【古雪海菜と絢瀬絵里の夢】
「活動休止!?」
絵里は無言のまま小さく頷いた。
ことりから留学の話を聞いた翌日の夜。神妙な顔をした絵里から聞かされたのは衝撃の事実だった。俺は部屋に入ってくるなりいきなりその事を告げた幼馴染をとりあえずは座らせる。
「ちょっと待ってくれ、順を追って説明してくれる?」
「えぇ……」
お茶を出すのも忘れて対面に腰を下ろした俺はすぐさま質問を投げかける。
絵里は辛そうにしながらも、きちんと成り行きを離してくれた。
一連の流れは次のような物だ。
ことりの留学の話を聞いた穂乃果以外のメンバーは、彼女が日本を発つ前にもう一度ライブをする計画を立て、それを穂乃果に話したらしい。しかし、穂乃果はそれを拒否。学校存続という目的を果たした以上スクールアイドルを続ける必要はなく、そもそもこれからどう練習してもARISEのようには成れないと吐き捨てて、μ’sをやめる宣言をしたようだ。
なんというか……さすがにそこまで話がこじれるとは思っていなかった。
もちろん、穂乃果がどうしようもない後悔や苦しみを抱えてしまうだろうことは多少なりとも同じく幼馴染を持つ身として想像は出来ていたけれど……。いや、想像なんて言葉、彼女に対して失礼なだけだよな。きっと、俺たちが一度も経験したことのないような罪の意識や無力感にさいなまれているに違いない。
「私、どうすればいいか分からなくて……」
「……。いや、俺は君の『活動休止』の判断は正しかったと思うよ」
俯き、唇をかむ絵里に俺は嘘偽りない言葉をかけた。
結局その発言の後、海未が穂乃果に対して激怒。他のメンバーも怒る、戸惑う、落ち込むなど混乱する中、結局絵里が『活動休止』という形に落ち着けたようだ。俺はその判断は正しかったように思う。
一旦、グループという束縛を外すことで見えてくるものもあるだろうしな。
「でも、私が言うべき台詞ではなかったわ……。そんなこと言う資格なんてないのに」
「……ま、確かにそうかもな」
「うん……私は皆に、穂乃果に受け入れて貰った立場の人間よ。そんな私が……」
「それでも、それが分かった上で休止が必要だと判断したんでしょ?だったら君が気に病む必要はないと思う。てか、俺は君が先輩として正しい行動をしたって思ってるよ」
「……えぇ」
「それに、今はそんな事気にしてる場合じゃないみたいだしね」
自嘲気味に笑って俺は天井を見上げた。
これからどうすべきか。
間違いなく、俺たちは岐路に立っていた。
目の前にある二本の反対方向へと伸びる道。
一つは、スクールアイドルを続けるというもの。
一つは、スクールアイドルを辞めるというもの。
穂乃果とことりがやめるという前提での問い。
正解は元よりない。だからこそ、自分で選ばなければならない道。
たしかに、この根本的な問いを生み出すきっかけを作ったのは穂乃果だが、この決断は遅かれ早かれ生まれてくるハズだったものだと思う。そもそもμ’sが音ノ木坂学院を存続させるために作られた以上、グループ自体、存在理由を失ってた訳だしね。
加えて、ことりという一人のメンバーが抜けるということは否応なく変化が訪れる。決して今の状況は良いものではないが、避けては通れない問題ではあった……のではないだろうか。
だとすれば、今、俺達に出来るのは、するべきなのは、自分がどの道を歩んでいくのか決断する事だ。自分自身と相談して心から目指したいと思える道を見つけなきゃいけない。たとえ、それがμ’sという一つの形を壊すことになったとしても。
「君は……これからどうするの?」
俺はそうシンプルに聞いた。
絵里はすこし考え込んだ後、真っ直ぐにこちらを見つめて口を開く。
「私は、『μ’s』が本当に好きよ。皆が差し伸べてくれた手に、救われたと思ってる……」
「……あぁ」
「だから、私は皆に恩返しがしたい。ことりが夢を追いかけるなら全力で応援したいし、たとえ一人減ったとしても、当初の目標は達成できたとしても、μ’sとして、私の為にもみんなの為にも踊りたいって思ってた」
「……」
「でも、思うのよ。きっと穂乃果が居なくちゃ、μ’sはμ’sでいられない」
「うん。……俺もそう思うよ」
「だから、あの子がスクールアイドルを辞めると言うなら私も辞めるわ。それで、もっと別の、皆にこの感謝の気持ちを返せる何かを探そうと思うの」
迷いなく、言い切った。
そうだよな、きっとこの子はそう言うと思ってた。
入ったのは最後だけど、きっと誰よりもμ’sに救われたのがこの子。だからこそ、絵里は他でもないμ’sの為に歌って踊って来たんだと思う。観客の為でもなくファンの為でもなく、ただ純粋に自分と大切な仲間の為だけに想いを込めて踏むステップ。
そして、そのμ’sは穂乃果あってこそのグループだ。
穂乃果という名の太陽に惹かれ、集まった八人の女の子。そのメンバー達がそれぞれの光を彼女の元で放つのがμ’sというグループのあり方であるのだとすれば、彼女を失えばμ’sはμ’sでいられない。
「海菜はどうするの?」
逆に問いかけられる。
俺か……俺は。
「もし、アイドルを続けたいってメンバーがいるなら手伝おうって思ってる。やめてしまう子とも……相談相手位にはなりたいかな」
「ふふ。でしょうね」
にこりと絵里微笑んだ。どうやら予想済みだったらしい。
きっと、俺は、μ’sというグループに惹かれたんじゃない。
穂乃果に、海未に、ことり。真姫、凛、花陽。そして、絵里とにこと希。一人一人のメンバーと言葉を交わして、その想いに魅せられて傍にいることを決めていた。だからこそ折角できたこの繋がりは守りたい。
今まで通りあの子達の先輩で、同級生で……そして協力者でいたい。
わがままかもしれないけれど、皆が進む道の先を、傍で見ていたい。
だって仕方ないだろ?
俺は彼女たちの仲間であると同時に、一番最初のファンなんだから。
「あ、もう一つ聞いとかなきゃいけない事があったわ!」
「なにかしら?」
今の俺達二人の決断は、最悪のパターンを覚悟した選択。穂乃果がやめ、ことりが旅立ってしまう終わりの道。だけど、忘れてはならない事が一つあった。
先ほど言ったように、道は二つに一つしかない。
穂乃果とことりが脱落した上でスクールアイドルを辞めるか続けるか、決めなきゃいけない訳だ。
でも、人間には必ず『理想』や『夢』がある。
切り開かなければいけない三本目の道がある。
「君は……これからどうしたい?」
俺の先ほどと似通った、それでいて全く意味合いの違うその問いに絵里は迷いなく答えた。
「『μ’s』全員でこれからも踊りつづけたいわ」
「おっ?奇遇だな、俺も同じだ!」
二人の夢は……同じ。
【西木野真姫の夢】
カランカラン
行きつけの喫茶店の入口のドアを開くと、相変わらずくぐもった古い鈴の音がガラガラの店内に響き渡った。カウンターの奥で新聞を読んでいたマスターがこちらをチラリとみて、軽く頭を下げて来た。
俺は挨拶もそこそこに、探し人の姿を見つけ出そうとあたりを見回す。
すぐに見つかる見慣れた制服に、赤みがかった髪の毛。
俺は注文するまでもなく用意してくれていたコーヒーを受け取って、目の前の参考書にだけ集中するその女の子の前の席に座った。椅子を引く音に驚いたのか、ピクリと肩を震わせて西木野真姫は顔をあげる。
「……!?」
「よ。一人の時もここ使ってるんだな」
「え……あ、はい」
普段ここで勉強会を開いているのだが、別に今日は待ち合わせをしていた訳ではない。ただ純粋に、ここに居るだろうと予想を付けて出向いただけだ。だからこそまさか俺が来るとは思っていなかったのか、目を見開いてこちらを見つめて来ている。
「邪魔してごめん、ちょっと話いいかな?」
「……」
真姫はしばらく動きを止めていたものの。じぃっと俺の目を見つめた後、納得したように頷いて手元の参考書を閉じて姿勢を正した。……うん、やっぱり頭のいい子だな。俺が一体なんでここまで足を運んだのか理解してくれたのだろう。
「塾はどうしたのよ?」
「走ったら五分遅れ位で間に合うよ」
「……来てくれてありがとうございます。世間話しようなんて気使ってくれなくていいわよ。穂乃果の件でしょ?」
真姫は小さく会釈した後、すぐに本題を切り出してくれた。
ありがたい。俺も結構時間おしてるし出来るだけ早めに話をしなくては。
「うん、そうだよ。お言葉に甘えて単刀直入に聞くけど、君はどうするつもり?」
俺のその言葉に真姫は迷わず口を開く。
「穂乃果とことりが居なくなるなら私も抜け……ます」
「……」
「本人には言わないけど……」
彼女はそう前置きして続けた。
「私は、穂乃果が居たからμ’sに入ったの。最初は何度も何度も勧誘されて鬱陶しかったけど、あのひたむきさと、私にはない皆を惹きつける大きなエネルギーに憧れて……μ’sに興味を持ったから」
「……」
「でも、私の元の夢は古雪さんにも話したように医者になること……です。だから……」
そこまで言って、彼女は辛そうに俯いた。
きっと、嫌で嫌でたまらないのだろう。憎まれ口を叩きつつも、この子がμ’sを大好きでいたのは誰だって分かる。でも、最後まで部活をすることに抵抗を感じていたようにこの子には揺るぎない目標があった。
かつて俺がバスケを捨てたように、もし仮に穂乃果たちが抜けるのだとしたら迷いなく彼女は自身の目標に向けて邁進するだろう。あれほどの事があった次の日である今日、すでにこの場所に現れて鉛筆を握っている姿を見れば分かる。
でも、俺と違う点が一つ。
彼女は二つの夢を持っていたはずだ。
「うん。分かったよ。それじゃ……君はどうしたい?」
真姫は顔をあげない。
俯いたまま、絞り出す声。
「……私はμ’sで、μ’sのままで居たい。穂乃果にも、ことりにも……行って欲しくない!……です」
三人の夢は……同じ。
【東條希の夢】
神田明神。
いつも彼女達が九人全員で練習していた階段を俺は一人で上っていた。
境内には一人の女の子。
巫女装束に身を包み、憂いを帯びた視線をぼぅっと誰もいない広場に送っている。
「希」
「……」
「希!」
「!?……あ、古雪くん」
強めに呼びかけてやっと彼女はこちらを振り向いてくれた。慌てた様子で手に持っていた箒を握り直して取り繕った笑顔を浮かべる。明らかに嘘だと分かる弱々しい表情に、俺は胸が締め付けられた。
この子はこんな時まで俺に心配かけまいと……。
「どうしたん?いつもは塾で自習して帰るんとちゃう?」
「……ん。今日は家でやろうと思ってね、帰り道に寄ったんだよ。バイトはいつまで?」
「えっと。あと一時間くらいやから、八時過ぎには……」
「そっか……じゃあ待っとくよ、一緒に帰ろっか」
「待ってくれるん?でも……」
「希。余計な気は回さないでくれると助かるかな」
「うん、……ありがと」
何か言いかけた希を制止して、半ば強引に頷かせた。本当は軽くバイトの手伝いでもしながら話をしようと思っていたんだけど、悲痛なほど弱々しい様子の彼女を見ていると気が変わった。本気で家まで送って帰ってやらなきゃ心配なレベルだと思う。
普段から他のバイトより早くあがれるとはいえ、あたりが暗くなってから帰らなきゃいけない希の事は心配していた。まぁ、彼女自身隙の少ない人種なので大丈夫なのだろうな……とは思っていたけど、ここまで落ち込んだ彼女を一人で夜道を歩かせることは出来ない。
加えて彼女は一人暮らしだ。
なにかあったら……と思うと背筋が凍る。
「じゃ、階段の下で待っとくよ。ちゃんとバイト代くらいは働けよー?」
「えへへ、サボってるところ見られちゃった」
俺は軽く希に手を振って、たった今登り切った階段をピョンピョンと駆け下りた。
そして単語帳を広げて手直にあった石の上に腰を下ろして待つ。
十分、二十分と時間が過ぎ、しだいにあたりも暗くなってきた。
さすがに本の文字は読めなくなってきたのでスマホを開いていじっていた所、急にトントンと誰かに肩を叩かれる。振り返ると制服姿に戻った希が俺の肩に手を置いたまま、その人差し指をまっすぐ伸ばしていた。
むにゅ、と彼女の真っ白い指が俺の頬を押す。
「あ。今、ひっかかったやんな?」
「必殺カウンター。ぺろりん」
「きゃっ!い、いま舐めた!?最低!セクハラやで!」
馬鹿め。やられたらやり返す。
それが例え女の子だったとしてもな!
慌てて指先を引っ込めて、薄暗闇でも分かるくらい頬を真っ赤に染めながら希は抗議の声をあげた。さすがにこの反撃は予想してなかったのか、わたわたと慌てながら、一生懸命相変わらず違和感の残る関西弁で怒っている。
俺は適当にあしらいながら足元に置いていたスクールバックを背負って歩き始めた。
「ほら、分かったから帰るぞ」
「うぅ……」
希は何か文句言いたげな顔をしながらも大人しく俺の横に並んで歩き始めた。
そして、特に何も話すでもなく夜道を歩く。
そういえば……。ローファーが刻む固い足音を聞きながら俺はふと、希と二人きりになるのは久しぶりだということに気が付いた。それこそ、μ’sが結成する前などはよく二人で話したりしてたんだけどな。
希も同じことを考えていたのか、似たようなことを言う。
「そういえば、こうやって二人で帰るのは久しぶりやね?」
「確かに……。二人きりって最近なかったよな」
「うん。今日はありがとね?」
「いいよ。……夜道は危ないし。普段は大丈夫なの?」
「大丈夫やって!たまに怖かったりもするけど、そういう時はエリチと電話しながら帰ってるから。一応ブザーもあるよ」
「そかそか」
んー。やっぱり怖いときはあるんだなぁ。
普通に時間があるときは迎えに来た方が良いのかな?
「最近はいつも他のみんなが傍に居たからやと思うけど、古雪くんと久しぶりに話すような気がするね?」
「そこまでかぁ?まぁ、君も俺も忙しかったしね。踊り、皆について行くの大変だったでしょ?」
「……うん。でも、楽しくもあったんやけどね」
俺がそう問うと、希は少しだけ寂しそうに言った。
加入した時期が遅く、尚且つ絵里みたいにダンスをした経験がない分、既に広がっていた実力差を埋めるのにこの子は人知れず努力していたのだ。先ほど彼女自身が言ったように、他のメンバーが大体傍にいるせいで二人になっていなかったという部分もあるが、同時に彼女が一人で練習する時間が必要になっていたからという理由もある。
でも、もしかしたらもうそんな時間は必要なくなるのかも知れない。
「それで……古雪くんはどうして今日来てくれたの?」
「……これからの事、話そうかと思ってね」
「ふふ。だと思った」
ふわりと寂しそうに笑いながら希は頷いた。
それじゃ、本題に入ろうか。
「希は、これからどうするの?」
俺は絵里にした問いと同じものをぶつける。
現実を突きつけるこの問いかけは、出来ればしたくなかった。理由は簡単。このμ’sの結成を誰よりも心待ちにしていたのが、横を歩いている東條希という女の子だったのだ。μ’sという九人と、俺が揃っていてくれるという状況自体を夢だと語ってくれた希が、今どんな気持ちでいるかなんて事、深く考えなくとも良く分かる。
そして、彼女がなんて言ってくれるのかも、俺は知っていた。
「ウチは……信じてるんよ。μ’sはなくならへん。きっと……。だからウチは待つよ、皆が戻ってきてくれるのを」
そう言って、彼女は気丈に笑った。
疲れからか心労からか、陰りが見える目元を精一杯細めて笑顔を作り、ウチの心配は無用だよ、と小さく付け加える。桜色の唇がいつもより小さく、不安げに動いた。希ならきっと、俺が自分の演技を見抜いていることも分かっているはずだ。
それでも、彼女は表情を作る。
自分を押し込めて、笑う。
だとしたら、気付かないフリをするのが正解なのだろう。
この話は打ち切って、笑い話をしてあげるのが俺の役目なのかも知れない。少しでも落ち込んだ気分が晴れるように振る舞うのが古雪海菜という一人の友人のすべきことだと。
でも、俺には出来なかった。
悲しみや辛さを胸の奥に隠して笑う彼女がどうしようもなく儚く、辺りを渦巻く暗闇に消え入りそうに見えて……。俺は胸の中に生まれた、正体不明の不安感に似た感情に襲われる。
そして。俺は無意識のうちに彼女の手を握っていた。
白く、細く……そして小さな手。
希は驚いたように小さく体を揺らした。
「……どうしたの?古雪くん」
「!?……いや、そうだといいな!」
「……うん!」
俺は慌てて手を離して、誤魔化すように笑う。
そして、気付かれないように少しだけ体を寄せて……歩みを進めた。
四人の夢は……同じ。