申し訳ありませんでした。
私と艦娘が険悪な関係だと? 大淀編-前編
すでに深海棲艦があらわれて20年以上の時間がながれていた。その長い時の中で多くの制度や人間の生活はそれに対応したものとなっていた。
突如現れた脅威からの守護を名目に大日本帝国海軍はその活動範囲を大きく広げ、米英海軍とともに大海の支配者の一人として君臨していた。
物語の中心となる鎮守府はそんな流れの中で建造されたもののうちの一つだった。
※
鎮守府執務室には重苦しい沈黙が横たわっていた。この場に気の弱い人間がいれば、胃が痛くなるほどだろう。
その状況を作り出しているのは一人の男だった。
部屋の主であろうそれが、口を真一文字に引き締め、寄らば斬るとでも言いたげな雰囲気が漂わせているのだ。これでは執務室が深海のような雰囲気になってしまうのも無理のないことだっただろう。
見た目からすれば恐らく30代半から40代程であろう。眉間に大きく刻まれた皺と鋭すぎる容姿のせいで、詳しい年齢は分からなかったが、先ほどの推測で恐らくは間違いないだろう。
階級章はこのいけすかなく見える男が中将であることを示していた。多くの将官が失われ、鎮守府の乱立から軍での出世が早くなったこの時代でも、異例といえるほどに早い立身であった。
一種、この男の存在が、長く続いている深海棲艦との戦いの中で海軍がある種の病に侵されている証明であった。
その病の名前は戦果主義という。
実力や結果次第で出世がかなうといえばきこえはいい。しかし、それが世に言うブラック鎮守府やこの男のような化け物を生み出す原因の一つとなっていた。
「……提督、こちらを御覧下さい!」
秘書艦を務める大淀の一言に、目線は取り掛かっている書類から一つも動かさずに男は少し頷くことで答えた。
性格というものは顔にでるというが、それに従うならこの男は随分とキツイ性格をしているのだろう。そして、残念なことにこの男に限ってはその言葉は正鵠を射ていた。
「これは写真機か?」
目の前のものに興味がないことがありありと分かるほどに、ひどく平たんな声であった。それは聞きようによっては、非難の色や怒気などが含まれているように感じるかもしれないほどであった。
普通の艦娘であればひるんでしまうかもしれないその物言い。しかし大淀は、この男との長い付き合いの中で、そんなことにいちいち反応していては秘書艦など務まらないことを重々理解していた。
どこか事務的な印象を受けるほほえみを絶やさずに、持っているカメラをグイっと提督の眼前へとさらに近づけた。
「はい。しかし、ただのカメラではないんです」
「というと、明石謹製か」
そこでやっと興味がすこし向いたのか、鋭いというよりも険しい目線がしっかりとカメラをとらえた。
しかし、一瞥して外見上のそれは何の変哲もないものであるということを確認するとすぐに視線は書類へと戻ってしまった。
「ふん、見た目はただの三脚とカメラだがな。なにか特殊な機能でもあるのか?」
その一言に、大淀は待ってました言わんばかりに胸をはって――自身の発明でもないというのに――答える。
「なんとですね! これで写真を二人で撮るとお互いの相性や好感度が分かるんです!」
「……なるほどな、それで艦娘同士の関係を測り、艦隊運営の役に立てようかと言うのか。素晴らしい発明ではないか」
「え?」
一瞬の間をおいて、大淀の予想していた答えから、斜め上の回答をだした提督は満足そうに大きく頷いていた。
「なにか明石には褒章が必要かもしれんな」 とつぶやくように言ってから、目の前の大淀が唖然としていることにやっと気づいたようだった。
「なんだ、その反応は」
その表情が気に入らなかったのか、もともと逆ハの字の眉はさらにその角度を鋭いものにしていく。
これ以上怒らせるのはまずい。大淀はそう確信して慌てて言葉を紡ぎ始めた。
「あのぉ、提督、ご自身と艦娘とのことはお気になられないのですか?」
「別に。どう思われようが命令さえ聞くのであれば問題ない。違うか?」
「……」
「……なぜ黙っている? それとも私と艦娘の間にはその前提を覆すほどの溝があるとでもいいたいのか?」
「あ、いえ、そういうわけではないのですが……」
「では、どういう意味だ? なにもないのであれば、さっさっと執務に戻れ」
「あのですね、おそれながら申し上げますと、一部……そう、ほんの一部なんですが、提督のおっしゃるようなことをする艦娘がいる可能性もあるかもしれないなんて、おもったり――」
「何ッ!? どういうことだ!!」
「も、申し訳ありません……」
大淀の言葉があまりに想定外のものだったのか、目をむいて提督は怒声を上げた。
そのあまりの大きさにとっさに大淀は身をすくめてしまう。この鎮守府では敵の砲撃よりもこの怒声を恐れている艦娘も多かった。
流石に大淀はそれほどに怯えたわけではなかったが、平然としていては小言の追撃がくることも理解している。これが最善だと理解しての反応だった。
「……ちっ。取り乱したな、続きを」
「あ、あのですね、提督は生真面目で寡黙な方ですので一部の艦娘からはやはり畏敬といいますか……」
「はっきりと言え」
「……それでしたらざっくばらんに申し上げますと、やはり提督を怖がってしまって、転属願いを出した子もいまして――」
「はぁ!? ちょっと待て!? 冗談はやめろ!」
「いやいや、それが冗談じゃないんですよ!」
「馬鹿をいうな! おかしいだろ? なんだ、私が気に食わないのは別に構わん。しかしだ、軍人がそんなに簡単に転属願いなどだしていいのか? そこまでされるほどに私と艦娘との関係は悪いということか!?」
血管が切れたのではないかと思うほどに顔を真っ赤にして男は叫ぶ。
艦娘が自主的に転属願いを出したという例は今までにない。何事も先陣を切ることを好む男でも、そんな不名誉に一番乗りするのは嫌なのだ。
居心地悪そうに小さくなっている大淀にその鋭すぎる視線が突き刺さった。
そんな様子に、大淀の中でも今まで抑えてきた何かが切れた。
「そういう娘を説得している私にいわれましても……」
「はん! 馬鹿者の翻意もできない己の無能を棚に上げて、よく抜け抜けといえたものだな!?」
大淀は決心して放ったはずの嫌味も更なる嫌味によって押しつぶされてしまった。
不機嫌を隠すこともなく、提督はブツブツと小言を続けていたが、そんなことに付き合っていては一日が終わりかねなかった。
更なる決心――それも不退転のものをきめて、大淀はその小言を遮ることにした。
「と、とにかくですね、親密になりやすい相性がよい子達からでも良いので艦娘と交流していってほしいんです。その手助けにするために、この『感情度測定写真機』を開発したんです」
「むぅ……お前の考えは分かった。しかし、私も忙しい。そんなことをいちいちしている暇はない」
「えぇ……それでしたら艦娘との関係をどう修復していくおつもりなんですか……?」
「面倒であるが、すこしずつ改善していくようにしよう。だが、今はその転属を願っている者の対処だけで問題あるまい」
「……」
「で、その馬鹿は誰なのだ? 私が直に会って、叱責せねばな」
「はぁ……お言葉ですが、それではなにも解決しません。提督はこの鎮守府の雰囲気についておもうことはありませんか?」
「さっぱりお前の言いたいことがわからんな。各種物資が途切れることもなく、本国がこの地への民間人の入植を進めていただいたことで娯楽に関しても問題はないはずだが?」
「……そういったこと物質的なことではありません」
「下らんな、貴様のセンチメタルに付き合う気はない。馬鹿者の対処に関しては私のほうで引き継ぐので、書類をあとでまとめてもってこい」
言葉の通り、興味を失ったのだろう男の視線は机上の書類へと戻ってしまった。
こうなっては何をいっても聞かないことを残念ながら大淀は理解している。
故・勝幡元帥が築いた軍令部のドッグで建造されて以来、大淀は失敗らしい失敗に陥ったことはなかった。ゆえに唯一、転属願いを出された鎮守府の秘書艦などという汚名をかぶることは我慢できない。
秘書艦というのは、その鎮守府の顔でもあるのだ。鎮守府の運営で過失があったとなれば、秘書官にもその責任の一端があったとみられるのが通例となっていた。
暗澹たる未来を幻視してしまった大淀のカメラを握る手に自然と力がこもる。この一帯では南方海域総司令部に次ぐほどの大きさを誇るといっても何十とある鎮守府の秘書艦で終わるのを大淀は良しとしていなかった。
ここで大きな実績を上げて、中央に戻るのだ。そして艦娘出身の初の参謀になる。その野望のためにもここで躓くことは許されない。
言ってダメならば、実力行使で認めさせるしかない。普段は冷静沈着を旨にしている彼女であったが、それはそんな焦りに押し流されていた。
「提督! お覚悟を!」
「……ちっ! なんだ――」
パシャリ!
すこし間の抜けたような音だった。
昨年引退した野球選手ではないが、写真の右下に自身の顔が映るように自撮りをしたのだ。勿論、その奥にいる提督もしっかりと写真の中に納まる。
こんな苦肉の刑をおこなうことはしたくはなかったが、自身の数字を見せることで提督を説得しようと大淀はしたのだ。
長い付き合いだからこそ分かる。
この手の男は嫌っていたり、信頼していない艦娘を近くに置くことはしないはずだ。だからこそ、そんな相手から見るに堪えないような数字が出てくれば、翻意して、ことの重大さが分かるようになる。
この作戦は大淀自身に大きな痛みがあったが、それでも背に腹はかえらない。
少しの間は数字に叩きのめされた提督から色々と言われるかもしれないが、鎮守府の雰囲気が変わって成果さえ上げていけば自身に感謝をするかもしれない。
それが、いささか甘い見通しであることは大淀自身も頭の片隅では理解していた。しかし鎮守府の空母をまとめている赤城から連日にわたって上がっている報告から推測するに、モチベーションの向上は戦果の拡大に大きく寄与することは間違いないように思えた。
間違ったことはしていない。そんな確信を込めて、今後、数年にわたって鎮守府へ嵐を巻き起こすことになるカメラの最初のシャッターは押されたのだった。