――綺羅ツバサ。
俺は最近知り合った一人の女の子について深く考え込んでいた。別に恋煩いなどではなく、純粋に興味が湧くのだ。理由はいくつかある。彼女が紛れもない天才であるという事。そして、なぜか俺に付きまとってくること。
そして何より……。
穂乃果たちが越えねばならない存在であるという事。
俺は勉強をひと段落させてパソコンの電源を入れる。親父のおさがりであるせいか、妙に起動が遅い。イライラと立ち上がるのを待ちながら瞬きを繰り返した。
うぅ、さすがに眠たいな。
時計をちらりと見ると既に深夜二時を回っており、家の中で起きているのは恐らく俺一人だけだろう。
「……ん。メールが来てる」
疲れからか独り言を発しながらカチカチと操作をして、Eメールのページを開いた。差出人は『綺羅ツバサ』。定期的に届く彼女からのメールを開き、中身を確認する。いつものように軽口の並べられた文面。その最後に添付されていた一つの動画ファイル。
これを見て私たちのファンになりなさい、そんな、もはや会う度の口癖とかした台詞を思い出しながらそれをダブルクリックした。すぐに画面に彼女たち。A-RISEの姿が映し出される。
「……」
粗悪なスピーカーから流れる音。
旧型の液晶が映し出す映像。
しかし、それらを忘れさせるほどに彼女たちは……。
悔しいことに、俺はその動画に見入ってしまった。
いや、これが初めてではない。彼女から送られてきた幾つかの動画。俺はその全てに魅了され、その都度悔し紛れの憎まれ口を返信メールに載せて送っていた。なんとも思っていないような態度を装って、内心敬服にも値する思いを抱きながら。
事実、彼女たちのステージは素晴らしい。
アイドルに詳しくない俺でも分かる完成度、そして輝き。
はじめはμ’sの役に立つかと思い、敵の研究でもしようかと思っていたのだが残念ながら偉そうに研究など出来る相手ではなかった。ただただ、暴力的なまでの魅力に打ちのめされるだけ。
俺は静かに唇をかむ。
「勝てるのかな、本当に」
俺は、根拠のない言葉を紡ぐことは絶対にしない。
ツバサに対して言い放った『μ’sが必ず勝つ』という宣言は、俺の心からの言葉だ。
しかし。
確かな迷いが俺の中にあるのも事実だ。
勝つのは穂乃果達だ! と、声高に叫ぶことを憚られる。そんな感覚。言いようのない不安、焦り。俺はその原因をここ数日考え続けていたのだ。このままではいけない。そんな曖昧な、それでいて確かな警鐘が胸の中でけたたましく鳴り響く。
綺羅ツバサに、勝つ。
否。……天才に勝つ。
その意味を、俺は次第に正しく、冷静に理解しかけていた。
彼女は天才だ。
それはダンスの才能であり、歌の才能であり、そして笑顔の才能でもある。話術の才能でもあり、人心掌握の才能でもあり、異性・同性問わず惹きつける才能でもある。常人が一生かかっても辿りつけないであろう領域に足をかけ、そして将に登らんとする人間。それが彼女だ。
俺は経験で知っている。
絶対に、勝てない。
勉強でもそうだし、バスケでもそうだった。明らかに努力の量で勝っているハズなのに、完膚無きままに叩きのめされる。いや、違うな。天才と呼ばれる人種は努力を努力と思いもしないのだろう。俺たちが四肢をつき、這い上がるその関門を意に介することなく潜り抜ける。
俺は知っているのだ。
μ’sがA-RISEに遠く及ばないであろう事を。
勝てるはずがない。
たった半年ほど前に結成したようなぽっと出のグループが。
いざ思考を始めると、必ずその答えに行き着くのだ。
どれほど身内を贔屓目に見ようと、敵を見下して考えようと、俺は毎回同じ答えを出していた。穂乃果たち……いや、俺たちは勝てない。そんな確信さえ内包する回答。
しかし。
同時に、彼女たちの勝利を信じて疑わない俺がいた。
勝つのは穂乃果たちだと、自信をもって頷く俺がいる。
論理的な思考では測れない何かが俺の中にあって……。
「はぁ。一人で考えても仕方ないな」
一度、μ’sの皆と話してみよう。
そうすれば何かが見つかるかもしれない。
***
「えっと、海菜さん。話っていうのは?」
「アンタがこうやって改まって話をしたいだなんて、珍しいわね」
放課後。いつもの練習場所に集まって、いつものように練習を始めようとしていた九人に声をかけて少し俺に時間をくれないかと頼んでみる。彼女たちは不思議そうにこちらを見ながらも、顔を見合わせて頷き、俺の周りに集まって来てくれた。
「海菜、どうしたの? ……最近、何かに悩んでた事と関係あるのかしら」
「あぁ、相談が遅れてごめんな。どうしても俺一人じゃ解決できそうになくて」
「別に構わないわよ。あなたも……μ’sの一員なんだから」
「困ったときはお互い様にゃ!」
やはり、絵里には見抜かれていたらしい。
俺の性格をよく知る彼女だからこそ、俺が思い悩んでいることに気が付きつつもアクションをかけられるまで見守ってくれていたのだろう。内心で感謝しつつ、ストレートに彼女たちへと問いかけた。
「結局、君たちはラブライブについてどんな結論を出したの?」
実は、ラブライブの開催を知らせて以来その話を改めてはしていなかったのだ。雰囲気から察する感じ、予選に挑むのはおそらく間違いないのだが……大事なポイントが一つある。
「一応、エントリーはすることに決めましたが」
海未が、どうして今更そのような話を? と首を傾げながらも答えてくれた。その言葉に合わせて、周りのメンバーもさも当然のように頷いて見せる。
違うんだよ。
俺が聞きたいのはその決断自体ではなくて、どのような思いでその決断をしたのかという一点に尽きる。
俺はかぶりを振って再び口を開いた。
「それは知ってる。でも、この間伝えたでしょ? 君たちがラブライブに出場する為に必須の条件」
「A-RISEを予選で下す……やんな」
希は俺が言わんとしていることを理解したのか、少し視線を下に落とす。
しかし、ほかのメンバーはきょとんとしながら俺の顔を見つめていた。
ゆっくりと彼女たち一人一人と目を合わせる。
交錯する視線、行き交う感情。
俺は……俺にしては珍しくストレートな言葉を投げかけた。
「それについてはどう思ってるの? 君らは、A-RISEに勝てるか?」
彼女たちはこの事実をどう捉えているのだろう。
必ず越えねばならない壁があることを理解し、それを明確な意思でもって超えていく覚悟があるのか。それとも、記念に、挑戦だけでもしてみようという安易な発想のもとこうして集まって練習しているのか。
勿論、後者であろうと彼女たちを責めることは出来ない。
ひとまず一年は廃校を延期させることに成功した彼女たちだ。言ってしまえば、ラブライブに出場する明確な動機。『音ノ木坂学院の宣伝』という名目はほとんど無くなってしまっている。
だとすれば、ラブライブ予選突破にかける想いというのは必然的に軽くなってしまっているだろう。そのことをとやかく言うつもりはない。つもりはないが……その程度の動機で『シードを蹴ってまで、一から実力で再びトップを狙わんとする』A-RISEに勝利することなど夢の又夢。
だからこそ、俺はなぜ、いまだにμ’sの勝利を信じているのか。
そしてそれをツバサに向けて堂々と言い切ることが出来たのか。
その答えを探したいのだ。
「海菜……さん」
ことりが不安そうに俺の名を呼ぶ。
いつもと違う雰囲気に、少し気圧されたのか花陽が少しだけ後ずさりした。
ごめんな、別に怖がらせるつもりはないんだけど……でも、本気で彼女たちと関わりあうと決めた以上、生半可な事をするわけにはいかない。俺には聞かなきゃいけないこと、確かめなくてはいけない事がある。
「花陽。君はどう思う」
「わ、私……ですか? えっと……」
「……」
「えっと、その……」
勝てるのか、と聞かれて、勝てる! とすぐに返せるような子ではないことは百も承知だ。そして、そんな遠慮がちな部分も花陽の魅力の一つであると理解してる。しかし、俺は初めて彼女に向けて厳しい言葉を発した。
あやふやなまま前へ進めば、再び取り返しのつかないことが起こる。
もう、あんなのは御免だ。
「君は、A-RISEのファンだよね。君は、誰よりも彼女たちのすごさを知っているハズ。それでも勝てるって言えるの?」
「断言は……出来ないです」
「それは、勝つ意志がないのに挑戦するってこと?」
「ちょ、ちょっと! 古雪!」
慌ててにこが止めに入る。
が、以外にも花陽は取り乱すことなくまっすぐに俺の目を見つめていた。真意を一生懸命読み取ろうとするかのように、真摯に瞳の奥をのぞき込んでくる。彼女らしい優しげな眼差し。
「にこ、君もだよ。本気でA-RISEに勝てると思うのか?」
「う……それは」
にこは悔しそうに唇を噛みながらも、続く言葉が出ないのか俯いてしまう。
特に、彼女たち二人は憧れという感情をA-RISEに抱いているはずだ。
しかし、それは戦う前から超える決意をなくしているのと同義。スクールアイドルという同じ土俵に立ってしまった以上、俺たちは彼女たちと戦う覚悟を決めなくてはならない。憧れを捨て去り、もっと高みを目指そうとする意志が必要なのではないか。
そんな事を考えていた。
「古雪……さん」
「どうしたの? 真姫」
「……アナタ、らしくないです」
「そうかな」
「はい。いつものアナタなら、勝つことを信じて疑わない。宣戦布告までしたんでしょう?」
「宣戦布告、したからだよ。俺は、君たちが勝利する未来を……信じられなくなってるから」
「海菜」
絵里が少し非難の意図を込めた声色で俺の名を呼ぶ。
が、ここで止めるわけにはいかない。
もちろん、今の言葉は嘘っぱちだ。今でも俺は彼女たちの勝ちを疑っちゃいない。でも、その思いがただの盲信なのだとすれば、いたずらにお互いを傷つけるだけだ。根拠もなく焚き付け、いざ敗退するとなれば優しい彼女たちは責任を感じるだろう。考えなしに励ますのは、ただの罪。
「だって、そうだろう? 俺はA-RISEと直接会って、ライブを見て、思ったよ。天才たちが、そろって高校生活の二・三年を自身の向上へと時間を割き、今ある位置に上り詰めたんだって」
穂乃果たちは静かに俺の話を聞いてくれていた。
「でも、君たちは違う。あくまで、ラブライブは廃校を阻止するための手段に過ぎなかった。半年前から初めた才能の欠片もないただの一生懸命な女の子たち。そして天才を前にこんな弱音を吐くことしか出来ない凡人の俺が一つになって、今ここにいる」
呼吸をすることさえ忘れて言葉を紡ぐ。
みんなの前でこんなに長く話すのは初めてかもしれないな。
でも、傍観者気取りの俺はもういない。
ここにいるのは彼女たちの仲間、古雪海菜その人だけだ。
「ダンスでも勝てっこない。そりゃそうだろ、才能の差に加えて、練習の期間だって何倍も違う。歌でも勝てはしない。じゃあ、だとすれば、君たちはどうやってA-RISEに勝つの?」
沈黙。
夕焼け空にぽつんと浮かんだ雲がゆっくりと流れていく。
俺は静かに目の前にいるμ’sの面々を見渡した。
海未。彼女は真摯に俺の言葉を受け止めて、曇りのない迷いなき瞳をしていた。
ことり。不安そうな俺に向けて、優しい微笑みをくれる。
凛。にゃはっと、なぜか嬉しそうに笑っていた。
花陽。この子も凛同様、笑顔を浮かべている。
真姫。俺から視線を外す。まるで大した問題ではないとでも言うように。
にこ。彼女は隣の希と視線を合わせて、意味深な様子で笑いあった。
絵里。もしかしたら彼女は、俺がこういうことを言い出すであろうことを予想していたのかもしれないな。
「海菜。実はね、私たちだけで話をしていたの」
「話?」
「えぇ。穂乃果、話してあげて?」
「うん! 任せて!」
絵里にそう呼ばれ、今まで静かに俺の話を聞いていた穂乃果が前へと飛び出した。
そして、彼女の後ろに他の八人が綺麗に並ぶ。
穂乃果。彼女は吸い込まれるような笑顔を浮かべ、口を開いた。
「海菜さん! 私たち、一度あの後話し合ったんです。ラブライブに出るべきかどうか、出るとしたら何のために頑張るのかって。廃校はなんとか食い止められて、私たちが一緒にいる理由は全員で楽しく踊りたい。それだけになっていたんです。だったら、必ずしもラブライブに出る必要はないんじゃないのかって。えへへ、もしかしたら、私、またみんなに迷惑かけちゃうかもしれないし……」
「……」
「でも、海菜さんがA-RISEの方々に『μ’sが勝つ』って宣言してくれたって聞いて、嬉しかったんです! やっぱり、あの人はいつでも私たちを信じてくれてる、冗談やハッタリでそんな言葉をいうような人じゃない。本気で海菜さんは私たちがもっと上へ行けるんだって思ってくれてる! そう思いました」
「俺は……その根拠が分からなくなって。だから、今日みたいな……」
「はい、分かってますよ。私たちも、A-RISEに勝てる! なんて言葉を自分の口から言い出すことは、まだ出来ません。海菜さんが言ったように、ダンスも下手で、歌だって未熟で……でも、これだけは自信を持って言えます!」
俺は静かに、彼女たちの出した答えを待つ。
「私たちは、海菜さんの期待に応えたい!! ずっと、私たちのそばに居てくれたあなたの。あなたが言ってくれた『μ’sが勝つ』っていうその言葉! 他でもない、自分たちの為だけじゃなくて海菜さんの為にもラブライブに出たい。そう思ったんです! あなたが、自分の大切な目標と同じくらい大事にしてくれている私たちが、そうするだけの価値のあるグループなんだって。そう思って貰える位、立派なスクールアイドルになりたい!
だから!!!
見ていてください! 不安にさせてしまうかもしれません、馬鹿だなって呆れてしまうこともあるかもしれません。でも!! 私たちは!!!」
『ラブライブに出場して見せます!』
***
根拠があり、そして次に確信が来る。
それが自然の摂理であるし、論理的思考とはそういうものだ。
しかし、もしかしたらそうではない事もあるのかもしれない。
根拠なく生じる信頼感に応えようとしてくれた穂乃果たち。そんな想いが俺が彼女たちを信じるに足る理由を生み、確信へと変わる。
勝てるはずがない。ダンスで勝てず、歌で勝てないのなら一体何で超えればよいのか。
いくら考えても答えは出ない。
それでも、俺は彼女たちの勝利を疑わない。
そして、彼女たちはそんな俺の確信を疑わない。
危うくもあり、それでいて強固な絆。
あやふやなこの疑問の答えはいつか必ず出る時が来るだろう。
今はまだよくわからないけれど。この瞬間の俺が言える言葉はただ一つ。
みてろよ。勝つのは俺たちμ’sだ!!
根拠は……俺が信じて、そして信じられてる。
そのことだけだ。
少しもやっとする回かもですね。
まだ主人公も未熟故、答えが出ない段階にあるようです。