ゆっくりと、幕が開いた。
無音という音すら聞こえないほどの静けさが講堂を支配する。
何も知らぬまま期待と緊張に胸を膨らませた3人は手をつないでステージに登場し、一斉に顔を上げた。
その顔に浮かぶのは戸惑うような曖昧な笑み、そして状況を正しく理解してしまったあとの寂しげな表情。今、彼女たちは何を考えているのだろう。当事者でない俺には想像することくらいしかできない。
涙ぐみそうになり唇を噛みしめる彼女たちをみると怒りにも似た激しい感傷が鋭く胸をよぎった。
「穂乃果ちゃん……」
「穂乃果」
ことりと海未が哀しそうに穂乃果を見る。
「そりゃ、そうだ……!」
泣くまいと唇をゆがめ、歯を食いしばりながら穂乃果は言葉を絞り出す。偉そうに見守るなんて言ったけど、3人の悲痛な面持ちを見るだけで胸が痛くて仕方がない。
知らず知らずのうちに、こぶしを爪が手の平に食い込むほど強く握りこんでしまっていた。もし仮に、俺が傍観者気取りで達観したりせず、少しでも彼女たちの手伝いをしてやっていればこんな悲劇が起こらなくて済んだのだろうか。
「海菜。アナタが責任を感じるのはお門違いよ。わかってるでしょ」
内心を見透かしたように絵里に釘をさされる。
「言われなくてもわかってるよ……」
すると、希がそっと囁くように背中を叩きながら慰めてくれた。
「古雪くんの気持ち、分かるよ?私も同じやから。でも、私たちは間違ったことをしてきたわけやないと思う。……これは、穂乃果ちゃんたちに与えられた試練かもしれへんな」
試練か。たしかにそうかもしれない。彼女たちが叶えようとしている夢、つまり廃校の阻止は不可能といっても差支えないほどの高い壁だ。きっと達成までの道のりは想像も出来ないくらい険しいものに違いない。
俺に出来ることは、どうか負けないでくれと願うことだけ。それしかできない。
穂乃果は目に涙を浮かべながら半ば叫ぶように続きの言葉を紡ぐ。
「そりゃそうだ。……世の中、そんなに、甘くない!」
再び訪れる静寂
3人が耐え切れず、泣き出すかに思えたその時
一人の少女が現れた。
「はぁはぁ……。あれ?……ライブは?」
世の中は確かに穂乃果の言ったように甘くないものなのかもしれない
でも同時に
世の中捨てたものじゃないみたいだ。
***
息を切らせながら講堂内に駆け込んできた少女。大事そうに抱えたチラシを何度も確認しながら戸惑いの声を上げている。あの子は確かさっき会った……えっと誰だっけ?
「花陽ちゃん……」
穂乃果たちは、あっけにとられた様子で「あれ?あれ?」と呟きながら観客席を歩く花陽を見つめる。全く、なに呆けた顔してんだ。仮にもスクールアイドルだろうに。
君らのライブを見に来たんだろう。こら、笑え笑え!!
暗い影を落としていた瞳に、かすかな光が宿る。
……悔しいことに、希の占いは見事に的中したらしい。
彼女たちの努力はこれできっと報われる。たった一人の観客であったとしても。
あーよかったー!ほんとによかった。やっぱり心の底から頑張った子が報われなくて泣いてしまう様を見るなんて辛すぎるから。目もくらむような安堵感が身内に広がり、大きくため息をつく。
希はそんな俺の様子を見てくすりと笑い、絵里は顔色を変えず、じっと穂乃果達の様子をみつめていた。
「やろう!!」
穂乃果は目に溜まった涙をぬぐい、再び顔をあげ、凛とした声で二人に呼びかける。見開いた瞳から烈々たる気迫が光のように放射した。
「歌おう、全力で!だってそのために今日まで頑張って来たんだから!!」
その声に鼓舞され、ことりと海未も覚悟をきめた表情に変わる。
「穂乃果ちゃん……。海未ちゃん!」
「えぇ!」
「歌おう!」
♪♪♪
力強く響く歌声
きっとそれはマイクやスピーカーのお蔭ではないだろう。
見るものを魅了するダンス
決して顔が可愛いから、衣装が可憐だからという理由だけではない。
彼女達がこの一か月、一生懸命努力したその結果が余すところなくステージに現れていた。素直にすごい。よくここまで自分たちの力だけでやってきたと思う。
居てもたってもいられず、管理室のドアを開け観客席に戻った。画面越しに見るなんてもったいないことは出来ないしな。それに【μ’s】は自分たちの答えを出した。もう離れたところから見ている必要もない。
「頑張れ、3人とも」
そう小さく呟きステージから一番遠い入口あたりに立って、彼女たちのライブを見る。穂乃果がことりが、そして海未がほんの一瞬こちらを向いた……ような気がした。
声援を送るのは流石に恥ずかしいので、手でも振ってやろうと思ったその時、小さな影が目の前を横切って花陽のところまで駆け抜けていった。えっとあの子は……凛だったっけか。花陽を呼びに来たのだろうか、早く行こうとでも言うように彼女の袖を引っ張る。しかしライブに夢中な花陽はそれに気が付かないようだ。
ほんとに集中して見てるなー、穂乃果達も踊りがいがあるってものだ。
凛は親友の視線を追い、ステージ上で歌い踊る【μ’s】に気付いた。はじめは怪訝な顔で3人を見つめていた彼女だが、次第に顔をわずかに紅潮させ、やがて目をキラキラと輝かせ始める。彼女なりになにか感じるものがあっただろう。
その目に浮かぶのは興味、関心。そして……羨望か?髪の毛も短いし活発な子だったのでそれほどアイドルなどに興味はないだろうと思ったけど……。意外に憧れを持っているのかもしれない。
希は観客席に降りてきてないし、これで観客は俺を含めて3人目。
そういえば、曲を作ってくれたハズの真姫が来てないじゃん。
ふとそのことに気づき、辺りを見渡す。すると、椅子の陰に隠れるようにしてステージを睨み付ける、見覚えあるツインテールが目に入った。
「何やってんだアイツ……」
毎度毎度妙なタイミングでにこと会うよな。尚かつ高確率でアイツが妙な事をしていることが多い。用事があるとか言ってたけどコレの事かな?別に隠れてみる必要もないと思うんだが。
……ま、いいや。絡むだけ無駄だし放っておこう。
にしても、ホントに真姫は来てないのかな?
どうだろう。一度しか会っていないが、それだけで分かるくらい素直じゃなさそうな性格していたしなぁ。案外講堂の外で聞いたり覗いてたりするんじゃなかろうか。
安易な予測をたて、入口からそっと顔を出してあたりを覗こうとした途端。
こつん
「きゃっ」
額に軽い衝撃が走った。
ジーンと響く痛みと共に、花や果実のようなみずみずしい香りが鼻腔をくすぐって逃げていく。
くっそ、誰だよぶつかってきやがったのは……などと思い顔を上げると、目と鼻の先に件の美少女、西木野真姫の顔があった。もう少し近ければ唇と唇が触れてしまいそうな距離。
え?なにこれ、どういう状況?
お互いに何が起こったのか分からず、一瞬フリーズした。
直後。
「―――――!」
目の前にいるのが男だと気付いた真姫に、声にならない悲鳴とセットで全力のビンタをもらってしまった。いっっってえええぇ!!なにしやがる!
「な、なんでアンタがここにいるのよ!」
「いっつつ……何って、色々あるんだよ」
「はぁ?」
混乱しているのか顔を真っ赤に染めてこちらを睨み付けてくる真姫。いやいや、そんなことよりなんでこの子俺に対してタメ口なの?先輩やぞ。
説教したいことも色々あるが今はもっとやるべきことがあることを思い出した。
「ほら、外に居ないで入ってこい。見に来たんだろ?ライブ」
「な、そんなわけないじゃない。偶然通りかかっただけなんだから……」
「御託はいいからさっさと入れ、ばか」
人差し指でくるくると毛先をもてあそびながら、心にもないことを言う真姫の首根っこをひっつかむ。視線が泳いでるしバレバレの嘘にもほどがあるだろ。
そのまま、ハナシナサイヨーなどと往生際悪くあばれるツンデレ娘を講堂に半ば強引に投げ込んだ。うん、ビンタの借り返せたしちょっとスッキリ。真姫は恨みがましい目線をこちらに投げかけつつもやがて穂乃果達の姿に釘付けになっていた。
全く、素直じゃない奴。
俺もステージに視線を戻し、彼女達【μ’s】のファーストライブをこの目に収める。
一時はどうなることかと思ったけどな。穂乃果達を支えてくれる子や、彼女たちの熱意を理解できる子がいることを確認できたし、当初の目標は達成。絵里にも会うことが出来た。もっとも彼女に関しては少し問題は残っているが……。
ま、それについてはまた後日二人で話せばいい。
今日はライブも見事だったし、来て……本当に良かった。
***
曲の終わりとともに鳴り響く拍手。
人数が少ないせいかその音は、大きな講堂にむなしく溶けてゆく。それでも俺たちは、精一杯の賛辞をこの両腕に乗せて彼女たちに送っていた。
穂乃果達は肩で息をしながらも、達成感からか晴れやかな充足した表情を浮かべている。
が、しかし。
コツ……コツ……
「生徒会長……」
いわば宿敵の登場に、わずかに穂乃果の顔がこわばってしまう。
ちいさな規則的な足音が耳に届き、その足音の主、絵里は冷ややかに言い放った。
「これからどうするつもり?」
最初から最後までこの子達のライブを見ておいて、わざわざ確認する必要もないと思うけどなぁ。しかし、たった数人しか人を集められなかったという散々な結果で終わってしまたのは事実。そこを責められるのは仕方のないことだとは思う。
穂乃果は臆せず絵里と見つめあい、たしかな決意を滲ませながら言い切った
「続けます!」
「なぜ?これ以上続けても意味があるとは思えないけど」
絵里は空席ばかりが目立つ講堂を見渡し彼女らの活動の意義を問う。
穂乃果が返したのは何よりもシンプルな答え。
それでいて聞く人の胸をうつまっすぐな言葉だった。
「やりたいからです!
私、もっともっと歌いたい。そして踊りたいって思ってます。きっと海未ちゃんも、ことりちゃんも」
お互い見つめあい、うなずき合う3人。
「こんな気持ち、初めてなんです!やってよかったって、本気で思えたんです!
……今はこの気持ちを信じたい。このまま誰にも見向きもされないかもしれない。応援なんて全然もらえないかもしれない。でも!」
こぶしをぎゅっと握りしめ、あふれんばかりの熱い想いを言葉にのせた。
今思えばこの言葉に、俺は心打たれてしまったのかもしれない
「一生懸命頑張って、届けたい!私たちが今ここにいる、ここで感じてる想いを!いつか、いつか私たち、必ず!!
必ずここを満員にして見せます!!!!」