灼花伝   作:Mk.Z

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最終話 過ち続ける彼等

 ■□天地

 

 鷹飛丸は、足を止めた。こぉん、こぉんと、木を打つ音が聞こえた。鳥か、獣かが鳴らしているのだ。

 そのほかは、静かであった。微かに葉擦れのみが流れていく。

 

 目の前では、血の海に仁蔵が沈んでいた。

 

「仁蔵……」

 それ以上の文言は浮かばず、また云うべきでもなかった。小さく名を呼んで、まだ息が微かにあることを確かめたのち、鷹飛丸は仁蔵の手当てに取りかかった。

 傷は深く、また鋭利であった。草の葉で切れたように細く、しかして身の内まで食い込んでいる。下手人など考えるまでもない。

(速矢……なぜ斬った?仁蔵をなぜ斬ったのだ?)

 鷹飛丸は軟膏を塗りつけながら歯を食いしばった。ぎりぎりと、頭の奥に弓弦を引き絞るような音が響いた。

(仁蔵だぞ……!)

「待って……下せぇ」

「喋るな」

 鷹飛丸は仁蔵に言った。

「傷に障る。無理をするな」

「速矢は、速矢は……悪くない、おらが、脅かしてしもうて……」

「そなた、息も絶え絶えではないか。もう話すな」

 仁蔵を包帯でなかば縛り付けるようにし、鷹飛丸はあたりを検めた。深い森だ。獣も物の怪も出よう。

「すまぬが、そなたはここに置いてゆくぞ。血は清めた。匂いで気取られることもあるまい。ゆめゆめ、徒に動き回るな」

「あ……」

 仁蔵は何かを言おうとして躊躇った。これがあの女のような若武者だろうか?線の細い鷹飛丸だろうか?

 その容貌は剣気に満ち、炎のように熱を発していた。下手に触れれば焼けそうだと思うほどに。

「速矢を……」

「……必ず連れ戻す」

 鷹飛丸はそう言って下草を踏み潰した。

(……まだ、人であったならば)

 

 ◆

 

 奥山には狐狸物怪が棲むなどと、人々は噂する。

 緑の奥の、昏き物陰には、人を憎み食らう者たちが潜んでいる。それは往々にして流言でこそあったが、山が化外の地であることは事実であった。樵でさえ踏み入らぬ地というのはあるものだ。

 天地の津々浦々、全てに人の目が行き届くわけではない。街道を外れればそこは修羅の国ですらない、獣の国だ。

「速矢はどこだ!」

 鷹飛丸は、そんな奥深い山を踏み分けて、さらに奥へと入っていった。

 山鳥も蟲も、あるいは山に棲む妖獣たちも、じっと身を潜めていた。鷹飛丸の放つ殺気は、あたり全てに牙を向けていた。

 霧が濃くなり始めていた。既に日は高いというのに、風は少し冷たい。

 まっすぐに天を衝く杉が、行く手を覆っていた。天地開闢からあるのではないかと錯覚しそうなほど年老いた木々だ。

(杉の枝が折れている)

 鷹飛丸は落ち葉を踏み、根を踏み、磐を蹴って進んだ。

 森は静かだった。背の低い木々はなくなり、鋭い葉の大樹だけが残っていた。日が入らないがゆえに下生えは背を伸ばせないのだ。梢を風が吹き抜け、おお、おおと裏寂しげな声を立てた。

「速矢!」

 鷹飛丸は一喝した。

「速矢!」

 いらえは無かった。もとよりそのつもりだ。

「速矢!そなた、まだ私の言葉が届くか!」

 鷹飛丸は叫びながら疾駆した。足は泥に汚れ、霧が衣を湿した。

「宝物獣の血を引くそなたが、その血を抑えてきたのはなんのためだ!そなたの半分は人の、母君の血であろうに!応えてくれ速矢!」

 そんな事があり得るものなのか、鷹飛丸は知らない。

 人間範疇の生き物と、山に棲む高位の宝物獣が子を成した、それが速矢なのだろう。だから人間ではありえぬ力を飼っている。あの身の内に巣食っていたのは、もうひとりの速矢なのだ。

(わたしは知らない。そんな類例も、それを治せる術師も、それを治せるような力も……わたしは斬るだけだ、結ぶことも組み直すことも出来ん)

 推し量ったところで、鷹飛丸には何も出来ない。陰陽師や道士であればあるいはと言ったところだが、それらにしたって生半な術師では手の出しようすらもあるまい。

 最善手を思うなら、鷹飛丸などこの場にいないほうがいい。それは判っていた。

「わたしは所詮ただの武者だ……だが、そなたを放っておくことなど出来るものか!捨て置けるものか!私が弱かったからそなたは一線を越えたのだろう?ならばせめて……」

 鷹飛丸ははっと足を止めた。

 山を割って、沢が流れていた。美しい白砂を固めたような岩、月の光を映したような岩がいくつも屹立している。

 その岩のひとつに、獣が立っていた。

「速矢!」

 獣は応えなかった。ただ猫のようにその身を弓形にして、獣は鷹飛丸を睨んだ。

 

「なぜ仁蔵を斬った」

 鷹飛丸は思わず叫んでいた。さらさらと水の流れる音が足元に動いていた。

「なぜ斬った!」

 

 速矢だったものは唸りを上げ、全身の刃を構えた。それはまさに一振りの太刀であった。太刀の姿をした鬼であった。

「既に、既にそなたが人の道を失っているとしたら、私は……!」

 武者は震えた。

 

 神代の獣は磐を踏みしめた。その黒く艶のある岩肌が、ぴしりと割れた。

「《神域……抜刀》」

 皮肉なものである。神代の技を謳いながら、真の神話を前にしてはいかにも格が落ちる。鷹飛丸はよく判っていた。

 

 まず、風が温くなった。せせらぎは音を止め、跳ね跳ぶ飛沫さえ硝子細工のように固くなる。僅かな木漏れ日は木の葉より伸びる柱へと変わり、光も風も、どれも濃く重い水に似る。

 その、人界を追い越した鷹飛丸の、その目を以てしてもまだ鬼は、閃光のように見えた。稲妻のように思えた。

 同じことだ。鷹飛丸は今、稲妻を斬らねばならないのだ。真っ白で儚い、鋭い稲妻を。その引き金を引いたのは己でもあるのだから。

(そうだ……わたしは決めたのだ。決めたではないか。いつまでも温い義人のまま、選び取らぬままではいられぬと。選んだのだ。人を……人々を害する修羅ならば、其れは人にあらじと!)

 光が迫る。一瞬すら遅い。それでも、ぐるぐると言葉にならぬ逡巡は巡る。

(一線を引いたのだ!なにを迷う?わたしは、己が弱さゆえの禍すら断てないというのか!)

 瞬きは許されない。そんな余裕が許される相手ではない。

(断ち切れ、己を!己の刃で!)

「速矢!」

 

 そのときにはもう、刀は振り抜かれていた。

 剣閃からややあって、やっと鋼の音がした。鎬を削る火花の音と、割れて轟く風の声音だ。

 鬼は鷹飛丸の喉元に刃を突きつけたまま、名刀【明霊】に留められていた。

 二人は限りなく近づいて立ち尽くしていた。鷹飛丸の刃は鬼の胴を袈裟斬りにせんとして甲皮に食い込み、鬼の刃は鷹飛丸の喉に浅く、赤い線を引っ掻いていた。

 喉首の皮一枚のみを切り裂いた刃が、ふと、ひび割れ、砕けた。

 

 そして、鷹飛丸の左腕が木の実のようにどさりと落ちた。

 

「……結局、半端者であったか」

 鷹飛丸は刀を納めようとしたが、やがて上手くできずに諦めた。枯れ葉の上に、長年連れ添った左手ががらくたのように転がっていた。

 血は面白いように湧き出しては、流れ落ちて地を汚している。疾さ故にか、その傷口は半ば焦げてすらいたのだ。

 眼前では、神速の獣が鷹飛丸を見つめていた。鷹飛丸は云った。

「わたしは……愚か者だ。義や情などを尤もらしく騙りながら、己のその責すら負えなんだ。速矢、そなたを斬ることも、斬らぬことも出来なかった」

 鷹飛丸の相は、血を失いすぎてか、一刹那に五十年も老いた老人のようだった。女のようだった肌は萎れ、土気色に染まっていた。

 

「山背の、露に濡れゆく真葛……何れも我をな絞め給ひそ……」

 

 鷹飛丸はそう呟いて、速矢の頬を撫でた。変わり果ててしまった鬼の頬を、なんの稚気も込めずに。

「さぁ。さぁ……」

 だが、鬼はどうとも動かなかった。

 少女の面影など消え失せた姿で、人鬼は鷹飛丸をそっと突き放した。そのまま後退る獣に、鷹飛丸は縋るような眼で叫んだ。

「何故だ?」

 鬼は静々と山の瀬に消えていく。木の葉が揺れて、紅い実が落ちた。

「何故だ……!」

 鷹飛丸はもう動けなかった。名刀すら放りだして、若武者は哀れで惨めな有り様のまま絶叫した。これが最後だと感じていた。きっともう、速矢には逢えない。

 

「わたしを罰してはくれないのか、速矢!」

 

 その叫びは山にこだまし、遠くで鹿の音が答えるように鳴いた。そのほかはただ沢のせせらぎと、虚ろに吹く山風の冷たさが肌を刺すのみであった。

 

 ◆

 

「傷は残るぞ」

 鷹飛丸は言った。仁蔵の歩みは亀のようであった。その顔は包帯で固められ、おのれの荒い鼻息を煩そうにしていた。

「箔が付きまさぁ。……おらよりも、あんたのほうが洒落にならねえ」

 鷹飛丸の左腕を見て、仁蔵は言った。その腕はもはや影も形もなく、縛られた袖だけが淋しげに揺らいでいる。

「いいさ、腕の一本くらい」

 鷹飛丸は本当にそう思って言った。

 木々は細く、森は明るくなり、さねかずらがその枝に絡んでいる。日は高く、遠くで鳥が鳴いた。

 尾根を越えた二人は、はるか眼下に広がる光景に、しばし足を止めた。遠くに、きらきらと光るものが見えたからだ。

「あれぁ……」

「……海だ」

 鷹飛丸は腰の【明霊】に手を掛け、尾根を守る大木に背を預けた。

 ふと、仁蔵がぽつりと零した。

「速矢は、どうなったんです」

「さて。二度とは遭えるまい」

 鷹飛丸は呟いた。ひどく乾いた声音であった。

「あのとき……人殺しならば斬ると宣わっておきながら、それを守れなかった。これはわたしの弱さが招いたことだ」

「情が、弱さですか」

「違う。定まらぬことがだ」

 自分には、速矢はどのみち救えなかった。鷹飛丸は心中でそう独りごちた。だが、彼には斬れなかったのだ。斬るか、斬らぬか。

 

(世に刃のある以上、きさんの道はない)

 

 目の端に映る、轟の影がそう言った。

(正しさを考えても死を憎み続ける限りは、貴様は間違い続けなければならんぞ。あの娘もいつか山から降りて人を喰らうだろう。貴様が招いたことだ。貴様の手とて血で汚れているのだよ)

 轟はくつくつと笑った。

(だから、義や理など棄てろ。認めろ!貴様は人斬りだ。常に正しからんとするなど辞めてしまえ。矛盾してもよいさ、その場限りの欲で、ただ眼の前のものを斬れ!)

 

(失せろ、幻。そなたはわたしの幻覚だ)

 

 瞬きをすると、轟は消えていた。だが、それが脳裏に住み着いてしまったことを鷹飛丸は理解していた。きっと一生、囁かれ続けるのだろう。

「旦那?どうされました?」

「なんでもない」

 鷹飛丸はふらふらと立ち上がり、はるか海原の輝きを眺めた。

「これからどうなさるんで?」

「さぁ、だが、これからは追われる身だ」

 鷹飛丸は言った。その顔はもう、女や稚児のような清らかさを失って、代わりに自棄とも妄執ともつかぬ危うげな熱が燻っていた。

「黄河にでも往こうか。海を渡れば、また違った生き方のあるやもしれぬ」

「お供いたしますぜ、旦那」

 仁蔵は明るく言った。その作り物の笑顔から、鷹飛丸はそっと目を逸らした。

 

 ◆

 

 以後の鷹飛丸の行方は杳として知れぬ。

 ある史書は落ち延びた黄河帝国にて貴族の剣術指南として生涯を過ごしたと記述し、またさる年代記は、再び天地に戻り戦のなかで命を落としたとも伝える。天地風土記に曰く、黒羽領には山中に潜む二人組の鬼狩り武者の怪談があるという。何れも、真偽の程は定かではない。

 一説には鈍岩家の怒りは収まらず、触れを出して領内の若武者を残らず狩らしめたという。北玄院に伝わる軍記には、『いくさ場にて、げに恐ろしき隻腕の抜刀武者ありしも、終に鈍岩の手勢百余名にて討ち死にせり』とある。だが、これまた何れもその名は明かされていない。

 

 また、黄河辺境、南東のとある寒村では、次のような童歌(わらべうた)が伝わっている。かつては村いっぱいの子供等によく歌われたそれも、今となってはただ、一軒のあばら家に老婆ひとりが伝え遺すのみである。

 

 東の侍 腰には刀

 西の竜王 足には蹴爪

 討ちて討たれて皆おしまい

 宴を囲んでおうちに帰ろ

 

 完

 

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