ラブライブ! ~黒一点~   作:フチタカ

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第五十七話 叶わぬ恋

 ぽふん。

 僅かに埃が舞い上がって。

 

 ふかふかのベッドに横たわり、お気に入りのぬいぐるみを抱きしめます。中学生の頃、穂乃果ちゃんと海未ちゃんから貰ったプレゼント。何度も洗って、繕って、それでも綺麗に大事にしていることりの宝物。顔を埋めてみると優しい香りがしました。

 

「海菜さん……」

 

 脳裏に焼き付いて離れないのは想い人の姿。

 初恋の相手。

 

 彼の事を想うだけで胸が張り裂けそうなほど痛く、同時にどこまでも暖かな光が宿るような――そんな複雑な気持ち。幸せで、不幸で。苦しくて、楽しくて。今日会えたことが嬉しくて……少しだけイヤだった。 

 

 この気持ちに気が付いたのは去年。

 でも、今年に入ってからはことり自身もラブライブに集中していてあんまり海菜さんの事だけを考えている時間は無かった。それは海菜さんがとても忙しくて会える時間が無かった事にも関係するのですけど。

 

「久しぶりに会えたね」

 

 ことりはそっとトリさんのぬいぐるみに話しかけます。

 

 満足に話をすることが出来たのは本当に数週間ぶり。もしかしたら一月以上経っていたかもしれません。

 

――やっぱり、格好良いな。

 

 再び頬が紅く熱を持ち。

 頬を両手で覆います。

 誰にも見られていないけれど。

 

 優しい笑顔。

 明るい雰囲気。

 試験が終わったからなのか、どこか無邪気な様子さえありました。

 それは、ことりにとってどこまでも魅力的で。

 

「海菜さん、海菜さん……」

 

 溶けだした声は届くことなく――。

 

 

 

――悪い事は言わないわ。……諦めなさい。

 

 

 

 にこちゃんの言葉がリフレイン。

 それは褪せることなく心に傷を残します。

 

 にこちゃんの決意と。その理由。

 全てを理解して尚、私は納得できませんでした。

 海菜さんを想って自分の心を殺す彼女。

 

 でも、ことりにはそんなこと出来ないよ――。

 

 今日会って、やっぱり想っちゃったんです。

 

 

 

「好きです、海菜さん」

 

 

 

 ことりに向けてくれる笑顔が。

 ことりと話してくれる言葉が。

 ことりに届けてくれる想いが。

 

 目尻に残った涙の跡はきっと、μ'sの為に流してくれた想いの証拠ですよね?

 

 狂おしい程――愛しくて。

 

 

『二人きりで、会ってください!』

 

 

 その言葉は自然に溢れだして来ました。

 ことりの意思とは関係なく、ことりの判断とは別に。

 

――どうして急にこんなこと。

 

 逡巡。

 

――ううん。分かってる。

 

 ことりは思い出します。

 祝勝会の途中、海菜さんが一瞬見せたあの表情を。

 思い詰めたような視線の先に居たのはやっぱり――絵里ちゃんと希ちゃんでした。

 

「分かってた事なのにね?」

 

 もちろん、トリさんは答えてくれません。

 同情するかのように大きな目がことりを覗き込みます。

 

 予想はとっくの昔に出来ていました。にこちゃんが手を引いたのも同じ理由から。

 

『きっと古雪が選ぶとすれば……あの二人の内どちらかよ』

 

 その言葉がどれほど正しかったか、ことりは痛感していました。もしかしたら、にこちゃんは私以上に深く理解していたのかもしれません。割り込む隙も無く、どこまでも大きな差があの二人との間にはあったのかもしれない。

 

 それでも、ことりは諦めたくなくて。

 

 気付いたら海菜さんに声をかけていました。

 どうしても、その視線を――絵里ちゃんと希ちゃんへ注がれる視線を逸らしたくて。一瞬でも、せめて一瞬だけでもことりに送って欲しくて。

 

 

 

 明日はデートです。

 きっと、最初で最後の。

 

 

 

 伝えなきゃ、ことりの気持ち。

 例えそれが彼を傷つけてしまっても――。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 翌朝。

 ことりは癖毛を櫛で溶かしながら鏡と向き合っています。

 

――頑張らなきゃ!

 

 考えれば考える程暗くなってしまいますけど、一晩寝ると幾らか気持ちが楽になりました。それに、色々考えて悩むのはもう終わり。きっとこれが最後のチャンスになるような気がするんです。もしかしたらことりの女の勘なのかな。

 

 ラブライブが終わって。

 二次試験が終わって。

 

 きっと海菜さんは今まで目を向けていなかったものを大切に拾い上げようとするはずです。そんなあの人に、ことりという女の子をアピールするには今しかない――。

 

 ダメもとでも、玉砕覚悟でも。

 ことりはにこちゃんとは違います。

 この想いは――言葉にしたい。

 

 

「うん、バッチリ!」

 

 

 ウィンク一つ。

 少しだけ濃いめのメイク。

 いつもより大人っぽく。

 一番可愛いことりを見て貰いたいから。

 

 集合時間――三十分前。

 ことりは扉に手をかけました。

 

――海菜さん、こんにちわっ!

 

 シュミレーション一つ。

 うん、大丈夫。今日も――きっとこれからも笑えるよ。

 

 

 

***

 

 

 

「よっ、ことり」

「海菜さん!」

 

 待ち合わせ場所は駅前。

 予定時刻より少しだけ早く海菜さんはやってきました。試験が終わって時間が出来たからなのか、綺麗に散髪された黒髪は見慣れない程丁寧に整髪剤で整えられています。黒を基調としたファッションも、どこかお洒落に気を使っているようで、もしかしたらことりとのデートを意識してくれたのかも――そう感じてしまうのは都合の良い思い込みでしょうか。

 

 彼は少しぎこちなく片手を上げます。

 

「早いな、待った?」

「いえっ! 今来たばかりですよ」

 

 答えて、自然な動作で隣へ移動します。

 ぴくり、と僅かに海菜さんの身体が揺れました。

 

「それじゃ、行きましょうか?」

「え、あぁ、その……」

 

 返答はどこか歯切れが悪くて。

 

「今日は、その……」

「……?」

「いきなりこういうことを聞くのはアレなんだけど、今日はどうして?」

 

 すごく申し訳なさそうに、海菜さんはことりの表情を伺います。

 生真面目な彼らしい素朴な問いかけ。

 

 この質問の意図がどういったものなのかは分かりません。

 

 

――ことりの気持ちを純粋に知りたがっているのか。

 

――ことりとのデートを避けたいのか。

 

――ことりの気持ちを既に察しての事なのか。

 

 

 いずれにせよ、今はまだ――。

 

「ふふ、どうしてだと思います?」

「どうしてって言われてもな~……」

 

 質問に質問で返すなよ~、と恨みがましそうに呟きました。

 

「ただ、遊びたかったから……じゃ、無いよな」

 

 微笑みだけを返しておきました。

 賢い海菜さんの事です。半年前なら『海菜さんと遊びたくて!』と言えば信じてくれたと思います。でも、もうそんな演技は通用しないでしょう。彼は彼なりにことりの気持ちを推し量って――考えてくれているはず。もちろん、好意を敏感に感じ取って行動に移せるようなプレイボーイさんでも無いでしょうけど。

 

「ことり……?」

「いえ、海菜さんは……ことりとデートするのは嫌ですか?」

 

――デート。

 

 もう、この言葉を使っても良いんだ。

 ううん。使わなきゃ、ダメ。

 

「い、いや……そういう訳じゃない、けど」

「なら、お願いします! 今日だけですから。行きましょう?」

 

 強引に話を切り、彼の腕を取って歩き出しました。

 

 

 

***

 

 

「それで、どこに行くの?」

 

 腕を引かれている内にある程度諦めが付いたのか、それとも状況をうまく呑み込めたのか。海菜さんは穏やかに微笑みながらそう聞いてきました。

 

「ふふ、どこだと思います~?」

「いや、だから質問返しズルい!」

 

 ちょっとだけいつもの雰囲気が戻ってきました。

 

「まずは電車に乗りましょう!」

「お、遠出するの?」

「はい! といっても、都内ですけど」

「なんか、遊びで電車乗るの久しぶりかも」

 

 少し込み合った車内に滑り込むと、ことりと海菜さんは向かい合います。隣同士座れる席は見当たらず、つり革を持って視線を交わしました。心なしか、彼の頬が染まります。

 

――流石に、二人きりは緊張してくれるのかな?

 

 負けないくらい脈打つ鼓動を感じながら、ことりは少しだけ微笑みました。

 

「それじゃ、行先クイズしましょう?」

「お、いいね。この路線にあるの?」

「質問は受け付けてませんよ!」

「マジか、結構シビアだな~」

 

 僅かに電車が揺れ、発進します。

 揺れに乗じて海菜さんに抱き着く――なんて、少し漫画の読み過ぎかも。

 

「観覧車があるところです!」

「観覧車? うーん、割とどこでもありそうな……いや、案外少ないのかな?」

 

 小首を傾げて考え込む。

 

「流石にピンとはこないなぁ、あんまりそゆとこ行かないし」

「他には……服とかも買えますよ?」

「服……余計、専門外だわー」

 

 イマイチ、閃く様子の無い海菜さん。

 やっぱりデートスポットには疎いんですね?

 ちょっぴり嬉しいような。

 

 ことりは少しだけ頑張って海菜さんの傍に、一歩近づきました。彼の香りが鼻孔をくすぐって、幸せな気分にさせてくれます。海菜さんは僅かに身じろぎしたものの、嫌がって離れるようなことはしませんでした。

 少し困ったような表情で私を見ます。

 

「別名、恋人の聖地――とも呼ばれてます」

 

 途端、はっとしたような顔。

 

「もしかして、パレットシティ?」

「正解です!」

「やったぜ!」

 

 それにしても、と海菜さんは続けました。

 

「よくそこチョイスしたなー……」

 

 恋人の聖地、というワードに引っかかったのか気まずげに視線を逸らします。

 

「ふふ。新しい服が欲しくて……ダメでした? 海菜さんも楽しめそうな施設もあるみたいですし」

「いや、全然、文句は無いけどね……折角だから楽しもっか?」

 

 この数十分の間に、彼が一体何を考えてくれたのかは分かりません。でも、なんとなくですが――ことりの計画に素直に乗っかってくれようとしているように感じました。一体、彼がどこまで予想できているのかは分かりませんが、今日だけは。

 海菜さんを独り占めして、大切な思い出を作りたい。

 素直にそう思いました。

 

 

***

 

 

「おぉ~~、デカい!!」

 

 着いてすぐ、海菜さんの歓声が飛び出しました。

 子供のように目を輝かせて観覧車と大型商業施設を眺めています。

 

「おっきいですよね! 後で絶対乗りましょう?」

「乗る乗る! 何メートルあるんだろ?」

 

 彼は片手を伸ばして指を使い、何やら大きさを計っています。

 

「それで分かるんですか?」

「うーん、ゴンドラの高さを二メートルと仮定して、たかさは大体……」

 

 ひーふーみー、と何かを基準にして指さし確認する海菜さん。

 なんとなく、男の子らしいなと微笑ましく眺めます。

 

 気温はやはり二月末とはいえかなり冷え込み、足早に建物内に駆けていく人が多い中二人立ち止まって大観覧車を眺めていました。そっと寄り添うように左手に抱き着きます。海菜さんは少し動揺しながらも振り払おうとはしませんでした。

 分厚い防寒着越しの彼の腕から体温は伝わってはこなかったけど、いつもより身近に感じられて……幸せな気持ちで胸が満たされます。ことりはそのまま、手を繋ごうとして――。

 

「九十メートルと見た!」

 

 海菜さんはぱっと、身を翻しました。

 

「百十五メートルですよ」

「いや、知ってるなら教えて!? 寒いのに必死こいて考えちゃったわ」

 

 そう言いながら彼は自然な動作でことりから離れていきます。

 

「中入ろう! 服見るんでしょ?」

「……はい」

 

 店内は暖かく、賑わっています。

 彼はコートを脱ぐとことりの方に、空いている片方の手を差し出しました。

 

「……え?」

「いや、上着持つよ? 回るんなら暑くなるだろし」

「い、いえ。ことりは自分で……きゃっ?」

 

 驚いて、遠慮が先に出てしまい断ろうとしたところ。

 

「ふははは、脱げ脱げ、良いではないか良いではないか~」

「も、もう! 自分で脱げますから~」

 

 

***

 

 

 それからは、二人でデートを楽しみました。

 

 なんというか、ことりも男の人と二人きりで遊んだ経験はないですけど……きっと、模範的な男女の遊び方が出来たと思います。ことりの好きなファッションブランドのお店を回って、服を選んで貰ったり。

 逆に、普段は行かないような面白系のグッズを取り扱っているお店に行って笑い合ったり。

 

 海菜さんは文句ひとつ言わずに付き合ってくれました。

 ことりが足を止めたら面白可笑しく目の前の商品の話をしてくれて。ことりが少し退屈そうにしていたらこっちにおいでと手招きしてくれて。ずっとことりの事を気にかけてくれて。

 やっぱり優しい人だなって実感します。

 

 昼過ぎにお店についてから数時間。

 あっという間に時は過ぎていき――。

 

 歩き疲れたことりたちは、少しだけお洒落なレストランに入りました。

 

「結構歩いたな~」

「そうですね、疲れましたか?」

「ふふふ。まだまだぁ……」

「無理しなくてもいいですよ!」

 

 海菜さんはぐでーっと机に体重をかけるようにしてメニューを覗き込みます。

 

「ことりは決まった?」

「そうですねー、海菜さんは何にします?」

「俺はそーだなー、ハンバーグにしよ」

「じゃあことりもそれにします! 同じが良いですし」

「……そっか。なら、それで注文するな」

 

 店員さんにひとしきり注文が終わり、少し無言の時間が続きました。

 窓の外を眺めても、特にこれと言って綺麗な夜景が広がっている訳ではありません。寒々しい夜空と、僅かな結露が見えるだけ。ことりはそっとため息を吐いて正面を向きました。

 

――海菜さん。

 

 彼は少し困ったように笑い返します。

 

「…………」

「…………」

 

 半日一緒にいれば、話すことも無くなって。

 

 

 

――海菜さんの、嫌いな所、見つかればいいのにな。

 

 

 

 朝はちょっとだけ、そう思っていました。

 

 長い間一緒に居て、色んな所を回れば知らない一面が見えてくるはず。きっとそれは良い所だけじゃなくて、私の無意識にかけているかもしれない色眼鏡が外れる事にも繋がる可能性もある。もし、海菜さんのダメなところが見えたら――少しは楽になれるのかな。

 海菜さんが優しいなんてウソ。

 海菜さんが格好良いなんてウソ。

 海菜さんが面白いなんてウソ。

 

 

 でも、結果は――。

 

 

 

 

 運ばれてきた食事。

 

 二人は無言で食べ始めました。

 彼は少し私の表情を伺って、視線を落とします。

 

 

「………」

「………」

 

 

 二人だけで食べる初めてのディナーはとても美味しくて……。

 だけど――。

 

 

「海菜さん……」

「……どうかした?」

「今日、一日一緒に遊んでもらって色んな事が分かりました」

 

 そう、色んな事。

 

「海菜さんの事、沢山分かったような気がします」

 

 交錯する視線。

 

「そっか」

「はい、海菜さんは……」

 

 海菜さんは――。

 

 

 

「ことりの……」

 

 

 

――思った通りの人でした。

  

 

 

「海菜さん、最後に……観覧車、乗りませんか?」

 

 

 

 

 

***

 

 

 見上げた空には星一つ見当たりません。

 

 それでも、夜空の下、虹色に輝く大きな観覧車の美しさに息を呑みました。さざ波のようにグラデーションが揺れ、一つ一つのゴンドラに違う光が灯ります。きっと、その全てに違うドラマが、思い出が詰まってるはずで。

 ことりのこれから紡がれる物語が、あのうちのどれかに刻まれてしまう事を――少しだけ申し訳なく思いました。恋人の聖地。幸せな世界に、一つだけ宿るはずの哀しみの灯り。それは確信にも似た感覚で。

 

 ことりたちは無言のまま並んでいました。

 この時ばかりは、海菜さんも哀し気に俯いていて――。

 

「次の方、どうぞ」

 

 その声に一歩、踏み出します。

 キィ、と僅かに金属の軋み、扉が開かれました。

 

「足元気をつけて」

「はい……」

 

 短い言葉を交わして、ことりたちはゴンドラに乗りました。

 二人分の体重で一瞬ゆらりと揺れて、そのまま係員さんによってしっかりと入口が締められます。出来上がったのは二人だけの空間。手を伸ばせば触れられる距離に彼は居て、吐息も――鼓動さえ聞こえてきそうな感覚。

 ことり達の世界はゆっくりと、空へと昇って行きます。

 

 彼は無言のまま窓に手を置きました。

 視線の先には広がる水面と、輝く橋。広がる光の海。目を奪われるほど美しいその夜景を見ても尚、その表情に笑顔は見られませんでした。無論、それはことりも同じ。夢にまで見たシチュエーションです。

 初恋の男の人と、ショッピングをして食事をして――最後に夜景の綺麗な観覧車に二人揺られる。他でもない貴方と、憧れていた未来。でも、想像の通りとは行きません。ことりが思っていたよりも海菜さんは――ことりの気持ちを理解しているようです。

 

「夜景、綺麗ですね」

「……あぁ、そうだな」

「…………」

 

 会話は続かずに、俯いたことりに彼が語り掛けます。

 

「ことり」

 

 そっと視線を上げると、目が合いました。

 黒曜石な深い色をした瞳から伝わって来るのは――葛藤と迷い。

 

「その……俺は」

「海菜さん、ことりからお話させてくれませんか?」

 

 今日だけは、彼に甘えてはダメ。

 海菜さんは小さく頷きました。

 

 僅かな振動と、金属音。

 ゴンドラの高度は半分ほどに差し掛かった位でした。

 既に大型複合施設の最上階を超え、目に入るのはミニチュアの街並み。

 

 普段は彼が埋めてくれるはずの沈黙が、痛い程響き渡りました。

 

「海菜さん、一つ聞かせてください」

「ん。……いいよ」

「ことりが貴方を今日誘った理由、分かりますか?」

 

 海菜さんは一瞬唇を噛みしめるようにして――小さく頷きました。

 

「ふふ、そうですか」

「…………」

「少しだけ、意外です。海菜さんって、ちょっとだけ鈍感さんなのかな~って思ってましたから」

「多分、合ってるよ」

「でも、今は違うんですよね」

「あぁ、今は、違う」

 

 きっと、ことりが変わったように。

 海菜さんも変わった。

 

「ことりにとって」

 

 静かに姿勢を正して、彼と向かい合いました。

 

「ことりにとって、貴方は……変な男の人でした」

「……酷い言われようだな」

「だって、そうじゃないですか! 初めて会ったときは、急に神社の階段の影から手帳を拾いに飛び出して来て……いつの間にかμ'sと関わるようになって」

 

 そんなこともあったな、と海菜さんは笑います。

 そんな出会いにドラマは無くて、運命なんか感じませんでした。

 

「ドラマとかなら、もうちょっとことりと関係があっても良いはずなんですけど」

「最初の方はあんまり話さなかったっけか」

「はい。たまに穂乃果ちゃんや海未ちゃんと一緒にお話するくらいで……ことりは、海菜さんと楽しそうに喋る二人を見ている方が楽しかったですから」

 

 二人を笑顔にしてくれる男の先輩。

 不思議な人だなって、ずっと思ってた。

 

「でも、いつの間にかことりは」

 

 ううん。きっかけは分かってる。

 ことりが留学に行こうとしてたあの時。なりふり構わずに駆けつけて来てくれたその優しさに、まっすぐな心に魅せられて。恋を知らなかった幼い女の子の胸に暖かな光をくれた。

 

「貴方と話すのが楽しくなりました」

 

 彼は静かに頷きます。

 

「ことりは、貴方をずっと見ていました。最初は少し警戒して。穂乃果ちゃんや海未ちゃんに変なコトしないかなって。だけど、そんな素振りは一切無かったです。本当の妹と接するみたいに優しくて少しだけ意地悪に。男の子と女の子だって事を忘れるくらい自然に私達の中に溶け込んでましたね」

 

 小さく息継ぎ。

 

「段々と、警戒心は薄れていきました。この人はきっと、本当に思いやりだけでことり達に力を貸してくれてるんだって。それからは、ことりは――貴方自身に興味を持つようになりました。どんな人なんだろう、何を考えてて、何を想ってるんだろう」

 

――それが、ダメだったのかも。

 

 ことりは考えます。

 

『周りをちゃんと見ることが出来るのが君の良い所だと思うし!』

 

 一度、穂乃果ちゃん達と自分の力の差を考えて悩んだ時に、海菜さんが言ってた言葉を思い出します。きっと、これはことりの性格の本質を突いていました。

 輪に入るのが苦手という訳でもないですが、穂乃果ちゃんみたいにその中心に入って騒いだりは出来ないタイプです。いつも誰かに乗っかって、空気を読んで。そんなだから誰からも苦手とは思われないし、気遣いが出来る子だと思われがち――だとは思います。

 ですから、ことりはいつも輪に入る前、皆の表情を伺います。

 

――この子は一体何を今考えてるんだろう?

――ことりに何をして欲しいのかな?

 

 それは、海菜さんに対しても同じこと。

 

 

「海菜さんの事、考え過ぎちゃって……」

 

 

 分からない事だらけで。

 理解出来ない事だらけで。

 見えてくるのは優しい心だけで。

 

「いつの間にか――」

 

 貴方は、ことりに恋の種を渡していきました。

 

「いつの間にか――」

 

 その種はゆっくりと育ち。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「好きになってしまいました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ことりは、きっとこの瞬間の事を一生忘れません。

 静かに目と目を合わせて真摯に頷いてくれていた海菜さんは――

 

 

 激痛に耐えるかのような、悲痛な色を瞳に浮かべ。

 平静を装いながら強く、拳を握りこみました。

 力を入れ過ぎた所為か白く変色した皮膚と僅かに乱れる吐息。

 まるで謝罪するかのように頭を垂れながら。

 

 

 

「そ……っか」

 

 

 

 言葉を絞り出しました。

 

 でも、ことりにも余裕は無くて。

 ただただ、この胸を焦がす想いを形にしたくって。

 

 ゴンドラが遂に――頂点へ辿り着きました。

 

 周りを見渡しても何もありません。常に視界にあった別のゴンドラも、支柱も何もかも全て消え去って。世界中にことりと海菜さん、二人だけになったみたいな――そんな嘘みたいな感覚。このまま時が止まってしまえばいいのに。そんな馬鹿げた妄想をしながら。

 

 ことりはそっと息を吸い込みました。

 

 

 海菜さん――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「貴方の事が、大好きです。ことりと――お付き合いしてください」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 コツコツ、とコンクリートを叩く音が響く。

 街頭が暖色を落とし、彼女の背を照らしていた。

 

 両の手はコートのポケットに収まり、僅かに乱れたクリーム色の長髪は正されることなく光を乱反射している。口から漏れ出す吐息は規則的ではなく、まるで咽び泣くような声が漏れていた。まるでそれが義務であるかのように歩みを進め、ことりは進む。

 

「ことり!」

 

 響く声。

 慌てたような足音と共に、黒髪を散らした小柄な女の子が呼びかけた。

 

「にこちゃん……」

「ことり……」

 

 にこは、自分よりも身長の高い後輩を抱き留めて背中をさする。

 

「ほら、風邪ひくわよ」

 

 安心したせいか、その場にへたり込んでしまった彼女の首にマフラーを巻きなおす。防寒着では無く、濡れた表情を隠すために使われたそれは僅かに湿っていた。にこはなんとなく状況を理解しながらそっとことりを抱きしめた。

 

「どうして欲しい? 話聞いてあげようか?」

「……」

 

 小さく、ことりは頷いた。

 

「にこ……ちゃん」

「……どうしたのよ?」

「に……こちゃん」

 

 痛い程に力を入れ、ことりはにこのコートにしがみ付いた。

 

「ホラ、顔を上げ……」

 

 息を呑む。

 ことりは――いつでも可愛らしく微笑んでくれたことりは。

 

 

 

「ごめんなさい、にこちゃん……!」

 

 

 

 大粒の涙を流していた。

 

 

 

「やっぱり、にこちゃんの言う通りだった!!」

 

 

 

 ことりは思い出していた。目の前の自分より少しだけ早く、自分と同じ人を好きになってしまった先輩が紡ぎ出した言葉たちを。その時は上手く理解できず、それよりも自身の燃え盛るような激情に支配されてしまった。

 しかし、今、彼女はその言葉の意味を痛感している。

 

***

 

『にこが告白したら、素直な想いをぶつけたら! そんなことしちゃったら!』

 

『アイツが……古雪がどれだけ苦しむと思ってるのよ!!』

 

『そうよ! アイツは、誰よりも私たちの事を思ってくれてる。それが恋愛感情じゃないとしても、古雪は素直な優しさを、隠すことない厳しさを、アイツ自身の心をくれた! そんな古雪に告白なんてしてしまえば、アイツがどう感じるかなんてことり! 貴女でも想像出来るでしょう!』

 

『アイツが、何も思わずに女の子を振れるような男なの!?』

 

『にこはそうは思わないわ』

 

『にこの知っている古雪は、にこの好きになった男は。誰よりもにこ達の事を傷つけたくないって考えてる。にこが告白をすれば。古雪がにこを振らざるを得ない状況を作ってしまえば。……数え切れないほどの後悔と、葛藤をアイツに与えることになる』

 

『にこには分かるの! 古雪がどれだけにこ達の事を大切にしてくれてるか。にこには分かるのよ! にこのこの想いが、どれだけアイツを傷つけるのかが!!』

 

『だからにこは……告白できない』

 

***

 

 にこは泣きじゃくることりを抱きしめて、あやす様に背中を撫でる。その瞳には優しい光が宿り、安心させるようにふわりと微笑んだ。芯に響くような寒さが襲い、二人を包む。それでも彼女らはそこを動かず、見つめ合った。

 

「今日、古雪と会ったのね」

「うん……それで、ことり……」

「……想いを伝えた」

「そう……!」

 

 にこは頷いた。

 

――遅かれ早かれ、こうなっていたわよね。

 

 自分より少しだけ幼く、真っ直ぐな少女が辿り着く未来は想像できていた。

 そして、この時かけてあげられる言葉も決まっている。

 

「古雪は、なんて言ってた?」

「海菜さんは、海菜さんは……!」

 

 ひぐ、と嗚咽を漏らしながら叫んだ。

 

「ありがとう、って……!!」

 

 再び涙が溢れだした。

 

「好きになってくれてありがとうって、でもごめんねって!!」

 

 にこは頷き返す。

 

「そう。でも、それは……ことりも分かって居たでしょう?」

「ぐす……うん」

 

――でも、振られたこと以上に。

 

 ことりは思い出していた。

 真っ直ぐに紡ぎ出した想いを、躱すことなく受け止めてくれた彼の表情を。口調は優しく、最後まで冷静で。だけど、どこか儚げで。

 

 

 

 

「海菜さんに、あんな顔させちゃった……!!」

 

 

 

 

 彼は優しく微笑んでくれた。

 ありがとうと、笑ってくれた。

 ごめんね、と小さく頭を下げてくれた。

 

 それは、どこまでも模範的。

 文句のつけようがない程に丁寧で。

 

 

――古雪海菜らしくは無かった。

 

 

 彼は予想していたのだ。二人きりのデートに誘われた時から、そして一緒に歩いて話をしている内に確信する。彼女の想いと、それが告げられる場所の事。絶対に避けられない――避けてはならない気持ちを告げられるという事が。

 

「そこで、引けばよかったのに……ことりは」

 

 

 

――ことりじゃダメですか!?

 

 ゴンドラが揺れた。

 彼女は前に乗り出す。

 

――お願いします! 海菜さんが好きになるような、女の子になりますから!

 

 ことりは悔しかったのだ。

 それは理屈ではない。

 頭では分かっていた。丁寧な答えも、模範的な言葉も。何もかも全て、自分の為に彼は用意してくれたのだろう。傷つけないように、引きずらないように。出来るだけ優しく、でもキッパリと。

 それが――ことりにとって一番辛かった。

 

 海菜の判断が悪かった訳では無い。

 ことりの考えが間違っている訳では無い。

 

 しかしその結果――。

 

 

『お願いします、海菜さん……。本当に、大好きなんです』

 

 

 彼の手を取って、ことりは懇願した。

 頬を伝う涙は海菜の掌に暖かく流れ落ちて……。

 

 

 

 

 

 

 

 海菜は遂に取り繕った笑顔を崩し――悲痛な表情を浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、ことりは悟る。

 

――あぁ、きっと、にこちゃんはこの顔が見たくなかったんだ。

 

 海菜が自身の葛藤を見せる。

 可愛がっていた後輩の想いを踏みにじる事への罪悪感。自分がもう少し気を使い、恋愛感情を生まないよう立ち回れていたらという後悔。ことりの涙を見てしまう事による単純な痛み。優しすぎる……考え過ぎてしまう彼だからこそ受けてしまう心の傷が――全て見えてしまった。

 

 だからこそ。

 

 

 

「にこちゃん、ことり、ことり……!」

 

 

 

 にこはそっとことりの頭を撫でた。

 

「優しいわね。自分をフった男なんてけちょんけちょんに言っちゃって良いのよ」

「うわぁあん!」

「それが出来たら苦労しないわよね」

「告白したら、振られたら、全部スッキリするって思ってた!」

「うん……」

「でも、ことり……」

 

 嗚咽のように彼女は心を見せる。

 

 

 

「海菜さんのこと、まだ……今まで以上に好きだよぉ」

 

 

 

 にこは再び強く抱きしめた。

 その言葉には答えないままに。

 

「よしよし、その調子で涙全部流しちゃいなさい」

 

 そう言いながら笑う。

 

 解決策は何もない。

 ただ、時間が過ぎるのを待つしかない。

 

 ことりの行動が、ことり自身の為に良かったのか悪かったかすら現段階では分からないだろう。だから、今はただ、強く彼女の身体を抱きしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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