灼花伝   作:Mk.Z

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第二話 鬼

 

 □■天地 大石山

 

 明朝。鬱蒼とした森の中に彼ら……鬼狩の衆は集まっていた。具足を身に付け、槍や弓を構えた武者たちである。その中にあっても、一際目を引く者達がいた。

 ひとりは、女とみまごう程の美しき若武者。腰には朱塗りの太刀を佩き、物憂げに視線を伏せている。その傍らで、軽装の男が浮き足立つように辺りを見回した。

「凄い軍勢だ、こりゃ鬼一匹なんて一捻りでさぁ」

「そうとも限らぬ。既に強者(つわもの)が幾人も返り討ちにあっている。わたしも勝てるかどうか分からない」

鷹飛丸の不安げな言葉を打ち消すように、仁蔵は頭を振って云った。

「一揃いの武者だけじゃねえ、他にも強そうなお方達がわんさか居ますぜ」

 確かにそうだった。おおかた鷹飛丸と同じ様に招聘されたものであろう、一癖も二癖もありそうな傾き者ばかりだ。

 地面に座り込み、大酒を食らう鉄砲撃ちの男。大太刀を背に仁王立ちする巨漢。山犬の皮を頭から被った狩人のような男。ただの武者達とは格好からして異質である。そして、

「お前、名はなんと言う」

更にひとり。突如後ろからぬっと現れた男が、鷹飛丸に声をかけた。黒い着物を身に纒い、腰には二刀を差している。乱れた黒髪と伸び放題の髭はまるで熊のようだ。

「聞こえなんだか?名乗れと言っておるのだ」

「鷹飛丸だ」

「知らんな」

 そういうと、熊のような男は薫製の魚を食い千切りながらどっかと木の根の上へ座り込んだ。

「その太刀、見るからに業物。名刀の気を漂わせておる、ゆえにお前もさぞ名のある武者かと思うたが」

「名がさほどに大事か」

問うた鷹飛丸に、熊は獰猛に笑って答えた。

「おうともさ、わしは名が欲しい。金もな。だが、一番好きなのは(いくさ)だ。それを纏めて賜れるのだ、大大名さまさまと云うた所だな」

 その言葉は自信と野心にぎらついていた。熊が更に一口、薫製を噛み千切る。

「……そなた、北玄院の客分か」

鷹飛丸がはっと気づいて呟く。男は顔を裂くように笑って答えた。

「左様。わしが此度の鬼退治に遣わされた客分、新村(にいむら)(とどろき)だ。あそこに並んどる有象無象とは比較にならんからそう思え」

 その傲慢な言葉に、猛者達が剣呑な目を向ける。殺気が膨れ上がり、大気が張り詰める。

「おお、どうした?気分を損ねたか、あいすまぬな、どうも口をつぐむということの出来ん性分でな。馬鹿正直なのだ、堪忍堪忍」

更に煽るような轟の言葉に、彼らの足が一歩動き、鞘が持ち上げられる。鋭い眼光が四方八方から轟を射抜く。そして、

「ほ、威勢がよいの」

次の瞬間、轟の背後に回った覆面の男が刀を振り抜いた。取り回しよく長さを詰められた直刃は、風を切り裂いて轟へと迫る。しかして、轟は首をひょいと傾げてその刃を躱した。右足を下げ、身体を半身に捻る。

「血の気の多いことだ……わし好みだな」

 轟の肘打ちと足払いが覆面の身体を揺らす。そして、意識の死角になった脳天を轟の刀が打ち据えた。覆面の男が崩れ落ち、痙攣する。

「安心せい、鞘じゃ。お前になど刀を抜くまでもない」

 火蓋が切って落とされた、とはまさにこのこと。一旦転がり始めた戦意と高揚は収まりどころを失くし、殺気がひりひりと飛び交っていた。その渦中にて轟が哄笑する。

「うむ、やはり人の相手の方が愉しげよな」

 その渦の外側で、鷹飛丸は忌々しげに顔を歪めた。仁蔵が唸る。

「云うだけのこたぁあるな、本当に強ぇ」

鷹飛丸は静かに言った。

「新村轟。この名はわたしも知っている。かの【斬神】新村逸刀斎どの……その嫡子だ」

「あの、“十文字”の?へぇー、息子がいたんですかい」

仁蔵が驚き顔で轟を見つめた。挑発が挑発を呼び、いまやこの場は乱闘に発展していた。剣や鉄砲など投げ捨て、拳と拳が火花を散らす。血と敵意が交わされ、同時に戦の高揚が暖かく彼らを酔わせていた。

 その内の一人が鷹飛丸へと目を向ける。鷹飛丸の目付きが鋭さを増す。その腰が落ち、左手が鞘へと伸びる。そして、

「止さんか馬鹿ども!」

怒りの大音声(だいおんじょう)がその場を打った。憑き物が落ちたように彼らが静止する。声の主、藍沼宗悦はその矮躯を震わせて言った。

「鬼退治の前に殺し合う気か!少しは頭を冷やさんか!」

「宗悦殿、あんたが此度のお目付け役かい」

へらへらと宣う轟に、宗悦は鋭く言った。

「そうだ。一大事ゆえにな。轟、けしかけたのは汝であろう」

「さぁ、分からんな」

すっとぼける轟を、宗悦は今にもくびり殺してやるとばかりの目で睨み付けると、あきらめたように言った。

「発つぞ。鬼がおるのは、未だ奥の奥だ」

 

 ◇◆

 

 緑の中を軍勢が進む。木の根を踏み越え、具足がかちゃかちゃと鳴る。森の木々は段々とその太さを増し、獣の声が響き始めた。そよ風が吹き、木の葉が木漏れ日を揺らす。人の領域を外れたことを全員が肌で理解していた。

 沈黙に耐えかねてか、仁蔵が言った。

「しかし、何故退治するんで?山に引っ込んでるなら放っとけば良さそうなものを」

「ここは奥山と言えど大石山に通じている。大石城下に攻め込まれることは避けたいのだろう」

「そんなもんですかい」

「おうよ、危ねえもんは始末せんとなぁ」

横から轟が急に口を挟む。

「何せ親父が返り討ちに逢う程だ。街一つ滅ぼすなど容易かろう」

 その言葉には実感がこもっていた。逸刀斎と言えば刀都にその名を轟かせた達人だ。その息子ともなれば、強さをよく知っているのであろう。

「逸刀斎どのが亡くなられるとは、誠に……」

その鷹飛丸の言葉を、轟は手を振って遮った。

「線香臭い文言などいらぬ。むしろ死んでせいせいするわい」

その言葉に、鷹飛丸は眉をひそめた。

「轟どの。その言葉はあまりにも軽骨だ」

「別に良かろう。わしは息子だ、破門されておるがな。実の息子を破門するような親父に礼を尽くすこともあるまい」

轟がくつくつと笑う。

「にしても、若いな、鷹飛丸よ。元服したてに見えるぞ?その歳でその強さ、いやはや怖いのぅ」

「わたしは強くなどない」

「強いとも。行き過ぎた謙遜は毒だぞ。見れば分かる、刀だけではなくその持ち手も一級品よ。その刀は凡愚に従うほど尻軽ではあるまいて」

轟の目が鋭さを増す。

「一手、死合うて貰いたい程だな」

ゆっくりとひりひりしたものが膨れ上がる。轟が腰の二刀に手を掛ける。

 そして、その動きがぴたりと止まった。彼だけではない。雑兵以外の強者たちは皆一様にその動きを止めていた。仁蔵が不思議そうに辺りを見回す。鷹飛丸の額が冷や汗を流す。ふと、轟の唇が動いた。

「静か過ぎるな」

 森とはいのちの坩堝。そこには数知れぬ生き物が蠢き、鳴き交わし、葉擦れの音を立てる……筈だった。

 獣。鳥。蟲。一切が静まり返り、息を潜めている。風さえも死んだように静止していた。鷹飛丸が仁蔵を後ろに下がらせる。轟のらんらんと光る双眸は、目の前の森を透かして後ろを見ようとでもいうように見開かれていた。張り詰めるような静けさが膨らむ。

「来る……!」

 そして、言葉通りにそれは来た。森の生き物、鼠から猪までが濁流のように溢れ出す。茂みを割り、木の根を飛び越え、軍勢の足元をするすると通り抜けていく。仁蔵が気味悪げに叫んだ。宗悦が軍勢に慌てるなと檄を飛ばす。

「ただの獣だ!捨て置け!」

 そう、ただの獣だった。はい回るもの、枝を渡るもの、空を漂うもの、その全てが脇目も振らず逃げ出している。そして、その黒い濁流が途切れ、

「出たぞォォォォォォ!」

森が裂けた。ドロドロと地響きが身体を揺らし、木々が悲鳴を上げる。不気味に唸る生臭い風が森を吹き抜けていく。

 そこに居たのは、一つ目の大鬼であった。小山のような体躯は筋肉に鎧われ、疎らな毛並みが病んだ鼠のように醜悪さを誘う。乱杭歯は泥と血に汚れ、その顔面に開く一つ目は黄ばんでいた。怪物特有の強さの重圧を漂わせている。紛れもない、この山の主だ。

「こいつが、件の鬼か!」

鷹飛丸が柄に手を掛ける。と、宗悦が苦々しい顔で首を振った。

「違う……これではない」

 鷹飛丸が怪訝そうに宗悦を見る。

 と、何ゆえにか、驚いたことに、ゆっくりと大鬼の首が……落ちた。濁った血がどろりと溢れ、黄ばんだ眼が光を失う。毒を含んだ血が辺りの木々を焼き、鬼の身体がどうと倒れ伏す。臭い煙が風を汚している。

 光の塵と化しほどけてゆく、その巨躯の輪郭の向こう側。そこに、鷹飛丸は見た。宗悦が静かに言う。

()()が、件の悪鬼じゃ」

その鬼は、怯える若き娘の容貌(かたち)をしていた。

 

 ◇◆◇

 

 鷹飛丸は動けなかった。ただ呆然とそれを見つめる。構えた腕から力が抜け、瞳が震える。

「宗悦殿。話が違う、あれは人ではないか!」

「そう見えるだけじゃ。見目に惑わされるな、一呼吸のうちに如何にしてか三十人をも斬り捨てる早業。あれは化生の類いよ」

「そのような……」

 問答する二人を差し置いて、軍勢が沸き立った。皆が一様に武器を構え、刃を光らせる。一拍の静寂の後、大地が揺れた。

「かかれェェェェ!」

鬨の声と共に、兵どもが走る。白刃が煌めき、具足がぎしぎしと鳴く。恐怖のあまり蹲る娘へと刀が突き立てられーー

 

ーー裂帛の絶叫の後、武者達が吹き飛んでいた。

 

 黒い光が迸り、鎧を、刀を、人をも切り刻む。立木が音を立てて崩れ落ち、漆黒の岩が割れる。血飛沫が舞い、狂乱が辺りを包む。耳障りな音を立てて、空中を斬撃が走り抜ける。鉄砲撃ちの男が得物ごと三枚におろされる。

 ()は当に人間業には非ず。鎧を重ね、白刃を構えてなおとどめること能わず。天駆ける牙にして風を裂く刃。

「なんという……!」

なんという怪物か。その膂力、鋭い刃、そしてその業の一片たりとも目に映せぬ、電光石火の神速。鬼などという言葉はどれ程不正確であったものか。

 そして、傍らで轟が踏み込んだ。二刀を抜き放ち、獰猛に吠える。途端、禍々しい気配が膨れ上がる。

「轟!その刀……」

轟は答えず、ただ黙って頷く。その右の刀が振り上げられ、

「いざ灼けよ……【死蛍(しにぼたる)】」

その力を解き放った。

 白く灼ける刃が閃き、光の斬撃を()()に焼き付けた。荒々しい叫び声が響き、大気に焼けた骨の匂いが漂う。

 そして、敵の殺気がこちらへと向いたのを鷹飛丸は感じた。戦慄と高揚にうなじが粟立つ。左足を引き、腰を落とす。身体に染み込んだ技が、考えるより先に身体を動かす。意識が澄み、周りの全てが澱んでいく。

「……《神域抜刀》」

【明霊】が閃き、神速と神速のあわいの中で、【抜刀神】鷹飛丸は誰の目にも止まらぬそれを見た。

 

 ◇◆◇

 

 鷹飛丸にとって、剣の道は目の前にはっきりと延びていたものだった。幼少のみぎりより、武家の習いとして刀を握り……そしてその才を花開かせてきた。彼の才には並ぶものなく、熟練の達人であってもその技の前に膝をつくほどだった。そして、十五の冬。彼はある悟りを開いたのだ。

 【抜刀神】。世界にその類い希なる才を認められた証。彼の剣技はひとつ上の領域へと達し、その刀はひとつの技を斬り開いた。

 抜刀術の奥義《神域抜刀》。抜刀の際、鷹飛丸は何者をも捉えうる眼と、何者にも迫りうる速さを得る。

 そして今、その神速の眼は敵の姿をはっきりと捉えていた。

 それは骨のような形をしていた。太刀魚の骨のように連なった白骨が宙を泳いでいる。端は鋭く尖り、あたかも刃を着込んでいるかのようだ。頭の窪み、眼窩とおぼしきそこには、ぼうっと赤い光が灯っていた。

 だが、何より鷹飛丸が驚いたのは、敵手の速度だった。神速に達し、研ぎ澄ませた己れよりも、速い。ここにきて尚、目で追えるぎりぎりといったところ。そして、【明霊】が振り抜かれ……

「……浅い!」

 極限の集中から意識を引き戻し、鷹飛丸は毒づいた。敵の斬撃は弾いたが、斬れていない。正確に刃筋を立てなければ【明霊】は斬れてくれない。ここにきて、未だ鷹飛丸の技が足りなかった。

 宗悦がはっと息をのみ、仁蔵がひっくり返る。今になってようやく事態に追い付いたようだ。

「下がれ!ここも危ない!」

「あ、あぁ、すまねぇ」

 仁蔵がふらふらと後退り、宗悦が冷や汗をだらだら流して云った。

(かたじけ)ない、鷹飛丸。いや、流石、【抜刀神】の名を得ただけはある」

「……知っていたのですか」

渋面の鷹飛丸に、宗悦が応えた。

「立信さまより聞き及んでおる。触れ回ったりはせん」

「……わたしの技はやはり及びません。神速の刃を飛ばすのが敵の術のようです。姿は捉えましたが、斬り損ねました。恐るべき神速です、逸刀斎どのが敗れたというのも分かる」

「姿を捉えただけでも上々だ、今までのお歴々はみな彼奴(きゃつ)の姿さえ捉えられずに負けたのだ……どんな形をしておった?」

「骨の……魚のような……」

 そこまで呟いて、鷹飛丸ははっと目を見開いた。その視線が戦場の中央へと向く。そこには、未だあの娘が身を抱いて震えている。

「まさか……!」

 鷹飛丸は小さく叫び、駆け出した。

 

 ◇◆

 

 主戦場は惨憺たる有り様だった。太古の昔より人を拒んできたであろう深き森は、天駆ける刃に切り裂かれ、その黒い岩の土手っ腹を晒している。その破壊の中心で、男達が吠える。

「《天下一殺》」

犬の皮を被った狩人が【伏王】の奥義を繰り出す。その一撃は凄まじい殺気と共に少女を襲い、そして唸りを上げる刃に弾かれた。風を擦るような叫び声が響き、神速の刃が迫る。土埃が舞い、大地が裂ける。その隙をついて、大太刀を構えた巨漢が踏み込む。

「ぬん!」

太刀というより最早、鋳物の塊とでも言うべきそれは、土埃を割って敵へと肉薄した。大いなる純粋質量による破壊は、しかし、敵の刃によって切り裂かれる。粉々の鉄屑になった大太刀と共に、巨漢がどうと倒れ伏した。

「つまり、あとはわしだけということだな」

轟が獰猛に笑い、その二刀流を構える。

 左は【牛食(うしばみ)】。傷を抉り肉を食らう貪欲の妖刀。

 右は【死蛍(しにぼたる)】。一切を焼き照らす光の妖刀。

()ィ!」

轟が身体を低くして踏み込む。その刃が娘へと向けられ、白銀の妖光が走る。そして、空中でその光が遮られた。轟がほくそ笑む。

「やはり、その身体がお前の泣き所というわけか。……【牛食】!」

左の刀が、光に当てられたその刃を切り裂く。黄色の血が飛び散り、それに塗れた刀身が血を啜って鈍く光る。いかな神速と言えど、光より早いわけもなし。弱点をかばうため、【死蛍】を受けんがためにわざわざ止まったところへ、剣閃を打ち込んでやればよい。

「ぬるいのぅ、親父はこんな奴に負けたのか!潔癖を気取って妖刀も使わぬからそういうことになる!」

轟が哄笑し、その剣さばきが鋭さを増す。

「死ねい、悪鬼!」

その言葉に先んじて妖刀が煌めき、より広く白光をばら撒かんと、喜ぶように震える。鬼の瞳が観念したように閉じ、

「そこまでだ!轟!」

次瞬、厳しい顔の鷹飛丸が立ちはだかっていた。

「何をする、お前、気でも違ったか」

「わたしは正気だ。そなたこそ頭を冷やせ、この娘はどう見ても人間だろう!」

 天地の武者ならば、誰でもその感覚を備えている。強さへの嗅覚。力の量や動きを感じ取る感覚だ。娘には何の凄みもない。どこにでもいる弱々しい女でしかなかった。力を持っているのは、あの空を泳ぐ骨のような獣だ。

 鷹飛丸のその言葉に呼応してか、潮が引くように化生の殺気が収まり始める。するすると()()が娘の中へ戻っていくのを見ながら、鷹飛丸は続けた。

「この娘は鬼ではない。なにか……獣のようなものに憑かれているだけだ。娘自身の恐怖に呼応して暴れまわっている。この娘を斬ることはない!」

「それで?憑き物落としでもやれというのか?この娘……お前の言う“獣”とやらは宝物獣だ、それも高位のな」

轟は顔を歪めて云った。

「知らぬとは言わせぬ。腹の中に宝を抱えておる、倒せばそれが手に入る獣だ。ここでわしがこの娘を殺せば……」

「そなたの欲の為に罪も無い娘を犠牲にしろというか!」

「罪ならあろうさ!悪鬼として重ねた業がまさにそれよ!」

「それは憑き物の犯したことであろう!」

 鷹飛丸は吠えた。赦せなかったからだ。血生臭い戦の論理に無辜の手弱女を巻き込むことが。

 気が抜けたのか、後ろで静かに気を失った娘を庇うように、鷹飛丸は体をずらした。

「わたしには、かようなことは見過ごせぬ!」

 云うが早いか、鷹飛丸は娘を抱えて飛び上がった。二刀を構えた轟が呆け、しかしてすぐにその眼がぎらりと光る。

 鬼を狩るために集められたのだ。それを拒み、あまつさえ当の鬼を抱えて逃げるなど、言語道断。

「むざむざ逃がすか、裏切者が!」

 轟が跳躍せんと地面を蹴る。それと同時、鷹飛丸が地面に落としていた黒い塊が炸裂した。赤茶けた煙が吐き出され、周囲を塗りつぶす。

「味な真似を!」

轟が煙を斬り払い、巻き起こる風が視界を晴らす。だが、既にそこには鷹飛丸も、娘も、仁蔵さえもいなかった。宗悦が叫ぶ。

「何をしておる、早う追わんか!」

「言われずとも……!」

轟が足に力を籠め……そして、糸が切れたように崩れ落ちた。

 妖刀はただ、強き刀というだけではない。あるいは敵を傷つける以上に使い手の身体を蝕む。

 二本もの妖刀の反動をその身に受け止め、轟の身体は既に限界に達していたのだ。その視界が暗く、歪む。そして、宗悦の罵声を最後に、轟は何も分からなくなった。

 

 ◆

 

 □■ある山中

 

 速矢(はや)は夢を見ていた。幸せだと思っていたときの夢。かつて、彼女が只の村娘であった時の夢だ。

 囲炉裏端に母親が腰掛け、手まり歌を歌っている。水仕事で荒れ、がさがさとした指が速矢を優しく撫でる。暖かい囲炉裏端に微睡むように身体が溶けてゆく。その光景がふらりと歪んで、暑く、熱く、そして痛みがーー

 

「ーーお母さん!」

 

速矢は勢いよく身を起こした。

 知らない場所だった。速矢の身体には毛皮のようなものが掛けられていた。それを静かに持ち上げて、速矢は辺りを見回した。

 木々は例に漏れず大きく、空を覆い隠すほどだった。地面は岩肌がむき出しになっている。その上で、二人の人間が焚き火を囲んでいた。ぱちぱちと小気味良い音が響く。

「旦那、うめえよこれ、まさかあんたに料理の心得があったとはねえ」

「旦那、というのはやめてくれ、気恥ずかしい」

二人は焚き火にかけた鍋を囲み、穏やかに話し合っていた。

「この山菜は味噌とよく合ううえ、山鳥の臭みを消してくれる。この山にも生えていてくれてよかった」

鍋の中身は味噌で肉と米を炊き、山菜を散らした雑炊のようなものだった。良い香りが鼻をくすぐる。

「教わったのだ。かつて、料理の得意な……知己がいたから」

 その横顔は少しだけ悲しそうだった。若武者の美しい容貌を憂いの色が飾る。速矢が目を離せずにいると、若武者が気配を読んだのか、ちらりと視線を合わせた。憂いの色が消え、その顔が優しげなものになる。

「気がついたか」

若武者が柔和に微笑み、椀を差し出した。厚い白木の椀だ。

「粥だ、食べられるか?」

 そう言って寄越されたそれを速矢はじっと見つめた。空きっ腹が大きく鳴る。そこで漸く、少女は我に返った。

「あの、あなた達は一体……?」

「わたしは鷹飛丸。こっちで雑炊を貪っているのは……わたしの家来の仁蔵だ」

鷹飛丸が少しだけ厳しい顔を作って云った。

「そなたは鬼として退治されるところだった。大石(おおし)鈍岩(にびいわ)家が触れを出したのだ」

その言葉に、速矢は戦慄した。思わず己が身をかき抱き、瞳を揺らす。身体の中で何かが蠢いているような感覚が脳裏を満たす。

 それを見透かしたように、鷹飛丸は云った。

「そなた、身の内に何か悪いものを飼っているだろう。教えてくれぬか、そなたの身の上を」

 速矢はおずおずと若武者を見上げ、ゆっくりと口を開いた。

 

◇◆◇

 

 まだ村に住んでいた頃、速矢には父親が居なかった。村ではそういった子供は半ばのけ者にされるのが常だ。だが、そんなことでへこたれるような娘ではなかった速矢は、持ち前の負けん気で村の子供らに馴染んでいた。

 とはいえ、時には揶揄いの言葉から、顔も知らぬ父について母親に尋ねたくなることもあった。父親のことを訊くと、母はいつでも哀しそうな顔をして云った。もう少し大きくなったら教えてあげようね、と。

「思えば、わたしの父親は人じゃなかったのだと思います」

 速矢は溢すように云った。顔は青ざめ、俯いている。

「母は、父とは山で出会ったと言っていました。山で会うようなのにろくなものはいません」

 そして、速矢が十四になった頃。転機は突然訪れた。

「戦でした。家名は知りませんが、軍勢が突然村に現れて、畑を踏み荒し、田を埋め立てて……そして、そこで戦を始めたんです」

 それは、十四の速矢にとってあまりに惨いものだった。二つの軍勢が喰い合い、ぶつかり、渦を巻く。豊かな実りをもたらす筈の田畑は血と肉に溺れ、硝煙と吐瀉物の臭いが風を汚した。

「彼らは戦が長引くと、村人を襲って、糧食やなにかを奪いました。そして、母も……」

 小さな家に帰りついたときのことを、彼女は未だに覚えている。山で見つけた木の実を腕に抱えて、扉を開けたときのことを。

 血の匂い。金臭いそれに混じって、臓物のすえたような匂い。

 赤色。紅の血の海と、緋色の肉の色。

 そして、野卑な笑い声を上げて戸口の速矢に手を伸ばす兵士。

「気づいたら、辺りは静かになっていました。戦も、村も、人も失くなって、ただ火だけが……わたしが殺した。わたしが!」

速矢は叫んだ。

「わた、わたしは、憎かった!あれらが、笑っていたのが!愉しそうに、嗤って!だから、だから……」

鷹飛丸が息を飲む。速矢は夢中になって続けた。頬を涙が伝う。

「でも、楽しかった……獣になって刃を振るっていると、血の匂いが芳しく思えて……わたしを踏みつけた奴らをばらばらにするのがとても楽しくて!それが一番怖いんです、わたしは、わたしが……」

「待て!では、そなた、あの獣の意識があるのか?」

鷹飛丸の詰問に、速矢は怪訝そうな顔で言った。

「は、はい……あれはわたしの、一部なんだと思います。獣が感じたことはわたしにも伝わるんです……あれは、喜んでいた。人殺しを、喜んでいました。そして、名前を教えてくれた……建御速矢(タケミハヤ)と」

 鷹飛丸は気が遠くなる思いだった。その言葉が正しいなら、ましてや父親は……

(この娘の父親は人ではない……恐らく、この娘は高位の化生の血を引いている)

「そなた、二度と獣を……タケミハヤを使ってはならぬ」

鷹飛丸は厳しい声で言った。

「そなたの身の内に巣食うそれは、そなたの恨みや憎しみに呼ばれて出てくるのだろう。抑えねばならぬ、さもなければ……人に戻れなくなるぞ」

速矢が怯えた顔で頷く。その顔を見て、鷹飛丸ははっと我に返った。

「怯えずともよい。わたしがそなたを守る。きっと獣を封じる手だても見つかる。天地を巡ればよい賢人にも会える筈だ」

「おうとも、おらも嬢ちゃんを守るぜ。少々頼りないがね」

 仁蔵のひょうきんな物言いに、速矢の顔が少しだけ緩む。鷹飛丸は微笑んで云った。

「では、獣のことは後で考えるとして、そなたも飯を食おう。食うことは生きることだ。そなたの心が、獣に負けぬためにも……」

 

 ◆◆◆

 

 □■天地 大石城

 

 轟は静かに目を覚まし、習い性としてまず辺りの気配を探った。大きな部屋、いずれかの屋敷。侍従とおぼしき気配が遠くにひとつ、そして、

「無様じゃのう、新村よ」

女の声。すぐそばに座る女がいる。そこで轟はぱちりと目を開いた。

「ほーぅ、これはこれは立信どの」

「気安く呼ぶな。ぬし、おめおめ寝こけておる間に鬼を逃がしたそうではないか」

「わしを責めるのはお門違いでしょう」

 轟はそう言って跳ね起きた。布団のそばに置いてあった二振りを確かめ、女を見やる。立信はため息をついて言った。

「あの若武者がこれ程とはわからなんだ。わらわの目も鈍ったな」 

「いやはや怖いものだ。若さ、というやつか。あの真っ直ぐな……」

轟の目に炎が灯る。

「真っ直ぐな愚かさ。己のことも周りのことも、まるで見えてはおらんで」

「前後不覚であったのはぬしであろうが。そもそも、妖刀など用いて生きておるほうがおかしいのだぞ?」

 立信が煙草を飲む。その煙をふーっと吐き出して彼女は続けた。

「医者が驚いておった。もう少しで死ぬところであったと……客分を借りて死なせた日には、北玄院にどうやって詫びればよいやら」

 それを聞いた轟が笑う。その大口が、やがて獰猛な熊のごとく歪む。

「直ぐに発ちまする。彼奴の如き若武者に逃げおおせられたとあっては、この名が廃る」

「まぁ、止めはせんがの」

 立信はあきらめたように言った。この苛烈な男を止められるものなどおりはすまい。熊のように豪快でありながら、同時に蛇のごとく執念深いのだ。

「あれを追えるのはそなたぐらいであろうからな。なにせ【抜刀神】!武の高みのひとつじゃ」

「ほう、あの小僧が……得心ですな」

その銘を聞いてなお、轟は闘志を燃やしていた。その熱を避けるように立信が後ずさる。

「そういえば、そなたも欲しておったのじゃな?【神】の座、当代一つ限りの座を」

「当然でございましょうが。男と生まれたからには、高みを目指すのが定めと云うものだ」

 立信は呆れたように茶を啜った。

「……ぬしは既に一つ持っておろうが」

「足りませんな、一つでは全く。それに……【王】ではつまらぬ」

 云うが早いか、轟は布団をはね除けて二刀を掴み、廊下を蹴りつけるように走っていった。

「ま、期待して待っておるぞ。……【剣王】新村轟よ」

立信はそう言うと、自らも茶碗を置いて立ち上がった。

 

 To be continued

 

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