灼花伝   作:Mk.Z

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第三話 人の枠

 □■天地

 

「山を下りよう」

 そう鷹飛丸は言った。山中ではなにかと不便だったからだ。幸いにして食糧と水には事欠くことはなかったし、獣や鬼など歯牙にもかけぬ武者こそいたのだが。

 三人は沢に沿って山を下り、途中出くわした大猪を狩り伏せるなどして、とうとう道へと出た。藪を切り払い、赤茶けた斜面を滑り降りる。

 沢は既に谷川へと変わっていた。木を伐して下流へと運ぶのだろう、いかだ乗りの使う船着き場がある。そこにいた樵に一行は声をかけた。

「もし、そこの人」

 樵は驚いたように振り向き、目をぱちぱちさせた。

「なんだえ?」

「すまんが、道に迷った。ここはどこか、教えてくれぬか?」

 樵はじろじろと三人を見回した。

「あんたら、山を越えて来たのか?」

「そうだ」

「……まぁ、人ではあるようだのう。ここは黒羽さまの御領だ。これぁ畏川(おそれがわ)、辿れば先に水際(みぎわ)村がある。宿が欲しけりゃそこへ行って訊きな」

 無愛想だが親切な樵に礼を言うと、三人は川に沿って歩き始めた。道には縄と木切れで簡素な柵が作ってあり、川に落ちぬよう気が使ってある。速矢は物珍しげにその柵を眺めた。

「寄っ掛かって落ちるなよぉ、その柵は当てにならんで」

 仁蔵は優しく云った。

「この道は大水の時には水に浸かるんだ。その度に柵を作るんじゃ、確りしたものより目印くらいの気休めが良いのさぁ」

「ここに来たことがあるの?」

仁蔵は笑って首を振った。

「そうじゃあねえ、見な?あすこのとこで灌木の生え方が違うだろう、そこまで水が被る印だ。土もついとろうが」

「……そなたたち農民の知恵には驚かされる」

鷹飛丸は静かに言った。

「いかに武者として修行を積んでもそのような知恵は身に付かぬ。敬服するな」

「知恵なんてもんじゃねえ、おらの村でも下流のとこでは同じことをするんでさぁね」

仁蔵は気恥ずかしげに頭をかいた。

「わたしの村も、こんな川があったのに、知らなかった……」

速矢は小さく呟き、俯いた。自分は何も知らないのだ。己のことも、この世の広さも。

 道は次第に広くなり、右手の崖は次第に低くなった。やがて木々がまばらになり、視界が開ける。

 速矢は思わず伸びをし、心地よい風を胸一杯に吸い込んだ。木々の隙間を抜ける風が頬を撫ぜる。 

「多少平たくなったんで、道行きも楽でさぁね」 

「あぁ、だが……」

 鷹飛丸の言葉が切れる。と、その目付きが鋭さを増した。髪が逆立ち、空気が張り詰める。

「……賊だ」

云うが早いか、馬の蹄が石を蹴り立てて林の中からまろびでた。続いて、徒歩の男たちが疎らに周りを固める。鷹飛丸は川原を背にし、周囲を睥睨した。賊の頭目と思わしき馬の男が口を開く。

「いよぉーっ!そこの旅人ォ!俺ぁ天下の大盗賊、狒々太郎さまだ!命が惜しけりゃ金目のもん置いていきなァ!」

「この近辺には賊が多いらしいな」

鷹飛丸が唸る。それを恐怖と見てか、狒々太郎は益々鼻を高くして言った。 

「金目のもん、てのァ当然お前たちもだ!特にそこの女!見目が良いな、お前はいっとう高く売ってやる!」

 その言葉に、速矢が胸を抑える。鷹飛丸は鋭く呟いた。

「心を落ち着けろ。息を深く、ゆっくりと吐け。呼吸は身体の要だ」

「何をごちゃごちゃ抜かしてやがんだ?え?おい、侍ふうのあんちゃんよぉ、あんたの腰のもんも頂くぜ!」

「これの事か……?」

その言葉と同時、【明霊】の刀身が少しだけ引き抜かれる。と、賊に激震が走った。

「なんだあの得物……」

「只者じゃねぇ……」

「おっかねぇよぉ……」

 だが、狒々太郎は違ったらしい。いくらか無分別な様子で、彼はその刀を見つめた。阿間里の賊よりも向こう見ずであるようだ。

「慌てんな!え?そうだろ、良い刀だから高く売れんだよ!或いは俺様が使ってくれるわ!」

 そう言うと、狒々太郎は馬の腹を蹴りつけ、大きく長槍を回した。鷹飛丸が顔をひきつらせる。

「下がれ!そなた、斬られたいのか!」

「はっ!斬るやつぁそんな腑抜けたこたぁいわねんだよ、侍のあんちゃん!第一、長槍に勝てると思うてか、この田吾作がァ!」

「くっ……」

鷹飛丸が思わず一歩下がる。それを見て、狒々太郎は哄笑した。

「はっはァ!腰が引けてんぞ!」

 その槍が唸る。穂先が鷹飛丸の肩を浅く掠め、血がぱっと飛び散った。

 その瞬間、速矢が倒れ込んだ。仁蔵があわててその肩を掴む。

「お、おい、嬢ちゃん、しっかりしろ、おい!」

少女の瞳が裏返る。息が浅く、速く、顔が歪み……

「駄目だ、速矢!」

そして、風が弾けた。黒い光が迸り、獣の絶叫が響く。賊の頸が残らず裂かれ、仁蔵の二の腕が割れて血が流れ出した。

「こんな……!」

 鷹飛丸が叫び、刀を納める。一拍の後、

「《神域抜刀》」

刀が閃き、剣気が溢れ出す。その威圧感が大気を揺らした。

「やはり、お前か」

 神速の澱みの中で、鷹飛丸は獣……建御速矢(タケミハヤ)を見た。それと知ったせいか、以前よりはっきりと見える。その頭上に刻まれた文字も。

(【刃神 タケミハヤ】……神!)

 それは世界が名付けた銘。【抜刀神】と同じく、神の()をもつ獣であらば、鷹飛丸を越える神速を誇ることもまた合点がいくというもの。

「くおお!」

 【明霊】が振り抜かれ、一閃が宙を裂く。しかして、タケミハヤはそれを躱した。掠りもしない一撃に、鷹飛丸の目が見開かれる。

(既に一度見せたからか?見切られた……我が技はその程度だと云うのか、刃神よ!)

 細く白い骨の体躯が宙を泳ぐ。神速から引き戻された鷹飛丸の側を、しかしそれは何事もなくすり抜けた。妙に冷えきった風が吹き、速矢の肚へと獣が戻る。

「仁蔵!怪我を!」

「平気でさぁ、このぐれえ……」

そう言って仁蔵は白い包帯を腕に巻き付けた。赤い血が滲む。

「それより、速矢を見てやってくだせえ……くれぐれも、責めちゃいけませんぜ」

仁蔵はそう言って、速矢を見下ろした。

「怖かっただけなんでさぁ、この娘は。辛い目にあったんだ、これ以上重石を乗っけちゃいけねえよ」

 二人を見ながら、鷹飛丸は押し黙っていた。狒々某が慌てて駆け去って行くのが目の端に映る。

 この二人が傷ついたのは自分のせいだ。仁蔵は身体を、速矢は心を。己があそこで狒々を斬り伏せていれば、全ては丸く収まった。

 人を斬る。しかしそれを思っただけで、胸の内にえもいわれぬ吐き気と嫌悪が湧き出した。人を斬ることを忌避して、そして誰も守れぬまま、それは嫌だ。だが、どうしても人を斬る気にもなれない。

(同じ人の命に線を引かねばならぬのか……?何故だ、それがこの世の真理だとでも……!)

 鷹飛丸は何も言わなかった。速矢が小さく身じろぎし、その眼を開いた。

 

 ◇◆◇

 

 少し顔を洗うと言って足を向けた川原で、速矢は泣いていた。只の涙ではない、聞こえてくる此方が心を切り裂かれるような泣き声だ。

(この娘は、人を思って泣く)

 自らの力が殺めた人を思い、身を絞るようにして咽び泣く。それが鷹飛丸には余りにも哀れだった。

(この優しい娘を人殺しの因果に絡めてはいけない)

 だが、その力が速矢の身を幾度となく救ったのも事実なのだ。

(お前は速矢に諸手を上げてただ死ねと云うのか、鷹飛丸!)

 違う。己はただ、人を殺さずに済めばよいと、そう思っただけだ。人殺しは自らの心をも殺していくことだ。特に、速矢にとっては。

(だが、この乱世にあって死は直ぐ側にある。それは否めない)

 何故?何故、この世はこんなにも苦しいのだろうか。

(そんな問いに逃げて、結局お前は死を直視できぬだけだ。臆病な卑怯者……)

「違う!」

思わず鷹飛丸は吐き捨てた。己の芯が揺らぐのを感じる。だからこそ、打ち直さねばならない。

(何があろうと、わたしは人は斬らない……絶対にだ!)

 泣き腫らした眼を伏せて何事もなかったように戻ってきた速矢を見て、鷹飛丸は抗うように、そう己に言い聞かせた。

 

 水際村は割かし栄えているほうの村である。谷川という交通の便を支える村は、それがもたらす富の一部をも得て健やかに発展していた。その一部、赤い桟敷の茶屋にて三人は茶を啜りながら気を落ち着けた。

「……速矢」

 鷹飛丸の言葉に、速矢が身を竦める。鷹飛丸はそれを見なかったように静かに言った。

「そなたは身の内に獣を飼っている。わたしはそれを封じろと言った」

 速矢が恐る恐る頷く。

「だが、それは良いことではなかったのかもしれない。箍は抑えればより強くたわむ。押し込めようとすればより強く吹き出るのが人の心……恐怖と憎しみの本質だ」

 速矢が怪訝そうに顔を傾ける。鷹飛丸は微笑んで言った。

「目を背けるのではなく、かの獣を見極めるのだ。速矢が恐れている自らの力を。そして、その刃を己がものとして飼い慣らせば、いつか、本当にそれを封じられるときが来るかもしれない。少なくとも、押さえ込むよりは可能性があるだろう」

 鷹飛丸が立ち上がった。その目が速矢を真っ直ぐに見つめる。

「見定めよ。己の心の内を」

 それは、わたしにとっても同じだ、とは言えなかった。

 

 ◇◆◇

 

 宿に泊まった三人は部屋を分けた。うら若い娘が男二人と泊まるなどまかりならん、というのが若武者の主張であった。

 こじんまりした部屋の中で、速矢は夕餉を済ませると、文机の前に静かに座した。

「己を……見定める……」

 速矢が半目になり、その呼吸が浅くなる。気を静めれば、身の内にそれがいるのがわかった。

(建御速矢(タケミハヤ)……)

 骨のような、不気味に白い獣。神速で空を疾り、触れるもの全てを切り裂く刃の神。

「なぜ、わたしの中にいるのだろう……」

きっと最初からいたのだ。あの狂暴で荒ぶる獣は、己の一部。

(見定めよ……)

心を静め、それを感じ、そして話しかける。

(あなたは、何?何が欲しいの?何を嫌がっているの?)

 答えはない。まるで木や石に話しかけているようだ。それはあくまでも己の一部。

(わたしは何?)

 故に、問いは己に問うもの。

(何が欲しいの?)

 平穏。そして、自らのいのち、その健やかさ。

(何を嫌がっているの?)

 血。戦。それをもたらす人々。

(どうしたいの?)

 蹂躙したい。破壊したい。汚らわしい、血をもたらすもの、血を好むもの、野蛮なその全てを。武者。武家。浪人。賊。野獣……

 速矢は、また涙を流していた。これは紛れもない、己の望みだ。身勝手な、しかし己の芯に巣食っている望み。

(泣けば済むと思っているのか……?わたしは……)

 だとしても、あるがままを受け入れなければならない。ここにあるのは理想の自分ではない。ただひとりの、醜い、愚かな……しかし本当の人間だ。

「きっとそれが、見定めるということなのだから……」

 

◇◆◇

 

 翌朝、宿を発った三人は、村を出るところでしばし立ち止まった。

「で、どうします?何処かにゃ行かねばなりませんが」

「……刀都に行こう」

 朝日を背に、鷹飛丸は言った。

「あそこには人が多い。木を隠すには森だ。それに、力あるものたちも揃っている。知己もいないではない。頼れるものもいるだろう」

「じゃあ、出立しようよ」

少しだけ吹っ切れた顔で、速矢が言った。

「わたし、都ははじめてなの。きっと大きいんでしょ?」

鷹飛丸が笑って言った。

「あぁ、大きい。途方もなく……」

 そして、三人は歩き始めた。刀都へ通じる道は流石に広い。最も、この村からでは多くの町を経由せねば行き着くものではないが。

 人通りも多くなった。旅人はみな朝が早い。商人、行脚のもの、武芸者。みな山の裂け目より注ぐ朝日を浴びて光っている。

 速矢は物珍しげに、様々なものを見つけては小さな声で尋ねた。その度に、鷹飛丸と仁蔵は快く答え、時には首を捻った。

「どうも、速矢には学者の才があるぜ、おらなんぞには到底無理だね」

「そんなことないよ、わたし、学問をやったことなんてないもの」

「いや、才というのは例え磨かずとも自ずから光って見せるものだ。都へ着いたら書物を買うのもよいかもしれない」

鷹飛丸は微笑んで言った。

「いかな才があれど、磨かねば存分には輝かぬものだ」

 その言葉に、速矢が頷く。柔らかな笑顔が花のように開き、そして、

 

「いやはや、全くだな。儂もそう思うよ」

 

ーーよく知っただみ声が朝の風を押し退けた。

 

 ◇◆◇

 

「久しいな、先日会うたきりだ。鷹飛丸」

「新村轟……!なぜ!」

 鷹飛丸の声が鋭く轟を牽制する。それを軽く受け流して、轟は言った。

「なぜ?そりゃ、おまえ、裏切り者を追ってきたのよ……宝物獣のおまけ付きのな」

「まだそんなことを……!」

 鷹飛丸が憤る傍ら、その左手が背後で二人を遠ざけんと指を振る。仁蔵が速矢を庇うようにゆっくりと下がりはじめた。それをたいした興味もなさげに轟が見やる。

「まぁ、まずは問答でもしようではないか。のう、【抜刀神】よ」

「そなたも……では!」

「おお、鈍岩はご機嫌斜め。お前の素性を触れ回っとる、ま、然るべき流れではあるがね。約定を違えたのはお前さんだ」

 轟はくつくつと笑って、懐から出した干し肉を食いちぎった。その目が爛々と光る。

「いや、驚いたぞ。まさか、南朱門の秘蔵っ子がお前であったとはな!のう、南朱門飛丸(とびまる)よ」

「南朱門……!」

 後ろの二人が目を剥いて呟く。南朱門といえば、押しも押されぬ大大名。戦に長けた血気盛んな武家であるのは、赤子でも知っている。

「その名は捨てた。今のわたしは鷹飛丸だ」

「ふん、名は捨てられても生き様は捨てられぬ。そうであろうが、鷹殺しよ」

「黙れ!」

「打ち立てた功もまた消えるものではない。え?そうだろう?三之輪(さんのわ)にて、山に棲む蛇神を斬り伏せたことはわしも知っとるぞ」

「あれは只の蛇だ。旧き大蛇の眷属のかしらだった。神などではない」

「世間はそう思っとらん……ま、気性までも噂通りではあったが」

 その言葉に仁蔵と速矢が首をかしげる。それを目敏く見て取って轟が言った。

「知りたいか?え?こいつはな、あの南朱門の五男坊でありながら、人殺しと戦が嫌いで家をおんでたのよ、そのくせ【抜刀神】には就いとるんだから、こりゃ傑作ではないか?そうだろう?」

「黙れ……」

「人斬り包丁携えて、戦はしたくないと喚く餓鬼が……こいつは己の付き人に襲われて返り討ちにしたのだ、ゆえに人斬りは嫌じゃ嫌じゃとこういう訳よ」

「人を斬ることを厭うて何がおかしい!」

 鷹飛丸が吠える。だが、轟はどこ吹く風で言った。

「そう吠えても、所詮抜く気の無い奴ではちいともびびらんぞ」

「そなたは考えたことがないのだ、そうだろう!」

鷹飛丸は叫んだ。

「盗賊、敵の(つわもの)、間者、そのどれもに親がおり、友がおり、あるいは子がおるのだ。日々何かを楽しいと思い、何かを悲しいと思う、それも全て消えるのが“死”だ!戦になんの意味がある?死人(しびと)はもう、旨い飯を食うことすら出来んのだぞ!いたずらにその定めを、いのちを奪っていい訳など誰にもない!」

「では、そこで見ておれ。娘が殺される瞬間を、そのお題目を抱えて、な」

 轟の足が動く。一歩一歩、地面を踏みしめて。二刀がぎらりと抜かれ、鈍い光を放つ。

「安心せい、宝物獣を討った後でちゃあんとお前も殺してやる。大人しく、刀を抜かぬまま死ねい」

轟が裂けるように笑う。その刀が速矢を襲い……

「させぬ……!」

二刀を【明霊】が受け止めていた。それを握る鷹飛丸の手がかちかちと震える。

「させぬ……血と殺戮の連鎖になんの意味があるというのだ」

「意味ならあろうさ。わしが愉しい」

轟が蔑むような眼で鷹飛丸を見る。

「しかしお前、本当につまらぬな……己が信念と心中する覚悟も無しか?そんな腑抜けにわしが負かしうると思うてか?」

 云うが早いか、その二刀流が炸裂し、鷹飛丸の刀を弾き飛ばす。目を見開く鷹飛丸を、十文字の斬撃が切り裂いた。紅い血が滝のように吹き出す。

「人を斬らぬならそれに殉じて死ね。刀を取るなら人を斬る覚悟を持て!大層な人斬り包丁を抱えておいて、薄らァ寒い講釈を垂れるなら……腑抜けとして散れや!」

倒れ伏した鷹飛丸の身体を轟が蹴り飛ばす。

「旦那ァ!」

仁蔵が思わず駆け寄ろうとし……轟の殺気に射竦められて動けなくなった。

「ふむ、刀は足りとるからな……出るなら具足が良いのぅ?お?ひとつ、頼むぞ」

捕らぬ狸の皮算用とばかりに轟の妖刀、【死蛍】が光る。その刃が速矢を斬り捨てようとして……

「ぐ……!」

突如現れた緋色の虎に、轟の身体が撥ね飛ばされた。

「……なんだ?」

 疑問の声と共に轟が猛虎を見やる。その向こうでは、仁蔵が何かを放り投げる格好で固まっていた。

 初めて飯を分けた時に、礼金代わりに貰ったあの、日緋色金(ヒヒイロカネ)の首飾り。仁蔵が思わず投げたのはそれだ。どうやら何かの術がかかっていたらしい。

「羅ァ!」

 轟が妖刀を振るう。二筋の斬撃が神話級金属の猛虎を大きく切り取った。

「い、今のうちだ、あの感じじゃあの獣も長くは持たねえ!速矢、走れ!」

 仁蔵が鷹飛丸と【明霊】を抱えて走り出し、その後を速矢が駆ける。

「逃がすか……ええい鬱陶しい!」

脂汗を流しながら轟が唸る。緋色の虎は忠実に己の主人を守ろうと奮戦していた。

 流れる時は轟の敵だ。妖刀を振るいながらいつまでも立ってはいられない……その血みどろの修羅道こそ、彼の望むところでもあったのだが。

「逃げの運勢の強い奴よ……腑抜けの癖に!」

 緋色の虎と喰らいあいながら、轟は忌々しげに叫んだ。

 

 ◇◆◇

 

 川辺に逃れた三人は、立ち木の後ろに隠れながら鷹飛丸の傷を見た。血の量に比して切り口は浅いが、傷が広い。片方は光に灼かれ、片方は獣に食われたように開いている。

「妖刀の力か……」

 仁蔵は鷹飛丸の懐から【高位霊水】を取り出し、傷を洗って布を当てた。癒しの薬瓶を片っ端から振りかける。と、鷹飛丸が目を開けた。

「旦那、気づいたか!」

「仁蔵……速矢……無事か」

「人の心配してる場合!?」

速矢が絶叫する。その頬を撫で、鷹飛丸は微笑んだ。

「獣を出さなかった……」

「出せばよかったよ、貴方がこんなになるなら……!」

「そんなことを、云うな……」

 鷹飛丸が身を起こす。諌める仁蔵を払って、鷹飛丸は刀を掴んで上半身を起こした。

「血は止まった。もう大丈夫だ……済まない」

 鷹飛丸は頭を下げた。

「我が拘りの為にそなたたちを危険に晒した。守ると云ったのに」

「そらぁあの二刀の侍のせいだ、あんたじゃねえ……!もう少しで殺されるとこだぞ!」

「そうだ、それを救ってくれた。あの虎は……」

仁蔵は首もとを撫でさすって言った。

「あんたがくれたあの緋色の首飾りだ。なぜか妙に熱くなったんで、思わず投げたら……あれに」

「そうか……」

 鷹飛丸は暫し感謝するように目を瞑っていた。

「あの首飾りは、かつて我が母上がくれたものだ。わたしを守るための術が掛かっていたのだな……」

「母上……」

速矢が呟き、仁蔵が思い出したように問う。

「……だけんども、南朱門というのは本当なのかい?」

「……まことだ」

 鷹飛丸はぼそりと言った。速矢が息を飲む。

 南朱門といえば、特に苛烈な大名として知られる一族だ。戦を尊び、修羅の道を往くものたち。

「あそこでは、人を殺すことは何ら……何ら義にもとるものではなかったのだ。わたしは……それに耐えられなかった」

 

 ◆◆◆

 

 南朱門飛丸。彼は南朱門家の本家、その子供らの一人であった。とはいえ、当主になる見込みは薄い五男坊であり、そのままであればつまらぬ武者として平凡な人生を送ったことだろう。

 だが、幸か不幸か、彼には非凡なる才があった。それこそ、【抜刀神】の号を得るほどに、人の域を半ば越えた才が。

「わたしは、初め、剣術が愉しかった」

 当然だ。己の才を磨くことほど愉しいことはない。人に向かって剣を振るうことにも躊躇いなど無かった。襲い来る敵はすべからく殺すものだ。

「剣の才によって地位を得たわたしには、何者からか刺客が送られることも多かった。ただ、そのどれもが幼いわたしより弱かったから、それを斬ることなど容易かったんだ」

 だが、剣の才以外の部分では彼はあまり幸せではなかった。優れた才は人を孤独にもする。

 その才によって半ば浮世離れしていた彼には、たったひとりだけ、友がいた。側仕えであり剣の師でもあった武者だ。

威鷹(いたか)という男でね。剣や弓の腕もそうだったが、料理が得意だった。山で採ってきたもので旨い飯を作っては、こっそり食わせてくれたのだ。屋敷の飯とは違う、荒々しくも旨い飯だった」

 そして、ある日も威鷹が山に出掛けて、庭で剣を振っていた、その日のことだった。

「いつものように刺客が来たんだ。わたしはそれをいつものように一刀で斬り伏せて……ふと、何故か顔が気になって、確かめて……」

 その瞬間の光景を彼は今でも脳裏に焼き付けている。事切れたその顔。流れる紅の血。虚ろになったその(まなこ)

 

 そこに倒れていたのは、兄のように慕った威鷹だった。

 

「何故彼がわたしを殺そうとしたのかは分からぬ。やむにやまれぬ事情があったのか……いずれにせよ、その時にわたしは理解したのだ、人を斬ることの意味を」

 今まで気にも留めず斬り殺してきた彼等、その全てが飛丸や威鷹と同じ、人間なのだ。言葉の上でではない。泣き、笑い、下らない話をする人間として、そのとき彼は初めて刺客達を思ったのだった。

「それからは、とても人を斬るなど出来なかった。愛刀を掴み、身の回りのものを包んで、名を捨てて家から逃げた……」

 鷹飛丸は身の上を語り終えると、顔を拭って言った。

「そなたに見定めよなどと偉そうな口を利いておきながら、この様だ。轟の云うとおり、わたしは弱い男なのだ」

 速矢が首を振る。だが、鷹飛丸は続けて言った。

「わたしがもっと毅ければ出来ることも多かったろうに……世の常から目を背け、己の心地よい理想に浸かるのが……」

「違う!」

 速矢が叫んだ。

「貴方は強いよ、だってわたしを助けてくれたもの!人を助けられるのが貴方だもの!」

「そうだ、旦那!人殺しだけが人間の習いじゃねえとも!」

 仁蔵も叫ぶ。二人の顔を見ながら、鷹飛丸は耐えられないというように顔を伏せた。

「そんな眼で見ないでくれ……わたしは、わたしが……」

 

「気は済んだか?」

 

 嗄れ声が響く。振り向けば、浅瀬に足を浸して、血みどろの轟が立ち尽くしていた。

 

 ◇◆

 

 轟は満身創痍だった。猛虎の爪や牙とは別に、己が妖刀の怨念にて受けた傷も多い。髭面が歪み、口の中の血を吐き捨てた。

「腑抜けの芋侍が……ようやっと終わりだ。三人纏めて斬り捨ててくれる」

「……轟。なぜそなたは人を斬るのだ?」

鷹飛丸は静かに言った。轟が忌々しげに口を開く。

「きさんの甘ったるい信念とかかわり合う気はない。わしが人を斬ることには何ら後ろ暗いことなどないぞ」

「他人の生を絶つことは罪だろう」

その途端に、轟は吠えた。

「なにを賢しらに!では問うが、お前が今まで斬ってきた獣、鬼、化生の類に言葉を使うものはおらなんだのか?命乞いをするものは?知恵ある獣でさえ斬ってきたのだろう、三之輪の蛇は!どうであった!」

 鷹飛丸が押し黙る。勢いのままに轟は続けた。

「その娘とて人の枠に入るか怪しいものではないか!え?お前は見目の愛らしいものに絆されておるだけだ!わしは人かどうかなどというあやふやな一線に頼る気はない、斬るものは己で線を引く!敵は全て斬り伏せる!軟弱なこわっぱが、戦が怖いのなら剣を捨てて震えておれ!剣術は棒切れ遊びではないのだぞ!」

血走った眼で、轟が二刀を構える。鷹飛丸が抜刀の構えをとり、

「邪魔、だァ!」

若武者は吹き飛ばされた。川原を転がり、唇から血が流れる。踞る速矢の前で、熊のような武者が吠えた。

「この世は苦界!人界は修羅の道!我が力の礎となれ、悪鬼めが!」

 そして、二刀が速矢目掛けて振り下ろされる。光が迸り、風が悲鳴を上げた。

 

 ◆

 

「この世は、苦界?」

 

 

 

「人界は、修羅の道?」

 

 

 

「それは、貴方たちのような修羅のせいじゃないの」

 

 ◆

 

 黒い光が溢れ、骨のような白が見える。紅い光がぼんやりと眼窩に点っている。

「駄目だ、速矢……!」

川原の岩に身体を預け、鷹飛丸は叫んだ。

「駄目だ、やめろ!」

それを解き放ってはならない。嫌な予感がする。これまでとは違う、嫌な気配が。

「止めるんだ、速矢(はや)……人間(ひと)に戻れなくなるぞ!」

そして、一陣の風が吹いた。

 

 そこには、もうあの愛らしい娘の姿は無かった。代わりに在ったのは、骨のような身体を持ち、長い四肢と尾を尖らせ、眼窩に紅い光を点した怪物。全身を刃とし、神速で駆ける大いなる宝物獣。

 

ーー【刃神 タケミハヤ】、その真の姿である。

 

『応ォ…………!』

 骨の獣、いや、鬼が咆哮する。裂帛の妖気が大気を打ち震わせる。

「ほう、まだそんな手を残しておったか!面白い!」

轟が哄笑する。泣き所である娘の身体は溶けてなくなってしまったようだが、ならばそれでよし。

「直接、斬る!」

二刀流が唸りを上げ、骨の鎧と火花を散らす。そして、

「なんと!」

轟の身体がいとも容易く押し負けて撥ね飛ばされた。川原に水飛沫が舞い、そしてそれが落ちるより疾く、刃鬼が走る。

 宙を漂う轟の身体に、無数の切り傷が開いた。轟が忌々しげに唸り、

「だが、ここ、だ!」

それに合わせて、【剣王】の奥義が炸裂する。妖刀二刀流がその一瞬、間合いの全てを神速で切り刻んだ。鬼が悲鳴をあげる。

 大気が張り詰めていた。痺れる腕を下げた轟と、全身に細かな呪いの傷を負った刃鬼が暫し見つめ合う。轟が愉しげに唇を舐めた。

「まだまだ……こんなものでは終わるまいて!」

 血の雫がぽたぽたと落ちる。既に、陽が天頂へと昇らんばかりの時刻であった。

 

 To be continued

 

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