「それじゃ、海菜さん迎えに行ってきまーす!」
時刻は午前十一時。太陽の光自体は燦燦と降ってきているにも関わらず、空気は肌を刺すほど冷たい。穂乃果はジャンパーを一枚羽織ると自宅の戸を勢いよく開けて飛び出した。
ガラガラガラ――
穂むらの来客口と兼用しているため、今まさに入店しようとしていた女性と目が合い照れ笑いを浮かべる。
「えへへ、いらっしゃいませー」
ぺこりと頭を下げ、中へ入るよう客を促す。
中から妹の元気のよい挨拶が聞こえてきた。
ほっと一息。
早速、まだ来ていない先輩の家へと走り出そうとしたその時……
「穂乃果! マフラーを忘れていますよ!」
「大丈夫だよ、海未ちゃん! 走っていくから寒くないし!」
中から聞こえた気の利く幼馴染に返事を返す。
「そうですか、それなら良いのですが……」
「良いのよ、バカは風邪ひかないって言うじゃない」
「酷いよにこちゃん! 外にも聞こえてるよー!」
「にこっち、その通りやね」
「希ちゃんも!」
「じゃあ、ウチ、にこっちのマフラーと手袋……メルカリに出品しておくね。来年度の部費に足せばええやん、名案!」
「ちょっとアンタ、それ……にこもバカってこと!?」
一言返しただけのつもりが、家の中から聞こえてくる喧騒。
「はいはーい! 凛、にこちゃんならコートまでなら無くても大丈夫だと思うにゃ!」
「アンタねぇ……花陽、このお調子者たちに何とか言ってよ」
「来年の部費に……にこちゃん、お願い!」
「まさかの裏切り!? なんでこのタイミングで次期部長の使命感出してるのよ!?」
相変わらず騒がしいメンバー達。
そして、絵里たちは笑いながらそれを見守っている。
「良かったわね、にこ。この調子なら花陽に来年の部長任せられそうだわ」
「どこをどう捉えたらそう言う解釈になるの!」
「そもそも、売れるの? 私なら買わないけど」
「真姫ーーー!!!」
別角度の視点から真姫の失礼な発言が聞こえ、より一層騒がしさが増した。
穂乃果は諦めたように笑って、軽くストレッチをする。どうやらメンバー達は皆調子が良いみたいだ。一応、営業中の為声は抑え気味ではあるものの、楽しそうな雰囲気が外にも漏れ出している。
人数にして九人。
海菜以外のメンバーは既に穂乃果の家に集まっていた。
唯一、彼が寝坊で来ていないだけで。質の悪い事に、電話も繋がらないのだ。
その為、穂乃果が呼びに行くと名乗り出たのだが。
――うー、楽しそうだなぁ……。
走る準備をしながら口を尖らせる。
ちょっとだけ、後悔も頭をよぎる。
しかし、
――いいもん、久しぶりに海菜さんと楽しくお話するもん!
当初の動機を思い出して彼女は走り出した。
寒空の下、走り慣れたコンクリートを擦り減った運動靴が叩く。
奏でられる足音に、数日前までの重さはない。軽やかで明るい。
もしかしたらそれは
『ラブライブ 優勝』
そう書かれた旗に理由があるのかもしれない。
***
『―――――! ―――――!』
何の音だ?
混濁する意識の中、彼は集中する。
雑音、雑音、雑音。
紙を捲る音、鉛筆が刻む音、試験官の靴の音。
雑音、雑音、雑音。
喝采、流れる音楽、拍手。
『――――ル! ――――ル!』
聞こえない。
聞きたい。
『―――ール! ―――-ル!』
脳をフル稼働させた後に感じる疲労感。かかる靄に曖昧な意識。目の前の問題が解けなかった時の悔しさと、解き切った際の爽快感、喜び。あらゆる感覚と感情が混ざり、渦巻いて体中を駆け巡る――そんな感覚に陥っていた。
それは悪夢か。
それとも瑞夢か。
眠りに落ちた彼には理解することが出来なかった。
しかし――。
どうしてだろう。彼も声を張り上げていた。
そんな記憶が残っている、意識のはっきりしない彼はそれを感じている。
――俺は、叫んでいた。
大きく。
誰よりも誰よりも。
大きく。
誰よりも誰よりも。
ぴくり。
微動だにしなかった彼の指先が動いた。
まるで夢の中の意識と現実の身体が同期するように。
――叫ばなきゃいけない。
思う。でも。
目の前に散らばるのは数字の渦と、巻きあがるグラファイトの煙幕。
自分が追って来た願いと、彼女たちが追った願い。それらに等しく、海菜は心を向けていた。深層意識は彼に様々な情景を見せる。だが、それは全て二つに関係のある事ばかり。無論、その事実を明確に意識することは彼には出来ない。ただただ、頭に響くその声を聴こうともがいていた。
『ア――ール! ア――ール!』
――あぁ、聞こえた。
彼は理解する。
――叫ばなきゃ。
そう、一つだけ考えた。
論理的思考は出来ない。夢の中で、色んな景色を見て。そして今、たった一つだけ想った。絶対にやらねばならないと感じた。心のままに、想いのままに。
彼は夢の中で大きく息を吸う。
同時に、ベッドに横たわる体も深く大気を吸い込んだ。
「アンコール!!!」
目覚めと共に、彼は叫んだ。
「…………」
「……ん?」
目の前にあったのは、あんぐりと口を開けた穂乃果の顔だった。
***
「完璧に寝ぼけてた……」
「もう、びっくりしましたよ!」
海菜と穂乃果は二人で穂むらに向かって歩みを進めていた。先ほどまで夢の世界の住人だった彼の表情はまだ緩く、眠たそうに時折瞬きを繰り返している。しかし、叩き起こされて急かされながらも準備は完了しており、髪型はキチンと整髪剤で整えられていた。
「集合は十時だって連絡しましたよ?」
「ホントごめん」
「いいですけど!」
彼は素直に頭を下げる。
「二次試験終わってから数日は朝早く起きる習慣が残ってたんだけどなぁ」
「生活習慣崩れるの早くないですか?」
「ホントは後期の勉強しなきゃなんだけどねー」
へらっと気の抜けた笑顔を見せた。
前期の二次試験が終わってから一週間近く経ち、机に三年間齧りついて来た反動なのか海菜は力が抜けたように見える。本来、後期の試験に向けて勉強を始める受験生も多いのだが彼にはそのつもりがない。
その理由は単純で。
――海菜さん、試験は無事に解けたみたい!
穂乃果はそんな印象を抱いていた。
そして、その予測は正しい。
彼にとって受験の感触は今までのどの模試よりも手ごたえがあったのだ。もちろん、模試は本番よりも難しいので当然ではあるのだが。そもそも、第三者の視点から見ても勉強の根本的な才能はともかく、試験において得点を出す――という観点で彼を評価するなら文句なくトップクラスの能力を持っている。問題が解けない方が番狂わせなのだ。
また、彼が勉強をしない理由はもう一つある。
本来、後期試験は前期試験より難化するため、前期受けた大学よりもランクを落とすことが一般的である。しかし、海菜には大学を変えるつもりはない。そして、彼の受験した最難関と呼ばれる大学には後期試験が存在しないのだ。やる気が出ないのも致し方ないだろう。
元より、彼は一週間前の試験に全て注ぎ込んできたのだ。
今更あわてて滑り止めの勉強をする気は無い。
「みんな怒ってますよ?」
「うへー。だろうなぁ」
苦虫を噛み潰したような表情をして、彼は舌を出す。
どうやら、にこや海未あたりが怒っている様子を想像してしまったらしい。
「折角の祝勝会なのに!」
「なんの祝勝会だっけ?」
「いや、いまさら……!?」
「もしかして、俺がさっき眠気に勝てたから」
「負けてましたよ!」
確かに負けてた。というか、勝った試しがない……。
海菜は呟くように零す。
「穂乃果は今日、遅刻しなかったですよ」
「え、マジで? 怪しい……」
「ホントですって!」
「……思い出した。今日の祝勝会、君ん家じゃんか!」
「えへへ~、十時に海未ちゃんに起こして貰いました~」
まるで兄妹のように仲良く話しながら歩いていた。
二人きりで話す機会はあまりないが、元来人懐っこく話好きな穂乃果はとびきりの笑顔を浮かべて先輩と喋っている。いつもより少しだけ笑顔は多く、笑い声も僅かに高い。まるで恋をしているかのように魅力的な表情だが、もちろん彼女にその気は無いだろう。
ただ、彼女にとって海菜が特別な存在なのは間違いない。
穂乃果が彼のことが大好きなのは事実だ。
それはきっと、今までこの不器用で優しい先輩が注ぎ続けた心のお陰だろう。
「君んちからウチまでは割と距離あるだろ? よく来たなぁ」
「えへへー、走ればすぐですよ!」
「流石、体力オバケ……ラブライブ優勝チームのリーダーは凄い」
「なんだか、運動してないと逆に落ち着かなくて」
「身体が慣れてるんだろうなー」
「それに、海菜さんと二人でお話も出来ますし!」
う……。
と、彼は呻いて僅かに頬を染めた。
「君、それあんまり男相手に言わない方がいいよ」
「へ? ……何でですか?」
天然な後輩の汚れない純粋な表情を見て、海菜はため息を零した。
――なんというか、この娘に泣かされる男が多そうだ。
「同じような事、他の男が聞くと勘違いするぞ? 変なヤツもいるんだから、気を付けないと。ストーカーとか笑えないから!」
持ち前の心配症を発揮して、小言を披露。
穂乃果はぽかんと口を開けたのち、太陽のような笑顔を浮かべる!
「大丈夫です! こーゆー事は海菜さんにしか言わないんで!」
「だからそーゆー所!」
全力でツッコんだ。
――まぁ、海未やことりがついてるから大丈夫か。
かぶりを振って彼は真っ白い塊を吐き出した。
「えへへ~。……っくしゅん」
穂乃果は頬を寒さで赤く染めてちいさくくしゃみを一つ。
「大丈夫?」
「はい!」
「なんでマフラー着けてないんだよ……」
呆れたように海菜は言った。
走ってきたせいか多少汗をかいており、どうやらそれが寒さを助長しているようだ。どちらかというと寒さに強い穂乃果だが、真冬でジャンパー一枚のみプラス汗の乾きはじめはクシャミの一つや二つ出てしまう。
「ほら、貸すから……」
海菜は自分のマフラーを手早く彼女の首に巻いてやった。
手慣れているのは絵里相手に何度か経験があるからで。
「え? いいですよ~」
「迎えに来てもらったのは俺の方だし、遠慮すんな。というか、これでチャラな!」
「チャラにはならないです! また美味しいもの奢って欲しいです!」
「ぐ……」
「もう、時間取れますもんね! 絶対今までの分まで遊んでください!」
「分かった分かった」
穂乃果は嬉しそうに、巻いて貰ったマフラーに両手を添える。
寒さで上気していた頬が僅かに紅みを増した。
「くんくん……。海菜さんの匂い、好きです!」
「だからそーゆー所!!」
数分ほど、他愛のない話をして過ごす。
「そういえば、海菜さん」
「ん?」
「さっき、何の夢見てたんですか?」
いたずらっぽく笑いながら穂乃果は問いかけた。
彼は少し恥ずかしそうに明後日の方向を見ると、何かの癖なのか両手を首元に持っていき襟を寄せる。表情を隠すためのマフラーは既に後輩に貸してしまっていた。彼女は覗き込むように様子を伺う。
「いや、まぁ、それは……」
「えへへ~」
「……何?」
「もしかして、照れてます?」
「照れてない!」
ガルル!
とまるで犬のように彼は否定した。
穂乃果はなんとも楽しそうに笑い声をあげる。
んだよー。海菜はぼやきながらも素直に白状した。
「はぁ……。見てたよ。ラブライブの夢」
照れ隠しなのか、ぶっきらぼうに言い切った。
不鮮明な、闇鍋のように色んなものが混ざった夢だったが間違いなくあれは一週間前のあの日の思い出が含まれていた。彼が必死に声を絞ったあの日の記憶。彼女らとは別の場所で、でも、同じ気持ちでいたラブライブ。今でもあの時の熱を覚えている。
「やっぱり! アンコール……って言ってましたもんね!」
「うっせー!」
「照れなくても良いですよ!」
「照れてない!」
無限に繰り返せそうなやり取り。
二人は目を合わせ、笑い合った。
「…………」
「…………」
無言。
なぜか、続く言葉は無い。
「…………」
「…………」
――そういえば、優勝が決まった日からゆっくり会って話すのは初めてだな。
海菜は想う。
彼にとってあの日は二次試験の一日前だった。
それでもラブライブのμ'sの番には会場に来て、彼女らの集大成をその目に焼き付けた。
――あの後、待つ時間は無かったから。
演技終了から閉会までは時間がかかる。
彼は穂乃果たちの最後のステージを見届けてからすぐに帰路についた。それはもちろん、自分の将来の為。一声かけたい――それが素直な気持ちだったが、その感情を抑え込んできた道を戻り翌日の為早くに眠りについた。祝いのメッセージを全員に送りはしたけれど。
だから、絵里は別としてμ'sと会うのは今日が初めて。
ラブライブ後、初めてだ。
その事を今まで失念していた――なんてことは当然無い。
彼女らの夢を見たのも、昨夜眠りにつくまでずっと考えていたから。
μ'sの事、ラブライブの事。
――どんな言葉をかけようか。
――どんな顔をしようか。
冗談めかして祝勝会の話を流したのも。
なかなか夢の内容が言えないのも。
全部たった一つの理由。
「穂乃果」
彼女は歩みを止めた海菜へと振り返る。
顔を上げ、身長差のある先輩の顔を見上げた。
「おめでとう」
穂乃果は胸を満たす暖かな喜びに心からの笑顔を浮かべ。
同時に驚きを口にした。
「海菜さん? 泣いてます?」
「ぐす……泣いてない!」
溢れだす感情の波に勝てない事を、海菜は知っていたからだ。
彼は決して冷静で聡明な大人ではない。下級生にとってはそう見えていたかもしれないが、本質は全然違う。どこまでも子供で、どこまでも一生懸命で、誰よりも強くμ'sの優勝を願っていた。自分の事よりもずっとずっと、大切にしてきたものに大きく心を動かされる感情の起伏激しい十八歳の青年で。
彼は賢いから見守っていた訳では無い。
彼は冷静だからアドバイスに徹っしていた訳では無い。
それしか出来なかったから――。
「…………泣いて、無い!」
背中を向けても隠せない。
嗚咽交じりの声と震える肩をみて誰がその言葉を信じるというのだろう。
「海菜さん……」
一歩、穂乃果は近づいた。
一つ上の先輩は。
誰よりも自分たちを支えてくれた協力者は。
どんな時でも頼りになった古雪海菜は。
今、喜びに堪え切れず涙を流している。
彼女は努めて明るい声を出した。
「そんな、泣くことないでしょ! もう、らしくないですね!」
「…………」
「……そんなに」
「…………っ」
「喜んでくれてたんですね」
そっと、大きな背中に手を当てた。
小刻みに震えているのは決して寒さのせいではない。
我慢できなかったのだ。穂乃果を前にして。
その顔を目にして、彼は堪えることは出来なかった。
それ程までに、海菜は喜んでいる。
なぜなら――。
「本当……良かったな、穂乃果」
――え?
彼女はその言葉の裏に潜む彼の想いにまだ気付けない。
「本当、良かった………」
――海菜さん、何をそんなに?
疑問の答えは、すぐに分かった。
「続けて……良かったな」
瞬間――穂乃果は思い出した。
一年前の、記憶。
***
コツ……コツ……
「生徒会長……」
他でもない。宿敵の登場に、先程まで笑顔を作っていた穂乃果の顔がこわばってしまう。
ちいさく固い規則的な足音が耳に届き、その足音の主、絵里は冷ややかに言い放った。
「これからどうするつもり?」
最初から最後までこの子達のライブを見ておきながら、わざわざ絵里は確認の言葉を口にした。あまりに意地の悪い質問。ただ、彼女には穂乃果たちを責める理由があった。
頑張って準備をしていたのも事実だが、啖呵を切っておきながらたった数人しか人を集められなかったという散々な結果で終わってしまたのも事実。そこを詰られるのは仕方のないこと。気難しい生徒会長は強く三人を睨み付けた。
海菜も口を挟むことは出来ず、成り行きを見守っている。
――空気が凍り付くほどの威圧感。
しかし穂乃果は臆せず絵里と見つめ合い、たしかな決意を滲ませながら言い切った。
「続けます!」
「なぜ?これ以上続けても意味があるとは思えないけど」
絵里は空席ばかりが目立つ講堂を見渡し、彼女らの活動の意義を問う。
――こんな活動で学校が救えるハズがない。
だが。
穂乃果が返したのは何よりもシンプルな答え。
それでいて聞く人の胸をうつまっすぐな言葉だった。
「やりたいからです!」
人の居ない講堂に、空しく声が反響する。
「私、もっともっと歌いたい。そして踊りたいって思ってます。きっと海未ちゃんも、ことりちゃんも」
お互い見つめあい、うなずき合う3人。
「こんな気持ち、初めてなんです!やってよかったって、本気で思えたんです!……今はこの気持ちを信じたい。このまま誰にも見向きもされないかもしれない。応援なんて全然もらえないかもしれない。でも!」
拳を強く握りしめ、あふれんばかりの熱い想いを言葉にのせた。
「一生懸命頑張って、届けたい!私たちが今ここにいる、ここで感じてる想いを!いつか、いつか私たち、必ず!!」
――必ず。
「必ずここを満員にして見せます!!!!」
***
いつの間にか海菜は振り返っていた。
気恥ずかし気に涙をぬぐいながら、それでも真っ直ぐに穂乃果の瞳を覗き込み、くしゃくしゃな笑顔を向ける。頼りない、年上とは思えない――どこまでも優しい表情を浮かべていた。
「まさか、講堂じゃなくて」
呆れたような声色。
隠せない喜び。
「ラブライブの本選会場を満員にして」
ぽろり。
音もなく、穂乃果の目から一滴溢れだした。
もう、堪えることは出来ない。
当日、流しきったはずの喜びの涙は。
再び現れて、彼女の心を暖かく濡らす。
「アンコール貰うとは思って無かったけどな……」
――次の瞬間。
穂乃果は海菜の胸に飛び込んでいた。
彼は優しく抱き留める。
誰よりも頑張った彼女の頭を撫でた。
「海菜さん……! ぐすっ……うわあああん!!」
そっと背中に手を回し、嗚咽を漏らす穂乃果の頭をもう片方の手で包み込んだ。整った鼻梁も真っ赤に染まって鼻水が溜まり、綺麗に整えられていた睫毛も水滴で乱れる。目元は紅、瞼は僅かに腫れ初めて唇は曲がってしまっている。
しかし、躊躇うことなく、強く海菜は彼女を抱きしめた。
いつの間にか、涙は止まり、暖かな想いだけが彼の心を満たしている。
「…………」
「んぐっ……! 海菜さん、穂乃果、穂乃果……!」
「あぁ……」
「頑張ったよ……? 穂乃果……たくさん、たくさん!」
「分かってる。よく頑張ったな……」
涙を堪え、あやすように言う。
「知ってるよ。君が頑張ったこと」
「ぐすっ……うん、うん」
泣きじゃくる穂乃果はただただ、海菜の言葉に頷くだけ。
「もちろん、みんな頑張ってた事も知ってる」
「うん……皆で、頑張った……ひぐっ」
「だけど」
囁くように、彼は語り掛けた。
「きっと、君が一番頑張った……!!」
「…………!」
――頑張りに優劣が付くはず無い!
――誰もが皆、努力した!
全て分かった上で、それでも海菜はそう言わずには居られなかった。
説明しきれないその感情、想い。無意識のうちに零れだしていた。
「俺は、ずっと見てきたから。分かる。頑張ったな……穂乃果」
最初から、最後まで。
努力も――。
成功も――。
挫折も――。
間違いも――。
決意も――。
そして、結果も――。
彼女らの覚悟を確かめに、神社に会いに行ったあの日から。
全て、古雪海菜は見守ってきた。
その上で紡ぐ台詞には何事にも代えがたい重みが宿っていて。
――それは、穂乃果にとってどうしようもなく嬉しい言葉だった。
仲間達と喜びを分かち合えた。
友達に感謝を伝えられた。
家族に祝って貰えた。
そして、穂乃果はやっと。
海菜に――褒めて貰えた。
自分の努力を全て見ていてくれた、たった一人の協力者に。
ただただ真っ直ぐ。認めてもらう事が出来た。
それはきっと、彼女が本当に欲しかったもの。
十七歳の少女の、年相応な我が儘だった。