私、春河童は和服を愛用しています。
で、以前に長野県上田市へ取材旅行に行った際は時間的制約で無理でしたが、個人的に強く興味を引かれたものがあり、それのリベンジを狙っているわけですよ。
ここまで言えば分かる方もいると思いますが、正解は、『上田紬』。ぱんぱかぱーん。
生糸に適さない屑繭を紡いで作られた紬糸、それを織ったのが紬織物。
上田市では江戸時代前期(1660年頃)から養蚕が盛んでした。
江戸時代は統制令により庶民は絹織物を禁じられましたが、紬は絹でありながら絹でないと容認されました。大島紬や結城紬と並ぶ「日本三大紬」と持て囃された上田紬は、井原西鶴『日本永代蔵』に記述があったり喜多川歌麿の美人画に描かれていることからも、その人気ぶりが分かります。
明治になり、生糸は日本の輸出産業として重要な位置を占めます。
養蚕が盛んだった上田市には、明治43年に長野県初の国立学校として上田蚕糸専門学校が設立され、戦後は信州大学の繊維学部として現在に至ります。
なお1930年代の世界恐慌により大打撃を受け、恐慌から立ち直った後は化学繊維(ナイロン)に押され、現在では国内の養蚕業は廃れました。
余談ですが、1980年代までは上田市内のあちこちに桑畑が残っており、細々と養蚕を続けている農家もそれなりにあったそうです。桑の実が実るシーズンは地元の洋菓子店に季節限定の桑の実ジュースや桑の実ジャムが並んだりもしたそうですが、2000年代にはもう見かけなくなったとか……
桑畑に勝手に入って桑の実の果汁で唇を紫に染めたガキどもが、果汁で服を汚したことだけ親に叱られたとか、そういう大らかな話を聞くとちょっと羨ましいですね。
話を戻して。
上田市には今でも上田紬を取り扱う工房が数軒残っています。
さすがに上田紬で一着揃えるとなると金銭的に清水の舞台から飛び降りる覚悟が必要ですが、帯留め、ふくさ袋、風呂敷、ストールといった小物ならお手軽価格です。男性ならネクタイもお勧め。
上田紬には三裏縞(みうらじま)の別称があり、これは裏地を3回取り替えられるほど長持ちするという意味です。そこそこ手荒に扱っても大丈夫ですし、初対面の人と話の取っ掛かりになったりするので、特徴ある小物を1つ持っておくのは損になりませんよ*1。
最後に、文筆業のはしくれとして簡単な紹介を。
「女工哀史」と「あゝ野麦峠」はどちらも、明治大正の製糸産業に従事した女工たちのルポタージュ作品です。
上田紬と直接の関係はありませんが、あゝ野麦峠は同じ長野県の諏訪・岡谷地方が舞台となっています。
お終い。