灼花伝   作:Mk.Z

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第一話 鷹飛丸

 □■天地

 

「はぁ、はぁっ……」

 天地の山奥。人ひとりの腕ではとても抱えきれぬ木々が立ち並び、その雄々しい根が黒々とした岩とせめぎあう太古の森。獣たちが闊歩し、緑が色濃く香る、原始林の奥深くだ。日の光すら弱められる深い森は、木の根と巌に満ち、起伏に富んでいる。そして、そこを必死に走る人間が、一人。

「はぁ、はっ……!」

 若い娘だ。いまだ年の頃十四、五歳と言ったところだろうか。質素な着物をはだけさせ、一目散に山中を駆けている。根を踏み越え、石を踏みつけ、土が飛び散る。

 息は荒く、その頬は泥にまみれ、足は傷ついている。両腕は力の限りに振り回され、肩までに切り揃えられた髪は血と汗に汚されていた。

 その有り様であってなお、少女は美しかった。まるで泥炭の中より掘り出された玉のようだ。黒い瞳は星空のよう、白い肌は冬の雪のよう。

「いよーっ、追え追え!」

 その後ろに迫るのは、武骨な男たち。ちぐはぐな鎧を軽装し、徒歩(かち)で少女を追っている。盗賊、野盗の類いであろう、帯は煮しめたように垢と汗で汚れはて、髭面と禿頭が並ぶ。武具の止め金が揺れ、がちゃがちゃと軽快な音を立てていた。

 森の湿った静けさの中に人の喧騒が滲む。興奮した男たちが喚き、流れる水のように森を駆け抜ける。木の根が踏み砕かれ、泥が跳ね散る。段々になった根を飛び越え、沢を蹴立てて埋める。緑の苔がずるずると剥がれ、萌え出ずる若木がばきばきと断末魔を上げた。

「はっ、あぁ……!」

 少女の足がもつれ、男十人でも囲めぬような、大きな樹の根もとへと転がりこむ。すぐさま、男たちは下卑た笑いで少女を取り囲んだ。狼が兎を狩るように、その輪を狭めにじりよる。

「こ、来ないで!」

少女の叫びに、男たちは哄笑を上げた。

「こ、来ないでェ、だってさぁ~!かっわいいネェ~!」

「そいつは出来ねぇ相談なんだよォ、めんこい娘っこがこんなとこ歩いてたら、悪いおじさんに浚われちまうのぁ必定さね!」

「そ、例えば、俺達みてぇな!」

男たちが唇を歪め、少女に手をのばす。

「や、だめ、だめなの……!あれが、あれが来ちゃう!」

「そうだとも、俺達が来ちゃうよぉ~?ほれほれ」

「違う、違うの……!」

少女の星空のような瞳が怯えと恐れに揺れ、顔色が蒼白になる。大木を背にして、少女が後ずさる。

「あれが、来る!」

 それが、男たちの聞いた最後の言葉だった。

 一陣の風が唸りを上げ、かっと黒い光がはぜる。まばたきひとつの間に、あたりの木立が裂け、獣のごとき叫び声が響く。

 次の瞬間、盗賊たちは皆、頸を斬られて事切れていた。糸が切れたように肢体が崩れ落ち、暖かな血が雨のように降り注ぐ。柔らかく苔むした木々を粘りのある紅が汚す。

 もうもうと湯気を立てる骸に囲まれ、返り血にまみれた少女は呆然と座り込み、次の瞬間、顔を歪めて大声で泣いた。漆黒と白妙の美しき娘に、深紅の花が咲いたようだった。

 

 ◆◆◆

 

 □■天地 阿間里村

 

「もし、恵んでくれぬか」

その声に仁蔵は面を上げた。ぼろ家の入り口に影が落ちている。涼やかな声が響く。

「恵んでくれんかね。山越えに難儀して、飯がないのだ」

「飯がないのはおらも同じだぁね」

 仁蔵はつっけんどんに言った。戸口に立っていたのは、美しく、またりりしい若武者だった。その切れ長の眼、桜色の頬は、ひとめ女とみまごうほどである。年は未だ若い、十六を越したところであろうか。腰には朱塗りの鞘に納めた太刀。旅装は仕立ての良いものであり、頸には緋色の金物細工を提げている。

「どこのお武家様かね?ここらは北玄院の傘下、鈍岩(にびいわ)さまの御領だがね」

「取り立てて名乗るほどのものではない。武者修行にて天地のほうぼうを巡っているのだ」 

 武者は往々にしていくさを尊ぶ。その刀か、否や槍か、或いは弓か?丁々発止のなかにこそ、彼らの誉れがあるのだ。ゆえに名を高め、実を身に付けんと刀を提げて諸国を回るものもいないではない。

 最も、それは武者が多くいる町中、あるいは試合場のあるような所に限られる。人のいない農村など回っても、斬れるのは骨と皮の百姓のみであるからだ。仁蔵は訝しんだ。それに構わず若武者が続ける。

「しかし、腹が減ってはいくさは出来ぬ」

「おっしゃいますがね、おらんとこも食い物は余っとりゃせんでね」

仁蔵は腹立たしげに言った。その手が台所を探る。

「こんなものしかありませんでね」

 そう言って仁蔵が出したのは、米など一粒も入っていない、ひえを炊いた飯であった。ただ炊くのではない。水を多く含ませた、半ば粥さえ過ぎ越しそうなものである。

 この武者、格好からみるに、そこらの貧しい田舎侍ではない。それなりの家に生まれ、日々、白い飯を食っていたに違いない。そのような身分のものがなぜこのような御領の外れを遊山しているのかは分からぬ。分からぬが、食えるものならば食ってみろ!と、仁蔵は思った。

 若武者は、その飯を一目見ると、刹那、瞳を揺らし、そして勢いよく椀を傾けて掻き込んだ。がつがつと食べ終えると、若武者はほっと息をついた。

「馳走になった」

 その食べッぷりに、仁蔵は思わず破顔した。

「おう、おう、おう!お武家様にしちゃあ、気取りがなくて良いじゃねえか!良いぞ、もっと食うか?」

「いや、馳走になっておいてこれ以上厚かましくはなれない」

若武者はそう言うと、頸の後ろに手をやり、頸に提げていたものを取り出した。

「なんだいこりゃ、根付みてぇな……」

「ただの首飾りだ。日緋色金(ヒヒイロカネ)だから売ればそれなりの金にはなるだろう。生憎路銀はすっかり無くしてしまって、これくらいしか無いのだ」

「けっ、礼金代わりかい?要らねぇよ、旅人に飯を分けてやるのは、人の道に従って大したことじゃねえだ」

「では、売らずにそなたの嫁子にでも与えてやればよい、取ってくれ」

 そこまで言うなら、と仁蔵はその首飾りを受け取った。角の生えた虎を象った深紅の飾りは、まるで生きているように仁蔵を睨み付けていた。

「そなたの心遣い、生涯忘れぬ」

発とうとする若武者を慌てて呼び止め、仁蔵は言った。

「ちょいと!お前さん、名前はなんて云うんだい?」

若武者は振り向き、濡れ羽色の瞳を揺らしてポツリと言った。

「わたしの名は、鷹飛丸(たかとびまる)だ」

 

 ◆ 

 

 さて、鷹飛丸が訪れたこの村、名を阿間里(あまり)という。曲がりに曲がった九十九折りの間にひっそりとある里、つまりは大層な田舎であって、もっともかつては小国の都でもあったそうだが、年月の経った今では見る影もなく寂れていた。

 北玄院。天地に君臨する大大名の一人であり、多くの武家を傘下へと収める。その一つがここを統治する鈍岩(にびいわ)家であり、その領地の東端に位置しているのが阿間里であった。

 村にいるものは百姓ばかりである。畑を耕すもの、木を伐るもの、様々ではあるが、どれも富豪には程遠い貧農の村だ。山からの沢があるので水には困らないが、山の高さ故に日が短く、畑仕事にはあまり向かないのだ。

 仁蔵とて、そんな貧農の一人である。ただ困ったことにこの男、二十歳にもなりながら嫁も子もなく、好い仲の娘もいない。作物を売って得たわずかな金は日々の暮らしに消え、極々たまに酒を買うのが精々だった。

 そして、阿間里の村には貧乏の他にもう一つ、思案すべき懸案があった。近隣の盗賊である。近頃の凶作で村人から野盗へと宗旨替えをしたものが出始めたのだ。彼らは山の中に潜み、村々を渡り歩いては金品を奪っていくのがお決まりであった。

 そして、ここ阿間里においても。

「賊だぁぁぁぁぁ!」

 夜、日が落ちて。暗闇の中に、松明の明かりが動く。このような寒村に夜駆けを、しかも大勢で押しかけて来るものなど野盗の他にない。村人が怒鳴り、早鐘が打ち鳴らされる。

 村には大した金品は無く、また城を作っているわけでもない。とはいえ代々継がれてきた道は大蛇の様に曲がりくねり、わずかだが石垣や垣根もある。百姓とて、ここは天地。刀の一本や二本蔵に忍ばせるのが習わしというものでもあった。

 だが、賊は大勢だった。垣を雪崩のように乗り越え、村の田畑を踏み鳴らし、怒声と罵声が響き渡る。馬が嘶き、殴打と刃傷が村に溢れる。

 仁蔵も村の一員として、ぼろ刀を提げて戦に出た。血の臭いを嗅いで頭が高揚する。目が血走り、息が荒くなる。松明の灯りが揺れる中、ぬかるみを踏み荒らして刀を振り回す。一人、二人、三人。かすり傷を負わし、仁蔵は有頂天になった。

 だが、そこまでだった。踏み込みすぎた彼を賊が囲む。ぎらぎらと刀が松明を映し、獰猛な笑みがその顔に浮かぶ。ふうふうとふいごのような呼吸が怒る蛇のように鳴る。賊が踏み込み、上段に構えた刃が振り下ろされる。その時だった。

「そこまでだ」

 りりしい声が大気を裂く。一陣の風と共に、仁蔵の前へと、先日の若武者、鷹飛丸が朱塗りの太刀を抜刀の型で構えて立ちはだかっていた。

「動けば、斬る」

厳しい声とともに若武者が賊を睥睨する。しかし賊は数を恃んでか、気が大きくなっているようだった。蔑むような色が彼らの顔に浮かび、その足がざりざりとにじり寄る。鷹飛丸は眉を顰めて云った。

「わたしにこの数の首が落せぬと思うたか。去れ!」

 鷹飛丸が少しだけ刀身を鞘から覗かせる。途端、賊のみならず仁蔵までもが恐れ慄いた。

 その刀、明らかに並みの刀にはあらず。刀身には月か太陽を打ち込んだように美しい光が走り、そのまとう気配、まさしく修羅のもの。血と殺戮の中に咲く仇花。天地にその名を轟かす名刀……かの百選が一振り、【明霊(あかるたま)】。

「今一度云う、去れ!」

その言葉に今度こそ盗賊たちは逃げ出した。混乱と恐怖は伝播し、もんどりうって走り出す。やがて彼らのすべてが闇へと逃げ去った時、若武者が深く息をついた。

 仁蔵は気づかわし気にその横顔を眺めた。それは畏れでもあったが、同時に憐憫でもあった。鷹飛丸の手は震え、鞘がかちかちと音を立てていた。

 

 

 

 仁蔵は自らの家へと鷹飛丸を通した。村は蜂の巣をつついたような騒ぎだったが、それでも仁蔵と村を救った若武者との間になにがしか縁があることを見て取ったのだろう。村長はそれを見送った。鷹飛丸は仁蔵の家へ入り、不思議そうに声を上げた。

「この前の家がそなたの家では無いのか?」

「あれぁまあ番小屋というか、人が住んどるようなところではないし、そもそもおら一人の持ち物でもない。おらの家はここだや、妹もおる」

そう云うと、奥の間から女が出て来ておずおずと鷹飛丸に礼をした。

「お鈴だ。鈴、このかたが一昨日話した鷹飛丸どのだ」

お鈴は眼を潤ませて言った。

「村のため、賊を退治してくだすったそうで、ほんになんとお礼をしてよいやら」

「止さんか鈴。そのような勝手な台詞を吐くもんではねえ、村の長のような口を利くなぞ、口が曲がるぞ」

「あにいは村長(むらおさ)たちにへいこらしすぎだ、助けてもろうて礼を言うのが何が悪いか!」

「であれば、このようにするもんだ」

仁蔵は向き直ると、

「こんたびは、助太刀に感謝する。あんたのお陰で()()は斬られずに済んだ」

頭を下げた。鷹飛丸は困ったように言った。

「この先の町、山元町で聞いたのだ。野盗がここらを荒らしまわり、阿間里にも向かっていると。慌てて取って返したが、間に合ってよかった」

「では、おらたちの為にわざわざ?」

「気負うな、わたしは所詮、諸国漫遊の身の上。拾った縁は大事にするものだ」

鷹飛丸が仁蔵の向かいに座り込む。お鈴が奥へと下がり、仁蔵が白湯を呷った。若武者が俯き、男がそれを眺める。不意に沈黙を破ったのは男の方だった。

「あんた、手が震えてたな」

「よく見ている」

「おう、目端には自信があるよ、それで、あんた……大丈夫かね」

「ああ、大丈夫だとも」

鷹飛丸はそう云うと、すすめられた白湯をぐいっと呷った。

「昔から、人を斬るのが怖いのだ。人を前に刀を握ると、手が震えて仕方がない」

「荒事が不得手とは、珍しい侍がいたもんだ」

「違う!」

鷹飛丸は声を少しだけ荒げた。その眼が誇り高く燃える。

「獣や化生の類であれば恐れることなどない。だが、人を斬ってしまえば、それは、わたしが……わたしが、人の道から外れてしまうような気がする」

「そうか、まぁ、飲め。水だが」

鷹飛丸はポツリと云った。

「この村の水は旨い。沢が健やかな証だ」

「おぉ、水は自慢だ。数は少ないが、よい菜っぱや果物がとれる」

仁蔵は自分にも水をつぎ、そして家の壁越しに耳を澄ました。

「そろそろだな、お侍。村長が待ちきれんらしゅうて。阿間里を救った英雄に目通り願いたいんじゃろな、分からんではないが。引き留められても長居はすなよ、嫁をとらされるぞ」

仁蔵はそう言ってくつくつと笑った。

 

 ◇◆◇

 

 翌朝、鷹飛丸は村長の家で目覚めた。夜明けの鳥が鳴き、いまだ暗い空に稜線越しの朝陽が滲んでいる。

 ゆうべは、上機嫌の村長に付き合わされた。ひとしきり礼を述べ、どうかゆるりと滞在召されよ、などと調子の良いことを宣い、果てには山ほど酒を勧められたのだ。

(寒村と云えど、村長の家には財があるか。仁蔵の家とはとても似つかなかった)

 富はひとつところに集まるものだ。とはいえ、あの仁蔵や、他の百姓たちが貧しく暮らすなか、村長が些かよい暮らしをしていることは何か物悲しく思えた。

(あれらの賊とて、食い詰めて身を落としたのだろうに)

それを思えば、ますます斬れる筈もない。鷹飛丸は腰の刀を撫で、おぞけに身を任せた。

 村長は、鷹飛丸を引き留めて用心棒代わりにしようとの思惑であろうが、鷹飛丸にはその暮らしはどうも惹かれぬものであった。いかに酒を振る舞われようとも、白湯を飲む仁蔵の傍らでは酔えもしないだろう。

 刀を持たずとも、人は争い、他人の命を少しずつ食い潰して生きようとする。それが人の業であるなら、

「……獣のほうがましだな」

若武者は呟いた。その後ろに村長が歩みでる。

「おお、お目覚めかな、武者どの。よい風でしょう、美しい村だ」

「そうだな」

鷹飛丸は同意した。風は清々しく、森は豊かだ。青い山々は夜の暗闇を残して黒っぽく染まり、薄紫の空を食い取っている。深い山の向こうには深い、深い森が続き、切り立った谷川は大地を割いてずっと奥まで伸びていた。

 と、村長が血相を変えた。慌てて村の外を指し示す。その口が慌ててぱくぱくと動いた。

「た、大変だ、また賊がきおった!馬にまで乗っとる!」

確かに馬が見えた。鎧を着けた男たちが村へと行軍し、馬に乗った武者が大いばりでふんぞり返っている。鷹飛丸は焦る村長を宥めた。

「安心しろ。あれは賊ではない。恐らくは大名、鈍岩家の手勢だろう。村を滅ぼす筈もない」

 そう云いながら、胸を撫で下ろす村長の横で鷹飛丸は渋面を作っていた。大名の家来がこの辺境に訪ねてくる、その目当てにも察しがつくと云うものだ。

 

 ◆◆◆

 

「そちが、鷹飛丸と申すものか」

「……然り」

「そちの働き、立信(たつのぶ)様のお耳にも届いておる。近隣の賊を退治したとか」

「退治してはおりませぬ。追い払ったのみ」

「同じことじゃ。賊どもは観州の方角へ逃げ延びたと知らせが入っておる。ここより追い払ったのであらば、退治であろう」

馬に乗った使者は、尊大な態度で言った。

「ゆえに汝の武、我が鈍岩家配下とするに相応しい。士官せい、鷹飛丸よ」

まるで鼠のような男だった。矮躯に短い髭を蓄え、きょろきょろと忙しなく瞳が動く。そのくせ言葉はまるで公家のように偉ぶっているのであるから、どこか滑稽だった。

「わしは藍沼宗悦(あいぬまそうえつ)と云う者だ。立信様の下で家中のとりまとめを行っておる。この意味、分からぬ粗忽者ではなかろうな」

 使者の位が高いのは決して無意味な戯れではない。家老ほどのものをよこしたからには、畢竟、鈍岩家がそれほどの強さでもって鷹飛丸を欲しているということに他ならない。だが、

「お断りする」

鷹飛丸の返事は冷たかった。宗悦が目を剥く。

「そのほう、気は確かか。鈍岩家の誘いを!」

「そなたたちが欲しているのはこれであろう」

そう言って鷹飛丸は腰の刀を見せた。宗悦が息をのむ。

「昨晩、わたしは人を斬っていない。にもかかわらず仕官を求めるというのは、あくまでもこの名刀が目当てなのだろう。北玄院では近くいくさの先触れがあるとの話はわたしも耳にしている。【明霊(あかるたま)】を持った武士(もののふ)を差し出せば当主の覚えもめでたかろうな」

「目のよい遠見がおってな、その刀に目を付けたのよ。そうか、かの【明霊】か、であればその威容も納得だ。ゆえに、ますます見過ごすわけにはいかん、仕官せい」

「わたしをいくさに使おうというなら無駄だ!わたしに人は斬れない、獣であればいざしらず、いくさであればわたしは案山子と変わらん」

 宗悦は髭をいじりながら首をかしげた。その顔がふっと微笑む。

「それが固辞の所以か。であればそれでよい、人とのいくさには出さん。鬼や獣、羅刹の類であれば斬れるのであろ?丁度その用がある」

そう云うと宗悦の顔が途端に凄みを帯びた。

「ここらが落としどころだと思うがの、鷹飛丸よ」

 

◇◆

 

 鷹飛丸はついに首肯した。どのみちいつまでも固辞してはいられなかった。【明霊】の名には大名の兵力を引き寄せるほどの魅力がある。村長は惜しんだが、大名が相手ではぐうの音も出なかった。稜線を乗り越え始めた朝日を浴びながら、鷹飛丸は宗悦に連れられて、西の方角、鈍岩家の城があるほうへと歩を進めた。

 最後、鷹飛丸は今一度風が吹き抜ける阿間里の村を振り返った。朝日に照らされて豊かな森がざわめき、谷間へと夜が退いてゆく。段々畑が土色に光る。その光景はとても美しかった。

「見とれておるな。ふむ、田舎というものは確かに美しい。が、我らが城もよいところよ」

 鷹飛丸はそうは思えなかった。山を開き、土を固め、人がひしめく町よりも、彼は山や森が好きだったからだ。名残惜し気にしばし滞在した里を後にする。と、その後ろから大音声が近づいてきた。

「おぉぉい、おぉぉい」

 呼ばわりながら走ってくるのは仁蔵であった。すわ奸賊であるかと傍らの侍たちが刀に手をかける。

「よせ!わたしの知己だ」

鷹飛丸は鋭くくぎを刺すと、息を荒くする仁蔵に尋ねた。

「なぜ来た。そなたには関わりのないことだ」

「あ、あんたを放っておけやしねえよ。仕官なんて柄じゃねえだろう」

「下郎。其はいかなる意味だ。我らを愚弄するならば斬って捨てるぞ!」

「黙れ!」

 憤る宗悦に鷹飛丸が叫ぶ。それに臆せず仁蔵は続けた。

「おらにゃ嫁も子もいねえし、いなくなったところで村にはなんの損もねえだ。連れてってくれ!」

「そなたの妹御はどうする。鈴殿をおいてはいけまい」

「鈴にゃもう決まった旦那がいる。おらみてえな厄介者がくっついてちゃあ、あいつにも悪い。気兼ねすることぁねえ」

仁蔵が息をつかせて云った。

「あんたはおらの恩人だ。命の恩人だ。そばにいて困ったことがあったら助けてやりたい。おらを家来にしてくれ!」

 鷹飛丸は思わず瞳を逸らした。仁蔵の申し出は彼の心を深く揺らしていたからだ。しばしの逡巡の後、鷹飛丸は宗悦を振り返った。

「わたしの側仕えだ。連れて行ってよいな」

「好きにすればよい」

 宗悦は言い捨てた。仁蔵は喜色を滲ませ、深く頭を下げた。

 

 

 

 阿間里の里を出でて、すぐ南へ進むと山元町という小さな継町がある。ここは街道の分かれ道であり、東へ行けば国境(くにざかい)を超えて黒羽家の御領のほうへ、そして西へ行けば鈍岩の本拠たる城が鎮座する大石(おおし)の街がある。決して大大名ではないとはいえ、鈍岩家本所ともなれば栄えかたは並ではない。大石山を背に十重二十重の城壁が城と城下町を守り、その中には多くの人々がひしめいている。商いの声が響き、足音と喧騒が風に乗って流れてゆく。宗悦は自慢げに言った。

「よい街であろう。人に力がある。健やかな街だ」

 その言葉は鷹飛丸というよりむしろ仁蔵へと向けられていた。どうも、この鼠のような小男は仁蔵を気に入ったらしく、最初の冷淡さが嘘のように朗らかに話しかけていた。

「おら、こんなでけえ街を見たのは初めてだ」

「そうであろう、阿間里とは比べ物になるまい」

 二人は城の中へ通され、そして仁蔵は宗悦に止められた。これより先、鷹飛丸のみが目通りを許されている、というのが彼の言い分であった。

「二人には狭いが、泊まるところを用意させた。そこで主君を待っておれ」

 宗悦はそう云っていずこかへと去った。小姓が案内を引き継ぎ、鷹飛丸は城の奥へと進んでいった。

 城内は薄暗かった。山の影が伸び、城を半ば飲み込もうとしていた。ところどころに蝋燭が灯っている。

 板の間に静かな足音が響く。そして――

 

「ぬしが、鷹飛丸かえ」

 

鷹飛丸は奥の間に踏み入った。

 

 ◇◆◇

 

 □■天地北部 大石城

 

 ねっとりとした声音が若武者を呼ぶ。そこにいたのは、一人の女であった。蛇のような恐ろし気な目つきに、怪しくも紅い唇が動く。鷹飛丸は驚きのあまり目を見張った。

「そなた、何者だ」

「鈍岩家当主、鈍岩立信じゃ。なにか不審があるのか?」

着座を勧められ、腰を下ろしながら鷹飛丸は驚きの言葉を漏らした。

「鈍岩の当主は女人であったのか」

「別に隠し立てしてはおらんよ。そう云うぬしとて、女のような優男ではないかえ?」

 武家の当主となれば大概は男が務めるものである。ましてや立信と言えば男の名前ではないか。面食らう鷹飛丸をよそに、立信は微笑んで云った。

「ふふふ、その艶やかな顔、かの【明霊】の持ち主とは信じられぬな……それがそうかえ」

立信が鷹飛丸の腰のものを指す。

「その刀、(くろがね)を断ち(はがね)を砕く。たとえ千の武者を斬り捨て、万の鎧を砕くとも、その刃に一切の曇りは無し、夜空の月のように輝く。ゆえに、【明霊(あかるたま)】……」

「わたしの実力をお疑いなら放逐すればよろしい」

鷹飛丸の言葉に、立信はころころと笑った。

「つれない男だこと。けれど逃がしはせぬぞ、仮に逃げ出せば、そなたの素性を天地中に広めてくれよう」

その言葉に鷹飛丸の顔がゆがむ。

「何故——」

「——知っておるか、か?ぬしはもう少し老獪になった方がいいの。宗悦の()には映らなんだようじゃが、わらわの眼は誤魔化せぬ。その称号、()()()を得たものはわらわの知る限り、当代にただ一人じゃ。これでぬしの実力、いや……技も【明霊】に見合うものであることが分かった。まさしく鬼に金棒じゃな」

「では、わたしをいくさに使おうというのが無駄であることも分かるだろう。我が剣は……」

厳しい声音で反駁する鷹飛丸に、立信は(かぶり)を振って言った。

「知っておる。ぬしのあの諍いの顛末はこの耳にも届いておる。わらわが頼みたいのはもっと別の事よ」

妖艶な女は、一瞬言葉を切り、そして続けた。

「大石山の奥山に棲む鬼。それを退治して貰いたい。ぬしであれば叶うであろう」

「鬼?」

 鷹飛丸は訝しげに尋ねた。鬼ならば見たこともある。斬ったこともある。山中を駆けていれば小鬼の一匹や二匹、すぐに見つけられる。姿かたちは様々、その大小も様々。だが、立信は難しい顔で云った。

「ただの鬼ではない。如何にしてか、大石山のお化け岩を叩き斬るほどの豪腕よ」

 女が茶を啜る。鷹飛丸もまた、傍らに出されていた一服を喫した。

「近場の(きこり)が見つけたのだ。山中で歩いていた影を年若い女と思うて声をかけたそうだが、途端に……」

パン!!と立信が手を打ち鳴らす。

「辺りの木々は木っ端微塵になっていたそうじゃ。相当の力じゃろ?」

「樵は?どうなったのです」

「一晩で死んだ。血を失いすぎたのであろう」

氷のように冷たい声で女は云った。

「山中には盗賊の死体も転がっておった。細切れになった立木と一緒にな。ゆえに、悪鬼討伐の触れを出した」

立信はため息をついた。

「刀都より、当代の【斬神】が弟子を引き連れて参ったがな、残らず首無しじゃ。次に見えた【拳王】【喰王】もずたずたになって殺された」

「そのような相手、とても並みではない。わたしごときが勝てるかどうか」

「ぬしには【明霊】があるではないか!」

「【斬神】逸刀斎どのはわたしも存じていた。あのおんかたの刀は、名刀二振り……【果無丸(はてなしまる)】と【鬼灯羅刹(ほおずきらせつ)】、いずれも【明霊】に劣らぬ刀。おんかたが勝てなかったのであれば……」

「策は講じてある。此度の鬼退治、ぬし以外にも大勢の兵を集めた。北玄院よりも客分をひとり、寄越すというておる」

女はその瞳を輝かせた。蠟燭がちらちらと揺れる。

「音に聞く、あの南の蛇神殺しさえ為したおぬしが居れば、ますます勝算も増すというものだ。決戦は明朝。有無は言わせぬ」

 鷹飛丸は何も言わなかった。蝋燭が揺らぎ、消えた。

 

 To be continued

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