灼花伝   作:Mk.Z

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第四話 刃と悟り

 □天地

 

 森はざわめいていた。刃と刃を打ち合わせる音が、風すらも追い越して辺りを裂く。直線がひらめき、一抱えもある白岩が二つに割れた。

 刃鬼が吠える。その咆哮はうらみと痛みに満ちていた。相対する修羅もまた、己を鼓舞するように吠える。血飛沫が川辺を朱に染めた。二刀が光り、蠢き、妖気を吐く。

「好い、好いぞ、宝物獣……もっと楽しませろ!」

 返答の言は無い。あるのは叫びと炸裂する刃のみ。鮮血を吐き出す傷を山のように抱えて、それでもなお轟は笑っていた。

 鷹飛丸が立ち上がる。その震える手を見つつ、仁蔵が呟いた。

「あれぁ一体……?」

速矢(はや)だ」

鷹飛丸が絞り出すように答える。

「人の域を出てしまった……獣を解き放ったのだ」

「そんな、旦那なら戻せますよね?」

「分からぬ」

 鷹飛丸の右手が腰から外れていた太刀を掴む。震える指を叱咤して、鷹飛丸は鯉口を切った。

「速矢はおそらく、化生の血を引いている。あの獣はその血筋に由来するもの……獣としての、もう一人の速矢自身だ。混血に中庸はない、人か獣か、どちらかを選ばねばならぬ」

 咲いた花を、熟れた木の実を、あるいは落ちた葉を戻せるものなどいない。許されていたのは、人と獣、どちらかだけだった。童が女になるように、速矢は選んでしまったのだ。獣の側に立つことを。

(それを選ばせたのは……)

 鷹飛丸は歯を食いしばった。なんにせよ、目の前の争いは止めねばならない。悩むのはことが済んでからだ。己の浅知恵では見えぬものもあるのだろうから。

容貌(かたち)が変わろうとも、速矢は速矢だ。斬らせはせぬ!」

 若武者が吠える。その剣気が空気を呑み、宙を裂いた。ごうと風が唸る。踏み込んだ左足が大地を沈め、後ろの大岩が木っ端微塵に砕けた。

 鷹飛丸の身体が滑るように動く。半身の影は食らいあう二人に割って入ると、その技を研ぎ澄ませた。

「《神域抜刀》ーー!」

 若武者の意識が透き通り、その身体が神速の域へと沈む。水底に向かって潜るように、世界の全てが遠退いていく。それらを置き去りにした先に、目指す二人がいる。

「ーーをしに来た、【抜刀神】」

 鷹飛丸を出迎えたのは、侮蔑の言葉だった。その二刀流が虎の牙のごとく開き、血を啜らんと軋む。それと同じだけの疾さをもってして、【明霊】が走る。

「斬らせはせぬ、速矢を!」

「まだ言うか、小僧が!」

 三本の刀がかち合う。鎬を削る名刀、妖刀が悲鳴のような金切り音をあげた。刃が唸り、光が呻き、妖気が飢えと餓えに吠える。その背後で、刃鬼もまたその唇を歪めた。噴き出す殺気に若武者のうなじが粟立つ。

「のお、これが本性だ、鷹飛丸よォ!ここへきて護る由もあるまい、最早化生のやからよ!」

「それでも、だ!」

 鷹飛丸が必死に刀を押さえる。されど、その剣は二刀に押し負けようとしていた。轟が嗤う。

「お主ァ惰性で動いとるだけだ。え?先だって人を辞めたこいつを護る義理もあるまい!」

「生憎、むしろ義理ならある。人を捨ててまで立ち向かおうとした速矢を見捨てられるものか!」

 鷹飛丸が絶叫する。

「速矢は乗り越えていたのだ!怨みと恐怖からではなく、憤りから怨敵に立ち向かうために!それを汲んでやれぬなら、わたしは人でなしだ!」

「そうかよ、だがーー」

 刃鬼が嗤う。その頑強な頤が、他でもない鷹飛丸の背に食らいついた。

「ーー娘っこは既に人でなしだったなァ」

 鮮血が流れ出る。抜刀技が崩れ、鷹飛丸は鈍足の水面へと引き戻されようとしていた。唇から朱が溢れ落ちる。その無様を眺めながら、神速の深みにて轟は吐き捨てた。

「半端者には相応しい最期じゃい。まぁ、骨は拾うてやるわ」

 

 ◇◆◇

 

「かは……」

 血に濡れた唇は妙に乾いているようだった。浅い息が肺腑を滑っていく。抜き身のままの太刀は自らの血飛沫で汚れていた。

 まるで、熊に咥えられた魚のごとき無様だった。食い込む牙の感触が肉と骨で解る。万力のような力が自分を縫い留めているのが解る。

「だから、お前の優しさも、解る……」

 鷹飛丸は呟いた。その眼前にて仁王立ちをする二刀の修羅が、口を開く。

「その名刀の銘はわしも知らぬではない、奇っ怪な刀じゃと聞く。無類の切れ味を誇る剛刀にして、僅かでも技を曇らせればなまくらへと成り果てる我が儘な刀……貴様が迷いを捨てられぬ限り、その剣でわしゃあ斬れん。なにより……」

 その二刀が閃く。次の瞬間、いきり立つ妖刀が刃鬼の長い両腕とかち合っていた。火花が散り、刀の湛える呪いが轟の両の腕を焼く。

「……なにより、小僧。腑抜けの貴様より強いこの鬼を、如何に護ると云うのかね?」

 その腕が力を孕んで盛り上がる。呪いの傷が開き、黒ずんだ血がどろりと滲み出した。

「この場で最も弱いのは小僧、お前だ。力が足らん、技が足らん、何より覇気が欠けておるわ!」

 それは鷹飛丸とて分かっていた。彼らを圧倒出来るだけの力があればこんなことにはならずにすんだ。

 児戯であれば。されば、人殺しなどに手を染めずとも様々、自らの望みを通せたであろうに。だが、天地の侍全てを支配できるような力など、まさに神の如き力。矮小なる人の身では血を流し、骨を折って、それでも失うものが多いのだ。

 そう、結局は……

「弱きものは、望みを果たせぬ……」

 望みだ。欲するもの、願うもの。それに貴賤はない、いかに人道を説いたとて、それもまた人の言の葉。

 ゆえに、轟の理屈に付き合ってやる理由も、また無い。

「わたしの胴は、まだ繋がっているではないか!」

 鷹飛丸の眼に光が戻る。

 刃鬼の膂力であれば、若武者ひとり引き裂くなど容易い。それを躊躇わせているものは何だ?この(あぎと)を押し止めているものは何だ?

「速矢の心は、まだ生きている!」

 鷹飛丸が一歩、前に出た。肉と血とが鬼の牙に抉られ、それでもなお彼は止まらない。

「轟、貴様の理屈など知らぬ。わたしは……」

その胸中を哀しみと憤りが満たす。

「人が死ぬのは、嫌だ!」

「だから去ってくれ、と?」

 轟がその顔を歪める。

「じゃから、それを通したくば斬れというとろうが。分かりよく言うてやろうか?」

 轟の二刀流が鬼の腕を押し破り、裂帛の気合いが風を割る。

「……己が望みァ、己で叶えろや!」

 そして、その手が彼の望み、血みどろの修羅場のために動いた。まるで光のように、風のように、稲妻のように。

 対する鬼もまた、鷹飛丸を吐き捨てて腕を振るう。その疾さは鷹飛丸の眼を遥かに飛び越していた。

 攻防が擂鉢のようにあたりを削っていく。その刃の閃きの欠片さえ、鷹飛丸には見えない。

 彼は弱かった。神の号を得て、いまだ力が足りぬ。その距離はともすれば彼の弱さの根源であったのかもしれない。躊躇いに濁った剣技では所詮、何一つ成せない。

 だから、その果てもまた彼の眼には映らなかった。

 不意に土埃が晴れる。川の音が突然戻ってきたように耳を刺した。白い大岩が崩れて割れる。

 そして、轟の身体がどうと倒れ伏した。

 血の匂いが、腐ったように甘い。焚き火のような焦げ臭さが風に混じる。

 妖刀の呪いと鬼の刃と、いちどきにふたつを相手にした武者の躯は、当然の帰結として動かなくなった。浅い息が鞴のように響く。

 刃鬼はそれをじっと見つめると、ただ吠えた。勝鬨にしては哀しく、慟哭にしては荒々しいそれが、鷹飛丸を揺らす。

「だめだ、速矢……」

 その足がぬめる石を踏み、ずるりと音を擦る。森のざわめきが遠くに聞こえる。

「おぬしが欲しかったのは護る力の筈だ、殺してはだめだ」

 鬼は若武者を見た。その腰の刀を見た。その泣きそうな面構えを見た。無防備な身体を見た。

 そして、鬼は今度こそ慟哭した。その蹴爪が川原を蹴り立てて跳躍する。

「速矢!」

 鬼はもう振り向かなかった。木漏れ日が砕け、木々が震える。深い森の懐へと、いと速き鬼が沈んでいく。白い尾がうねり、消えた。

 鷹飛丸は堪らず駆け出した。見送れる筈もない。見過ごせる筈がない。崖に脚をかけ、山中へと飛び込む。傷が血を滲ませるが、そんなことは気にも止めない。

「旦那、旦那ァ!」

 肝を潰した仁蔵が慌てて追いすがる。それにも気づかぬまま、鷹飛丸は走った。

 森を分け、風をすり抜ける。石を踏み砕き、沢を飛び越える。後ろへ後ろへと歩いていく木立の中、茂み越しの白い光はぐんぐんと離れていった。どれ程に脚を叱咤しても、追い付ける気すらしない。森の深さゆえか、辺りはどんどん暗くなる。やがて、夜の残滓のその中へ、鷹飛丸の身体が滑り込み……

 そして、辺りは真っ暗になった。

 

 ◇◆

 

 □【抜刀神】鷹飛丸

 

 淀んでいた。濁っていた。それは心であり、技でもある。

 刀を初めて振ったときのことを思い出した。威鷹がなにか感慨深げに息を吐き、そして刃が光る。それに少しだけ逡巡して、鷹飛丸は手を引っ込めた。

 隣で威鷹が口を開いた。だのに、声が聞こえない。

「なんて云ったんだい、威鷹」

 威鷹の顔が哀しげに笑う。その表情から途端に生気が失せる。

 そして、萎れる花のように縮んだその体躯を鷹飛丸は静かに見下ろしていた。頬を雨が伝う。手に持っていた刀が血に濡れている。

 叫び声をあげた筈だったが、口を塞がれたように音は出なかった。風が吹く。泥の中へ沈む。

 軟らかい汚泥の中で、鬼が牙を剥いていた。その刃が鷹飛丸の喉をかき切り……

「……」

鷹飛丸は瞼を開けた。

「……夜か」

 橙色の灯火が小気味良い音を吐くのが聞こえた。鼓の音も響いてくる。人々の話し声が軟らかく夜の静けさを押し返していた。焚き火と飯の匂いが微かに鼻腔をくすぐった。

「……!おぉ、起きやしたか」

 仁蔵がそう言って、嬉しげに鷹飛丸を覗き込んだ。身を起こそうとする彼を、慌てて制止する。

「だめだめ、まだ寝てたほうがええですぜ」

「わたしは、どうしたのだ?」

 心なしか荒い息を吐きながら鷹飛丸は尋ねた。

「森を、走って……」

「そのまま倒れたんで。通りがかった杣人(そまうど)に助けられまして」

 にしては、やけに賑やかだ。辺りを不思議そうに見やる彼に、仁蔵は面白がるように続けた。

嬥歌(かがい)でさぁ」

 その口ぶりには、押さえきれぬ興奮が現れていた。彼のような農民にとって、祭りは骨の髄に染みた祝い事なのだ。

「……随分古い習わしが残っているのだな」

 鷹飛丸は云った。嬥歌など、既に絶えて久しいと思っていた。

 男たちは見初めた娘に歌を贈り、娘たちは品定めの末に歌を返す。普段色気のない村にあっても、この日ばかりは皆色めき立つのだ。旅の楽師や物売りも混ざり、皆渾然一体となって騒ぎ、踊る。

「威鷹が、そう云っていたな……」

 半ば身体を起こして、若武者は呟いた。その掌が自ずと鞘を撫でる。

「速矢は?」

 仁蔵は笑顔のまま、目の奥だけを冷まして囁き答えた。

「行方しれずで。ここらのことです、長に訊けば方角は判りましょうが、何分山中では……」

「いい。唯追うまでだ」

 強情な鷹飛丸を、仁蔵は呆れたように見てなにか云わんとしたが、生憎そこへ村の長がやって来た。仁蔵は口を閉じ、鷹飛丸は頭を下げた。

「祭りを血で穢した。詫びよう」

「いえ、そんなこたぁありませんで」

 その訛りは仁蔵と少し似ていた。鷹飛丸は感謝のために頭を下げ続けた。

「薬や布を分けて貰ったとお見受けする。この上更なる願いを重ねるは粗忽と承知の上だが……刃を着込んだ鬼の行き先を知らぬか」

 長は蓄えた白髭を揺らし、目を細めた。

「存じております」

「では……!」

「お侍様」

 長は鋭い目付きで云った。

「その鬼を如何なさる?」

「……救うのだ」

 鷹飛丸は絞り出すように云った。

「修羅道にて、殺めて殺めらるる生き方など!」

「僭越ながら、具申致しますが……致し方の目算は?」

 鷹飛丸は言葉に詰まり、長は頷いた。

「でしょうな。儂も齡を重ねて居ります。向こう見ずの眼は判る……流石に縛り付けてまでお止め致すことはありませんで、しかしながら、向こう見ずは得をしますまいて」

「私の得など……!」

「救う、その御意志を果たすは紛れもなく得でありましてな。爺の戯れ言ではございますが、無謀はお止めなされ」

 老人の訛りはいつの間にか消えていた。鋭くなった言葉は鷹飛丸を刺したが、若武者を躊躇わせるものでもなかった。

 それを判ったのだろう、老人は云った。

「鬼を退治してくれなさるなら、我らにとってもそれは佳いこと。行きし方をお教えしましょうな。しかし、せめて今晩は休みなされ」

 退治ではない。その鷹飛丸の言葉が出るより早く、長は一礼して去った。その歩き方から、嘗ては彼もひとかどの武人であったのだろうと鷹飛丸は思った。

 鷹飛丸は痺れる身体を確かめるように力を込め、ため息をついた。長の眼は確かだ。身体を使いすぎた。

 鷹飛丸は身体を緩め、傍らに転がっていた水筒に口をつけた。と、その横から湿らせた手拭いを差し出すものがいた。

 痩せた娘であった。生来の体つきであろう、小柄な肩に枝のような手足は、どこか冬の寒さに身を捩る若木を思わせた。

「傷の具合は、い、如何でごぜえますか」

 娘はそう言うと、おっかなびっくり差し出した手拭いを取り落とし、慌てたように掌をふらふらさせた。

「申し訳ねえす、おら、不器用なもんで……」

「いや、かたじけない」

 鷹飛丸は手拭いを拾うと、その冷たさを楽しむように見つめた。山水の清々しさが掌に染みるようだった。

「そなたが、傷を?」

 鷹飛丸の問いに、娘はぶんぶんと首を横に振った。

「いえ、ほとんどぁお連れさんが!おらは薬と水を運んだくれえで!」

「有り難う」

 鷹飛丸は頭を下げ、娘はおろおろとあたりを見回した。鷹飛丸は頭を上げ、水を一口飲んだ。

「……そなたの名は、なんと言うのだ?」

「あ、(アケ)と申しますだ、お侍様」

 侍は珍しいのだろう、朱は油の切れた荷車のような動きで頷いた。

「痛み止め、作ったんで。飲んでくだせえ」

「踊らないのか?」

 甲斐甲斐しく世話を焼かんとする娘に、鷹飛丸は云った。

「嬥歌であろうに」

「おらは、ええんです」

 朱は顔を伏せた。その眼差しのちらつく先を追って、鷹飛丸も目を動かした。

「あの若者か」

「……(スセリ)と云います」

 朱は呟いた。その頬にも朱が差していた。

「歌は、くれなんだで」

「……」

 鷹飛丸はなんと言っていいか分からずに黙り込んだ。朱は慌てたように続けた。

「あいつ、こんまい頃から仲良しで。気がつかねえことの多いやつだから、おらが世話焼きもってやって……」

「ならば、好い仲であろうに」

 朱は悲しげに首を振った。

「邪魔だと、云われました。お節介だと。おらがやっとるのは、おらが気持ちよくなっとるだけだと」

「それは……」

 ひどい。鷹飛丸はその言葉尻を萎ませた。朱は薄く笑った。

「ええ、ええんです。本当じゃけえ」

 か細い娘は眼を上げた。眼差しの先では、(スセリ)が娘たちと楽しげに踊っていた。太鼓が響き、笛の()が風に漂っていた。

「ええことをするのは気持ちがええけんども、やり以ったことがどう転ぶか、そんときにええことをしたってんで威張(えば)っとるんは卑怯もんです。おらも……」

「では、人の道は何処にある?」

 鷹飛丸は思わず尋ねた。周りでは、楽の音がいっそう強くなっていた。

「どうすればいい?」

「……おら、頭が悪いもんで、そげなむつかしい事は判らんですが」

 朱は面食らったように鷹飛丸を見つめた。

「人助けも我が儘のうちなんじゃ、とおらは思うんです。良い悪いなんて、はっきり分かるもんでしょうか。ひとがどう思うかなんて、お互いの勝手じゃもん」

 なんで、と朱は続けた。

「ええやら悪いやらで決めんで、なんでもおらが我が儘だと思ってやろうと思っとるです。だから、お侍様も気負わんでください、おらがやりたいからやっとるんで」

 朱は包帯を掲げた。鷹飛丸は俯いて呟いた。

「人助けも我が儘のうち、か」

 笛の節回しが変わった。より物悲しく、しかし艶やかに。鼓が一段ゆっくりになり、鈴の音がさらさらと流れる。周りでは若人たちが含み笑いを漏らし始めた。

「……勢とやらの下へ行かないのか?」

「いや、おらは……」

「『我が儘』であろう?」

 鷹飛丸はにたりと笑うと、朱の背中を押した。細枝のような娘は、半ばつんのめるように足を踏み出すと、戸惑うような一瞥を残して、今度は自分の足で歩いていった。

 楽師たちは狂ったように踊り、拍は少しずつ走り出していた。揺蕩う音色に夜が溶けてゆく。目の端には楽しげに飯を食らう仁蔵が映っていた。

 鷹飛丸は目を瞑った。笑い声が辺りを満たしていた。愉しげなそれらに耳を塞がれて……

 

 鷹飛丸は目を開いた。

 

 ◇◆◇

 

 □天地・浅葱村・明朝

 

 空は白んでいた。夜明けの風には、それらしい静けさが涼やかに溶け込んでいた。遠くで名も知らぬ鳥が鳴くのが、ただ心地よい響きであった。

 あの嬥歌での会話は夢であったか、現であったのか。少なくとも酒の匂いともに、昨晩の享楽の雰囲気は微かに残っていた。それを吸い込んで、鷹飛丸は暫しその身を曙に委ねた。

 あたりでは、若人たちの寝息と早起きの囁き声、衣擦れの音が聞こえた。少し先では筵の上で朱と勢が寝息を立てていた。

 

 そして、鷹飛丸は素早く身を起こした。

 

 刀はすぐそばにあった。具足や荷も。それを手早く掴んで身に付けると、音を立てぬよう、山猫のごとき足運びで鷹飛丸は疾駆した。その(まなこ)が一息に人相を見て取って回る。

 鷹飛丸は押さえきれぬ様子でまなじりを歪めた。太刀を握る指が白く染まる。

(仁蔵が居らぬ……!)

 人攫いではない。物取りの殺しでもない。曲事の気配とあらば、いかな手負いといえど気取られぬ鷹飛丸ではない。ゆえに考え得るわけはたった一つ。

「お目覚めですかな」

 そして、鷹飛丸は振り返った。

 気づいてはいた。それでも、その老人の足運びは見事であった。まるでそよぐ風のように、軽やかに後ろを取って見せた。

「仁蔵殿は出ていかれましたよ」

 村の長は何の感慨もなく言った。鷹飛丸も乾いた口調で問うた。

「どちらだ」

「西でしてな」

 長の眼には諦めのようなものがあった。それは老いであった。

「鬼はあちら、唐観岳(からみだけ)の方角へ山中を向かったと、樵の押三郎は申して居りまして。それを仁蔵どのにはお教え致しました」

「何故だ」

「訊かれましたので」

 長は首を振り振り踵を返した。

「……ところで、鈍岩の悪鬼討伐の触れはあれのことでしたかな?」

「さぁ、どうであろうな」

 鷹飛丸もまた駆け出した。

 長が指したほうへ向かって、木々を分け入る。仁蔵の足取りは直ぐにわかった。

 細い山道は消えかかっていたが、新しい足跡が残っていた。灌木には泥が跳ね、下草が踏みつけられている。

 急ぎ足だ。石を踏んで足を滑らせかかった跡も残っている。よほど慌てていたらしい。

 それを辿って、鷹飛丸は疾駆した。腰の剣ではなく、取り出した山刀を振るって枝を切り払う。木の葉が舞い散り、細枝が折れ飛ぶ。蜥蜴や地蟲の類いがそそくさと逃げ去っていくが、気にも留めない。

 日差しが現れ始めた。木陰が鮮やかさを増し、風の匂いが変わる。平時であればさぞ心地よかったであろうそれは、むしろ時の流れを告げる炎として鷹飛丸を炙った。

 足跡は途切れ途切れながらも、深山のほうへほうへと進んでいた。時折、踏み方の捩れるところがある。後ろを振り返っている足取りだ。足跡の消し方も心得ぬそれが、いっそ健気であった。

「なぜ置いていった……」

 思わず若武者は呟いた。その言葉が、次第に心を込められて膨らむ。

「仁蔵ぉぉぉぉぉぉ!何処だぁぁぁぁぁ!」

 無様な叫びは、山並みに木霊して溶けていった。麓で村の長がこれを聞いてどのような顔をするか、見てみたいものだと鷹飛丸は思った。手前勝手な怒りなのは承知の上であったが。

 鷹飛丸は目の前の沢を飛び越えた。弱々しい沢は、泥と石に揺らされて濁り、また直ぐに透き通る清水へと戻った。

 鷹飛丸も同じだった。ずっと濁っていた心は澱が積るように清濁を分け始めていた。上澄みに昇るそれを想いながら、鷹飛丸は走り続け……そして、足を止めた。

 仁蔵の足跡はまだ奥へと続いていた。獣道を突っ切ったというのに、くっきりと、獣の踏み荒らすこともなく。

 鳥どもが押し黙っていた。蟲の鳴く声も消えていた。這いずる生き物たちは穴に潜り、木々もまた慄くように身を竦めていた。

 

 匂いがした。甘ったるい悪臭だ。

 

 鷹飛丸はその息を深くした。額の内側に悪臭が張り付くようだった。これは知っているものだ。腐臭、そして……

「出でよ!」

 鷹飛丸は吠えた。裂帛の気合いが早朝を裂く。

「その姿を見せよ!」

 応えるように、森が揺れた。穢れた風が吹き抜け、淡い木漏れ日が未悶えるように震える。

 不気味なほど静かだった。深山(みやま)の囁き声すら絶えて、ただ静けさだけがあった。若枝の一本、石の一欠に至るまで、全てがそれを拒んでいる。

 一拍を置いて、茂みが揺れた。鷹飛丸は、自分の髪が逆立つのが分かった。

 

 忌まわしい。

 

「そなたも、しぶといのだな」

『おぉ、そうかもしれんな』

 虚ろな声が響いた。大柄な掌が立ち木をかき分け、茂みを踏み荒らす。

『あぁしかし、晴れやかだ。空が抜けたようだ。つかえがとれたような心持ちじゃい……のう、小僧よ、儂はーー』

 熊のような男が、鷹飛丸の前に立つ。その瞳が狂気を湛えて揺れる。

『ーー儂は、どうしたのだ?』

 新村轟は、二刀を提げてそう尋ねた。

 

 ◇◆◇

 

 □■山中にて

 

 轟の血は止まっていた。よくよく見れば、その傷は全て昨日の通り、裂け、爛れ、捩れ、ひどい有り様だったが、しかして流れる血は一滴ももはやないのだった。癒えるのではなく、もう取り返しがつかないがゆえに血が止まったのだ。

「轟」

『応』

 轟は酒に酔ったような、正気でないものの喋り口で答えた。鷹飛丸は云った。

「そなたは死んだのだ」

 その言葉を聞くが早いか、轟は髪を振り乱しておのが身体を見た。掌を弄ぶように握り、放し、また握る。やがて狂乱は静まり、轟はふっと呟いた。

『そうか、儂はおっ死んだのか』

 含み笑い。

『そうか、そうか、いやはや、これは……』

「お悔やみでも云おうか」

『いらぬ』

 轟は面白くてたまらぬといったふうで刀を回した。【死蛍】がぎらぎらと光っていた。

『ほほう、死んだ!死んだのか!いやぁ、死ぬのがこんなに気持ちの良いこととは知らなんだ』

「気持ちの良い?」

 鷹飛丸は訝しげに云った。轟は気にも留めずひとりごちた。

『おォ、しかし……王の座は落としてしもうたか。これはこれは……これでは神の号も望めぬな』

 その額が呆れたように天を仰ぐ。

『……せっかく当代の爺を退()()()()()()()()

「やはり」

 鷹飛丸の目が鋭さを増した。

「そなたが【斬神】……逸刀斎どのを暗殺したのか」

『人聞きの悪いことを云うのぅ』

 轟は醜くまなじりを歪めて答えた。

『儂ァ何もしちゃあおらんよ?ただ鈍岩家からの頼みで、親愛なる親父殿に渡りをつけてやっただけじゃい。あァ、確かに……目当ての鬼については多少、()()()なことを申したかな、まぁ済んだことだ』

 轟は意に介すことなく、その懐をまさぐり、そして悲しげに手を戻した。

『さりとて、宝物獣の武具どもも消えておるわ。これまた悲しいのう』

 その瞳がかっと燃える。

『ふむ。こうなれば、新たに狩り集めるのが早道か。善は急げと云うからの、かの女の童の腹かっさばいて、新たに具足を手に入れるとしようかい』

「それを、わたしが赦すと思うか」

 鷹飛丸が間合いを詰める。亡者化生と化した轟は、それを嘲るように見た。

『おまんの赦しなどいらぬ。やりたいようにやるだけよ』

 目にも止まらぬ抜刀。腰のものが揃い、妖刀二刀流が現れる。

『死してなお、剣を振れる。戦が出来る。なんと素晴らしい……天は儂をもののふとして生かしたのだ』

「だから、速矢を斬るというのか!」

 轟は欠伸をした。

『儂ゃあ飽きた。小僧よ、己の問答はつまらん。寺にでも入って一人でやっとれ』

 あるいは、と轟が凄む。

『ここで死人の仲間入りをさせてくれいと頼むなら、そりゃあ吝かではないぞ』

「生憎、逆であろう」

 鷹飛丸が刀の柄に手を掛ける。轟は唇を歪めた。

『下らぬ張ったりをかます……人を斬らぬ斬らぬと喚いておいて、結局は見目麗しい娘の為なら己が信念すら容易くひん曲げる。筋が通ッておらん。そんなふざけた剣で儂が斬れるものか、女日照りの青二才めが。え?夜這いでもしたのか。色香に絆されて刃を取るか』

 二刀流がゆっくりと、剣舞のごとく上段へ上がる。摺り足で、轟は一歩前へと出た。

『鬼へ変じても娘は人だ、人は心だ、どうせそんなところか?』

「然り」

 鷹飛丸は肯ずる。

「人は心の持ちようなれば」

『左様なら、この儂もまた人であろう。死したとて、亡者と変わり果てたとて……人を斬らぬと申したものが、危うくなれば言を翻すか』

 それでは腑抜けだ。信念に殉ずることもなく、浮き世の理に迎合してころころと形を変える。潮目が変わった、などとほざいてはそれらしい理屈をつけて、己の心すら裏切って憚らぬ。

『なればいっそ、人斬りも方便であると宣わって見せよ!』

「否、それは違う」

 鷹飛丸もまた、構える。

「轟、そなたは修羅だ」

 何を言い出すか、と頓狂な面を見せる轟に、鷹飛丸は言い放つ。

「人殺しは紛れもなく罪。人の心を、想いを、幸せを断ち切ることは何人にも赦されぬ。だが、戦を求め……」 

 鯉口を切る。

「戦に生き……」

 まなじりを吊り上げる。

「……戦を煽る。血を欲して人々に戦禍を撒く。それは修羅の道だ。人を苦しむるだけの生き方だ。ゆえに、たとえ正気を保っていようと、その身の器に関わらず、轟、そなたは既に人ではない」

 鋭く、呼気を吐く。

「人ではない!修羅ならば、わたしは斬る」

 鷹飛丸……かつて南朱門飛丸であった武者の目に、後ろめたさはなかった。迷いはなかった。確信があったのだ。

「人であるかどうかなどと、解り易き一線にもう甘えるつもりはない。轟、そなたも云っていたな。一線は己で引く。わたしは善ではない。悪でもない。愚かな人間だ。これは最初から……」

 鷹飛丸は言葉を探し、そして続ける。

「わたしの我が儘だ」

 そして、突如轟は哄笑した。

『かは……!これはこれは……』

 一転して、此度のそれは嘲りではなかった。心底愉快でたまらぬといった風で、まるで千金を目にした長者のごとき笑みであった。

『……()ち上げたか!』

 自らの理を変えるのではない。折るのではない。ただ突き詰めて、自らの答えを出したものの光を、轟は鷹飛丸の瞳に見ていた。

 それは正義の燃えるような陶酔や、自暴自棄の闇とは違う。ただ鈍く、変わらず輝くそれは、轟には刃の光と同じに見えた。

『くは、くははは、よいよい、よいぞ、鷹飛丸!』

 どこか侮りがあった二刀流の構えが、途端に鋭さを増す。

 死して亡者と化したがゆえに、妖刀の呪いは意味をなくしていた。生者を蝕む怨念も、怨念により動く死人には大した毒ではない。むしろ融け合う怨念は、刃と人とは、同じひとつの遺志にて動いている。

 

 そう、剣への妄執にて。

 

一度(ひとたび)大石(おおし)にて、二度(ふたたび)は畏川の畔にて。そして(まみ)えることはここに三度(みたび)を数えた!』

 高らかに、轟は唄う。

『今こそ試さん、儂と貴様の剣の道、どちらが鋭いかをな!』

「あぁ、望むところだ」

『その意気やァ……』

 轟が踏み込む。

『……好し!』

 そして、二刀が閃いた。

 【剣王】を喪ってなお、轟の疾さ凄まじく、風を飛び越え影をも置き去りにせんばかり。亡者として総身を駆け巡る怨念が、人を越えた力を与えたものか。さりとて、

「……《神域抜刀》」

神の御業も遅れは取らず。

 鷹飛丸が心を澄ませ、技を研いでいく。その濁りなき眼が世界を追い越してゆく。

 その魂魄は、神速へと潜っていく。平時の浅瀬より、更なる淵へと。深く、深く。水面(みなも)より覗く世界は半らへ……

「……」

更に深く、十重二十重(とえはたえ)……

「……」

三十(みそ)四十(よそ)五十(いそ)、否!

「《神域……抜刀》!」

 かつての最善、たかが六十重(むそえ)など及びもつかず、九十九重(つくもえ)すらもいと越えて、辿り着いたは百重(ももえ)の速さ。

 迷いはない。既に彼の心は打たれ、研がれ、冷たく澄んでいる。ゆえにその業にも曇りはなく、ここに【抜刀神】の奥義を打ち立てるものなりや。

 そして、耀く名刀【明霊】も、その鋭さを以て技に応うる。

 一瞬すらも分け得た刹那、最大の技量と最深の速度にて抜刀術は振り抜かれ……

『……天晴(あっぱ)れ』

 すれ違いざま、轟の頚が落ちた。

 【牛食(うしばみ)】は半ばより断ち切られ、呪いが抜けたのか、はたまた自らの呪いに堪えかねたか、どす黒い血に錆び付いて粉々に壊れた。【死蛍(しにぼたる)】もまた持主を喪って、その白光を減じさせる。椿のごとく大地へ落ち、岩へと鋭く突き刺さった。

 神速の淵より【抜刀神】鷹飛丸が舞い戻る。眼前では、酷く満足げな顔の首級が転げていた。その骸は、荼毘すら奪われた化生の証として、光の灰へと崩れていく。

 鷹飛丸は地に突き立つ【死蛍】をしばし見つめ、そしておもむろにその柄へと【霊水】を注いだ。

「……修羅よ、さらばだ」

 そして、鷹飛丸は西へと駆け出した。後ろでは抜き身の妖刀が、最も新しき主を蔑むように、鈍く、光り続けていた。

 

 ◆

 

 さて、この妖刀【死蛍(しにぼたる)】、その後数十年に渡って呪いを振り撒き森を腐らせるも、またいずこかより来たる無法者に引き抜かれ、決闘の末に天地を転々とす。その光の刃は多くを屠り、血をもたらし、呪いもまた力を増す。そして年月(としつき)は数百を数え、天地を出でてとある【猛毒王】の手に渡ることとなるが……それはまた別の、異なる人々の物語である。

 

 To be continued

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