艦隊これくしょん 数字の底にあったもの   作:江藤青市

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1995年 1-2

 

 去る皐月の中旬、すこしずつ深緑の息吹が芽吹く中のことであった。新しい命を感じながらも十時は忙しく各部署を飛び回っていた。

 昨年の師走より現れた深海棲艦と名付けられた敵への有効な兵器の開発という命令はいまだに解決の糸口すら見いだせていなかったが、誰もがうらやむ功績をあげる絶好の機会でもあったのだ。

 今までどこか主流と外れてしまっていた自分が、すべてを巻き返す絶好機。これで奮起せずに、いつ奮起するのだとばかりに十時は張り切っていた。

 そんな中でのことであった。

 

「総長が私を?」

 

「はい。至急、執務室へお越しいただくように言付かっています」

 

 突然、自分を訪ねてきた年若い軍令部総長付秘書官に言われて、十時は首をひねった。

 新兵器の案についての報告であれば数日前にしたばかりである。一度しっかりとした報告を上げれば、勝幡という男はそうせかせかと言ってくる人物ではないはずなのだ。

 なにかしくじったのだろうか、などと内心で疑問を抱きながらも、彼が首を横にふることなどできるはずもない。二つ返事ですぐに向かうことを告げると、残る部下へいくつかの指示をだしてから、十時は席をたった。

 

 

 

 

 

 

 広い海軍省とはいえ、軍令部と軍令部総長室までは指呼の間である、帽子をかぶり直し軍服を整えているうちに目的地までついてしまう。

 先ほどの疑問に答えを見つけてはいなかったが、十時は厚い扉を叩いた。

 

「軍令部第二部長であります。お呼びと伺い、参上いたしました」

 

「ああ、入れ」 

 

「失礼いたします」

 

「うむ。ご苦労」

 

 甲高い声の返答をうけて部屋に入り、敬礼をすれば十時は困惑してしまった。

 どかりと椅子に掛けている軍令部総長の美丈夫とも、偉丈夫ともいえる様はまはいつもどおりであったが、見覚えのない巫女服というかひらひらとした洋服とも和服とも判別のつかない不思議な恰好をした少女がその横に控えていたのだ。

 

「まぁ、かけてくれ。少し話が長くなる」

 

「は、はぁ、失礼いたします」

 

 そんな十時の様子に我関せずと返礼もそこそこに勝幡は応接用のソファを指さして、ゆったりと立ち上がる。

 

「さて、なにから話すべきか」

 

 移動してソファに腰かけるなり、軍服の隠しから煙草を取り出しながら勝幡はポツリと呟いた。

 

「失礼します」

 

「うむ」

 

 十時の出したライターで敷島に火をつけて勝幡は大きく紫煙を喫む(のむ)

 それから少しの間、ただただ勝幡は煙草を楽しむようにしていたが、十時からするといろいろと頭の中がこんがらがって混乱を抑えることに必死になっていた。

 この場に呼ばれた理由も、謎の女性についても考えれば考えるほどにわからなかったのだ。

 

「あの、総長、そちらのご婦人は」

 

 つい沈黙に耐えられなくなってしまった十時が目線で少女を指しながら、問うと勝幡は面白そうに薄く笑った。

 

「今大戦の切り札だ」

 

「は? はぁ、いや、失礼いたしました。しかし、それは、なんともそれは……」

 

 突然出た意味の分からぬ言葉に、しどろもどろになりながらも十時はなんとか言葉を絞り出した。

十時からすると兵学校の二つ上であった勝幡のことをよく理解していたつもりであった。こうして自分のことを突然にからかうことも冗談をいうことも珍しいことではない。しかし、そういった時には、彼の視線には幾ばくかの温かみがあり、一目で親愛の情によって発露したものだと理解できるようになっていた

 だというのに今の勝幡の目にはただただ理性と知性が浮かび、まっすぐにこちらを眺めていたのだ。だからこそ十時の混乱は拍車をかけた。

 冗談ではなく本気で言っている、と。

 

「ふふ、どうした随分と面食らっているようだが?」

 

「総長の深淵なるお考えが私にはどうも理解できずに申し訳ありません」

 

「いや、当然であろうな。それを説明するためにも今回は第2部長を呼び出したのだ」

 

 言われて、十時はチラリと勝幡を見やった。

 いつも通りにその姿は怜悧という言葉がピタリとくるような佇まいであった。年の割には黒々とした艶やかな髪を後ろに撫でつけて、ぴったりと軍帽の中にしまいこみ、軍服はしわ一つなく完璧に着こなしていた。そして吊り上がった瞳の中には知性と理性が湛えられている。それらの要素に、薄いながらも整えられた髭をあわせると、まさに良識的な軍人として完璧といっていいようにみえた。先ほどからの狂人のような言葉がこの人間から出たとは十時は信じられなかった。

 目を回す後輩に笑みを深めながら、少女へと振り返った。

 

「金剛、挨拶を」

 

「YES! 英国で生まれた帰国子女の金剛デース!ヨロシクオネガイシマース!」

 

「……」

 

「どうした? 貴様も名乗れ」

 

「しかし、今のは――」

 

「早くしろ」

 

「……大日本帝國海軍十時中将である」

 

 十時は腕を組み、顔を真っ赤にしながらなんとか言葉を絞り出した。

 英国、金剛といわれてピンとこない人間なぞ海軍にいるはずもない。目の前の少女は、自分は戦艦だと自己紹介したのだ。

 馬鹿にされていると彼が思うのも無理もないことだった。

 しかし金剛と名乗った少女はその反応がいまいち理解できなかったらしく、不思議そうに首をかしげてから、助けを求めるように勝幡の方へ眼をやった。

 そんな二人の様子をもともと予想していたのであろう軍令部総長はなにかを言う前に、短くなった煙草を最後に一つ吸ってから、灰皿へと押し付けた。それは面倒な長話をするまえに一息入れるためのものだったのだろう。

 

「すまんな。突然のことであるが、彼女はわが軍が太平洋戦争下で使用した戦艦金剛であるというのはどうやら事実のようなのだ」

 

「総長……失礼ですが私も与えられた任務をこなすことで手いっぱいであります。冗談であれば、ほかのものにお聞かせくだ――」

 

 そこまで言ってから、スッと細くなった勝幡の視線に気づき十時は慌てて口を閉じた。それは勝幡という男のいまいちどこにあるのかもわからない地雷を踏みぬいた際に、彼がとれる唯一の対処であった。

 不注意にもその怒りを始めて引き出してしまった際に、気を失うほどに殴られて以来、それは彼のトラウマにもなっていた。ゆえに一種の防衛本能といってもいいほどに、十時は勝幡の感情の機微に敏感になっていた。

 

「……よろしい。彼女は軍艦である」

 

「……」

 

 納得は出来なかったが、上官がそういうのならば仕方ないとなんとか自身を納得させて、無言で十時は頷いた。

 

「では、時系列を追って説明をしよう」

 

 そういってから勝幡の口から語られ始めたのは、十時の今までの常識と、勝幡という男の正気を疑わせるに十分な内容であった。

 


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