艦隊これくしょん 数字の底にあったもの   作:江藤青市

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1995年 1-8

 

 目の前には闇が広がっていた。

 後ろに続く長門、大和を導くようにして、彼女はそれを振り払って進む。至近にある台風の影響のせいか、ひどい風と雨が、激戦に次ぐ、激戦で悲鳴を上げている体を打ち付けていた。しかし、それもあと一踏ん張りで終わる。

 やっと本土へと帰ることができるのだ。

 ここのところ彼女の中にいる人間たちも戦況の悪化や鳥海のことで暗い気持ちになっていたようだが、このことについては随分と明るい思いが浮かんできているようだった。

 そんな思いと周囲を固める水雷戦隊は彼女自身を勇気づけていた。

 

 

 

 

「金剛さん、おはようございます」

 

「……」

 

 部屋の外から聞こえてきた声で金剛は目を覚ました。

 なかなか回らない頭のせいか、ぼんやりと周囲を見渡して自身の置かれている状況をやっと理解することができた。

 昨日、この家に連れてこられ、夕食をとった後にこの離れをあてがわれたのだ。今までと打って変わった環境になかなか寝付けなかったせいか、まだ睡魔は彼女に追撃を仕掛けていたが、大きく伸びを一つすることでやっとそれを追い払うことができた。

 

「……? 金剛さん? なにかありましたか?」

 

「なんでもないデース!」

 

「コホ……失礼しました。朝食の準備が整っていますので、よろしければ居間のほうへお越しください。まだ早いようでしたら後でお持ちしますが、どうしましょう?」

 

「OK! すぐに行くから待ってて欲しいデース」

 

「はい」

 

 短く返事をした後に、コホ、コホと小さい音を伴って声の主は部屋の前を後にしたようだった。

 夕食の際に航はあまり体が強くないと聞いていた金剛であったが、彼が朝から随分と咳をしていたことが少し心配だった。

 まだ時計は6時を指しておらず、ホテルではゆったりと過ごしていた金剛からすればなかなかに早い時間である。しかし、間借りさせている身で手間をけさせるのは気が引けてしまう。

 未だに誘惑してくる布団を何とかやっつけて、寝巻から用意された服へと着替えた。

 着替えを終えて、最後に艤装でもあるので持ち出しを禁止されている髪飾りの代わりであるカチューシャを慎重に装着しようと姿見の中の自身を見ると、彼女はなんだか笑ってしまった。どうしてあの厳めしい鉄の塊であった時とのギャップがひどいのだ。少し癖のある枯茶の髪は腰よりも長く、肌はまるで深窓の令嬢のように白く染み一つない。どこからどうみても軍艦ではなく、女子大生である。

 Hmm……と唸って、少し表情を動かしてみる。

 完璧だ。ちゃんと笑顔が出来てる。

 そのことがちゃんと確認できると金剛はすぐに居間へと向かった。

 

 

 

 

「Good morning!」

 

 漂ってくる朝食のいい匂いにつられたのか、満面の笑みを浮かべながら金剛は居間への障子を勢いよく開けた。

 その突然の大声にまだ眠たそうにしていた玲子がビクッと反応する。そんなちょっと抜けた妹の反応に苦笑しながら航はゆっくりと頭をさげた。

 

「あれ? テー――じゃなかった、トトキさんはもうお出かけなんですカー?」

 

「はい。先ほど海軍省から電話が来て登庁しました」

 

「なるほどネー」

 

 頷いてから、昨日と同じように玲子の横へと腰を下ろすと目の前にはすでにおかずが並べられていた。

 ギンダラの切り身、お浸し、お味噌汁。あとはここに白米がくれば、完璧と言っていいほどの日本の朝食だった。今まで菓子パンなりを食べていた金剛からすると、その漂う匂いは腹の虫を刺激するのに十分すぎるものだった。

 そんな生理現象をなんとか抑えようと必死に格闘しているうちに、十時夫人である珠子がおひつをもってやってくる。

 

「おまたせしました」

 

 控えめな声でそう言った彼女はまさに航の母親と一目でわかる態であった。

 血が通っていないのではないかと思うほどに白い肌と椿を思わせる唇は鮮やかなコントラスを描き、ただそれだけでこの奥方の印象を儚く薄幸なものにさせていた。長く伸ばした鮮やかな黒髪とあわせて、金剛からすればどこか妹の榛名を思わせる風貌であった。しかし、そのほっそりとしたうりざね顔は妹に比べると随分と大人びていて、未来の榛名といった方がピタリとくるかもしれない。

 そんな彼女であるが、航とは違い体の方は丈夫らしく、昨日から金剛が見ている限りはかなりテキパキと家事をこなしているようだった。

 今も金剛がまじまじと彼女を見ていると、いつの間にか白飯がよそられた茶碗が自身の前に置かれていた。

 その早業驚いて顔を目を上げてみれば、ちょうど目が合い、微笑が返ってきた。

 

「さぁ、冷めてしまう前にどうぞ」

 

「えっと……Yes……」

 

 それは同性である金剛でもたじたじになってしまうほどの艶やかな表情であった。

 少し慌てて金剛が味噌汁をすすってみれば、口の中に程よい塩味と暖かさが広がった。

 

「あ、美味しいデース……」

 

 ひょっとすると今まで一番美味しいと感じたかもしれない、そんな味に正直な感想が自然と出てしまっていた。

 

「それは良かったです。なにか苦手なものがあったらおっしゃってくださいね」

 

「あの、多分、なんでも大丈夫な筈デース」

 

 そう言ってから、金剛はこの体になってから食べてみたものをいろいろと思い返してみるが苦手だと思ったものはなかったと思う。

 ついつい感想が出てしまっていたことが気恥ずかしく、それを誤魔化すように少し多めにご飯を口に運ぶ。

 それからの朝食の時間は誰一人として食事中に声をあげることはなかった。音といえば、玲子と金剛がときおり鳴らす箸の音だけで、兄と母のほうはそれすらない。十時家の居間にはただただ沈黙の時間が流れていた。

 しかし、そんな時間も金剛からすれば、なんとも不思議に感じるものだった。沈黙というのは随分と気まずいだけのものだという認識があったが、今この場に横たわるものは質を全く異にするものだったのだ。

 どこかこの味噌汁のような温かくてホッとする、そんな時間。そんな風に金剛はこの沈黙の時間を捉えていた。

 

「ごちそうさまでしたデース」

 

 最後に残った漬物を食べ終えて、かみしめるようにして金剛はそういった。

 少しこの時間が終わってしまうのが名残惜しかったのかもしれない。

 

 

 

 

 食事を終えた金剛はどうにも手持ち無沙汰になってしまった。

 朝食の片づけは珠子にやんわりとだが、はっきりと断られてしまったのだ。昨日までなら一人でぶらぶらとしていても楽しく感じたが、どうにも今日はそんな気分にならなかった。

 なにか誰かと話をしてみたい。そんな気分なのだ。

 ウロウロと家の中をしていれば、縁側に座る玲子と航を見つけた。

 どうも玲子の髪をいじっているようで、邪魔をしてしまうのではないかという思いが一瞬よぎったが、思い切って声をかけることにした。

 

「えっと……二人で何してるデース?」

 

「え? お兄様に髪を結んでもらってるの」

 

 言われてみれば、玲子の頭には昨日までのお団子がなかった。

 女性としてはこういうことにも気を配らないといけないのか、と金剛は少し虚を突かれた思いだった。

 色々と情報を収集をして、女性のお洒落といえば服という認識であったが、髪型というものも大事なのだろう。建造されて以来、そこにはとんと無頓着で、艤装の邪魔になってはいけないとただストレートに垂らしているだけでいじることはしてなかった。

 

「見てても良いですカー? 私もそういうお洒落してみたいデース」

 

「ええ。お兄様はとっても器用だから、参考になるとおもうわ」

 

「Wow! それはとっても羨ましいデース」

 

「ははは……別にそんなたいそうなものでもないんですけれどね。この子が不器用なだけです」

 

 兄の言葉に玲子は抗議しようとしたが、『動いたらうまくできないよ』という言葉で動きを止められてしまった。

 そんな二人の様子についつい笑みが漏れてしまった金剛であったが、当初の目的を思い出して玲子の頭へ目をやれば、先ほどの言葉が謙遜だったことが十分に分かった。彼女の目から見ると航の指はなにか別の生き物のようだった。

 腰よりも長いのではないかという玲子の明るい茶に近い髪を縛ってツインテールにすると、それを三つ編みにしていく。随分と細かく編み込みを入れているのか、鶴の羽を思わせる細い指はせわしく、整然と動いていた。

 そして、その作業がおわると、作られた三つ編みがサイドへと巻いてまとめられていく。

 

「Hmm……」

 

「さぁ、終わったよ」

 

「ありがとう!」

 

 自分にはすこし出来そうもないと金剛が唸っているうちにすっかりと玲子の頭にはかわいらしいお団子が二つできあがっていた。

 

「あれ? まだ髪結い終わってないみたいだけど、いいんですカー?」

 

 昨日は気づかなかったが、玲子のお団子からひょこりと残ったツインテールの先が伸びているようだった。 

 どうやら航もそのことを気にしているらしく、苦笑をうかべていた。しかし当の本人である玲子はそれがこの髪型の肝なのだと言わんばかりに、少し胸をそらして自慢するような様子だった。

 

「可愛いでしょ? フレンチクルーラーとツインテール一緒にできるのよ?」

 

「え? お団子じゃないんですカー?」

 

「お団子なんてなんか子供っぽい言い方じゃないもん。ね、お兄様」

 

「いや、それはどうかな……はは……」

 

「Hmm……」

 

 なんとも歯切れの悪い兄の言葉に少し不満そうにしている玲子であったが、金剛の知識からするとフレンチクルーラーというものがいまいち理解できなかった。もう少し勉強をしてみるべきなのかと思うと先ほどまでとは別の唸りが漏れてしまう。

 最初にうけた『普段は普通の人間のように生活しろ』という命令を完遂するためにはどうも勉強することはまだ多いようだった。

 

「あ! そうだ、金剛さんもやってみたら?」

 

「え?」

 

「うん! 金剛さんもきっと似合うわ。えっとここら辺の両サイドにつけるの」

 

 そういって玲子は金剛の耳当たりの高さあたりを指さした。

 似合うのだろうか? そんな疑念もあったが、せっかくなのだからやってみたいという思いもあった。

 そんな相反する思いに更なる唸りを上げて、考え込んでしまう。そんな金剛の様子を、自分の提案が受け入れられるのかと少しワクワクとしながら玲子は眺めていた。

 

「……OK! やってみたいデース!」

 

「やった!」

 

「Yes! それじゃあ、ヨロシクオネガイシマース!」

 

 3分ほどの葛藤の末、決断を下した金剛は玲子の隣にドカリと腰かけて航へと背を向けた。

 

「え? いや、その……」

 

「あれ? どうかしましたカー?」

 

「それは、なんというか、あの、女性の髪を触るというのは――」

 

「なによ、お兄様、私だって女性じゃない」

 

「いや、玲子は家族だから……」

 

 ごにょごにょと言葉を濁しながら、航は今まで金剛が見た中でもっとも深い苦笑をうかべていた。

 こんな彼の態度を見るまでは金剛の頭からはすっぽりと抜け落ちていたことがあった。髪は女性の命ともいうほどだ、美容師でも家族でもない人間がいじるのは気まずいことなのだろう。

 迷惑をかけてしまったかもしれない、変な人だと思われたのではないか、せっかくお話が出来たのに避けられるようになってしまうかもしれない――

 そんな負の感情が溢れそうだった。

 

「Sorry……」

 

 普段の明るい降るまいからは想像できないような蚊のなくような謝罪の言葉だった。

 そのあまりの豹変ぶりに航はおおきな驚きを覚えた。それでも納得してくれたのならば、良かったと前を向けば、そこには怒気を浮かべた気の強そうな顔がまっていた。

 

「別に金剛さんが良いっていうんだから良いじゃない」

 

「そうはいってもなぁ……」

 

「意地悪!」

 

「う、うーん……」

 

 すっかり拗ねてしまったようで、プイとそっぽを向いてしまった妹に航は頭をかきながら苦笑するしかなかった。

 こう言う頑固なところは実に父譲りなのだろう。兄の困惑をみても玲子には譲歩しようとする素振りもなかった。

 一方で、そんな兄妹の様子に金剛も困り果てていた。自分の迂闊な一言で喧嘩のようになってしまったのだ、先ほどから落ちていた形のいい眉はさらにハの字になってしまっていた。

 暫し気まずい沈黙がその場を包もうとしたが、それよりも早く航は自身が折れることを選択した。

 

「はぁ……仕方ないなぁ。あの、金剛さん、髪に触らせてもらっても良いですか?」

 

 妹の機嫌も航からすればどうにかしなければと思うものだったが、それ以上にそんな悲しげな顔をしている金剛に気付いてしまったのが止めになった。

 わがままに付き合わせることへの申し訳なさから痛む胃のあたりをさすりながら、なんとか言葉を紡いだ。

 たったそれだけのことで変化は劇的だった。

 

「やった! ね、金剛さん、お揃いにしましょ?」

 

 随分と元気なことに玲子の顔には先ほどまでが嘘だったかのような大輪の笑みが浮かんでいた。

 その変貌ぶりに金剛は驚かされたが、少女の純真無垢な笑みは先ほどまでの暗い気持ちをどこかへ追い払うのに十分すぎるほどのものだった。

 

 

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