金剛が少しの胸の痛みを覚えたあの日から1週間程がすぎた日のことだった。刻限が昼を少し回った頃、十時日向はいつもの習わし通り、副官を供に連れて軍令部の食堂で昼食の膳に向かっていた。
食堂内は、午前の軍務を終えて腹を満たしに集まった将校や下士官たちの低く濁った話し声で、それなりの賑わいを見せている。軍令部という土地柄、集う者の大半は整然とした軍服姿であり、そこかしこから磁器の器と漆の塗箸とが触れ合うかすかな音や、声を潜めて交わされる作戦上の雑談が漏れ聞こえていた。午後の任務の手順を確かめ合う者もあれば、束の間の休息を惜しむように同僚と他愛もない世間話に興じる者もある。
もっとも、民間の街場にある食堂のように、無遠慮な大笑いや威勢のよい怒号などが飛ぶことはない。皆がみな、自覚するとなく周囲の気配を推し量りながら過ごしているのである。階級の上位にある者が近寄れば自然と声量を低くし、話が作戦の機密に触れそうになればなおさら言葉を選んだ。
時折、抑えた笑い声が湧き立つこともあったが、それすらもどこか規律の枠を破らぬ範囲に留まっており、ひとたび伝令の靴音が慌ただしく響いてくれば、先ほどまでの私語など最初から無かったかのように潮が引く。軍令部という硬質の空間においては、例え飯を喰らう最中であっても、軍人という身の皮を脱ぎ捨てることは叶わないのである。
それでも、彼らは皆、仕立てのよい軍服の胸の底に、それぞれの重い任務を抱えながら束の間の休憩を楽しもうとしていた。
そうした無数の気配が交錯する喧騒の渦中で、日向はいつも定位置にしている席に腰を下ろしていた。この建物に長く勤めていれば、自ずと腰を落ち着けるのに適した場所が決まってくるものであり、日向自身、特に席順などにこだわる質ではなかったが、いつの間にかこの窓際の席で箸を動かすことが多くなっていたのである。
その向かいでは、彼とは対照的に柔和な笑みを浮かべた安祥泰之(あんじょう・やすゆき)中佐が、深皿に盛られたカレーライスを旺盛な食欲で頬張っていた。
安祥は日向の副官を務める男である。
軍人としては決して華々しい功績や風格を誇るタイプではない。若い割には何事に対しても慎み深く、時には些か気弱にさえ映る男であった。しかし、ひとたび命じられた軍務を疎かにしたことは一度もなく、十時日向自身と似たタイプの軍人であった。そうした忠実さと粘り強さを買ってか、日向もまたこの男を長く手元に置いていた。安祥の方でも、日向という上官が外見から受けるほど単純な武骨者ではないことを、長年の付き合いを通じてそれなりに知っていた。
普段の日向は、必要以上に部下へ己の感情を露わにすることがない。威厳を以て叱責すべき時は容赦なく怒り、褒めるべき時は簡潔に一言を授け、命令を下す段には一切の無駄な修飾を削ぎ落とす。それだけに、彼の内面に生じたほんの微細な揺らぎであっても、身近に仕える者には明白な違和感となって伝わってくることがあった。
軍令部での食事は自腹が基本であるとはいえ、安祥は昼時くらいは腹の足しになるものを、という考えからか、今日も今日とて盛りの良い甘辛い一皿を注文していた。もっとも本人は、その皿の盛りの良さを少々気に病んでいる様子で、周囲の目を憚るようにちらちらと匙を動かしている。大盛りを平らげたところで、誰も咎め立てなどするはずもない。しかし、安祥という男にはそういう小心な一面があった。必要以上に目立つことを忌み嫌い、上官の前では殊さらに振る舞いを慎もうとする。 そんな男が、今日は珍しく自分の深皿よりも、向かいに坐す上官の手元ばかりを気に病んでいた。
日向は、安祥の向かいで黙々と箸を動かしていた。 だが、その運びにいつもの規則正しさがない。焼き魚の身をほぐして一口。味噌汁の椀を口に運んで一口。そうして、またしてもピタリと塗箸を止めてしまうのである。 本来、日向の食事には軍務と同じく無駄のない一定のリズムがあった。急いで詰め込む風でもなく、だらだらと長引かせる風でもない。決められた時間の中で必要な分量を手際よく腹に収め、すぐさま執務室へと引き返していく。それが長年の軍人生活で身についた揺るぎない習慣であった。普段の彼であれば、飯を食いながら余計な雑念に囚われるような男ではない。食べるべき時には食べ、働くべき時には働く。ただそれだけの条理を、何十年も違えることなく重ねてきた人物であった。時には書類を片手に点検しながら膳に向かうことすらある彼が、今日は手元の料理に対してまるで意識を向けていない。
安祥は銀の匙を動かしながら、幾度となく向かいの顔を盗み見た。はじめは単なる気のせいかとも思っていた。昨日、何か重大な軍機に関わる問題でも持ち上がったのか。それとも朝一番で、面倒な件が舞い込んで来たと注進されたのか。安祥なりに思い当たる節を探ってみたが、日向の手元に書類の類はなく、今朝から特別機嫌を損ねている様子もなかった。 ただ、深く考え込んでいる。それだけであった。 しかし、これほど露骨に箸が進まない姿を見せつけられては、気づかぬ振りを通す方が難しい。安祥は一度、カレーを掬った匙を口元まで運んだところでぴたりと止めた。そうして、ひとしきり迷った末に、慎重に問いを投げかけた。
「ぶ、部長、何か気になることでも?」
安祥が尋ねると、日向の手の動きが完全に止まった。すぐには顔を上げなかった。あたかも、自分が思案に暮れていたことを部下に指摘されて初めて、その事実に思い至ったかのようでもあった。束の間の沈黙が落ちた後、ゆっくりと顔を上げる。
「……分かるか」
「え、ええ。ぶ、部長のもとに配属されてからそこそこ経ちますので、流石に」
いつものように、僅かに言葉を詰まらせながら答える副官に対し、日向は短く頷いて見せた。
「そうか」
それだけ言い捨てると、日向は再び手元の味噌汁へと視線を落とした。湯気はとうに失せ、澄んだ汁の表面には食堂の寒々とした電灯の光がぼんやりと映り込んでいる。日向はその水面を眺めたまま、しばらく口を閉ざしてしまった。
安祥もまた、それ以上は急かそうとしなかった。副官を長年務めていれば自ずと分かる。日向という男は、無用な言葉を軽々しく口にするような人間ではない。彼が言葉を発する時には、必ずそれ相応の理由が存在する。そして今の沈黙は、胸中の思いを不器用に整理している時間なのだ。安祥は静かに匙を置き、黙ってその時を待った。軍人にとって、耐えて待つこともまた一つの重要な責務であった。ましてや相手が、己の敬愛する上官であるならば尚更のことである。
やがて日向は、ぽつりと重い口を開いた。
「航のことだ」
「ご、ご子息のことですか」
「ああ」
その名を唇に乗せた瞬間、日向の厳めしい眉間に僅かな陰りが生じた。軍務上の報告を聞く時とは明らかに異なる、一人の父親としての苦々しい表情であった。安祥もまた、背筋を伸ばしてその言葉に耳を傾ける。
「航は……軍人にはなれんだろうなと思ってな」
日向の声には、自嘲とも諦念ともつかない哀切な響きが籠もっていた。
「な、なるほど。た、確かお体が少し弱いとは伺っておりますが、それが何かあったのですか?」
「ああ」
日向は頷いた。
「幼い頃からそうだった。少し無理をすればすぐに熱を出す。走れば息が上がる。風邪を引けば長引く。本人は平気な顔をしているが、見ている方が気を遣う」
そこまで言葉を紡ぐと、日向は一度息を吐き出した。
彼の脳裏に浮かんでいたのは、幼少の折の航の儚げな姿であった。他の子供たちが庭先で泥だらけになって駆け回っている中、一人だけ少し離れた日陰の縁側に腰掛け、じっとその様子を本を片手に眺めている。決して遊ぶのが嫌いな訳ではない。むしろ、本当はあの輪の中に加わりたいのだということは、その瞳を見れば痛いほど分かった。他の子が楽し気に歓声を上げれば、羨ましそうに首を伸ばすこともあった。
だが、いざ「一緒に遊ぼう」と誘いがかかると、航はどこかわびしげな困惑の笑みを浮かべて辞退するのだった。自分があそこで無理を重ねれば、後でどれほど苦しい思いをするか、あるいは家族にどれほど心配をかけるかを、幼子ながらに弁えていたからである。
そして、周囲の大人たちもまた、その哀しい分別を知っていた。航が少しでも足早に歩けば「無理をするな」と制し、かすかな咳音を立てれば「大丈夫か」と顔色を覗き込み、発熱して寝込めば家中が息を殺して静まり返る。そうした痛々しい光景が、何年にもわたって繰り替えされてきたのである。航自身にとって、己の弱さが特別な異常ではなく、当たり前の日常として刷り込まれてしまうほどに。 その往事を思い返すたび、日向の胸の底には、泥のように重苦しい感情が澱むのだった。
「な、なるほど。そうなりますとなかなか難しいのでしょうね」
「そうだ」
日向は魚の身を無造作に木箸でほぐしながら、淡々と続けた。
「無理に鍛えれば丈夫になる、というようなものでもないらしい」
「……そ、そうでしたか」
「ああ」
日向はほぐした魚のひと片を口へ運んだ。しかし、それがどのような味であったのか、自分の舌ではまるで感知できなかった。
「だから、軍人には向かん」
安祥は言葉もなく頷いた。身を軍職に置くということが、単に引き金を引いたり刀を振るったりするだけの単純作業でないことくらい、彼にも痛いほど分かっている。だが、最終的に国を背負って戦場という極限の地に立つ以上、強靭な肉体と精神の耐久力が不可欠であることは紛れもない事実であった。命が下れば泥濘の中を夜徹して行軍し、不眠不休で陣地を守り、食糧が途絶えても闘志を保ち、傷ついた戦友を担いででも走らねばならない。そういう過酷な世界なのである。病みがちな少年の繊細な体質を知る者であれば、日向の下した結論に異を唱える者など一人としているはずがなかった。
「……でしたら」
安祥は、ほんの少し言葉を濁しながら尋ねた。
「何だ」
「ご、ご子息が軍人になれないことを、そこまで気にされる必要はないのでは?」
日向の箸が、ぴたりと途中で止まった。
「…………」
重苦しい沈黙に耐えかね、安祥は慌てて言葉を足す。
「い、いえ。もちろん、私の様な者が過ぎたことを申し上げました。申し訳ありません」
「いや」
日向は不器用に手を挙げて安祥の言葉を制した。
「いい」
短い一言であった。 日向はしばらくの間、じっと目を伏せていた。やがて、深く低い声で呟く。
「お前の言う通りだ」
「……はい」
「航が軍人になれないからといって、それで何か困るわけじゃない」
「そう、ですか」
「あいつは医者になりたいと言っている。以前は教師になりたいとも言っていた」
「どちらも立派な仕事と小官は愚考いたしますが……」
「ああ」
日向は力強く頷いた。
「俺もそう思っている」
その言葉に、偽りや迷いの色はなかった。だからこそ、安祥には上官の煩悶の根底にあるものが掴めず、不思議でならなかったのである。日向は息子の志す道を否定している訳ではない。息子の病弱な体質も十分に受け入れている。それにもかかわらず、なぜ今日に限って、わざわざ「軍人にはなれない」などという述懐を漏らすのか。
「では……」
安祥は恐る恐る、その核心へ踏み込んだ。
「何が、そんなに気掛かりなのでしょうか」
日向はすぐには答えなかった。その代わり、ゆっくりと視線を転じて食堂の窓の外へ向けた。冬の鈍い斜光が、ガラス窓を透かして食堂の床にうすく伸びている。外の空気は刺すように冷たいはずであったが、この軍令部の巨躯の中には、今この瞬間も無数の人間が蠢き、働いている。誰もが国から与えられた己の責務を忠実に果たしているのだ。日向自身もまた、そうして生きてきた。役に立つこと。組織から、国から必要とされること。それが武名を尊ぶ家に生まれ、軍人として身を立ててきた自分にとっては、呼吸をするのと同じくらい当然の前提であった。
「……十時家は、軍人の家だ」
やがて日向は、口を開いた。
「はい」
「親父も、そのまた親父も軍人だった。もっと遡ってもずっと士族だ」
「存じあげております」
「俺も、当然のように軍人になった」
日向はそこで一度言葉を切り、喉を鳴らした。
「だから……あいつにも、何かを継いでほしいと思っているのかもしれん」
安祥は息を飲んで黙り込んだ。その言葉を聞いた瞬間、これまで日向が口にしてきた断片的な葛藤が、一つの太い線となって繋がったような気がしたのだった。
「航君に……軍人になってほしい、と?」
「それは違う」
日向は即座に否定した。あまりにも苛烈な拒絶の早さであった。
「航に軍人になれとは思っていない」
「……はい」
「加えて体のことを考えれば、そんなことは言えん」
「では……」
「だが――」
日向はそこで言葉を詰まらせた。自分でも、その先にある感情の正体を彼自身もいまだ正確には掴み兼ねているようであった。
「何かを、だ」
「何かを?」
「ああ」
日向は静かに、しかし深く頷いた。
「十時という家でもいい。俺の仕事でもいい。何でもいい。……何か一つくらいは、あいつに残してやりたいと思っている」
「…………」
「だが、それが本当にあいつのためなのかは、俺にも分からん」
安祥は返す言葉を失った。日向自身もまた、その思いを言葉にして初めて、己の胸の底に潜んでいた執着の形をはっきりと見出したようであった。軍人として跡を継いでほしい訳ではない。家格を誇るために意に添わぬ道を強いるつもりもない。本人の望む通り、医療や教育の道へ進めばよいと心から願っている。
……それにもかかわらず、自分が命を賭して歩んできたこの「武」の軌跡の何かを、息子に手渡したいと望んでしまう。それは父親としての純粋な情愛なのか。それとも代々続く血筋に対する無意識の責任感なのか。あるいは、軍人としてしか生きられなかった自分自身の哀しい未練に過ぎないのか。日向にはそれを判別することができなかった。ただ一つ確かなのは、そのどれもが我が子を愛おしむが故の迷いなのだということだった。だからこそ、始末が悪いのである。
「……部長」
「何だ」
「それは、航君のためですか?」
安祥は直視しながら尋ねた。
「それとも……部長ご自身のためですか?」
その不躾とも言える問いかけに対し、日向は即座に答えることができなかった。 軍令部の食堂には、相変わらず無数の将校たちの雑多な話し声が満ちている。誰かが抑えた声で笑い、食器の触れ合う乾いた音が響き、厨房の奥からは出来立ての料理を運ぶ活気が漏れ出てくる。そのありふれた日常の喧騒の中で、ただ二人を隔てる空気だけが、異様なほど静まり返っていた。
「……厳しいことを言うな、安祥」
「す、すみません」
「だが」
日向の顔に怒りの色はなかった。むしろ、己の胸の最も柔らかい部分を正確に突かれたことで、どこか手持ち無沙汰な苦笑を浮かべていた。
「……そうなのかもしれんな」
「部長……」
「俺は、あいつに自分の跡を継がせたいと思っているのかもしれん」
その吐露は、日頃の軍人としての苛烈な決意表明に比べ、遥かに弱々しく、頼りなげに響いた。まるで己自身を言い聞かせ、言い訳しようとしているかのようでもあった。安祥はただ黙って、上官の横顔を見つめた。
「だが、あいつには無理をさせたくない」
「はい」
「……そこだけは、本当にそう思っている」
日向の声に、先ほどまでの迷いを振り払うような断固とした強さが戻った。
「航が軍人になれないなら、それでいい。医者でも教師でも、本人が望む道へ進めばいい」
「はい」
「なのに、俺は……」
日向はそこで言葉を切った。その先につづくべき自身の浅ましさを探すように、しばらく沈黙する。やがて、苦々しい笑みを唇に刻んだ。
「親というのは、面倒なものだな」
安祥もしばらくの間黙していたが、やがていつもの穏やかな表情を取り戻して微笑んだ。
「そういうものなのかもしれませんね」
「お前にまだ子供はいないだろう」
「い、いませんが……」
「なら分からんだろう。分かったようにいうものではない」
「それは……まあ、そうですね。あはは」
安祥は困惑したように頭をかいて笑った。日向もまた、ほんのわずかに口元を緩めたのだった。
しかし、その和やかな笑みも長続きはしなかった。
ふと、日向の脳裏に昨日の夕刻、目の前で無邪気に笑っていた娘・玲子の姿が鮮烈に蘇ってきたからである。
あの爛漫な笑顔。何の疑いもなく「軍人になりたい」と言い放ったあの可憐な口元。兄が身体が弱くて継げないから、代わりに自分が家を支えるのだという、幼くも残酷なまでにまっすぐな理屈。 その言葉を耳にした時、日向の胸を襲ったものは、父親としての誇らしさなどでは断じてなかった。
それは、身の毛もよだつような冷や汗と、底知れぬ不安であったのだ。
「……航だけじゃない」
「え?」
「玲子のことも、少し考えなければならん」
「玲子さんですか?」
「ああ」
日向がそう答えた、まさにその時であった。
「失礼します!」
食堂の重厚な入り口の扉が開かれ、若い兵の張りのある声が鋭く響き渡った。一瞬間、場内に満ちていた幾つもの会話がピタリと途切れる。士官は居並ぶ将校たちの刺すような視線を背に受けながら、一脇目も振らずに日向の座す卓へと駆け寄ってきた。軍令部において伝令が走り込んでくる以上、そこには必ずや非常の事態が控えている。ましてや昼食の最中の卓へ直参してくるとなれば、事態の切迫は火を見るより明らかであった。
「十時少将!」
「何だ」
「勝幡軍令部総長より伝令です」
その重々しい威厳に満ちた名を聞いた瞬間、日向の目つきが一変した。先ほどまで漂わせていた「父親」としての苦悩の影は雲散霧消し、そこには冷徹な一人の「軍人」の顔が立ち現れていた。
「至急、軍令部総長の執務室までお越しいただきたいとのことです」
「……そうか」
日向は静かに立ち上がった。木製の椅子が床を擦る重い音が、食堂内に低く響く。安祥もまた反射的に腰を浮かせ、姿勢を正した。
「安祥」
「は、はい」
「食事が終わったら、午後の書類を頼む」
「承知しました」
日向は短く頷いた。 そうして一度だけ、卓上に残された己の膳へと視線を落とした。結局、箸は殆ど進んでいなかった。冷めきった味噌汁も、崩された焼き魚も、そのままの手かずで残されている。それを見つめ、日向はほんの一瞬だけ名残惜しそうなためらいを見せたが、すぐに視線を前方へと戻した。
軍務は、個人の感傷など待ってはくれないのだ。
「……行ってくる」
誰にともなくそう呟くと、日向は躊躇うことなく食堂を後にした。
安祥は、その去り行く背中をじっと見送った。いつもと変わらぬ、硬く鍛え上げられた真っ直ぐな背中であった。しかし、つい先ほどまで向かいの席で息子の将来や家の宿命に言葉を詰まらせていた男の佇まいを思うと、安祥の胸には割り切れぬ割り切れなさが残るのだった。
廊下へ出た日向の足元から、軍令部特有の硬い靴音が響き、冷たい廊下の奥へと遠ざかって行く。
勝幡が自分を急ぎ呼び出した真の理由。 それが何を意味し、己と家族の運命をいかに狂わせていくことになるのか。 この時の日向は、まだ知る由もなかったのである。
おかしい。こんなおっさんが話してるだけで一話終わる艦これSSがあって許されるはずがない。