ラブライブ! ~黒一点~   作:フチタカ

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第五十二話 ラブライブ! 前編

 早朝。

 

 けたたましく鳴り響いた目覚ましのベルが鼓膜を叩く。俺は苛立ちと眠気でぐちゃぐちゃになった感情を必死で抑え込み、叩き壊す勢いでオフのスイッチを押した。この時間に起きようと思ったのも自分で、設定したのも他でもない昨夜の俺なのだが不機嫌になってしまうのは仕方が無いだろう。誰しも経験があるハズだ。

 眠気眼で一瞬だけ辺りを見回す。乾燥して風邪になる事を防ぐため、昨年から察知している加湿器がふわふわと白煙を上げている。室内とはいえ芯に響く冷気から逃れるように布団に包まり、ぼうっと覚醒するまでの時間を過ごした。

 

――そういえば。

 

 俺は時計を見る。

 

「ちゃんと起きてるかなぁ」

 

 午前八時。

 普段なら朝練が始まっている時間だ。穂乃果あたりが遅刻を――と、考えていた辺りで違和感に気が付く。なんだか大切な事を忘れているような。

 

 しゅしゅしゅと昇る水蒸気。

 軽快なリズムで時を刻む秒針。

 体を起こした先に置いてある日めくりカレンダー。

 

 無言で手を伸ばし『二次試験まであと二日』と書かれたそれを無造作にめくる。

 

 

「あぁ。そうだった」

 

 

 意識が完全に覚醒した。

 

『二次試験まであと一日』

 

 そんな何よりも大切なカウントダウンの横に大きくでかでかと、真っ赤なペンで書き残されていた文字は。

 

 

 

 

 

「ラブライブ……当日か」

 

 

 

 

 

 どうやら、ちゃんと起きるべきなのは俺の方らしい。

 

 

***

 

 

 重たい体を起こし、リビングへと降りる。既に母親が起きていてチラリと俺を確認すると、何も言わずにキッチンへと向かった。俺に気を使ってくれているのだろう、ソファに腰を下ろす時には早くもウィンナーの焼ける香ばしい香りが漂ってきた。

 一息ついて再び立ち上がり、コーヒーを淹れようとするも

 

「…………」

 

 俺より早く立ち上がった親父が手で制した。

 どうやら代わりに作って持ってきてくれるらしい。

 

「さんきゅ」

 

 妙に優しい両親に一応お礼を言いつつ再び定位置に腰を下ろした。流石に試験前日ともなると普段は俺を虐げてばかりのオカンも、日の大半を睡眠と笑顔で同じ位置で過ごす穏やかな親父も態度が変わるらしい。

 ありがたく厚意に甘えて、スマホを弄ることにした。

 

 ことん。

 

 軽い音。淹れてくれたコーヒーが白い湯気を吐く。

 

「ありがと、いただきます」

 

 ずず。

 室内とはいえ起きたばかりの指先はかじかんでいる。温度が次第に戻っていくあのむず痒い感覚を覚えながらゆっくりと大好物の黒を流し込んだ。うーん、少し苦い。絶対沸騰したお湯で作っただろ~、今日は八十度くらいが飲みたかったんだけど。やっぱり、味を求めるなら自分で淹れた方が良かったか――そんな失礼な事を考えながら大きく息を吐き出した。

 

 ヴヴヴ。

 

 唐突なバイブ音に驚いてスマホを覗く。

 

 

 

『衣装はバッチリ! 頑張ってきます!』

 

 

 

 送り主は穂乃果。

 そんな簡素なメッセージと共に、一枚の写真が添付されてきた。

 

 

 

「…………」

「海菜、朝ご飯出来たわよ……って何それ?」

「あぁ。μ'sの子からの……」

「貸して!!」

「ちょっ! おかん!」

 

 強引に俺はスマホを取り上げられてしまった。画面に表示されているのは先程学校で撮ったらしい記念写真。本番前の衣装合わせのようなものだろう。今までで一番気合の入った衣装に身を包んだ九人が笑顔で写真に納まっている。

 

「あ、絵里ちゃん!」

 

 おかんは嬉しそうに絵里を指さすと頬を緩ませる。小さいころから面倒見てきたせいもあってか、うちの母親の絵里の溺愛っぷりは実の息子である俺が呆れるほどだ。残念ながらスクールアイドルに興味は無いみたいだが、絵里が頑張っていると聞いて何かと気にはかけているらしい。まぁ、高校に入ってから会う頻度の減った絵里を写真で見れるだけでうれしいのかもしれないが。

 

「可愛いわねぇ~」

「…………」

 

 俺は思春期の息子らしく無言で朝食を進めた。

 

「確か、今日が全国大会なのよね」

「まぁ……」

 

 知識の無い彼女らしい言い方だが、ラブライブ本戦もある意味アイドル部の全国大会みたいなものか。軽く相槌を打つに留めて返してもらった写真を見つめた。

 

――ことり、頑張ったんだろうな。

 

 素直にそう思えるほどに、衣装の完成度は素晴らしかった。

 彼女が、一人一人のメンバーを想って作ったに違いない。九つの色に分けられており、穂乃果には薄桃、海未には青……といったように個性に合わせた配色が行われていた。目を引くそれぞれの生地の上には手の込んだフリルがつけられている。可憐に膨らむスカートも、丁寧に刻まれた模様も。今まで見てきた中で一番美しく、そして魅力的だった。

 

「可愛いわねぇ」

「……」

「可愛い……可愛くない?」

「……」

「はー、可愛いわー」

「いや、何回言ってんの!?」

 

 隣で囁き続ける母親に思わずツッコミを入れると、思っていたよりも真剣な表情で彼女は俺を見つめていた。思わず面喰い、少し距離を取る。なんだよ、いきなり……。

 

「この娘は、こんな顔で笑えるようになったのね」

「……それはどういう」

「アンタの前では絵里ちゃんは自然体だったけど……他の友達の前だとそうはいかなかったじゃない」

「それは……」

 

 おかんは本当に嬉しそうに笑っていた。

 ずっと見守ってきた、我が子と比べても差し支えないくらい大切な子供が成長した姿。俺が絵里を理解している……もしかしたらそれ以上の何かを俺の母親は考えてきたのかもしれない。でもそれはきっと、俺には分からない感覚なのだろう。だけど、彼女の笑顔を見ると絵里がとても愛されていることは伝わってきた。

 

「アンタにしては良い仕事したんじゃない」

「はぁ? 何の話だよ」

「絵里ちゃんの手伝い、してるんでしょ?」

「あぁ、まぁ」

「そのおかげで、絵里ちゃんはこんなにいい顔で……アンタ以外の友達の前で笑えるようになったんだから。昔から芯が強くて――でも臆病だった絵里ちゃんが別人みたいに見えるわ……良かったわねぇ」

「分かったから、返せよ」

 

 強引にスマホを取り返すと、俺は立ち上がった。

 

「ごちそうさま!」

 

 言い残し、皿を台所まで運ぶ。

 

「海菜!」

「なに?」

「アンタ、今日はどうするの?」

 

 どうするって……決まってるだろ。

 

 

 

 

「勉強するよ」

 

 

 

 

 俺はキッパリとそう返した。

 言葉とは裏腹に、心が揺れる。

 

 

***

 

 

 啖呵は切ってみたものの……。

 

 二次試験を翌日に控えた今、拍子抜けするほどすべきことが見当たらなかった。今日に至るまで気を抜かずに努力を続けてきたつもりだし、難しい問題もたくさん解いてきた。しかし、いざ、残り二十四時間足らずで本番が訪れるとなると何をやればいいのか見当がつかない。

 

「あんまり疲れ過ぎるのも良くないしなぁ」

 

 覚えるべき知識や応用力は今までに十分培ってきた。

 あとは、その最終確認をしてしまえば良い。

 

 俺は静かに表紙が擦り切れて薄くなってしまったノートを取り出した。一生懸命に書き、数え切れないほど反復したそれには手汗で歪んだ角とこすれて滲んだ丸い文字が残っている。ぱらぱら、と慣れ親しんだ動作で捲って行った。

 ブツブツと公式を呟きながらお世辞にも達筆とは言えない理系らしい筆跡を目で追う。

 

「…………」

 

 不安感は無い。

 自信はある。

 

――だけど。

 

 落ち着く、という感覚とは程遠かった。

 なんとなく、ふわふわとした気分になってしまう。

 

 そんな気持ちを振り払うかのように数度首を鳴らし、本棚に立てかけられた参考書を引っ張り出す。片手で持ちづらい程の重量感あるそれを目の前に置いた。重厚な音を立て、木製の机を僅かに揺らす。初めは覚えきれず、何十枚も貼ってあった付箋はいつのまにか数枚にまで減っていた。

 三年間の勉強。

 ほぼ無意識のうちに取り出すノート、参考書そして問題集全てに自分自身の悪戦苦闘した結果が残っている。それは今では簡単に解きこなせる方程式であったり、覚えていないと話にならないような公式に引かれた赤線だったり。刻み込まれた努力の証。それらを見ていると少しだけ心が落ち着いていく気がした。

 

 なんとなく。

 

 なんとなくではあるが分かったことがある。

 

 

「もう、なるようにしかならないな」

 

 

 小さく零した。

 

 自分でも驚くほど、文字が頭に入ってこないのだ。……いや、入ってこないというと語弊があるかもしれない。厳密に言うと、今ある知識の確認は出来ても新たな暗記は不可能――そんな感覚。三年間続けてきた『勉強する』という行為が、自分でも不思議なくらい出来ない。

 緊張――と言うのが一番正しい表現かも知れない。

 自信もあるし弱気にもなっていない。

 ただ、心が騒いで落ち着かない。

 それは、教科書を読み返しているだけでは収まらず……むしろ激しくなっていくようで。

 

 

――自分を見つめなおさなきゃ。

 

 

 俺は目を閉じて大きく深呼吸した。

 

 勉強をする意味はきっと、知識を得る事だけにあるわけではない。凡人だけど、沢山いる同世代の天才には到底及ばないけれど。それでも自分なりに頑張って机に向かった事で学んだ大切なことが一つある。

 

 それは――自分を知る手段を学べたという事。

 

 どうして覚えられない?

 どうして解けない?

 どうしてミスをした?

 どうして理解できない?

 

 絶えず、一人で、自分自身に問いかけ続けるのが勉強という行為で。それは言葉を変えれば自分との対話。数学、物理……いろんな教科を媒体に自分自身に問い続けてきたのだ。きっと、それが何かを学ぶという本当の意味なんだと思う。だから、俺がいま誇れることがあるとするならそれは……三年前よりもずっと、自分の事を理解してやることが出来るという事。

 

 

「落ち着かないなぁ……」

 

 

 吐息と共に零した。

 

 ノートを見て、親と話して、深呼吸して。

 それでも尚収まらない騒めき。

 

 それが意味することを

 

 

 

「よし! 出かけるか!」

 

 

 

 俺はよく分かって居た。

 自分の事だけに集中する……なんてやはり無理な話らしい。信じて待つなんて出来るほど成熟しても居ない。

 

 俺はよく分かって居た。

 彼女達(μ's)の事は紛れもない――

 

 

 

 俺自身の問題だ。

 

 

 

 なんて、格好つけた所で結論は一つ。

 

 

 

「ちょっと出かけてくる! 一時間くらいで帰ってくるから!」

「急にどうしたのよ?」

「絵里たちが気になるからちょっとだけ!!」

「はいはい。ケガには気を付けて行ってきなさいね」

 

 

 

 俺は出発前の彼女達(μ's)に会いに走った。

 

 

 

 

 

 




お待たせしました。
私事ですが、大切な試験の為執筆を休んでおりました。
先日無事合格し、来年から専門分野をより深く学ぶことが出来るようになりましたのでずっとしたかった執筆に戻ってまいりました。数か月も待たせてしまい、申し訳ありませんでした。これからは頻度も戻ると思います。

次回はすぐにあげられると思います。

今回はプロット通りとはいえ、リハビリがてらに短く仕上げています。
少しずつ感覚も戻していきますので、批判含む感想等よろしくお願いします。


それでは、失礼いたします。

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