ラブライブ! ~黒一点~   作:フチタカ

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第六十話 合格発表

 その瞬間は、俺が思っていたよりも遥かに――自然に訪れた。

 

 色んな物を犠牲にして過ごした二年間という月日。一生という長い目で見れば僅か数パーセントに過ぎない僅かな時間だろう。十八歳と言う年齢で計算しても一割にも満たない。ただ、俺にとってはあまりに長い期間だった。苦しく、辛く、先の見えない闇に一人歩いていくような感覚。誰とも共感できず、誰とも共有したくなかった。俺は自ら進んでその道を選び、自ら進んで苦労を積み重ねた。

 

 だからこそ――もう少し何かあるのでは?

 などと感想を漏らす。

 

 俺は手持無沙汰なままリビングで一人昼間にやっているお笑い番組をぼうっと見ていた。流石に内容には集中できず、コミカルに動き叫ぶ彼らの姿を眼球だけで追っていた。母親は別室で何やら手を合わせている。無宗教かつ淡白な彼女が人柄にもなく姿も知らない神様に手を合わせている姿は滑稽であり……少なからず心を揺さぶられた。俺が必死に勉強をしたのは両親の為でもあるのだから。

 

――喜ばせるつもりが、余計心配をかけてしまうなんて。

 

 皮肉な現実に小さく笑う。

 

 今日は、合格発表。

 ホームページ上に受験番号が表示されるまであと五分残されていた。

 

「…………」

 

 会場に張り出される結果を見に行くつもりは無かった。別に、パソコンの画面だろうと木の板の上だろうと変わらないから。しかし、父親は朝早く代わりに見に行ってくると意気込んで出掛けて行った。心配性なおかんと、どこか楽観的な親父の差に図らずも笑ってしまう。彼は俺の合格を手放しに信用してくれているらしい。それは凄く嬉しい事だった。

 

 立ち上がり、パソコンへと向かう。

 既に電源は入り画面には受験者用に作られたページが表示されている。もう後数分後に更新すれば、文章ファイルがアップロードされるはずだ。

 

――そういえば、ラブライブ予選もこんな感じだったな。

 

 十人で送られてくる結果を見た。

 十人でランキングを上から辿った。

 

 今は――一人。

 

 傍に彼女たちは居ない。そりゃそうだろう。

 俺は一人で戦ったんだ。喜ぶのも、悲しむのも俺だけだ。

 

 時計の秒針が時々刻々と運命の時へと歩みを進める。

 

 既にテレビ画面から流れてくる音は耳に入らなくなっていた。頭の中は不思議なほどすっきりと冴え渡っている。焦りも、重圧も結果を目の前にして全て消え去っていた。諦めの境地――というのが正しいのだろうか? 今から何を考えても無駄、ついに脳が理解したらしい。ふわっと浮き上がるかのような感覚が全身を支配して少し落ち着かない気分だった。

 手を伸ばす。

 指先が僅かに揺れているのを他人事の様に観察していた。

 

 一分を切った。

 

「―――――」

 

 受験番号を復唱する。

 頭にこびりついて離れなかったその数字列。

 コイツを俺の頭に保存して置くのもあと数十秒だけだ。

 

 マウスをクリック――更新のボタン。

 

「あと十秒」

 

 震える。

 体温が上がる。

 悪寒が走る。

 呼吸が乱れる。

 

 

 

――これを押せば全てが!

 

 

 

 極度の緊張が身体を襲い、それでも俺は人差し指を押し込む。

 数秒のタイムラグの後――先程までとは違い、中央に一つのファイルが張り付けられていた。

 

 これさえ開けば良い。

 

 それで全てが終わる。

 

 

 

 

 俺は改めて震える指先を無機質な電子機器に押し当てて――。

 

 

 

 

『海菜さん!! 大丈夫ですよ、私たちが付いていますから!!』

 

 

 

 

 そんな声が聞こえた気がした。

 

 

――くだらない。

 

 

 勉強は、受験は、俺が、俺だけが頑張ってきたものだ。

 他者の介在は無い。

 応援される謂れも、意味も絶対に存在しない。

 気休めだ。

 無価値だ。

 俺はそんなに弱くない。

 

 素直じゃない俺の、精一杯の強がり。

 

 

 

 

 だけど、伸ばした掌に――確かな温もりを感じた。

 まるで、背中を押して貰ったような。勇気を分けて貰ったような。

 いつしか震えは止まり、新たな未来へと一歩、踏み出す。

 きっとそれが出来たのは、あの子達と触れ合ったお陰で。

 

 誰からどう見たって寄り道だっただろう。自分の事だけに集中すれば良かったハズの最後の一年間。それを俺は自分の為だけではなく、何故か彼女たちの為にも使うことになった。色んなきっかけと様々な動機から運命は大きく変化して。でも、そのお陰でかけがえのない大切な事を教わり、大事なものを貰った。きっとその全てが今の俺の力になっていて。

 

 

 

 

 

「ありがとな、皆――」

 

 

 

 

 

 

 小さく、呟いた。

 

――カチリ。

 

 目の前が数字の列に埋め尽くされる。

 

 

「…………」

 

 

 

 

 

 

 

――あぁ。俺は一生この気持ちを忘れないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 まるで他人事の様に感じる。

 

 繰り返し繰り返し、吐き気がするほど見てきた数字。一番逃げたくて、一番捨てたくて――そして一番大事にしてきた番号が、そこにはあった。

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

「いってきまーす」

 

 リビングに一声かけて俺は外へと飛び出した。三月に入ったというのに未だ寒気は居座っており、身を切る風に体を震わせる。もっとも、ダウンを着ればなんとかなる――程度までは暖かくなって来ているのだが。遠出をするつもりは無かったので部屋着同然の格好でスニーカーを履いてしまった訳だ。

 俺は一瞬後ろを振り返る。

 普段は大きな声で見送ってくれるハズの母親の姿は無い。どうやら、柄にもなく泣き崩れてしまっているようだ。気の強い彼女らしからぬ様子に最初は戸惑ったものの、しばらく話をしてから彼女の前を立ち去った。親父からもさっき現場の張り紙の写メが届いたし、家ですることは特にない。

 

「とりあえず、先生達に報告……」

 

 塾と、学校と。

 そうすることが決まりにはなっているから。

 

「……でも」

 

 その前に。

 

 俺の足は何度も通った――幼馴染の家へと向いていた。

 何故だろう。一番最初に教えたかったんだ。

 

「なんだろうな、この気持ちは」

 

 小さく笑う。

 

――安心させたい。

 

 とか。

 

――笑顔にしてあげたい。

 

 とか。

 

 そんな殊勝な気持ちではない。なんだろう。なんなんだろうな。うまくは言えないけれど、俺は世界で一番今日のこの結果を――絵里に伝えたかった。誰より先に、他でもないあの娘に。小気味よく刻まれる足音と、寒さにも関わらず弾む胸。まるで踊り出したくなるような。

 

――一体どんな反応をするだろう?

 

 笑うだろうか。

 泣くだろうか。

 はしゃぐだろうか。

 

 ちょっとだけ考えてみた。

 どうにもしっくりこない。

 

 しっくりこない……?

 

 

 違う――。

 

 

 なんとなく、そんな気がした。笑顔な彼女も想像できるし、もしかしたら泣いてしまうかもしれない。あるいは、飛び跳ねて喜んでくれるかも。そのどれもが自然で、あり得る反応。でも、俺は心のどこかでそのリアクションを否定していて。

 

「こんにちわ~」

 

 慣れたもので絢瀬家にお邪魔する。リビングの方から軽い返事が聞こえてきた。おばさんは、手が離せないのよ~と皿をカチャカチャと鳴らしながら呼びかけてくれている。俺は軽く挨拶を済ませて二階への階段を上った。

 

――えっと、何を考えてたんだっけ?

 

 ま、いいか。

 俺はにやりと笑って絵里の部屋の戸を開けた。

 

「よっ! 昨日ぶり!!」

 

 突然の登場に一瞬目をぱちくりさせた後。

 

 

 

「ふふ。いらっしゃい、海菜」

 

 

 

 いつもの笑顔を浮かべた。

 

 

 いつもの笑顔。

 

 

 いつもの――笑顔。

 

 

 それが、それは。俺にとってどれほど――。

 言葉にならない感情が体中を駆け巡る。先ほど自身の合格を確認した時とはまた違った感覚。その時は、感動とは別に冷静な自分が居た。どこか達観したような。どこか他人事のような。達成感と安心と、でも激情とはまた別の感覚に支配された一時間前。

 しかし、今はどうしようもなく胸が昂っていた。

 熱で浮かされているかのような。

 行き場のないエネルギーが体内を弾け回っているような。

 

 うまく、言葉は紡げなくて――。

 

 たった一言。

 俺は口にした。

 脈絡もなく。

 

 

 

 

 

 

 

「――受かってたよ」

 

 

 

 

 

 

 

――静寂。

 

 まるで時が止まったかのようだった。

 

 一秒だったのだろうか。

 それとも一分?

 いや、もっと経っていたのかも。

 

 彼女はゆっくりと立ち上がった。

 

 

 その表情は――分からない。

 笑顔でも、泣き顔でも、そのどちらでもない。

 

 

「海菜……」

 

 

 囁くように俺の名前を呼び

 優しく抱きしめてくれた。

 

 そして――

 

 

 

 

 

 

 

「――よく頑張ったわね」

 

 

 

 

 

 

 

 少しだけ震えた声た声で――俺を、褒めてくれた。

 俺の努力を労ってくれた。

 

 その一言で気が付く。

 俺が絵里の反応を考えていた理由。それは『予想』ではなく『期待』だった。笑って欲しかった訳じゃない、泣いて欲しかった訳でも無ければ、はしゃいで貰いたい訳じゃない。俺はただ、絵里に――俺の事を誰より見て来てくれた彼女に、褒めて貰いたかったのだろう。

 

 それはきっと俺の弱さ。

 俺の我が儘だ。

 まるで子供のような。

 

 俺が勉強を頑張ると決めたのは自分の都合だ。その決断に従って努力をするのは当たり前のことで、苦しむのは当然のことで。そこに他者の評価は入らない。俺以外の他人が認めるのは、俺が出した結果だけだ。

 でも、絵里は――何より先に俺のしてきた努力を褒めてくれた。

 

 他人には見せていない、見せてはいけない部分。

 今までもこれからも、努力は一番隠さなくてはならないものだ。

 

 

 

「…………」

「……泣かないの。折角受かったんだから」

 

 

 

 

 でも、君にだけは、褒められたかった。

 

 ただ一言、頑張ったねって言って貰いたくて。

 そう言ってくれたことが嬉しくて。

 

 誰一人として俺を理解して居なくたっていい。たった一人、君だけが俺を認めてくれたなら。

 

 

 

――あぁ、そう言う事だったのか。

 

 心が頷く。

 やっと。やっと。気が付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 古雪海菜が誰より深く――絢瀬絵里を愛していることに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

『きっと、希も直接聞きたがってるわよ?』

 

 

 

 絵里はそう言って俺を部屋から追い出した。

 まぁ、いつも通り話が出来る訳もなかったし、付き合いが長いせいで絵里が今にも泣きだしてしまいそうな事は伝わってきたので気を使って絢瀬家を後にした。アレもなかなか強情で、俺の前では泣きたくないらしい。折角嬉しい事があったのに涙は見せたくないのだろう。彼女らしい価値観だが今は大人しくアドバイスに従うことにした。

 

 俺にとっては、希も特別だ。

 電話やラインで済ませる――というのは違う気がする。

 

 少し緩んでしまった目尻を絞って歩き出した。もちろん、途中に自宅に戻って防寒着は確保して来たけれど。まぁ、冬らしい乾燥した晴れ模様だ。しばらく歩いていれば零れた涙の跡も消えてしまうだろう。

 きゅっとマフラーを普段よりきつく締めて進む。

 

 

 三十分ほど歩いただろうか。

 僅かに体は火照ってきたが脳内は大分クリアになってきた。大方いつもの俺に戻ったと言っても良いだろう。流石に寒空の下何十分も歩くと冷静にもなる。というか、こんな寒い日に出歩く方がおかしいのかもしれない。

 

――まぁ、大雨でも行ってただろうけど。

 

 晴れててよかったなぁ、と一人笑った。

 

「希かぁ」

 

 どんな表情をするだろう?

 それは純粋な興味だった。『期待』ではなく『予想』。絵里の様にこうして欲しいという候補は無くて、ただただどんなふうに喜んでくれるかが知りたかった。何か、面白いリアクションをしてくれると後々イジることが出来るかも……なんて。

 

 まだ見慣れない、彼女のマンションに到着した。

 以前来た時の事を思い出しながら、正解とおぼしき部屋の前に立つ。

 

 

――絵里はさっき、希の予定は空いてるって言ってたからな。

 

 

 多分、連絡でも取りあってるのだろう。彼女が言うなら間違いない。

 

 俺は躊躇いなく、呼び鈴を押した。

 同時に、家の中で響くインターホンが僅かに聞こえてくる。

 

「…………」

 

 出てこない。

 

「……というか」

 

 物音すらしない。

 俺は少し首を傾げた後、再び人差し指を押し込んだ。カチッと問題なく電子鈴は機能して再び高めの音が耳をくすぐる。ひゅう、と風が流れてマフラーに巻かれていない鼻先を抜けていった。足を止めるとどんどん体が冷えてくるんだけど……。

 

 しかし、出てこない。

 あれ、おかしいな……。

 

 俺は躊躇いなくインターホンを連打し始めた。ピンポンピンポンピンポン!! と騒々しく扉一枚隔てた一室に電子音が鳴り響くが。

 

「あれ? 出ないなぁ……」

 

 反応は皆無だった。

 どうやら寝てる訳でも無いらしい。扉には鍵がかかってるし……もしかして外出中か? なんだよー、絵里の奴いい加減なこと言いやがって。と、踵を返そうとしたその時。

 

 

 

 

「……古雪くん?」

 

 

 

 

 聞き慣れた声が響く。

 振り返るとそこには――寒そうに襟元を寄せている希の姿があった。

 

「希! 丁度良かった」

「え? あ、うん……待っててくれてたん?」

 

 寒さのせいか、それとも照れのせいか。彼女は頬を染めながらこちらの表情を伺っていた。なんとなく緊張しているようにも見える。

 

――まぁ、そりゃそっか。

 

 合否を知らない以上どんな顔をすればよいのか分からないのだろう。

 

「そ。さっき、結果が出たから直接伝えようと……」

「そうなん? わざわざ家まで……とりあえず入って? 寒いやろ」

「あ、じゃあお邪魔します」

 

 希はわたわたと慌てて鍵を取り出した。そして、扉を開けようとして。

 

「あっ……」

 

 からん。

 鍵を落としてしまった。手袋をしていたせいだろうか?

 彼女は毛皮の大人びたデザインのグローブを外して――真っ赤になった指先を落とした金属片へと伸ばした。寒さでかじかんでいる、程度のものではない。しもやけになりかけの様な痛々しい赤。案の定、うまく鍵を掴めないでいた。

 

「う~……」

 

 もどかしいのか、彼女は小さく唸り。

 

「古雪くん……」

 

 しゃがんだまま見上げてきた。

 図らずも上目遣いがどうしようもなく魅力的で、俺は頬をマフラーで隠しながら視線を外した。そして、出来るだけ彼女と目を合わせないようにしながら代わりに鍵を拾い上げる。足元でありがとう、と聞こえたがスルーしてそのまま扉を開けた。

 

「お邪魔します」

「どうぞ」

 

 スニーカーを脱いで振り返る。希はブーツを脱いで、俺の靴を丁寧に端っこに寄せて整えていた。俺は黙って下を向いて作業をする彼女へと近づき、手刀をお見舞いした。

 

「なんなん~?」

「手、どうしたんだよ」

「あはは、今日は寒かったやんか?」

 

 困ったように笑う希を洗面所まで引っ張って行った。何をどうしたら、ちゃんとした手袋を付けて出歩いた結果指先がしもやけ寸前になるんだよ。小さく溜息をつきながら洗面器を拝借してお湯を溜める。ついでに冷たい水も用意して――と。

 希は黙ってそんな俺を見ていた。

 

 

 数分後――。

 

 

「は~、極楽や~」

 

 お湯に両手をつけながら希は気の抜けた声をあげた。

 

「ほら、温まったら次はこっち。血行良くしなきゃホントにしもやけなるって。アレ結構辛いぞ?」

「もう大丈夫やって~」

 

 はぁ。何故か嬉しそうな希の様子にため息を吐き、俺はもう片方の深皿を差し出した。そこにはお湯では無く普通の水が入れてある。しもやけは血行不良による炎症なので、それを防ぐには血行を良くするのが一番。お湯と通常の水に交互につけてを繰り返す――というのは一般的に知られている対処法だ。

 

「えー、こっちがええんやけど」

「わがまま言わない! ちょっとでいいから一回冷やしなさい」

「はーい」

 

 希は冷た~、と零しながらも大人しく従ってくれた。

 温めて冷やすを何度か繰り返し、深皿に居れた水を捨てに行く。希はお湯で指先を暖めながら嬉しそうに俺の姿を目で追っていた。タオルを持って彼女の元に戻り、手を出すよう目配せをする。希はおずおずと両手を前に差し出した。

 ふわり。

 優しく彼女の手を布で覆い、しっかりと水気を拭いていく。水滴残してまた冷えたら意味がないからな。布越しでも少し照れくさいがあくまで医療行為。あまり至近距離で目が合わないように手先に集中する。

 

 そんな時。

 

 

 

「やっぱり、古雪くんは優しーなぁ」

 

 

 

 そう、希が零した。

 

 

 

――優しい? 俺が?

 

 

 

「何言ってんだ」

「ホントのことやん?」

「ふん。で、どこ行ってきたんだっけ?」

「……どこでもええやろ~」

 

 

 

――そりゃこっちの台詞だっての。

 

 

 

 

「希の方が優しいだろ。ありがとな、神田明神行ってたんだろ」

 

 

 

 

 彼女の目にありありと驚きが浮かんだ。

 

――何で分かったの!?

 

 と心の中で叫んでいるのが分かる。

 

 まぁ、確証は無かったけれど……どうやら正解らしい。

 今日この日、この時間にわざわざ出かけて。寒空の下手袋を外して、彼女が何をしていたのか。いや、していてくれたのか。きっと、今日だけじゃない。

 

「ありがと」

「別に、お礼を言われることちゃうやん……。ウチが好きでやってた事やし」

 

 たった一人、神様に手を合わせてくれていたのだろう。

 それが意味をなさない事を知っていて尚、それでも俺の為に何かしようと――。

 

 俺は小さく微笑んだ。

 

 

「おかげさまで――」

 

 

 真っ直ぐに見つめ合った。

 この時ばかりは気恥ずかしさなどお互いに無く。

 

 

 

「受かってたよ」

 

 

 

 希はそれを聞き届け、呆けた表情のまま。

 

――大粒の涙を零し始めた。

 

 まるで、彼女の感情とは関係なく溢れ出ているかのように感じる。

 可愛らしいたれ目は見る見るうちに赤く染まり、震える両手で顔を覆った。

 

「ぐすっ……ひっく」

 

 まるで悲しい事があったかのように。

 まるで酷い事件が彼女の身に起きたかのように。

 

「……ひぐ」

 

 彼女は嬉しさから嗚咽を漏らす。

 

「良かった……」

 

 それは、素直な喜びの言葉だった。

 褒めてくれた訳じゃない。健闘を称えてくれた訳でもなく、結果を評価してくれたという訳でも無い。彼女はただ純粋に、ただただ単純に――。

 

 

 

 

――俺の夢が叶った事を喜んでくれていた。

 

 

 

 

 あぁ。希はやっぱりこういう女の子なんだろう。

 知っていたことを再確認する。

 

 他人事を――俺の事を。

 まるで自分の事の様に喜んでくれる。

 

――いや、違う。

 

 きっと、自分の事よりもずっと深く。

 

 

「良かったね? ……古雪くん!」

「あぁ」

 

 

 俺はその美しいまでの優しさに心を奪われ、やっと気が付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 古雪海菜はいつの間にか――東條希に恋していたことに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ここまで書けました。
やっとここまで……。

全て読者の皆様のおかげです。
もう少しだけ続く物語、応援よろしくお願いいたします。

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