ラブライブ! ~黒一点~   作:フチタカ

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第三十七話 九人の女神が揃うまで11

 走る。走る。

 授業が始まって数十分経ち、授業を進める先生の声のみがわずかに聞こえるだけの静かな校内を駆ける。生徒会室の位置する場所が一般生徒が通常授業で来ることのない最上階に位置していたのが幸運だったのか、先生に捕まって説教されるなんてことはなかった。

 

 もっとも、サボっている生徒を探しに行く暇のある先生などうちの学校にはいないのだけれど。

 

 

 私はゴチャゴチャとした頭のまま無意識のうちに下駄箱の前まで来てしまっていた。欠片ほどは残っていた良心が私の背中を引っ張る。……教室に戻らなきゃ。ちゃんと授業を受けて、そして……希にも謝らないと。

 

 踵を返そうとしたその時、慌ただしい一つの足音が今しがた私が下りてきたばかりの階段の方から聞こえた。

 

「エリチ!?」

 

 息を切らしながら私を呼ぶ声がする。それほど大きい声ではないものの、私の耳には不思議とよく響いた。冷静な判断が出来なかった私は反射的に向きを変えかけていた足を戻し、再び逃げ出す。

 靴箱から急いで自分の通学靴を取り出して、そのまま校外へと走り出した。

 

 

 

 行くあてなんか、ないけれど。

 

 

 

***

 

「エリチ!?」

 

 今は授業中であることをなんとか思い出し、大声を出しそうになるのをこらえて親友の名前を呼ぶ。あんな顔をしたエリチを見たのは初めてだ。泣き顔はついこの間、彼女とその幼馴染がケンカしてしまったときに見たけれど、あの時の泣き顔と先ほどの表情は全く別種のもの。

 

 驚きや、悲しみからくる涙ではなく怒りから生まれた涙。

 彼女の中に燻ったものを爆発させてしまったのは明らかに私。エリチに怒鳴られる日が来るなんて夢にも思っていなかった。もちろん、彼女に対してかけた言葉を訂正する気も、ましてや後悔する気もないけれど。

 

 エリチはよほど混乱しているのか、彼女らしくもなく靴まで履いてどこかへ行ってしまった。おそらく、校外まで出てしまっただろう。

 

 

 後を追おうと思い立ち、慌てて靴箱に手をかけたその時。金属の冷ややかな感触によって少し乱れていた心が落ち着いた。

 

 そして考える。

 

 

 今、私が追いかけて一体何になるのだろう?

 私は……彼女になんて言葉をかけてあげられるのか。

 

 

 先ほどエリチに話したこと。あれが私の今のありったけの気持ちだ。タイミングは悪かったかもしれない、それでも東條希にはもう、言い残した言葉はない。だとしたらどう行動するのが正解なのか。

 私は先生に見つからないことを祈りながらスマホの電源を入れ。

 ……彼に電話を掛けた。

 

 

 ワンコール、ツーコール。

 

 電子音が続く。

 ダメもとでかけてみただけ。この時間に電話をいれる、そのこと自体に意味がある。きっと何か大変なことがあったことを察してくれるだろうから。

 

 プルルルル

 

 聞きなれた電子音も二十回目を超えただろうか。

 諦めて通話終了ボタンを押そうとしたその時、不意に回線が繋がった。

 

『もしもし』

「……」

 

 まさか本当に出るとは思わなかったので思わず無言になってしまっていた。

 一体この人は授業中に何をしているのだろうか?……私たちが言えることではないけど。

 

『え?もしもし?無視??ウソだろ……』

「あ、ご、ごめん。えっと、古雪くんごめんね急に」

『いや、まぁこっちはサボり中だから大丈夫だけど。むしろ君のが大丈夫なの?』

「当り前のように授業サボってるのにも驚いたけど……じつは……」

『クソみたいな授業を切って図書館来てるだけだよ。勉強はしてるし』

 

 いろいろ言いたいことはあるけれど、今日この瞬間に関しては助かったと言わざるをえない。

 

 私は世間話を挟むことなく、かいつまんで事情を説明した。

 私がエリチを怒らせてしまったこと。彼女がどこかへ逃げて行ったこと。

 

 それを黙って聞いていた彼は、私が話し終わった途端。

 

 ……。

 

 電話越しに爆笑し始めた。

 

『あっはっはっはっはっは!』

「なっ!笑い事じゃないよ!」

『授業をサボって、脱走!?あの絵里が!?

 くっくっくっく』

 

 一体何がおかしいのか。

 咎めようと非難めいた口調で話しかけるも収まらないのか、押し殺したような声で笑い続けている。

 

『ふうっ。そっかそっか。そんなことがあったのか。

 君もなんというか……損な役回りだね』

「別に、損なんかやないよ。ウチがうまいタイミングと言葉でエリチに伝えてあげれへんかっただけや……」

『そうかな?俺はベストなタイミングだと思うけど』

「……」

『おかげで四限目もサボれる口実ができたしね』

「もうっ!冗談をいってる場合とちゃうんよ!?」

『あっはっは、すまんすまん。

 でもね』

 

 電話を取ってから今まで、終始にこやかに明るくしゃべり続けていた古雪くんが初めて少しだけ声に真剣味を帯びさせる。

 

『絵里をそこまで揺さぶる言葉を紡ぐのも、そしてかけてあげられるのも君だけにこなせる役割だと思うよ。きっと、俺にだってできなかった事。だからこそ、ありがと』

「ウチは、そんな……」

『去年、絵里が生徒会長になったとき。初めて君に頼み事したよね。俺はちゃんとわかってるつもり。ずっと君がそれを覚えてて、守り続けてくれたことを』

「古雪くん……」

 

 

 

 

【君も分かってると思うけど、絵里は……真面目すぎるんだよ。いい意味でも、悪い意味でも。もちろん例年通り何事もなく生徒会長の仕事が終わるならいいけど……そうとは限らないだろ?

 もし……もし仮にあの子だけの力じゃどうにもならない事が起きた時、絶対アイツは自分自身を追い詰めて、傷ついてしまう。くやしいけど俺はもうあの子の近くにいないから、きっとそれを止められない。今一番絵里の近くにいるのは紛れもなく君なんだよ

 

 だからお願い。あの子を、そばで助けてやってくれないかな?】

 

 

 

 

 いつも頭のどこかにあった古雪くんのあの言葉。

 私は、エリチの助けになってあげることが出来たのかな?

 

 彼は私のその内心の問いかけを見越したように言葉をつづける。

 

『救ってくれてるよ、君は絵里を。

 でも、俺は一つだけ勘違いをしてたみたいだ。

 

 近くにいられないからなんて理由でアイツを助けてやれないなんて……そんなハズないよな。だから……』

 

 一呼吸おいて古雪くんは小さくも、力強い声で言い切った。

 

 

 

 

 

『だから、後は任せろ』

「……うん。エリチを、よろしくね」

 

 

 

 

 

 

***

 

「はぁ……」

 

 私は大きくため息をついた。肺の中に入っていた空気を吐き出してもなお胸につかえる重荷は取れない。

 

 いつの間にかたどり着いていた家の近所の公園のベンチに座り込み、子供のころいつも遊んでいた滑り台を眺め、再び大きく息をはく。あれほど巨大に見えていた遊具も今や手を伸ばせばてっぺんに触れられそうだ。鮮やかな水色で塗られていた金属も、今や塗装がほとんど剥がれ落ちて錆びた黒い本体をむき出しにしている。

 

「あの頃はあんなに楽しかったのに……」

 

 幼かったあの頃、無邪気に遊んで言いたいことを言って、やりたいことをやって。時にはケンカして仲直りして。そんな単純で楽しかった毎日をふと思い出す。

 

 

 

 いつからだろうか、誰かの為に頑張らなきゃと思い始めたのは。

 いつからだろうか、責任という二文字を自ら進んで背負い始めたのは。

 いつからだろうか、やりたいことをやりたいと素直に言えなくなってしまったのは。

 

 

 

 μ’sに入りたい。

 

 

 

 その一言が言えなくて、私はここに逃げてきた。

 今はもう子供じゃなくて、いろんなものが私の行動を縛り付ける。

 

 

 

 何も考えたくなくて、ぼうっとそのまま目線を下におろして綺麗に手入れをした自身の爪先を見つめ、細く長い息を吐き出した。

 

「私、どうしたらいいのかしら」

 

 小さく零す。

 別に誰かに問いかけたわけではない。黙っていると襲ってくる思考の波に押しつぶされまいとなんとか絞り出した独り言。でも、その言葉を聞き逃さないヤツが、一人いた。

 

 

 

「さぁ、難しいところだよな」

 

 

 

「海菜!?」

 

 何食わぬ様子で私の横に腰を下ろし、どこかで買ってきたのであろう、紅茶のはいったペットボトルをこちらに差し出す。飲め、ということなのだろう。彼なりの不愛想な厚意に甘えて、こくこくとほんのり甘い紅茶で喉を潤した。

 

「あ、その代金あとで返せよ」

「な!?ここは普通おごりでしょう!?」

 

 予想外の言葉に思わず反応してしまう。

 

「冗談だよ、まぁ貸し一つ、だけどね」

「なによそれ……」

 

 いたづらっぽく笑いかけながら、よっし、これでしばらくは俺のが立場上だなー!などと嬉しそうに呟いている。

 

「あ、そういえば言い忘れてた……。

 コラッ!絵里っ!なにサボってるのよ、アナタがサボると委員長の俺まで先生に怒られちゃうんだから。絢瀬の面倒はお前がちゃんと見ろって!」

 

 ハッとした様子で口を開くので、何かと思えば。私がかつて海菜に言い続けていた台詞を一言一句違わずに名前の部分だけ器用に変えて言い返したかっただけらしい。

 そういえば、中学校の頃もよくどこかに行っちゃう海菜を追いかけて説教してたっけ。

 

「……プッ」

 

 私の物まねだろうか。妙に甲高い声の海菜に思わず吹き出してしまった。

 

「おっ。やっと笑ったな。

 毎日朝、昼、晩と絵里の物まね練習に時間を費やしたかいがあったわ!」

「やめてよ……って、昼までやってるの!?」

「うん。ウチのクラス。……いや、学年で君の名前を知らない人いないと思う」

「私の知らない所で何してるのよ!……クスッ」

 

 嘘なのか本当なのか分からない、相変わらず適当なことを言ってくる彼にあきれながらも、いつもと変わらない幼馴染の態度に少しだけ安心して二人で顔を見合わせて久しぶりに心の底から、笑った。

 

「ふふふふ……もぅ」

「こういう逆パターンもなかなか新鮮で面白いな」

「そうね、たまにはいいかしらね。

 ……どうして、ここにいるって分かったの?希から連絡は受けたんだろうけど、場所までは教えられてないでしょ?それに授業はどうしたのよ」

 

 ベンチに両手をついて、相変わらず口の端に少しだけ笑みを浮かべたような顔で私同様懐かしそうに遊具を見つめる海菜に問う。コイツも、希も。本当にお人よしなんだから……。放っておけばいいじゃない。

 

 息は何とか整えたんでしょうけど、額にうっすら滲む汗を見ればこの幼馴染がどれほど急いで私を探していてくれたのか伝わってくる。

 

「分かった、というよりかは消去法+勘かな。君が効率よく時間をつぶせる場所に詳しいハズないしな。ファーストフードの店すらほとんど行かないんだから。……授業はサボったに決まってんじゃん」

「なるほど……。でもサボることなかったでしょ」

「んー、そうかな」

 

 生返事を返し、もう雑談は終わりだとでも言いたげな真剣な表情でこちらを向く海菜。

 

 

「でも、もし、逆の立場だったなら君は俺を探しにきただろ?」

「……そうね。ありがとう」

「いいよ。貸し二つな」

 

 

 素直にお礼を受け取らず、性懲りもなく要らない一言に逃げてしまう幼馴染の変わらない様子に自然と笑みがこぼれた。色々あって、彼も考え方や生き方は少しずつ変わってきているけれど、根っこの部分はいつまでも幼い日の優しい海菜のまま。

 傍にいて欲しいときはいつも隣に来てくれる。

 どこで、何をしていたって、駆け寄って笑顔をくれる。

 

「なにがあったのかは聞かないのね?」

「……聞いたってアドバイスなんかできねぇもん。俺は君じゃないし、君みたいな経験をしたことだってないんだから。

 まあ、でも。どうせだし、話だけなら聞くけど?」

「ふふっ、じゃあ話だけ聞いてもらおうかしら」

 

 私は、簡潔に事の次第を彼に伝えた。

 穂乃果たちとのやりとり、希とのやりとり。事実のみを言葉に変えて報告する。

 私の今の気持ちなんてごちゃごちゃで形にならないから。

 

「ハラショー。濃い一日だったみたいね」

「私の物まねはもういいわよ……」

「そっかそっか」

 

 海菜はポケットから取り出したハンカチで額に滲んだ汗を拭きとりながら頷いた。

 整髪剤で、ある程度整えられた綺麗な黒髪がわずかに揺れる。

 

「なんとなく分かるよ。μ’sに入りたい気持ち、生徒会長としての立場。それに加えて今まで彼女たちを否定してきた負い目と君がμ’sになることのリスクリターン。こいつらに悩まされてるんでしょ?」

 

 先ほどあった出来事を聞くだけでこうも正確に悩みの種を見抜けるものなのだろうか。

 彼のもって生まれた才能か、それとも……。

 

 

 

 

「……なんでもすぐ分かっちゃうのね」

「すぐには分かんないよ。でも、君の事はたくさん考えてたからなんとなく理解できただけ」

 

 

 

 

 ホント、このバカは平気で。しかも本気でこういうことを言うんだから……。

 

「……それは、幼馴染だから?」

「さあ。君とはずっと幼馴染やってきたから分かんない。

 幼馴染だからいろいろ考えるのかもしれないし、もしかしたら絵里だからこんなに頭を悩ませてるのかもしれない。ほんと、なんでだろうな?」

 

 曖昧な微笑みを浮かべて首をかしげる。

 

「海菜はどう思う?

 ううん。海菜だったら、どうする?」

 

 すがるような気持ちで彼に問いかける。

 この人ならこんなときどんな答えを出すんだろう。

 

「んー、俺だったらそもそも生徒会長になんてならないしなぁ……」

「そういうことを言ってるんじゃないのよ……」

「ごめんごめん。でも俺だったら……なんて話は難しい」

 

 じっと、虚空を睨み、少しの間動きを止める海菜。

 そしてなにか決心したような表情で隣に座る私としっかりと見つめあった。

 

「俺じゃ、どう頑張ってもアドバイスは出来ない。

 出来ないから……俺が君にして欲しいこと、言っていいかな」

「……」

 

 肯定を示す沈黙。

 

 

 

 

 

「俺はただ。君に笑っていて貰いたい。

 μ’sに入ろうが入るまいが、どっちだって構わない。だって君がどちらにいようと俺は君のそばに居続けるから。だからこそ。『君が一番楽しく要られる場所』が一体どこなのか考えて欲しい。

 

 

 

 俺は。少なくとも俺はその場所が君のいるべき所だと思う」

 

 

 

 

 

 海菜が紡いだのはなによりもシンプルで分かりやすい言葉。

 まるで子供みたいな理論。でも、彼の想いがまっすぐに届いてきた。

 

 

「でも、私には生徒会長としての責任が……」

「はぁ?何言ってんの。

 学校存続の責任は君じゃなくて理事長にあるに決まってるだろ。何様だって話。

 それに、『学校を守る責任』よりも『自分自身を幸せにする責任』の方が絶対に重い!」

「もし、彼女たちが失敗したら……」

「客観的に見た感じ、今にも泣きだしそうな面した生徒会長よりかは可能性があると思うけど?」

「生徒会と部活動二つは……どちらも中途半端に」

「タイムリミットはあと1・2週間だろ。死ぬ気で頑張れば大丈夫。

 骨は拾ってやるから」

「……」

「ほかに何か?」

 

 バッサリと私の悩みの種を容赦なく斬っていく幼馴染。

 歯に衣着せない、小気味いいまでの言葉たち。……全く、私以外だったらケンカになってるわよ?

 

「今更、彼女たちになんて言えば……。

 あれだけつらくあたってきたのに」

「『いままではごめんなさい。これからよろしく』でいいじゃん」

「うぅ……それが出来れば苦労はしないわよぉ」

「言っても言わなくてもどのみち苦労はするだろバカ絵里」

 

 海菜は至極当然のように言い切る。

 身も蓋もない言い分だけど……なぜだか不思議と少しだけ、自分の置かれているこの状況がシンプルかつ他愛のないものとしてとらえることが出来た。そうさせた当の本人は『はやく、はやく次の台詞頂戴!論破したるから!』とでも言いたげな爛々と輝く瞳でこちらを見つめているけれど。

 

「はぁ、なんだか少し楽になった気がするわ」

「そかそか。それはなによりです」

「答え、出たと思うわ。また、帰って報告に行くから」

「あぁ、待ってる」

 

 出した『答え』を問いただすことなく笑顔だけを返す海菜。

 私は立ち上がり歩き出す。学校戻って、きちんといろんなことにけじめつけないとね。

 

「私は学校に戻るけど、海菜もちゃんと授業出るのよ?」

「えぇ~。まぁ気が向いたらね……

 それじゃ、また」

 

 心底いやそうな顔をした後、彼は片手をあげてゆらゆらと左右に揺らした。

 そんな彼に最後に一言だけ投げかけて、駆けだす。

 

 

 

 

 

「海菜、ありがとう!」

「貸し3な」

 

 

 

 

 

 

 帰ってきたのは、何よりも彼らしい台詞だった。

 

 

 

 

 

 

 


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