ラブライブ! ~黒一点~   作:フチタカ

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第十二話 自覚

 

 ことりは、指先一つ動かせずにいました。

 ただただ立ち尽くし、目の前の光景を見つめます。

 

 握りしめた手の感覚は無く、そして、自分が立っているのかそれとも宙に浮いているのわからない。そんな不安定な状態。でも、ことりはまっすくに前だけを見つめていました。

 

 そこには女の人の影、何故かその姿は暗く顔が分からない。でも、確かな魅力……ことりが到底叶わない美しさや女の子らしさを湛えていることだけは伝わってきます。

 《彼女》は、そっと《彼》に近づいていきました。

 

 

――海菜さん!!

 

 声にならない。なんで? どうして?

 心の中で泣き叫びます。

 

 そして、ことりの目の前で口づけを交わす海菜さんと、《彼女》。

 

――嫌だ。

 

 嫌だ。

 

――嫌だ。

 

 自分でも信じられないほどの不快感が体を覆って、包み込みました。ことりが、ことりじゃなくなっていくような、そんな感覚。ことりだって。ことりだって、海菜さんと……っ!

 迸るような、そんな想い。

 

 くるり。 

 

 と、《彼女》が振り返ります。

 

『希……ちゃん?』

 

 やっと認識できた《彼女》の顔。

 それは、見慣れた、大好きな先輩の顔。

 

 しかし、その姿が急にぐにゃり、と歪みます

 

『……絵里ちゃん』

 

 今度は、同じくらい大事な、しっかり者のお姉さんの姿。

 

 なんで、どうして?

 二人の事、大好きなのに。

 

 どうして、こんなにもモヤモヤするの?

 

 かつん、かつんと絵里ちゃんがこちらへ歩いてきます。

 聞き覚えのあるヒールの音。

 これは、絵里ちゃんじゃない。

 この人は……。

 

 

『カイナは、私のモノよ』

 

 

 目と鼻の先までやってきて、容赦なく告げられます。

 

――綺羅、ツバサさん。

 

 A-RISEのリーダー。ことりたちのライバル。

 ツバサさんは滑るようにことりの元へとやってきました。

 

『い、嫌です』

『カイナを取られることが? どうして? 貴女には関係ないでしょう』

『い、嫌です!』

『なんて勝手な言い分。東條さんや絢瀬さんが言うならまだしも。貴女に嫌がる権利はあるのかしら』

『い、嫌です!!』

 

 必死に答えました。紡ぐことが出来る、唯一の単語を必死に連呼します。

 空しく響く、ことりの拒絶の言葉。

 

 いつの間にか、ことりは何十人ものツバサさんに囲まれていました。彼女たちは口々にことりを詰り、非難し、嘲ります。

 幾本もの人差し指がことりを指し、揺れる。

 そして、耳元で囁かれる言葉。

 

 

 

『貴女は黙って、指を咥えて見ていなさい。カイナが他の女の子に取られていく様をね?』

 

 

 

 

――もう、我慢できないっ!

 

 

 

「嫌っ!!」

 

 

 

 覚醒。

 

 飛び起きました。

 ことりは額に大粒の汗をかきながらベットから上半身だけを起こして、しばし虚空を見つめます。

 辺りに広がるのは見慣れた自分の部屋の景色。穂乃果ちゃんの家の様に漫画や遊び道具は無いけれど、お気に入りのミシンや二人からもらったクッションが置かれたお気に入りの場所。

 

「夢、だったのかな」

 

 小さく呟いて、再び体を横たえます。

 ちらりと時計を見ると時刻は朝の六時。

 

 起きる直前の浅い眠りの時に夢を見るというのは本当のようだ。

 

 でも、内容が問題で……。

 

「海菜さん……」

 

 小さく呟きます。

 僅かに上がる体温。

 少し前から感じていた自分の変化。

 

 ことりは静かに目を閉じます。

 今でも思い出す、空港まで来てくれた海菜さんの姿。

 

――凄く、嬉しかったんです。

 

 お母さんに、誰か一人には伝えなさいと言われた出発の時刻。

 彼を選んだ理由は分からない。

 

 海菜さんは忙しいし、でも真面目な人だから他のメンバーにはうまく伝えてくれるだろう。そんな打算的な考えもあったと思う。それだけ、あの時のことりはスクールアイドルへの想いを振り切るのに必死だったから。

 

 でも、海菜さんは来てくれた。

 一生懸命ことりと向き合おうと、心からの言葉をくれた。

 そして、穂乃果ちゃんを呼んできてくれた。

 

 

 

 あの日から、ことりの中の何かが変わりました。

 

 

 

 もっと、海菜さんの事が知りたい。

 もっと、海菜さんと話したい。

 もっと、海菜さんに見て欲しい。

 

 子供みたいなそんな感覚。

 でも、彼と話をしているときのことりは本当に幸せで、そんな瞬間に心から満足していました。

 

 それなのに……。

 

「うぅ~」

 

 布団の中で一人、小さく唸ります。

 繰り返す、昨日の記憶。

 

 ライブの後、聞かされたツバサさんの想いと、海菜さんへのキス。

 

 あの光景を見てから、妙に心がざわついて収まりません。

 興味本位で海菜さんにじゃれつく穂乃果ちゃんや凛ちゃんと一緒になって騒いでいても全然楽しくなくて、いつもは勝手に浮かんでくる笑顔を無理やりに作って貼り付けていました。

 挙句の果てには変な夢まで見ちゃうし……。

 

 なんなのだろう、この気持ちは。

 

「……」

 

 少しだけ考えます。

 

――恋、なのかな。

 

 意外にも、すぐに答えは出てきました。

 

 目だけを布団から出して、天井とにらめっこ。

 うーん。でも、ことりには恋した経験がないし。

 ふと浮かぶ、親友の姿。

 当然の様に穂乃果ちゃんと海未ちゃんにもそんな経験はないと思います。

 

 海菜さんの事を考えるだけで、幸せだったこの数か月。

 

 でも、昨日から彼の事を考えるとモヤモヤします。

 

 

「恋、なんだろうな」

 

 

 だって、そうとしか考えられないから。

 幸せで、それでいて嫉妬しちゃって。そんなの一つしか答えはありません。

 

 ことりは穂乃果ちゃんや海未ちゃんよりもちょっとだけ大人でした。

 

 少し大人向けの少女漫画だって読むし、恋愛映画だって二人と違って最後まで見ます。男の人と女の人の……、う~。ちょっとえっちな関係だって、知識だけですけど、学校の他のお友達のせいで知っちゃいました。

 まだ、海菜さんとそういう関係になりたいと思うわけではないですけど……。

 

 でも。

 

 きっと、抱きしめてもらえたら。

 好きだって言ってもらえたら。

 唇に振れてもらえたら――嬉しいんだろうな。

 

 そう、素直に思います。

 

 

 

 だとしたら!!!

 

 

 

 唐突に得体のしれない焦燥感がことりを襲いました。

 

――このままだと、ツバサさんに海菜さんがとられちゃう!

 

 ことりは、慌てて飛び起きてスマホの電源を入れました。

 ことりが寝た後も続いていたグループチャットを確かめる暇もなく、海菜さんへの個人的なメッセージを飛ばそうと両手で画面を操作します。ことりは意外に積極的なのかも……。そんなふうに、自己認識を改めながら文面を考えます。

 

 えっとえっと、メッセージを送るとは言ったものの、どうすれば良いんだろう?

 ツバサさんに取られないためには私は何をすべきなんだろう?

 

 あの後、皆で追及したところ、今のところ彼女と付き合っているわけでは無かったみたいだし、海菜さんも喜びというよりは戸惑いと驚きが大きかったみたいで終始柄にもなく挙動不審になっていた気がします。

 海菜さんのそんな様子を見て、皆も大人しく引き下がってたから。

 もちろん、ライブ後だったから疲れてたのも理由の一つだろうけど。

 

「うーん。こんな時、どうすれば良いのか分かんないよ~」

 

 一度は持ったスマホを置いてぱたぱたと小さく暴れます。

 こんな時、相談できる人がいれば良いんだけど……。

 

 幼馴染二人は当然この手の話の相談相手にはならないし、学校のお友達に言ってしまえばすぐに噂が広がりそうです。一年生の皆はあんまりこういう事には詳しくないだろうし……。

 

「三年生の皆に相談しようかなぁ」

 

 うん。きっとそれが良い。

 じゃあ、誰が?

 

 私は少し考え込みます。

 

 絵里ちゃんはどうだろう? いつも困ったら相談に乗ってくれる頼れるお姉さんみたいな人。それに、海菜さんの幼馴染でもあるから、私の知らないいろんな事を教えてくれそうです。

 うん。なんの問題も無さそう。

 それじゃ、さっそく絵里ちゃんに……。

 

 しかし、そこで急にことりの中の何かが静止をかけました。

 女の子のカン。

 

 絵里ちゃんと海菜さんは付き合ってないって言っていたけど、お互いがお互いの事をどう思っているのかは分からない。もしかしたらって事もあるし……絵里ちゃんの迷惑になってしまうかもしれない。

 自分の友達と、幼馴染をくっつける相談なんて、普通に考えてちょっと嫌だよね?

 

 私は小さく溜息をついて、絵里ちゃんに相談するという選択肢を取り下げました。

 

 えっと、次は……。

 

「にこちゃん……じゃなくて、希ちゃんはどうかな」

 

 あ、にこちゃんを飛ばしたのには深い意味はないですよっ。

 ただ、どちらかというと希ちゃんの方が頼りになりそうだから……。

 

 希ちゃん。

 いつもは少しだけ皆の後ろに立って、いつも見守ってくれるμ’sのお母さんみたいな人。周りが良く見える人だから、お茶目に振る舞ったり、時には優しく諭してくれたり。ことりは、皆を引っ張っていける子じゃないからいつか、希ちゃんみたいな先輩になりたいな。実はそんなことを考えてみたりしています。

 

 でも……。

 やっぱり、何か引っかかります。

 

 今度は、絵里ちゃんの時よりも確信めいた予感。

 

 

 

「希ちゃんは、海菜さんの事どう思ってるんだろう?」

 

 

 

 たしか、彼女はことりたちよりも長く、海菜さんと一緒にいるはずです。

 そして、希ちゃんは彼の前では何故か少しだけ、幼い雰囲気に変わる瞬間がある。それは、、普通にしていたら気が付かない程の変化だけど、海菜さんの事を無意識に目で追っていた私には分かりました。いつもはあんまり見られない、ペースを乱した可愛い希ちゃん。

 

 もしかしたら、希ちゃんも海菜さんの事……。

 

 再び悶々と頭を抱えます。

 うーん。

 でも、答えの出ないことを考えててもダメだよね?

 

 やっぱり、希ちゃんに相談するのは違う気がする。

 

 

 

――ことりは仕方なく、にこちゃんへ連絡を取ることにしました。

 

 

 

 

***

 

「あっ、にこちゃん!」

「ことり! 待たせたわね」

「そんなに待ってないよ」

 

 リンリン、という心地の良い鈴の音と共ににこちゃんが待ち合わせ場所の喫茶店に入ってきました。ことりは立ち上がって、自分が座っている場所を知らせます。にこちゃんは軽く頷くと、飲み物を頼みに数人の列へと並びに行きました。

 良かった、にこちゃんの予定が空いてて。

 今日はライブが終わったおかげで出来た、久しぶりのオフの日です。

 

 予選の結果が出るのは二日後。それまでは、今まで休みなく練習していた分、ゆっくり休息をとろうという予定になっていた。穂乃果ちゃんはきっと、部屋でゴロゴロしているだろうし、海未ちゃんは久しぶりに弓道に打ち込んでるんじゃないかな。

 

「で、何よ相談って」

 

 ことん。

 

 軽い音を立てて、いつの間にか紅茶を頼み終えたにこちゃんが対面に座りました。彼女の注文したミルクティーの甘い香りが優しく鼻孔をくすぐります。

 

「えっとね、にこちゃん……」

 

 何故か、言葉が詰まってしまいました。

 

 不自然に視線を泳がせて、無駄に多くダージリンを口に含みます。

 

 れ、恋愛相談なんかするの初めてだから……。

 でも、ことり一人じゃいい案なんて出せそうにないし。相談しないと。

 

「なによ、もう。……別に遠慮しなくていいわよ?」

 

 訝しそうにこちらを見つめながらも、優しい言葉をかけてくれる。

 やっぱり、にこちゃんは後輩想いのいい先輩だよね。いつもは穂乃果ちゃんや凛ちゃんからからかわれちゃうような可愛い人だけど、こうやってさりげなくことりのことを気遣って、傍に寄り添ってきてくれる。

 

 

 

「海菜さんのね? 事なんだけど……」

 

 

 

 そう、切り出した。

 にこちゃんの表情がごく僅かに動く。一体何を思ったのか、ことりには分からない。

 

「古雪の事?」

「うん。昨日のライブの後の……」

「あぁ。アレね」

 

 にこちゃんは自分の大好きなツバサちゃんが、海菜さんにキスをした瞬間を思い出してしまったのだろう。露骨に額に皺を寄せて、不愉快そうにため息を吐いた。あはは、ちょっと怖いかも。

 

「あのバカ、ツバサまでひっかけるなんて……」

「ま、まぁまぁ……海菜さんが悪い訳じゃないみたいだから」

 

 何故か私が諫める側に回って、フォローのセリフを口にしていた。

 た、確かに、いつの間に全国的に有名なスクールアイドルのリーダーと知り合って、あろうことか好意を向けられる仲になっているんだっ! って、腹が立つ気持ちも分かるけど。

 ことりも、少しむしゃくしゃしちゃって無意識のうちに海菜さんに当たることもあったから。

 

 

 ……あ、あれ?

 

 

 ふと、違和感を感じる。

 いま、にこちゃんなんて言ったのかな?

 

 

――ツバサまで、ひっかけるなんて。

 

 

 まで?

 私は思わず聞き返す。

 

「にこちゃん、ツバサまでって、どういう事?」

「……!! べ、別になんでもないわよ」

「じー」

「だから何でもないわよ!! 早く相談があるならしなさい! 帰るわよっ」

「あ、それはダメだよっ」

 

 私は慌てて彼女を引き留める。にこちゃんは一度は腰を浮かしかけたものの、すぐに座りなおしてこちらをじとーっと見つめてくる。

 

 そうだった、とりあえずはことりの悩みを相談するのが先だよね。

 

「えっとね、にこちゃん」

「……」

 

 軽く頷きながら、にこちゃんは続きを促す。

 

「えっと……」

 

 ちらり、と彼女を見ると静かに自身の紅茶を啜りながら待ってくれていた。

 別に焦らなくても良い。

 

 なんとなく、そんなにこちゃんの意思が伝わってきたような気がして……。

 

 

 言わなきゃ。

 

 そんな彼女の気遣いが見えるからこそ、固まる決意。

 

 ことりは震える声で言い切った。

 

 

 

 

「ことり、海菜さんの事を好きになったみたいなの」

 

 

 

 

――沈黙。

 

 

 

 時間にして五分ほどだろうか。

 私たちの……いや、にこちゃんの時が止まっていた。

 

 リアクションを待つ私の顔を、呆けた表情で見続ける。

 

「……」

「……」

 

 こ、ことりだってこれ以上喋れないよぉ。

 だ、だって、ことりは頑張って自分の想いを打ち明けた訳だから……。

 

 ガチャン。

 

 にこちゃんは派手な音を立てて、ミルクティーの入ったカップを皿の上へと戻す。そして、両手で顔を覆って俯いた。ことりは何か大変な事を言ってしまったのかもしれない、そんな風に焦って来るくらい悲壮感に満ちた雰囲気が彼女から流れでる。

 

「に、にこちゃん?」

「……はぁ」

「あの……」

 

 恐る恐る声をかけます。

 にこちゃんは深く息を吸い、吐き出した後、ようやく真っ直ぐに顔をあげてこちらを見てくれました。

 

 

「……っ!!」

 

 

 思わず息を呑みました。

 にこちゃんの表情は、いつも通りです。

 

 でも……。

 

 半年間とはいえ、彼女と一緒に居たことりには分かります。にこちゃんの表情の裏に隠された悩みや葛藤、そして悲しみにも似た感情が伝わってきました。滲み出る悲壮感と彼女自身の苦しみ。

 

「ことりが、その気持ちに気が付いたのはいつ?」

 

 静かに語りかけられます。

 

「えっと、昨日の、ツバサさんの件がきっかけだったと思うけど。たぶん、好きになったのはもっと前……」

「そう。一応聞くけど、その気持ちはホンモノなのよね?」

「うん。そうだと、思う」

「そ。分かったわ」

 

――だから、海菜さんともっと仲良くなれる方法を教えて欲しいの。

 

 本来、そう続けるつもりだった。

 でも、にこちゃんの表情を見ていると、どうしてかそのセリフを言うのは憚られるような。そんな感覚に陥ります。得体のしれない、違和感と、出所の分からないにこちゃん自身の葛藤。

 

 再び、沈黙が続いた。

 

 

 

――そして。

 

 

 

「ことり。落ち着いて聞きなさい」

 

 

 

 にこちゃんが口を開く。

 ことりは静かに彼女の言葉を待った。

 

 一呼吸。

 二呼吸。

 

 小さく響く、息を吸う音。

 

――その口から零れだしたのは、

 

 

 

 

 

「悪い事は言わないわ。……諦めなさい」

 

 

 

 

 

 ことりが一番、聞きたくない答えだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




誰かを好きになって、とる行動は人それぞれ違います。
そして、きっと、そこに魅力があるのだと私は考えていまして……。ことりの答え、ツバサの答え。他の娘達の出す答えを優しく見守ってあげてくださいね(笑)

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