ラブライブ! ~黒一点~   作:フチタカ

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第五十五話 傍観者から当事者へ

 絵里が校内放送で呼び出されてどこかへ足早に向かって行ったのを見送った後、俺は部室に入らないまま考えに耽っていた。想定していた最悪の事態が起こってしまった事実から目を背けることは出来ず、俺は強く唇を噛みしめる。

 

 他でもない、俺のせいだ。

 もちろん、この結果を招いた責任の大部分は穂乃果にある。オーバーワーク気味な練習や空回り。結果を追うべき人間が絶対にしてはならない行動をしてしまったのは彼女自身だ。

 

 でも、彼女は一人ではなかった。

 少なくとも、それを止めるべき役目を担っていた人間が傍にいた。

それが、俺、古雪海菜で……。

 

 こうなるだろうことはしっかり予想できていたはずなのに、どこか楽観的になっていた自分が居たのは確かだ。絵里が、希が……そして幼馴染の二人が付いているだろうから大丈夫。そんな根拠のない自信からなんとかなるだろうとたかをくくっていた自分がいる。

 

 いや、違うな。

 根本的な原因はもっと単純なものだ。

 

 

 

「自分しか見えてなかったんだな……俺も」

 

 

 

 小さく零す。

 

 つまるところ、それに尽きる。

 

 『俺がμ’sの応援をするのは音ノ木坂を守りたいからではなく、彼女たちの笑顔を見ていたいから』『俺はあくまで傍観者、応援するファン』一見聞こえは良いかもしれない。自分自身の心でさえ、その言葉をすんなりと満足げに受け入れていた。でも、その言葉は裏を返せば、『古雪海菜はμ’sで起きる何かに責任を持たない』と言っているようなものだ。

 結果として、俺は偉そうなことを言いながら、受験という個人的な目標を追うのに夢中で彼女たちを二の次三の次に回してしまっていた訳だ。

 

 だからこそ、穂乃果があの状態に陥るまで気が付いてやれない。

 

 きっと、あの子の異変に気が付く機会は今までに何度もあったはずだ。毎朝のラインの様子、絵里の話、そして、ことりの異変に海未しか気が付いていないという不可思議な現象。思い返せば俺にしか気が付かない、いや、俺が気付かなくてはならないサインが転がっていた。

 

 

 しかし、俺はなにも出来ないままあのライブ会場に立っていた。

 

 

 人事を尽くすこともせぬまま祈っていただけ。

 当然、するべき努力を怠った人間に奇跡なんか起きる訳がなくて……あたりまえの悲劇が起こる結果となってしまった。

 

 フラッシュバックする穂乃果の姿。

 冷たい地面に倒れ込む華奢な身体に容赦なく打ち付ける雨、信じられないほど冷たい指先。あれほどの高熱が出ている状態で一曲踊りきった彼女の想いを想像すると、まるで自分の事のように胸が痛くなる。

 自分の体がぼろぼろになるまで必死で努力していた穂乃果。そんな彼女に見合うだけの想いを持って、俺はあの子達の傍に居たのか?

 

「古雪くん……?」

 

 俺が……俺さえしっかりしていれば!

 かけられている声に気が付かずに拳を握り込んだ。強く噛みしめた唇から血が滲む。

 

「古雪くん!」

 

 唐突に肩を揺らされた。そこで初めて誰かに呼ばれていることに気が付いて顔をあげた。目の前には着替え終わった希がいて、心配そうに俺の顔をのぞき込んでいる。乾ききっていない湿った髪の毛。この子も先ほどまで必死に会場のみんなを盛り上げようと頑張ってきた訳だ。

 何もしていなかったのは俺だけ。

 

「もうみんな着替え終わったから入って来ていいよ?」

「あ……あぁ」

「……古雪くんのせいじゃないからね?」

「……」

 

 どうしてこの子はこんなにも人の気持ちに敏感なのか。すぐには言葉を返せずに息を飲む。希は俺を安心させるためだろう、いつもの優しげな笑顔を作ってそう言ってくれた。でも、俺は今、その優しさに甘えられるような立場になくて……。

 

「うん、分かってるよ。すぐ戻る」

 

 返したのはいつも通りの作り笑顔と空元気だけだった。

 希は何も言わずに寂しそうに微笑んでから、一人で部室に戻る。おそらく、気を使って一人の時間を作ってくれたのだろう。俺は彼女に感謝しながら、再び思考の波の中に戻ることにした。

 

 一度すべてリセット。頭をからっぽにする。

 

 ……。

 

 ……。

 

 ……。

 

 

 ぱんっ。

 

 

 一度両手で頬を叩いて気合を入れ直した。

 よし!反省や後悔はひとまずこれで終わり!

 

 起きてしまったことは仕方ない。これから俺自身がどう動くかだよな。

 

 もちろん気持ちは切り替えたつもりでも、時折先ほどの穂乃果の弱々しい姿が頭の中をよぎっては、筆舌に尽くしがたい痛みが胸を走る。忘れることなんか出来やしない。だけど、ただ落ち込むだけならバカでも出来る。少なくとも俺はこんな時、前を向いて自分を変えられる人間でいたい。

 

 これから俺はどうすべきか。

 少なくとも方針は決まった。

 

 

『本当の意味でμ’sの十人目の仲間になる事』

 

 

 もちろん心配事はある。それはもちろん俺自身の受験のこと。かつて真姫に言った自分自身の台詞を思い出した。『君に才能があるなら、出来るよ』というシンプルな言葉。今でも変わらない俺の中の考え方。

 

 改めて考えてみようか。

 

 少なくとも、本気でバスケをしながら勉強をこなすという才能は俺の中に無い事は分かっていて、だからこそ大好きだったそれをやめる決意をした訳だ。そして今までも、勉強しなくてはという言い訳をして、μ’sのことをきちんと考えることから逃げていた。

 そりゃ、希の為だったり絵里の為だったりもしたので、自分なりに一生懸命考えてきたつもりではあったけど、あくまで『他人事』だという考えがどこかにあったのだと思う。だからこそ今回、取り返しのつかないミスをしてしまった。

 

 

 μ’sの問題は他でもない俺自身の問題。

 他人事ではなく当事者であるという認識。

 

 

 そう考えを改めた上で、客観的に自身が置かれている状況を分析してみた。

 

 

 

 学力は?

 ……問題ない。今から受験場に引っ張って行かれても合格をもぎ取れるくらいの学力は付いてる。

 

 心の余裕は?

 ……ある!といえば嘘になるけど……絵里や希、他のメンバーの為。それに他でもない自分自身の為なら頑張れるだろう。

 

 リスクは?

 ……受験に失敗すること。

 

 可能性は?

 ……今のまま自分だけを見続けてれば0%だった。でも、その合格には価値は無い。それに、俺には彼女たちに積極的に関わることで上がったその可能性をゼロに出来る力がある!

 

 古雪海菜はどうしたい?

 ……もう二度と、あの子達の辛そうな顔を見たくない。そして、俺もあの子達と一緒になって笑っていたい。

 

 

 答え、出たな。

 俺はまっすぐに顔をあげて頷いた。

 

 

 

***

 

「ったく、古雪はどうしてるのよ」

「お手洗いにでも行ってるんとちゃう?」

「はぁ、アイツがいないと空気が重くて仕方ないわね……はやく戻ってきなさいよ」

 

 にこっちの問いかけに対して私は内心謝りながらも、嘘を返した。扉の向こうに居るなんて言ってしまえばきっとにこっちは彼を呼びに行ってしまうから……。少なくとも今はそっとしておいて欲しいはず。私は先ほどの古雪くんの様子を思い出してそう判断した。

 彼の事だ、きっと誰よりも自分の事を責めているに違いない。

 それが痛いくらい分かるからこそ、何か彼の為にしてあげたいと思う。だけど、私に出来ることなんて一つもなくて……。古雪くんの、あの取り繕った笑顔を見て微笑み返す事しか出来なかった自分自身の力の無さにため息が出た。

 

 本当に、別に気を使ってる訳でもなく、君が責任を感じる必要なんてないんだよ?

 

 これだけ傍に居たにもかかわらず、穂乃果ちゃんの異変に気が付かなかった私たちが一番悪いのに……でもそんな言葉をかけたところで彼の耳にはきっと届かない。だからこそ私は何も言わずに古雪くんが答えを出すのを待つ事にした。

 

 時間にすれば十分足らずの事。

 私たちは特に話すこともなくエリチや古雪くんが部屋に戻ってくるのを待っていた。こういう時、いかに穂乃果やエリチがμ’sというグループの中でリーダーシップを発揮していたかが良く分かる。

 

 ガチャリ。

 

 何の前触れもなく部室の扉が開いて、その陰から古雪くんが顔を覗かせた。それを見て、にこっちがほっとした顔で声をかける。

 

「遅い!どこいってたのよ?」

「あー。ちょっとトイレ……じゃなくてお花摘みに」

「言い直さなくていいわよ、むしろキモチワルイから……」

「ひどい!つか、良く言うよな。俺が戻ってきた瞬間嬉しそうな顔してたくせに」

「なっ!そんな顔してないわよ!」

「連れションすれば良かったな!」

「やっぱり下品な言葉はオブラートに包んでくれると助かるわ……」

 

 いつものようににこっちと掛け合いを始める古雪くん。自然とそれを聞く私たちの頬も緩んできた。良かった、いつもの調子に戻ったみたいやね。

 

「トイレぇえぇえぇえぇ」

「それはビブラートでしょ!」

 

 そんなくだらないことを言いながら、古雪くんはこちらにやって来て軽くぽんぽんと自然に私の頭に手を乗せて来た。もう心配ないよ、平気だよ、との事なのか先ほどとは少し違ういつもの笑顔を向けてくれる。

 もう、この人はホントに……。

 嬉しそうにきゃっきゃと笑う花陽ちゃんや凛ちゃんとは対照的に、私はため息をついた。

 

 

 平気な訳ないのにね。

 

 

 さすがに二年以上一緒に居て、彼を見ていれば嫌でもわかる。そんな五分やそこらで何もかも切り替えられるわけないやん。でも、誰かがこの雰囲気を断ち切って前を向かなきゃいけないからこそ、その役目を買って出てくれているのだろう。

 それが分かるからこそ、私は笑顔で会話に入って行った。

 

「にこっち嬉しそうやなぁ。古雪くんが戻ってくるのを楽しみにしてたもんね?」

「のっ希!アンタ何てことを……」

「にこちゃんは素直じゃないにゃー!」

「うんうんっ」

 

 凛ちゃんや花陽ちゃんもいつもの調子でにこっちをからかい始めた。

 なんというか、にこっちはホント、いい先輩やなぁ?多分私やエリチじゃこうはいかないだろうし。

 

「あっ、雪穂からメールです!」

 

 唐突に海未ちゃんが声をあげた。

 瞬間、緩みかけた雰囲気が引き締まり彼女の元に注目が集まった。

 

「先ほど親御さんに迎えに来てもらって、今家について寝かせたので大丈夫らしいですよ」

「よかったぁ~」

 

 待ちきれないと言わんばかりに肩越しに海未ちゃんのスマホをのぞき込んでいたことりちゃんは、安堵のため息をついた。一安心、やね。先ほど保健室で養護の先生が言っていた感じでは、足首をこけた時に挫いていたこと以外は心配なさそうだったので、取り立てて過剰な心配はしていなかったけど。

 

 良かったね、などと言い合い、再びいつもの調子で話し始める。

 ボケる古雪くんにツッコむにこっち。茶化す私や凜ちゃん、花陽ちゃんに加わって、海未ちゃんやことりちゃんも笑い声をあげていた。うん、やっぱり皆笑顔が一番だね。

 

 

 ガチャ

 

 

「……もう、えらく楽しそうじゃない。みんな落ち込んでるのかと思って心配して損したわ」

 

 静かにドアを開けて入ってきたエリチは呆れたようにそう零した後、自然に古雪くんとアイコンタクト。そして安心したように小さく微笑んだ。

 

「絵里ちゃん!理事長はなんていってたの?」

 

 凛ちゃんが代表してそう聞く。

 瞬間、エリチの顔から笑顔は消えた。その表情の変化を見て、私たちは自然に集まって話し合える体勢を整える。うん、もう十分落ち着く時間は取れた。これからは平常心を取り戻した私たち自身が、μ’sの行くべき道を決めなきゃだね。

 

「一応みんなには分かっていて欲しいのだけど、あくまでこれから話すのは理事長の意見よ。でも、私も同じことを思ってた」

 

 エリチはそう前置きした上で、誰もが予想していた結論をただの想像から……言葉へと換えた。

 

 

 

「μ’sは……私たちは、ラブライブのエントリーを取り消すべきよ」

 

 

 

 未だやまない雨音が、嫌に響いた。

 

 

 


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