「あなたは……」
「生徒会長……!?」
つかつかと校門に向けて歩いてきていた絢瀬生徒会長は私の姿を確認した途端、少しだけ驚いた様子で足を止めた。後ろで一つに結わえた髪からこぼれた数本の毛髪がキラキラと光を反射する。
亜里沙、と呼ばれたこの子のお姉ちゃんとは絢瀬生徒会長のことだったのですね。たしかにどこか二人には通ずる面影がある。
私は威圧的にこちらを見つめてくる彼女の視線に気おくれしてしまい、思わず目を伏せる。うぅ、そういえば生徒会長とは未だに冷戦中でした……。
もっとも彼女が私たちに辛く当たる理由すら分かっていないのですが。
でも、そういえば先程亜里沙が気になることを言っていましたね。
『あぁ、これはお姉ちゃんが撮ってきてくれて。お兄ちゃんが入れてくれたんです!』
この答えから察するに、私たちのライブを撮っていてくれた人というのは目の前にいるこの人なのでは?一体なぜそのような事を……今だって私たちには厳しい態度をとっているのに。そしてお兄ちゃんとは……?
考えれば考えるほど様々な疑問が浮かんでぐるぐると頭の中を回り続ける。
「亜里沙。帰るわよ……」
生徒会長は妹にそう声をかけると私に軽く一瞥をくれ、そのまま隣を通り過ぎようとした。そ、それはダメです!私は慌てて彼女の前に立ちふさがる。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「……」
「聞きたいことがあるんです。少しだけお話、いいですか?」
「……そうね。いいわよ。私も一度あなた達の内の誰かと話しておきたかったから。ついてきて」
そう言ってスタスタと歩き始めた生徒会長の後を、私も覚悟を決めて追いかけた。
今のままではお互いがお互いの言い分をよく分からないまま、無益にいがみ合う事態になりかねない。折角のこのチャンス。私がきちんと話を聞いて、なんとか良い方向にもって行かなくてはなりません。
「お姉ちゃん。お話するならこの公園が良いんじゃない?」
「そうね。じゃあ亜里沙。これで飲み物を買ってきてくれるかしら?」
「うん!」
亜里沙が指し示した公園に入り、手近にあったベンチに生徒会長と並んで座る。
彼女は絵里から小銭を受け取り、元気よくどこかへ走っていってしまった。おそらく自動販売機を探しに行ったのだろう。
「それで、一体何が聞きたいの?」
「あの。……では単刀直入に聞きます。
私たちのファーストライブを撮って下さっていたのは絢瀬生徒会長、あなたですよね?」
「……」
無言の肯定。
「やっぱり……。前から穂乃果達と話していたんです。一体あの動画を撮影して、ネットにアップしてくれたのは誰だったんだろうって。それがまさか生徒会長だったなんて……」
生徒会長は依然として厳しい目で虚空を睨んでいた。
なぜそんな顔をしているの……私は感謝の気持ちを込めて今言葉をあなたに届けようとしているだけのに。……疑問は尽きないものの私はそのまま話を続ける。
「……あの映像が無ければ、今頃私たちはこうしてなかったと思うんです。あれがあったから、見てくれる人も増えて……だから一度お礼を」
「やめて」
「えっ?」
唐突に響く制止の声。
彼女の鋭い声に思わず口をつぐんでしまう。
「別にあなた達のためにそうしたのではないわ。いえ、厳密に言うと『私は』……ね」
「それはどういう意味ですか……?」
「確かにあなたの言う通りライブの撮影をしたのは私。でもそれをネットにあげたのは……というかそもそもこの話、本人から聞いていないの?」
「すみません、一体何のことだか……」
呆れた様子でこちらを見つめる彼女の紡いだ言葉の意図がつかめず、ただただ狼狽える。聞いてないの?なんて言われても、メンバーはみんな知らないと言っていたから……。
生徒会長はため息をつくと、予想だにしなかった事実を口にした。
「あなた達のライブの様子をネットにあげたのは、古雪海菜よ」
「っ!海菜さんが!?」
「えぇ。私が頼んだだけだけれど……少なくともあのバカはこうなることを見越していたのかもしれないわね。あなた達の事かなり気にかけていたみたいだし」
えっ?一体どういうことですか?
新たに聞かされる事実に振り回され上手く言葉が出てこない。
海菜さんと生徒会長が知り合いで……その二人が私たちの動画をあげた?
「……本当に何も言ってないのね海菜は」
「えぇ……。あの、生徒会長と海菜さんはどういった関係なのですか?
希先輩とあの人が知り合いなのは知っていましたが……」
「そうね。有り体に言えば幼馴染、よ」
「幼馴染!?」
海菜先輩はいってしまえば今の私たちの最大の味方。絢瀬生徒会長は言い方は悪いが……現段階において最大の敵だ。その二人があろうことか幼馴染だったなんて。そして彼女の口調から推測するにかなり親密な関係のようだ。亜里沙も彼の事をお兄ちゃん、と親しげに読んでいるみたいですし。
「生徒会長は……海菜さんと私たちの関係をご存知なんですか?」
もし仮に彼女が海菜さんが私たちに協力していることを知っているとしたら、内心穏やかではないはずだ。自分の親しい友人が自分の毛嫌いしているグループの肩を持つような状況を歓迎するわけがない。そのあたりの話は一体どうなっているのだろう。
「お姉ちゃん!買って来たよ!」
私が彼女の返答を待っていると亜里沙が小走りで戻って来た。その手に握られた缶に印刷されていたのは『おでん』の三文字。それを、ハイどうぞ!と元気よく満面の笑顔で目の前に差し出してくれた。
……えっと。
なんと言っていいか分からず、横にいる生徒会長を見ると、さすがに見かねたのか助け舟を出してくれた。
「ごめんなさい。ロシアでの暮らしが長かったせいで亜里沙はあまり日本の文化に詳しくないの。……亜里沙、おでんは飲み物ではないのよ。悪いけど違うもの買ってきてくれる?」
「ハラショー……うん、分かった!」
そう返事を返すと再び駆け出す亜里沙。そんな妹の様子を見送る生徒会長の瞳はみたことがない優しい光を宿していて……。この人は私たちが思っているほど意地悪で厳しい先輩ではないのかも……。
「知らないわよ」
亜里沙が行ってしまうのを見送った後、先の質問の答えをシンプルに返す生徒会長。
「えぇ?」
「でもある程度は予想がつくわね……もっともそれは私が口を出すことじゃないから。
……私自身が海菜に何も話していない現状では」
そう言って生徒会長は小さくため息をついた。
そして再び口を開く。
「別に海菜の話はどうだっていいわ。彼がどうあれ、私は……あなた達を絶対に認めない!」
彼女は鋭い視線を私の方へ飛ばしながら、語気を強めて言い放った。
「……」
「私があなた達のライブの様子をネットにあげようと思ったのは、いかにあなた達の踊りが人を惹きつけられないか。それを証明するためよ。このまま活動を続けても意味がないってことを知って貰おうと考えたの。
だから、今のこの状況は想定外。
なくなるどころか人数が増えるなんて……。
でも私にはあなた達の歌やダンスが人に見せられるモノになっているとは思えない。そんな状況で学校の名前を背負って活動して欲しくないのよ。
……話はそれだけ」
「そんな……」
彼女の冷たい言葉に唐突な怒りが全身に波のように広がった。
一体……一体なぜ私たちがここまで言われなければならないのですか!
確かに私たちの踊りや歌は未熟です。まだまだ練習だって足りてないし実力だって他のグループに比べたら劣っているのは認めましょう。でも。でも私たちは必至で練習して、全力で学校のために頑張っているつもりなんです。
そんな私たちをよく知りもしない癖になんて酷いことを……。
カバンを持って立ち上がりそのまま歩き去ろうとする彼女の背に堪らず声をかける。
「あなたに……あなたに私たちの事そんなふうに言われたくありません!!」
私のその怒気をはらんだ声に一切動じることなく、絢瀬生徒会長はその場を……立ち去った。
***
「亜里沙。もう話は終わったから飲み物はいいわよ」
私はμ’sメンバーの一人、園田海未と別れてすぐに自動販売機の前で悩ましげに唸る亜里沙を見つけ、呼びかけた。その人差し指はもう少しで『おしるこ』と書かれたボタンを押しそうになっており、ギリギリの所で踏みとどまる。
もう少しきちんとこのあたりの事を教えておいた方が良さそうね……。
「お姉ちゃん、話は終わったんだね」
「ええ」
「ねぇ、一つだけ聞いても良い?」
亜里沙は手に持っていたおでん缶を開けながら何気ない様子で私の横に並んで歩き始め、そう切り出した。カチャッという小気味のいい音をたてて蓋が開き、おでんの良い香りが鼻腔をくすぐる。
そういえば海菜のお母さんのつくるおでん、久しく食べてないわね……。
「お姉ちゃんは海未さん達のこと嫌いなの?」
「え?」
おでんやおしるこの事を聞かれると思っていたので思わず面食らってしまった。
「別に……キライという訳ではないのよ。
でも色々と事情があるの。……亜里沙にはまだ早いわ」
「ふーん。でも亜里沙はお姉ちゃんもμ’sもどちらも大好きだから仲良くして欲しいなぁ……」
そうこぼしながら缶の中身を確認し、ハラショーと呟く亜里沙。
わからない。
亜里沙、あなたは一体彼女達の踊りや歌のどこに惹かれているの?あんなもの素人のお遊戯レベルに過ぎないじゃない。私が今まで見てきた『踊り』というものは決してあんなに甘いものではなかったわ。
別に彼女達が嫌いなわけではないの。
でも、どうしても許せない。
あんなレベルで大会に出ようとするなんて。そして理事長がそれを簡単に許可してしまうことも容認できない。……私の提案はいつもいつも却下する癖に!!
吹き出る怒りを抑えようと必死で唇を噛む。
亜里沙には悟られないようにしないと。私はお姉ちゃんなんだし余計な心配をかける訳にはいかないわ。一人で何とかしなくちゃ。
海菜……あなたが私の立場だったらどうするの?
ふと頭に浮かぶのは幼馴染の顔。いつでもそばに居てくれる彼の存在。
きっと今だって一言相談すれば自分の事のように親身になって協力してくれるはずだ。いつもの憎まれ口は付いてくるだろうけれど。
……それでも。私は彼には相談しないと決めていた。
いつまでも彼の優しさに甘えてはダメだと思うから。
私は、私の力で音ノ木坂の廃校を食い止めてみせる!
「あれ?あそこ歩いてる人お兄ちゃんじゃないかな?」
私が決意を新たにし、人知れず拳を握りこんでいたその時。隣を歩く亜里沙が何かに気が付いて前を指さした。お兄ちゃん……っていうことは海菜?
声に誘われて前を向くと、私の目の前には信じがたい光景が広がっていた。
***
「この後、俺んち来い!」
「へっ?」
俺の急な提案に素っ頓狂な声をあげるにこ。
アホみたいな声あげてんじゃないっつの。……まぁ実際アホなのが現段階一番ヤバい事なのだが……。ぶっちゃけ一対一でみっちりやりこませないと到底赤点は回避できそうにない。
よく忘れそうになるが、にこは最上級生。つまり高校三年生なのだ。他の二人と比べて学年が上であり、その分勉強しなければならない範囲も広く尚且つ難易度も高いため余分に努力する必要がある。
「へっ、じゃねえよ。このままじゃホントに赤点取ることになるぞ?」
「うっ……なんとかなるわよなんとか……」
「ならないね。ゼロは何をどうかけてもゼロにしかならないんだよ」
「アンタ何気に酷い事言ってない?」
「んー、割と真剣に冗談ではなく……」
この期に及んでまだ元気に言い返してくるにこを少し本気で諌める。
「ハイ……」
俺の珍しく真面目な視線に驚いたのか反省した様子で頷くにこ。
「てなわけで乗り掛かった舟だし、試験までは本気で勉強みてやるから。俺んち、もしくは君の家で勉強会の後もみっちりしば……間違えた、しごく!」
「今しばくって言いかけたわね!?……分かったわよ。
でもにこは家でやらなきゃいけない事があるから……私の家でお願い」
「ん、りょうかい」
「そうと決まったら帰るわよ、古雪。ついてきなさい」
「あぁ、もう確かにいい時間だしな……じゃ、解散ってことで。
凛も穂乃果も家で勉強するの忘れるなよ?」
一応何とかなりそうな他の二人にも釘をさすのを忘れずにしておく。
油断大敵だしね。
『はい!』
うんうん。いい返事だ。
お疲れ様です、などと口々に挨拶してくれるメンバーに手を振りつつ一足先に俺とにこは店を出る。そしてそのままいつものように二人で軽口を叩きつつ、にこの家へと向かった。
***
私が見たのはツインテールの可愛い女の子と仲良さそうに二人で歩く海菜の姿。
いやっ……。
頭に浮かんできたのは純粋な拒否の言葉。
しかもあの子はたしかμ’sの……。
そこまで考えて……私は耐え切れずに亜里沙の制止の声も無視し、彼らの姿に背を向け走り出した。
なんでよりにもよってμ’sの女の子と!?
海菜が彼女達に協力的なのは知っていたけどその理由はこれだったの!?
……私の味方でいてくれないの!?
今の私からみると本当に身勝手な思い、甚だしい勘違い。
それでもこの時の私は色々な事が頭の中で渦巻いていて……冷静ではいられなかった。