令和の夏は灼熱地獄とも比喩されるほどで、泉鏡花が表現した溽暑蒸濁《じょくしょじょうだく》という言葉すら生温いのではないか、と思えてしまう。
真昼の炎天下を出歩きたくはないのだが、お役所仕事とか平日昼間しかやっていないものがあると、そうも言っていられない。道中のスーパーなり喫茶店なりで冷房の恩恵に与ることで、道中体を冷やすことで乗り切れるはずだったのだが。
自宅に戻り、息も絶え絶えになりながら窓を開けて網戸にし、熱の籠った部屋の換気をする。扇風機のスイッチを押して強制的に風の流れを作り、服を脱ぎ捨てて肌面積を増やすことで涼を求めようとするが、ただ生温い風が全身を撫でるのみ。
「あ゛ーー」
扇風機の前で変声芸として宇宙人の物真似をやるのは定番だが、故・大平正芳首相の答弁の物真似をやるのは私くらいだろう。大平首相が訥弁で前置きすることからアーウー宰相と揶揄されたのも今は昔。私も小さいころに親戚の集まりで祖父の宴会芸を見て覚えたが、親戚へ披露する『お爺ちゃんの真似』以外で理解されたことはない。
閑話休題《それはともかく》。これは駄目だ、と私の直感が告げている。
炎天下を歩いて茹り、途中のお店で冷房の風に直当たりして身体を冷やし、また炎天下を歩いたことで、自律神経が変になっている。このままぐったり寝ころんでいてもどうにもならない。
「よっこい、庄一」
体を起こすときの掛け声が、これまた古いものになってしまった。誰も聞いていないからいいけど。
のろのろと起き上がってお風呂場に向かう。ひと汗流すといってもシャワーで肌にまとわりつく不快なベタベタを洗い流すのではなく、湯船にお湯を溜めて浸かり体の芯から汗を絞り出すのだ。
こうすることで『暑いのか寒いのかよくわからん』となっている自律神経に『暑いってのはこういうことだ』と教え込み、チューニングすることで不調を強引に脱するのだ。
風呂上りはバスローブならぬ浴衣一枚で縁側に出て、扇風機の風を一身に浴びて涼もう。風呂に入る前に旬の梨の実の皮を剝いて冷蔵庫で冷やしておきたいところだが、今は面倒くささが勝るのでそれはパス。冷蔵庫にプチトマトが入っているはずなので、それで代替すればいい。
それで落ち着いたら、そのままちょっと早めの晩酌と洒落こもうか……
ああ、うん。こう考えられるってことは食欲は落ちてないってことだから、体調不良も大したことない。なんてことないの精神で今日も夏を乗り越えるのだ。
お終い