既にUAは70万に迫っているのですが……笑
少しずつ、のんびりと記念回は進めていきますね。
※時間軸は夏休み。つまりツバサ達と会う二期の前の事ですのであしからず
「ふぅ。食べ終わったー」
俺は空になった焼きそばのトレイを畳んでビニール袋に押し込む。そして軽く伸びをした。満腹ではないものの、適度に腹も膨れて心地が良い。
少し妙なのは最初の方食べたたこ焼きやトンペイ焼きはかなり美味しかったんだけど、不思議と焼きそばの味が思い出せない事だ。たった今食べたばかりなのにな。
二三度かぶりを振る。
理由は……一応分かっていた。
「せやねー。お腹いっぱいになった?」
間違いない。この娘の所為だ。
希はこちらの気も知らず、にこりと笑いながら小さく首を傾げて見せる。和装のせいか、それともスタイルのせいか。匂い立つ大人の色香。そんな彼女が見せる可愛らしく幼い仕草に思わず心臓が跳ねた。
――調子が狂う。
今日何度目か分からない感覚に襲われて、俺は小さく溜息をつく。
「いや、ちょっと足りないくらいかな」
「そうなんや。さすが、男の子やね」
「君は満足した?」
「うーん。すぐには食べられへんと思う。……りんご飴とか楽しみだったんやけど」
軽く自分の腹部に手を当てて、えへへと表情を崩してみせる希。
「じゃ、しばらく屋台で遊んで回るか? ちょっとしたらお腹も空くだろうし」
「うん!」
希は嬉しそうに頷いた。その笑顔はやっぱりいつも見せる大人びたものとは違っていて……彼女のその笑顔を引き出せるようになった自分を少しだけ誇らしく思う。絵里と同じくらい信用されるようになって来た証、そう信じたい。
「ごちそうさまでした」
希は行儀よく両手を合わせて小さく頭を下げる。
俺は小さく笑って、彼女の傍らにおいてあったゴミを取って袋に入れて一つに纏めた。幸か不幸か、箸が一膳だったせいか破れないように押し込むのも容易い。
「あっ」
それに気がついた希がすぐに反応する。
「古雪くん、いいよ。ゴミはウチが持って行くから」
「あー。いいよ、もう取っちゃったし。遊ぶがてらゴミ箱探せば良いからさ」
相変わらずよく気がつく女の娘だ。むしろ、気を使い過ぎな気もするけど。
俺は彼女を手で制しながら別にいい、と、首を振ってみせる。
だが、どうやら希としては譲れない部分だったらしい。
「もう。女の子の気遣いを無視する気なん?」
少しだけむすっとした顔で彼女は言う。小さく唇を尖らせて非難の視線を送ってきていた。ま、怒ったふりは演技で、奢ってもらった以上せめてそのゴミくらいは……などと考えているに違いない。
「別に、無視する気はないけど」
「なら、渡してくれたっていいやんかっ」
「ずっと黙ってたけど、俺、ゴミ好きだから」
「カミングアウト!? そんな趣味が……」
「愛してる」
「そこまでなん!?」
「皆にはナイショな?」
「そんなの言えないよ。……もぅ、ホントに古雪くんは」
ニヤニヤと笑いながら自分をあしらう俺に向けて、希はジトっとした目を向ける。
そして、諦めたように溜息を吐いた。
お。諦めたかな。
無駄に気を使わなくても良いんだよ。二人でいる時くらい気を抜いてくれれば……。
俺はそんなことを考えながら一度視線を外す。
そして立ち上がろうと足元に目をやり、両手を地面につけた。
――その時。
「えいっ!」
一つの影が俺に覆いかぶさった。
至近距離で鼻孔をくすぐるどうしようもなく甘い匂いと、頬に当たる絹のように滑らかな髪の毛。シャンプーと希自身の香りが綺麗に混ざって意識をくらくらとさせる。
「の、希!?」
俺は慌ててのけぞった。
諦めたはずの彼女が急に横から身体の上に身を投げ出してきたのだ。右隣に座っていた彼女が、俺の左手に握られていたゴミ袋を奪うために起こしたそのアクション。
膝に当たる柔らかな感触と、もぞもぞと動く希の身体。
ちょ、ちょっと待て!
しかし不思議と声は出ない。俺は自身の身体を硬直させることしか出来なかった。
目に飛び込んでくる真っ白いうなじ。無理な動きに若干浴衣が着崩れてほんの僅かに見える下着の紐。こ、これ以上はマズイ! 俺は必死になって目を閉じた。ダメだ、ダメだ!
「えへへ。ウチが持ってくね?」
「……あぁ」
結局、希は何も気が付かぬまま俺の左手から強引にビニールを奪い取った。そして、してやったりとでも言いたげな表情で笑ってみせる。事実、してやられはしたけど……少し卑怯じゃないか?
どうも、調子が……狂う。
違う……狂わされる。
俺は頭を振ってなんとか気持ちをリセットしてから、歩き出した。
***
「ほら、行くぞ」
「あ、うん」
すぐ近くにゴミ箱は見つかった。希は手に持った戦利品を捨てて戻ってくる。
そっと、俺は自然な動作で甚平の袖を差し出した。彼女は少しだけ緊張気味に頷きながらも、素直に手を伸ばす。相変わらずおずおずと、人差し指と親指で遠慮がちに掴んできた。
「なんか、少し人増えたような」
「せやね。もう一時間もしたら花火が始まるからやない?」
「なるほどね」
俺は少しだけ彼女を引っぱって傍に寄せる。……はぐれたら危ないし。
「何して遊ぶ?」
「うーん。ウチは古雪くんのチョイスに期待したいなぁ」
「そうだなぁ……、王道なら射的とか?」
かくいう俺も、この人混みが苦手で夏祭りの屋台に詳しいわけではない。だから、なにか面白いものはないか、と辺りを見回しながら歩き始めた。
並んでいるのは基本的には食べ物ばかりで、意外に遊べる所は多くない。ま、儲けとかを考えたらそうなるんだろうな。唐揚げのお店を見たのは今日で何度目だろうか。
お面とか、カードとか。色んな物を売ってる場所は結構あるんだけど。
希も興味津々な様子で新たに現れるお店を覗き込んでいた。
「あはは、光る剣売ってるやん。買わなくていいの?」
「アレ、五歳児用だぞ? 俺が買うわけ……親父、その一番長いの一本!」
「結局買うんやね……」
俺は左手を希のためにだらりと下げ、右手に無駄に輝くおもちゃの剣を携えて歩く。ふむ。何歳になっても、こう持ちやすい棒状の物っていうのは心躍る。
無駄な出費だったのは確かだけど……
「……くすくす」
「…………」
「ホント、古雪くんってアホやね」
「失礼か」
「きゃっ。剣で殴るのは酷いんちゃう?」
希が笑ってくれたので良しとしよう。
「あ! 射的あるやん!」
唐突に希は声を上げる。釣られて視線を前に向けると、彼女のさす指の方向にそれはあった。
なんとも人の良さそうなおっちゃんが子供に射的用のオモチャの鉄砲の打ち方を教えてあげている。
「へー。景品は普通といえば普通だな」
「うん。お菓子とか、簡単なおもちゃとか」
台に並んでいたのはタバコを模したお菓子屋、小さなクルマの玩具。おおよそ子供向けの景品ばかりが置かれていた。なぜか一つだけラジコンが中央に設置されているけど……アレはどう考えても取れそうにない。
「どうする? やってみるか?」
「う、ウチが?」
「君でも出来そうだよ。流石に男子学生がきゃっきゃ言いながら駄菓子貪り落とすのはアレだし……」
「た、確かにそうやね」
少し屋台と離れた場所で希とそんな話をしていると、何の前触れもなく声がかかった。
「そこのカップルさんもどうよ!?」
声に釣られて見てみると、射的屋のおっちゃんが俺たちに向けて手招きをしていた。
ぴくり、と俺の袖を掴んでいた希の身体が固まる。
「か、カップ……」
「あぁ、ま、客観的に見たらそうなるだろ」
俺は彼女の表情を伺うこと無くそう返した。仮に俺があの元気のいいおっちゃんの立場なら俺達の姿は恋人に見えたに違いない。多分『なんで手繋がないの?』と、余計な一言まで言ってしまうことだろう。
「呼ばれてるってことはやってもいいってことだし、行くぞ?」
「わ。う、うん……」
くい、と引っ張ると慌てた様子で希は俺に付いてきた。
「それじゃ、一回お願いします」
「両方かい!?」
「あ、俺もやっていいんすか?」
「別に取られて困るような物置いてないからよ!」
「それもそっすね」
俺はおっちゃんと軽口を交わしながら銃を受け取った。おお。オモチャとはいえこういうのを持つとテンション上がるな。振り返って希にも片方を手渡す。
が、彼女は少しだけ不機嫌そうだった。
「はい……って、どうしたの?」
「なんでもないよ……ウチばっかり変に意識してバカみたいやん」
「あ、もしかしてカップルって言われたことに照れて……」
「そういうの、分かっても言うものとちゃうよ!」
顔を真っ赤にして非難の視線をぶつけてくる希。
ふふん。さっきのお返しだ。俺は自分の少しだけ熱を持った頬を上手く隠しながら小さく笑う。
「ここを押すだけで良いの?」
「あぁ。こうやって……」
俺は一通り説明をし終わった後、口で言うよりも見せたほうが早いと判断して銃を持ち上げる。ゆっくりと的に照準を合わせてピタリと止めた。うーん、弾がまっすぐ飛ぶかどうかも重要なんだけど……そのあたりは信じるしか無いな。
カチリ。
俺は人差し指を押し込んだ。
「わっ! 凄いやん!」
ぱこん、という間の抜けた音を立ててうまい棒が落ちる。おっちゃんはにやりと笑いながらそれを拾い上げて俺に手渡してくれた。ご丁寧に親指を立てて労をねぎらってくれている。多分、俺たちを恋人同士だと勘違いしているからだろう。彼氏が見本で外したら格好がつかないからな。
ちらり、と希を見ると素直に感心してくれているのか、感嘆の声を上げていた。
……うん、失敗しなくてよかった。
「じゃ、ウチも……」
恐る恐る右手をあげて……ぱすん、弾は背景のビニールに情けない音を立てた。
「あ……」
「やーい!! ヘタクソ!!」
「ひ、酷い! 慰めるとかやないの?」
悔しそうに希は俺を見上げてくる。
俺はにやりと笑いながらゆっくりと銃の照準を別の的に合わせて……ぱこん、再び別の駄菓子を撃ち落とした。
「どやさ」
「うー、嫌味や! 別に、凄くないもん」
拗ねた口調で希はつぶやくと、再び同じ的を狙って……盛大に外してみせた。
「あぅ」
「希……惜しかったよ」
「古雪くん……?」
「ま、ハズレはハズレ。当てなきゃ意味ないがな! さあ、俺を崇めろ弱者め!」
「――――!」
彼女はぽかぽかと俺の身体を叩いてくる。ふふん、この娘相手に優位に立てることはあまり無いので存分に楽しませてもらおう。そう考えて、軽く彼女をいなしていると、急におっちゃんが余計な口を出してきた。
「ほら、おねーちゃん、怒ってないで恋人に手取り足取り教えてもらいな!」
「……!?」
「おにいちゃんも、あんまり恋人いじめると愛想つかされちまうぞ。折角のべっぴんさんだ、後悔しちまうよ。いつの間にか可愛くない女をヨメに貰うことになる、ガッハッハ。これはかーちゃんには秘密だけどな!」
さして面白くもない事を言って無駄にデカイ声でおっちゃんはガハガハと笑う。
手取り足取りって……いちいち卑猥な言葉を選んできてる辺り恋人たちのフォローをしてやろうとしてるのか、からかってるのか分かんないな。
ちらり、と希をみると再び頬に朱が差していた。
その表情は何故か不思議なほど魅力的で……俺は思わず目を逸らしてしまっていた。
「ほら、もう一回構えてみて」
「う、うん……」
とりあえず気を取り直してそう声をかけた。希は大人しくその指示に従って、相変わらず慣れない仕草で片手を上げた。ぷるぷると銃口が揺れ、狙いは定まらない。なるほど。確かにこれじゃ当たらないだろう。
「なんで震えてんの? 子鹿じゃん」
「そ、そこまでやないよ! それに……し、仕方ないやん」
「…………?」
希は俺の方を見ないようにして呟いた。
「き、緊張しっぱなしなんやから……」
……緊張?
「クソみたいな景品ばっかだし緊張することなんて無いのに」
「そ、そういう意味じゃ……」
「おい兄ちゃん! そんなこと言われたらおっちゃん傷ついちゃうよ!」
「あ、さーせん」
俺は軽くおっちゃんに頭を下げて、希に近づく。
どうしてやれば良いんだろう? ――そうだ。
俺は左手を伸ばして、彼女の右手を包もうと……
「あぅ……」
こつん。
途中で方向転換、でこぴんを一発。
……さすがに希の手を、自分の手で抑えてやるような真似は出来なかった。俺たちは友達同士。絵里相手なら何の躊躇いもなくその手を取れただろうけど……希に対して同じようなアクションはかけられない。――かけちゃいけない。
「とりあえず両手で持ってみたら?」
「う……うん」
希は少し寂しそうに頷いた後、両手で鉄砲を握り直した。
不思議と、手は震えなくなっている。その表情に浮かぶのは、僅かな落胆の色。
結局、戦利品はいくつかの駄菓子と、二人で協力して落とした狐のお面だけだった。
***
「そのお面、気に入ったの?」
「うん! なんか風情があってええやろ?」
「確かに、悪くないな」
「それに、ウチら二人で取ったものだから」
にこり、俺達は微笑み合う。
希は先程射的屋でとったお面を楽しそうに頭に付けている。もちろん、被っているわけではなく側頭部に顔部分が来るようにずらして付けているだけだ。普段からスピリチュアルな言動が多いせいで不思議なほどよく似合っている。
「キツネさん見てたら、エリチ思い出さへん?」
「絵里? ま、分からなくもないけど」
俺はじっと、面を見つめて返事を返す。
そういえば、もうそろそろこの会場にも着ている頃だ。亜里沙ちゃんを連れてるって言ってたから会う予定は無いけど……無事でやってるだろうか? 妹とはぐれたりしていないだろうか? 希は俺が付いてるから大丈夫だけど、変な男に絡まれたりしていないだろうか?
希はそんな俺の表情を伺って、困ったように笑った。
「ふふ、エリチの名前出したんは失敗だったみたいやね。心配で心配で堪らないって顔しとるよ?」
「あ……」
俺は慌てて表情を戻す。
絵里のことだ、心配ないだろう。あんまりこの場に居ない娘の事を考えすぎるのも良くない。今一緒にいるのは希で、この娘をちゃんと楽しませてあげなきゃ。
「ごめん、ぼうっとしてたわ」
「ええよ~」
俺は慌てて謝るが、希はなぜか困ったようにそしてどこか嬉しそうに笑っていた。
「そろそろ花火が始まるよ?」
「結構人も増えてきたな。場所探す?」
「うん。花火見ようと思ったらもうちょっと人混み行かなきゃやし……」
「あぁ、少し急ごっか」
俺たちはそれなりに綺麗に花火が見られそうなスポットに向けて歩き出した。
しかし――。
「きゃっ……」
俺の甚平の袖を掴んで、少し後ろを歩いていた希が軽く悲鳴を上げる。人混みの中、誰かにぶつかられたのか。希は身体を傾けてバランスを崩していた。
俺は慌てて振り返り、よろけた彼女の身体を抱き寄せる。
慌てていたせいか、その体の柔らかさや、それでいて華奢なラインとか。そういったものを意識する暇なんてない。希の方も反射的に俺の胸元と腕を掴んで止まっていた。ただただ身体を寄せあって、至近距離で向かい合う……いや、もはや抱き合っているかのような構図だけが出来上がった。
二人共、無言で見つめ合う。
「っと、大丈夫か?」
「あ、うん。……わ、私は大丈夫」
「私……?」
「う、ウチ! もう大丈夫やから!」
平静を取り戻すのは俺のほうが早く、慌てて声をかけた。……が、よほど気が動転していたのだろう呆けたように返事を返してきたかと思うと、突き飛ばすように俺の身体から距離を取る。そして、顔を真っ赤にして首を振ってみせた。
「希?」
「…………」
そして、完全に俺に対して背を向けてしまう。
う……マズかったかな。そんなに嫌だったのだろうか?
でも、どうしよう。袖を掴むくらいではこの人混みだとすぐに離れてしまいそうだ。なんというか……あまりこの娘をこんな場所に一人にしたくない。それだけは、嫌だ。
どうしたものかと途方にくれていると、希がもぞもぞと動いた。もちろん俺に背を向けたまま。
側頭部にずらしていたお面をに右手をかけて、ゆっくりとあるべき位置へと戻していく。そして、キツネの面を完全に被って、振り向いた。その表情は、当然分からない。……心なしか唯一見える耳が赤いのが気になるけれど。
しかし、そんなことを気にする余裕はすぐに無くなった。
「古雪くん……」
僅かに震える声で話しかけられる。
「…………?」
俺は無言で首を傾げてみせた。
何を言われるのか、言うつもりなのかまだ分からない。
そして。
「手、繋いでくれへんかな……?」
俺は思わず息を飲んだ。
ごくり、と緊張からか、それとも驚きからか。はたまた別の感情か。出てもいない唾を嚥下しようと試みる。
「手……?」
「う、うん……このままだと、はぐれそうやから」
とつとつと彼女は言葉を紡ぐ。型紙越しの少しだけくぐもった声。
「古雪くん、ウチのことも心配してくれてるって……さっき言ってくれたから」
俺は思い出した。そういえばこの会場に来てすぐに今のように絵里のことを思い出した時があったのだ。それを見抜かれた時に俺が無意識に零した台詞は『まぁ。そうだね。心配するとしたら君か絵里の事くらいだろうし』といったもの。それは紛れも無い真実で嘘偽りなど無い。
「あぁ。あんまりはぐれて欲しくはない、かな。……心配だし」
「うん……」
俺はゆっくりと左手を伸ばした。
――心配だから。
そんな理由を盾にする。
希が良いって言うなら別に……。希が言うなら。
俺の意思があるからじゃない。
袖を差し出した時とは違う。全く別種の緊張に襲われる。希も小刻みに震える右手を伸ばしてきてくれていた。白磁のような白い肌。細い指。俺はそっと彼女の掌に触れ――指を絡ませた。
意図せず心臓が跳ね、体温が上がるのを感じる。
にこや海未のドッキリに付き合って海未に腕を組まれた時もこうはならなかった。凛にふざけて抱きつかれた時も、穂乃果に手を取られた時もこうはならない。絵里と肩を寄せあって眠った時だって……。
彼女は仮面で表情を隠して俯く。
俺も視線を希に向けられずに居た。
心臓の音が繋いだ手を通して伝わってしまいそうで。俺は少しだけ繋ぐ手を緩めた。強く握ってしまえば折れてしまいそうな掌。少しだけ怖くなって離そうかとも考える。それでも、この娘がはぐれてしまうのは俺にとって堪らなく嫌なことで……。
俺たちはどちらからとも無く歩き出した。
少しの間……会話は出来そうにない。
―――――――――――――――――――――――
「お姉ちゃん、どうしたの?」
綿菓子を片手に、手を繋いだ姉の様子を伺う小柄な女の子。年齢は中学生くらいだろうか。日本人には見られない綺麗なサファイア色の瞳と、星屑を散らしたかのような美しい金髪。そして隣を歩くお姉ちゃん、と呼ばれた女性もよく似た容姿をしていた。
メリハリの付いたスタイルに、ピンと伸びた背筋。どこぞのモデル、と紹介されれば素直に信じてしまいそうだ。
彼女は足を止め、遠くを見つめて僅かに口を開いていた。
妹はそんな姉の様子が気がかりなのか、じぃと下から覗き込むようにして伺う。
「もう、お姉ちゃん!」
「……え?」
「お友達でも見つけたの?」
「あ……、うん。そうね。……そんなところね」
ぼんやりと彼女は呟く。
どこか心あらずの雰囲気。
「ね、早く花火見れる場所に行こう?」
「えぇ……あ、そうだわ亜里沙。あっちから行きましょう」
「あっち? でも、皆この方向に進んでるよ?」
「ちょっと見たい屋台があるのよ。大丈夫、花火には充分間に合うわ」
亜里沙と呼ばれた少女は元気良く頷くと、姉の手を引いて走りだした。
姉の表情は少しだけ硬い。浮かぶのは正とも負とも伺えない感情。
しかし――。
「ふふ。……全部、知ってたわ」
親友だから。幼馴染だから。
小さく呟く。
その意味を、第三者は伺い知ることが出来ない。
ふわり、と彼女は哀しげに。同時に少しだけ嬉しそうに……微笑んだ。
―――――――――――――――――――――――
「…………」
「…………」
き、気まずい。
俺たちは結局、十分ほど会話らしい会話をしないまま花火のよく見えるらしい場所へと移動していた。お互いに話を振ろうと努力はしているのだが、何故かうまく広がらない。何より、手を繋ぐという行為は相手の動揺がモロに伝わってくるという点が厄介で。
ぴくり、と希の掌に力がこもる。
「あ、あそこ開いてるよ?」
案の定、すぐに彼女が口を開いた。開いている左手で土手の一部を指差す。確かに、そこには人が二人座れそうな空間が開いていた。
俺は小さく頷いて彼女の手を引いてそこへ向かう。そして、二人で変に焦りながら腰を下ろした。
よし、これで……。
俺はそっと左手を離す。
「あ……」
希の口から切なげな声が零れた。
「どうかした?」
「いや、なんでもないよ。よ、良かったね! 場所空いてて」
「あぁ。そうだな。凄い人の量だし……」
花火が始まる予定時刻の一〇分前。一番いい場所! とは言えないものの、それなりの位置に陣取れたのはラッキーだろう。横に座るスピリチュアル少女のお陰かもしれない。
「ところで……」
俺は切り出す。
ずっと気になっていたことがあったのだ。
「希、そろそろお面とれば?」
「あ……」
彼女の顔を指差しながらそう言うと、彼女は小さな声を漏らす。そして、慌ててキツネのお面を外してみせた。
いつも通り、優しく垂れた目尻とふっくらとした唇が特徴的な、綺麗に整った美貌が現れる。希は恥ずかしそうに笑うと、お面の位置を再び顔の横へとずらした。
「それつけてると前見難いだろ」
「せやね。でも、さっきまでは古雪くんが手、繋いでくれてたから」
う。思わず呻き声をあげそうになった。
ありがと、と素直にお礼を言われてしまい、思わず彼女から目を逸らす。
「介護老人かよ」
「もー、ぴちぴちのJK捕まえてそれは酷いんとちゃう?」
「……そうだな、お母さん」
「誰がお母さんや」
やっといつものリズムを取り戻して、俺たちは笑いあった。
なんというか、やっぱりさっきまでの雰囲気は落ち着かない。別に不愉快とかそういうわけではないんだけど、この娘と手を繋いでいる間は何故かふわふわと落ち着かなかったというか。すぐに離してしまいたい、それでいてずっとこのままで居たい。そんなあやふやでハッキリしない感情に襲われる。
ホント、よく分からない女の娘だ。
今まで会ったどんな女の子よりも優しくて、気遣いばかりで、人の顔色ばかり伺ってくる。本当の自分を押し込めて、我儘を言わず、常に誰かを思いやる。今だってそう、いつだってそうだ。
絵里と違う。別の意味で守ってあげたくなるような、危うさを持った女性。
「もう、なんで皆ウチをお母さん扱いしたがるんやろ? 穂乃果ちゃんも凛ちゃんも、たまに希お母さーん、って言って来るんよ」
「へぇ、そうなんだ」
「バイト先でも大学生? って言われる事が多いし……」
少し不服そうに彼女は唇を尖らせる。
そんな様子が可笑しくて、俺は思わず笑ってしまった。
「もう、そんなに笑わなくても良いんとちゃう?」
「あっはっは。ごめんごめん」
「むぅ。ウチだってれっきとした女子高生なんやから」
「あぁ、分かってるって」
分かってる。
希は、他の人から見れば凄く大人びていて、冷静な女の娘だ。穂乃果達にとってもそう。いつでもグループ全体を見て、空気を読んで陰ながら自分たちを支えてくれる頼りがいのある先輩。そしてそれは別に間違ってない。
それも彼女の一つの側面。
でも。
「結構子供っぽい部分もあるのにな?」
一瞬。希が嬉しそうに笑った……ような気がした。
「…………! そうだよ。そういう一面もあるんやから」
「ふふん。今日一日で沢山見たわ、そういう所」
「う……皆には内緒にしてくれると助かるんやけど」
「出来たらな」
「古雪くん!」
別に心配しなくても、今日あった色んな話を皆に話すことは無いだろう。なんとなく。彼女のこういう一面を知っている人は多くないほうが良い。出来ることなら……。
俺は小さく微笑んだ。
希はそんな俺の様子を見て、軽く首を傾げる。そして、少し改まった様子で口を開いた。
「ね、古雪くん」
「どうした、おばあちゃん」
「おばあちゃんとちゃうよ! さっきより年取っちゃってるやん! もう」
「ごめん。冗談だって、どうしたの?」
ぷくり、と頬を膨らませる希に軽く頭を下げる。
ほら。全然大人っぽくない。
「やっぱり、古雪くんも私の事、大人だって思う?」
「俺が?」
彼女はこくんと頷いた。少しだけ、瞳に真面目な色が宿っている。
俺が、彼女をどう思っているかかぁ……。
「大人だとは思うよ」
実際、頭も回るし、気がきくし。精神年齢が高いのは間違いない。
「でも……」
だけど、どうしてだろう。
うまくは言えないんだけど……。
「大人じゃない部分もたくさん知ってるからな……」
「…………」
「難しいな……なんていうのが正しいんだろ? ……普通に同級生、じゃないか?」
適切な言葉が見つからない。
姉のような存在でもないし、妹のような存在でもない。例えば絵里であればそのどちらの特性も持っているような、姉妹のような大切な存在だと言い切ることができるけど……希に対してそれは出来なかった。
苦し紛れに零す『同級生』という単語。
至って普通。
しかし、希は何故か本当に嬉しそうに笑顔の花を咲かせて見せた。
不思議なほどに魅力的なその笑顔。
「ふふ。そっか……そやんな」
「どうして急に?」
「んーん。ふと気になっただけ。……でも、嬉しいものやね。真っ直ぐに、自分のことを見てくれる人が居てくれるっていうのは」
小声で彼女は零す。
しかし、残念ながら後半を聞き取ることが出来なかった。理由は単純。
ぱぁん。
乾いた音を立てて、夜空に大輪の花が咲き乱れた。
俺達はそれらに目を奪われて――。
***
「綺麗やったね! 凄かったね!」
花火が終わり、興奮冷めやらぬ様子で希が話しかけてくる。どうやら花火を見たのは久しぶりだったらしく、尚且つ彼女の琴線に触れたらしい。かなりのはしゃぎようだ。
「確かに。良いもんだよね、花火」
「うん! 良かったぁ」
「……はっ! でも、君のほうが綺麗だよ!」
「その取ってつけたような一言が無ければもっと良かったんやけど」
下らないことを話しながら俺たちは立ち上がる。
「もう、いい時間だしそろそろ帰るか」
俺はスマホの時刻を確認して言う。
屋台の方もまだ出ているものの、あと三〇分もすれば片付けが始まるだろう。確か、希も着付けしたお店に寄って着物を返さなきゃいけない。電車が混んでしまう前に出来るだけ早くこの場所から出てしまった方が良いだろう。
「う、うん……」
しかし、彼女は返事とは裏腹にその場所を動きたがらなかった。
「希? 急がなきゃ電車込むぞ?」
「あ、うん。分かってるよ。でも、えっとね……」
僅かな逡巡。
そして。
「やっぱり、なんでもない」
彼女は何事もなかったかのように笑って歩き出そうとした。
しかし、俺は着物の袖を掴んで希を止める。
「……古雪くん?」
俺は知っていた。彼女がこういう態度を取るのはいつも――相手のことを思いやって、自分の我儘を我慢しようとしている時。
そして俺は。
そんな希の顔が、凄く……嫌いだ。
「希」
俺は彼女の名前を呼ぶ。
きっと、これだけで伝わるはずだ。俺が言わんとしていることが。俺が、少しだけ怒っていることが。希なら分かってくれるだろう。
俺の表情を綺麗なアメジスト色の瞳で見つめていた彼女は、呆れたように笑った。
そして、静かに向かい合う。
彼女の唇が、小さく動いた。
「あのね……」
視線は次第に落ちていき、俺の腰辺りをウロウロと彷徨う。
恥ずかしそうに身体を僅かに動かしながら、彼女はぱくぱくと言葉にならない台詞を紡ぎ出そうとしていた。
「希? ……ごめん、聞こえないんだけど」
「うぅ」
じとっと上目遣いに俺を睨みつけてくる彼女。
い、いや、俺何も悪いことしてないよな!?
希は慌てて頭のあたりを弄る。そして……
再びキツネのお面を被ってしまった。えらくお気に入りだな、それ。
「あ、あのね」
型紙を通して彼女のくぐもった声が届く。僅かにその声が震えていることには気が付いていたけど、俺は黙って待つ。
「二人で……」
一瞬の間。
そして。
「二人で写真、撮らへん?」
――脱力。
なんだ、そんなことか。
俺は呆れて言葉を失ってしまった。別にそのくらい遠慮せず言ってくれれば良いのに。
しかし、希は無言のままの俺の様子を別の意味に解釈したのか、慌てて両手を顔の前で振ってみせた。
「ふ、古雪くんが嫌やったらええんやけどね! 今日はすごく楽しかったから、記念くらいにはなるかなって思っただけだから。だからその……」
「…………」
「な、何か言ってくれないと分からへんよぉ」
はぁ。
俺は盛大に溜息をついて、お面ごしに希のおでこを小突く。
「あぅっ」
「良いよ」
そう言って、俺はスマホのカメラを起動した。そして自撮りモードへと変えて位置を調整する。これだけ人が多いと他の人に撮ってもらえる様なスペースは出来ないから。
ゆっくりと、肩と肩が触れ合うような距離まで、俺は希に近づいた。
やはり他の女の子と写真を取る時とは何かが違うけど、幸いさっきまで手を繋いでいたんだ。これくらいなら容易く出来る。
「ほら、お面」
俺は希の顔を指差して、相変わらずつけられていたままのキツネを外すように言う。
「う、ウチはこれで……」
「なんでやねん! 何が面白くて仮面と写真取らなきゃいけないんだよ……記念写真だろ?」
「あ、でも、今はちょっと……」
うるさいわ! しのご言わずに取りやがれ!
俺はなぜかお面を外す事に抵抗を見せる彼女の顔の方に右手を伸ばし、それを取り去った。
「あ……」
不意打ち気味にお面を奪われた希の口から小さな声が漏れた。
そして俺は言葉を失う。
目に飛び込んで来た彼女の顔は、俺が見たことがないくらい真っ赤に染まっていて……。
希はすぐに俯いて表情を隠した。
どうして彼女がそれを外したがらなかったのか、やっと分かった。
「…………」
「…………」
俺たちは無言で目を逸らす。
自分の頬まで熱を持ってきたのが分かる。
調子が狂う。
調子が狂う!
どうしてだろう。普段はこうはならないのに。
二人きりだからだろうか? まだ距離感が曖昧で、どこまで近付いて良いのか分からないからだろうか? それとも、今の俺には考えつかない理由があるのだろうか?
俺にはまだその答えが分からなかった。
分かりようが、無かったんだ。
残ったのは、少し紅い顔で。
それでいて心の底から楽しそうな笑顔を浮かべる俺と希の記念写真。
でも、二人の距離は……まだ少しだけ遠かった。