ラブライブ! ~黒一点~   作:フチタカ

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第三十六話 九人の女神が揃うまで10

 海菜が帰って、いつも通り夕飯を済ませた後、私は部屋で一人亜里沙と彼の言った言葉の意味を考えていた。目の前には先ほど読んだ原稿用紙。……何が、いけないのだろう?

 

『……これが本当にお姉ちゃんのやりたい事?』

『それはきっと……絵里。君が笑ってなかったからだよ』

 

 海菜の言った言葉の意味は、なんとなく分かる。

 確かに、志望する学校の生徒会長が眉間に皺を寄せて、楽しくなさそうにしていたらダメよね。

 

 試しに先ほどとは違って、表情を意識して読んでみる。

 ……笑顔、つくらなきゃ。

 

 笑顔を……。

 

 そう自分に言い聞かせて、頬に力を入れて口角を上げる。

 そうやって作った笑顔のまま、私はふと机の上に立てかけていた鏡を覗き込んだ。

 

「大丈夫、笑えてる」

 

 バレエで養った技術のうちの一つに表情を作る、というものがある。楽しい曲には楽しげな、悲しい曲には物寂しげな。いつしか私は自分の意思で表情を変えられるようになっていた。

 

 でも、鏡に映る自分の笑顔を見た瞬間。

 私はかつておばあ様と海菜にかけられた言葉を思い出していた。

 

 

 

 

 確かそれは小学校の高学年頃だったと思う。当時はだれよりも熱心にレッスンに通い、一生懸命毎日のように練習していた。理由はただ一つ、学年が上がるにつれライバルたちの実力も上がってきて、なかなかコンクールで入賞することが出来なくなっていたからだ。

 

「絵里、今日もバレエ?母さんが用事がないならウチで晩御飯食べてかないかって言ってるんだけど……」

「ごめんね。でも、コンクールも近いから今日はレッスンに行くわ」

「ふーん、確か今週末だっけ?俺も見に行こうかなぁ。

 前回は惜しかったけど負けちゃったしな」

「うん、今度こそ絶対入賞するから……」

「あ、いや、そういう意味で言ったんじゃないんだけど……」

 

 やべっ。いらんこと言っちゃった、というような表情をする幼馴染。

 コイツにも、今度こそ……結果を残してる私を見てもらうんだから。

 

 

 そうこうしてやってきた、本番当日。

 その日はロシアからおばあ様がやってきて、私の踊りを見てくれていた。

 

 自分のできる限りの踊りを踊った、笑顔だって完璧なものを作って披露したの。

 ……でも、結果は。

 

 

 

「絢瀬さん、今回は残念だけど……」

 

 

 

 なんで?どうして?

 幼い私はそんなとき、冷静になることも出来ず、ただただ悔しくて泣いていた。

 

 おばあ様は大粒の涙をぽろぽろと零しながら泣きじゃくる私のもとにゆっくりと歩いてきてその細くて骨ばった、それでいて暖かい手を私の頭の上に置いて優しく語り掛ける。

 

「あらあら……今回もダメだったの?」

「うん……ごめんなさいぃ」

「いいのよ、私の可愛いエリーチカ。

あなたが元気に踊っている姿を見るだけで私は満足なの。次は、もっと楽しんで踊ってごらんなさい?ほら、涙を拭いて。海菜君も困ってるわよ」

 

 海菜は子供ながら気を遣おうとしてるのか、何食わぬ顔でそっぽを向いていた。泣き顔は見てないからな、という配慮だったのだろう。まあ、ちらちらこっち見てるのはバレバレだったけれど。

 ゴシゴシとたまった涙を拭いて、海菜のもとへ向かう。

 

「ごめんね、またダメだった」

「なっ!?別に謝ることないって、絵里の踊り、俺は凄いって思ったし!」

「そう、ありがと」

「でも……」

 

 海菜はそういうと少しだけ気まずそうに目を逸らした。

 

「でも……どうしたの?」

「その……絵里は、踊ってて楽しくないのかなって」

「……」

「いや!その……。俺はバレエの事全然わかんないんだけどさ。

 俺はバスケがすごく好きで、だからこそたくさん練習してうまくなろう!今度はアイツを抜いてレイアップ決めてやろう!……そう思ってクラブに行ってるんだ。

 なんか、今日の絵里見てたらあんまり楽しくなさそうだなって……」

「楽しそうじゃなかった?笑顔、出来てなかった?」

「笑顔ではあったけど……楽しそうじゃなかった。うーん、よくわかんないけど!」

 

 頭を抱えながら、首を傾げながら一生懸命言葉を探す海菜。

 

 彼はこの時なんとなく気付いていたのだろう。

 私自身が本当に楽しく踊っていなければ、その見せかけの笑顔に意味はないんだって事に。逆に、心から楽しく踊れば結果だってついてくるって事に。

 

 

 遠い日の記憶。

 でもその記憶のおかげで私は忘れていた大事なことを思い出した。

 

 

 

 

 

「そうね、こんなみせかけの笑顔になんの価値もないものね」

 

 パタン

 

 机の上の鏡を静かに倒す。

 

 

 

 

 

 

 答えはまだ、出そうにない。

 

 

 

 

 

 

***

 

 

「ん……」

 

 私は無意識のうちに小さく声を漏らしながら背筋を伸ばす。

 どうやら考え込んでいるうちに眠ってしまっていたらしい。

 

 時刻は夜の十一時を回っていた。一時間近く意識が飛んでいたのだろう、乗せていた頭の重みで血流の悪くなっていた腕の先がジンジンとしびれる。

 水でも飲んで来ようと考え、部屋の外へ出てから階段の方向へ歩いていくと、丁度亜里沙の部屋からかすかに鼻歌が聞こえてきた。

 

 これは確か……μ’sの。

 

 私は寝起きであまり動いていない頭のまま、無意識に妹の部屋の扉をノックしていた。

 

 なぜか、そこに求めている答えがあるような気がして。

 

 しかし、返事がない。おそらくイヤホンで音楽を聴いているためノックの音が聞こえないのだろう、そう判断してガチャリと扉をあける。

 

「!お姉ちゃん、どうしたの?」

「……亜里沙、片耳かしてくれる?」

「うん、いいよ」

 

 屈託のない笑顔を浮かべてイヤホンを差し出してくる妹にお礼を言って、彼女の持っていたポータブル音楽プレーヤーに視線を落とす。そこには楽しげに歌って踊るμ’sの姿があった。

 

「私ね、μ’sのライブを見てると胸がカーッと熱くなるの。

 一生懸命で、目一杯楽しそうで!」

 

 映像の中の彼女たちが浮かべるのは作り物ではない本当の笑顔。

 

 確かに、楽しそうね……。

 寝起きで学校の事とか、彼女たちとの確執のことだとか難しいことを考えないでいるせいで素直にそう思ってしまった。それでも私が言葉にしてしまうのは憎まれ口。

 

「でも、全然なってないわ……」

「それは、お姉ちゃんに比べたらそうだけど……」

 

 亜里沙はそこで一息ついて、少しだけ真剣な表情で私の目を見つめてきた。

 

「でも、すごく元気が貰えるでしょう?」

 

 意地っ張りな私は頷くことが出来なかったけれど……きっとこの瞬間。

 私はすでに彼女たちの魅力に、気付かされていたのだ。

 

 

 

***

 

 次の日の昼休み。

 

 私はすでに日課となってしまったμ’sの朝練の指導をしていた。当然、やらせるのは彼女たちに足りない、なおかつキツい基礎練習のみ。柔軟から始まり、バランス感覚を鍛える練習、筋肉トレーニング。私が練習の監督を頼まれてから今日までずっとこのしんどいメニューをやらせてきていた。

 

 聞こえるのは彼女たちの吐く荒い息遣いと足音と。

 疲れたぁ、しんどいよ。時折こぼれるそんな言葉たち。

 

 

 しかし、諦めの言葉だけは、いくら彼女たちを追いこもうとも聞くことは叶わなかった。

 

『今日もご指導ありがとうございました!!』

 

 終了の合図と同時に、額に大粒の汗を浮かべながらも声をそろえて頭を下げるμ’sの面々。

 

 なんで?どうしてこの子達はここまで必死に食らいついてくるの?

 疲れるでしょう?大変でしょう?

 

 私を見つめる彼女たちの目はまっすぐ輝いていて、私への不満もなく、そこにあるのは純粋な感謝の気持ちと諦めないという強い意志。

 

 

「辛く……ないの?」

「え?」

 

 

 わたしの思わず零した一言に反応する高坂さん。

 

「毎日同じ練習ばかりで、上手くなるかどうかも分からないのに……

 どうしてあなた達は毎日こうやってつらい練習を続けているの?」

 

 私のこの問いに、彼女は間髪入れずに答える。

 

 

 

 

「やりたいからです!!」

 

 

 

 

 そう強く断言した彼女は迷いなど一つもない、凛とした表情をしていた。

 なるほど、あの海菜や希がこの子達を気に入る理由が私にもやっとわかった気がする。

 

 

 

「確かに、練習はすごくキツイです。体中痛いです!

 でも、廃校を阻止したいという気持ちは生徒会長にも負けません!!」

 

 

 

 だって、あれほどスクールアイドルを毛嫌いしていた私が。

 

 

 

 

 

 

 

 彼女の言葉で、この子たちを羨ましく思ってしまう程の魅力をμ’sに感じてしまったから。

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

「あれ?エリチは?」

 

 昼休みが終わる約五分前、私は野暮用を済ませて教室に戻ってきていた。そして親友の姿を探すも見つからない。……μ’sの練習が長引いてるのかな?うーん、真面目なエリチがそれを理由に授業に遅刻しかけるというのは考えにくい。

 

 いつもこの時間には次の教科の準備まで完璧に終わらせて席についているような娘なのに。

 

「ごめん、もし遅れたらエリチはウチの付き添いで保健室に行ってるって先生に伝えてくれる?」

「え?いいけど……珍しいね、二人がサボりなんて」

「たまにはそういう日もあるんやって、お願いね!」

 

 私は近くにいた友達にそう一声かけて、エリチを探しに教室を出た。

 

 いわゆる女の勘というやつだろうか?

 なぜだか妙に胸騒ぎがしていた。

 

 移動教室などで生徒が慌ただしく教科書を抱えて動き回る中にまぎれてエリチの姿を探すが、どこにも見当たらない。とりあえず屋上まで駆け上がってみたものの当然そこには誰もいなかった。

 穂乃果ちゃんたちも普通に練習を切り上げて教室に戻ったのだろう。

 

 だとしたら……。

 

 

***

 

 私は、生徒会室で一人椅子に座って窓の外を眺めていた。

 初夏の風が心地よく前髪をさらりと撫でていく。もっとも、そんなものを楽しめるほどの余裕は私の中にはなかったけれど。

 

「授業をサボるなんて初めてね……」

 

 ポツリとこぼす独り言。

 

 どうしても、一人になりたかったのだ。

 素直になりたいって叫ぶ私と、いろいろなものを背負い込んで身動きできなくなってしまった私。この二つの折り合いがつかなくて、どうしようもなくなって、私はこの部屋に逃げ込んでいた。

 

 私の目の前の少しだけ大きめな机の上にある『生徒会長』って書かれた型紙の三角錐。

 

 その、私にとってすごく重たい四文字をぼうっと見つめていると、静かに入口の扉が開いた。

 

「エリチ、やっぱりここにおったんやね」

「希……」

 

 姿を現したのは大切な親友。

 ……わざわざ授業をサボってまで私を探してくれていたのだろう、少しだけ上気した頬を見て乱れた息の音を聞けばよくわかる。ほんと、お人よしなんだから。

 

「エリチが授業サボるなんて珍しいね」

「……」

「なんかあったんやろ?……話して、欲しいな」

「……」

 

 彼女が私の為を思ってここに来てくれたのは痛いほどわかっていた。それでも私はこの胸の中に燻る思いを誰かに冷静に話して聞かせられるほど落ち着いてはいなくて。口を開けば泣き出しそうなほどいろんな感情が胸の内を暴れまわっていた。

 

 だからこその、沈黙。

 希はそんな私をみて、自ら、返事を待たずに言葉をつづける。

 

 

 

「ウチね……エリチと友達になってからずっと思ってたことがあったんや。

 ……エリチは本当はなにがしたいんやろ……って」

「……!」

 

 

 

 希が選んだのは、何の偶然か、それとも必然か。

 亜里沙と同じ台詞だった。

 

 

 

「一緒にいれば、分かるんよ。エリチが頑張るのはいつも誰かのためばっかりで、だから、いつも何かを我慢しているようで!全然自分の事は考えてなくて!」

 

 

 

 次第に語気を強めながら懸命に、沈黙を貫く私に語り掛ける希。

 

 聞きたくないっ!

 まるでごちゃごちゃになった胸の中をかき回されているようで、胸が苦しくなって希から目を逸らして後ろを向いてギュッと拳を握りこんだ。それでも希は半ば叫ぶように話し続ける。

 

 

 

 

「学校を存続させようっていうのも生徒会長としての義務感やろ!?

 だから理事長は、エリチの事を認めなかったんと違う?

 

 エリチの……エリチの本当にやりたいことは!?」

 

 

 

 

 まっすぐな、今の私にとっては残酷ですらあるその問いかけ。

 

 やりたいこと。

 

 そんなの決まってる。だって、気付いてしまったから。本当の自分の気持ちに。

 

 

 

 

 

 

 μ’sの一員として心から笑いながら、歌って、踊りたい。

 生徒会長だから。そんな理由とは関係なく、自分の大好きな学校をただただ守りたい!そんな気持ちで仲間たちといられるμ’sに入りたい!!

 

 

 

 

 

 

 

 でも、でも!!!

 現実はそうはいかないでしょう!?

 

 

 だって、私にはこの学校を守る責任があるの。自分のやりたいことが見つかったから、そんな理由で脱ぎ捨ててはいけない責任っていうおもりを背負ってる。

 彼女たちの活動がうまくいく保証なんてどこにもない。

 

 もし、仮に失敗したらなんて言えばいいのよ!?

 好きなことをやった結果、廃校になってしまいましたって私は言うの?

 

 

 

「なによ……」

 

 

 

 私は振り返って希を睨みつける。

 

 

 

「何とかしなくちゃいけないんだからしょうがないじゃない!!!」

 

 

 

 初めて。初めて親友に投げつける自分自身の怒声。

 希が悪くないってことくらいわかっている。でも私は、ただただ、抑えきれない激情を親友にぶつけることしかできない。

 希は静かに私の目を見つめて、話を聞いてくれていた。

 

 

 

「私だって、好きなことだけやってそれだけでなんとかなるんだったらそうしたいわよ!!」

 

 

 

 そこまで言葉を吐き出して初めて……希は表情を驚きと戸惑いを含んだものへと変える。

 私の目から大粒の涙が次から次へと零れていくのを見て。

 

「エリチ……」

「……ごめんなさい」

 

 

 呆然とする希の横を駆け抜け、私は扉を開け放ち、外へと飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 つづく

 

 

 

 

 

 


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