと別の感じを……」

「……海菜さんに期待した私達がそもそも間違いだったんです」

「かーいーなーさーんー?」

「はぁ」

「えへへ。らしいといえばらしいような……」

「凛、珍しくかいな先輩の話聞こうって思ってたのに。損したにゃー」

「ばか海菜」

「アンタねぇ! 今日という今日は……」

 

 折角作っていたフォーメンションを崩して彼のもとに駆け寄るμ'sのメンバーたち。海菜は焦ったように後ずさりしてわたわたと両手を顔の前で振ってみせた。

 

「や、だって、頑張れとしか言えないって!」

 

 今更この子たちに改めて話せることなんて……。

 その言い訳に、穂乃果が即答した。

 

「だから、私たちは海菜さんに頑張れって言って欲しいんです!」

「へ?」

 

 呆けた顔で彼は聞き返す。

 口が達者な方ではあるがそれは煽りとか弄りとかに特化しているだけであって、改めて真面目な言葉を求められると照れが先行してしまうのか有耶無耶にしてしまう海菜。しかし、穂乃果は真っ直ぐ彼を見つめて言う

 

 

「頑張れって言って下さい!!」

 

 

 そして、その言葉にμ's全員が同時に頷いた。

 

 

「それだけで良いんです!」

 

 

 一瞬の沈黙。

 寒空の下、一人の青年と九人の少女が向かい合う。

 

 

「もちろん、私たちは色んな人に支えられてきました。ライブの準備の手伝いをしてくれるクラスメイトの皆や応援してくれるファンの人。理事長も見えない所できっとたくさんフォローもしてくれてるし、メンバーの皆だってお互いに助けあって来ました」

 

 でも!!

 穂乃果は笑う。

 

「私は――きっと皆も! 海菜さんに頑張ってる姿を見せたいんです! 鈍感な穂乃果は知らなかったけどμ's結成の影には貴方や希ちゃんが居てくれたんですよね。そして、いつの間にか私達を大切にしてくれて。だけど、穂乃果のミスで第一回ラブライブでは海菜さんに恩返しできなくて……。なのに、見限ること無く……ううん、むしろμ'sを救ってくれた」

 

 海菜は瞬きを忘れて彼女を見つめていた。

 彼が出会った無類の輝きを放つ少女。

 

――μ'sを作ったリーダー。

 

 ドジで、おっちょこちょいで、考えも深くはなくて。

 

 でも、μ'sは――海菜はずっと彼女の走る背中を追いかけてきた。

 

 海菜の様に『支える』力では無い。

 『導く』――力。

 

 

 

 この物語の主人公は彼女なのだと、協力者(かいな)は人知れず微笑んだ。

 

 

 

 

「私は知ってます。貴方が私たちに費やしてくれた時間の――大切さを」

 

 受験、勉強、海菜の目標。

 穂乃果はラブライブという夢に向けて走ったからこそ、海菜という人間の覚悟の本当の意味を理解していた。彼女は時間が欲しくて欲しくて堪らなかった。ラブライブ本戦に出場するため、絶対王者A-RISEを超えるため。ダンスの練習、ボイストレーニング、フォーメーションそして充分な体調管理。

 彼女にとってやる気は自然に湧いてくるもの。

 何かを叶えるために必要なモノは他でもない『時間』なのだと学んだ。

 

――きっと、海菜さんも同じ。

 

 『時間』を作りたくてバスケを諦め、必死になって努力し続けている。

 

――でも、海菜さんは私達に付き合ってくれた。

 

 

 

「だから、私は一番に海菜さんにありがとうございますって言いたいんです!」

 

 

 

 穂乃果は一歩踏み出した。

 いつの間にか擦り切れた何足目かも分からない運動靴が砂利を鳴らす。

 

 

 

「でも、その気持ちは私達の歌と踊りと――結果で示したいから。だから!」

 

 

 

 身を乗り出すようにして穂乃果は彼に語りかけた。この場に居る全員の気持ちを汲み取り、訴える。彼女たちがこの寒空の下、拳を握りしめて待つのは他でもない――力無き協力者の言葉。

 

 海菜は頷いた。

 彼女の、μ'sの想いを汲みとって笑う。

 

 変声期を終えた青年の、低く優しい声色。

 穂乃果達を想い続けた彼の声。

 

 

 

「そっか。じゃ、まぁ……」

 

 

 

 彼は照れくさそうに首の後に手を回す。

 そして、視線を少し揺らしながら言った。

 

 

 

 

 

 

「明日は頑張れよ」

 

 

 

 

 

 

 

 同時にμ'sの輝きが――――。

 

 

 

 

 

***

 

 

 カリカリ。

 時刻は十時を回っており、足元に置いた電気ストーブが僅かな機械音を放つ。海菜は普段通り幾度も読んだ参考書を開いて計算用紙に数字を刻んでいた。彼にとって明日という日は重要ではあるものの、だからといって今日という日を怠惰に過ごす理由にはならない。

 彼はちらりと時計を確認して大きく息を吐いた。

 

「ふぅ……」

 

 参考書を一旦閉じて立ち上がる。

 そしてベッドに腰を下ろし、手の届かない場所に投げられていたスマホを拾い上げた。電源を入れると新着メッセージや通話の通知が見える。何事かと慌てて操作をするとμ'sのメンバーからの着信が入っていた。

 

「どーしようかな」

 

 海菜は勉強机と時計を交互に見て思案に暮れる。

 しかし、小さく頷くとスマホを軽く弄って耳元に当てた。

 

 二三度、呼び出し音が続く。

 

「あ! かいな先輩! やっと出たにゃ~」

 

 電話越しに明るい一年生の声が響いた。

 

「凛、珍しいな。君から電話なんて」

「はい! 一応皆から着信来てましたよね?」

「や、まだ全部は見てないけど……全員掛けてきてんの?」

「はい! 実は皆で五分位だったけど会議通話してたんだにゃ。でも、海菜さん出てくれなかったから各々で突撃しようって話になって」

「勉強中だっつの。まぁ、いいけど」

 

 海菜は若干呆れた表情でスマホを見つめたものの、小さく溜息を吐いて会話を続行させる。なんとなく、この少し生意気な後輩と話をしても良いような気になっていたのだ。彼も平静を装って勉強をしてはいたものの、落ち着かなかったのも事実。

 

「で、何の用?」

「特にないにゃ」

「……切るぞ」

「にゃーーー!! 待ってください! 流石に酷いですよ! 折角凛が勇気をだしてかいな先輩に電話したのに」

「嘘つけ。緊張なんてしてないくせに」

「あ、バレました? いまいち先輩相手じゃ緊張しないにゃっ。あはは」

 

 電話越しにきゃっきゃと楽しそうに笑う声が聞こえる。

 海菜は何かを言い返そうと口を開いたものの、その声に釣られて微笑んでしまった。

 

「かいな先輩! 明日は来てくれるんですよね?」

「あぁ。行くよ。観客席から応援だけど」

「そうですか。凛、失敗しそうだから見ないで貰えると助かりますにゃ~」

「ふふん。ミスったら君の部屋で七輪使って魚焼くからな」

「酷すぎますよ! 鬼畜にゃ! 凛が魚苦手だって知ってて!」

 

 海菜は楽しげに喉を鳴らしながらベッドに寝そべる。

 

「……あ、そういえば勉強のお邪魔でしたか?」

「気使うの遅っ! ま……別にいいよ、今日くらい」

 

 そっと掛け時計に視線を向けると、いつの間にか五分程時間が立ってしまっていた。しかし別段焦りは感じない。もし明日負ければ、この娘と話す機会も無くなるんじゃないか――そんな淋しい考えも浮かぶ。無論、彼は勝ちを信じてはいたが。

 

「にゃはっ。じゃあ、凛と夜を明かすにゃ~!」

「ばーか。ちゃんと寝て明日に備えろ」

「言われなくてもベッドの中ですよっ。これからかよちんと真姫ちゃんにライン送ってすぐ寝ます! じゃ、そゆことで、切りますよ」

「一方的か!」

 

 がさごそと掛け布団を治す音が聞こえる。

 海菜は呆れながらも小さく吹き出して親指を通話終了ボタンに当て――

 

「かいな先輩」

 

 唐突な凛の声に動きを止めた。

 

 

 

「明日は凛の……可愛い所、見てて下さいね!」

 

 

 

――凛は、アイドルっぽくないし……。

 

 

 そう、切なげに零した彼女はもう居ない。

 海菜は小さく頷いた。

 

「はいはい。でも、君は前から可愛かったよ」

「えへへっ。その言葉をかいな先輩以外のイケメンから聞きたかったにゃ!」

「前言撤回。可愛くねぇ~~!!」

 

 

 ブチッ!

 

 海菜は怒りに任せて通話を切って枕に顔を埋める。――折角真面目に返したのにこうだよ! 俺って後輩に舐められ過ぎでは!?

 

 

 ◆

 

 

 ぶつぶつと文句を言いながらも彼は着信履歴を遡っていく。ご丁寧に全員分入っていた。

 取り敢えず一年生から順に折り返し掛けて行くことに决める。一応年下には気を使うため、気の許せる同い年は後に回しておきたい。

 

 通話開始ボタンを押し――

 ワンコール待たずして彼女が出た。

 

 

「も、も、も、もしもし? 西木野真姫ですけど!?」

 

 

――コイツ、もしかして電話の前で待機してた?

 

 瞬時に海菜の行った考察は、見事に事実を言い当てる。

 

「なんかスマンな、三〇分くらい待ち惚けさせたみたいで」

「な! 待ってなんか無いわよ! 偶然スマホ弄ってただけで!」

「そうかそうか。じゃあ良かったんだけど」

「ふ、ふん」

 

 受話器越しに真姫が顔を赤らめてツンと視線を明後日の方向へずらす様子が想像出来て、海菜は曖昧に微笑んだ。コイツは凛と違って変わらないな……。未だに自分に対して緊張を隠せない真姫に彼は優しく語りかけた。

 

「電話、慣れてないんだな?」

「う。だって、普段は貴方との連絡はラインのメッセージじゃない……」

「ま、そうだけど。でも一年生じゃ多分君が俺と一番絡んでるぞ。ちょくちょく勉強会もしてるし、いい加減慣れたら良いのに。色々と遠慮して迷ってたせいで他のμ'sメンバーよりもしばらく後に着信入れることになって、その後スマホに張り付くなんて真似しなくて良いんだよ」

「そういう、色んな事さらっと見通して来る所がニガテなのよ! 緊張するに決まってるじゃない!」

 

 俺が賢いんじゃなくて、君が分かりやすいんだよ。

 海菜はプリプリと怒っているであろう可愛い後輩を思い浮かべてニヤリと笑った。

 

「で、何話す?」

「べ、別に何も……」

「何も無いなら電話かけてこないだろ」

「うぅ……」

 

 暫くの間沈黙が流れる。

 彼は電話越しに悶えている真姫を想像しながら立ち上がり、ダウンを羽織った。そして気分転換がてら部屋を出て、玄関へと向かう。天気も良いため月を見ながら散歩というのも悪く無い。

 

「…………」

「…………」

 

 冷たい風が、先程まで自室に篭っていた彼を覆う。

 僅かに身体を揺らしながらも元気よく歩き出した。

 

「古雪さん……あの」

 

 黙って話を促す。

 

「明日負けちゃったら、もう今のμ'sでラブライブに出ることは無いでしょう? それで、そうなれば海菜さんも受験で忙しくなるだろうし……。いや、もう既に忙しいのは解ってるんだけど」

 

 ぐだぐだと彼女は続ける。

 

「だとしたら、こうして話をさせて貰えるのももしかしたら最後かも、というか。……あ! もちろんμ'sが負けるかもとかそういうことを言っているわけじゃないのよ!? 私たちは絶対勝つ気で居るけど、勝負である以上どうなるかはわからないし皆必死に練習して来るわけで」

 

 ふぅ、と吐き出した息が凍った。

 

「だから、だからね……」

 

 真姫は知っていた。――先を予測することの重要性を。

 

 彼女の年でその事を理解している人間は少ない。先輩で言えば、綺羅ツバサや古雪海菜が『先見の明』を持った者だと言えるだろう。彼等は自分の行動の結果が何に繋がるか、現状が一体どんなものに化けるのかを常に考え続けている。

 

 そして、それは真姫も同じだった。

 

 勝利を盲信する強さ、は確かに存在する。

 しかし、勝利を疑う強さもまた、存在していた。

 

 そういう彼女だからこそ。

 

 

 

「今まで、あり……」

「ストップ」

 

 

 

 海菜は躊躇いなく制止する。

 勉強のためにバスケを諦めた自分よりも優秀な、勉強とμ'sを両立させようと足掻く真姫に想いを託せる。自分の無念を、大切な後輩に預けることが出来た。

 

 

 

「それはまた来年聞くわ。だから、絶対勝てよ」

 

 

 

 そして、真姫もまた尊敬する先輩の紡いだ『絶対』の意味を理解する。彼が無責任にそれほどまでに強い単語を使わないことを知って、小さく微笑んだ。

 

 

 

「…………はい」

 

 

 

 ◆

 

 

「次は花陽か。緊張してるだろうなー」

 

 明日の最終予選に向けて、きっとμ'sメンバー全員が色んな事を考えながら自室でくつろいでいる頃だとは思うが、性格上彼女は誰よりガチガチになっているのでは? そんな予想とともに海菜はダイヤルを押した。

 すると、すぐに彼女が電話を取った。

 

「あっ! 海菜さん、こんばんわ」

「花陽。こんばんわ」

 

 予想と反して、普段通りの声色の一年生。

 海菜は意外に思いながらも優しく話しかけた。

 

「なんだ、緊張してるかと思ったけどそうでも無いんだね」

「えっ!? 緊張はしてますよ~」

「いや、もっとガチガチかと思ってた」

「あはは、さっきまで穂乃果ちゃんたちとお喋りしてたからかもしれません」

「あぁ、なるほどね」

「あ、それに……」

「それに?」

 

 なんとなく、受話器越しの彼女の部屋の温度が上がった……ような気がした。海菜は夜道を散歩中のためそんな事、分かりっこないのだが。しかし、彼女との付き合いも長いため何となく察するものがあったのだ。

 

「それに……」

 

 すぅ。

 大きく息を吸う音。

 

 

 

「明日は誰よりも近くでA-RISE、イーストハート、Midnight Catsの歌と踊りが見れるんです! 私達の地区のトップ三の演技を舞台袖から見ることが出来るなんて、スクールアイドルファン冥利に尽きるというものです。こんな幸せ、二度と無いかもしれません!」

 

 

 きぃん、と若干の耳鳴りに襲われる。

 

 あぁ、これが緊張してない理由か。

 海菜は真顔で空を見上げた。

 

「いや、ファン冥利って……君はスクールアイドルなんだけど」

「それとコレとは別です! 皆さんライバルですけど、私はやっぱりA-RISEのファンですから!」

「あっ、そう」

 

 まぁ、だからこそリラックス出来てる部分もあると思うし、コレはコレで花陽らしい在り方なのかな。海菜はそう考えて頷いた。相手を敵として認識することで勝ちに対するエネルギーを増幅させる人もいれば、彼女のように必要としない人も居る。ただそれだけのことだ。

 

「だから、明日は楽しんできますね! 応援して下さいっ」

「……ん。ミスんなよ?」

「はわわ。頑張ります……」

 

 実はμ'sの中でもトップクラスに肝の座っていた一年生。

 海菜は何も気にすること無く通話を終えた。

 

 

――花陽なら大丈夫。

 

 

「オドオドしてた花陽も可愛かったんだけどなぁ……」

 

 

 海菜はなぜか不満そうに呟いた。

 

 

 ◆

 

 

「で、どのタイミングでラブアローシュート打つの?」

「開口一番何なんですか!!」

 

 次の電話の相手は海未。彼女は一瞬眠そうに電話に出たものの、続く海菜の一言で急に声に張りを取り戻して叫ぶ。園田家の跡継ぎはお淑やかなだけではなかった。

 

「俺にだけ分かるようにやってみてよ」

「なんですか、その『優勝したらこの一言言って下さい!』ってスポーツ選手にレポーターが頼む感じのやつは」

「やってくれないの?」

「絶対やりません!!」

 

 頑なだなぁ……。

 海菜は不服げに唇を尖らせる。

 

「もっとこう、励ますとか無いんですか」

「別に、海未なら大丈夫だろうし」

「その信頼は嬉しいような、そうでないような……」

 

 他のメンバーと違い、こういう大きな大会に耐性があるのが彼女の強みだろう。幼い頃から習っていた日本舞踊しかり、弓道および剣道の大会でも優秀な成績を収める海未はここ一番での力の出し方を正しく習得していた。

 海菜もその点を踏まえて、彼女に関しては何一つ心配はしていなかった。

 

「もしかして、寝る所だった?」

「えぇ、まぁ……。海菜さん勉強で忙しいのかと思いましたし」

「じゃ、ギリギリセーフだったわけだ」

「はい。お声だけでも聞くことが出来て良かったです」

「お、可愛い事言ってくれるじゃん」

「も、もう。からかわないで下さい!」

 

 パタパタと布団を叩く音が届く。

 相変わらず反応の面白い子だな、そんな事を考えながら海菜は笑った。初めて会った時から面白い子だとは思っていたものの、今日に至るまで弄り尽くして尚面白いとは恐れ入る。

 

「海菜さんくらいですよ、私をからかうの」

「しっかりものだもんな」

「まぁ、自分で言うのも何ですけど。穂乃果の面倒を見ているせいで自然と」

「だからこそ、いじりたい」

「ホント最低ですね……」

 

 相変わらずの先輩の様子に、海未も薄っすらと笑みを浮かべた。

 

――海菜さんは変わりませんね。

 

 彼なりに色んな事を考えて、彼だけのやるべきこともあって。でもその中で出来る限りの思いやりを私たちにくれる。今だって、ちょっとでも私達の緊張を紛らわそうと全員に律儀に電話をかけているのだろう。

 本当、優しい人。

 いつもと同じように、こんな面白みもない私を可愛がってくれる。

 

「海菜さん」

「ん?」

 

 海未はにこりと笑って、海菜が欲しているだろう言葉を紡いだ。

 

 

 

「頑張りますから、明日、ちゃんと見ていて下さいね?」

 

 

 

 一瞬の沈黙。

 くすり、海未の耳には彼の笑い声が届いた。

 

 

「見るさ……君のラブアローシュートをしっかとな!!」

「だからやらないって言ってるじゃないですか! 演技です! 演技!!」

 

 

 ◆

 

 

「次は穂乃果かな」

 

 海菜はスマホの画面を見ながら呟く。

 

「ちゃんと寝る準備はしてるだろうな?」

 

 流石に数カ月前の二の鉄は踏まないだろうし、ジョギングに出ているなんて事は無いだろうけど……。海菜は若干の不安を抱えながらも穂乃果に向けて通話を飛ばした。

 

 ワンコール。

 ツーコール。

 

 電子音が右耳をぐるぐると回る。

 時刻は十時半であり、流石に風呂も夕ご飯も済ましてるだろう。それにさっきまでμ'sで会議通話していたのなら寝ていることも無いだろうし。

 

 プルルル。

 

 何度目か分からないコール音が響いた。

 

――いやいや、まさかな。

 

 スマホを放り出してどこかへ行ってるなんてこと無いだろうな。

 

 海菜が嫌な汗をかきはじめたその時。

 やっと電話がつながった。

 

「おぉ。良かった、繋がって」

「…………」

「えっと、穂乃果?」

 

 沈黙。

 電話越しからは何の音も聞こえてこない。海菜から何度か呼びかけてみたものの、やっと一つだけ返ってきたのは……。

 

 

 

「あと……五分、…………ぐぅ」

 

 

 

 寝てるゥゥーー!?!?

 

 漸く聞こえた音声が寝息だと気が付いて海菜は声にならない叫びを上げた。体調管理は大事だし、睡眠時間をたっぷり取るに越したことは無いだろう。しかし、そうはいっても本番を明日に控えた状態で、いつもより早くしかもぐっすり眠れるほど心臓に毛の生えた人間はなかなか居ない。

 普段よりちょっと遅くなるくらいにやっと気持ちが落ち着いて安眠出来る……というパターンが普通だ。――という彼の持論。

 

 だが、海菜の思うその例に、高坂穂乃果は当てはまらなかった。

 

 穂乃果は前回の反省を生かして早めにベッドに潜り込み、いつもどおりのペースで熟睡していたのだ。一応、なり始めたスマホを一瞬起きて操作したものの力尽きる。彼女は海菜の掛けて来た電話を、邪魔な目覚まし時計と勘違いしていた。

 

「ま、いいか」

 

 寝てるなら何の問題もない。

 

 

――頑張れよ、リーダー。

 

 

 μ'sの物語を導く主人公にそっと応援を送り、海菜は通話を終えた。

 

 

 ◆

 

 

「あはは、穂乃果ちゃん寝てましたか~」

「あぁ。ぐっすり寝てたわ。別に良いけど」

「穂乃果ちゃんが言い出しっぺなんですけどね、海菜さんに電話かけようって言ったのは」

「そうなの?」

 

 穂乃果に電話をかけた直後のこと、ことりはすぐに返事をしてくれた。

 実はことりも真姫同様そわそわとしながら海菜からの電話を待っていたのだが、一歩精神年齢の高い彼女はわざと出るのを遅らせてそれを察されないようにしている。しかし、少しだけ弾む口調を隠すことは出来ていなかった。

 

「ことりは寝る準備出来てるの?」

「はい! 今はもうあったかお布団の中です。もふもふー」

「そかそか。ま、君も大丈夫だろうからそろそろ……」

「えぇ? もう電話切っちゃうんですかぁ」

 

 信頼から電話を切ろうとした海菜を、ことりは慌てて静止した。

 『ことりは大丈夫』と言って貰えたのは嬉しかったものの、想い人と話を続けたいというのも正直な所だった。特に、こういうμ'sとしての活動以外の時間は海菜側が忙しい場合が多く、電話などあまり出来ない。

 だからこそ、ことりは食い縋るのだが。

 

「へ。特に話すこともないし、早めに寝たほうが良いんじゃない? 今日は特に」

 

 

――うぅ、話す内容なんて何でも良いんです。貴方とお話出来れば。

 

 

 そんな健気な想いも当然電話越しでは届かない。

 仮に面と向かって話していれば、ことりの表情の変化に彼が気付くこともあっただろうが今はそれも見えない以上、海菜に全てを察せと言う方が酷な話だ。

 

「そう、ですね……」

 

 ことりも続ける言葉が見つからず、諦めの台詞を零した。

 一向に縮まらない距離と……一向に向けられない視線。

 

 何となく、彼女にもそのことが分かっていた。

 

「あ……」

「どうした?」

 

 

 ことりは一瞬だけ頭に浮かんだ事を口にするか迷う。

 

――どうしよう。答えてくれるかな?

 

 きゅっと拳を握りこみ、何気ない風を装って彼女はその問いを投げかけた。

 

 

 

「あの、ツバサさんとの話は……どうなったんですか?」

 

 

 

 明日はA-RISEとの戦い。

 彼に想いを寄せているらしい、綺羅ツバサが何もしないはずがない。他のメンバーが既に海菜をからかうのに飽き、失念していたもしくは触れずに居たその事に彼女は気がついた。勝負と恋は関係ない。単純な事実を知りながらも、想い人の話にやはり興味は尽きなかった。

 

「あー……」

 

 一瞬の間。

 

「こっちで何とかするし、明日には全く影響しないと思うよ! ツバサも本気で勝ちに来るだろうから。頑張れ」

 

 それは、案の定――誤魔化しの言葉で。

 

 

――あぁ、やっぱり私は蚊帳の外なんだ。

 

 

 その事実を、彼女に突きつけた。

 でも、電話の向こうの彼が恋とは別の意味だとしても自分に優しく暖かな想いを持ってくれているのは確かなことで。

 

 ことりは少しだけ浮かんだ涙を拭って、明るく笑った。

 

 

 

「はい! 頑張ります!!」

 

 

 

――それでも、諦めたくない。

 

 心が零した。

 

 

 

 ◆

 

 

「よー、にこ」

「……何よ」

「何よって、君から電話かけてきてたんじゃん」

「それはその場のノリよノリ。別にアンタと通話したかった訳じゃないわ」

「ふぅ~~~ん」

 

 海菜は普段通りの喧々とした態度のにこにわざとらしい返事を返す。誰が聞いても何かしらの意図を匂わせるその声色ににこも不機嫌そうに問い返した。

 

「何よ……」

「にこが盛大に緊張してるだろうから、わざわざ解しに来てやったというのに」

「なっ!! 緊張なんかしてないわよ!!」

「ほう?」

 

 電話越しでも分かる意地の悪い声。

 ニタリ、と海菜は邪悪な笑みを浮かべた。

 

「今日の晩ごはんはカツカレーだっただろ」

「…………!?」

 

――当たってる!?

 

 にこは母親が珍しく早く帰って来て作ってくれた、絶品カツカレーの味を思い出していた。少し消化には悪いものの、それを加味していつもより早い時間に夕食を済ませた。

 しかし、なぜそれを赤の他人である古雪が知ってるの!?

 唖然とするにこを他所に海菜はあざ笑うかのように言葉を並べた。

 

「穂乃果たちと話した後、風呂に入ったよな。……ゆっくり緊張をほぐすために。電話のせいでより明日の本番を意識しちゃったから」

「な…………」

 

――せ、正解。

 

 にこは僅かにしめる髪の毛に手を当てて絶句した。

 

「そして、風呂場で緊張を和らげるツボを押したな? 念入りに、手の甲の親指と人差し指の間、掌の真ん中、手首の中心。丁寧に丁寧に、深呼吸しながらゆっくりと」

 

――なんで分かるの!?

 

 にこは慌てて辺りを見渡す。

 ここは自室。当然風呂場に海菜は居なかった。なのになぜこれほどまで詳細に自分の状況を把握されているのだろう。顔を真っ青にしながらにこは続く海菜の話を待った。

 

「風呂を上がったにこは一応ベッドに入る。……しかし、眠れないその結果」

 

 ごくり、彼女の喉が鳴った。

 

 

 

 

「安眠用のホットミルクを作り、丁度……三杯目に差し掛かっている!!」

 

 

 

 

――ひいいいい! 何で知ってるのよーーーー!?

 

 

 にこは慌てて立ち上がり、叫ぶ。

 

「何なのよ! アンタ、ストーカー!?!?」

「んなわけ無いだろ、全部にこのお母さんからラインで送られて来てた」

「ママ何してんの!!! てか、どうしてそこ仲良いのよ!!」

「だいぶ前、君の勉強見た時に連絡先教えてもらってさ。さっき久々に連絡が来たんだよ」

「ぬわんでよ!」

 

 噛みつくにこを楽しそうにあしらいつつ、海菜はネタばらしをした。

 

「うちの子が緊張してるみたいだから、どうにかしてやって――だってさ。親って凄いね」

 

 うぐ。

 さすがのにこも動きを止めた。

 

――ママ、一体なにしてるのよ。

 

 文句の一つでも言ってやりたいが、残念ながら図星なので仕方がない。

 

「ま、緊張くらいするわな」

 

 海菜は努めて軽く言った。

 しかし、理解もしていた。

 『ラブライブ出場』はμ'sが発足する何年も前からのにこの夢だったのだ。願い続けた期間だけ見れば、もしかしたらA-RISEよりも長いかもしれない。それだけの年季と同じだけの思いの丈がつめ込まれた夢なのだ。

 そして、それが叶うか叶わないかは明日の結果如何で全て決まってしまう。

 明日の本番一度きりで全てが終わってしまうかもしれないのだ。にこが萎縮するのも無理は無い。特に三年生組に残されたチャンスは明日にしか無い。受験という一度きりの挑戦を控えた海菜はその意味を知っていた。

 

 だからこそ――。

 

 

 

「ふふん。俺と話すと緊張無くなっただろ!」

「というより、気が抜けるのよ。本番控えた女の子からかいに来るってどんな神経してるんだか」

 

 

 

 いつの間にか、にこの強張った身体の力が――抜けていた。

 

 にこは薄っすらと笑いながら言う。

 

「はぁ。ほんと、時間を無駄にしたわ。……切るわよ」

「またまた~、感謝してるくせに~~」

「最後までうっざいわねー! それ優しさって言うよりただ天然で煽りたいだけでしょ!」

「さすが、鋭いな」

「ホント、最低ねアンタは!」

 

 彼女はふん、と鼻を鳴らして人差し指を通話終了のボタンにかけた。

 おやすみ、と彼の声が聞こえる。

 

 にこは一瞬だけ迷う素振りを見せた後、スマホを口元に寄せて――呟いた。

 

 

「…………ありがとっ」

 

 

 返事を待たずに通話を切る。

 

 そして彼女はゆっくりと――眠りに落ちていった。

 

 

 ◆

 

 

「絵里、元気してるか?」

「元気してるかって、夕飯一緒に食べてたじゃない。おばさんがカツカレー作ってくれたからって」

「流石に安易すぎたよな。まぁ、にこも同じことしてたらしいけど」

「にこも? あぁ、じゃあちゃんと折り返し電話はかけたのね」

 

 にこの次に海菜がかけたのは絵里の携帯電話。しかし、幼馴染同士お互いの考えていることは分かるため、特に普段通りの会話とは変わらなかった。日頃の感謝も、お礼も、今更伝え合う必要もない。

 だから、お互い気負いなく会話を楽しんでいた。

 

「君、結構緊張するタイプだけど大丈夫?」

「それ、同じこと亜里沙にも言われたわ。今回は大丈夫よ、演技をするのは一人じゃないんだから」

「確かに、バレエとはその辺違うな」

「そうよ。だから楽しみなの」

 

 ふふ、と笑ってみせる絵里の声を聞いて海菜は確信した。

 

 

――あぁ、問題ないな。

 

 

 この幼馴染は心配ない。

 確信があった。

 

「楽しみにしてる」

「ふふっ。任せなさい」

 

 お互いに安心し合った会話のやり取り。

 絵里は呟くようにして続けた。

 

 それは、少しだけ真面目な声色で――。

 

 

 

「やっと見せられるわね、ちゃんと結果を出せる私の姿を」

 

 

 

 何年も前の話。

 バレエで良い結果を出せなかった後悔をのせた絵里の言葉。

 

 しかし――海菜は笑いながらその言葉を切って捨てた。

 

 

 

 

「ばーか。君のカッコいい姿は何度も見て来たよ、明日も、楽しみにしてる」

 

 

 

 

 息を呑む音。

 そして――。

 

 

「ありがとう。Ты самый лучший! 」

「ロシア語は分かんないって」

「ふふ。おやすみなさいっ」

 

 

 ◆

 

 

「後は、希か」

 

 海菜はぼぅ、とスマホの液晶画面を見つめて呟いた。

 辺りを見回すといつの間にか遠くまで来てしまっていたことに気がつく。通話に夢中になるあまり、少し遠出しすぎていた。彼は真っ白い息を吐き出すと踵を返した。

 

「希は……どうなんだろうな」

 

 緊張しているのだろうか。

 それとも平気そうなのか。

 

 海菜は予想出来なかった。

 

――他のメンバーは何となく分かるんだけど。

 

 不思議なもので、過ごした時間は希のほうが長いのにも関わらず分からないのだ。それはただ単に彼女が海菜の予想の範疇を超えているからなのか、それとも彼が彼女の深い部分に踏み込むことを恐れてきた結果なのか。

 

 しかし、海菜はそれを知りたいと思った。

 

 少しだけ緊張気味に通話ボタンを押す。

 ツーコール待たずに希は電話に出た。

 

「はい、もしもし。古雪くん?」

「よ、希。もしかして寝ようとしてた?」

「んーん。古雪くんからの電話を待っとったんよ~」

 

 ふわふわとした彼女の声色。

 海菜は反射的に頬を赤く染めた。

 今までの彼ならさらりと流せていた事だが、希の気持ちを知ってしまった今少し意味ありげな言葉に引っかかってしまうのは仕方無い。無論、希は冗談めかして言っているだけなのだが。

 

「そ、そか。……じゃ、待たせちゃったな」

「ホント、待ちくたびれて寝ちゃうトコだったやん」

「ごめんごめん」

 

 海菜はあはは、と頭をかきながら謝ってみせる。

 

 ところで――。緊張とかしてないか? 

 

 

 しかし、その問いかけを紡ぐ前に――希が口を挟んだ。

 

 

 

「あれ? 風と足音が……古雪くん、外に居るん?」

 

 

 

――へ? あぁ、音が聞こえたのか。

 

 海菜は小さく頷きながら返事を返す。

 

「ちょっと電話がてら気分転換にな」

「気分転換って……」

 

 希は少し怒ったような口調で言った。

 

 

 

 

「もー、風邪ひくよ? 気ーつけんとダメやん」

 

 

 

 

――何を言い出すかと思えば。

 

 海菜は言葉を返すこと無く笑った。

 

――全く、何で俺が心配されてるんだよ。

 

 しかし、希はそういう女の子だった。本番を明日に控え、誰もが自分に目が行くその時でさえ他人の現状を気にしてしまう。それはきっと彼女が培ってきた自分の性質なのだろう。どこまでも優しく暖かな、無償の愛。

 海菜の持つ優しさも尊いものではあるが、決して無償ではない。色々な思考のもとに成り立った結論としての思いやり。似て非なるもの。

 

 故に、彼は微笑んだ。

 

「大丈夫、もう帰るって。君が最後だし、電話かけるの」

「そうなん? 他の皆はどうやった? にこっちとか緊張してたんちゃう?」

「ガッチガチだったわ」

「あはは、やっぱり」

 

 他のメンバーの話に花が咲く。

 当然、彼女が振る話題にの話は無くて。

 

 海菜は最後、電話の切り際に一言だけ残す。

 

 

 

 

「頑張れよ。俺がμ'sを応援する理由は……変わってないから」

 

 

 

 

 それは、大切な彼女にだけ向けた言葉で――。

 

 希は溢れんばかりの笑顔で頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




さて。私事なのですが。
この作品『ラブライブ! ~黒一点~』連載開始から今日で二周年となりました。

文章作法すら知らないところから始まった、未熟な点の多々ある作品ではございます。が、ここまで続けて来ることが出来たのは一重に感想や評価等、応援してくださる読者様のお陰です。去年と違い物語は佳境を迎えており、記念話を書くことは出来ませんがこの場にて御礼を申し上げたいと思います。

これからも、『黒一点』をよろしくお願い致します。

ではまた次回、お会いしましょう。

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