『ワンツースリーフォー!!』
放課後の境内に海未の手拍子の音が響き渡る。
俺は学校の帰り道、久しぶりに彼女達の練習を見に来ていた。オープンキャンパスの十日前とあって、学校帰りにも関わらず一生懸命練習している。もっとも俺は彼女達の現在の様子を見に来たわけではない。ある結果を聞きに来たのだ。
「アイツら、赤点取ってたら承知しねえからな……」
そう、なにを隠そう今日が中間テストのテスト返却日だ。一応LINEで連絡したのだが『直接教えますから!』の一点張り。まぁ、でも全員そろって練習しているあたり多分大丈夫だったんだろうな。
答えを聞く前からそう判断し、小さく安堵のため息をついた。
ついでに海未にこの前何も言わずに帰ったことを一言詫びとかなきゃダメだしね。
「あ、海菜さん!!」
丁度練習していたパートが終わったのか、満足げに頷いていた穂乃果が俺に気付いた。なんだか毎回穂乃果に見つかってる気がするなぁ……周りをよく見ているのか、それともただ単に落ち着きがないだけなのか。
「やっほ、結果。聞きに来たよ」
「かいな先輩!」
「海菜さん!」
一瞬遅れてこちらを振り向いた凛と花陽が嬉しそうに駆け寄ってきてくれる。なんか後輩って……やっぱりいいものだ。バスケ部を早々引退したせいで後輩と呼べる後輩がいない俺は少しだけはにかんでしまう。
「凛。君は大丈夫だったの?あと、穂乃果も」
俺のその質問に対する答えは二人のとびきりの笑顔とVサイン。
よしよし。残りはアイツだけか……。
両手で大きく円を作り、おっけ!!と二人に声をかけた後、顔をあげてツインテールの姿を探す。あれ?さっきまではいたような……。
怪訝に思ってあたりを見回そうとしたその瞬間、唐突にひざ裏に衝撃が走り、しりもちをついてしまった。……!?まさか膝かっくんされたのか!?
俺が完全に後ろ手をつき、上を見上げると、そこになんともうれしそうな顔をしたにこが両手を腰にあてて俺を見下ろしていた。
「……恩師に向かって結構なご挨拶だな」
「にっこにっこに~!古雪、にこも大丈夫だったわよ!」
「あっそ、そりゃよかったな」
「なによ、つれないわね……ちゃんと褒めなさいよ」
唇をつき出しながら不満そうな声をあげるにこを尻目にズボンをはたきながら立ち上がる。全く、君がいっちばん心配だったんだからな……。でも、嬉しそうな表情を見せるのは少しだけ負けた気がするのであくまでポーカーフェイス。
「いやいや、赤点取らないのがふつうなんだって」
「ふんっ、そんなこと言いつつ喜んでるのバレバレなのよ」
なぜか勝ち誇ったように笑うにこ。
「あぁ?」
「いつもバカみたいに素早く言い返してくるアンタが間を取る時は、照れてる時か嬉しい時だってことくらいあれだけ一緒に勉強してればわかるわよ」
「なっ……」
「ホラ、間をとったでしょ?にっこにっこに~!ナンバーワンアイドルのにこは男の子の心の動きもよくわかるにこよ~♪」
ピキッ
自分のこめかみが音を立てるのが聞こえた。
俺は基本的に人を弄るのは好きだけど人に弄られるのは嫌いなんだよ!
「あははっ、やったわ!初めて古雪を言い負かしてやった!」
むっかつく!なんとかして復讐せねば。負けたままでは終わらせねぇぞ……。
両手をあげて飛び跳ねながら喜ぶにこに近づいて彼女の腕をとり……引き寄せた。
「なっ、何?」
「にこ……」
いたって真剣な顔つきで彼女の目を見つめ、形の良い小さな耳元までゆっくりと鼻先を寄せる。にこは俺の行動に驚いたのか、びくっと体を硬直させ反射的に顔を真っ赤に染めた。
ふっふっふ。焦ってる焦ってる……。
女子高通いのにこ風情が生意気な事を言うからこんな目にあうんだぞ。
まぁ、もっとも、この程度で復讐を終わらせるほど俺は甘くない。
「なっ、何よ!近いって、この変態!」
「……」
「ちょっと、離しなさいって!」
「矢澤にこ。甘えん坊シリーズ」
「ふぇっ?」
「その一。……お母さんの事を『ママ』と呼ぶ」
俺が口を開いた途端、照れや驚きとは別の理由で顔を真っ赤にするにこ。
というか真っ赤を通り越してちょっと青ざめてきてるな。
「アンタ一体何を……」
「その二。……妹たちと寝てあげるという理由を盾にママの寝室に行き、ママの隣を一番最初にキープする」
「なんでそれを……」
「その三。……ママが休みの時はなぜか一緒に買い物に行きたがる」
「……」
「その四……」
「もういいわよーーーーーー!!!!
悪かったから!にこが悪かったです!だからそれ以上いわないで~~!!!」
よし。勝ち越した。武器は持っておくに越したことはないな。
にこママ、協力に感謝します。
***
なんとか無事?テストは全員乗り切れたみたいなので良かった。
三人以外は当然のごとく赤点はなかったらしいし。
「海菜さん、真姫ちゃん凄いんですよ!」
「なにが?」
勝利の優越感に浸っていると、なぜか花陽がニコニコしながら話しかけてきた。
ちなみににこは凛たちに『一体何の話してたんですか?』などと聞かれて発狂している。
「真姫ちゃん、今回もダントツ一番だったんですよ!中間テスト」
心から凄いと思っているのか、こぼれんばかりの笑顔を向けてくる花陽。他人の事でここまで笑える子は珍しいよな……本当に良い子なんだろう。
「いや、音ノ木坂レベルで国公立医学部目指すなら普通だろ」
「そうよ、だから言ったでしょ……それくらい出来なきゃダメなの。
……そうやって喜んでくれるのは嬉しいケド」
「うぅ、この二人ちょっとおかしいです……」
なぜかしょんぼりと肩を落とす花陽。
まぁ確かに受験の事をよく知らない子からみたらよく分からない話なんだろうな……。思わず真姫と俺は視線を合わせて苦笑する。まあ中間テストなんてなんの参考にもならないにせよ、目先の課題できっちり結果を残している真姫はよく頑張っていると思う。
「とりあえず、君もお疲れ。真姫」
「ありがと……ございます」
照れているのか指先で毛先をクルクルともてあそびながら視線を彷徨わせる、未だ敬語が定まらない一年生。
「あの……」
いつも通り会話は終了か、と思いきや何やら話したそうに二文字の単語をこぼす。
一体なんだろう。なんというか、多分色々頭で考えてしまう慎重な性格のせいかまとまった台詞を出すのに時間がかかるのだろう。ほんと、難儀な性格をしてるな。
好感はもてるけどね。
「何?別に遠慮せず言ってくれたらいいよ?
その後のリアクションはこっちが担当するわけだから悩む必要はないって」
「じゃぁ……」
真姫は一呼吸おいて再び口を開いた。
「これからも、たまに……勉強見てくれませんか?」
真姫は若干上目使いになりながら遠慮がちにこちらを伺う。
恥ずかしそうに揺れる小さな唇。
まぁ、例の三人に対する勉強会はほとんど嫌々やっていた部分もあったから俺にまた同じことをして下さいというのは彼女としては気が引けたのだろう。でも……
「……いいよ。また二人で勉強会しようか」
「っ!ありがとうございます!でも……いいの?
別に嫌なら断ってくれたっていいわよ」
「いいよ、俺にもメリットはありそうだし」
本気で勉強と向き合っている子との勉強会なら俺も学び取れるものが出てくるからな。このあいだのそれが嫌だったのは純粋にあの時間が俺の学力向上に貢献していなかったからに過ぎない。もっとも、今度は絵里に誤解されないようにしておかなきゃダメだけどね。
ホッと息をつく真姫をみて少し微笑む。
彼女なりに勇気を振り絞ったのだろう。人にものを頼むの苦手そうだし。
「みなさん、そろそろ練習に戻りますよ!」
声の方向を向くと海未が手を叩きながらメンバーたちを招集していた。なんとなくだが不機嫌そうな印象を受ける。眉間にしわ寄せてるし……何かあったのだろうか?
メンバーたちもなんとなくその違和感に気が付いているのか、少し首を傾げながらも持ち場に戻る。
「それではもう一度いきますよ。……ワンツースリーフォー!」
さすがにこのまま帰るのも悪いので、彼女達の正面に座って練習を見守ることにした。んー……前見た時よりは上手くなってるみたいだし、練習の方も順調じゃないだろうか。
もちろんテレビで見るアイドルグループと比べたら正直実力不足としか言えないけれど形にはなっていると思う。素人だから細かいことはよく分からないけどね。それに相変わらずみんな楽しそうに踊っているようだ。うむうむ、それが一番。
「今の、うまくいったね!」
「完璧にゃー!」
踊り終わると同時に嬉しそうな声をあげる穂乃果と凛。
しかし、海未が間髪入れず低い声を出した。
「まだです、もう一度やりますよ」
「にゃ……」
「……そうだね。もう一度やろう!」
再び踊り始めるメンバーたち。なんというか、あんまり雰囲気よくないなぁ。
海未の表情を伺うとなぜかいつもより固く強張っていた。一体どうしたというのだろう。
「よし!こんどこそ!」
「……まだです」
再び一区切り付き、手ごたえを感じた様子のメンバー達とは正反対に依然として納得いかないとでもいいたげな、厳しい表情を崩さない海未。
「ちょっと、一体何が気にくわないって言うのよ!」
さすがに我慢しきれなくなったのか、前に進み出て海未に噛みつく真姫。たしかに彼女の気持ちもよく分かるけど、これは黙って見ておくわけにはいかないかな……。
「まあまあ、落ち着け真姫。とりあえず先輩だろ?口には気をつけろ。
あと、海未。何に納得がいってないのかちゃんと言葉にして伝えなきゃそれはただの一人よがりだぞ。俺にも分かるように教えて欲しいんだけど……」
そう問いかけると、海未はゆっくりと口を開いた。
「感動出来ないんです」
「感動?」
まぁ……そりゃたしかに元気のよさとか楽しさは伝わって来るけど感動はしないな。というより、ダンスで感動を生むなんて至難の技ではないだろうか。技術もかなりのレベルにならないとそこまでの踊りは踊れないだろうし……。
「海未ちゃんは、一体どんなダンスを目標にしているの?」
言葉を詰まらせた俺に代わって、真剣な表情で穂乃果が自身の幼馴染に声をかける。
他メンバーたちは穂乃果にその役を委ね、静かに見守っていた。
「楽しそう……だけではダメだと思うんです。だって、そのレベルでは学芸会の発表の域を出ないですから。私たちは次のオープンキャンパスで楽しさを伝えるのと同時に、『感動』や『憧れ』を来てくださった中学生に持ってもらわなければいけないんです!
でなければ音ノ木坂に入学したい、とまでは思ってもらえないでしょう?
今のままでは……今の私たちでは、人に感動を与えられません」
……。
なるほどね。たしかにその通りかもしれない。
どうやら俺は未だに彼女達が置かれている状況を甘く見ていたようだ。廃校まで王手がかかっている以上、μ’sに求められるクオリティは想像していた以上に大きいのだろう。
「うん。そうかもしれないね。
でも……海未ちゃんはどうして急にそう思ったの?」
「生徒会長のバレエの映像を先日、海菜さんに見せて頂いたんです」
「生徒会長の?え?……なんで海菜さん?」
「あ、そういえば君らにはまだ言ってなかったっけ?
絵里と俺は幼馴染なんだよ。だから希とも友達だってわけ」
えぇ~!!
メンバー全員が各々驚きの声をあげた。そりゃまぁびっくりするか。
騒ぎが落ち着いた後、俺は海未に続きを促した。
「それで、どうしたの?」
「あの人の踊りをみて……心から感動しました。楽しそうでありながら緊張感も一緒にこちらにピリピリと伝わって来たんです。加えて踊りの技術も私たちとは比べ物にならなくて……彼女が私たちを否定する理由が分かったような気がしました。
今の私たちの踊りでは何人かを楽しませることは出来ても、来てくれた人たち全員を魅了することが出来ないんです!そう考えたらどうしていいか分からなくて……」
だからとりあえず必死に練習して技術を磨こうとしてたのか。
んー、いかんせんコーチやトレーナーがいない以上我流で練習しなければいけないのがネックだよな。俺も練習見て違和感を指摘することは出来ても踊りの技術自体を伝えることは出来ない。
ホント、どうすればいいんだろう。
……。
「じゃあ、絢瀬生徒会長にダンスを教えて貰えばいいんじゃないかな?」
至って当然のごとく答えを出す穂乃果。
はぁ。ため息が出るわ、この懐の深さというか図太さというか、いかんとも表現しがたい穂乃果の発想力。……普通、現在進行形で自分たちに敵対する人間に手を借りるなんて案をだせるか?
これが穂乃果の穂乃果たる所以なのかもしれない。
彼女のこの答えが正解なのかそうでないのかは分からないが、この瞬間。
たしかに歯車は……動き始めた。