「μ’sの皆さん! お互い頑張りましょう。そして……私たちは負けません」
隣に座るツバサがいつにも増して強大なプレッシャーを纏い、その刃にも似た言葉を紡ぎ出した瞬間、私は思わずμ’sの面々から目を逸らしてしまいそうになった。彼女たちもバカではない。高坂さんを初めとして、他のメンバーもツバサの非凡さは個人差さえあれ、確かに理解しつつあるはずだ。
そんな彼女たちが初めて出会う天才。明確な敵意。
間違いなく彼女たちにその耐性は出来ていない。
やめろ、ツバサ。やり過ぎだ。
私は喉の手前まで出かかった言葉を押し込めた。
ツバサの向こうであんじゅもわずかに身じろぎをしたあたり、思うところもあったのだろう。が、何とかこらえて静かに成り行きを見守っている。
確かに、ツバサの今していることは褒められたことではない。
しかし、この程度の威圧で戦意を無くすようならば、残念ながら私たちが気にするほどの相手では無いという事だ。これから執り行われるのは勝者のみを選ぶ大会。スクールアイドル同士の愉快な交流などではなく、純粋な実力と実力をぶつけ合う戦い。
とすれば、格付けは既に始まっているのだ。
遠慮する理由など、無い。
「……」
案の定、μ’sの面々は視線を下へと落とした。
瞬間、気が遠くなるほどまでに膨れ上がっていたツバサのオーラが冷たく、収縮していく。なんだ、この程度か。残念だけど、戦うに値しない。そんな心の声が伝わってくる。
彼女は私たちが止める間もなく静かに立ち上がって、カフェスペースから立ち去ろうとした。
凍る空気、遠く聞こえる校内の喧騒。
彼女ほどではないにせよ、私、統堂英玲奈も少なからず落胆していた。
古雪君から聞いていた彼女たちはもっと。
自信満々に宣戦布告して来たという一人の男の子の事を思い出す。
……そういえば彼は?
私はそっと傍に腰を下ろしていた彼に目を向けた。
笑っている?
一気に様々な疑問が頭の中を駆け巡る。
しかし、彼は確かに笑っていた。
何か、私たちには見えていない未来が見えているかのような、そんな微笑み。私がその疑問を口に出そうとした、その瞬間。高坂穂乃果が立ち上がった。
「待ってください!!」
ツバサが、その足をぴたりと止める。
「A-RISEの皆さん! ……私たちも負けません」
言い切った。
体中に電流が走ったかのような衝撃が走る。
髪の毛が総毛立ちそうなほどに、感情を揺さぶられた。
それは、急速にプレッシャーを元の、いや、先ほど以上に撒き散らし始めたツバサの所為か。それとも今この時、ツバサにさえ比肩しうる才能の片鱗を見せつけた高坂穂乃果の所為か。少なくとも私には判別がつかない。
だが、素直に予選が楽しみだと、そう感じることが出来た。
古雪海菜という人間をして、A-RISEを超えると言わしめる存在。μ’s。
高坂穂乃果というリーダーに引っ張られながらも、その足で自ら立ち上がり、私たちを真っ直ぐに見つめる他のメンバー達を見れば、なんとなくその理由が分かったような気がする。
ちらりと、古雪君の表情を伺うとなんとも嬉しそうな顔で頷いていた。
彼は信じていたのだ。彼女たちが立ち上がるであろうことを。
確かな信頼と、それに応えて見せたμ’sの面々。なんて素晴らしい関係なのだと、他人ごとながら感心してしまった。それはきっと私たちには無いものだったから。
勿論、そのような事を嘆く事など絶対にありえないが。
「ふふっ。……あははっ」
何とも嬉しそうにツバサが笑う。
「貴女って面白いわね!」
彼女は真っ直ぐに高坂さんの方へと体を向けた。
才あるものへ行う彼女なりの分かり辛い敬意の示し方。
初めて彼女が出会う、好敵手と呼べる相手。
この出会いが、確かにツバサを動かした。
そして、私もあんじゅも予想していなかった提案をして見せる。
「ねぇ! もし、歌う場所が決まっていないなら、うちの学校でライブやらない?」
『えぇ!?』
「屋上にライブステージを作る予定なの。良ければ是非! 一日、考えてみて?」
また勝手なことを……。少し非難の気持ちを込めた目でツバサを見つめるが、案の定気にしてなどいなかった。別に私たちにデメリットはほとんどないので構わないが、それぞれのグループが色々と模索しながら作っていくはずのステージに、私たちが口出しするのはあまり好ましいことではない。
まぁ、……彼女にしては珍しく強引に誘ってはいないので、一つの選択肢としては悪くないだろうが。
一日考えて、最良の答えを出してくれれば……。
そんなことを考えていると、高坂穂乃果さんが何とも嬉しそうな顔で頷いた。
「やります!!」
早すぎる決断。
何も考えていないのか、それともきちんと考を巡らせたのか。私には判断がつかない。
えぇ!?
そんなμ’sのメンバー達の戸惑いの声が上がる。
しかしそれは呆れというよりかは、やっぱりか、というような、ある種内心では予想していた結果に対するリアクションに見える。だからこそ、彼女たちにはさほど高坂さんの下した結論に対する抵抗感はない。
だが。
「ちょっと待て!!」
身の竦むような、鋭い叱責が飛んだ。
その声の出所は……。
先ほどまで沈黙を貫いていた古雪海菜、その人だった。
***
この話し合いの場における、一番の目的は私たちA-RISEとμ’sの邂逅だ。そんな意思がはっきりと伝わって来るくらい、今の今まで静かに事の成り行きを見守っていたハズの彼が、急に声を荒げたのだ。驚かないはずがない。
私たちはもちろん、高坂さんたちも慌てた様子で、立ち上がった古雪君を見た。
いや、一人だけ驚かなかった人間がいる。
「へぇ。あなたは止めるのね、カイナ」
「……あぁ」
綺羅ツバサだけは冷静に古雪君の視線を受け止めていた。
「意外だわ。てっきり大賛成かと思っていたけど」
「……俺は、反対だ」
「……ふぅん」
視線だけのやり取りが、ツバサと古雪君との間で交わされる。
残念ながら、私には何一つ理解できなかった。ツバサが『カイナはμ’sがA-RISEとステージを共にすることに賛成する』と踏んでいた理由。そして、古雪君がそれに対して反対した理由。
「か、海菜さん?」
「穂乃果。ごめんな、急に大声出して」
「いえ。それは良いですけど、どうして……」
「……それは」
何故か、そんな高坂さんの問いかけに対して古雪君は言葉を濁した。
ここでは言い辛い事なのだろうか? なにか私たちに聞かれてはならないことだったり……。
「海菜。説明してくれないと分からないわ。確かにA-RISEの皆さんからの提案には驚いたけれど、私は前向きに検討しても良いと思うの」
「そう、ですね。私も絵里の意見に賛成です。話題性や、配信の失敗などのリスクを考えてもそれほど悪い申し出だとは思いません」
絢瀬さんと園田さんが自身の意見を述べ、それを聞いた他のメンバーも軽く頷いた。
確かに、彼女たちの言うことはもっともだ。
実際私たちにμ’sを陥れようとしているなどという裏があるわけではない。純粋にツバサは彼女たちと同じステージに立ちたいのだろう。それは私も同意しているし、あんじゅも同じ。お互いに良い刺激にもなるし身も引き締まる。
別に悪いことなど無いのではないか。
しかし、古雪君は渋面を崩さない。
「それは、そうだけど……」
同時に、その訳を話そうともしなかった。
言葉にできない、というよりは言葉に直して告げるのを躊躇っているかのようなそんな印象。彼がこの一瞬の間に何を考え、どのような結論に行き着いたのか。私はそれが凄く気になった。
そっとツバサの様子を伺うと、じっと古雪君の瞳を見つめている。
彼女の珍しい表情。
理解出来ないとでもいいたげな、訝しげな顔。
天才故、他者の心理を酷く簡単に掴み続けてきたツバサが唯一、その眉間に皺を刻む男の子。
たっぷり五分ほど沈黙の時間が続いただろうか。
彼女ははっとした表情で口を噤んだ。
何かに気が付いたような気配。古雪君はツバサから目を逸らした。
「カイナ。あなたはもしかして」
「……」
「そう。……やっと、古雪海菜という人間の事を理解できた気がするわ」
「……っ!」
ツバサは心からの笑顔を見せる。
度々零していた『古雪海菜』に対する疑問。
どうやら、彼女の中で答えが出たらしい。
「カイナ、私の口から説明しても良いかしら?」
「自分の予想に疑いすら無いんだな」
「えぇ。だって、正解している自信があるもの」
「……そか。なら代弁してみろよ」
少しだけ挑戦的な目でツバサを見つめる。
彼の表情に若干の苛立ちと戸惑いが浮かんだ。普段からあまりそのような負の感情を表に出したがらない、彼にしては珍しい。それだけ、今の彼に余裕がないのだろう。思わず声を荒げてしまい、そのフォローが未だ自ら行えていない現状をよく思っていないに違いない。
ツバサは軽く彼の視線をいなし、話し始めた。
「彼が止めた理由。それを、あなた達は知りたいのよね?」
「……はい」
高坂さんたちは心配そうに古雪君の方を伺いながらも、ツバサへと顔を向けた。
「カイナはあなた達の事を心配してるのよ」
「心配……ですか?」
「えぇ。同じステージで演技を行う。その意味を、彼は誰よりも重く受け止めてるの。でしょう?」
「あぁ。……あんまり口に出したくはなかったんだけど」
どうやら見事に当てられてしまったらしい。彼は諦めたようにため息をつくと、敵に代弁されるくらいなら、と自ら語り始める。
「勘違いしてほしくないのは、俺は君たちが最終的にはA-RISEに勝つって事に対しては何一つ疑っていないっていう事。でも、あくまでそれは最終的にっていう意味で……」
「にこ達に対して今更遠慮することないでしょ。むしろ隠される方がムカつくわよ。ハッキリ言いなさい」
「それじゃ。遠慮なく……。俺は、客観的に見てまだ君らがツバサ達に勝てるとは思ってない」
バッサリと切り捨てた。
流石にそこまで言われるとは思っていなかったのか、μ’sのメンバー達も顔を強張らせる。
「俺たちが優先すべきことは、まず予選を突破してこいつらを射程圏内に入れること。そして、十二月の最終予選で叩き潰す。そういう道順を辿らなくてはいけないって思ってる。一気にすべてをやってしまおうなんて烏滸がましいし不可能だから」
冷静にそう言い切った。
……やはり、頭が切れる人間だ。
まったくもって、その通りだと言わざるを得ない。残念ながら私たちも現在のμ’sの面々に負けるつもりは全くない。勿論リーダーの才能と、彼女の陰に埋もれていないメンバー達の実力を軽んじているわけではないが……。
しかし。私たちにも積み上げてきたものがある。
少なくとも現段階の彼女たちがあと二週間で私たちを超えることはあり得ない。
もっというと、十二月の最終予選でも追いつかれることなど考え辛いが……。
「例えそうだとしても、彼女たちとステージを共にすることは私たちにとって、プラスになるんじゃないかしら?」
「……あぁ。その通りだと思う」
「じゃあ、なんで?」
「……」
再び古雪君は黙り込んでしまった。
幼馴染であるらしい絢瀬さんの言葉。
彼女の言葉に間違いはない。
勝てなくとも、同じステージを経験することで得られる何かもある筈なのだ。そのことが分からない彼ではない。だが、それでも古雪君は何かと葛藤する様相を見せた。
一体何が彼をこうまで渋らせるのか。
その答えを……。
「もし仮に、カイナがあなた達の立場なら、必ずこの話を受けていたでしょうね」
「それは、どういう……?」
ツバサが代わりに告げる。
だが、絢瀬さんの質問には答える気が無いのだろう。彼女はμ'sのメンバーには目もくれず、真っ直ぐに古雪君を見つめた。
「私がカイナに興味を持った理由。それは貴方という人間が理解できなかったから。こんな経験は初めてで……カイナは私の出会い、分類してきた人たちの誰とも似ていなかったわ」
そういえば、その話はずっとしていたな。
才能の有無や、明らかにツバサとは一線を画した価値基準、行動原理。
彼女は何度もこう零していた。
カイナには他を圧倒するほどの暴力的な才能はない。でも、私と同じレベルで回りを見ている。目の前の人間の価値や才能、自身に及ぼす影響。いろんな要素を平等に思考に入れ、正しく判断することが出来ていて……。
しかし、導き出す答えはいつも違っている、と。
「今回だって私には最初、なぜ私の提案を断ったのか理解が出来なかった。だって、カイナは全てのデメリットを鑑みた上で『共に予選を行う』決断をすると思ったから。間違ってないでしょう?」
「あぁ。そうだな」
「でも、貴方は高坂さんを止めた」
「……」
彼女はそう話を続けながら古雪君のもとへと歩みを進める。
「カイナや私みたいな人間は、誰よりも自分に対してストイックになれる。貴方が勉強をしている姿を見て確信したわ。なるほど、カイナはやっぱり私に近い人間なんだって。だとすれば、『敵に圧倒的な才能を見せつけられる可能性』『大敗を期す可能性』『より直接的にA-RISEと比較される可能性』そういったリスクを賭してでも、自身が成長できる道を選ぶはず」
そこまで言われてやっと高坂さんたち、そして私とあんじゅがはっと気が付いた。ライブ場所を同じくして予選に挑むことの意味。私たちは分かっていなかったのだ。話は勝ったか負けたか、その二つにのみ収束するものではない。
勝った時のリスクはほとんどないだろう。
つまり、勝つはずの私たち側のデメリットはほとんどない。
しかし、負けた際のリスクは果てしなく大きくなる……可能性が無視できないのだ。
同じ土俵に立ってから、初めて出会う圧倒的な才能。彼女たちはまだ憧れという色眼鏡を通してしか、ツバサを見てはいなかっただろう。そのレンズを外した時、ツバサの放つ桁違いの光量を受け止められるのか。
仮に圧倒的大差で負けた場合、μ’sのメンバーがどうその事実を受け止めるのか。
問題はそれだけに留まらない。同じライブ会場でライブを行い、雌雄を決することを互いのファンはどう評するのか。
決して、無視して良い案件ではない。
μ’sの面々を大切に思う古雪君からしたら尚更重要事項なのだろう。
「でも、海菜はそのリスクを高坂さんたちに押し付けることは出来なかった」
「……あぁ」
「古雪くんらしいね」
「ごめん。でも、信じきれなかったっていう意味じゃなく!」
「うん。分かってるから」
古雪君が申し訳なさそうに視線を伏せ、東條さんが儚げに笑う。
そう。本当に高坂さんたちを信じられなかったから、リスクを背負ってでも成長できる道を選べ、と言えなかった訳ではないのだろう。
それはきっと、古雪君の優しさ。
彼女たちを思うが故の躊躇い。
ツバサは無言のまま歩みを進め、中途半端に立ち上がっていた彼をソファへと押し倒した。そしてそのまま、ずぃ、と顔を近づける。古雪君は戸惑いの表情を浮かべながら、彼女の接近にたじろいで背中を背もたれへとぴたりとつけた。
「カイナの気持ちは想像できる。でも、私なら今の貴方のような判断はしない。いや、違うわね。その発想すら浮かばなかったわ」
鼻先がくっつきそうなほどの至近距離で見つめ合う二人。
未だにツバサの意図は読めない。
「何が言いたい?」
「さっきまで、カイナは私と同じレベルで回りを見ているって思っていたの。でも、それは間違い」
「……」
「すぐさま、カイナはμ’sの心配をした。それは貴方の優しさであると同時に、弱さ、才能のなさでもあるのよ」
貴方には才能がない。
その冷酷とも言える宣言に彼の纏う雰囲気が一変した。
古雪君は眉間に皺を寄せ、眼前の天才を睨み付ける。
しかし、ツバサは躊躇いなく言葉を続けた。
「そう、いわば持たざる者の考え」
彼の瞳の中に燃え盛る炎が灯るのが目に入る。
初めて見る古雪君の純粋な怒り。
「自身がそうであるからこそ、他人の心配をしてしまうのよ。優しさとは、弱さ。持たざる者が、同様に挫折しうる可能性を持つ他者に情を抱いてしまう。そんな、くだらない思考」
「ツバサっ!!」
こらえきれなくなったのか、彼が再び鋭い声を上げた。
今にもツバサに掴み掛らんかと思われたその時。
彼女が誰も予想しなかった行動に出る。
彼女は、背もたれへと両手をまっすぐに伸ばして体を支え、古雪君に覆いかぶさるような。そんな姿勢を維持していた。が、ツバサは何の前触れもなくその白くて細い腕を彼の肩にかける。
そして……。
彼の体を抱きしめた。
「でも、だからこそ魅力的なんだって、やっと分かったわ」
「……っ!?」
古雪君の瞳の色が、憤怒のそれから戸惑いへと変わる。
「才能のなさを悲しいほどにはっきりと自覚していながらも自分の可能性を固く信じて高みを目指すことをやめない。それと同時に、才能を持たず生まれたが故、他人に対しては優しさを捨てきれない。そんな不器用さが愛おしい。……なーんてっ!」
呆ける古雪君の体をそっと離すと、彼女は立ち上がった。
「話を戻すけど、彼が止めた理由はそこにあるの。それも踏まえて、また返事を頂戴」
そう言い切ると、何事もなかったかのように笑顔を浮かべた。
そして、何の躊躇いもなくすたすたとカフェスペースを後にする。私とあんじゅは慌ててその背中を追いかけた。
また一つ。
今ある日常を脅かしうる火種が生まれてしまったらしい。
そんな気がして……私は小さくため息をついた。