ラブライブ! ~黒一点~   作:フチタカ

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第十四話 変わらぬ想い

 ことりはどうすべきなんだろう。

 そんな、自分への問いかけ。

 

 にこちゃんは言いました。

 

――古雪の気持ちが分かるからこそ、告白できない。

 

 いつも誰かの気持ちを思いやる、大人で優しい彼女の何よりも彼女らしい選択。

 冷静な自分は確かにそれが正しい手段なのだと肯定します。今までずっと、赤の他人だったことり達を見守り、支えてきてくれた海菜さん。彼を自分の勝手な思いで傷つける事はしてはダメ。そんな、自分への戒めも込めた言葉。

 

 でも、それを受け入れてくれないワガママなことりも居ました。

 

 この胸の痛みをそのままにはしておけない。

 この気持ちをまっすぐに伝えたい!

 

 迸るような激しい熱情。

 

 ことりは、その想いも間違ってないのではないか。そう考えてしまいます。

 

――だって、自分に嘘はつけないから。

 

 にこちゃんは、誰かのために自分を騙すべきだと言いました。叶わない恋ならば、必ず振られると分かっているのなら、本当に相手の事が好きなのだとしたら。……相手の事を考えるべきだと。好きになってしまった方が、譲らなければならない。

 

――でも、それで本当に良いのかな?

 自問。

 

――ううん。やっぱり良くない。

 自答。

 

 今のままじゃ、ことりの中のこの熱い恋心は消えそうにありません。

 どれだけ忘れたいと願っても、彼の事を想う度にどうしようもなく強く燃え上がります。自分じゃどうにもならない。初恋なんだもん、にこちゃんみたいに大人になるなんて無理だよ。それが恋なんじゃないのかな?

 

「にこちゃん」

「ぐす……。なによ」

 

 彼女はグズグズと鼻を鳴らし、真っ赤になった目元を擦りながらこちらを見つめてきました。

 こんな辛い思いを再びさせてしまった事に罪悪感を覚えながらも、にこちゃんに伝わるよう一生懸命心からの言葉を紡ぎます。海未ちゃんみたいに綺麗な言い回しなんて出来ないけれど、届けたいことりの想い。

 

 ホントの心をくれたにこちゃんに出来る、唯一の恩返し。

 

「ことりはね。にこちゃんの言いたい事、良く分かったよ?」

「……そう」

「やっぱりにこちゃんはことりよりもっと色んな事を考えてて、ことりは自分の事ばかりで精一杯だった」

 

 すん。と、鼻を啜る音。

 

「それは……、しょうがないわよ。むしろ、おかしいのはにこの方」

「そんなこと」

「普通の女子高生なら、どうやって男を奪うか。そんな話し合いになるのが普通でしょう。……たかが、高校生の恋愛よ? それくらいが普通だわ」

 

 うん。

 もしかしたらその通りかもしれない。

 

 ことりのお友達にも、少ないけど彼氏さん持ちの娘も居る。そして、そういう娘達がにこちゃんが言うほど真剣にその人と付き合っているかというと、当然そうではなくて。

 ……実は、こんなに真面目に悩むなんておかしなことなのかもしれない。

 

「でも、にこちゃんはそうしないよ」

「当たり前じゃない。にこはにこよ」

「ふふ。にこちゃんらしい理由だね?」

 

 どこまでも頑固で、拘りの強い彼女の選択。

 誰にも流されない、この人だけの答えと意思。

 

「そうかもね」

「色んな事を考えて、ことりを一生懸命止めようとしてくれてるし……」

「えぇ……。でもね、ことり。にこが貴女を止めたのは、古雪の為や他の理由からでもあるけれど、本当はことり。貴女の為でもあるのよ? それだけは信じて欲しいの。にこはことりを……」

「うん、分かってるよ」

 

 ことりは素直に頷いた。

 大丈夫、知ってるよ。にこちゃん。

 

 だって、焚き付ける方が簡単だもん。応援する方が楽に決まってる。適当に勇気づけて、背中を押す。あとは振られて帰って来た所を迎えて、はいはいと話を聞いておけばいい。目の前の彼女にはそうする選択肢だってあったはずだ。

 でも、にこちゃんはそうしなかった。

 ことりは分かってるよ。にこちゃんの思いやりを、優しさを。

 

――でもね。

 

 

 

「分かってるけど、ことりはにこちゃんの意見にはまだ素直に賛成出来ない」

 

 

 

 確かな否定。

 

 彼女は今度は取り乱すことなく、じっとこちらを見つめてきてくれる。

 ことりの真意を探るような、そんな視線。

 

 どこか、海菜さんのそれとよく似ていて……。

 

 だからこそ、素直に自分の意見をぶつけることが出来ました。

 

「やっぱりことりは海菜さんの事が大好きで、この気持ちはきっと一人で抱えていても消えはしないと思う。放っておくともっともっと大きくなって……ことりを燃やしてしまうかもしれない」

「……」

「ことりはにこちゃんと違って自分勝手だから、無理だと分かってても海菜さんの傍に居たい。叶わない恋だとしてもせめて、海菜さんの手でことりの恋を消して欲しい」

 

 ホント、ことりは我が儘だよね。

 

 でも、無理なんだもん。

 何もせずに諦めるなんて出来ないよ。

 

「それが、アイツを傷つけるとしても……なの?」

「……うん」

 

――どうしようもない、罪悪感。

 

 だけどもう一つ。

 確信していることがあった。

 

「勝手な思い込みかも知れないよ?」 

 

 前置き。

 

「でもね、にこちゃん。ことりは思うんだ」

「……えぇ、言ってみなさい」

「きっと、海菜さんは、にこちゃんやことりが自分の気持ちを我慢して泣いてる事を知ったら、もっと辛い思いをする」

「……!」

 

 にこちゃんの顔に動揺の色が浮かぶ。

 

 もし仮に、海菜さんがことり達の気持ちに気が付いたとしたら。

 もし仮に、ことり達がその恋心をひっそりと仕舞い込んで涙を流していると知ったら。

 

 きっとあの人はどうしようもなく自分を責めるに違いない。

 

 そんなの、自分のキッパリと振られたいという欲求を正当化する都合のいい意見に過ぎない! そう言われたら、ことりには返す言葉がありません。事実、そうなのかもしれないです。

 

 だけど、ことりの好きになった男の人は、そんなどうしようもなく……優しい人でした。

 

「……でも、アイツはきっと気付かないわ」

「今まではそうだったかもしれないけど、もう既にツバサさんに告白されてるんだよ?あの人が……海菜さんがそんな状況で、恋愛っていう感情を今まで通り見逃すなんて。ことりはあり得ないって思う」

 

 力強い台詞。

 

 あの人は鈍感ではない。

 ことりにはそれが分かります。

 

 どちらかというと人の感情に敏感な方。

 

 今は勉強や他の事に忙しすぎるからこそ、自分の魅力を隠すような行動をとって、私たちと本当に絶妙な関係を築いてきた。実際、ことりだってツバサさんの件がなければ自分の気持ちに気付かなかっただろうし、きっと他の子は海菜さんへの『憧れ』こそあっても、絶対に恋心は抱いていない。

 にこちゃんが、ことりたちよりも人を見る目があり過ぎただけ。

 それはきっと、海菜さんの見えていなかった部分だと思います。

 

 でも、状況は変わりました。

 

「……」

「海菜さんはきっと、今まで以上にことり達との距離感を気にするようになる。だからこそ、遅かれ早かれ絶対に気付かれちゃうって、ことりは思うかな」

「……」

 

 にこちゃんは何も言わず、軽く唇を噛みながら押し黙ってしまいました。

 もしかしたら、にこちゃんの中に無かった考えだったのかもしれません。

 

 でも、にこちゃんの出した結論は変わりませんでした。

 

 

「例えそうだとしても、にこなら隠し通せるわ」

 

 

 確かな自信。

 

「何があっても、隠し通して見せる」

 

 彼女の意地。

 

 どこまでも優しく、不器用なにこちゃんの変わらない意志。

 

 でもにこちゃんなら……もしかしたら可能なのかもしれません。

 だけどことりは。ことりには……。

 

「でも、ことりではアイツの目は誤魔化せないかもしれないわね」

「うん……」

「ことりが心の底から古雪を諦めない以上は。アンタの言い分はもっともだと思う」

 

 こくり、と頷き返されます。

 どうやらにこちゃんはことりの意図している事を汲んでくれたみたいです。

 

「だとしたら、ことりはどうするつもりなの? 結論は出たんでしょう」

 

 当然の疑問。

 

 ことりは、その問いかけに対して自信を持って自分の答えを伝えます。

 考える限りこの方法しかない。

 

 

 

「もう一度、海菜さんと会って話してみる。もしかしたらにこちゃんの意見が正しいのかもしれない。もしかしたら、今のこの熱い気持ちに従う方が良いのかもしれない。でも、それはもうことりの頭の中で考えたってどうしようもない事だから……」

 

 

 

 もちろん、会ったところで本当に自分なりの答えが出せるのかなんて聞かれても、はいそうですとハッキリ答える自信はない。でも、少なくともこうしてく悩んでいたって無駄なことくらい分かります。

 

 にこちゃんはにこちゃんにとっての一番正しい選択をしました。

 ことりも、ことりのために答えを選び取らなきゃ!

 

「そうね……、でも、会うとしたら二人きりでしょう?」

「うん。そうだね」

「その時点で、多少アイツが察する可能性はあるわよ。いや、間違いなく何か勘付くでしょうね」

「それは仕方ないよ……。そういう人を好きになっちゃったんだから」

 

 にこちゃんの言う事はもっともだ。

 きっと海菜さんは、ことりが二人で会いたいと言い出した時点で一つの可能性としてことりの気持ちを疑うと思う。そして、その疑いが彼自身の葛藤を生んでしまう。

 でも、他に方法なんてないし…….

 

 ことりが俯いて困っていると、目の前の彼女が大きくため息を吐きました。

 

「しょーがないわねー」

 

 いつものなんともにこちゃんらしい台詞が零れる。

 そして、

 

「にこの名前を使えばいいわ。三人で遊ぶ予定立てて、にこがドタキャンすればなんとかなるでしょう」

 

 協力する旨を申し出てくれました。

 やり方は少し荒っぽそうだけど……。

 

「い、いいの?」

「まぁ、乗っかっちゃった船だし。アンタが納得するまで協力はするわ」

「にこちゃん……」

「言っておくけど、にこは『想いを伝えるという意見』に関してはやっぱり反対よ。ことりにもそうして欲しくないし、止めたいと思ってる。けど……、最終的な決断を下すのはことり自身だから」

「うん、そうだね」

 

 彼女はそう、言い切った。

 

 にこちゃんは、本当に海菜さんの事が好きなんだと思う。だから、ことりにはこのまま何もせずにいて欲しいって考えてる。

 だけど同じくらい、ことりのことも大切に想ってくれてるんだ。だから、自分が辛い思いをしても、涙を流してもことりの力になろうとしてくれてる。

 ごめんねにこちゃん。

 

――ありがとう。

 

 きっと彼女は、ありがとうなんて言っても鼻を鳴らしてそっぽを向くだけ。

 海菜さんみたいな、ちょっと恥ずかしがりで偏屈な良い先輩。

 

 よし、それじゃ、具体的な予定を立てよう!

 

 ことりたちは少しだけ方向性が見えてきた状況に満足して、一安心します。

 それは仕方のない事。だって、数分前までは声のボリュームにだけは気を付けていたものの、お互いの剥き出しの想いを容赦なくぶつけ合ってたんだから。

 

 

 カランカラン。

 

 

 あまり人の居ない喫茶店の店内に入口の古びた鐘の音が鳴り響きます。

 

 ことりは、この場所が真姫ちゃんの教えてくれたお店であった事を思い出しました。

 本当に偶然、喫茶店の話になって真姫ちゃんが紹介したお店。半個室も用意されてて、別段コーヒーが美味しい訳じゃなければ、ケーキの質が高い訳でもないけれど。ただ、人があまり多くなく、勉強したり二人で話したりするのには向いている喫茶店があると。

 

 それはただの雑談。

 だから、細かい所に引っかかる事はありませんでした。

 

 ただ純粋にそういうお店もあるんだと記憶に残っていて、少し真面目な相談をしたいからこそ、そこなら丁度いいんじゃないかと思って来ただけで……。

 

――あの真姫ちゃんが、特に美味しくもない閑古鳥のなく喫茶店をどうして知っているのだろう?

 

 そんな疑問は、ついぞ浮かんで来ていませんでした。

 

 勉強したり、二人で話したり。

 じゃあ、真姫ちゃんは誰と二人で話してたんだろう?

 誰と勉強していたんだろう? 学年トップの彼女が、凛ちゃんや花陽ちゃん意外と二人きりでわざわざここに来てまで勉強するような事があるだろうか?

 

 唐突にそんな疑問が溢れだします。

 

 そしてその答えが、鈴の音につられて振り向いた先にありました。

 

 

 

 

 

「ことり? ……にこ?」

 

 

 

 

 

 これが神様の仕業なのだとしたら、なんて意地悪な神様なんだろう。

 ことりは驚きをありありと浮かべた表情でことり達を見つめる海菜さんの姿を視界に収めて、ただただ固まっていました。

 

 

 

***

 

 

――時が止まる。

 

 

 その表現がこれほどまでに当てはまる状況に、ことりは会った事がありません。

 

 目の前に立つのは、少し伸びた黒髪を申し訳程度にワックスで整えた精悍な男性。すらりとした長身には少し不釣り合いなほど大きく膨らんだリュックを背負い、こちらを見つめたまま立ち尽くしている海菜さんの姿がありました。

 

 あぁ。きっと、この人は勉強をしにここに来たんだな。

 

 そう、どこか他人事のように考えていることりがいます。

 

 真姫ちゃんは、いつもこの場所に海菜さんと一緒に来てたんだね。それなら、一人でも勉強出来るはずの彼女がわざわざ喫茶店に行ってまで他の誰かと勉強会を開く意味が良く分かる。

 彼女は素直じゃないし海菜さんに対してもツンとした態度を取ることが多いけど、自分よりも数段賢く努力もしている彼を尊敬している事。ことり達はちゃんと理解していました。

 

 真姫ちゃんがこのお店を海菜さんに教えてもらった事実をことり達に説明しなかったのは純粋に恥ずかしかったからなんだと思います。普段なら可愛いと素直に言えるのですが、流石に今回ばかりは言っておいて欲しかったなぁと、ため息をつきそうになりました。

 

 

 海菜さんはいつものふわふわとした態度を一切見せず、まっすぐににこちゃんの方を見ていました。

 

 

 にこちゃんは慌てて目元を拭って彼と視線を外します。

 もちろん、彼女のそんな誤魔化しが通じるような相手ではありません。

 

「にこ、どうかしたのか?」

「べ、別に。何にもないわよ」

「……」

 

 黒曜石の様に黒い瞳。

 覗き込むような鋭く、そして見とれてしまうほどに深い眼差し。

 

 にこちゃんの取り繕った言葉や態度に対する海菜さんの答えは沈黙でした。

 

 彼はゆっくりとこちらへ近づいてきます。

 距離が縮まるにつれ、にこちゃんは体を丸めるようにして俯きます。意地でも海菜さんと目を合わせようとしないつもりなのか、顔をあげる気配は一向にありません。

 

「……はぁ」

「……あっち行きなさいよ」

「ちょっと迷わせろ。悩んでるんだって」

「何に……」

「君を放っておくか、意地でも泣いてる訳を聞くか。ことり、ごめんね。ちょっと邪魔するわ」

 

 困ったようにことりへ笑いかけながら海菜さんはそっとことりの隣へと腰を下ろしました。

 こんな状況にも関わらずことりの心臓は素直に跳ねて、体温は少しずつ上がっていきます。

 

 そっと、海菜さんの横顔を盗み見る。

 

 彼は本当に心配そうに、にこちゃんを見つめていました。

 

 ただただ真っ直ぐに彼女へと視線を向けて、顎に軽く手を当てて自分で言っていたように悩んでいます。頭ごなしに泣いている理由を問いたださない辺りが海菜さんらしいというか……。かといって放っておけないのも、彼の彼たる所以なのだと思いました。

 

「……」

 

 がくっと頭を落とし、こめかみへと手を当てる海菜さん。

 よほど頭の中で葛藤してるのでしょう。

 にこちゃんもにこちゃんで一切顔をあげません。

 

 彼は数分そのまま頭を抱えた後、再び顔をあげました。

 

「ことりは、多分教えてくれないよね?」

「……はい」

「だろうな」

 

 分かっていたかのように頷くと、腕を組んで今度は虚空を見つめる海菜さん。

 

 流石ににこちゃんが泣いちゃった理由をことりの口から言うわけにはいきません。海菜さんも分かってはいたものの一応聞いてみたようです。実は内心、ことりがにこちゃんを泣かせたと思われるのではないかと予想していたんですが、どうやらそんな様子はないみたい。

 直接的な原因をつくったのはことりなんだから、海菜さんに幻滅されても仕方ないかなと思ってたから……少しだけ安心。こんなこと考えちゃうなんて、ことりはやっぱり悪い娘なのかもしれないね。

 

「にこ」

「……」

「俺には話せない事なのか?」

「……だから黙ってるの。いいからアンタは勉強しなさいよ」

「君がそんな感じだと集中できないって」

「余計なお世話よ」

「だからどうした、バカめ。君がどう思おうが関係ないっつの。……心配くらい勝手にするさ」

「……ムカつく」

「俺がムカつかなくなったらそれはそれで問題だぞ。毎回全身全霊をかけて煽ってるのに」

「そういう所がムカつくのよ……」

「あぁ、よく言われる」

 

 いつもの軽口。

 でも、そんなそっけない言葉の中に隠しきれない思いやりや優しさが伺えます。

 

 なんとなく海菜さんがどんな判断をしたのか伝わってきました。

 どうやら彼はにこちゃんをこのまま放ってどこかへ行くつもりはないみたいです。

 

 その証拠に、彼は懸命ににこちゃんに話しかけ始めていました。

 

「にこ、一回顔あげてみ」

「絶対イヤ」

「ぜひ君の泣き顔を見ときたい」

「さいっていね! 心配してるのかしてないのかどっちよ!」

 

 けらけらと笑って見せる海菜さん。

 

「いや、本当に心配してる! ……って言うと嘘になるけど」

「あんたホント良い性格してるわね」

「そんなことないって! ……って言っても嘘になるけどな。俺、性格いいし」

 

 もちろん、その笑い声が嘘だってことくらいことりにも。そしてにこちゃんにだって分かってるはず。

 

 

――でも。

 

 

「弱ってるうちにかっておかないとな」

「勝ち負けの問題じゃないでしょ!?」

「勝っておかないとな。じゃないぞ。狩っておかないと」

「狩りの方!? 勝負ですらなかったのね……」

 

 続く会話。

 無意味な言葉の応酬。

 

 きっと、にこちゃんが自分の話をするまで永遠に海菜さんはここにいるつもりだろう。なんでもないいつもの会話を振っていつもの様に振る舞う。それはにこちゃんを元気づける為なのか、もしくは他に意図があるのか。

 ことりには分からないけど、ただ、彼の目がずっと真っ直ぐににこちゃんへと向けられていることは確かでした。

 

 そして、にこちゃんがそんな海菜さんの意図を汲めないはずがありません。

 追い払っても無駄、怒っても無駄。

 

 観念するほか無かったのでしょう。

 にこちゃんの纏う雰囲気が少しだけ変わりました。

 

 しばらく続いた沈黙。

 破ったのは彼女の声。

 

 

――にこちゃんが選びとったのは、本当に彼女らしくない選択肢。

 

 

 

「にこの事は放っておいて。……お願いだから」

 

 

 

――懇願。

 

 震える声が、海菜さんの瞳に迷いを生じさせました。

 

「……っ!」

「アンタなら、分かるでしょ? にこは本当に嫌なの」

「……」

 

 走る動揺。

 しかし、彼が揺れたのはほんの一瞬の事。

 

 そして、彼が選び取ったのも、本当に彼らしくない選択肢でした。

 

 

 

「絶対、イヤだね」

 

 

 

――拒絶。

 

 ありのままの私たちを受け入れてくれる海菜さんが紡ぐ、否定の言葉。

 にこちゃんの肩がぴくりと揺れました。

 

「理由は簡単だよ」

 

 いつになく真剣な声色。

 ことりとにこちゃんは彼の言葉に耳を傾けます。

 

「君が心配だから! なんて陳腐なセリフを吐くつもりはない。君が泣いてる原因を俺が知ったところで何が出来るかなんて分からないから。でもな、にこ」

 

 相変わらず理詰めで、勝手な思い込みに流されない。

 

「君は。少なくとも古雪海菜が知り合った矢澤にこっていう女の子は、俺がこんな状況で君を無視できる人間じゃないってことくらい分かってるはずだ。それなのに、君は俺の到底受け入れられない方法で俺を追い払おうとしてる。そんなの、本当に平気な状態のにこだったらあり得ない! 俺は、そんな君を放ってはおけないよ。だから、絶対、意地でもここに居座ってやる! 文句あるか!?」

 

 でも、どこまでも感情的な理由。

 にこちゃんを思うあまりに溢れだす心、想い。

 海菜さんだけにしか届けられない、紡げない言葉の列。

 

 

 それを聞いて、にこちゃんは初めて――顔をあげました。

 

 

 さっきよりも、僅かに赤く腫れた目。

 可愛らしさとはかけはなれたそんなにこちゃんの姿。

 

 でも二人は表情を動かすことなく見つめ合います。

 

「やっと、君らしい顔が見れたな」

「アンタが、どこまでも頑固なバカだって事思い出したから」

「ふん。君だって似たようなもんだと思うけどな」

「……そうかもね」

 

 くすり、と笑い合うにこちゃんと海菜さん。

 

 似た者同士。

 同じ笑顔。

 

 

 でも、今いる立場と、その心は全て逆。

 

「この際、泣き顔くらいは見せてあげるわよ。第一回ラブライブの時だって、見られちゃったんだから」

「あぁ、そうだな」

「でもね、この涙の理由は、絶対に教えない」

 

 今度は懇願ではない、深い決意の籠った言葉。

 だからこそ海菜さんは黙ってにこちゃんの視線を受け止めました。

 

「もちろん、アンタがこんなことで納得するなんて思ってないわよ」

「立場が逆だったとしたら、にこだって俺の世話を焼いただろうしな」

「えぇ。にこ達はどこまでいっても同じ事を考えてしまう」

「だったら、俺が君を放っておいても良い。そう思えるような訳を教えてくれるんだろ?」

 

 海菜さんのその言葉に、にこちゃんは自信を持って頷きます。

 大きく息を吸って……吐き出しました。

 

 もう一呼吸。

 

 

 そして――語り出します。

 

 

「よく聞きなさい、古雪。にこはね……。にこは!」

 

――一瞬。

 

 一瞬だけ、にこちゃんの目に涙が滲みました。

 でも、それは気が付かないほど瞬く間の煌めき。

 

 

 

 

「にこは、アンタにとっての絵里でも、希でもないわ」

 

 

 

 

 にこちゃんと海菜さんは静かに見つめ合います。

 

「何を今更。そんなこと分かって……」

「分かって無いわよ」

「……っ!」

「分かって、無いわ」

 

 ことりは息をひそめて彼女を見守りました。

 にこちゃんが人知れず身を削って話すその内容。

 

 

 

 

「アンタにとってのにこはあの二人とは違うのよ。古雪にとってのにこは『守る対象』でもなければ『支える相手』でもないの。にことアンタはどこまで行っても『対等』だし、にこはそうありたいって思ってる」

 

 

 

 

 きっと、本心からの言葉。

 それが痛い程伝わってきて……だからこそことりは泣きそうになりました。どこまでもにこちゃんらしい台詞。

 

「支え合いたい訳じゃない。助け合いたい訳じゃない。にこ達はそれぞれの、交わらない隣り合った道を、一人で歩いてく。時々横を見て、お互いの姿を確認して……少しだけ刺激を受けて。それでもう一度前を向いて歩いていくの!」

「……」

「それが、にことアンタの関係よ」

「どちらかが、苦しんでいたとしてもか?」

 

 にこちゃんは彼のその問いに、迷いなく頷いた。

 

 

「当たり前じゃない。例えどちらかが苦しんでいたとしても、私たちは手を伸ばさない! 苦しんでいることはきっとにこ達なら察してしまうわ。でも、にこ達はお互いが、どんな試練も一人で乗り越えようと足掻き続けられるって知っている」

「あぁ」

「だから、にこたちはいつも通り顔を突き合わせて笑うの。相手が苦しんでいることを知って尚、下らないボケをしてツッコミをして、笑い合う」

「……」

「そうでしょ!? 言葉はいらない、差し出す手は必要ない。ただ、自分が真っ直ぐに歩いている姿を見せ合うだけでいいの。だって、にこ達は何があろうと負けたりしないんだから。少なくともにこはそう信じてる」

 

 アイドル研究部で二年間。一人で耐え続けたにこちゃんの言葉。

 どこまでも真実味を帯びていて、重い。

 

 

 

――だから。

 

 

 

 

「にこの事は放っておきなさい。アンタがにこの事を想ってくれてるって分かるだけで、にこにとっては十分よ。……ありがとね、古雪」

 

 

 

 

 感謝とともに告げられる拒絶。

 

――海菜さんはそれを受け入れた。

 

 ことりには、あまり理解することが出来ませんでした。二人の関係というのは、ことりが思っていたのよりもずっと複雑です。相手の気持ちを察しながらも態度には出さない。理解した上で、演技し合う。

 お互いの想いをまっすぐにぶつけ合う、認め合うことしかしてこなかったことりには少し難しい。

 

 でも、どこか美しさを感じさせる関係でした。

 

――にこは希や絵里とは違う。

 

 その言葉には計り知れない位の嫉妬と、悔しさと……そして誇りが含まれていました。

 だからにこちゃんは絶対に自分の意見を曲げなかったんだ。

 

 彼女は言い終わると席を立ちます。

 そして彼はそんな彼女を止めようとはしませんでした。

 

「それじゃ、にこは帰るわね」

 

 言い残し、席を外そうとするにこちゃん。

 その背中に彼の言葉が届く。

 

 

 

「ちゃんと足元には気を付けて帰れよ?」

「別に。もう泣いてないから大丈夫よ」

「いや、人間用に作られた階段は少しにこには……」

「ちょっとそれどういう意味!?」

 

 

 

 いつもの、会話。

 

 

 

――きっと、二人の関係はこのまま変わらない。

 

 

 

 

***

 

「それじゃ、海菜さん。ことりも帰りますね」

「あぁ。じゃあね」

 

 そのあと、しばらく雑談した後ことりも帰ることにしました。

 海菜さんも勉強があるし何よりも、こんな不意打ち気味に会ってしまっても感じるのは自分が本当にこの人を好きになったしまったのだという自覚だけです。

 到底、冷静に何かを考えることなど出来ませんでした。

 

 自分なりの答えなんて、目の前であんなにこちゃんの姿を見てからすぐに出せるはずがありません。ことりが下す選択も、にこちゃんと同じくらい価値を持つものじゃなきゃいけないって思うから。

 

 

 カランカラン。

 

 相変わらず古びた、あまり響きの良くないベルの音。

 ことりは大分冷えてきた外の風に身を縮めて歩き始めます。

 

 

 ことりはどうすべきか。

 

 

 にこちゃんはにこちゃんなりの一つの答えを見せてくれました。

 そして、海菜さんもそれに応えました。

 

 じゃあ、ことりは……。

 

「焦っちゃ、ダメだよね?」

 

 自分に言い聞かせます。

 そんな、一朝一夕に答えが出るはずがありません。

 

 それにやっぱり、海菜さんはまだ恋人を作る気はなさそうで。

 

 しばらく、ゆっくりと自分の心と向き合ってみよう。

 そうじゃなきゃ海菜さん、そして誰よりもにこちゃんに対して失礼だよね。

 

 

 そっと見上げた秋の夕焼け空は少しだけ曇っていて……まだ、明るい未来は見えそうにありませんでした。

 

 

 

 

 

 


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