「ああー、やっと終わった」
執筆が一区切りついて、ひとつ大きな伸びをする。肩こり緩和のために首をぐるぐると回して、盆の窪を手で揉む。
それでようやく、机上に散らばる原稿用紙を整理する。
時計を見ればすでに良い子の皆はお眠の頃。原稿は明日の明るいうちにマリコへ渡せば間に合うので、今は一人きりだ。
大人しく就寝するのが健康のためではあるが、原稿を上げたという達成感・高揚感があって眠気はまったくない。
「今夜は半月か……
窓辺から外を確認し、小さくため息を一つ。
コンビニへ買い物にでも出ようかなと思ったが、うら若き乙女が夜半に一人で出かけるのは、残念ながら防犯的な意味でリスクが大きい。大人しく引き下がるしかないだろう。
しかし、梅雨明け間際の、雨天の寒さと夏の暑さが混じった生温さ。どことなくどんよりしたこの空気。このまま引き下がるにはどうにも勿体ない。
「あ、そうだ!」
思い立ったが吉日、私はすぐに実行に移すことにした。
と言っても、窓近くに椅子を寄せて、本棚から一冊の本を取りだし、部屋の照明を落とすだけだが。
月明りと街灯が、庭の草木に影を落とす。私は近所迷惑にならないよう声を押さえながら、詩集の一片を朗読する。
「月の光が照っていた、月の光が照っていた。お庭の隅の草むらに、隠れているのは死んだ児だ」
七五調のリズムを口にするのが心地良い。
いきなり『死んだ児』とホラーっぽくなるのも良い。
中原中也『在りし日の歌』から『月の光』。
「おや、チルシスとアマントが、芝生の上に出て来てる。ギタアを持っては来ているが、おっぽり出してあるばかり。……月の光が照っていた、月の光が照っていた」
チルシスとアマントは、岩波文庫の注釈によれば妖精、音楽の精のようなものだとか。
本来は賑やかであるはずの彼らが沈黙を保っている。それは幽霊を思わせる。
おおチルシスとアマントが、庭に出て来て遊んでる
ほんに今夜は春の宵、生暖かい靄もある
月の光に照らされて、庭のベンチの上にいる
ギタアが側にはあるけれど、いっこう弾き出しそうもない
芝生の向こうは森でして、とても黒々しています
おおチルシスとアマントが、こそこそ話している間
森の中では死んだ子が、蛍のようにしゃがんでる
詩の続きを一気に口ずさむ。
窓の外に広がる夜闇の景色を詩に重ねる。
かすかに聞こえる葉擦れの音。暗く見通しの効かない庭の向こうに、森が広がっていることを想像する──
上手く言語化できないが、詩に含まれるもの悲しさに共感しながら、雰囲気に酔っているかのような。
……このまま、寝落ちしちゃおうかな
お終い。
『在りし日の歌』は著作権が切れているので、引用に問題はないはず。