伏黒甚爾に成り代わった人が息子を本家から逃がそうと頑張るけど結局ほぼほぼ何も変わらない話。

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パパ黒伝説〜そして母になる〜

 自尊心さえ捨てれば、クソのような家を生き続けるのもいくらか楽だった。

 

 

『呪力も持たん役立たず……』

『禪院に生まれながら呪力の一つも宿さぬ出来損ないめ。生かされているだけでありがたいと思え』

『なんだ、あのゴミはまだ死んでいなかったのか』

『禪院の恥晒し』

 

 

 嘲笑に軽蔑に嫌悪。

 慣れてしまえばなんて事のない腐臭のするそよ風のようなもの。

 へらへらと薄っぺらの笑いを口に貼り付けながら、ゴミだから役立たずだから恥晒しだから──それでも生きたかったから──耐えて耐えて耐え続けて、ある日。

 生まれてからずっと注がれ続けたコップの水がついに外に溢れてしまった。

 

 生温く鉄くさい鮮血を全身に被った。

 

 

「ぁ、っあ……」

 

 

 喉に突き刺したボールペンが漏れる呻きに合わせて上下に動く。

 ボールペンを握ったままの手から力を抜いて、覆い被さる男の体を横にずらした。

 

 

「ひゅ、ひゅ……」

 

 

 血が止まらない喉を押さえて、男は限界まで目を見開いて俺を見上げている。そこに浮かぶ恐怖という感情を向けられてなお何も感じない。

 

 相手は分家に生まれながら術式を持った禪院家の中でもそれなりの地位を約束された男だった。

 幼いころからしつこく付き纏って嫌がらせをしてきていた男だ。あれだけサルだと見下し笑ってきた男なのだが拍子抜けするほどあっさりと死にかけている。

 

 男の首から血に濡れたボールペンを抜き取って、乱れた襟を整える。いつものように笑いを貼り付けて、給仕をしていた。

 言われるまま屋敷の雑用をしているときに、この男が普段使うことのない座敷に連れ込まれて俺を押し倒した。体をまさぐり着物の下に伸びてきたざらつく手の感触が、最後の一滴になった。

 

 それは暴力の延長で行われた。決して初めてではなかったし、とっくに慣れているつもりだった。

 けれど今までは耐えてこられたはずのことがきっかけになってこうなっている。なら今でなくともいずれはどこかで、同じ結果を迎えていたのだろう。

 

 

 ──やがて来るいつかを今、迎えただけだ。

 

 

 少しずつ目の焦点が合わなくなっていく男の首を足で踏み抜く。足の裏からボキッという折れる感触が伝わってきたのを確認して廊下に出た。

 

 ボールペンは庭に埋めた。返り血を浴びた着物は着替えて、体についたままの血は洗い流す。

 そうやって考えうる工作をしてから普段通りの雑務に戻った。

 

 

「奥の座敷で××様が死んでいたんだって」

「え、なにそれ。何かの呪い?」

「さあ、でももしかするとそうかも」

 

 

 数日後、そんな噂話が聞こえて思わず笑いが漏れた。誰も気づかず話を聞きにすらこないのだ。

 バレないよう隠蔽工作をした。それでも素人のやっつけで、完全などとは程遠いもののはずで……。

 それでもバレない。呪力がないから、術式を持たないから誰にも気付かれない。

 

 

「だはは」

 

 

 あれだけ尊ばれた術師という存在が不完全な生き物であることを知り、呪力のない自分はゴミですらない透明人間なのだとようやく思い至った

 同時に家を出る決意をした。

 

 

 血と術式に恵まれた術師を殺して金を貰う。呪力の有無でなく、死ぬか殺すかの弱肉強食でわかりやすい世界だ。

 

 

「たま〜にもっと早くに家を出てりゃよかったって思うんだよなぁ」

「そうかよ」

「あんだ、時雨。付き合いわりーぞ」

 

 

 一仕事を終えたタイミングで、煙草の臭いが染み付いたスーツを身につける時雨が現れた。

 呪霊に家を出るとき持ちだせるだけ持ち出してきた呪具たちを仕舞い込む。それまで散々、冷遇に耐えたのだからその慰謝料のようなものだ。当然罪悪感は微塵もない。

 

 

「おし、ちゃんと顔は傷つけないで殺してんな」

 

 

 殺したばかりの死体を確認して、満足げに頷く時雨である。

 時雨とは家を出てから知り合った。術師関係の仕事を持ってくる仲介人だ。

 

 

「時雨、金がねえから晩飯、奢ってくれよ」

「はぁ? 前払い金があんだろ」

「あんなはした金じゃ溶けるのも一瞬だろ。注文通りに働いたんだからいいだろ?」

「はぁ……ったく、牛丼な」

「寿司がいい」

「ざけんな、ガキ」

 

 

 ため息まじりに取り出した煙草に時雨は火をつけた。周囲に広がる煙草の臭いに鼻を摘んで顔をしかめる。

 

 

「俺の前で吸うなよ、くせえ」

「五感が良すぎるのも問題だな」

 

 

 わざと俺に向かって吹きかけてくる時雨の脇腹に掌底を喰らわす。

 

 

「回るほうの寿司でいいなら、寿司にしてやる」

 

 

 呻きと同時に咳き込みながら時雨が苦笑いを浮かべて言う。

 

「初めからそうしろ」と悪態を吐いてから歩き始めた時雨を追う。

 呪霊が体を収納して丸くなったのを飲み込んで、ふと……自分を顧みて足が止まった。

 

 

「どうした、甚爾」

 

 

 突然立ち止まった俺を振り返り、時雨が名前を呼んだ。

 そうだ、甚爾は俺の名前だ。

 術師の大家である禪院家に生まれたくせに術式どころか呪力すら持たなかった。

 家じゃゴミ同然で、だから家を出て好き勝手生きて……。自分の持つ情報を羅列するほど脳内にノイズが走る。

 とてつもなく重大な何かを見落としているような気持ちの悪い感覚がする。

 

 

「なあ、おい。俺って禪院甚爾だよな?」

「はぁ? 当たり前だろ。なんだ、ついにいかれたか」

「だよなぁ……」

 

 

 どうしてか本名である禪院甚爾でなく伏黒甚爾のほうが馴染み深い。奇妙な感覚に首を傾げる。

 さらには、いつの間にか脳内で禪院甚爾とはパパ黒……伏黒の父だという謎の情報まで付け足されている。そもそも伏黒って誰だ。

 

 

「うん、うん……? ……まあいっか。さっさと寿司行こうぜ! 時雨」

「お、おう……まじで大丈夫かよ、お前」

「平気平気」

 

 

 考えてもわからないことは忘れることにしている。どうせ答えなんてでやしない。

 困惑する時雨を促して、頭を掻きながらその場を離れた。

 

 しばらくしてその時に感じた奇妙な感覚の理由を理解する。

 

 線香の臭いが鼻の奥までこびりついている。顔に白い布を被されて横たわるアイツの姿が瞼の裏に浮かんで首を振って振り払う。

 

 

「まぅ、ぁ?」

 

 

 恵の小さな手のひらが頬に触れた。赤ん坊特有の湿った体温の高い手のひらだ。アイツによく似た顔で俺を見上げている。

 

 

「……お前のママは死んじまったぞ」

「まぅ?」

 

 

 恵が首を傾げる。何も分かっていない顔だ。日が沈み、机に置いたままのアイツの入った壺が狭い部屋に影を濃く伸ばしていく。

 何もする気になれず、恵を抱いたまま畳に倒れ込む。遊びだと思ったのか、腹の上で恵はきゃっきゃっと笑い声を上げている。

 

 耐え切れない脱力感にため息が漏れた。

 

 アイツの死を知ったとき、漫画のキャラに成り代わっているのだと初めて理解した。

 

 

「“私”が伏黒甚爾に生まれ変わるとかさぁ……」

 

 

 しかも自覚するのがこのタイミング。どこまでクソなんだ。もっと、せめてもう少し思い出すのが早ければと悔やんでも遅い。とっくにアイツは死んだ。

 

 木枠の天井を見上げる。アイツは俺として、ようやく得た初めての存在だった。初めから何もかも手に入らず、ようやく……幸せが手に入るのかと思った。

 

 

「ぁう~ぁあ」

「……俺もしにてぇ」

 

 

 呟いて、目を閉じた。

 アイツが死んでしまうのだと、もっと早くに前世を思い出せていれば目を離さなかった。側を決して離れなかった。

 後悔しても遅い。

 

 

『甚爾くん。恵をお願いね』

 

 

 人を殴ったこともないような柔らかな手のひらが頬に触れる感触。恵を抱いてこっちへ笑いかけるアイツの姿。

 アイツの愛した恵を術師なんぞにさせてたまるか。

 

 

「……伏黒パパ伝説を始めるしねえか。どこまでやれるかは知らねえけどやってやる、なあ恵」

「あう?」

「なぁに、伏黒甚爾と“私”が同じことをする必要はねえってことだ」

「ぱぁあ?」

「そう、パパだ。俺のこと忘れんなよ」

 

 

 弾みをつけて立ち上がり、恵を抱き上げる。高い高いだとでも思ったのか恵が笑い声をあげる。

“私”のことを思い出せたのはある意味で僥倖か。俺は伏黒甚爾と違う選択肢を選ぶぞ。

 

 

「あ~もしもし、時雨? なんか子連れで出来る仕事ねえ?」

 

 

 携帯を片手に骨壺を呪霊に仕舞い、たった数年暮らしただけの部屋を出た。

 

 

 

 ★

 

 

 

「うっわ! 恵がまた吐きやがった! 仕事前だっつーのによ。時雨、タオル!」

「たりめえだろうが! 恵を抱えたまま仕事に行こうとすんな! あと俺んちをホテル代わりにすんな!!」

 

 

 おぼろ、とゲロを俺の服に吐き出した恵に慌てて時雨へ声をかける。目を吊り上げて怒鳴りながらも時雨はタオルを投げつけてきた。

 タオルで恵の口の周りを拭い、ゲロにまみれたTシャツを脱ぐ。

 

 

「いいじゃねえかよ、こぶつきだと女が釣れねえんだよ。仕方ねえだろ」

「お前なぁ……仕事以外でお前と関わらせんなよ、頼むから」

「はぁ~~? テメエはこんなにかわいい恵を見捨てられるのかよ? 薄情な男だな、死ね」

「恵は可愛いがお前は可愛くない。お前が死ね」

 

 

 アイツ名義で借りていたため部屋を追い出された。

 そこで転がり込んだ先は時雨の家だった。時雨がいれば仕事もあるし、ちょうどいい。

 

 

「次の女が見つかるまでだって。我慢しろよ」

「お前……そう言って前の仕事の報酬はどうした」

「ちょっと足りなかったから倍に増やそうとしただけだろ! もっと払いのいい仕事回せや!」

「博打してねえで貯めろ! こぶつきに危険な仕事回せるわけねえだろうが!」

 

 

 時雨のところにいるのが便利で今のところ女を探すこともしてないが、と頭を掻きつつ誤魔化す。

 しかし目を吊り上げた時雨の怒鳴り声に反応して恵がぐずりだしてしまった。

 

 

「あ~あ~、テメエがでかい声だすから。ほら、恵~怖くねえぞ~」

「……誰が出させてんだ……」

「きゃぅ、ゃ!」

「は~~、ほんとに恵はかわい~~な~~~? さすがアイツの子だよ」

 

 

 恵を持ち上げて、高い高いをすれば機嫌は一気に治り、きゃらきゃらと笑い声をあげはじめる。さっきまでゲロをはいていたのが嘘のようだ。

 少し成長して伸び始めた黒髪はアイツに似て毛先があちこちに跳ねている。見ていると自然と頬が緩む。

 抱きしめぷくぷくとした恵の頬に頬ずりをする。

 

 

「……甚爾、お前変わったなぁ」

「はぁ? 何がだよ?」

「さてな。ほら、恵は俺が預かっとくから、さっさと仕事してこい」

「へーい、泣かせたら殺すからな」

「赤ん坊は泣くのが仕事だろうが無茶言うな」

 

 

 しみじみと呟いた時雨に振り返る。

 軽く睨めば肩をすくめられて、両手を差し出された。そこに恵を抱かせて、仕事へ向かった。

 

 

 

 

 

「子が出来たそうだな」

 

 

 仕事で訪れた、とある街。

 声をかけてきた髭に見覚えがあった。ニヤニヤと嫌な笑いを浮かべながら髭を撫でつけ俺を見ている。

 

 

「耳が早えじゃねえか、宗家当主」

「ふん、出来損ないといえ禪院の血の者。可能性はゼロではないからな」

 

 

 人込みの中に3、4……。一般人に扮するわりに呪力を隠せてもいない雑魚が当主と俺を囲んでいる。

 

 

「しかし……貴様の家出をせっかく見逃してやったというのに、本家に報告もないとは。薄情だな、甚爾よ」

「術式を確認してからしようと思ってたのさ。お前らだって空振りは嫌なんじゃねえのか?」

「ほう? と、いうことはその気であったと?」

 

 

 髭が現れてから、携帯のバイブレーションが止まらない。相手は時雨だろう。恵がゲロを吐いたからと、預けなきゃよかった。

 少し前の自分の選択を後悔し、当主に交渉を持ちかける。でなければ無理やりにでも奪われる。

 

 

「5、6歳。術式の有無がはっきりしたらお前らにやらんでもない。勿論金次第だがな」

 

 

 こみあげるゲロを堪えながら平然と自ら提案してみせた。当主の表情が思案するものへと変わる。

 当然本心ではない。今、何よりも必要なのは時間だ。約束は反故にする。追手が出たとして俺なら誰であろうと殺せる。

 

 

 

『甚爾くん。恵をお願いね』

 

 

 

 当たり前だろ。恵は守る。術師にはさせない、絶対に。内心を隠して頭を掻きながら髭へ笑いかける。

 

 

「相伝なら10だ。それ以外でも8やろう」

「交渉成立だな」

 

 

 髭の返答を確認して背を向ける。全意識は髭と周囲を囲む術師へ向けたまま携帯を耳に当てる。

 

 

「おう、どうした」

『お前な! 早く出ろよ! さっきうちにマンションに禪院の術師が来たぞ! どうなってんだ!』

 

 

 電話口でされる時雨の狼狽した声。

 術師へ多少薄暗い部分のある時雨は居留守からの窓から部屋を抜け出て、人の多い場所に移動したらしい。

 流石に一般人の前じゃ術式は使えねえもんな。

 

 

「恵は?」

『あぁ? 一緒だよ』

『だぅ!』

「ひゅー、禪院相手にやるじゃん。あとでお礼のキスをしてやろう」

『いらねえわ。こちとら伊達に仲介人してねえからな。いらん労力かけさせられたんだ、あとで慰謝料だぞ』

「体で払うって♡」

『馬鹿か』

 

 

 通話が切られる。

 術師の気配が消えたのを確認してから恵の元へ向かう。

 歩きながら手のなかで携帯が粉々に砕け散った。

 

 

 

 時雨のところはダメだ。

 時雨じゃ何かあったとき本家から恵を守り切れねえし、アイツに何かあったら仕事もなくなる。

 

 

「で、そういう感じになるわけか……本気か?」

「俺なら出来る」

 

 

 呆れを隠さず煙草をくわえる時雨に親指を立てる。

 仕事中、体に巻き付ける呪霊のさらに内側に抱っこ紐で恵を抱えている状態だ。何かあれば呪霊が盾になり、かつ俺が守れる最適解。万が一のときには呪霊の口のなかに仕舞うことも視野に入れる。短時間なら平気だろ、多分。

 

 

「馬鹿? ああ、馬鹿だった。いくらお前でも無理だろ……それは」

「出来る出来る。俺さいきょー」

「恵の教育にも悪くねえか」

「でも俺の息子だぞ?」

「んん、……いや、何も出来ん俺が言うのもなんだが……非術師の家族の戸籍でも手に入れて、禪院が追えねえようにした方が早いんじゃねえか?」

「それにも金がいる。とにかく稼がねえと仕事回せ」

 

 

「はぁ……ほんと変わったよお前」

 

 

 

 ため息と一緒に吐き出された紫煙が空に昇っていった。煙は腹が立つほど青い空に溶けて消えた。

 

 

 

 ★

 

 

 

「だはは」

「わらうなよ!」

「いいねえ、恵。可愛くなったじゃねえか」

「おれはおとこだぞ!」

 

 

 3年も経つと抱っこ紐で抱えたまま仕事というのも不可能になった。いや、俺はまだ余裕なのだが、恵本人が嫌がるようになった。

 赤ちゃんみたいだから嫌なんだと。まだ赤ちゃんみたいなもんじゃねえか、なあ?

 預けた行きずりの女の家に恵を迎えに戻るとひらひらとしたワンピースを着せられていた。むっすりと不機嫌全開の恵が出迎えたのだ。

 

 

「あいつは?」

「しごとだって! これぬいでいい?」

「おー、脱げ脱げ。で、お前はなんでンなの着てんだ?」

「これ、きたらおやじがはやくむかえにくるって……」

 

 

 ワンピースを脱ぎ捨てて、元々着ていたTシャツとズボンを手早く身に着けていく恵の様子を眺める。

 どうやら女に騙されたらしい。まあ……確かにこの姿の写メが送られてきたから急いで帰って来たんだけどよ。

 急に子供の女装姿の写真が送られてきたら特殊趣向のヘンタイに売られたのかと心配になるというものだ。なんせ相手は信頼もクソもない行きずりの女。

 服の下に痣なんかが見当たらないのを確認して、ふくれっ面の恵の頭を撫でる。

 

 

「なんだ、俺に会いたかったのかよ?」

「おやじ、しごとなげえんだよ! もっとはやくかえってこい!」

「だっはっは! 恵ちゃんカワイー!」

「かわいくねえ!」

 

 

 目を吊り上げた恵を抱き上げようとすれば軽く暴れられる。そんな嫌がられると親父も少し悲しいが?

 仕事に出かけた女の家で夜を明かした。

 

 

 

「おやじ。もうめェあけていい?」

「お~……いいぜ」

 

 

 死体と返り血が付いたジャケットを脱いで呪霊に仕舞う。本家の連中はやはり我慢が出来ないようだ。術式が分かったらこっちから連絡をすると告げてあるのに、本家の術師が周りをうろつくようになった。

 まあ、守るつもりは微塵もないんだけど。

 少し離れて両手で目を覆い、しゃがみこんでいた恵が駆け寄って来る。ミトンの手袋をしたまま恵の手が俺の方へ自然と差し出されたので握り返す。

 

 

「なあなあ、おやじ。つぎはどこいくの」

「そうだなぁ。雪は見飽きたよなぁ。海と山ならどっちが好きだ?」

「うみ! おやじは?」

「ふーん……じゃあ、山だな」

「えー! ならなんできいたんだよ!」

 

 

 また頬を膨らませる恵に笑いながら、まだまだ小さな手を引いて雪道を歩く。背後で点々と残る血痕を見せないように、なんてことの無い会話を振り続けた。

 

 

 一年後、伏黒姓の女と知り合った。恵より一つ年上の娘がいてどこか薄幸そうな女だった。

 

 

「おじさん、は……新しいお父さん?」

「……お~、どうやらそうらしい」

 

 

 なし崩しのように一緒に暮らすようになった。何故なのか。俺には伏黒甚爾になるつもりなど少しもなかったはずだ。

 

 顔も半袖シャツから見える腕にも痣を作った女の娘の姿に、気が付いたら結婚したいという女の提案を受け入れていた。

 女の家に住み着いていた元カレを追い出して、女の娘に目線を合わせて挨拶をする。

 

 

「俺は甚爾だ。こっちは息子の恵、今日からここに住む」

「ぁ……わ、たし、わたしは伏黒津美紀です」

「おう、よろしく」

 

 

 頭を撫でようと手を伸ばしたところ体を震わせたので、やめる。

 

 

「つみき……なに? 新しい親父の女?」

「だは、なんでだよ。流石にねーーよ。恵、お前の姉ちゃんな」

「ねえちゃん?」

「う、よろしく、ね。恵くん」

 

 

 あとは子供同士でどうにかすんだろ。欠伸をしながら畳に寝転ぶ。予想通りというか、なんというか。娘を押し付けて女は姿を消した。

 付きまとう元カレをどうにかする代わりに伏黒姓を貰う……というお互いに目的在りきの結婚だったので不思議でもない。

 

 しばらく過ごして、恵と津美紀は随分と親しくなっていた。相性はいいようで何より。

 

 

「あ、おかえりなさいお義父さん。あのね、恵とカレーを作ったの」

「……ほーん、ただいま?」

「ふふっ、どうして疑問形なの?」

「おやじ、帰って来るのおせえー!」

 

 

 津美紀もいつの間にか俺に慣れていた。子供の適応力ってつえー。

 

 タイムリミットが迫っている。

 

 

 

 

 久しぶりに会うような気がする時雨からは微かな加齢臭がした。

 遠くとも耳に届く爆発音。俺の目には遠目にも五条とQの戦闘が見て取れている。

 

 

「どうだ、禪院。星漿体暗殺、一枚噛まないか」

 

 

 その先で自分がどうなるかを知っている。口の端が持ち上がる。

 

 

「もう禪院じゃねぇ、婿に入ったんでな。今は伏黒だ」

 

 

 結局、逃げてばかりじゃ埒が明かないのだ。もうじきに恵も入学してあちこち連れまわすのも難しい。そもそも小学校に入学させないという選択肢は死んでも選びたくない。

 

 そう、死んでも。

 

 

「いいぜ、その話。受けてやる」

 

 

 この4年近い放浪で恵を禪院に行かすよりは五条に託した方が、先が知れている分まだマシだとようやく決断を下せた。腹を決めるまでだいぶかかったな。

 

 

「けどもしかしたら俺、今回はマジで死ぬな!」

「珍しいな、流石のお前も五条相手じゃ不安になるのか? 天下の術師殺しでもか」

「持ち上げんなよ、そりゃ死ぬ気はねえっての。しかし相手は五条悟だ。場合によっちゃマジであるからな、可能性の話だっつーの」

 

 

 からかうような時雨の言葉に顔を逸らして、頭を掻く。

 禪院のゴミ溜めよりは五条の方がいくらかマシ。今は非術師の津美紀もいる。

 

 

「ほーう……、なんかマジで珍しいから牛丼でも奢ってやろうか」

「はぁ? お前が? ……、どうせなら焼肉にしろよ、ケチくせえぞ」

「ざけんな、お前を連れて行くわけねえだろ、いくらかかんだよ」

 

 

 時雨に白目を剥いて中指を立てれば、後頭部を叩かれた。それ、お前の手の方が痛んでねえ?

 

 

 

 ★

 

 

 

「最期に言い残すことはあるか?」

「……はっ」

 

 

 抉れた腹。思わず笑いが漏れる。

 

 

「ねえよ。……、2、3年もしたら俺のガキが禪院家に売られる。好きにしろ」

 

 

 言い捨て、意識が途切れた。

 

 

 

 暗転。

 

 

 

「あ?」

「お~、よく寝てたな。甚爾」

「あんだ?」

 

 

 途切れたはずの意識が再び繋がった。

 嗅ぎ慣れた煙草の臭い。時雨の見慣れた顔がのぞき込んでいる。

 

 

「いや、マジでな。本当にお前の言う通りになるたぁ思わなかった。お前もしかして予知の術式とか持ってんじゃねえか?」

「術式ねえよ、呪力もねえよ。言わせんな、ボケ。……俺は死ななかったのか?」

「いや死んださ」

 

 

 妙に嬉しそうに笑う時雨に状況も分からないまま体を起こす。

 灰色の壁が見えた。そして時雨の背後に見慣れない女が立っている。知らない顔だ。女の顔を忘れたことはないので、紛れもなく初対面。

 寝かされていたベッドは固い。

 無機質なタイル張りの床に壁には銀色の戸がいくつも並んでおり、それが何か理解する。

 

 

「ここは死体安置所か」

「そういうことだ。こちらはちと珍しい術式持ちのお嬢さん。詳細は伏せるが、なんとなくは察せるな?」

「降霊術?」

「まあ、似たようなもんだ。あとで報酬は支払うんだな、彼女……結構高いぞ」

 

 

 時雨の後ろに立っていた女がお辞儀をすると、去っていく。二人きりになり、時雨を睨めばにやりと笑って肩を竦めるだけだ。

 

 

「テメエ……何のつもりだ」

「お前が死ぬ気っていうのが分かったんでな、あえて死を匂わせてここまでプランに入れてたんじゃねえのか?」

「……はぁ? ンなわけねえだろ……死体で生き返らす術式があるとか知らねえよ」

 

 

 ベッド、というかストレッチャーから降りる。五条に抉られた胸の傷がないので、本当に別の死体を使ったんだろうな……。

 死後硬直でか、足に力が入らずバランスを崩す。

 

 

「気を付けろ。その体でも元の身体能力なのか分からねえぞ」

「……は?」

「降霊術のようで降霊術じゃない、他人の死体で死人を生き返らすだけの術式らしい」

 

 

 体を支える時雨を見上げる。

 見上げた。

 前と違って時雨と視線が合わない。そこでようやく体の違和感に気が付き、ぞっと背筋が凍った。

 そういえば声が高い。震える手で、自分の顔に触れる。柔らかな頬。小さく華奢な手のひらが目に入った。

 胸に触れる。柔らかな脂肪の感触。筋肉はない。

 

 

「は、俺、まって、俺、女じゃねえ? なあ、おい時雨。俺、女になってねえか?」

「……蘇生の条件に合う死体がそれしかなかったんだ、よ……」

「テメエ!! どうせ生き返らすなら、男にしろよ!! なんで、なんでだ!! ざけんな!!」

 

 

 目を逸らした時雨に掴みかかる。あの、時雨の体がびくともしない。

 

 

「よかったな。恵に新しいママが出来るぞ」

「くぇrちゅいおp@、お前ふざけっrちゅいおp!!!?」

「おう。文句はあとでゆっくり聞いてやるから、とりあえず出るぞ」

 

 

 言葉にならない罵声を時雨に浴びせる。おぼつかない体を支えられながら、安置所を離れた。

 

 

 

 

 

 

「おい……恵はどうなった」

「五条が接触したってよ。まあ……、五条家が手を回すなら禪院家には行かねえだろうな」

「ふーん……」

「恵は平気だろ、よかったな。甚爾」

「お前にはマジで反省して欲しい。つーかなんで俺が死ぬ気って分かったんだ」

「ああ、お前さ。嘘ついたり誤魔化したりするとき分かりやすい癖があんだよ。付き合いが長いからな、俺が気づいてなきゃあのまま死んでたな。愛の成せる技って奴だな」

「ほーん……ヴぉえっ! きっしょ!」

「その体で言うな。おっさんの心は繊細なんだぞ」

「マジできしょい」


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